告白

True Confession 
1981年,アメリカ,107分
監督:ウール・グロスバード
原作:J・G・ダン、ジョージ・ディディオン
脚本:ジョン・グレゴリ―・ダン
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル、チャールズ・ダーニング、バージェス・メレディス、エド・フランダース

 神父と刑事という兄弟が、年老いてから昔の思い出を回想する映画。二人がともにかかわりあった殺人事件から二人の運命は思わぬ方向に転がっていくことに。
 兄弟の心理的な葛藤を描いた心理サスペンス。言葉にならない心理を表現する名優二人の演技はさすが。 

 言葉のない「間」を使って緊張感を保ち、観衆を物語りに引き込んで行く方法は秀逸だが、名優二人の演技なくしては成功しなかったかもしれない。物語としては特に目新しいものもなく、警察や教会の腐敗というのもありがちな題材ではある。
 やはり、デ・ニーロとデュバルの演技ということに話は収斂してしまうが、二人の神や兄や弟や教会の利益や腐敗やさまざまなものに対する心理の揺れ動きもうまく表現されているという点がすばらしかった。

北北西に進路を取れ

North by Northwest 
1959年,アメリカ,137分
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーネスト・レーマン
撮影:ロバート・バークス
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メーソン、マーティン・ランドー

 ヒッチコックの名作のひとつ。やり手の広告マン・ソーンヒルはホテルのレストランでカプランという男に間違えられ、拉致される。そこで殺されかけたソーントンは事件に巻き込まれ、意思とは関係なくさまざまなことが身に降りかかってきてしまう。
 あらゆる映画の原型がここにある。サスペンス映画の原点ともいえる名作。ヒッチコックとしては「巻き込まれ型」サスペンスの集大成といった感じ。はらはら感もなかなかのものです。

 ヒッチコック作品の中でも非常に評価の高いこの作品はそれ以後の映画に大きな影響を与えたといえる。それは単純な技術的な問題から、エピソードのパターンにいたるまでさまざまだ。
 いろいろな映画で目にする「よくある」シーンというのがこの映画にはたくさん出てくる。列車で出会ったソーンヒルとイヴが互いによけようとしてぶつかる場面、ソーントンが窓から建物の壁伝いに逃げる場面、飛行機に襲われる場面、などなど、そのすべてがすべてこの映画がオリジナルというわけではないが、その中のいくつかは、この映画ではじめて使われ、それ以後よく使われるようになったシーンだということができるだろう。
 フィルムのつなぎや、カメラのズームイン・アウトなど少し粗いところも見られるが、それは技術的な質の問題であり、時代から考えて仕方のないことだろう。 

 イギリス時代から比べれば、画質、編集技術などあらゆる面で高度になっている。それはもちろんハリウッドの潤沢な予算、高度な技術を持つスタッフがいてのこと、そしてヒッチコックの経験もものをいう。ヒッチコックとしては、この映画は『逃走迷路』を始めとするイギリス時代から綿々と続く「巻き込まれ型」サスペンスのひとつの集大成という意味がある。だからこそ、これだけ完成された形の映画を作り、一つのスタイルを確立させたと言える。
 しかし、イギリス時代のものと比べてみると、いわゆるヒッチコックらしさというものは薄まり、ドキドキ感も薄められてしまっているような気もしないでもない。この映画にあるのは一つのハリウッドというシステムによるエンターテインメントとしての見世物的な面白さ、イギリス時代の荒削りな作品にあったのはヒッチコックが観客と勝負しているかのような緊迫感のある面白さ、その違いがある。
 だからこの映画はヒッチコックの面白さを伝えてくれるし、この映画によってヒッチコックの世界に引き込まれることは多いとは思うが、他の作品をどんどん見ていくにつれなんとなく物足りなさを感じるようになってしまう作品でもある。
 ヒッチコック自身もそれを感じたのか、この次の作品『サイコ』ではイギリス時代に回帰するかのように白黒の荒削りな映像を使い、派手な動きもなく、大きな仕掛けもない(飛行機も飛ばない)映画を作った。ヒッチコックが今も偉大であり続けられるのはそのあたりの自己管理というか、自分をプロデュースしていく能力に秘密があったかもしれない。

