Pida Huivista Kiinni, Tatjana
1994年,フィンランド,62分
監督:アキ・カウリスマキ
脚本:サッケ・ジャルヴァンバ、アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
音楽:ヴェイッコ・トゥオミ
出演:カティ・オウティネン、マティ・ペロンパー、マト・ヴァルトネン、キルシ・テュッキュライネン
ヴァルトは母親のところでミシンを踏んでいるが、コーヒーが切れたといって家を出る。その足で車を修理に出していたレイノの所に向かう。車の修理は終わっていて、2人で試運転に出かけるが、その途中でよったバーでバスが故障して立ち往生していた二人の女性を港まで乗せていくことになった。
カウリスマキはいつでもカウリスマキだ。本当に不思議な空間を彼は作る。フィンランドがそうなのか、それともカウリスマキが変なのか…
コーヒーとウォッカはほとんどしゃべらず始終ブスリとしているけれど、2人の間には何か通じるものがあるらしい。それにしてもあまりにしゃべらない。この映画はおそらく台詞の量では世界で指折りの少なさを誇る映画だろう。ひとつの台詞から次の台詞までの間は果てしなく長い。その間に文脈というものはなくなる。ただひとつ文脈のある台詞はロシア人の女の「あなたたちって本当に話好きね」という台詞だけだ。
この台詞と台詞の長い間は物語の断絶も意味する。ロシア人の女が宿屋の女主人に「イヤリングありがとう」というけれど、そのイヤリングは映画には登場しない。そのように物語りはばっさりと断たれ、夜から昼、昼から夜と時間ばかりが流れていく。その時間の流れの中で台詞を使わずに、登場人物たちの心理を着実に描いていくのがカウリスマキの真骨頂。この映画でもそれは健在。
カウリスマキ映画のもうひとつの特徴(?)といえば、主人公たちがさえないこと。それは冒頭2つ目のカットでバイクに乗る4人を見た時点で明らかになる。このカット、物語と何の関係があるのか最初はよくわかりませんが全部見終わって振り返ると、なるほどね、というカットです。
!!ここからややネタばれ目!!
この2番目のカットに現れた4人は誰だったろうか? どうにも思い出せないが、旅に出た4人と同じだった気がする。それならば、すべての謎は明らかに。みながらずっと思っていたのは「お母さんは!?」という疑問。こんな何日も閉じ込めて置いたら死んじまうよ。このまま旅を続けて帰ってみたらお母さん餓死っていうオチだったらそれはそれですごい映画だと思いながら見ていましたが、こういうオチなら、それはそれでなるほどねという感じ。「夢」のこういう使い方もあるというか、こういう使い方が本当はいいんだと思います。
『シックス・センス』以来、何本も同じような映画が作られている中、『ビューティフル・マインド』なんて映画も現れましたが、そんな映画作る前にこの映画を見ろ!! といいたい。人間すべてがアメリカ人みたいに単純だと思ったら大間違いだぞ!! といいたい。この映画のラストシーンの淡白さをロン・ハワードに見習ってもらいたいですね。