この映画の見どころは一番最初にある。そして、おそらく撮りたかった映像というのも最初にあるのだろう。それは裸の男。この映画の監督・脚本・主演を務めるペトリの裸がこの映画のクライマックスなのだ。

映画の内容は、一人の男がすべての持ち物を貸し倉庫に預け、1日に1つずつそこからモノを取り出すというチャレンジを1年間やる姿を追ったもの。家具や生活用品だけでなく、服も何もすべて預けるので、最初に登場するペトリは全裸で裸足。そのまま雪のちらつく道に出て、新聞紙で股間を覆って貸し倉庫まで走っていく。では、最初に彼が取り出すものは何か…

それはコートだった。彼はコート1枚を身にまとって部屋に帰り、何もない部屋の床でコートにくるまって寝る。そして朝を迎え、「ぐっすり眠れた」という。

この映画のエンターテインメント的な面白さはここまでに全て集約されていると言っていい。ドキュメンタリーと言いながら、カメラアングルもかなり計算されていて、事前に動きを決めて面白い絵になるように作りこまれている。そして狙い通り面白い。そこから数日でペトリは次々と服を手に入れてしまうので、映像という意味では最初の面白さを上回ることは最後までできない。

そして、そんなインパクトのある映像で引き込んでおいて、そこから本当に描きたいことを描いていくというのもこの映画の狙いだろう。これだけものがあふれる世界で、1日1つずつしか持つものを選べないとしたら人は何を選ぶのか、普通の生活を送れるようになるまで何日くらいかかるのか、そんな興味にワクワクしながら、自分にも置き換えながら映画を見ることになる。

ただ、中盤以降は少し拍子抜けという感じもする。1日1日を丹念に描くことはせず、何日、時には数十日も時間が飛んで、ペトリの生活が描かれていくのだ。その理由の一つは、ペトリがあまりものを取りに行かないことだ。10日目にしてもう「欲しいものがない」と言ってしまうくらいに、ものを持つことへの欲求がなくなっていくのだ。

これには「本当に?」という疑問を抱きつつ、実際によく考えてみると本当に必要な物なんてほとんどないんじゃないかとも考える。「ミニマリスト」という言葉にしてしまうと一気に胡散臭くなってしまうけれど、要するにそういうことで、ものは持たなければ持たないでなんとかなる。私たちが持っている「ものへの欲望」のほとんどは、この物質主義、大量生産大量消費社会が生み出した幻想にすぎない、それは確かにそうだろう。この映画はそういうことを、体を張って証明して見せているわけだ。

では、人が本当に必要とする「もの」とは何なのか、そのことをこの映画は後半で描いていく。

彼のチャレンジの内容からして想像できる進み行きで、映画としてもあまり意外性というのは無いんだけれど、「うーん、そうだなぁ」と考える材料にはなる。物にあふれる生活から抜けだすということが確実にムーブメントになってきている中で、実際にそれがどういうことなのかをイメージするためにはいい作品なのではないか。

そして、ごく普通の若者がごく普通の悩みを抱えて、それと向き合いながら成長していく話としても面白く見ることもできる。

DATA
2013年,フィンランド,80分
監督: ペトリ・ルーッカイネン
脚本: ペトリ・ルーッカイネン
撮影: ジェシ・ホキネン
音楽: ティモ・ラッシー
出演: ペトリ・ルーッカイネン

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