ダウン・バイ・ロー

Down by Law
1986年,アメリカ=西ドイツ,107分
監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:ジョン・ルーリー
出演:トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、エレン・バーキン

 同じように仲間にはめられ、OPP刑務所で同じ房となったジャックとザックはいつとも知れぬ釈放の日を待ちわびていた。そこに不思議なイタリア人ロベルトが入ってくる。二人はロベルトに翻弄され、脱獄するはめに……
 ジャームッシュらしく淡々とした物語の中に奇妙なユーモアが混じり、独特の世界を作り出す。

 この映画の特徴は、映画のテンポが大きく動くということ。序盤、ジャックとザックがつかまる前はぽんぽんとテンポよくすすみ、刑務所に入ったとたん、時間の経過は単調になる。それはもちろん壁に刻まれた黒い線(正の字とは言わないだろうけど)に象徴的に表される。ただただ出所を待つだけの単調な毎日、そして再びそれがテンポアップするのはロベルトがやってくるところだ。彼の刑務所には似合わない破天荒な行動が再び時間に活気を与える。
 この、時間の経過のテンポの変化というのはジャームッシュ作品に特徴的なものだ。多くの場合は、そのテンポはカットの切り方や真っ白な画面(カットとカットのあいだに白い何もないカットをはさんで間をとる)でとられるのだが、このジャームッシュ独特のリズムの取り方というのがジャームッシュ作品に引き込まれてしまう最大の要因なのではないかとこの映画を見て思った。

ゴースト・ドッグ

Ghost Dog: The Way of the Samurai
1996年,アメリカ=フランス=ドイツ=日本,116分
監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:Rza
出演:フォレスト・ウィテカー、ジョン・トーメイ、クリフ・ゴーマン、ヘンリー・シルヴァ、カミール・ウィンブッシュ、イザアック・ド・バンコレ

 ジム・ジャームッシュが武士道についての本「葉隠」を題材に、ゴースト・ドッグと呼ばれる殺し屋を描いた物語。さすがに、ジャームッシュらしく、単なるアクション映画にすることなく、ユーモアと不条理をそこに織り込んである。
 いつものことながら、登場人物たちのキャラクターがすばらしく、アニメ好きのマフィア、フランス語しかしゃべれないアイスクリーム売り、犬、鳩、ボスの娘。
 この作品ののすばらしいところは、単なる日本かぶれではなく、「日本」という要素をうまく扱って自分の世界にはめ込み、オリジナルな世界を作り出したところ。ジャームッシュ作品の中でも指折りの名作だと思う。

 「葉隠」という本は正しくは「葉隠聞書」、享保元年(1716年)に山本常朝が口述したもの。三島由紀夫が「葉隠入門」という本を出し、有名になった。
 それはそれとして、ジャームッシュの映画を見て、いつも感心させられるのは、登場人物のキャラクターだ。まず、年寄りばかりでアニメ好きのマフィアというのが素晴らしい。しかも家賃をためている。言われてみればいそうなものだが、普通の映画には出てこない。そして、フランス語しかしゃべれない、アイスクリーム売りというのも素晴らしい発想。そして、ボスの娘も。頭が弱いといわれながら、本当は登場人物の中でもっとも明晰なんじゃないかと思わせる。かれらの心の声は直接スクリーンは出てこないのだけれど、それがなんとなく伝わってくるところがジャームッシュの素晴らしいところ、そして不思議なところ。
 ジム・ジャームッシュは本当に日本が好きで、ストレンジャー・ザン・パラダイスの小津安二郎ばりのローアングル・長回しに始まり、ミステリー・トレインの永瀬正敏と工藤夕貴、そしてゴースト・ドック。この映画では、黒沢明が最後にクレジットされているが、これはジャームッシュのKUROSAWAに対する弔意の表明だそうだ。水道管越しに撃ち殺すというのも鈴木清順の「殺しの烙印」からもらったらしい。
 こんなことを書いていると、マニアな映画に見えてしまうけれど、ジャームッシュの映画は、そのリズムにのっかてしまえば誰もが楽しめる不思議な世界。そしてマニアックに観ようとすればいくらでもマニアな観方ができる映画。この映画も音楽面にマニアックにはまり込んでいく人もいるだろうし、カメラワークの妙にのめりこんでいく人もいるだろう。映画というもののあらゆる面をひとつの映画に詰め込める、ジム・ジャームッシュはすばらしい。

