ハート・オブ・ウーマン

What Woman Want
2000年,アメリカ,127分
監督:ナンシー・マイヤーズ
脚本:ジョルジュ・ゴールドスミス、キャシー・ユスパ
撮影:ディーン・カンディ
音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:メル・ギブソン、ヘレン・ハント、マリサ・トメイ、アシュレイ・ジョンソン、ベット・ミドラー

 大手広告代理店に勤めるニックは「男」抜けの広告で数々のヒットを飛ばしてきた広告マン。私生活ではバツイチで娘もいるけれど、女をたらしこむのは大の得意。そんな彼のところにライバル会社から引き抜かれたダーシーがやってきた。彼女の打ち出した「女性路線」に困惑する彼だったが、ある事故をきっかけに女性の考えが聞こえるようになってしまい…
 「花嫁のパパ」などのコメディーライターとして活躍するナンシー・マイヤーズの監督第2作。メル・ギブソンファンなら見て損はなし。マリサ・トメイやベット・ミドラーといった渋いキャスティングもなかなか。

 すべてが並、というか普通、というか可もなく不可もなくというか、設定としてもそれほどものめずらしいものでもないし、映像にこっているわけでもない。面白くないわけじゃないけれど、特に面白いわけでもない。
 秀逸だったといえるのは、何度かあったプロットとは余り関係ないロングショット。街中のメル・ギブソンを俯瞰で撮った画や、バルコニーから火花が飛び散るところを取った画。すべてがオーソドックスな中に不意にはさまれるイレギュラーな感じが印象的。
 監督さんは女性ですが、この男が見るとうらやましいような気恥ずかしいような内容をどんな思いで撮ったのかしらなどと思ったりする。

トラフィック

Traffic
2000年,アメリカ,148分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
原作:サイモン・ムーア
脚本:スティーヴン・ガガン
撮影:ピーター・アンドリュース
音楽:クリフ・マルティネス
出演:マイケル・ダグラス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ドン・チードル、ベニチオ・デル・トロ、ルイス・ガスマン、デニス・クエイド

 メキシコ、たれこみ情報によって麻薬の密売を阻止した警察官ハビエル。ワシントン、新しく麻薬取締りの責任者となった判事のウェイクフィールド。サン・ディエゴ、息子をプロゴルファーにしようと話す上流階級の婦人ヘレナ。シンシナティ、友達とドラッグをやるウェイクフィールドの娘キャロライン。これらの人々が中心となって、麻薬を巡る複雑なドラマが織りなされる。
 今乗りに乗っているソダーバーグが監督をし、カメラも持った野心作。役者を生かすのがうまいソダーバーグらしく主役といえる役割を演じる人々の誰もが魅力的。特にアカデミー助演男優賞を獲得したベニチオ・デル・トロとドン・チードルがいい。

 最近、全体にブルーがかった映像を使うというのをよく見ますが、この映画もそれを使っています。まずそのブルーがかった映像が出てきて、そのあと普通の色になって、それから黄色がかった粗い映像になる。黄色がかった粗い映像がメキシコのシーンであることは明らかなものの、ブルーの部分はワシントンで使われていたという印象でしかない。ブルーノ部分よりむしろ、メキシコの場面が映像が特異でしかも、スペイン語をそのまま使ったというところでなかなか面白い。
 しかし、自らカメラを握ったソダーバーグ(ピーター・アンドリュースは偽名。アカデミーの規則化何かで監督と撮影を両方やるとなんだかまずいらしい)のこだわりはむしろ手持ちにあるのでしょう。この映画はほとんどが手持ち。普通の会話のシーンなどでも手持ち。ドキュメンタリーっぽさをだすためには手持ちが一番ということなのか、それともただ好きなだけなのか…
 などなど映像的な工夫も見られる作品ではありますが、結局のところソダーバーグの真骨頂は役者の使い方。それは「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツを見ればわかるとおり。この作品でもマイケル・ダグラス、ベニチオ・デル・トロなど、(私としては)なんとなくパッとしない印象の役者を見事に使っている。そのあたりがすごい。なぜそうなるのかはわかりません。しかし、ソダーバーグの映画は結局のところ役者の映画になってしまうということ。個人的にはそういう監督は非常に好みです。

スクリーム3

Scream 3
2000年,アメリカ,117分
監督:ウェス・クレイヴン
脚本:アーレン・クルーガー
撮影:ピーター・デミング
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ネイヴ・キャンベル、デヴィッド・アークエット、コートニー・コックス・アークエット、パトリック・デンプシー

 実際にあった殺人事件に基づいた映画「スタブ3」の撮影中、出演者が次々と殺されていった。映画では犯人役を演じるシドニーは死の恐怖におびえる。果たして犯人は誰なのか…
 スクリーム・シリーズの3作目。相変わらずユーモアありで、それほど怖くないところがこの映画のすごいところ。犯人を当てるのがこのシリーズの楽しみでもある。

