百萬圓貰ったら

If I Had a Million
1932年,アメリカ,88分
監督:H・ブルース・ハンバーストン、エルンスト・ルビッチ、ノーマン・Z・マクロード、スティーヴン・ロバーツ、ノーマン・タウログ、ジェームズ・クルーズ、ウィリアム・サイター、ルイス・D・レイトン
原作:ロバート・D・アンドリュース
脚本:イザベル・ボーン、クロード・ビニヨン、ウィットニー・ボルトン、マルコム・スチュアート・ボイラン、ジョン・ブライト、シドニー・ブキャナン、レスター・コール、ボイス・デ・ガウ、ウォルター・デレオン、オリヴァー・H・P・ギャレット、ハーヴェイ・ハリス・ゲイツ、H・ブルース・ハンバーストン、グローヴァー・ジョーンズ、エルンスト・ルビッチ、ロートン・マッコール、ジョセフ・L・マンキウィック、シートン・ミラー、ロバート・スパークス、ティファニー・セイヤー
出演:ゲイリー・クーパー、ジョージ・ライト、チャールズ・ロートン、メアリー・ボーランド、フランシス・ディー、ジャック・オーキー

 大企業家のジョン・グリデンは医者に余命幾ばくもないと言われていた。彼の周りにはそんな彼の遺産を狙う親戚がうようよ、社員たちも頼りにならない間抜けばかり。そこでグリデンは自分の財産を身も知らない他人に分け与えることに決めた。その選定は、住所録から無秩序に選び、それぞれに100万ドルをあげるというものだった。
 100万ドルを手にした人々の短い物語がオムニバス形式で続くコメディ。いわゆるルビッチらしい「スクリューボール・コメディ」ではないが、非常にテンポよく話が次々と展開されているので小気味よい見ごこち。話もいわゆるコメディから少しほろりとさせるものまで多岐にわたり楽しめる。

 ルビッチと言うと「スクリューボール・コメディ」(スクリューボール・コメディは1930年代にハリウッドではやったコメディで、男女男という恋愛関係を描いたもの。ルビッチはその最大の作家で数多くの傑作を生んでいる。特に婚約している男女の間に一人の男が割って入ってひと悶着という展開が多いため、「ルビッチの映画で婚約しているということはつまり別れるということだ」とまで言われた)。
 しかし、この作品はまったく違う。オムニバスという形式がどういういきさつでとられたのかわからないが、当時のハリウッドのいきさつを考えると、おそらく会社の企画にルビッチがかり出されてというのが妥当なところだろう。このオムニバスの中で、ルビッチがどの部分の脚本を書き、どの部分を監督したのかはわからないが(調べればわかるのかもしれない)、どれもなかなか面白い。
 他の監督では、ハンバーストンが後に「十人のならず者」などを撮って有名になったほか、タウログはジェリー・ルイスの底抜けシリーズのいくつかをはじめとして数多くのコメディを撮っているし、それぞれの監督がトーキー初期のコメディの巨匠ばかりであるのだ。 
 うーん、そうなのか。と自分で納得してしまいましたが、やはり1930年代はハリウッドの黄金期。ちょっと探せば面白いものがざくざく出てくるのだと実感しました。

モンテ・カルロ

Monte Carlo
1930年,アメリカ,90分
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:アーネスト・バイダ
撮影:ヴィクター・ミルナー
音楽:フランク・ハーリング、レオ・ロビン、リチャード・ウィティング
出演:ジャネット・マクドナルド、ジャック・ブキャナン、ザス・ピッツ、クロード・アリスター

 公爵と女伯爵との結婚式、女伯爵ヴェラは伯爵から逃げ出し、メイド一人を連れて電車に飛び乗った。ヴェラが行き先に決めたのはモンテ・カルロ。ほとんどお金がない彼女はカジノで稼ごうと考えたのだった。そんな彼女に一目ぼれした伯爵フェリエールは何とか彼女に近づこうとするが、彼女は彼をはねつける。思案した彼は、美容師に化けて彼女に近づくことに決めた。
 ルビッチが、トーキー初期に撮ったミュージカルコメディ。最初からしばらく音楽のみでセリフがないので、サイレント映画かと思ったくらい、サイレント期のスタイルがそのまま残っている。
 いわゆるミュージカルなので、突然歌い出したりするのが気になるが、歌も軽妙でかなり楽しい。

