デッド・カーム/戦慄の航海

Dead Calm
1988年,オーストラリア,97分
監督:フィリップ・ノリス
原作:チャールズ・ウィリアムズ
脚本:テリー・ヘイズ
撮影:ディーン・セムラー
音楽:グレーム・レヴェル
出演:ニコール・キッドマン、サム・ニール、ビリー・ゼイン

 ヨットでクルージングを楽しむ夫婦。そこに小型ボートが近づいてくる。そこに乗っていた若い男は、船が沈没してしまったと語る。しかし、その若い男を乗せた二人のヨットに無人のぼろぼろの船が近づいてきた。
 アメリカでもヒットし、オーストラリア出身のフィリップ・ノリスとニコール・キッドマンがハリウッドへ進出するきっかけとなった。ハリウッド映画のような豪華さはなく、B級なテイストが漂うが、サスペンスとしてはなかなかのもの。

 結構わけのわからない映画で、特にラストシーンなどはふざけているとしか思えないが、おそらく大真面目に作っている。アメリカでこの映画のなにが好評だったのかわからないが、このあまりにパターンにぴたりとはまった映画作りは見ていて面白い。プロットはサイコ・サスペンス的な恐怖とオカルト的なショックとをうまく織り交ぜて、いいサスペンスに仕上がっているといえる。いろいろ「んなあほな」というところはあ りますが、そのB級な感じが、わたしとしてはこの映画を救っているように思えました。
 ニコール・キッドマンのヌードというのも映画が一流ではないということをあらわしているのでしょう。あまり書くこともないので、ニコール・キッドマンの話にしましょうか。ハリウッドで整形はあたりまえですが、この映画を見ると、今のニコールとはちょっと違う。鼻の形?目?マア、どこでもいいですが、ニコールに限らず整形女優は大体整形前のほうが親しみをもてる顔をしている。整形後のほうが美女なのかもしれないけれど、その背後にある美人の方のようなものに反感を感じてしまいます。
 ワイズマンの『モデル』でモデル事務所に問い合わせるときに「アメリカ的な美人(American Pie)」などといっているのを聞くと、やはり、そんな定型的な美人のほうが仕事があるのかと思いますが、どうなんだろうなー
 映画にとって美女は重要ですからね。

ベイブ/都会へ行く

Babe : Pig in the City
1998年,オーストラリア,96分
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー、ジュディ・モリス、マーク・ランプレル
撮影:アンドリュー・レスニー
音楽:ナイジェル・ウェストレイク
出演:マグダ・ズバンスキー、ジェームズ・クロムウェル、ミッキー・ルーニー、メアリー・スタイン

 アカデミー賞にもノミネートされ話題となった「ベイブ」の続編。牧羊犬ならぬ牧羊ブタとして有名ブタになったベイブ。しかし彼のいる牧場は借金に苦しんでいた。牧場を救うためにはベイブが都会でパフォーマンスを見せるしかない!と、いうわけで、ケガをして牧場から出られないホゲット爺さんに代わって奥さんがベイブを連れて出かけることになった。
 この作品もやはり、大ヒット作の続編は失敗するという法則に抗いきれなかった。そこそこ面白いのだけれど、前作と比べてしまうと、かなり苦しい。しかし笑えるところは結構あるので、見ても損はないでしょう。

 うーん、相変わらず面白いのは動物たち。爺さんが出てこないというのがすごく残念。フェルディナンドとかねずみとかキャラはたつけど、いかんとも…
 面白いんですけどね、やはりヒット作の続編は、特にコメディは難しいってことですか。「ビバリーヒルズ・コップ」とかね、「48時間」とかね、「裸のガン」とかね。
 まあ、いいでしょう。これくらい笑えれば許してあげます。

エグザイル・イン・サラエヴォ

2000/3/11
Exile in Sarajevo
1997年,オーストラリア,91分
監督:タヒア・カンビス、アルマ・シャバーズ
撮影:ロマン・バスカ、タヒア・カンビス、アルマ・シャバーズ
出演:サラエヴォの住人たち

 オーストラリアに住むカンビア監督が、戦火の母の故郷サラエヴォへ、亡命者(エグザイル:Exile)としてビデオカメラを持って入る。そこに待ち受けていたのはCNNやBBCが伝えるサラエヴォとは異質なものであった。彼はそこでさまざまな人々に出会い、この戦争の意味をこの戦争に巻き込まれた人々の気持ちを徐々に理解してゆく。そして母の姿も。
 この映画は戦争に対するプロテストとしてみることもできるし、戦争という危機的な状況の中で力強く生きる人々の生活を描いたドラマとしてみることもできるし、家族を主題にした物語としてみることもできるし、恋愛ドラマとしてみることもできる。
 とにかく、傑作。
 決して押し付けがましくないドキュメンタリー。

 単に、戦争の悲惨さや虐殺の残忍さを訴えるのではなく、一方的な視点にとらわれることの恐ろしさを抉り出そうとする。この映画は被害者の一方的な視点にとどまらないテーマ性を持ち、フィクションにも劣らないドラマ性を持つ。
 われわれはNATOの空爆についてニュースで知り、それについて賛否両論投げかけたけれど、実際、NATOというものがボスニアにおいてどのような存在であったのかということは、この映画を見るまでわからなかった。さも、正義の味方であるかのような顔をして世界に鎮座する国連が、決して常に正義の味方ではありえないことも思い知らされた。
 そして、この映画がさらに素晴らしいのは、そのような戦争に押しつぶされずに生きつづける人々を描き出していること。タヒアとアルマ画徐々に惹かれあっていく姿も、爆弾の餌食になってしまう少女ニルバナの姿も、精神的傷を負いながら絵日記を書き綴る少女アミラの姿も、等しく美しい。
  こんな映画に出会えてよかった。この映画はドキュメンタリーという姿をとり、実際にドキュメンタリー・フィルムではあるが、その内容はフィクションよりもドラマティックである。ドキュメンタリーの本質がそのようなものだとは思わないが、フィクションと同じドラマを孕むドキュメンタリーはやはりフィクションより感動的であるということを認識させる。