季節の中で

Three Seasons
1999年,アメリカ,108分
監督:トニー・ブイ
脚本:トニー・ブイ
撮影:リサ・リンズラー
音楽:リチャード・ホロウィッツ
出演:グエン・ゴック・ヒエップ、チャン・マイン・クオン、ドン・ズオン、ハーヴェイ・カイテル

 蓮沼で蓮を摘む仕事に雇われた少女、1冊の本を愛するシクロの運転手、毎日ホテルの前に一日中座っているアメリカ人、たばことガムを売って暮らすストリートチャイルド。現代のベトナムを舞台にの四人の同じ数日間を並行して描いたノスタルジックな一作。
 トニー・ブイはベトナム出身のアメリカ人監督で、この作品が長編デビュー作となった。サンダンス映画祭でグランプリと観客賞をダブル受賞。

 悪くはないと言っておきますが、決してよくはない。一言で言ってしまえば「いまだオリエンタリズムに凝り固まったアメリカ人の稚拙なアジア描写」と言うところでしょうか。確かに映像などはかなり計算されていてまとまっているけれど、結局のところハーヴェイ・カイテルが具現するアメリカ人たちは平和になったヴェトナムに変わらぬオリエントを求めているに過ぎず、続々建設される高級ホテルはあくまで「本当の」ヴェトナム人とは別世界のもので、「本当の」ヴェトナム人はシクロを運転したり、蓮の花を売ったりする。しかも寡黙で悪態をついたりはしない。例え娼婦やストリートチャイルドだったとしても、素朴でアジア人らしく控えめに生きている。そんなヴェトナムしか見ようとしない。  そんなオリエンタリズムに凝り固まった目ではこんな風にしか見えてこないのだろうといういい見本なのです。ああやっぱりアメリカって…
 さて、そんな映画と大いに関係ある憤りはさておき、もう一つ不満な点は4つのエピソードの絡まなさ。完全に並行させる形で描いているんだからもう少し複雑な絡み方をしてもよさそうなのに、結局のところ同じ時間を描いているだけで、たまにすれ違うだけで、プロットに影響を与えるようなからみ方はしない。うがった見方をすれば、1エピソードだけで2時間撮れそうにないから、4つもってきたというように見えてしまう(あくまで穿った見方ですが)。そこも不満。 いい点をあげるならば、まずは映像と言うことになります。別段こっているというわけではないものの、コカコーラの壁面を使って色合いに変化を出したり、蓮池と建物でコントラストを強調したり、細かい配慮がなされています。あくまで「オリエンタリズム」的映像美ですが…(しつこい)
 細かい配慮と言えば、この映画で私が一番気に入ったのは「汗」。とくに女性の登場人物たちの首筋ににじむ汗。この汗はかなりいい。もちろん意図的につけなければできないものだし、しつこくない程度に出てくるところもいい。風景だけではなかなか伝わらない蒸し暑さをうまく伝えるにくい演出。これはぐっと来ました。

スポーン

Spawn
1997年,アメリカ,98分
監督:マーク・A・Z・ディッペ
原作:トッド・マクファーレン
脚本:アラン・マッケルロイ
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
音楽:グレーム・レヴェル
出演:マイケル・ジェイ・ホワイト、ジョン・レグイザモ、マーティン・シーン、テレサ・ランドル

 CIAの特殊工作員のアル・シモンズは用心の暗殺に見事に成功。しかし、仕事を辞めると上司に告げた。そして命じられた最後の仕事を遂行するため北朝鮮の生物兵器工場へ行く。しかし、そこで裏切りにあい殺された。5年後、かれは焼け爛れた顔を持つ男として再び現れた。
 スパイダーマン、X-メンなどと同じくアメリカの人気コミックの映画化。SFXを駆使してコミックの世界をうまく映像化している。

