シー・オブ・ラブ

Sea of Love
1989年,アメリカ,113分
監督:ハロルド・ベッカー
脚本:リチャード・プライス
撮影:ロニー・テイラー
音楽:トレヴァー・ジョーンズ
出演:アル・パチーノ、エレン・バーキン、ジョン・グッドマン、マイケル・ルーカー、ウィリアム・ヒッキー

 ニューヨークの刑事フランク(アル・パチーノ)は勤続20年のベテラン。今回の事件は全裸の男がベットでうつぶせになり、後頭部を打ち抜かれているというもの。最初は簡単な事件と思ったが、他の部署の刑事シャーマン(ジョン・グッドマン)から同じような事件を追っているといわれ、事件は連続殺人事件へと発展してゆく。
 正統派のサスペンスにラブストーリーを絡めた映画。プロットもまあまあ、演出もまあまあ、ジョン・グッドマンはいい味だしてる。アル・パチーノもいい。エレン・バーキンもなかなか。つまり、キャスティングがいいということですね。 

 アル・パチーノはかっこいい。それでいい。という映画。相手役がジョン・グッドマンというのもいいバランス。映画を真面目・渋々一辺倒にしてしまわないところがいい。
 とはいえ、プロットにビックリとはいかない。映像も普通。演出でスリラーっぽくしたいという意図はわかるが、あまり怖くはない。
 アル・パチーノ好きは堪能できるでしょう。渋さ十分堪能。相変わらず「顔」でいい演技をしてます。
 キャストにサミュエル・L・ジャクソンがクレジットされています。最初の「ヤンキースで一網打尽作戦」のところで出ていたような気がします。 

スリーメン&ベイビー

Three Men and a Baby
1987年,アメリカ,103分
監督:レナード・ニモイ
原作:コリーヌ・セロー
脚本:ジェームズ・オア、ジム・クルークシャンク
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ
出演:トム・セレック、スティーヴ・グッテンバーグ、テッド・ダンソン、ナンシー・トラヴィス、セレステ・ホルム

 フランスで大ヒットした「赤ちゃんに乾杯!」をハリウッドでリメイク。共同生活をしていた三人の独身男の家の前にある日赤ん坊が置き去りに。誰の子供なのかもわからないまま、三人は手探りで子育てをするはめに…
 スター・トレックシリーズのミスター・スポックとして有名なレナード・ニモイのスター・トレックシリーズ以外では初の監督作品。ハリウッド得意の、ホロリと感動させるコメディなんて、見た目からは想像つかない映画を撮るものだ。
 映画の出来としては、シナリオがよくできているので、何も考えることなく楽しめる。10数年前の新鮮さはなくなったが、古さを感じさせることはない。ただ、全体的な浮かれた雰囲気が80年代を感じさせる。

 フランス映画をリメイクした上、続編まで作ってしまうハリウッドのしたたかさには感心させられてしまうが、ふたつともなかなかよくできた映画。レナード・ニモイの監督というのも話題性があったし、個人的には、ポリス・アカデミーシリーズで人気者になったスティーヴ・グッテンバーグの作品ということで注目したことを思い出す。スティーヴ・グッテンバーグはこの作品にほれ込んで、当時計画されていたポリス・アカデミー5の出演を断った(んだったと思いますが、いかんせん10数年前の記憶なもので)というほどこの作品に力をいれていたらしい。確かにこの3人を主人公に据えたのがこの映画の最大の成功の理由だと思う。3人ともがなんだかホモっぽく見えてしまうところもいい。
 といっても、やはりこの作品は元の「赤ちゃんに乾杯!」に負うところが大きいのだろう。「赤ちゃん」のほうを見ている方はわかると思いますが、ほとんど同じと言っていい。「プリシラ」と「三人のエンジェル」よりはるかにそっくり。いい発想は、もらってリメイク。これもハリウッドの常套手段。それで面白い映画ができるなら文句はないわけですがね。

