青空娘

1957年,日本,89分
監督:増村保造
原作:源氏鶏太
脚本:白坂依志夫
撮影:高橋通夫
音楽:小杉太一郎
出演:若尾文子、菅原謙二、川崎敬三、信欣三、沢村貞子、ミヤコ蝶々

 田舎の高校を卒業した有子は東京に住む両親のもとへ引っ越すことが決まっていた。そんな時、一緒に暮らしていた祖母が急死。死の直前、東京の母は本当の母親ではないことを知らされる。憧れの先生の「いつでも青空を見て元気を出せ」という言葉に勇気付けられて、有子は気丈に東京での生活をスタートさせるのだが…
 増村保造が若尾文子とはじめて組んだ記念すべき作品。継母と娘というシンデレラの物語のアレンジだが、少しも悲惨さがない明るい作品にしあがっている。軽妙なテンポで映画は進みあっという間に終わってしまう勢いのある作品。

 とにかくテンポがいい。むしろ早過ぎるくらいにトントン拍子に物語は進み、一気呵成にセリフをしゃべる。セリフもカットもリズムに乗って、あれよあれよと進んで行く感じ。停滞するとか焦らせるということはまったくなく、軽快にして軽妙(あ、同じか)。
 しかし、それは必ずしも短いカットもつないでつないでというわけではなくて、長いカットも短いカットもいらないところはばっさり切る。その潔さがリズムを生む。まさにモダニズム、日本映画に付きまとう暗いイメージや静謐なイメージとはかけ離れたところで展開する映画。とにかく楽しい。楽しく笑って、わけのわからないうちに映画は終わる。素晴らしいですね。これは。
 しかも、40年前の映画とは思えないほどやさしい。すっと映画の中に入っていける感覚。これこそが映画の快感。こんな映画をスクリーンで見られる機会を逃してしまってはいけません。

甘い生活

La Dolce Vita
1959年,イタリア=フランス,185分
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ、ブルネッロ・ロンディ
撮影:オテッロ・マルテッリ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、アヌーク・エーメ、バーバラ・スティール、ナディア・グレイ

 雑誌記者マルチェロの見たイタリアの社交界、芸能界のエピソードをモザイク的に描いた3時間の大作。そのプロットはマルチェロと様々な女性との関係によって展開してゆくが、陰の主役とも言えるのはローマの街であり、ローマの姿を描くための作品であるといってもいいかもしれない。
 喧騒と頽廃の街ローマ、その街に田舎からやってきたマルチェロ。ローマ人然として振舞うマルチェロは年の頽廃の香りと田舎の純粋さとを併せ持った人間であり、その間で揺らぐ存在である。その揺らぎを象徴的に示す女性たちの中から彼は誰を選び、誰を捨て、誰に捨てられるのか? 

 マルチェロが主に関わる女性は、婚約者のエンマ、富豪の娘マッダレーナ、ハリウッド女優シルビア、それに加えてレストランの少女である。それぞれが象徴しているものを単純に示すことはできないが、空間的に解けば、エンマ=街、マッダレーナ=社交界、シルビア=芸能界、少女=田舎、あるいは時間的に解けば、エンマ=現状、マッダレーナまたはシルビア=別世界、少女=過去。
 つまり、これらの女性が示しているマルチェロの揺らぎというのは、現状のローマの街人としての生活から抜け出し、社交界あるいは芸能界に入り込見たいという気持ち、しかし現状あるいは過去の純粋さというものを捨てきれないという点にある。しかし、シルビアとマッダレーナには結果的に拒否され、社交界あるいは芸能界に入り込むことは成功しない。それでも、社交界の端っこに何とかとどまったマルチェロが、ローマの浜に打ち上げられた奇妙な魚を見、少女の呼ぶ声を振り切って去ってゆくラストシーンは何を象徴しているのか?

