スナッチ

Snatch
2000年,アメリカ,102分
監督:ガイ・リッチー
脚本:ガイ・リッチー
撮影:ティム・モーリス=ジョーンズ
音楽:ジョン・マーフィ
出演:ブラッド・ピット、デニス・ファリナ、ベニチオ・デル・トロ、ヴィニー・ジョーンズ

 ベルギーの宝石業者から盗まれた86カラットのダイヤモンド、これを持ってロンドンに降り立ったフランキー、早速ニューヨークのボスに電話を入れるが、賭博好きのフランキーは罠にはまって監禁されてしまう。これを機にダイヤを巡って男達の汚いバトルが始まった。
 「ロック・ストック・トゥー・スモーキン・バレルズ」と同じく、イギリスを舞台にしたクライム・ムーヴィー。「ロック~」と同様脚本がよく練ってあり、映像も現代的。いかにも流行にイギリス映画という風情の作品。アメリカ映画だけど。

 結構面白いけれど、なんだか雰囲気が「ロック・ストック・トゥー・スモーキン・バレルズ」に似すぎ、その分、「ロック~」と比べるといまいちという部分が際立ってしまったという感じ。
 しかし、スタイリッシュな映像感覚と、入り組んだプロットの組み立て方はかなりのもの。やはりガイ・リッチーは並みの監督ではないということでしょう。ブラッド・ピットも大物俳優を袖にして切れ具合はピカイチ、かなりの存在感を発揮する。ブラピのおかげかどうなのか、「パンキー」たちの存在は個人的にはかなり好き。描き方がというよりはその存在の仕方自体が気に入ったという事で、映画そのものとはあまり関係ありませんが。
 ヨーロッパの監督がアメリカに行くと毒を抜かれがちですが、この作品もそんな感じがしなくもない。ガイ・リッチーはいい仕事をしていますが、いい仕事以上のことはしていない。もっと何かをぶち壊すパワーのようなものが感じられない。
 面白いことは面白い。でももっとすごいものを期待してしまう。そんな映画。そんな監督。次の作品は別の方向性に行くか、もっと突き抜けるかして欲しいところです。

 ところで、この映画、振り返ってみると女の人がほとんど出てきません。ブラピのあ母さんとノミ屋の店員さん以外はセリフのある人もいなかった気がする。気のせいかな? 

人狼

2000年,日本,98分
監督:沖浦啓之
原作:押井守
脚本:押井守
撮影:白井久雄
音楽:溝口肇
出演:藤本義勝、武藤寿美、木下浩之

 大きな戦争が終わり、10数年がたったころ、日本のような国の東京のような場所、自衛隊、自治警察、首都圏警察という3つの警察組織が存在していた。首都圏警察は甲冑に身を固めた特殊部隊。そんな武装化に対抗するかのように反政府勢力も先鋭化しゲリラ化していた。
 異なった歴史の道筋を描くという一つのSFのパターンをアニメ化した映画。いまやアニメにとどまらず、様々な活動を繰り広げる押井守が原作と脚本という作品。

 はっきり言ってSFとしては劣悪だ。ありえない過去を描くという発想はSFにとって無益だと思う。それが起こる可能性があったというだけのことで、物語を構築し、そこに何らかの教訓を見出せるほどわれわれは自己批判に積極的ではない。
 この物語自体は、押井守が「ケルベロス」などで描いてきた世界の延長にあるのだろうけれど、私はこういうディストピア(ユートピアの逆)的な世界観は気に入らない。ナレーションに頼る長い導入部というのも気に入らない。
 確かに映像としては、昔ながらの古風な平面アニメーションであるようで、光や透明感の出し方が非常に秀逸で、目を見張るものはある。特に光と影の表現は秀逸。画自体は非常に平面的なのに、光の強弱と影の作り方で奥行きを作り出しているところはかなりすごい。
 これだけいいアニメーション(映像という意味)を作りながら、どうしてこんな退屈な物語を作ってしまったのか、とかなりの疑問が湧いてくる作品。登場人物の無表情さもおそらくアニメのパターンを壊そうという演出なのだろうけれど、それによって人物の深みが奪われてしまっているような気がする。
 やはり、こういうアニメーションを見ていると、アニメはマニアのものというところから脱しきれていないような気がしてくる。マニア向けということもないのだろうけれど、アニメをアニメとして気構えて見ないと、この世界にはのめりこめないと思う。

