Seul Contre Tous
1998年,フランス,95分
監督:ギャスパー・ノエ
脚本:ギャスパー・ノエ
撮影:ギャスパー・ノエ
出演:フィリップ・ナオン、ブランディーヌ・ルノワール、フランキー・パイン
前作「カルネ」の物語が最初プロローグ的に挿入され物語は始まる。カフェの元女主人と田舎に引っ込んだ元馬肉売りの男は女が約束の店を借りてくれないことに不満を募らせる。男は夜警の仕事をはじめるが、ある日その不満がついに爆発し男は家を飛び出した。
前作とほとんど同じ映画の構成で、相変わらず斬新で暴力的な映画。特に独特の音響がショッキング。前作より長くなったせいか、一つ一つの構図のこだわりが弱くなったような気がしてしまうのが残念。
ドラのような音でリズムを作ってカットを割っていく最初のほうの構成は前作とほぼ同じで最初のあたりはかなりいい感じ。しかし、そのドラのような音が銃声に変わり、観客を驚かせる。それはそれでいい。しかし、それが度重なると、暴力的でただ過剰な騒音になりかねない。個人の感性にもよるが、私にはちょっと過剰で耳障りに感じられてしまった。そんなことをしなくても出来ただろうにと思ってしまう。というのも、元馬肉売りの男が田舎からパリへと向かうトラックの中の大音響の音楽は決して耳障りではなかったから。
そのあたりでちょっと映画への没入をそがれたものの、全体として悪くない。クライマックスのホテルの場面なんかはものすごい緊張感で圧倒された。この監督の緊迫感を作り出す力はすごい。
さてそのあたりは置いておいて物語に話を移すと、ほぼすべてが男のモノローグで展開されるこの物語はとにかく暗い。「モラル」というものをテーマにし、それを徹底的に否定的にとらえ、「モラル」とは金持ちを助ける価値観でしかないと断罪する。あまりにそれを徹底しすぎているがゆえに、もと馬肉売りの男の行動は嫌悪感さえ催させる醜悪さを露呈するが、それはある程度の真理を語ってはいるのかもしれない。映画の冒頭ですべての「モラル」に挑戦すると宣言したギャスパー・のえの言葉は決して嘘ではなかった。我々が男の行動に嫌悪感を催すということは、我々もまた腐った「モラル」に浸りきったブルジョワでしかないということを意味するのかもしれない。
この映画の居心地の悪さにはそのような罠が隠されているのだと私は思う。だから見ることの苦痛を覚悟しながらも、この映画を見ることには意味があると私は言いたい。
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