Metisse
1993年,フランス,92分
監督:マチュー・カソヴィッツ
脚本:マチュー・カソヴィッツ
撮影:ピエール・アイム
音楽:マリー・ドーン
出演:ジュリー・モデュエシュ、ユベール・クンデ、マシュー・カソヴィッツ

 自転車でやってきたみすぼらしい白人の青年と、タクシーでやってきたこぎれいな黒人の青年。二人は混血の美女ローラに妊娠したと告げられる。しかもどちらの子供かわからない。さらにローラは生むことにもう決めていた。さて、二人はどうするか?「人種」という重たげな問題をあっさりコメディにしてしまう。 マシュー・カソヴィッツの監督デビュー作はたわいもないコメディのようで、じっくりと味わうだけの含蓄がある作品に仕上がっている。
 「この映画はすごいよ」と私は言いたい。「この映画を消化できないようじゃダメだよ」と高飛車に言いたい。
 でも、軽い気持ちで見てください。そういう映画ですから。

 ジャマルとフェリックス、そしてローラ。この3人はただ単に黒人・白人・混血という関係性なのではない。ジャマルはアフリカ人、フェリックスはユダヤ人、ローラはマルティニク人。3人ともがフランスの社会ではマイノリティであり、この三人の間では必ずしも「白さ」「黒さ」が社会的な問題となるわけではない。  おそらく、ジャマルの家系は出身国(おそらくセネガルかどこか)がフランスの植民地であった頃から、高度の教育を受け、本土において成功したのだろう。ローラは、おばあさんがフランスにいることから、マルティニク(カリブ海のフランス領の島)から移住してきたものの大きな成功は勝ち取れなかった(だから母親はマルティニクに帰った)のだろう。フェリックスは名前からしてポーランド系、第2次大戦後にフランスにやってきたのかもしれない。
 そして、現在では、フェリックスの家がいちばん貧しい。ジャマルの家がいちばん金持ち。
 しかし、ローラは言う「彼は黒すぎるのかも」。肌の色への偏見か?
 ジャマルは暴君のように振舞う。無意識的な性差別か?
 教育とか、社会的地位とか、「やばい地区」とか、いろいろなことが複雑に絡まって、しかしそれを解きほぐそうとはせず複雑なまま提示する。それはただ、あるがままをぽんと提示するということなのだけれど、その複雑さが複雑さとして表現されるためには、ただそこらに転がっている現実を切り取ればいいというわけではなくて、それなりの選択と、表現の工夫が必要になってくる。そしてそれはひどく難しい。どんどん複雑化して行く現実をありのままに切り取っている(ように見える)この作品には非凡なものがあるということに我々は気づかなければならない。

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