マーズ・アタック

Mars Attacks ! 
1996年,アメリカ,105分
監督:ティム・バートン
脚本:ジョナサン・ジェムズ
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジャック・ニコルソン、グレン・グローズ、アネット・ベニング、ピアース・ブロスナン、マイケル・J・フォックス、ナタリー・ポートマン、ルーカス・ハース

 トレーディングカードとして人気となったシリーズの映画化。火星人が大艦隊で地球に来襲。果たして彼らは敵か味方か……
 と、書いてしまうと普通のSFだが、この映画の醍醐味はその筋とは関係のないハチャメチャドタバタにあるのであって、豪華キャストで徹底的にしょうもないことをするというのがこの映画の狙い。ティム・バートンがとにかく好きなことをやったという映画になっている。
 しかし、この映画は徹底的にバカな映画にはなりえていない。すべてが一応つじつまの合う形で組み立てられ、理解しようと思えばできてしまう。個人的には、もっと不条理は、本当にわけのわからない映画になっていたらもっとよかったと思う。

ミュージック・オブ・チャンス

The Music of Chance 
1993年,アメリカ,103分
監督:フィリップ・ハース
原作:ポール・オースター
脚本:フィリップ・ハース
撮影:バーナード・ジッターマン
音楽:フィリップ・ジョンストン
出演:ジェームズ・スペイダー、マンディ・パンティンキン、ジョエル・グレイ、チャールズ・ダーニン、M・エメット・ウォルシュ

 ポール・オースター原作の小説の映画化。道端で拾ったギャンブラー・ジャックに自らの金を託し、大金持ちとポーカー勝負に向かうジム。カフカ的ともいえる不思議な世界を描いた映画。シカゴ・ホープで人気俳優となるマンディ・パンティンキンが好演している。
 原作を読んでしまっていると、つまらなく感じるが、純粋に映画としてみるならば、それほどつまらない作品ではない。原作の深みが2時間という時間の中で表現し切れなかったのが残念。

 この監督がオースターの作品が好きだということはよくわかる。しかし、あまりに原作に忠実すぎるのではないか。小説を映画化するときには常に付きまとう問題は、その監督の切り口と自分(見る側)の切り口の食い違いだが、この作品はそれ以前の問題だ。この監督の切り口が気に入らないというのではなく、主張というものが感じられないということ。原作を忠実に再現し、それなりに面白い作品には仕上がっているが、映画としてはあまり評価できない。たとえ、違和感を感じる人がいるとしても、自分なりの解釈でもって、ばっさりと原作を切り取ってくれたほうが、潔く、面白いものになったのではないかと感じてしまう。

グロリア

Gloria
1980年,アメリカ,121分
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス
撮影:フレッド・シュラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ジーナ・ローランズ、バック・ヘンリー、ジョン・アダムス、ジュリー・カーメン

 マフィアによって惨殺された一家から男の子を託されたグロリアは、マフィアに狙われる子供を見捨てて逃げようとするが、徐々に少年との絆を深め……
 リュック・ベッソン監督の「レオン」の原型ともいえることで、再び脚光を浴びたカサヴェテス監督の代表作。ハードボイルドな女主人公グロリアを情感たっぷりに描いた味わい深い作品。少年役のジョン・アダムスも素晴らしい演技を見せている。