 アメリカンコミックものと言うとどうしても子供向けとか、安っぽいと言うイメージが付き纏いますが、私は結構この世界が好きなようです(自己分析)。バットマンはそれほどでもないですが、X-メンは面白かったし、スーパーマンも昔から好き。もともと現実を想定していない分表現が自由でのびのびとしているところがいいのでしょう。この映画でも悪魔の親分(?)の表現がいかにもCGという感じですが、別にそもそも実体のないものなのでリアル感がなくても全く問題ない。スポーンの変身シーンなんかも「かっこいい!」と思って受け入れてしまいます。
 というわけなので、ストーリーとかメッセージとか映像とかサウンドとか、そんなこととは全く関係なく、面白かったのでした。X-メンを見たときも思いましたが、こういうのはやはりシリーズ化してキャラクターに愛着が湧いていくことでもっと面白くなるような気がします。この続きではきっとあえなく死んでしまったCIAの手下の女が強敵となって現れるはず。
 夏休みだから、少年の心に戻って無心で見れば、きっと面白いはず。難しいことを考えてしまうと、面白いはずの映画が面白くなくなってしまうこともある。と言っても、この映画はみんなに受けるとは思えないけど…

ブロンクス/破滅の銃弾

Jumpin’ at the Boneyard
1991年,アメリカ,101分
監督:ジェフ・スタンツラー
脚本:ジェフ・スタンツラー
撮影:ロイド・スティーヴン・ゴールドファイン
音楽:スティーヴ・ポステル
出演:ティム・ロス、アレクシス・アークエット、ダニトラ・ヴァンス、サミュエル・L・ジャクソン

 ブロンクスに住むマニーの家に空き巣が入る。しかしそれは3年間行方がわからなかったヤク中の弟ダニーとそのガールフレンドだった。マニーはダニーをひっつかまえ車に乗せて、墓地に連れて行く。
 ドラッグと人種を絡めた兄弟の物語。題名からはアクションかと思いきや、全く淡々とした物語。

 なにがどうといっても全く盛り上がりどころがないのでなかなか難しい。一種の社会派と言っていいのか、地味な感じでドラッグと人種の問題を持ってきて、貧困がそれにやはり絡んでるぞみたいなスタンスでいいと思う。おそらく設定としてティム・ロスはイタリア系で、昔イタリア系のスラムだったところがいまはアフリカ系のスラムになっているという設定と、そのイタリア系のダニーのガールフレンドがアフリカ系であるという設定なんかを微妙に絡めているのだと思う。しかし、あまりに微妙すぎてどこに焦点があるのかちっとも分からなかった。結局のところ、やっぱり家族だね。っていう話なのかな。
 ブロンクスを舞台にしたイタリアンマフィアものというのは多いし、それとアフリカ系との抗争というものも多い、そこでそれを前提として実際のところそこでは何が起こっていた勝手ことを描きたかったのだろうけれど、伝わらないね。でも、その目の付け所はなかなかよくて、何もドンチャカ打ち合いしているばかりがマフィアではないもので、マフィアからドロップアウトした人とか、マフィアからドラッグを買っているただのヤク中とか、そういった人を描いても面白いものは撮れるのかも知れない。めぐりあったことはないけど。 
 ということに思い至ったりしました。

こころの湯

洗澡
Shower
1999年,中国,92分
監督:チャン・ヤン
脚本:リュウ・フェントウ、チャン・ヤン
撮影:チャン・チェン
音楽:イェ・シャオ・ガン
出演:ズウ・シュイ、ブー・ツンシン、ジャン・ウー

 北京郊外で銭湯を営むリュウ老人のところは近所の人がいつも集まっていた。リュウ老は知的障害のある息子アミンと一緒に楽しく商売をしていた。そんなある日、家を出て南で暮らしている長男のターミンが突然帰って来た。ターミンはアミンから届いた葉書を見て父に何かあったのではと思ったのだが、それは取り越し苦労に終わり、数日後に帰ることに決めたのだが…
 「スパイシー・ラブ・スープ」のチャン・ヤンが名優ズウ・シュイを迎えて撮った感動作。従来の中国映画とは一味違った仕上がり。

 この監督は何かある。「スパイシー・ラブ・スープ」を見ているときにも思った「何かあるんだけれどどこか突き抜けない感じ」、それがこの作品にも引き続きあります。銭湯のシーン(ブルー)から砂漠のシーン(オレンジ)に突然展開したときにはビビッと来ましたが、結局この映画で目に付いたのはその青と赤(オレンジ)との対比くらい。他の部分もうまいとは思うもののグットくるまでは行かない感じなのです。「オー・ソレ・ミオ」とか、かけっことか「なるほどね」とか「やっぱりね」と思うところは多々あるもののそれを超えてきたのは一箇所のみでした。
 しかし、中国映画であると言う点から見れば、やはり斬新なものかもしれない。色使い一つにしたってなんとなく中国映画と言うと自然の色彩をよく言えば生かすような使い方で工夫がないのに対して、この映画は明らかに色に対するこだわりが強い。その辺りをしっかり見たい。
 そして、全体的にはしっかりとまとまっていて、感動ものとしては合格点。親子や兄弟と言った肉親の関係性がしっかりと描かれています。
 「スパイシー」のときにも書きましたが、この監督ならもっと先へ先へといけそうな予感がするのです。いつの日か本当に名作を撮ってくれそうな期待を寄せつつ見守ります。

