マジェスティック

The Majestic
2001年,アメリカ,152分
監督:フランク・ダラボン
脚本:フランク・ダラボン
撮影:デヴィッド・タッターサル
音楽:マーク・アイシャム
出演:ジム・キャリー、マーティン・ランドー、ローリー・ホールデン、アマンダ・デトマー

 第二次大戦直後のハリウッド脚本家のピーターは自分の作品が映画化され、その主演女優は自分の恋人とこれから順風満帆な人生が待ち受けていると思っていた。しかし、当時ハリウッドを席巻していた赤狩りの標的になってしまう。まったく身に覚えのなかった彼だったが、逃れられない運命を悟り、あてもなく車を走らせて事故を起こしてしまう…
 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』という感動作を撮ったフランク・ダラボンがオリジナル脚本で挑む意欲作。ジム・キャリーはすっかりシリアスな役が似合うようになってしまった。

 いわゆる感動作ですが、どうでしょう。ストーリーはなかなか。予想の範囲は出ませんがまあよくできているという感じです。
 いいと思ったのは脇役の使い方。特に「マジェスティック」の人々はとてもいいキャラクターを持っている。タラボン監督というのは脇役の作り方、使い方がうまい人なのかもしれない。それも一人重要な脇役を配するというのではなく、何人も脇役を作ることで、主役を食うほどのキャラクターは生まれないというのがいいのかもしれません。
 ひとつどうかなと思ったのは、今頃、このように赤狩りを批判的に描き、それに立ち向かった(フィクショナルな)ヒーローを描くということはどうなのかと思います。過去を顧みる意味ではいいけれど、こんなに正々堂々と自分は正義の代弁者だというスタンスを取るのはどうなんだと思ってしまいました。
 時代による価値観の違いを見つめることはしないで、今の価値観から過去を無批判に評価しているように見えてしまう。そのような一面的なものの見方はその視線を現代に向けたときに大きな問題を生む危険があるような気がします。現代の多様な価値観もどこか一点から見てしまいはしないかという危惧。
 そんな勝手な推量からこの映画を批判するのもなんなので、批判はしませんが、「ちょっと臆面なさ過ぎるんじゃないの?」と感じたということです。まあ、あくまで娯楽作品なので、それほど小難しく考えることはないかと思いますがね。

トゥルーマン・ショー

The Truman Show
1998年,アメリカ,103分
監督:ピーター・ウィアー
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:ピーター・ビジウ
音楽:ブルクハルト・ダルウィッツ
出演:ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リネイ、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーン

 誕生の瞬間から、その存在が世界に生中継される男トゥルーマン。彼の生活のすべては壮大なセットの島シーヘブンで、俳優たちに囲まれて営まれていた。そんな彼も29歳になり、何かがおかしいことに気づき始める…
 近未来にありうべき現象を、コメディという形で描こうとした作品。しかし、笑えるところはあまりなく、コメディというよりはヒューマンドラマ。テレビを見ている側の人々の反応が面白い。
 この映画のいいところはジム・キャリーとエド・ハリス。ふたりの演技とキャラクターがなければ成立しなかっただろう。トゥルーマン(ジム・キャリー)とクリストフ(エド・ハリス)の微妙な関係(クリストフからの一方的な関係ではあるが)がこの映画のプロットを支えている。

 「エドtv」と比較すると、こちらはコメディという感じはしない。むしろシリアスなドラマ。となると、主演がジム・キャリーであるのはどうかと思うが、実際に映画を見てみるとそれほど違和感はない。ジム・キャリーはシリアスな役もできるということか。
 あとは、もう少しプロットが練られているとよかったかもしれない。もう少し複雑に様々な要素が入り組んでくると面白かったろうし、トゥルーマンが疑問を覚える点があまりにもつたないのが気になる。たとえば、手術室で患者がビックリして跳ね起きるとか。30年もやってる番組なんだから、俳優ももう少し熟練してもよさそうなものだが…などという点が少し気になりました。

というのが、前回のレビューです。 

 今となっては、ジム・キャリーはシリアスドラマを普通にこなす演技派の役者になってしまっています。そんなことはいいとして、この映画をどう見ることができるのか? ということが気になります。基本的にはトゥルーマンを応援するという立場に立つ。それはつまり映画の中の視聴者と同じということですが、その立場に立ってみるのが一番楽だし、入り込めるし、終わったあともすっきりする。そのようにして映画を見るのが普通(見るように仕向けられている)わけですが、終わって振り返ってみると、何か引っかかる。それは、最後のカット、警備員が言うせりふです。これが示すのは(テレビ番組としての)『トゥルーマン・ショー』が文字通り「ショー」でしかなかったということです。トゥルーマンにとっては紛れもない現実であるにもかかわらず、結局それは現実としては捉えられていない。それが明らかになってしまうと、この映画ををいわゆるヒューマンドラマとしては見れなくなってしまう。
 では、どう見ればいいのか。もちろんどう見てもいいんですが、たぶんこの映画は全体としてはメディアを描いているので、メディアについて考える。自分が本当に映画の中の視聴者と同じ立場に立っていていいのか? ということ。もちろんそれでもいい。あるいは、彼らもまたメディアに踊らされているに過ぎないのだと考えてもいい。そのような意味ではレベルこそ違えトゥルーマンと変わらないのだと。それがいい悪いではなく、自分とメディアの関係はどうなのか、現代の世の中はメディアなしでは成立し得ない中で、それとどう付き合っていくのか。 

 なんだか、歯切れが悪いですが、自分でもよくわからないので。