南東からきた男

Hombre Mirando al Sudeste 
1986年,アルゼンチン,107分
監督:エリセオ・スビエラ
脚本:エリセオ・スビエラ
撮影:リカルド・デ・アンヘリス
音楽:ペドロ・アスナール
出演:ウーゴ・ソト、ロレンツォ・クィンテロス、イレーネ・ベルネンゴ、クリスティーナ・スカラムッサ

 田舎の精神病院に勤めるデニスのところに突然現れた青年ランテースは、自分は宇宙船で地球にやってきたと主張する。そのこと意外はすべて正常な彼はいったい何のために精神病院にやってきたのか?アルゼンチン版『カッコーの巣の上で』とも言える作品。

 ランテースは果たして「キリスト」なのか?
 ランテースをキリストとし、デニスは自分をピラトゥに例えるが、それならば救われるべきローマの民は精神病院の患者たちということになる。果たしてそのような図式でこの映画は成り立ちうるのか?精神病院という閉ざされた世界でのみ語られる物語は、全的な救済の一部として描かれているのか?
 好意的にとれば、この物語はランテースによる救済の物語と考えることもできるが、救済されるべき(無知な)人々として精神病患者たちを取り上げるというのはどうにも落ち着きが悪い。しかもその患者たちはあくまで没個性的であって、非人間的である。それに対して、医師のデニスは内面も深く描かれ、人間的である。非人間的な患者たちが徐々にランテースに感化され、人間デニスの苦悩はいっそう深くなってゆくという構図はあまりに安直で納得がいかなかった。
 映像は非常に美しいのだけれど、その美しさまでもがなんだか作り物のように見えてきてしまって辛かった。

ドレミファ娘の血は騒ぐ

1985年,日本,80分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清、万田邦敏
撮影:瓜生敏彦
音楽:東京タワーズ、沢口晴美
出演:洞口依子、伊丹十三、麻生うさぎ、加藤賢宗

 黒沢清監督の「神田川淫乱戦争」に続く長編第2作。当初にっかつロマンポルノの一作として公開される予定だったが、試写を見たにっかつ側が「これはポルノではない」と拒否し、ディレカンとEPICソニーの出資で追加撮影、再編集が行われ、2年後に一般映画として公開されたという逸話を持つ作品。黒沢監督の一般映画デビュー作となった。
 物語は平山教授(伊丹十三)とアキ(洞口依子)を中心に展開されるが、物語らしい物語はなく、なんとも不条理な世界が展開する。  加藤賢宗の俳優デビュー作でもある。

 伊丹十三は「神田川淫乱戦争」を高く評価し、この映画への出演が実現した。その後も黒沢と伊丹の関係は続き、黒沢清は伊丹プロ製作の「スウィートホーム」の監督をするなどした。
 この映画はとにかく、破天荒で、以下にもデビュー作という感じがして面白い。同じくピンク映画で監督デビューした周防正行(「変体家族・兄貴の嫁さん」)と比較してみても面白いかもしれない。このふたりは同じ立教大学の出身で、年もほぼ同じ、同じ蓮実重彦の授業を受けていたらしい。蓮実重彦は周防監督の「変体家族~」を84年度のベストファイブに推し、当時お蔵入りとなっていた「女子大生・恥ずかしゼミナール」(この映画の原題)をみて、「変体家族~」と並べて評価している。
 カルトな映画ファンなら見逃せない作品かもしれない。

ジプシーのとき

Dom za vesanje 
1989年,ユーゴスラヴィア,126分
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:ゴラン・ブレイゴヴィク
出演:タボール・ドゥイモビッチ、ボラ・トドロビッチ、ルビカ・アゾビッチ、シノリッカ・トルポコヴァ

 本物のロマ(ジプシー)の生活を彼らの言葉であるロマーニ語で描いた傑作。祖母と放蕩ものの叔父と足の悪い妹との4人で暮らす少年パルハンの成長物語。美しい娘アズラとの恋、妹の病気、ヤクザものアメードなどさまざまな人事が絡み合い、パルハンを悩ませる。
 どのカットどのフレームを切り取っても美しい(というのは必ずしも正確ではない。むしろ、魅惑的とでも言うべきだろうか)映像が目を見張る。エミール・クストリッツァの詩的世界を心ゆくまで堪能できる。

