DEAD OR ALIVE FINAL
2001年,日本,90分
監督:三池崇史
脚本:石川均、龍一郎、鴨義信
撮影:田中一成
音楽:遠藤浩二
出演:哀川翔、竹内力、テレンス・イン、ジョシー・ホー
時は西暦2346年、荒野に囲まれた国際都市横浜では人口抑制のため、不妊化薬が強制投与されていた。その政策を推し進めるのは中国系の市長ウー。しかし一部の人々はその政策に反対し、投薬を拒否していた。そんな市の警察のひとりホンダがひとりの少年を追い詰めたとき、人間とは思えない動きをするひとりの男リョウがあらわれた。
DOAシリーズの完結編はSF。ジャッキー・チェン事務所の全面協力で複数の言語が飛び交う国際的な作品になった。アクションも香港アクションを採用。
DOAシリーズは過剰であることによって笑いを生み出してきた。もちろんその最高のものは1作目のラストだけれど、それに代表される非人間的なまでの過剰さというのが生命線である。この3作目は2作目に比べて救われている。しかし、この作品はまじめな中に存在する過剰さという笑いではなく、基本的に過剰である。だから、これは笑えるアクション映画ではなくて、アクションを基本としたコメディ映画であると言えるだろう。2作目ではアクションだかコメディだかわからない中途半端な作品で、消化不良でしたが、この3作目では完全にコメディ化してしまうことによってシリーズとしての収拾も何とかつけられたと言うことができるだろう。
だからアクションとしてもパロディ的な要素が多い。いわゆる「マトリックス後」のアクションの安っぽいコピーを提示することでそれをパロディ化するという方法。そんな方法がとられています。意図的に安っぽいコピーを作ることでその傾向を茶化すという感じ。だからワイヤーアクションも相当しょぼい。昨日の「最終絶叫計画」に共通するようなパロディ傾向があると思います。
さて、他に言うことといえば、複数の言語が登場することでしょうか。世界が国際化されれば一つの場所で複数の言語が存在することは容易に想像できることで、その間でのコミュニケーションというのがどのように成立するのかというのもなかなか興味深いところではあります。基本的にはそこにデュスコミュニケーションが存在しそうですが、この映画では互いに異なった言葉を話していながらコミュニケーションが成立している。これはかなり不思議です。ちょっと不自然です。これを見ながら同じく哀川翔が複数言語状況を体験する映画「RUSH!」を思い出しました。それと比べると、この映画のコミュニケーション状況は不自然で、なじめない、腑に落ちない感があります。せっかく複数の言語を使っているのにその意味がない。それなら全部日本語でもよかったんじゃないかと思う。そのあたりも考えたんだろうけれど、いまひとつ実を結ばなかったというところ。
ということで、これでシリーズ終わりでよかったよ。という感じです。オチもまあまあだし。