The Truman Show
1998年,アメリカ,103分
監督:ピーター・ウィアー
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:ピーター・ビジウ
音楽:ブルクハルト・ダルウィッツ
出演:ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リネイ、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーン
誕生の瞬間から、その存在が世界に生中継される男トゥルーマン。彼の生活のすべては壮大なセットの島シーヘブンで、俳優たちに囲まれて営まれていた。そんな彼も29歳になり、何かがおかしいことに気づき始める…
近未来にありうべき現象を、コメディという形で描こうとした作品。しかし、笑えるところはあまりなく、コメディというよりはヒューマンドラマ。テレビを見ている側の人々の反応が面白い。
この映画のいいところはジム・キャリーとエド・ハリス。ふたりの演技とキャラクターがなければ成立しなかっただろう。トゥルーマン(ジム・キャリー)とクリストフ(エド・ハリス)の微妙な関係(クリストフからの一方的な関係ではあるが)がこの映画のプロットを支えている。
「エドtv」と比較すると、こちらはコメディという感じはしない。むしろシリアスなドラマ。となると、主演がジム・キャリーであるのはどうかと思うが、実際に映画を見てみるとそれほど違和感はない。ジム・キャリーはシリアスな役もできるということか。
あとは、もう少しプロットが練られているとよかったかもしれない。もう少し複雑に様々な要素が入り組んでくると面白かったろうし、トゥルーマンが疑問を覚える点があまりにもつたないのが気になる。たとえば、手術室で患者がビックリして跳ね起きるとか。30年もやってる番組なんだから、俳優ももう少し熟練してもよさそうなものだが…などという点が少し気になりました。
というのが、前回のレビューです。
今となっては、ジム・キャリーはシリアスドラマを普通にこなす演技派の役者になってしまっています。そんなことはいいとして、この映画をどう見ることができるのか? ということが気になります。基本的にはトゥルーマンを応援するという立場に立つ。それはつまり映画の中の視聴者と同じということですが、その立場に立ってみるのが一番楽だし、入り込めるし、終わったあともすっきりする。そのようにして映画を見るのが普通(見るように仕向けられている)わけですが、終わって振り返ってみると、何か引っかかる。それは、最後のカット、警備員が言うせりふです。これが示すのは(テレビ番組としての)『トゥルーマン・ショー』が文字通り「ショー」でしかなかったということです。トゥルーマンにとっては紛れもない現実であるにもかかわらず、結局それは現実としては捉えられていない。それが明らかになってしまうと、この映画ををいわゆるヒューマンドラマとしては見れなくなってしまう。
では、どう見ればいいのか。もちろんどう見てもいいんですが、たぶんこの映画は全体としてはメディアを描いているので、メディアについて考える。自分が本当に映画の中の視聴者と同じ立場に立っていていいのか? ということ。もちろんそれでもいい。あるいは、彼らもまたメディアに踊らされているに過ぎないのだと考えてもいい。そのような意味ではレベルこそ違えトゥルーマンと変わらないのだと。それがいい悪いではなく、自分とメディアの関係はどうなのか、現代の世の中はメディアなしでは成立し得ない中で、それとどう付き合っていくのか。
なんだか、歯切れが悪いですが、自分でもよくわからないので。