水の女

2002年,日本,115分
監督:杉森秀則
脚本:杉森秀則
撮影:町田博
音楽:菅野よう子
出演:UA、浅野忠信、HIKARU、江夏豊、小川眞由美

 小さな町で父親と銭湯を営む涼は清水涼という名の通り、自他ともに認める「雨女」、大事な日にはいつも雨が降る。親知らずを抜くことになっていた日も雨、婚約者で警察官のヨシオはその雨の中で事故をおこして死んでしまう。その同じ日、父親の忠雄も心臓発作を起こし、おがくずの中に倒れ、そのまま死んでしまった。失意に沈んだ涼は一人旅に出て、そこで自由な女ユキノに出会って少し元気を取り戻した涼が家に帰ると、食卓で見知らぬ男が食事をしていた…
 ギリシャ自然哲学において宇宙の四元素とされる水・風・火・土が出会う場所としての銭湯を舞台に、CMやTVドラマで活躍する杉森秀則がオリジナル脚本撮った初監督作品。

 人間よりも自然を主役にしようという意識、それはカットが切り替わるとき、画面の中心に木や草や水や空が映っている場面がいかに多いか、ということからも伺える。人間は端のほうに映っていたり、あるいはフレームインしてきたりと、自然の事物よりも後から観客に捉えられるようになっている。
 このような自然の扱い方は少々露骨過ぎる気もする。だが、人間を物事の中心に据えず、人と物とを等価に扱おうとする姿勢は、いわゆる日本映画というイメージにぴたりとはまる。そしてこの静謐さや、超現実的な出来事を日常の中に紛れ込ませるやり方など、この映画のいろいろな要素は現代の日本映画とはかくあるべきだ、とでも言いたげな印象を与える。
 ここで言う「現代日本映画」とは、実験精神にあふれた世界映画ではなくて、あくまでも「日本映画」という範疇にとどまって、その中である種の新しさと伝統を調和させる方法、たとえば北野武もそのような日本映画の作家だと思うが、この監督も映画の色は違うが、そのような哲学を持って映画をつくっていると思う。

 現代の日本映画が持つ傾向は各国の映画の垣根を取り払って一種の「世界映画」になろうとする動きと「日本映画」というブランドを掲げて世界に出て行こうという動き、の2つがあると思う。この2つの動きはともにハリウッド映画と微妙な関係を持っていて、前者は自ら世界映画たらんとするハリウッド映画を取り入れ、消化し、それを乗り越えて、あるいはハリウッドをも巻き込んで「世界映画」たらんとする世界的なムーヴメントの一端を担うものとして存在している。
 これに対して後者は、ハリウッドに支配される世界の映画市場にあって、それとは別の価値を生産するひとつのジャンルとして存在する。この場合、「世界」を市場とすることはできないが、世界中にある日本映画、あるいはアジア映画の市場にはすんなりと入り込める。
 この二つのどちらかがよくて、どちらかが悪いということではなくて、今世界に向けて生産される日本映画には2種類あって、この映画は2つのうちの後者、つまりいわゆる「日本映画」として世界の市場に受け入れられるような映画であり、その中ではなかなか質のよいものである、ということ。しかもそれは、キタノのように外国向けに日本というものを見せるのではなく、日本人に日本を見せるものとして優れているのだ。
 これが意味するのは、日本人はこの映画を評価しなければならないということだ。世界的には評価されなかったとしても、日本でも「UA」という話題以外でしか取り上げられなかったとしても、そのような外から押し付けられた仮面の奥にあるこの映画の真価は評価されるべきものだと思う。

Helpless

1996年,日本,80分
監督:青山真治
脚本:青山真治
撮影:田中正毅
音楽:青山真治、山田功
出演:浅野忠信、光石研、辻香緒里、斎藤陽一郎

 浅野忠信の主演第一作にして、青山真治監督第一作。出所したばかりのヤクザ松村(光石研)と幼馴染の健次(浅野忠信)。松村と組長、健次と父親の関係を軸として物語りは展開するが、フラストレーションと怒り、いいようのないイライラが映画全体に満ちる。
 田舎ののどかな風景という静謐さの中に言葉にならないイライラがうまく表現されている。

 映像は澄んでいて、音楽もさりげなく、登場人物の心理の描き方もすばらしい。しかし、全体的に少しリアリティに欠けるという気がする。最初に松村が銃を撃つときの音もそうだし、病院で白昼どうどう首吊り自殺をするというのもありえそうにない。
 映画におけるリアリティとは、必ずしも現実におけるリアリティと同じものではなくて、そもそも虚構として作られて映画において説得力を持つものが映画におけるリアリティを持つということになる。つまり、もし本当はこの映画の銃の音が他の映画の派手な音より現実の銃の音に近いのだとしても、そのことは映画におけるリアリティは生まないということだ。観衆にとってはうその派手な銃声のほうがよりリアルな銃声であるのだ。
 そのような違和感をこの映画を見ながら所々で感じてしまったのが残念だった。