新しい神様

1999年,日本,99分
監督:土屋豊
脚本:土屋豊
撮影:土屋豊、雨宮処凛、伊藤秀人
音楽:加藤健
出演:雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊

 雨宮処凛、何かを信じたくてすがりたくて民族派と呼ばれる右翼団体に属し、右翼パンクバンドでボーカルを務める。彼女とその同士伊藤秀人がまったく右翼ではない監督土屋豊との共同作業で作り上げた一遍の思想の形。
 映画は雨宮の日記風のビデオ映像を中心にして北朝鮮訪問などの様子が挿入される。素直に時系列に沿って作られているのでその思想の推移や撮る側と撮られる側の関係性の変化などを見られるのがよい。

 彼女あるいは彼女たちのいっていることも言いたい意味もわかるけれど、それはまったく心には突き刺さってこない。それはそのイデオロギーに共感できないからではなく、そこにイデオロギーがないから。彼らが主張しているのはイデオロギーではなくアンチイデオロギーである。今あるすべてのイデオロギーに対して疑問を投げかけるが、そのアンチテーゼとしてのイデオロギーを投げかけることはしない。だから彼らのメッセージは心には入り込んでこない。ただ彼らの逃避と意地と当てのない憤怒のみがそこからは伝わってくる。したがってこれが思想表明を主とした映画であるとしたならば、完全な失敗だと私は思う。そして、ある程度、思想表明と考えている(人もいる)と私は思う。
 しかし、これを異なる立場の人間の関係性の変化を描いた一つのドラマであると考えるならば、そこに十分ドラマは成立していると思う。主人公雨宮と監督でありカメラマンである土屋との関係性の変化は雨宮自身の告白を聞くまでもなく明確に画面に現れる。
 問題はこの映画がこの二つの要素のどちらでもありながらどちらでもないところ。完全なアンチイデオロギーの表明であるなら、もっと方向性の定まった語り方をするべきだし、関係性の変化や思想の揺らぎを描こうとするならその内容の部分を強調しすぎるべきではないと思う。
 私としてはもっとドラマチックに揺らぎを描いたほうが面白かったと思う。それをさせなかったのはこの映画が持つドキュメンタリー性へのこだわりであると思う。そのドキュメンタリー性というまやかしの客観性へのこだわりを捨て、フィクショナルな方向へ足を踏み入れればもっと魅力的な映画になったと思う。

白い花びら

Juha
1998年,フィンランド,78分
監督:アキ・カウリスマキ
原作:ユハニ・アホ
脚本:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
音楽:アンシ・ティカンマキ
出演:サカリ・クオスマネン、カティ・オウティネン、アンドレ・ウィルム

 フィンランドの片田舎。ユハとマルヤの夫婦はサイドカーつきのオートバイで走り、自分達で作ったキャベツを町の市場で売る。仲睦まじく暮らす二人だったが、ある日ユハが車が故障して立ち往生していた男シュメイッカを家に連れてきたことで二人の関係が変化し始める。
 淡々としたスタイルを貫くカウリスマキ監督がサイレント風に描いた異色作。役者もおなじみのカティ・オウティネン。

 サイレント映画というよりはセリフのない映画。多彩な音楽に加え、効果音も入っているので、決してサイレント映画ではない。しかし、映画の作り方はサイレント映画の方法を踏襲し(少々誇張して)描いている。身振りだとか表情だとか、そういったものがセリフの変わりに様々なことを語るように描く。しかし、その大げささがいまひとつ。パロディにしているとは思えないけれど、ちょっと質の悪いサイレント映画風になってしまっている。
 それに対して、ものの描き方はうまいと思います。シュメイッカの車の名前というかエンブレムを映すことが効果的だったり、キャベツが夫婦の姿を端的に映していたりその辺りは面白かったですが、やはり全体として能弁すぎるというか、サイレント映画であるがために逆に説明しすぎたという気がしてしまいます。サイレント映画にはサイレント映画としてのもっと洗練されたスタイルがあったはずだとサイレント映画好き(初心者)の私としては思ってしまいます。
 カウリスマキのスタイルが進化していく一つの実験であるとして納得はしました。この映画を糧にもっととんでもないものを作ってくれるのではないかと期待したりします。(サイレントのミュージカルとかね)