ロスト・ソウルズ

Lost Souls
2000年,アメリカ,98分
監督:ヤヌス・カミンスキー
脚本:ピアーズ・ガードナー
撮影:マウロ・フィオーレ
出演:ウィノナ・ライダー、ベン・チャップリン、ジョン・ハート、フィリップ・ベイカー・ホール

 教会の施設で暮らすアンは助手として神父の悪魔払いの儀式についていく。彼女も以前、悪魔払いをされて経験があった。その悪魔払いの場から持ち出した暗号文を解くアンはそこに隠された「ケルソン」という名前に気がつく。
 ウィノナ・ライダー主演のオカルト・ホラー。監督のヤヌス・カミンスキーはスピルバーグ作品のカメラマンとして活躍してきたカメラマンで、監督はこの作品がはじめて。プロデューサーにはメグ・ライアンも名を連ねるという不思議な作品。

 まったく期待せずに見た割には、なかなかいい作品。しかしかなり地味なのでオカルトファンやホラーファンはうけつけないでしょう。そして、あくまでオカルト映画なので、普通の映画好きはうけつけないでしょう。
 という事なので、ヒットする要因もなく、あまり面白いという人もいないだろうと予想される作品ですが、私は「なかなか」と思いました。
 それはなぜか? なんといっても物語がありきたりであり、意外性がない。これはホラー映画にとって致命的であるように見えますが、実際のところホラー映画の眼目は謎解きにはない。こういうと乱暴ですが、ホラー映画は怖ければいい。それがこの映画の眼目であるわけです。しかしさらにこの映画の凄いところは怖くない。というところ。ストーリーに意外性もなく、怖くもないホラー映画っていったい…
 と書くと「なかなか」というのが皮肉に聞こえてきますが、そうではなくて、この映画はある意味で見る側の裏をかいている。当然予想されるべき意外な展開や恐怖という期待を裏切る凄さ。にもかかわらず物語り展開とかかわりのないところで単純に観客を「驚かせる」。怖がらせるのではなくて驚かせる。
 これは凄いんじゃないの… とふっと思ったりしたわけです。
 かなり説得力がないと思うので、もうひとついい点を上げればやはりそれは映像。この映画はシネスコですが、オカルト映画なので画面の大半が暗く、画面の一部が殺されている映像が多いのです。これが構図として面白い場合がたまにあります。

DISTANCE

2000年,日本,132分
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
出演:ARATA、伊勢谷友介、寺島進、夏川結衣、浅野忠信

 カルト教団が水道水にウィルスを混ぜ、多数の被害者を出す事件がおきてから3年。3年目のその日、年齢も職業もばらばらな4人が事件の起きた貯水池へと向かう。彼らは事件を起こした後死んでしまった加害者の遺族達。彼はそこで元信者に出会った。
 監督3作目にしてすでに評価の定着した是枝監督は、淡々とした中に複雑な思いを織り込んだ物語をつむぐ。この映画もそんな味わいの作品。
 「グループ魂」でおなじみ大人計画の村杉さんも出演。

 いくつかのテレビドキュメンタリーを手がけてきた是枝監督ならではのドキュメンタリー要素を取り込んだ作品。カメラマンもTVドキュメンタリーで有名な山崎裕を「ワンダフル・ライフ」に続いて起用。手持ちカメラの映像がドキュメンタリーらしさをさらに演出する。
 私はいつも最近のいわゆる「ドキュメンタリータッチ」を毛嫌いしていますが、この作品は違う。ドキュメンタリーとフィクションの違いとわれわれが思う一番多い要素はドキュメンタリーの予測不可能性で、シナリオがないドキュメンタリーでは計算どうりに映像を作り上げることはできないということである。いわゆるドキュメンタリータッチのフィクションの多くはその予測不可能性を演出によって作り出そうとすることでそこに幾らかの「うそ臭さ」が漂ってしまう。
 この映画は脚本の時点で細かいセリフやカメラ割の指定を排除することで、予測不可能性を作り出す。つまりカメラを回し始めるとき、そこで何が起こるのかの予測が不可能であるわけだ。もちろん、設定や人物の位置や動くタイミングなどは決められているし、うまく取れなければ取り直しをするということだろうが、ここで実現されるのは意外性のある映像である。
 監督の頭の中で作品が組み立てられ、その要素をとっていくという典型的なフィクションの手法はここでは取られない。ある種の意外性が監督の頭の中のイメージに付加されていくことで映画自体に様々な価値が加わってくる。これは是枝監督がドキュメンタリーとフィクションを融合させるということを実現させつつあることの証明なのかもしれない。
 前もってドキュメンタリーであるかフィクションであるかを告げられない限り、単純に見ただけではその区別をつけることは難しい場合がある。つまりフィクションとドキュメンタリーの間には映画としての絶対的区別は存在しない。そのそもそも存在しないはずの区別によって意味もなく分類されているドキュメンタリーとフィクションというの境界を消滅させつつあるのがこの映画なのかもしれない。