 あるいは、マルチェロの視点にとらわれず、観衆としてこの作品を見るならば、長々としたエピソードで語られるシルビアとのデート?や城でのパーティは貴族的な頽廃と非生産性を象徴しているに過ぎない。意味のない退屈な遊びを繰り返す人々の冗長な生活は魅力的であるよりむしろ不毛な朽ちつつあるもののように映った。そう考えるならば、ラストシーンの奇妙な魚(多分エイダと思う)こそがその社交界というものの暗喩として登場しているのであり、それは奇妙な魅力を放ちはするけれど、(エイだとすれば食べられないのだから)現実的な有用性にはかけ、かつ朽ちつつある滅び行くものであるという意味がこめられているのかもしれない。 

日本人の勲章

Bad Day at Black Rock
1955年,アメリカ,81分
監督:ジョン・スタージェス
原作:ハワード・ブレスリン
脚本:ミラード・カウフマン、ドン・マクガイア
撮影:ウィリアム・C・メラー
音楽:アンドレ・プレヴィン
出演:スペンサー・トレイシー、ロバート・ライアン、リー・マーヴィン、ディーン・ジャガー

 第二次世界大戦直後の西部を舞台としたサスペンス。大陸横断鉄道(多分)が4年ぶりに小さな街ブラック・ロックに停車する。電車から降り立ったマクフィーリーは住民に冷たくあしらわれる。最初は不審に思っただけだったが、目的であったアドビ・フラットに行くと、そこは……
 西部劇とヒッチコック風のサスペンスをミックスして、社会派の味わいを添えたスタージェスのハードボイルドな作品。なぜこんな邦題なのかは、映画を見ているうちに明らかに。 

 55年といえば、ヌーヴェル・バーグなどの新しい潮流が起こる直前の時期。アメリカではこんな不思議な映画が撮られていた。日本人移民に対する差別問題を告発するという貴重な試みをしていながら、全体に漂う雰囲気は西部劇、勧善懲悪の世界。差別問題を真っ向から扱うのをためらったのだろうか?それとも、プロットを組み立てる方法論として、このような典型的な方法しか取れなかったのだろうか?
 と、いうのも、このような勧善懲悪の方法をとってしまうと、悪人(=スミス)が日本人嫌いだから、日本人を殺した。(つまり、個人的な好みの問題)ということになってしまって、差別問題が隠蔽されてしまう恐れがあると思えるからだ。それでも、その点を指摘したというだけで意義のある映画だと思うが、結局この映画の見せ場は、片腕のスペンサー・トレイシーのかっこいい立ち回り(空手+合気道?)なんでしょうかね。
 娯楽としての映画と思想としての映画の狭間で苦悩する映画製作者の姿が垣間見えたような気がした一作。

リオ40度

Rio 40 Graus
1955年,ブラジル,100分
監督:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
原作:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
脚本:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
撮影:エリオ・シルヴァ
出演:グラウセ・ローシャ、ロベルト・バタリン、アナ・ベアトリス、モデスト・デ・ソウザ

 ブラジルの巨匠、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの初期の作品。リオデジャネイロを舞台に、町に住む様々なカリオカ(リオっ子)の休日を描く。
 物語はスラムに住む少年たちと若者たち、休暇で町に出てきた兵士、を中心に展開する。コパカバーナのビーチやサッカー場を舞台に、巻き起こる短い物語を互いに絡ませあいながらモザイク状に見せてゆく。
 1960年代にブラジルを中心にラテン・アメリカ全体に起こった「シネマ・ノーヴォ」に先鞭をつけるといわれるこの作品はヌーベル・ヴァーグの担い手アンドレ・バザンとフランスワ・トリュフォーに絶賛されたことで世界的な注目を集めた。 