 とことん軽い。軽快なテンポと明るい雰囲気。一生懸命見るよりは、なんとなく流しているのがいい。そういう映画。それでもなんとなく見ると幸せになる。そういう映画。映画史的にどうだとか、ミュージカル映画ってのは不自然でいやだとか、いろいろ理屈をこねたり、文句をつけたりすることも可能だろうけれど、そういうことをすることがまったくばかげたことに思えてくるような映画。映画なんて楽しければいい。映画に音がついた頃の人々はそう考えていたんだろうか?
 この映画がトーキー初期であるのは、汽車を映す時に、車輪のアップがあったり、時計の時報を表現するのに、からくり人形を映したりするあたりから伺える。音を表現するために考案された映像法から抜け出せないと言ったところだろう。しかし、そのことが映画にとってマイナスにはなっていないので、別にかまわないだろう。
 個人的には、公爵のくせのあるしゃべり方がなんとも心引かれた。出てくるだけでなんとなく面白い。そんな人物を登場させることができたのもトーキーのおかげ。ルビッチはそのトーキーの利点をいち早く活用したという点ではやはりすごいと言っていいのだろう。

天使

Angel 
1937年,アメリカ,91分
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:サムソン・ラファエルソン
撮影:チャールズ・ラング
音楽:フレドリック・ホレンダー
出演:マレーネ・ディートリッヒ、ハーバード・マーシャル、メルヴィン・ダグラス、エドワード・エヴァレット・ホートン

 ホルトン氏は友人に紹介してやってきた、パリの亡命ロシア大公妃のサロンで出会った英国人の美しい女と夕食をともにし、恋に落ちる。しかし女は彼の申し出の返事を引き延ばし、男の元から去って行く。
 ハリウッド黄金期の巨匠エルンスト・ルビッチが名女優マリーネ・ディートリッヒを迎えて撮り上げたシャレた恋愛映画。今から見ればスノッブな感じが鼻につくが、「階級」というものが今より色濃く残っていた社会では映画とはこのようなものであってよかったのだろう。
 全体的にシャレた雰囲気でクラッシクというわりには気軽に見られる作品。

 映画史的なことはよくわからないのですが、この映画で非常に多用されている切り返しというのはこのころに開発された技法なのでしょうかね?「画期的なものをどんどん使おう」と言う感じで使っているように見えますが。まあ、技術的なことはいいとして、この映画で使われている「相手の肩越しから覗きこむ画」の切り返しというのはなかなか柔らかくていいですね。最近、切り返しが使われる場合真正面から捉えた画をつなぐ場合が多いのですが(恐らく互いの視線を意識した画だと思いますが)、私としてはそのやり方はどうも今ひとつ落ち着きが悪いんですよ。なんとなく映画の中にポツリと放り込まれてしまう気がして、それよりは、肩越しとか、斜めからとかの画で、なんとなく傍観者としていられるほうがいい。映画のジャンルにもよりますが、恋愛映画では特にそう思います。
 映画的なこともそうですが、クラッシックな映画を見ると、時間的なギャップに気づいていつも感心することがあります。たとえば今回の映画では、音楽的なことに頭が行きました(「二人の銀座」の影響もあるかもしれない)。「この頃って、まだジャズですらメジャーカルチャーじゃなかったんだな」とか、そこから「若者の文化ってものもまだまだ出てこないんだな」とか。
 なかなか古い映画というのは見る機会もないし、見ようとも思わないものですが、「巨匠」と呼ばれる人の作品はやはり、多少色褪せることはあっても、映画として十分見る価値のあるものなのだと感じました。

北ホテル

Hotel du Nord
1938年,フランス,110分
監督:マルセル・カルネ
原作:ウージェーヌ・ダビ
脚本:マルセル・カルネ
撮影:アルマン・ティラール
音楽:モーリス・ジョーベール
出演:ジャン=ピエール・オーモン、アナベラルイ・ジューヴェ、アルレッティ

 パリのとある安宿北ホテル。ある日、若いピエールとルネのカップルが心中を図ろうと逗留した。約束通りルネを撃ったピエールだったが自分に銃口を向けることができない。そして、銃声を聞きつけて部屋へ来た隣室のエドモンに促されホテルを逃げ出す。しかし翌日には自首、ルネも息を吹き返す。
 絶世の美女ルネを中心とした北ホテルの人々の物語。ルネとピエールよりも取り巻く人々の個性が面白い。 

 一言でいうならば、激情型の美女ルネの自分勝手なメロドラマ。プロットなどかなりめちゃくちゃ。孤児院出身という設定もかなりしっくりこない。台詞まわしは非常にゆうがだが、少々理屈っぽいか。マルセル・カルネがアナベラの美しさを引き出した作品と考えれば、それはそれで素晴らしい。周りを囲む脇役たちのキャラクターが絶品。エドモンはかなりいい。最後に昔裏切った仲間に進んで殺されることの必然性はよくわからないが、ダンディズムなのか、それともルネという存在の大きさを表現しているのか。