ヒューマン・トラフィック

Human Traffic
1999年,イギリス,99分
監督:ジャスティン・ケリガン
脚本:ジャスティン・ケリガン
撮影:ディビッド・ベネット
音楽:ピート・トン、ロベルト・メロウ、マチュー・ハーバート
出演:ジョン・シム、ロレーヌ・ピルキントン、ショーン・パークス、ニコラ・レイノルズ、ダニー・ダイアー

 ドラッグのやりすぎでインポになってしまったと悩むジップと彼を取り巻く友人たちは、月曜日から金曜日まで家賃のために働き、週末の48時間をクラブでぶっ飛んで過ごすことに生きがいを見つける。 前半はそんな彼らの金曜日から土曜日にかけてのバカ・トビ生活を軽快に、後半は、ジップのインポを中心に、彼らの世代の誰しもが経験する人生に対する疑問が「パラノイア」という言葉によって表現され、頭をもたげる。
 この映画ははっきりいって、ジェネレーション・ムービー。なので、世代によって非常に評価は分かれるし、見方も変わる。個人的には監督(25歳)と同世代のため、非常に同感できるものがあったが、果たしてこれが万人に通用するのかどうかはわからない。しかも、クラブ・ミュージックが楽しめなければ、物語に入り込むことができないかもしれない。
 そうなってしまうと、劇中ドキュメンタリーを撮影にクラブにやってきたおばさん(失礼!)同様、「バカじゃないの」で終わってしまうことでしょう。かといって、薦めないわけではありません。映像もそれなりに面白いし、イギリス的な笑いもかなり盛り込まれているので、とりあえず楽しめる(かな?イギリスの笑いがだめという人はそもそも笑えないかも)。 

マン・オン・ザ・ムーン

Man on the Moon
1999年,アメリカ,117分
監督:ミロシュ・フォアマン
脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラズウスキー
撮影:アナスタス・ミチョス
音楽:REM
出演:ジム・キャリー、コートニー・ラヴ、ダニー・デビート、ポール・ジアマッティ

 サタデー・ナイト・ライヴの第1回放送に出演し、伝説のネタ「マイティ・マウス」を演じた天才コメディアンコメディアン、アンディ・カフマン。天才とも変人とも言われた彼の生涯を、ジム・キャリーが熱演した作品。
 全体としてかなりよくできた映画。ジム・キャリーの演技もいいし(しかもそっくり)、話の進行も非常にスムーズ、しかし好みは分かれるところ。私は好き、私は嫌い、私には理解できないなどなど。それはまず、アンディ・カフマンの笑いを理解できるかということにかかっているが、それよりも、カフマンが人々を驚かせることを生きがいにし、生涯をウソで塗り固めてしまったその行動にシンパシーを感じられるかというところだろう。
 ちょっと、プレヴューにしては言い過ぎかもしれませんが、私はこの映画が気に入ったので、面白さを理解してもらおうと必死なわけです。みんなが見に行きたいと思うようなコメントを考えるならば、「笑いと感動という併存させることが難しいはずのふたつの要素を見事にひとつの映画の中に併存させ、見た人々をやさしい気持ちにさせてくれる映画」
 とでも言うところでしょうか。本当はもっと複雑なんだけど… 

 この映画の魅力は非常に謎めいているところ。映画を見終わってもまだ果たしてどれが本当でどれがうそだったのかわからないところ。そしてそれをそのまま放置しているところ
 もっとも不思議に感じられると思うのは、最後に出てくるトニー・クリフトンは誰なのか?ということだろう。アンディでもボブでもないトニーとはいったい誰か?キャストを見ると、
 Tony Clifton……himself
と書いてある。???
ここで考えられるのは、①アンディが死んだというのはやはりウソで、実はトニー・クリフトンとしていきつづけている。②アンディは死んでいるが、トニー・クリフトンという別な人がもともといて、ある時期アンディが彼に成り代わっていた。のどちらかでしょう。どっちなのでしょう?それはわからない。そのわからないということがこの映画の眼目ですから。 