ゴージャス

玻璃樽
Gorgeous
1999年,香港,121分
監督:ヴィンセント・コク
脚本:ヴィンセント・コク、アイヴィ・ホー
撮影:チェン・マン・ポー
音楽:デニー・ウォン
出演:ジャッキー・チェン、スー・チー、トニー・レオン、リッチー・レン

 台湾の島に住む少女プウ、イルカと仲良しの夢見る少女はボーイ・フレンドにプロポーズされる。そのプロポーズに悩む彼女は海辺で手紙の入ったビンを拾う。そこにはアルバートという男の名前で愛のメッセージが書かれていた。プウはそのメッセージを頼りに香港へと向かった。
 ジャッキー・チェン製作のアクション・ラブ・コメディ。スー・チーにトニー・レオンといういまをときめく役者陣を使ったが、かなりB級テイスト。しかし、B級映画としては相当なもの。

 ここまでプロットのつかめない映画も珍しい。ひとつひとつのエピソードの間に全く必然的なつながりがない。アランは一体なにがしたかったのか? というくらいいる理由のわからないキャラクターなのに、どうしてあそこまでアクションシーンを引っ張るのか?(それはジャッキーだから)、結局ラブ・ストーリーなのかこれは? あー、何のことやら。
 という疑問は致し方ないところですが、そんなことはおいておいて、かなり笑える映画であります。まず最初のイルカからしてわけがわからない。あのイルカの余りに不自然な動きは何なのか? そして明らかにアフレコで人間の声にしか聞こえないイルカの鳴き声は何なのか? という些細なことから始まって、どうして警官はいきなり人形なのか?(「裸足のピクニック」を思い出す) 感動を狙った(と思う)シーンの3方向アップつなぎはやっていいのか?
 ああ爆笑。ジャッキーはきっと狙ってはやっていないので、真面目にやった結果がこうなのだろうと考えることもできますが、もしかしたら監督がジャッキーにばれないようにB級爆笑映画に仕立て上げたのかもしれない。そうだとしたらこの監督はすごいかもしれない。水野晴夫と組ませたい。
 ということでこの監督についてちょっと調べたところ、監督は2作目で、前作は「008(ゼロゼロパー)皇帝ミッション」という明らかなB級コメディな題名の映画。見たことはありませんが、面白いのかもしれない。

ポイズン・ボディ

Deadly Sins
1995年,アメリカ,95分
監督:マイケル・ロビソン
脚本:マルコム・バーバー、ジョン・ラングレー
撮影:バリー・グラヴェル
音楽:バロン・アブラモヴィッチ
出演:アリッサ・ミラノ、デヴィッド・キース、アン・ウォーレン・ペグ、テリー・デヴィッド・ミュリガン

 海に浮かぶ小さな島、そこにある修道院で自殺事件が起こった。折りしも、その島に新しい保安官ジャックがやってくる。その事件をきっかけに修道院を調べ出すジャックは修道院長の秘書だというシスターと一緒に調査をはじめるが、そこにまた事件が…
 アリッサ・ミラノが主演したサスペンス。無意味なラブ・シーンが多いので、エロティック・サスペンスだと思います。サスペンスとしては悪くはないけれどちょっと分かりやすいかも。

 昨日も、書きましたが、アメリカ映画のわかりやすさというのがここでも出てきます。基本的に「さあ、犯人を探してください!」というスタンスで作られているので、見ている側としては犯人を探してしまうわけですが、結構分かりやすい。みえみえというほどではないけれど、なんとなく直感で分かる感じ。
 たぶん、エッチシーンを一つの見ものにしている映画なので、この程度のものでいいのだろうというところです。しかし、エロティックものに限らず、アメリカの娯楽サスペンスの推理度はこの程度のものが多い。「これが鍵だよ」って物が分かりやすく強調されるところが特徴(これ以上いうと、ネタばれになってしまうのでやめます。見る人いないと思うけど…)だと思います。
 ここからはアリッサ・ミラノに関わる全くの余談ですが、この映画はアリッサ・ミラノ低迷期の映画。このちょっと前の作品「レディ・ヴァンパイア」というのでヌードにもなっているそうです(この映画でもちょっとなってたけど)。しかし、現在は「チャームド魔女」がヒットしてアメリカではシャナン・ドハティーと共に復活。昔はもちろんアイドルでした。「コマンドー」に出てました。

