ウォーターボーイズ

2001年,日本,91分
監督:矢口史靖
脚本:矢口史靖
撮影:長田勇市
音楽:松田岳二、冷水ひとみ、田尻光隆
出演:妻夫木聡、玉木宏、平山綾、真鍋かをり、竹中直人

 唯野高校水泳部の唯一の部員鈴木は最後の大会でも成績を出すことができなかった。そこに新しく若くて美人の教師佐久間が赴任してきて、水泳部の顧問をやることになったため、急に部員が集まった。しかし、その先生は学生時代シンクロをやっていて、生徒たちに「シンクロをやろう」と言い出した…
 実際に男子校でシンクロをやっているという話から矢口史靖が作ったお話。発想の面白さが目を引く。実際のシンクロのシーンはかなり見ごたえがあってよい。

 一番面白かったのはなんといってもシンクロの場面。そこに至る過程よりもシンクロそのものが映画のメインになっているので、その場面が面白いというのはいいことだ。そのかわり、そこいいたるまでの展開は映画が始まって早々にほとんどわかってしまうので、はらはらどきどきということにはならず、気を持たせようという努力も、ただ間延びしてしまうだけであまり効果的ではない。
 この映画で一番気になったのは登場人物たちがあまりに型にはまっていること。見た目とキャラクターが待ったくずれることなく、あまりに一致しすぎているというあまりに漫画的なキャラクターの作り方。ここまで型にはまっていると、何か裏があるんじゃないかとかんぐってしまうが、特に何かあるわけでもなさそう。この映画はすべてが漫画的なつくり。ちょっと懐かしいところで「奇面組」のようなお決まりのギャグ漫画のような雰囲気と駄洒落的な要素を持つ。まず高校が「ただの」高校というのもわかりやすい。そして、主人公は鈴木と佐藤。ゲイの男の子は早乙女、イルカの調教師は磯村、学園祭の実行委員はみんなメガネ、などなどなどなど。
 矢口監督の作品はどれもこのような漫画的な要素を持っていて、それはそれでいいのだけれど、それを突き破れないのが問題である。『ひみつの花園』では見事にそれを突き破っていたのに、それ以後の作品はその漫画的空間の中に漫画的なままでとどまってしまっている。この作品名アイデアの面白さに救われて入るけれど、結局のところ「漫画」でしかない。これは別に漫画やアニメ一般を卑下しているわけではない。それよりむしろ、いわゆる漫画的なものを超えた漫画やアニメと比べて、この作品がいわゆる漫画的なもの(乱暴な言葉で言い換えるなら、子供だましのもの)でしかないということだ。
 この作品は決してつまらないわけではなく、さらりと見れば十分に面白い。2年目のジンクスではないけれど、最初に面白いものを作ってしまうと、ついつい過剰に期待してしまって、普通に面白い作品では満足がいかなくなってしまう。ので、そのあたりが大変。この作品のよさは第一は題材選びだが、その次は音楽の使い方かもしれない。誰もが聞いたことのある、少し昔の、しかも楽しげな曲。今いるアーティストとタイアップして、話題やら動員やらを狙う選択肢もあっただろうけれど、このような選択をして正解だったと思う。この音楽を聴けば、映画を見ている人たちも、プールサイドの観客同様盛り上がること間違いなし。

裸足のピクニック

1993年,日本,92分
監督:矢口史靖
脚本:鈴木卓爾、中川泰伸、矢口史靖
撮影:古澤敏文、鈴木一博
音楽:うの花
出演:芹沢砂織、浅野あかね、あがた森魚、泉谷しげる

 ごく普通の女子高生がキセル乗車を見咎められたことをきっかけに、どうにもならない不幸のどん底へと陥って行く。ただただそれだけの映画。
 しかし、どんどん繰り出されるブラックな笑いの渦に巻き込まれると、どんどん映画に引き込まれて行く。矢口史靖監督の長編デビュー作。