X-MEN

X-men
2000年,アメリカ,104分
監督:ブライアン・シンガー
脚本:クリストファー・マッカリー、ジョス・ウェドン
撮影:トム・シーゲル
音楽:マイケル・ケイメン
出演:パトリック・スチュワート、イアン・マッケラン、ファムケ・ヤンセン、ジェームズ・マースデン、アンナ・パキン

 第2次大戦中のポーランド、鉄の門を念力で曲げるユダヤ人少年がいた。時は下って、世界中に相当の数のミュータントが存在するようになった世の中、アメリカ上院は、ミュータントの脅威を払拭すべく、ミュータントの登録制度を法制化しようとしていた…
 アメリカの大人気コミックの映画化。もともとのコミックが面白いので、見応えは十分。CGもかなりの頑張り。子供の心で見てあげましょう。

 なんだか、世間的には賛否両論、しかし否の方が多いかな、というくらいの評判ですが、こいつはいいよ。何にも考えていなくて。本当のところ、人種差別がどうとかいう話なんだろうけれど、そんなことはどうでもよく、ただただ闘うミュータント。それがいい。そのほうが逆にその背景にある問題もふっと心にとどまることもあるような気もする。
 何かがすごいというわけでもないけれど、設定としてなんでもありという状況は逆に映画として作りにくい。全知全能の神がいたら、すべては解決してしまって映画として面白くないわけです。だからミュータントも何でもできたら困るので、設定としてそういうスーパーマンなミュータントは出てこない。みんな何か一点だけにすぐれている。そのあたりの設定勝ちというところでしょう。まあ、これはコミックでの蓄積がものを言ったというところですが、それをうまく映画に載せたブライアン・シンガーの腕前もなかなかかも。
 ということで、何はともあれ次が見たい。絶対に2ができると思いますが公開されたら見に行くでしょう。きっと、次のほうが面白そうだし… と思ってしまうのはなぜなのか?

 それにしてもやはり、アメリカのコミックもので、子供とか若者向けに作られているこういう作品はちょっとちゃちい。ミュータントの設定事態はいいんだけれど、全体的なつじつまとか、心理的な動きとか、そういったものがあまりに単純で、世界を単純に割り切りすぎている気がしてしまう。子供には複雑な心理の動きなんか和歌欄だろうという発想で作っているのだろうけれど、ひねた見方をする大人より、むしろ子供にこそ複雑なものを見せなきゃいけないと私は思います。できれば、複雑に作られているんだけれど、単純に見えるもの。そのようなものがいいと思います。

 で、2はやはりできていて、まだ見に行っていませんが、映画館に行くほどではないような気もしてきました。2本立てになったら見に行こうかな…

リトル・ダンサー

Billy Elliot
2000年,イギリス,111分
監督:スティーヴン・ダルドリー
脚本:リー・ホール
撮影:ブライアン・テュファーノ
音楽:スティーヴン・ウォーベック
出演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲイリー・ルイス、ジェレミー・ドレイヴン

 1984年、イギリス。ストに荒れる炭鉱町に住む11歳のビリーは、父親にいわれ、ボクシング教室に通っていたが、ボクシングはてんでだめ。そんなある日、ボクシング教室の隣で練習をしていたバレー教室のレッスンにひょんなことから参加する。徐々にバレーに熱中し始めるビリーだったが…
 監督のスティーヴン・ダルドリーはこれがデビュー作。主演のジェイミー・ベルもオーディションで選び抜かれた新人と初めてずくめだが、かなりしっかりした作品に仕上がっている。