 この映画の最大の魅力はその映像にある。すべてのカットすべてのフレームに詩情があふれ、絶妙の色使いが心に焼きつく。さりげない地面の緑や、建物の赤や黄色、人を映すときのフレームの切り方など、枚挙に暇がない。
 たとえば、冒頭の精神病らしい男、上は頭の上ぎりぎりで、下は腿の辺りで切ってあるが、このバランスがなんとも素晴らしい。男は風景の中に溶け込みながら大きな存在感を持つ。それから、最後のほうで、パルハン(主人公のほう)がタバコを吸う横顔のアップがあったが、これも、そのアップを画面の中央に置くのではなく、左端に配し、顔の4分の1ほどが切れるように映してある。残りの画面には白っぽい後ろの景色が少しピントをぼかして映っている。このバランスが素晴らしい。
 しかし、こんなことをくどくど説明したって、その素晴らしさの百分の一も伝わらないんだろうな。

ダウン・バイ・ロー

Down by Law
1986年,アメリカ=西ドイツ,107分
監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:ジョン・ルーリー
出演:トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、エレン・バーキン

 同じように仲間にはめられ、OPP刑務所で同じ房となったジャックとザックはいつとも知れぬ釈放の日を待ちわびていた。そこに不思議なイタリア人ロベルトが入ってくる。二人はロベルトに翻弄され、脱獄するはめに……
 ジャームッシュらしく淡々とした物語の中に奇妙なユーモアが混じり、独特の世界を作り出す。

 この映画の特徴は、映画のテンポが大きく動くということ。序盤、ジャックとザックがつかまる前はぽんぽんとテンポよくすすみ、刑務所に入ったとたん、時間の経過は単調になる。それはもちろん壁に刻まれた黒い線(正の字とは言わないだろうけど)に象徴的に表される。ただただ出所を待つだけの単調な毎日、そして再びそれがテンポアップするのはロベルトがやってくるところだ。彼の刑務所には似合わない破天荒な行動が再び時間に活気を与える。
 この、時間の経過のテンポの変化というのはジャームッシュ作品に特徴的なものだ。多くの場合は、そのテンポはカットの切り方や真っ白な画面(カットとカットのあいだに白い何もないカットをはさんで間をとる)でとられるのだが、このジャームッシュ独特のリズムの取り方というのがジャームッシュ作品に引き込まれてしまう最大の要因なのではないかとこの映画を見て思った。

グロリア

Gloria
1980年,アメリカ,121分
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス
撮影:フレッド・シュラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ジーナ・ローランズ、バック・ヘンリー、ジョン・アダムス、ジュリー・カーメン

 マフィアによって惨殺された一家から男の子を託されたグロリアは、マフィアに狙われる子供を見捨てて逃げようとするが、徐々に少年との絆を深め……
 リュック・ベッソン監督の「レオン」の原型ともいえることで、再び脚光を浴びたカサヴェテス監督の代表作。ハードボイルドな女主人公グロリアを情感たっぷりに描いた味わい深い作品。少年役のジョン・アダムスも素晴らしい演技を見せている。

 「レオン」を見たとき、「あっこれは『グロリア』だ!」と思ったけれど、今、グロリアを見直してみると、「これはレオンとは違う」と思う。何が違うのか?
 物語の始まりはほとんど同じ。始めの部分での違い(そしてそれぞれに優れている点)は、レオンではゲーリー・オールドマンがいい味を出していること、グロリアでは電話越しの父と子の対話があること。
 「グロリア」は人間の物語だ。映画の全編に人間くささが漂う。登場人物のすべてが人間くさい。最後のほうのシーンでフィルのお金を両替するホテルのじいさんですら人間くさい。クローズアップで表情を捉え、登場人物それぞれの内面からにじみ出るものを捉え、説明せずにただ映す。単調で退屈にすら感じられる映像なのだけれど、なんだか胸騒ぎがする。特にグロリアとフィルの心理の移り変わりが、我々の感情を落ち着かなくさせ、感情移入を容易にさせるのだろう。
 「レオン」の場合はもっと安定している。レオンの感情は安定して和らいでいくのがわかる。グロリアのように激しく波打つのではなく、安定した上り坂。それはそれでリュック・ベッソンの世界であって、素晴らしいものであるのだけれど、カサヴェテスの壮絶な世界もまた素晴らしい。

