Staroye i Novoye
1929年,ソ連,84分
監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、グレゴリー・アレクサンドロフ
脚本:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、グレゴリー・アレクサンドロフ
出演:マルファ・ラブキナ、M・イワーニン

 革命前の慣習が残る農村では、土地は相続されるためにどんどん細分化されてゆき、暮らし向きはどんどん苦しくなっていく。そんな貧農の一人マルファは馬を持たず、牛に畑を耕させるがなかなかうまくいかない。中には自分で鋤を引き、畑を耕そうとする農夫もいた。そんな現実に我慢できないマルファはソヴィエトの提案するコルホーズの組織に賛成し、積極的に参加してゆく。
 『戦艦ポチョムキン』で世界的名声をえたエイゼンシュテインの革命賛歌。

 これは一種のプロパガンダ映画で、ソヴィエトがコルホーズによって農民を組織することで、農民たちの暮らしがどれだけ楽になるかを描いたということはわざわざ書くまでもないが、それを誰に向けたのかということは問題となるかもしれない。被写体となっている農民たち自身に向けているのか、それとも革命に参加したような都市の人々に農村の問題を投げかけようとしているのか。映画を見ると、農村の人たちに向けた映画のように見えるが、上映する手段はあったのだろうか? と、考えるとむしろ都市部の人たちに向けた映画であるような気がする。あるいは、ソ連の外の人たちにも向けているかもしれない。すでに国際的な注目を集める監督であったエイゼンシュテインの作品を使って共産主義思想の浸透を図る。別に革命へ導くというまでの意図はないにしても、ソヴィエトというものがどのようなものかを教える。そしてそれが有益なものであると感じさせる。そのような意図が映画全体から見えてくる。
 そんな映画を共産主義体制が崩壊してしまった今見ること。それが意味するのは当時の意図とは異なってくる。むしろその意図を見る。映画がそのような何かを変えようという意図を持って作られるということ。そのことが重要なのかもしれないと思う。映画が産業ではなかったソ連で作られた映画を見ることは、現代にも意味を持つと思う。
 その意味はまた考えることにして、もうちょっと映画に近づいてみていくと、エイゼンシュテインのカッティングはすごい。映画前編で使われるクロース・アップの連続もすごいけれど、最初のほうでのこぎりで木を切るシーンに圧倒される。のこぎりを引くリズムに合わせて大胆に切り返される画面が作る躍動感はすごい。まさに音が聞こえる映像。画面が切り返されるたびに「ギッ」という音が聞こえてくる。ただ、これだけ細かくカットを割っていくと、どうしてもフィクショナルな印象になってしまう観があり、このような映画にはマイナスかもしれない。しかし、現在の視点からはこのエイゼンシュテインの表現はすばらしいものに見える。これだけダイナミックな映像を作り上げられるエイゼンシュテインはやっぱりすごい。

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