 この監督はかなり構図に対する意識が高そうな感じ。ピントを絞って、アウト・オブ・フォーカスにいろいろなものを配置する。人であったり、ヨットであったり、犬であったり、サンドバックであったり。これらのものがとても構図にとって効果的。一番印象に残っているのは、ビリーが悔しさを爆発させながら坂を駆け上がっていくシーンで、背後の海にヨットが浮かんでいるところ。このヨットがなかったら、構図は台無し。このヨットはわざわざ浮かべさせたのだろうか、と考えてしまう。もしそうだとしたら、小津なみの作りこみさ加減。偶然だとしたら、非常にいい嗅覚を持っているということでしょう。
 他のところでもものの配置が非常に巧妙で、ボクシングジムでバレーをするというアンバランスさがすべてを物語っているという感じ。ボクシング用具に囲まれてリングの上でバレーをするというのはかなり面白い。それにカメラの動かし方もなかなか面白くて、ちょっとミュージックビデオのような雰囲気の上下の動きが印象的。石(レンガ)に囲まれたトイレの場面などは秀逸です。
 などと映像ばかりに拘泥してしまうのですが、物語としては、かなりオーソドックスではあるものの、80年代という時代背景があってこそ可能なものという感じがしました。今でもイギリスの田舎町はあんなもの(偏見?)とは思いますが、現在だとしたらジェンダー的に問題がるかも… というくらい。
 とても「よい」映画でした。誰もが楽しめる、ロングランになる理由もわかる。

 ということですが、そうですねやはり、画面に対する意識の高さというのを非常に感じます。映画のつくりとしてはハリウッドというかアメリカっぽいのですが、テンポはヨーロッパ的にゆっくりで、一つ一つの画面をしっかりと見せる。町並みを写すときの構図やバレエ教室の壁の色、とたんの壁のさび加減。それらを背景として流してしまうのではなく、ひとつの画として見せる。そのあたりにこだわるのは、やはりこの映画がバレエという視覚的な芸術を扱っていることともかかわりがあるのでしょう。バレエをテーマにしていながら、画面がとっ散らかっていてアクションみたいなつくりだったらどうにも説得力がない。
 やはりこの映画はいい映画だと思います。学校の教材にしてもいいんじゃないかね。子供にはこういう映画を見せなきゃね。と思わせる文部省推薦的な映画。実際の文部省推薦映画はくそつまらないものが多いですが。
 画面に限らず、音に対しても非常に意識的。画面とサウンドトラックのリズムを合わせることに非常に意識的だと思います。映画全体がひとつのダンスになるように作っているんでしょうね。必ずしもすべてにおいて成功しているわけではありませんが、少なくともそのような姿勢は感じられます。

ショコラ

Chocolate
2000年,アメリカ,121分
監督:ラッセ・ハルストロム
原作:ジョアン・ハリス
脚本:ロバート・ネルソン・ジェイコブス
撮影:ロジャー・プラット
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ジュリエット・ビノシュ、ヴィクトワール・ティヴィソル、ジョニー・デップ、レナ・オリン、ジュディ・デンチ、キャリー=アン・モス

 フランスの山間のとある村、古くからの伝統に根付き、厳しいしきたりの中で人々が暮らす村。そこにやってきた母娘は、断食期間中にチョコレートショップを開く。チョコレートは村人たちをひきつけるが、しきたりと尊重のレノ伯爵がそれを阻止する。
 ラッセ・ハルストロムはやはりこういうやさしいお話しを撮る。ちょっとファンタジックで、気持ちひねりの聞いた心地よい映画。

 全体としてはとても普通です。物語はすごくうまく出来ていて、ゆったりとしていながら先の展開へスムーズにつながり、なぞとして残っていたものを解き明かしてゆく。おじいちゃんのお話しというのもそうだし、誰ともわからないナレーションもそうだし、陶器の入れ物が「おかあさん」であるというのもそう。
 そんな素直な物語にアクセントとなっているのは、クロースアップの映像で、特にチョコレートと口元のクロースアップは、やはりチョコレートの映画であるだけに非常に効果的で、かつすごくおいしそう。見終わってチョコレートが食べたくなってしまうのはいたし方がないところ。後は、ジプシー調の音楽もリズムを加えるという点ではいいでしょう。
 ということですが、つまりは中の上ということですか。押しなべて並以上。ハルストロムの映画はおしなべてそうですが、この作品もそういう感じです。ただ、女優陣の演技はすごくいい。ジュディ・デンチがうまいのは当たり前ですが、ジュリエット・ビノシュってこんなにうまかったかしら? アカデミー賞にもノミネートされるわけね。