ウンタマギルー

1989年,日本,120分
監督:高嶺剛
脚本:高嶺剛
撮影:田村正毅
音楽:上野耕路
出演:小林薫、戸川純、照屋林助、青山知可子、平良進

 沖縄のさとうきび農場で働くギルー(小林薫)は、農場の親方西原の娘マリーを抱く夢を見る。ギルーはマリーを毛遊び(沖縄独特の風習で、若い男女がいっしょに夜を明かして遊ぶ)に誘うが…
 沖縄土着の幻想的世界をマジックレアリズムのような手法をとって描いた作品。言葉はウチナーで、日本語の字幕がつけられる。沖縄の音楽もふんだんに盛り込まれている。
 立松和平の小説で同じ題名のものがあるが、この映画とは時代設定が異なる。もともとは沖縄に伝わる民話のようなものらしく、この映画も立松和平の小説も映画で劇中劇として演じられる舞台も、そのバリエーションであるといえるだろう。 

 この映画の構造は、映画(あるいは物語)の手法としてはそれほどなじみの薄いものではない。時のひとつのサイクルが閉じ、また同じサイクルが始まる、しかしそれはその前に起きたことのまったくの繰り返しではない。この映画のメインであるギルーの物語と最後に始まるサンラーの物語。この二つは繰り返す円環のそれぞれの環なのだろう。
 それは、ここで始まったのではなく、劇中劇で演じられる江戸時代にも起こった出来事なのである。その時その時にギルーが存在し、マリーが存在し、ミライカナイから神のような人々がやってくる。そのサイクルが螺旋構造のように繰り返されているのだろう。
 そう考えると、ラストシーンの爆発は何を意味していたのか。円環の重要な要素である親方とマリーとが爆発してしまったあのシーンは。その象徴的な意味を読み取るのは非常に困難だ。暗喩の集合としての映画表現の避けられない性質ではあるが、ラストシーンの暗喩に込められたメッセージを読み取ること、それが作者から我々に突きつけられた問いなのだろう。
 そして、あの爆発が本土復帰が決まった直後に起こったこと考えれば、それはウチナンチュ(琉球人)である作者から我々ヤマトンチュ(日本人)へと突きつけられた課題でもあるのかもしれない。 

ベルリン・天使の詩

Der Himmel Uber Berlin
1987年,西ドイツ=フランス,128分
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
撮影:アンリ・アルカン
音楽:ユルゲン・クニーパー
出演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、ピーター・フォーク

 ベルリンを舞台に天使たちの視点から世界を描く映像美にあふれた作品。天使たちの世界は白黒で、人々の考えていることが耳に飛び込んでくる。そして、彼らを見ることができるのは子供たちだけ。
 物語は一人の天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)とその親友カシエル(オットー・ザンダー)の視点から進んでゆく。ダミエルはこどもたちにふれ、永遠の霊の世界に嫌気がさし、人間になりたいと思い始める。これに対しカシエルは不幸な人々を癒すことに努める。
 二人の天使が見たセピア色の世界が美しい。各ショットのフレームの切り方、画面の隅々まで作りこまれた映像美が心に残る。 

 ヴィム・ヴェンダースといえば、映像の美しさが有名だが、この作品はその映像美のきわみ。各ショットショットのフレームの隅々までが計算し尽くされ、寸分の好きのない映像が流れつづける。たとえば、カシエルと老人がポツダムの町を歩くとき、背後の鉄橋の上を一人の男が歩いている画なんて、筆舌に尽くしがたい美しさだと思いますが。
 画の使い方という点では、天使のヴィジョンがモノクロで、人間になるとカラーというのも非常に効果的。さらに、天使のモノクロのヴィジョンも微妙に差があるというところが巧妙なところだろう。カシエルのヴィジョンは一貫して白と黒なのに、ダミエルのヴィジョンはセピア色だったり、微妙に色がついていたりする。
 このような画が作り出せるのは、画面の隅々まで作りこまれているからだろう。建物の壁や天井、小物にいたるまですべてをおろそかにしない精神。この精神はヴェンダースが小津安次郎から学んだものだろう。映画の最後に「すべてのかつて天使だった人たちにささげる、特に安次郎とフランソワに」と言及してもいた。

マリリンに逢いたい

1988年,日本,112分
監督:すずきじゅんいち
脚本:野沢尚
撮影:鈴木達夫
音楽:梅垣達志
出演:安田成美、加藤昌也、三浦友和、笑福亭鶴瓶

 阿嘉出身の青年大介(加藤昌也)は東京での生活をあきらめ、島に帰って民宿をはじめることにした。しかし、帰る直前ごみ捨て場に捨てられていた犬を見つけ、連れて帰ることに。
 沖縄の慶良間諸島のふたつの島、座間味島と阿嘉島、二匹の犬マリリンとしろ。沖縄の景色と兄弟の葛藤。様々な要素が盛り込まれているが、とにかく犬の演技がうまかった。全体的には、これぞ80年代という雰囲気の作品。 