彼女の彼は、彼女

Gazon Maudit
1994年,フランス,105分
監督:ジョジアーヌ・バラスコ
脚本:ジョジアーヌ・バラスコ
撮影:ジェラール・ド・バティスタ
音楽:マヌエル・マロウ
出演:ジョジアーヌ・バラスコ、ヴィクトリア・アブリル、アラン・シャバ、ティッキー・オルガド、ミゲル・ボゼ

 不動産会社に勤める夫と元ダンサーの妻ロリ、円満なはずの家庭にやってきた一人の女マリジョ。レズビアンの彼女はロリに魅せられ彼女を誘惑する。夫の浮気も発覚し、3人の関係はどんどん複雑に。いかにもフランスらしいシニカルな恋愛コメディ。 3人それぞれの複雑な心理の変化が克明に描かれ、単なるコメディとはいえない、人間ドラマに仕上がっている。映画手法として目新しいものはないが、非常にストレートな作り方をしているので、言わんとしていることもストレートに伝わってきて好感が持てる。 

 この映画の素晴らしいところは、登場人物たちの心理が画一化されていないこと。好き-嫌い、同性愛-異性愛、という二項対立にこだわらずに、人間対人間の関係から生じる内的な葛藤を、「人間」の問題として描いていることだろう。人間の心理ってこんなに複雑なものなんだ、と気づかされる。葛藤、葛藤、また葛藤。
 しかし、最後にゲイの彼が登場してくるところを見ると、「愛は盲目」、人間とは懲りない生き物。問題を真面目に扱うんだけれど、決して深刻にはならずに、「コメディ」として作り上げたところが素晴らしい。 

スモーク

Smoke
1995年,アメリカ,113分
監督:ウェイン・ワン
原作:ポール・オースター
脚本:ポール・オースター
撮影:アダム・ホレンダー
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハート、ストッカード・チャニング、フォレスト・ウィテカー、ジャンカルロ・エスポジート

 毎朝自分の店の写真を撮る煙草屋の主人オーギー(ハーヴェイ・カイテル)、なじみの客で小説家のポール(ウィリアム・ハート)、ポールに助けられる少年ラシード(ハロルド・ペリノー)という3人を中心としてブルックリンの人々の日常を描いた。
 ポール・オースターの原作・脚本だけあって、物語には深みがあり、現実とも虚構ともつかない語りに味わいがある。決してハラハラドキドキする物語ではないが、みるものを引き込む魅力に満ちたストーリー。

 なんだかよくわからないけれど面白い、ついつい何度も見てしまう映画というのはそういう映画が多い。私にとってこの『スモーク』はそんな映画だ。ドラマらしいドラマが立ち現れそうになると、ふっと静かな間が挟まれて、アンチクライマックスになる、その繰り返しであるこの映画にはよくわからない魅力が溢れている。
 この映画の主人公は誰かではなく、ブルックリンという街である。だから、オーギーはこの街を毎日写真に撮る。それはそこを歩いている人を撮っているわけではなく、街そのものを撮っている。ポールが「みな同じだ」といい、オーギーが「ゆっくり見るんだ」というとき、それが意味するのはその場所がやっぱり変わっていないということに対する喜びであり、その街の持つゆったりとした時間の流れのよさである。
 だから、この物語はその街の時間の流れに合わせるようにゆっくりと進行する。しかし、他方でこの街には生き急ぐギャングのような若者もいて、時間の流れは一様ではない。
 そして、この映画を見ながら思うのは、そのような時間の流れの違いを生むのは、お金や地位や名誉といった外からの評価に対してどのような態度をとるのかというスタンスの違いではないかと思う。オギーやポールもお金を欲しがっていないわけではないけれど、それを第一には考えない。彼らはお金や地位や権力よりも、自分自身が満足するということを重要視している。そこには友達や自分の周りにいる人々との関係も含まれるわけだが、何かに向かって突き進んで行くというよりは、その時々の悦び、タバコのような刹那的な快楽も含めた一瞬の楽しみをより大事にしているのだ。ポールが語ったデカルトだか誰かがタバコの巻紙がなくって自分の論文を丸ごと吸ってしまったというエピソードなどは、そのような価値観を端的にあらわしている。彼は自分が論文によって構成の人にどのように評価されるのかということより、今この瞬間にタバコをすうことのほうを重要だと考えたのだ。
 そして、ラシードがそれを信じないのは、彼が若者でそのような刹那的な悦びよりも未来を重視しているからだ。だからポールやオーギーとラシードとは本当には交わらない。しかし、それはそれでいいのだ。