パリ・ストーリー

Paris Stories
1988年,フランス,72分
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク、デヴィッド・リンチ、アンジェイ・ワイダ、ルイジ・コメンチーニ、ジャン=リュック・ゴダール
出演:クロード・ジョス、ジャン・クレマン、ハリー・ディーン・スタントン、ピエール・ゴルチャン

 パリをテーマに5人の監督が撮った5本の短編を集めた作品集。『フィガロマガジン』の創刊10周年を記念して製作された。 

 1話目は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「フランス人とゴール人」。
ワインとラグビーというフランスを象徴する二つの対照的なものを取り上げ、ドキュメンタリー風に仕上げている。 

 2話目は、デビッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」。
アメリカのカウボーイたちの下に突然現れたフランス人をめぐる幻想譚。リンチ流の異文化交流物語。

 3話目は、アンジェイ・ワイダ監督の「プルースト、わが救い」。
第二次短戦中ソ連軍の捕虜となり生き残ったポーランド人画家ヨゼフ・チャプスキを描いたドキュメンタリー。淡々としているが自らもソ連軍の捕虜となっていたワイダ監督の思い入れが伝わる一作。

 4話目はルイジ・コメンチーニ監督の「アジャンを訪ねて」。
コメンチーニ監督自身の娘二人が、彼の育ったフランスのアジャン地方を旅する映画。少し作り物っぽさがあって難。

 5話目はジャン=リュック・ゴダール監督の「最後の言葉」。 
戦争中のドイツ将校によるフランス民間人の処刑事件を幻想的に描くゴダールらしい短編。現在とも過去ともつかぬ映像とバイオリンの音色が独特の世界を作り出している。

 この「パリ・ストーリー」の中の一作、デヴィッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」はなかなかの秀作だ。この作品はちょうど、「ツインピークス」のTVシリーズが始まる前年、「イレイザヘッド」や「ブルー・ヴェルヴェット」などのカルト的人気を誇った一連の作品を撮ったあとに撮られている。
 この作品は、明るい西部の農場を舞台にしたコミカルな物語であり、これ以前の作品とこれ以後の作品とのあいだに一線を画す秀作であると位置づけることができるかもしれない。西部にそぐわない白いブラウスに黒いスカートの瓜2つ(というか4つくらい)の女性たちは何なのか?最後に掲げたミニチュア自由の女神はいったい……
 などなど、リンチ的な謎がたくさん散りばめられていて楽しいものだった。耳の遠いカウボーイという設定も秀逸。

Barに灯りがともる頃

Che ora e 
1989年,イタリア,93分
監督:エットーレ・スコラ
脚本:ビアトリス・ラヴァリオリ、エットーレ・スコラ、シルヴィア・スコラ
撮影:ルチアーノ・トヴォリ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージ、アンヌ・パリロー

 名優、マルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージの競演。60代の父と30代の息子という微妙な関係を描いた佳作。
 物語は、弁護士の父(マストロヤンニ)が兵役についている息子(トロイージ)のところを尋ねた一日を描く。とにかく、このふたりの名優の演技は素晴らしい。マッシモ・トロイージの鼻、マストロヤンニの目。ありふれた一日があり、二人の男がいる。それ以上は何もなく、物語らしい物語もないが、しかしなんとなくハラハラさせられ、最後にはしみじみとしてしまう。
 とにかく、ふたりが会話しているだけで、映画が成り立ってしまうのもすごいと思わせる映画。