団地妻 不倫でラブラブ

2000年,日本,68分
監督:サトウトシキ
脚本:小林政広
撮影:広中康人
音楽:山田勲生
出演:林由美香、横浜ゆき、伊藤猛、本田菊雄

 団地の隣同士に住む二組の夫婦。ある朝、両方の家の妻がいなくなり、途方にくれる二人の夫。実は一方の家の夫が隣の夫に片思いをしていることを知った妻がそれに腹を立て、隣の妻と連れ立って温泉旅行に出かけることにしたのだった。温泉に行った二人と残された二人は果たして…
 監督はピンク映画四天王の1人サトウトシキ。音楽は青山真治作品でもお馴染みの山田勲生。かなり不思議な可笑しさ漂う映像もなかなか。

 まあ、妻同士・夫同士が結ばれるという展開のひねり方はそれほど目新しいものではなく、プロットとしてはむしろ、温泉旅館で出会うカップル(アベックって言ってた。映画の中では)のわけのわからなさのほうが面白みがあった。 台詞回しの棒読みさ加減はピンク映画にしても棒読みすぎというところで、「狙いかな」と思わせるものがある。それは映像もひっくるめてわざとらしさがかもし出すおかしさを演出するのに一役買っている。
 その映像はというと、稚拙というか安っぽい部分は多いものの、瞬間の不思議なおかしみというのを引き出すのがうまいとは感じた。男が2人裸で座っているだけでなんとなく可笑しい映像になるというところや、ピンポイントで入る脈略のわからない映像(服のまま平泳ぎとか、のどかな温泉街の朝の風景とか)がいい。
 話の展開としてはもう少し曖昧に終わったほうが面白かったとは思いますが、まっいいか、という感じです。一般映画としても十分見るに耐える感じ。かな。

僕たちのアナ・バナナ

Keeping the Faith
2000年,アメリカ,129分
監督:エドワード・ノートン
脚本:スチュアート・ブルムバーグ
撮影:アナスタス・N・ミコス
音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ベン・スティラー、エドワード・ノートン、ジェナ・エルフマン、アン・バンクロフト、ミロシュ・フォアマン

 飲んだくれて酔っ払い、一見のバーにたどり着いたひとりの男。男は実は神父だった。おもむろに彼が語りだした身の上話は、幼馴染の男2人・女1人の物語だった。
 「ファイト・クラブ」などで売れっ子になった俳優エドワード・ノートンの初監督作品。映画自体はわかりやすいラブ・コメというところだが、なかなかひねりが聞いていて見がいはある映画に仕上がっている。と思うけど、気に入らない人もいると思う。

 さらっと見ると普通のラブ・コメ。しかし、実のところかなり微妙な作品。かなりの部分は陳腐な作りなのだけれど、ひとくちに陳腐といってしまっていいのかという気もするところ。
 いきなり、ポケットからスキットボトルを取り出しあおる。しかもシルエット。そして千鳥足、通行人とぶつかりごみ溜めに倒れこむ。ここまであほのように分かりやすくありきたりに自棄酒を飲んだ酔っ払いを描いてしまう。のっけから鼻白い感じがするが、どこかで「狙い?」という疑問がちらりと横切る。
 しかし、その酔っ払いが神父で、その友達がレヴァイという設定に出会って脚本への期待が膨らむ。それから、2人の少年が十字を切るシーンに出くわし、「このギャグのセンスはなかなかどうして」と思ったりする。
 しかししかし、この映画はかたくなに陳腐。型にはまったキャラクター達が型どおりの行動をし、それをオーソドックスにとりつづける。「レインマン」のような映画ネタがたくさんでてくるところを見て、結局のところ映画好きがついつい自分でも撮ってしまった映画なのね… と思う。
 しかし、この陳腐さ・この外し方が狙いなのだとしたらすごいのかもしれない。本当はすごく才能がある監督なのかもしれない。陳腐陳腐と思っていながら、ついつい感動してしまったし…
 次回作を期待しないで待つことにします。