 この作品は、漫然と見ていると、人間の描写も平板だし、今から見れば映像もいたって普通の映画だが、この映画が画期的な点は様々なエピソードが微妙な接点を持ってモザイク上に絡みあるという点である。
 このつくり方はモンタージュ理論に新たな意味を加える意味がある。あるいは、従来のモンタージュから因果関係を奪ったという意味がある。従来のモンタージュ理論というのは、一見飛んでいる場面と場面をつないでそこに自然なつながりを作り出すことだったが、ここでのモンタージュは因果関係のない場面をただつなぐだけ、しかし観衆はそこに、かすかなつながりを見いだす。このような手法は今ではありふれたものだけれど、この当時では画期的なものだったろう。
 わかりやすい例をあげれば、コパカバーナでナッツをだめにし、物乞いをする少年が他の場面で主人公となっている兵士からお金をもらうシーン。この少年周辺の物語とと兵士の物語はまったく因果関係は書いているのだれど、ここで二つの物語が一瞬出会うのだ。
 したがって、この物語は最終的に収縮することがない。一応婚約がまとまり、一日が終わることで、区切りはつけられるものの、プロットは散逸したままである。死んでしまったジョルジはほおっておかれたままだし、ダニエルの今後だってわからない。
 このようにプロットが散逸していく映画(つまり、すべてのものごとが一件落着大団円で終わらない映画)というのは比較的新しいものなのだ。このドス・サントスはゴダールやトリュフォーと並んで、そのようないわゆる「新しい映画」を生み出した先駆的な監督なのである。

忘れられた人々

Los Olvidados
1950年,メキシコ,81分
監督:ルイス・ブニュエル
脚本:ルイス・ブニュエル、ルイス・アルコリサ
撮影:ガブリエル・フィゲロア
音楽:ロドルフォ・ハルフター
出演:ロベルト・コボ、エステラ・インダ、アルフォンソ・メヒア

 ルイス・ブニュエル初期の代表作。メキシコシティのスラムに生きる少年を中心とした人々の暮らしを描く。貧しいゆえの不幸、精神の歪みを感情を押し殺して描き出すさまは見事。
 夢の描写、動的なカメラワークとブニュエルらしい映像美も味わえる。娯楽色の強いものが多いメキシコ時代の作品の中では異彩を放つシリアスな作品に仕上がっている。
 カンヌ映画祭監督賞受賞。 

 映像とセリフ以外のものをまったく使わずに、これだけ人の心理を表現するブニュエルの力量はさすがとしか言いようがない。特に、校長に信用され意気揚揚と出かけたペドロがハイボにつかまり、いらだたしさをつのらせてゆく辺りは、こちらまでもがこぶしを握り締めてしまうような見事な描写力である。
 ここに出てくる人々はみなが皆悪人ではなく、しかし貧しさのゆえに心を歪ませ、そのせいで自らの状況から抜け出せないという悪循環に陥っている。この設定はまさにブニュエル的といえる。人々の善の部分を信じ、社会の悪を告発する。そのようなブニュエルの信念が、作品全体から滲み出す。そして、救われない結末……
 観る側の精神の奥底に入り込んでくるような力のある映画だった。

幻影は市電に乗って旅をする

La Ilusion Viaja en Tranvia
1953年,メキシコ,83分
監督:ルイス・ブニュエル
脚本:マウリシオ・デ・ラ・セルナ、ルイス・ブニュエル、ルイス・アルコリサ、ホセ・レヴエルタス
撮影:ラウル・マルチネス・ソラレス
音楽:ルイス・ヘルナンデス・ブレトン
出演:ギリェルモ・ブラボ・ソーサ、リリア・ブラド、カルロス・ナバロ、フェルナンド・サト

 メキシコシティの市電局の車掌カレイレスと修理工タラハスは、担当していた133号の解体によって自分たちも解雇されるであろうことを知る。133号に別れを惜しむ彼らは酔っ払い、気づけば133号のところにきていた。彼らは勢いで133号に乗り込み、夜の町へと出発する。
 カレイレスとタラハスを中心としたやりとりがおかしく、カフカが喜劇を書いたならこんな風になっていたのではと思わせるコメディ。
 ルイス・ブニュエルのメキシコ時代の代表作のひとつ。