 「レオン」を見たとき、「あっこれは『グロリア』だ!」と思ったけれど、今、グロリアを見直してみると、「これはレオンとは違う」と思う。何が違うのか?
 物語の始まりはほとんど同じ。始めの部分での違い(そしてそれぞれに優れている点)は、レオンではゲーリー・オールドマンがいい味を出していること、グロリアでは電話越しの父と子の対話があること。
 「グロリア」は人間の物語だ。映画の全編に人間くささが漂う。登場人物のすべてが人間くさい。最後のほうのシーンでフィルのお金を両替するホテルのじいさんですら人間くさい。クローズアップで表情を捉え、登場人物それぞれの内面からにじみ出るものを捉え、説明せずにただ映す。単調で退屈にすら感じられる映像なのだけれど、なんだか胸騒ぎがする。特にグロリアとフィルの心理の移り変わりが、我々の感情を落ち着かなくさせ、感情移入を容易にさせるのだろう。
 「レオン」の場合はもっと安定している。レオンの感情は安定して和らいでいくのがわかる。グロリアのように激しく波打つのではなく、安定した上り坂。それはそれでリュック・ベッソンの世界であって、素晴らしいものであるのだけれど、カサヴェテスの壮絶な世界もまた素晴らしい。

ジャッキー・ブラウン

Jackie Brown 
1997年,アメリカ,155分
監督:クエンティン・タランティーノ
原作:エルモア・レナード
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
音楽:ジョセフ・ジュリアン・ゴンザレス
出演:パム・グリア、サミュエル・L・ジャクソン、ロバート・フォスター、ブリジット・フォンダ、マイケル・キートン、ロバート・デニーロ、クリス・タッカー

 クエンティン・タランティーノの監督としては第4作。銃の密売をするオーデルと、スチュワーデスのジャッキー・ブラウン、保釈屋のマックス、オーディールの仲間ルイスと個性的な登場人物たちが繰り広げる、一風変わったギャング映画。
 サミュエル・L・ジャクソンやロバート・デニーロといった大スターに囲まれながら、一歩も引けを取らない演技を見せているパム・グリアが素晴らしい。タランティーノの監督技術も相変わらず秀逸で、個人的には、「レザボア・ドックス」に次ぐ名作だと思う。舞台は現代(1995年)ながら、全体に漂う70年代っぽい雰囲気も、映画に見事にはまっていて、不思議な味を出していた。

 クエンティン・タランティーノの監督技術で最も優れているのは、時間の操り方であると思う。映画というのはあらゆる芸術の中で時間の行き来が最も簡単なメディアである。それは、すなわちそれだけ、時間の扱い方が難しいということでもある。並行する出来事をどのようにあつかうのか?クライマックスへの持っていき方を操作するにはどの時間を省けばいいのか?そのような問題を考えるのにこの映画は非常にいい例を示してくれる。
 ひとつは、ジャッキーが保釈され、家に帰った場面。スクリーンが二分割され、左側(だったと思う)に車の中のマックスが、右側に家の中のジャッキー(とオーディール)が映し出される。最後に、観衆はジャッキーがマックスの車の中から銃を持ち出していたことがわかるわけだが、これは、まさに同時進行しなくては、面白さが半減してしまう場面だ。そのことは、後の場面(映画のクライマックスになるモールでの現金受け渡しの場面)と比較すると明らかだ。ここでは、同じ時間帯に起こったことをジャッキー、ルイス、マックスとそれぞれの視点から順番に映し出してゆく。そのことによって、現金の行方と人の流れが徐々に明らかになっていくのだ。
 このふたつの手法はともに時間を操ることによって画面に緊張感を持たせることを可能にしている。モールの場面は特にそれがうまくいっている。なんと言っても、ジャッキーがモール内でレイを探し回る手持ちカメラでの長回し、そして画面から伝わってくるルイスのイライラや、マックスのドキドキ、これらの要素が観客を引き込み、どこにからくりが隠されているのかという興味を持続させる。
 タランティーノはストーリーテラーとして抜群の才能をもっていると思う。

底抜け艦隊

Sailor Beware
1951年,アメリカ,108分
監督:ハル・ウォーカー
原作:ケニヨン・ニコルソン、チャールズ・ロビンソン
脚本:ジェームズ・アラダイス、マーティン・ラッキン
撮影:ダニエル・L・ファップ
音楽:ジョセフ・J・リリー
出演:ディーン・マーティン、ジェリー・ルイス、コリンヌ・カルヴェ、マリオン・マーシャル、ジェームズ・ディーン