天国にいけないパパ

Short Time
1990年,アメリカ,97分
監督:グレッグ・チャンピオン
脚本:ジョン・ブルメンタール、マイケル・ベリー
撮影:ジョー・コナー
音楽:アイラ・ニューボン
出演:ダブニー・コールマン、マット・フューワー、テリー・ガーバ、リー・コーヴィン、ジョー・パントリアーノ

 シアトルの警察に勤める定年間近の老刑事、定年間際で死ぬことを恐れ、犯人追跡にもしり込みする。そんな彼が生命保険のために健康診断を受けに行く。そこにドラッグ検査に来ていた男が自分のドラッグしよう発覚を恐れ検査用の血液を交換。老刑事は余命2週間半と診断されてしまう…
 よくある、という言葉がぴったりくるハリウッド・ハートフル・コメディ。どこにでもあるような映画ですが、ハリウッドらしくてよし。

 いろいろと設定面で不可解なところ(再検査しないとか)はありますが、プロットの進行上仕方ないということでしょう。そしてすりかえた相手の運転手の方はあんな扱いでいいのか。という気もしますが、分かりやすさをよしとするハリウッドでは許されるのでしょう。
 そう、ハリウッド映画のわかりやすさというのは子供向けの絵本のようなもの。先の展開が読めるのが楽しい。先を予想しながら見て、それがすべてあたっていく快感。本当は2・3ヶ所裏切られるのが一番気持ちいのですが、この映画は全てが予想通りでした。
 まあ、つまりはハリウッド映画のわかりやすさの見本という感じです。見ている側の期待を裏切らない。こんな映画なら5本立てくらいで見てもちっとも疲れない。だからアメリカのファミリーはシネコンで一日を過ごしたりするわけですね。そんなアメリカンなサバーバン・ライフを想像しながら見ていました。(筋がわかっているから、いろいろなことを考える余裕がある。)
 夏の猛暑、家を出る気もせず、しかし心に余裕があるときにお勧め。ビールとポップコーンを片手にね。

コモド

Komodo
1999年,アメリカ,89分
監督:マイケル・ランティエリ
脚本:ハンス・バウアー、クレイグ・ミッチェル
撮影:デヴィッド・バー
音楽:ジョン・デブニー
出演:ジル・ヘネシー、ビリー・バーク、ケヴィン・ゼガーズ

 密売業者が捨てていった謎の卵。それから19年後、その島に毎年のように休暇にやってきた家族。息子のパトリックは島を探検に出て、恐ろしい怪物に遭遇した。パニックを起こして家に戻ったパトリックだったが、彼を探していた両親はその怪物に食べられてしまった…
 閉鎖空間である島で、コモドドラゴンを使ったパニック・ムーヴィー。パニック・ムーヴィーとしては並のでき。

 「ジョーズ」から連綿と受け継がれるパニック・ムーヴィーの伝統ですが、それにちょっとアクセントを加えた「ジュラシック・パーク」のままパクリという感じのこの映画ですが、おそらく低予算のせいでSFXもいまひとつ精彩がなく、登場人物のキャラクターも薄く、モンスターもいまいち弱いのです。しかし、まあパニックムーヴィーですから、「どっから現れるんだ?」というドキドキ感はしっかりと作りこんであるわけ。
 結局のところ精神科医だったり生物学者だったりする登場人物たちの背景は物語には全く関わってこず、淡々と進んでしまうのでした。少年のトラウマから不可解な行動に出るあたりで、予想もしない展開に発展するか? と思わせたものの、特に目覚しい展開はなく、おしいところではありました。
 これを読んだ時点で見ようと思う人はあまりいないとは思いますが、面白くないわけではないのです。パニック・ムーヴィーとしておしなべて平均点ということですが、「ロスト・ソウルズ」と同様、逆に普通のパニック映画の裏をかいていると思われるむきもあります。普通のパニック映画では盛り上げるところを逆に平板に描いている。それを退屈なパニック映画ととるか、革新的なパニック映画ととるかはあなた次第。