 「アドレナリンドライブ」を見ると、むしろ「裸足のピクニック」のすごさが際立ってくる。これだけお金をかけずに、これだけめちゃめちゃな映画なのに面白い。役者もほぼ無名な人たちばかり。身代わりの人形はあまりにしょぼい。なのに面白い。あるいはそこが面白い。
 この映画を見ると、「映画の面白さっていったい何なんだ」と考える。よくできていて、その世界にすんなりと入り込める映画も面白ければ、この映画みたいに明らかに作り物で、ただそこに変なことをやっている人たちがいる面白さもある。このような映画(いわゆるインディーズ映画)を「いわゆる映画的なものを壊している」という表現でくくってしまっていいのか?と考える。
 分析して行くとますます違うもののように思えてくる、いわゆる「映画」といわゆる「インディーズ映画」が実際は同じ「映画」でしかないことを考えると、こんな区別が果たして意味があるのかという疑問がわいてくる。
 「インディーズ映画」というのは結局のところ「インディーズ=低予算」であるということだ。気をつけなければいけないのは「インディーズ=実験的」では(必ずしも)ないということ。実験的なのではなくて、お金がないがゆえに工夫に富んでいるだけかもしれない。
 そう考えると、徐々に「インディーズ映画」もまた映画であることが納得できて行く。「映画」になるために工夫を凝らされた「映画ではないもの」が本当に「映画」になった瞬間がインディーズ映画であるといえるんじゃないか。(だとすると、PFFのスカラシップっていうのは、まさしくインディーズ映画の工場みたいなもの「映画」を作りたくてうずうずしている若い監督に1000万(多分)という、「映画」を作るには少なすぎるお金を渡して「映画」を作らせる試み。そこから生まれてくるものは常に「インディーズ映画」と呼ぶにふさわしいものなのかもしれない)
 ならば、「裸足のピクニック」という素晴らしいインディーズ映画をとった矢口監督が「映画」を作ろうとして本当に「映画」を作ってしまった「アドレナリンドライブ」がいまいち納得できなかったのもうなずける気がする。

アドレナリンドライブ

1999年,日本,112分
監督:矢口史靖
脚本:矢口史靖
撮影:浜田毅
音楽:山本精一&羅針盤
出演:石田ひかり、安藤政信、松重豊、角替和枝、真野きりな、ジョビジョバ

 ひょんなことからやくざのものだった2億円を手に入れてしまった男・鈴木悟(安藤政信)と看護婦・佐藤静子(石田ひかり)。金を取り戻そうとするやくざ(チンピラ)たちを振り切って、大金を手に入れようと逃げ回るが……
 ある意味ではコメディ、ある意味では恋愛映画、ある意味ではロードムーヴィー。相変わらずドライブ感覚あふれる矢口作品だが、「はだしのピクニック」で見せたようなはちゃめちゃさが影をひそめてしまっているのが残念。まあ、作品としてはまとまりがあっていいのかもしれないけど。
 出演している役者たちは皆いい味を出している。

 はっきり行って、それなりには面白いけれど、期待はずれだった。矢口史靖監督と言うと、「裸足のピクニック」の印象があまりに強烈で、それを凌ぐものを作ってくれないと納得がいかないというところだろうか。確かに、きれいにまとまっているし、「裸足のピクニック」の見苦しさはなくなっているけれど、それが本来の魅力であるはずのはちゃめちゃさを奪ってしまっては元も子もない。
 その原因は、私が思うに、この映画の登場人物たちの合目的性ではないだろうか。誰もが「お金」という目的を持って、それを手に入れるために様々な手段を講じるわけだ。それが、今までの矢口作品の登場人物たちの無目的性(あるいはなぜ自分がこんなことに巻き込まれているのかという理由すらわからない状態)とは明らかに異なる。
 私がこの映画の登場人物で好きなのは、安藤政信演じる鈴木悟と角替和枝演じる婦長だが、この無目的性という点からみると、このふたりが非合目的的なのだ(だから好きだというわけではないんだけど)。婦長は決して300万と言う金額につられて車を出したのではなく(と私は信じている)、鈴木悟も最後にはお金をあきらめた(恋を取ったという点では別な意味で合目的的なのかもしれないけど)。
 だから、ジョビジョバ演じるチンピラたちにも納得できなかった。彼らは中途半端なはちゃめちゃさを発揮するだけで、映画全体の面白みを増しているとは思えなかった。あんなにたくさんいる必要もないし(その人数が役に立ったのは軽自動車に乗ったときの車内のきつさだけ)、一人一人のキャラクターもはっきりしない。
 まあ、期待度を割り引けば、それなりに楽しめる映画だったのかもしれないけれど、期待が大きかっただけに、残念というところ。