 ストーリーは言わずもがな。環境映画っぽい沖縄のきれいな景色が長々と挿入されるのがわずらわしい。かといってストーリー展開は考えなくても予想できるし、演技も決してうまいとはいえないし、沖縄が舞台なのに、出てくる人はみんな中途半端な九州弁みたいのを話しているし、文句とつければきりがない。しかし、80年代後半というと、月並みですがバブルの時代、こんな映画がもてはやされた頃でした。リゾート地でロマンス、しがらみ、スキューバ、などなど。
 三浦友和と犬に救われていた。特に犬は、シロをはじめ、マリリン、本島の野良犬と芸達者な犬ばかり。犬に尽きるねこの映画は。

バチ当たり修道院の最期

Entre Tinieblass
1983年,スペイン,100分
監督:ペドロ・アルモドバル
脚本:ペドロ・アルモドバル
撮影:アンヘル・ルイス=フェルナンデス
音楽:カム・エスパーニャ
出演:クリスチーナ・サンチェス・パスカル、フリエタ・セラーノ、カルメン・サウラ、マリサ・パレデス

 麻薬で恋人を死なせてしまった歌手ヨランダは、以前もらった名詞を思い出して、それを頼りに「駆け込み寺」を訪ねてみる。しかし行ってみるとそこの修道院は財政難で閉鎖寸前、修道尼たちもわけのわからぬ人ばかり。
 5人のハチャメチャな尼僧たちの生活を淡々と映すアルモドバル監督のキッチュななコメディ。アルモドバル監督はこれが二作目だが、この作品を機に国際的評価を高めたといえる。確かにそれぞれの尼僧の個性がよくできていて、くだらなくもあり、しかし下品ではなく、不思議にバランスの取れた映画だった。 

 修道院にトラがいて、尼長はヤク中で、尼僧の一人は隠れて官能小説を書いていて、しかもベストセラー作家で、ホテルのような部屋があって、などなどと本当にハチャメチャな設定だが、これが必ずしも教会や修道院に対する皮肉ではなく(と信じたい)、純粋に笑いの要素として扱えているところがすごい。
 この映画から思い出されるのはやはり「天使にラブソングを」か。こちらも同じような設定のコメディだが、どちらかというと主役のウーピー・ゴールドバーグのキャラばかりが立っていて、周りの修道女たちがいまいちパンチに欠けるという感じがする。それと比べると、この映画は主人公のヨランダよりむしろ回りの修道女たちが笑いの中心で、それぞれが強烈なキャラクターを持っている。この辺がこの映画の不思議な魅力の秘密だろうか?

マルチニックの少年

Rue Casses Necres
1983年,フランス,106分
監督:ユーザン・パルシー
原作:ジョゼフ・ゾベル
脚本:ユーザン・パルシー
撮影:ドミニク・シュピュイ
音楽:マラボア
出演:ギャリー・カドナ、ダーリン・レジティム、ドゥタ・セック、ヘルベルト・ナップ

 カリブ海に浮かぶフランス領の島マルティニック、時は1930年、貧しい村に住む少年ジョゼの生活を描いた佳作。原作者ジョゼフ・ゾベルの自伝的作品をマルティニック出身の女流監督ユージン・パルシーが映画化。
 純粋に映画としても楽しめるが、マルティニックという土地の風土やカリブの黒人が抱えるネグリチュード(黒人性)の問題を考える際のわかりやすい教材にもなりうる作品。 