 帰りたいけど帰れない。そこに現れる乗客たちの多様性が暗示しているものは何なのだろうか?単なるコメディではなく、その乗客たちにブニュエルは何らかの意味を託したのだろう。社会(階層)・宗教・政治(共産主義)・アメリカなどを象徴的に示す人々が乗り込み、我々にじんわりと何かを訴えかけては下りてゆく。
 そして、全体がまた現実であるのか幻想であるのかもわからない構造。一貫して現実として描かれた入るのだけれど、それがどうして現実だとわかるのか?果たして133号は本当に町を走ったのか?カレイレスとタラハスの夢物語では?町の人々の見た幻影では?最後のナレーションを聞いてそんなことを考えた。

北北西に進路を取れ

North by Northwest 
1959年,アメリカ,137分
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーネスト・レーマン
撮影:ロバート・バークス
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メーソン、マーティン・ランドー

 ヒッチコックの名作のひとつ。やり手の広告マン・ソーンヒルはホテルのレストランでカプランという男に間違えられ、拉致される。そこで殺されかけたソーントンは事件に巻き込まれ、意思とは関係なくさまざまなことが身に降りかかってきてしまう。
 あらゆる映画の原型がここにある。サスペンス映画の原点ともいえる名作。ヒッチコックとしては「巻き込まれ型」サスペンスの集大成といった感じ。はらはら感もなかなかのものです。

 ヒッチコック作品の中でも非常に評価の高いこの作品はそれ以後の映画に大きな影響を与えたといえる。それは単純な技術的な問題から、エピソードのパターンにいたるまでさまざまだ。
 いろいろな映画で目にする「よくある」シーンというのがこの映画にはたくさん出てくる。列車で出会ったソーンヒルとイヴが互いによけようとしてぶつかる場面、ソーントンが窓から建物の壁伝いに逃げる場面、飛行機に襲われる場面、などなど、そのすべてがすべてこの映画がオリジナルというわけではないが、その中のいくつかは、この映画ではじめて使われ、それ以後よく使われるようになったシーンだということができるだろう。
 フィルムのつなぎや、カメラのズームイン・アウトなど少し粗いところも見られるが、それは技術的な質の問題であり、時代から考えて仕方のないことだろう。 

 イギリス時代から比べれば、画質、編集技術などあらゆる面で高度になっている。それはもちろんハリウッドの潤沢な予算、高度な技術を持つスタッフがいてのこと、そしてヒッチコックの経験もものをいう。ヒッチコックとしては、この映画は『逃走迷路』を始めとするイギリス時代から綿々と続く「巻き込まれ型」サスペンスのひとつの集大成という意味がある。だからこそ、これだけ完成された形の映画を作り、一つのスタイルを確立させたと言える。
 しかし、イギリス時代のものと比べてみると、いわゆるヒッチコックらしさというものは薄まり、ドキドキ感も薄められてしまっているような気もしないでもない。この映画にあるのは一つのハリウッドというシステムによるエンターテインメントとしての見世物的な面白さ、イギリス時代の荒削りな作品にあったのはヒッチコックが観客と勝負しているかのような緊迫感のある面白さ、その違いがある。
 だからこの映画はヒッチコックの面白さを伝えてくれるし、この映画によってヒッチコックの世界に引き込まれることは多いとは思うが、他の作品をどんどん見ていくにつれなんとなく物足りなさを感じるようになってしまう作品でもある。
 ヒッチコック自身もそれを感じたのか、この次の作品『サイコ』ではイギリス時代に回帰するかのように白黒の荒削りな映像を使い、派手な動きもなく、大きな仕掛けもない(飛行機も飛ばない)映画を作った。ヒッチコックが今も偉大であり続けられるのはそのあたりの自己管理というか、自分をプロデュースしていく能力に秘密があったかもしれない。

