映画を日常にする映画観察サイト

現在、Wordpress移行に苦戦中。徐々に出来上がっていく予定です。旧サイトはこちら。
13-01-10

演劇1

  • 平田オリザの演劇術から問う「観察」と「演出」の本質

 日本を代表する劇作家・演出家のひとりである平田オリザ、彼が主催する劇団「青年団」は東京にある「こまばアゴラ劇場」を中心に活動を行なっている。「観察映画」を実践するドキュメンタリー映画作家想田和弘はその青年団の稽古や本番、事務仕事から平田オリザの様々な活動にまで密着、4年の歳月をかけて『演劇1』『演劇2』という2本の作品にまとめあげた。
その「1」では、平田オリザの演劇術を精緻に観察、その方法論をひとつの物語にまとめた。

演劇1

© 2012 Laboratory X, Inc.

1と2を併せて約6時間の長編作品、その全体を通して最も気になった場面が、この1の冒頭にあった。それは、平田オリザがワイヤレスマイクをつけるシーンだ。この映画は平田オリザの映画なのだから、彼の「言葉」を録るためにワイヤレスマイクをつけるのは効果的な方法だし、今時はTVのバラエティ番組などでワイヤレスマイクをつけたりとったりするシーンもよく見られるので、別段不思議なシーンというわけでもない。しかし「観察映画」にとってはこのシーンは大きな意味があるはずだ。

想田監督の映画は間違いなくフレデリック・ワイズマンの影響を受けているわけだが、これまでの作品を見ると、想田監督はワイズマン同様、「カメラは現実に影響を与えない」という考えを持っているのだろうと思える。繊細に考えるとカメラはそこに存在するだけでその前に立つ人の行動に影響を与えそうだが、しかし、その影響というのは無視できるとワイズマンは言う。それは、人の振る舞いというのはその場によって常に変化するものであるということで、簡単に言えばその人を見ているのが「人」であっても「カメラ」であってもその人の行動は(誰もいないところとは)変化するのだから、ことさらカメラの存在が人の行動を変えるというのは的はずれだということだ。

想田監督もおそらくそのような考え方をして「観察」という言葉を使っているのだろうと思うが、そのような考え方をとるならば、ワイヤレスマイクをつけるというのは被写体に物理的に影響を与えるという意味で、カメラが現実に影響を与えないという考え方を根底から覆すことになりうる。実際に映画の中で、劇団員が「なんでマイクつけてるんですか?」といい、オリザがカメラの存在を示唆するシーンがある。これはカメラ(というかマイク)の存在が現実に影響を与えていることを示しているようにも見える。しかし、実際にはこれによって「平田オリザはワイヤレスマイクをつけている」ということがある意味では当然のこととして周囲に受け入れられ、それ以降はその存在がかなりの割合で忘れられるということを意味しているのではないだろうか。

つまり、想田監督は最初にワイヤレスマイクをつけるシーンを持ってくることで確信犯的にカメラの現実への侵犯を示しながら、しかしそれが現実に大きな変化をもたらすものではないということをも同時に示そうとしているのである。そして実際に見ている観客にはそのマイクの存在やカメラの存在はほとんど意識されることはない。観客はカメラとともに稽古場やワークショップやインタビューの場に入り込む。そこにいる人達はカメラ=観客の存在を意識することなく、自分のやるべきことをやっているように見える。

実際のところ、このような効果が生まれるのは編集のなせる技で、カメラの存在を意識させるようなシーンを巧妙に排除しているからなのだろうが、それは排除されているのだからこの映画には関係のないことだ。最初にあえてそれを意識させるシーンを入れたためにそのようなことを考えることになったが、素直に映画を見れば、あっという間に見ている側もカメラの存在は忘れられる。

と「映画術」について長々と書いてしまったが、この映画は平田オリザの「演劇術」についての映画だ。特に興味深いのは稽古のシーン。平田オリザは演じる役者のセリフや動きについて本当に事細かに指示する。それは本当に偏執的で機械的なように見える。しかし、実際の舞台が映し出されるとそれはすごく自然で、セリフの一部はアドリブなのではないかと言うくらいの臨場感を醸しだす。平田オリザを雑然とした感じを計算によってつくり上げる演出家なのだ。その「劇の作り方」は非常に興味深く、ついつい引きこまれてしまう。

と同時に、この一連のエピソードを見て、映画ファンの多くが小津安二郎のことを思い出すだろう。笠智衆に湯のみを持つ手の角度まで指示したという小津の演出とこの平田オリザの演出がどうしても重なって見える。実際に作中でも(平田オリザ自身の言葉ではないが)小津が言及され、小津の『東京物語』へのオマージュと言われる『東京ノート』が主要な作品の一つとして登場する。それはつまり、平田オリザが小津安二郎の影響を受けているだろうことは間違いないということだ。

だからどうというわけではないが、平田オリザの演劇は多分に映画的なものに感じられる。つまり彼の演劇術は映画術に通じるものでもあるということで、演劇の映画であるはずのこの作品は映画の映画でもあるということだ。想田監督は自らの作品を「観察映画」と呼ぶわけだが、その演出を廃した観察映画が演出を観察し、それによって演劇と映画について考えさせる、ここに何かこの映画が想田監督の「観察映画」の核の部分についても問おうとしているような印象を受ける。

演劇についてはもちろんのこと、映画について、演出について、そして演じることについて、観察することについて、そのさまざまなことについて考える材料にあふれた作品だ。

演劇1

  • 2012年,日本=アメリカ,172分

カテゴリ: 2010年代, アメリカ, ドキュメンタリー, 劇場, 日本

Share on Facebook
Pocket

関連する記事

スポンサードリンク
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(R) ユナイテッド・シネマ映画チケット&会員登録アフィリエイト