 この映画のポイントは、マルティニックという島の黒人の抱える問題である。フランスの植民地の島にアフリカから連れてこられた黒人たちがどのようなアイデンティティを持ちうるのかという問題。
 ひとつのありうる形はフォール市の劇場の切符売りの女性のように、黒人性を否定するもの。そのためには白人と結婚し、フランス語をしゃべり、フランス人になることが必要である。
 もうひとつはアフリカへと行く道。フランツ・ファノンのようなネグリチュードの思想家が盛んに唱えたアフリカへの回帰の道をたどるものである。これはメドゥーズによって暗示される道である。
 しかしこれらふたつがともに平坦な道ではないこともこの映画は語っている。第一の道は混血児であるレオポルドの挫折によって、第二の道はメドゥーズが決してアフリカへは帰れないことによって(彼はジョゼに「あっちには知り合いもいないし」と語る。これは彼らにとっての故郷アフリカはあくまでも観念的なものでしかないことを象徴している)、否定される。
 したがって、ジョゼは第三の道を歩み始める。それは白人になろうとするのでもなく、アフリカに帰ろうとするのでもなく、フランス語圏(フランコフォン)の黒人としての立場を確立すること。そのためにフランス語を習得し、フランス文化を学んで、本国に認められること。ジョゼはそのためにフォール・ド・フランスへと戻ってゆく。
 ルーツを失い、言葉を奪われた民族がたどるべき道は何のか?そんな深い問いかけを内包した作品である。

恋のじゃま者

Nothing in Common 
1986年,アメリカ,119分
監督:ゲイリー・マーシャル
脚本:リック・ボーデル、マイケル・プレミンジャー
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:パトリック・レナード
出演:トム・ハンクス、ジャッキー・グリーソン、エヴァ・マリー・セイント、ヘクター・エリゾンド、バリー・コービン

 シカゴの広告代理店に勤めるやり手の広告マン・デヴィッド(トム・ハンクス)。彼のもとにある日父親から電話があり、両親が別居したことがわかる。そしてしまいには父親が転がり込んできて、それまで順風満帆、女性関係も華やかだった彼の生活に暗雲が立ち込めてゆく……親子の関係を描いたハートフルコメディ。
 初期のトム・ハンクスの主演作は当たり外れが大きい。これは文句なしにはずれ。80年代アメリカの浮かれ気分をそのまま映画にしてしまったという映画。この頃はこんな映画が氾濫していたことを考えると、一見の価値はあるかも。

パラダイス・ビュー

1985年,日本,114分
監督:高峰剛
脚本:高峰剛
撮影:としおかたかお
音楽:細野晴臣
出演:小林薫、戸川純、細野晴臣、リリイ、辺土名茶美

 「沖縄映画」という発想としては、比較的早い時期のもの。沖縄のどこかの島の人々の生活を神話的世界と不思議な映像でつづった物語。沖縄のさまざまな風土が織り込まれ、それが生活に密着しているのだという主張が感じられる作品。
 細野晴臣が音楽を担当し、出演しているのがなんだか不思議だが、主要な三人以外は沖縄の役者を使っている。子役で出演している辺土名茶美は「DA PAMP」のISSAのお姉さん。 

 「琉球」ということを主張したいのもわかるし、実験的なものをつくりたいのもわかる。しかし、あまりに映画のプロットが複雑すぎて、ある特定の興味を持ってみている人でないと、興味を持ってみつづけることが困難な映画なのだろう。
 特に、頻繁に挿入されるストップモーションやネガの映像が、映画そのもののリズムを狂わせて(あるいはずらせて)いるために、全体が冗長なものに感じられてしまう。そのずらしによって何かを考えさせようというのだとしたら、その試みは成功していないと思う。
 2時間弱の映画なのに、かなり長く感じられたのはそのせいだろう。フレームの切り方や一つ一つのエピソードの作り方などは面白いので、飽きるというわけではないが、とにかく疲れる。
 細野晴臣の演技には苦笑。

告白

True Confession 
1981年,アメリカ,107分
監督:ウール・グロスバード
原作:J・G・ダン、ジョージ・ディディオン
脚本:ジョン・グレゴリ―・ダン
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル、チャールズ・ダーニング、バージェス・メレディス、エド・フランダース

 神父と刑事という兄弟が、年老いてから昔の思い出を回想する映画。二人がともにかかわりあった殺人事件から二人の運命は思わぬ方向に転がっていくことに。
 兄弟の心理的な葛藤を描いた心理サスペンス。言葉にならない心理を表現する名優二人の演技はさすが。 

 言葉のない「間」を使って緊張感を保ち、観衆を物語りに引き込んで行く方法は秀逸だが、名優二人の演技なくしては成功しなかったかもしれない。物語としては特に目新しいものもなく、警察や教会の腐敗というのもありがちな題材ではある。
 やはり、デ・ニーロとデュバルの演技ということに話は収斂してしまうが、二人の神や兄や弟や教会の利益や腐敗やさまざまなものに対する心理の揺れ動きもうまく表現されているという点がすばらしかった。