ピカソ-天才の秘密

Le Mystere Picasso 
1956年,フランス,78分
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、パブロ・ピカソ
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ジョルジュ・オーリック
出演:パブロ・ピカソ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、クロード・ルノワール

 パブロ・ピカソが絵を描く、筆の走りをスクリーンの裏側から取ったドキュメンタリー。徹頭徹尾ピカソの創作が映され、他のものは一切ない。天才の絵の描き方というのが以下に理解しがたいものかということが納得できてしまう秀作。
 名監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと名カメラマン:クロード・ルノワールもちょこっと画面に顔を出す。

底抜け艦隊

Sailor Beware
1951年,アメリカ,108分
監督:ハル・ウォーカー
原作:ケニヨン・ニコルソン、チャールズ・ロビンソン
脚本:ジェームズ・アラダイス、マーティン・ラッキン
撮影:ダニエル・L・ファップ
音楽:ジョセフ・J・リリー
出演:ディーン・マーティン、ジェリー・ルイス、コリンヌ・カルヴェ、マリオン・マーシャル、ジェームズ・ディーン

 ジェリー・ルイスの『底抜けシリーズ』(邦題でシリーズ化しているだけで、本当は別にシリーズものではないのだけど)の初期の一作。ディーン・マーティンとジェリー・ルイスは1950年代、ハリウッドコメディ界の名コンビ。
 この映画もまさに古きよき時代の一作という感じで、ジェリー・ルイスの多芸ぶりが目を引く。水兵たちの歌が妙に揃っていたり、不自然な設定がたくさん出てくるが、それもご愛嬌。
 メルヴィン(ジェリー・ルイス)のボクシングの対戦相手のセコンドにジェームス・ディーンが(クレジットされていないほどの)ちょい役で出ている。実はこれが映画デビュー作らしい。

波止場

On the Waterfront 
1954年,アメリカ,107分
監督:エリア・カザン
脚本:バッド・シュルバーグ
撮影:ボリス・カウフマン
音楽:レナード・バーンスタイン
出演:マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイント、リー・J・コッブ、ロッド・スタイガー

 ある波止場の沖仲仕の組合を牛耳る「やくざ」の親分ジョニーの指示で友達が殺されるのを目撃したボクサーくずれのテリーは、その妹イディが悲しむ姿に心動かされる。物語はテリーとジョニー(とその手下であるテリーの兄のチャーリー)との関係と、テリーとイディーの関係をめぐって展開される。
 徐々にイディーを愛し、ジョニーと対決してやろうと考えるようになっていくテリーを演じるマーロン・ブランドがとにかくかっこいい。白黒映画だが、その映像は素晴らしく、映像以外の効果も目を見張るものがある。

 エリア・カザンという先入観(*)から、どうしてもコミュニズムとの関係性をかぎだそうとしてしまう。組合という主題を扱い、組合員という大衆が私服を肥やす親分をやっつけるというストーリーは非常にマルクス主義的だ。あるいは、反ファシズム・反暴力(平和主義)的というべきかもしれない。それを象徴しているのは、親分にはむかったがために殺されてしまうテリーの鳩であり、無言でテリーの後押しをする沖仲士たちである。これは、密告してしまった仲間に対する罪滅ぼしなのだろうか?
 しかし、この映画の素晴らしさはその思想性にあるのではないだろう。マーロン・ブランドのかっこよさ。深みのある映像。さまざまな効果。たとえばたびたび登場し強い印象を残すスチールの階段。テリーとイディーの会話が汽笛にかき消される場面。そのように純粋な映画(映像芸術)としてのすばらしさがこの映画に時代性を乗り越えさせているものなのだと思う。
 * エリア・カザンは1950年代のマッカーシー旋風(赤狩り)に屈し、1952年に共産党と関係のあった演劇関係者の名を明かしたことから、「裏切り者」とされてきた。1998年にカザンにアカデミー名誉賞が送られたときにも、論議を呼んだ。