 ジェリー・ルイスの『底抜けシリーズ』(邦題でシリーズ化しているだけで、本当は別にシリーズものではないのだけど)の初期の一作。ディーン・マーティンとジェリー・ルイスは1950年代、ハリウッドコメディ界の名コンビ。
 この映画もまさに古きよき時代の一作という感じで、ジェリー・ルイスの多芸ぶりが目を引く。水兵たちの歌が妙に揃っていたり、不自然な設定がたくさん出てくるが、それもご愛嬌。
 メルヴィン(ジェリー・ルイス)のボクシングの対戦相手のセコンドにジェームス・ディーンが(クレジットされていないほどの)ちょい役で出ている。実はこれが映画デビュー作らしい。

マトリックス

The Matrix
1999年,アメリカ,136分
監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
撮影:ビル・ポープ
音楽:ドン・デイヴィス
出演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・アーヴィング

 コンピュータプログラマーのアンダーソンは、「ネオ」という名の凄腕のハッカーでもあった。Matrixの謎にとらわれた彼はコンピュータ画面上に現れた不思議な言葉に導かれ、有名なハッカー・トリニティに出会う。そしてさらに彼女に導かれ謎の男モーフィアスと出会うことになる。この謎に満ちた男との出会いは衝撃的な現実が明らかになるほんの始まりだった。
 見事はSFXと緊張感のある展開が後を引く。ウォシャウスキー兄弟は「バウンド」を観て好きになったけれど、この「マトリックス」もハリウッド大娯楽エンターテイメント作品としては非常に優秀だと思う。こういう映画は映画館で観るに限る!まだ、観たことがないなら、ビデオを見るより、やっているところを探して大スクリーンで観て欲しい。

 宣伝どおりSFXは見事だった。設定もそれほど奇異なものではないが、説得力があっていい。まず、最初にこの世界が現実ではないと知らせる前に、ネオ(この時点ではまだアンダーソンか)の口がふさがってしまったり、奇妙な機械の虫が出てきたりという展開の仕方は見事。本当に夢だったのかと一瞬だまされてしまった。デジタルな音響も非常に効果的で、劇場にいると本当に別世界に入り込んだような感覚があった。
 シナリオの話をすれば、たいがいが典型的なもので新みがないと言うことができる。内通者がいて味方が死んでいくとか、キスで死んだはずのネオが生き返るとか、使い古されてきたような展開が多々みられた。しかし、この映画の真価はシナリオにあるわけではないので、そのへんは目をつぶることができるだろう。逆に、預言者の存在、そしてその予言の矛盾と言う効果はなかなか観衆を欺くように計算されていてよかったと思う。
 本当に劇場で見てよかった。この映画をビデオで見てしまったらもったいない。でも、終わった後、劇場を出たら、ガードレールとか飛び越えてみたくなったり、建物から建物に飛び移ってみたりして危ないかも。 

 今回見たのは2回目だけれど、そうするといろいろなことに気づく。
 まず、観客に様々な謎を与える巧妙さ。2度目にみると、「マトリックス」が何なのかわかっていて、すべての現象に納得がいくのだけれど、初めて見る時点ではネオと同じくこの世界が現実ではないと知らない。その状態で、ネオ(この時点ではまだアンダーソンか)の口がふさがってしまったり、奇妙な機械の虫が出てきたりという不可解な展開を持ってくる。この展開の仕方は見事。「本当に夢だったのか、でもどこから?」という疑問が浮かぶのが必然。
 そして、シナリオにかなり説得力がある。キスで死んだはずのネオが生き返るところなんて、そんな古典的な…と言いたくなるが、それは逆に「死んだはず」の部分を覆しているのであって、非常に新しい方法であるのだろう。あるいは、預言者の存在、結局あの予言者は矛盾した解答を出したわけだが、予言者ですら絶対ではないという効果は常識的に映画を見ている観衆を欺くように計算されていてよかったと思う。

 あとは、ブルース・リーやジャッキー・チェーンの映画と同じで、映画を見終わった後しばらくは自分も出来るんじゃないかと思ってしまう感じが心地よかった。