 この映画のもうひとつの面白さは、普通に考えたらおかしいようなことがまったく普通の事として行われていることだ。「タバコをやめなきゃ」といっているオーナーが当たり前のように大きな葉巻の箱を2箱も持って行く。ルビーは義眼を「失くした」といとも簡単に言う。
 当たり前に過ぎてゆく時間の中に紛れ込む不思議なおかしさ、それもこの映画が魅力的である大きな理由のひとつであると思う。
 そして、その当たり前に過ぎ行く時間というのは、基本的に繰り返しの時間である。オーギーが毎日写真を撮ることに象徴される繰り返し、それはポールが毎日、同じ時間に起きてタイプライターに向かうということ、タバコ屋という同じものが並んでいる空間、映画の公正もほぼ同じ長さの5つのエピソードで構成されている。この繰り返しは、その一つ一つが同じことの繰り返しのようで少しずつ違っている。その小さな変化に悦びがあり、だから日常に満足することが出来る。
 この『スモーク』という映画を見るということも、そのような少しずつ違う繰り返しなのではないか。何度見ても煙にまかれるようにその本質はするりと見るものの手を逃れて行ってしまうけれど、そのたびごとに違う面白さが見えてくる。だから、この作品を繰り返し観てしまうのだと思う。

ミッドナイト・ラン1 にくめない詐欺師

Another Midnight Run 
1994年,アメリカ,91分
監督:ジェームズ・フローリー
脚本:エリック・フレイザー
撮影:ロバート・ドレイパー
音楽:デヴィッド・バーコード
出演:クリストファー・マクドナルド、ダン・ヘダヤ、ジェリー・ロット、ジェレミー・ローレンス

 映画「ミッドナイト・ラン」を基にしたテレビ用映画の第1作。
 賞金稼ぎのジャックは、逃亡した詐欺し夫婦を捕まえる仕事を頼まれる。目的地に向かい、意外にもあっさりとその夫婦を捕まえることができたジャックだったが、相手は詐欺師、あの手この手でジャックの下から逃げ出そうとする。
 追っている相手との間になぜか奇妙な関係ができてしまうというシリーズのパターンを映画を踏襲しながらうまく作りこんだ作品。
 2と3を見てから見たので、新鮮味が薄れてしまったのかもしれないけれど、詐欺師の手口で慣習の興味をひきつけることができるので、意外と容易に物語に入り込んでいくことができる。やはり詐欺師というのはどこかこっけいで、「にっくき犯罪者!」というイメージが湧きにくいので、このシリーズで取り上げるにはもっとも適しているのだろう(だから1で使われたんだろうけど)。
 と、いうわけで、暇と偶然が重なったらぜひ見て欲しいシリーズ物です。 

リービング・ラスベガス

Leaving Las Vegas
1995年,アメリカ,112分
監督:マイク・フィギス
原作:ジョン・オブライエン
脚本:マイク・フィギス
撮影:デクラン・クイン
音楽:マイク・フィギス
出演:ニコラス・ケイジ、エリザベス・シュー、ジュリアン・サンズ、リチャード・ルイス

 スティングの歌、スーパーで嬉々として酒を買いあさるニコラス・ケイジ、という印象的な始まり方をするこの映画は、ジョン・オブライエンの原作をもとに、アルコール依存症のベン(ケイジ)を徹底的に追ってゆく。
 重度のある中のせいで会社を首になったベンはLAを離れ、ラスベガスにいくことに決めるが、その目的は?そこで何が待っているのか?
 スタイリッシュな映像に印象的な音楽、脚色・監督・音楽と三役をこなしたマイク・フィギスの心が伝わってくる一作。 

