害虫

2001年,日本,92分
監督:塩田明彦
脚本:清野弥生
撮影:喜久村徳章
音楽:ナンバーガール
出演:宮崎あおい、蒼井優、沢木哲、石川浩司、りょう、田辺誠一

 父親をなくし母と二人で暮らす中学一年生の北サチ子、そのサチ子の母親が手首を切って自殺未遂を図った。そのころから徐々に学校に行かなくなったサチ子はタカオやキュウゾウといった人たちと出会う。一方学校では同級生の夏子がサチ子のことを心配していた。
 塩田明彦監督が『EUREKA』で話題を呼んだ宮崎あおいを主人公として、またも少年・少女ものを撮った。『月光の囁き』と通じるどこか「イタイ」ドラマ。

 物語の前半から、状況を説明する要素がほとんどなく、台詞もあまりしゃべられない。いきなり挟み込まれるキャプションの相手も最初は誰だかわからない。このわからないことだらけの始まり方というのは見る側の集中力を高めていい。人物の関係性や展開を考えるために、何も見逃さないように画面に意識を集中せざるを得ない。
 この映画の物語は非常にいい。とても痛く、とても濃い。よくある話といえばよくある話だが、そのよくある話を説明や解釈抜きにしてしまうところがいい。たとえば、普通はキュウゾウがいったいどのような人なのかを説明するようなシーンを加えてしまう。それをせずに、キュウゾウはただのキュウゾウであるとするところがいい。その説明がするりと抜けたところに入り込むのは、見る側の解釈である。本当に画面(とキャプション)だけがこの映画のすべてである。余計なものは一切ない。余計な台詞をそぎ落とし、ずっと緊張感が保てるようにしてある。台詞を削り落としたぶん、代わりにわれわれに語りかけてくるのは「モノ」である。
 この映画は「門」の映画だ。繰り返し画面に登場する門、一番頻繁に映るのはサチ子の家の門。このサチ子の家の門の繰り返しでわれわれの意識は門に注がれるようになる。この門に注意を注ぐということが行われていないと、ラストシーンがまったくわからなくなってしまう。ラストシーンの「意味」の解釈は見る人それぞれであるけれど、それが何であるかを見間違えるわけには行かない。監督はそれを見間違えないように繰り返し「門」を映してきたのだから、私がわざわざそんなことを強調することもないのだけれど、そのように周到にモノによって語らせる映画の作り方が気に入ったのだ。
 門といえば、これは余談ですが、学校の校門も出てきた。むかし校門で生徒が圧死するという事件があって、それを思い出したりもしたけれど、そこで小さく映っていた先生は… この映画はいい役者や見たことある人がちょっとした役で出てきます。これは結構映画を見ていて楽しみなので、ここでは明かしません。見つけたときに喜びましょう。校門の先生はわかりにくいので、注意してみていましょうね。

どこまでもいこう

1999年,日本,75分
監督:塩田明彦
脚本:塩田明彦
撮影:鈴木一博
音楽:岸野雄一
出演:鈴木雄作、水野真吾、芳賀優里亜、堀広子、松本きょうじ、若菜江里

 小学校5年生になったばかりの子供から少年へと移り行く少年たちの物語。そこには友情や家族や世間や恋愛といった大人とまったく同じ問題が存在しているのだけれど、大人たちにはそれが問題とすら思われていないような、そんな年頃の子供たち。
 この作品は彼らの日常をほほえましくも、緊張感のあるタッチで描いている。誰もが(男だけ?)「ああ、こんなことがあったよな」と思ってしまう平凡な日常と少年たちにとっては大事件の数々。文字にしてしまえばしまうほどつまらなくなってしまう。大人の言葉に直してしまったら、まったく面白みは伝わらない。そんな映画なのかもしれない。

 全体的にはありきたりというか平凡というか凡庸な映画だが、ところどころにきらりと光るものがあった。たとえば、野村が死んでしまったあとに展覧会で展示されていた絵だとか、アキラがジャンプしながら空中に向かってキックする場面とか、「花火銃」とか。そういった、はっとさせられるような場面があるだけでこの映画には価値があると思う。
 そんなはっとする場面を演出しているのは、映画の自然さではないだろうか?「なんか見たことある」と感じてしまう団地の風景、不自然なほどにつるんでいる小学生の自然さ、団地等閉じられたコミュニティにありがちな人間関係、そんななんでもないことがなんでもなく描かれている。それがこの映画のよさなのかもしれない。
 とにかく、野村の絵とラストシーンはよかった。