 まず、純粋に映画としてこの映画が優れている点は3つある。ひとつは主演の二人の素晴らしさ。不健康で情けない役をやらせたらニコラス・ケイジの右に出るものはいない。そして、エリザベス・シューの豊かな表情も素晴らしい。2つ目は音楽、監督自ら手がけただけあって、登場人物の心情の暗喩として使われる音楽が非常に効果的だった。第3は映像と音楽のマッチング、この映画では様々な映像的工夫(たとえばストップモーション、極端なクローズアップ、粗い画像)がなされているのだけれど、その手法とBGMとして流れる音楽が非常にマッチし、さらに、そのシーンのイメージを的確に表現している。したがって、その映像的工夫が「実験的」なものとして映ることなく、自然なものとしてみることができる。
 そして、プロットがうまくできていること。これはジョン・オブライエンの原作のよさに多分に拠ってはいるのだろうけれど、ありきたりのストーリーでありながら、サラの語りとすることによってテンポに強弱をつけたのは秀逸なアイデアであったと思う。 

不機嫌な赤いバラ

Guarding Tess
1994年,アメリカ,95分
監督:ヒュー・ウィルソン
脚本:ヒュー・ウィルソン、ピーター・トロクヴェイ
撮影:ブライアン・J・レイノルズ
音楽:マイケル・コヴァーティーノ
出演:シャーリー・マクレーン、ニコラス・ケイジ、オースティン・ペドルトン、リチャード・グリフィス

 へそ曲がりな元大統領夫人テスと実直なシークレットサービス・ダグが繰り広げる騒動を描いたハートフル・コメディ。
 郊外に引退して暮らしている大衆に人気の元大統領夫人(未亡人)テスのもとで働くダグ、任期を終えてワシントンに戻ったはずがテスの要請によって呼び戻される。会えば喧嘩ばかりするダグをテスはなぜだか手放そうとしない……
 ギャグやドタバタといったいわゆるお笑いの要素はないが、クスリと笑える場面がうまく入れ込まれ、全体の雰囲気を明るく楽しいものにしている。それもこれもテスとダグの二人のキャラクターのなせる技。特にシャーリー・マクレーンが素晴らしい。 

 この映画の笑いはなかなか新鮮だ。最初のほうの場面で、テスが車の座席を動こうとしない場面、まったく無言の長い間がある、ともすれば重苦しい雰囲気になってしまいがちな場面なのに、なぜだ頬が緩んでしまう。これを分析するのは難しいが、サングラスをかけてむっつりしているダグと、知らん振りを決め込んでいるような顔をしてその実笑いをこらえているように見えるテス(ここが重要、観客にこう感じさせる演技ができるシャーリー・マクレーンは素晴らしい)の対照が面白いと言うのか、とにかくそこの場がうまく笑いの空気になっているということだろうか。
 最後にサスペンス仕立てになったのは、ストーリーのちょっとしたスパイスという感じで、まあ、別になくてもよかったような気もするが、あれほどの強情なばあさんを素直にさせるにはこれくらいの荒療治が必要だってことをいいたかったのかな?

ミッドナイト・ラン3 やけっぱちの美女

Midnight Run for Your Life
1994年,アメリカ,89分
監督:ダニエル・サックハイム
脚本:シャウン・カシディ
撮影:ロバート・ドレイパー
音楽:ベニー・ウォーレス
出演:クリストファー・マクドナルド、ダン・ヘダヤ、メローラ・ウォルターズ、マイケル・ビーチ

 映画「ミッドナイト・ラン」を基にしたテレビ用映画の第3作。
 今回は、クラブの歌い手ローナが映画のプロデューサーと結婚をするというところから話が始まる。もちろん彼女は事件に巻き込まれ、無実の罪を着せられ、逃げ回ることになって、それをジャックが連れ戻しに行くというストーリーになるわけだ。
 今回は、獲物が女性なので、それはもちろんロマンスに発展するだろうという予想が立つわけだが果たして……

 話は大概予想通り進んでゆくので、安心してみることができる。ストーリーは予想できても、小さな仕掛けまではなかなか予想がつかないわけで、その辺の細工がこういったアメリカのテレビドラマの楽しいところ。
 今回も、間抜けな殺し屋が出てきたり(余談だが、この殺し屋はERでHIVに感染してしまったジェニーの夫の役で出てた)、ハラハラさせる工夫、ちょっとした笑いをはさむ工夫を入れて、うまく仕上がっている。
 このシリーズは3作しかないらしいのですが、もしレギュラードラマ化とかされたら見てみたい。それくらい気に入ってしまいました。でも、映画館でやっても見に行こうとは思わないけど。

シラノ・ド・ベルジュラック

Cyrano de Bergerac
1990年,フランス=ハンガリー,139分
監督:ジャン・ポール・ラプノー
原作:エドモン・ロスタン
脚本:ジャン・ポール・ラプノー
撮影:ピエール・ロム
音楽:ジャン・クロード・プティ
出演:ジェラール・ドパルドュー、アンヌ・ブロシェ、バンサン・ペレ-ズ、ジャック・ベベール

 詩人で、剣の腕にも長けているが、自分の鼻をコンプレックスに持つ男シラノはひそかに従妹のロクサーヌに恋心を寄せていた。しかし、ロクサーヌは美少年クリスチャンに思いを寄せていた。シラノはふたりを結びつけるため、自分を犠牲にすることに決め、クリスチャンのためにロクサーヌへの恋文を書くことを引き受ける。エドモン・ロスタンの古典的戯曲を忠実に映画化した恋愛映画の古典。泣きたい人にもお勧め。 

 監督が言う通り、ドパルドューはこの役にぴったり。ただでさえ特徴のある鼻をさらに高くして味のある演技を見せる。この映画で何よりも感心するのは、セリフ。フランス語なので意味はわからないけど、響きが美しく、掛け合いのリズムも心地よい。こんな映画を見ているとやっぱりフランス語ってかっこいいと思ってしまう(実際はそうでもないんだろうけど)。
 シラノ・ド・ベルジュラックは本当に数え切れないくらい映画化されているが、なんといっても思い出されるのは、スティーブ・マーティンの「いとしのロクサーヌ」(やっぱコメディか)。シラノ・ド・ベルジュラックを現代を舞台としてアレンジし、コメディに仕上げたスティーブ・マーティンの手腕はさすが(ちなみにスティーブ・マーティンが製作総指揮・脚本・主演している)。
 という、余談はおいておいて、この映画は恋愛映画の古典といわれるだけあって単純なストーリーながら、何度みてもついつい引き込まれ、クリスチャンの気持ち、シラノの気持ち、ロクサーヌの気持ち、3人ともの切ない、やりきれない気持ちが伝わってきて感動せずにいられない。

ミッドナイト・ラン2 好かれる逃亡者

Midnight Run Around
1994年,アメリカ,89分
監督:フランク・デ・パルマ
脚本:フランク・デ・パルマ、ジェロルド・E・ブラウン、テリー・ボースト
撮影:ロバート・ドレイパー
音楽:ベニー・ウォーレス
出演:クリストファー・マクドナルド、ダン・ヘダヤ、エド・オロス、カイル・セコー

 仕事がなく、金に困っていた賞金稼ぎのジャックは、仲間からデイルという男を捕まえる賭けを持ちかけれられる。バーのマスターの静止も気にとめず一も二もなく引き受けたジャックは逃亡者を捕まえにオクラホマへ。しかし……
 ロバート・デ・ニーロ主演の映画版と元は同じだが、話はまったく違うものになっている。いかにもアメリカのテレビドラマにありそうな、軽快で爽やかな娯楽作品。造りはちゃちいが、娯楽映画としては十分に楽しめる。アメリカではテレビで、いわゆるスペシャルドラマとして放映された作品らしい。