 やはりやはり、どんどんパワーダウンしていくシリーズもの。重要そうな人物がどんどん殺されていってしまうところはいいけれど、結局のところ怖くないのが難点。あっさり殺しすぎなのか?
 それに、犯人が地味すぎ。犯行の動機もかなり無理やり。というわけで、謎が解かれてもあまりすっきりしないというのは、簡潔さだけがとりえのスクリーム・シリーズとしては致命的かもしれない。
 今回で完結ということらしいけれど、これで終わっていいのか! という気もしないでもない。しかし、だいぶ死んでしまったから次の作品を作るとなるとまた新しい人をたくさん登場させないとね。

ザ・セル

The Cell
2000年,アメリカ,107分
監督:ターセム・シン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ
撮影:ポール・ローファー
音楽:ハワード・ショア
出演:ジェニファー・ロペス、ヴィンセント・ドノフリオ、ヴィンス・ヴォーン、マリアンヌ・ジャン=バプティスト

 シカゴ郊外のキャンベル・センター、意識不明の少年の脳に入り込み少年を治療しようと奮闘する女性キャサリン。一方、女性を強姦し漂白して遺棄する連続殺人事件を追うFBI、そしてその犯人。犯人は意外とたやすくFBIに追い込まれ捕まるが、病気の発作で意識を失っていた…
 ミュージックビデオ出身の監督ターセム・シンの初監督作品。驚異的な映像で見るものを圧倒するSF・サイコ・ホラー。クローネンバーグとか好きで、サイコ系もドンと来いという人ならば、ツボに入る可能性大。こういう映画は大画面・大音響で見ないとね。

 音楽がハワード・ショア(「イグジステンズ」「セブン」)ということで、わかりやすくショッキングな音作りがされていました。しかし、それはそれでかなり心理的な緊迫感を与えるのに役立っていて、大音響下ではかなりびくびくしながら見ざるを得ないという感じ。そして、内部空間がそれ自体で怖いものとして作られており、さらにジュリアのところでのスリル(これはたいしたものではないけれど)もあり、スリラーとしてはなかなかのもの。
 映像も予告でおなじみ馬の輪切りなど、見るべきところはまああって、カメラの動かし方もいかにもスリラーっぽくてよい。最も顕著なのはカットのつなぎに急速なパン移動を入れるというようなところ。こういうつなぎを見ると、「あ、これはサイコ系ね」と納得出来る。
 というわけで、どこをとってもサイコスリラー。そのほかの要素はどこかに飛んで行ってしまった感じ。ストーリーとか、SF的な部分の細部とかそんなものはどうでもよくて、「とりあえず、怖がらせよーぜ」みたいなスタンスが開き直っていて好感が持てました。

ギプス

2000年,日本,82分
監督:塩田明彦
脚本:堀内玲奈、塩田明彦
撮影:鈴木一博
音楽:ゲイリー芦屋
出演:佐伯日菜子、尾野真千子、山中聡、津田寛治

 アルバイトをしながら平凡な生活を送る和子はある日家の近くでギプスをし、松葉杖をついて歩く美しい女とであった。その女・環になぜか鍵を貰った和子は徐々にその環の魅力にとり憑かれて行く…
 塩田明彦監督がラブ・シネマシリーズの一作として撮った作品なので、ソースはデジタルビデオ。フィルムと比べると粗い画素と淡い色彩が女同士の微妙な関係を美しく怪しく描く。

 やはりこの監督はいいですね。ちょっと全体に自主制作っぽさがあるのは、デジタルビデオだからというわけでは必ずしもないのですが、そこがまたいい。二人の女性も非常に、すごく魅力的で、それだけで映画に引き込まれてしまう。特に二人とも「目」を中心とした表情で演技をしているのがすごく印象的なのです。 物語自体は「偽の」ギプスという発想を置いておけばそれほどものめずらしいものではない「女性同士の微妙な関係」で、関係性の揺れ具合もオーソドックスといっていいでしょう。
 そう、すべてがオーソドックスな感じ、そんな中で登場人物が魅力的であれば映画は非常に魅力的になるし、この映画のポイントとなる「ギプス」という発想の風変わりさがオーソドックスな映画の中で絵的にも物語的にも非常に効果的なスパイスとなっているのだろうということです。そういう意味で、デジタルビデオという方法を取って、全体的に素人っぽさをだしてはいるものの、非常に完成された映画なのでしょう。

カリスマ

2000年,日本,103分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:林淳一郎
音楽:ゲイリー芦屋
出演:役所広司、池内博之、大杉漣、洞口依子、風吹ジュン

 刑事の藪池は廃墟のような警察署のソファーで毎日のように寝ている。ある日、人質に拳銃を突きつけて立てこもる犯人からのメッセージを受け取り戻ろうとした藪池の背後で銃声が聞こえ、人質は撃ち殺され、突入した警察官によって犯人も殺された。その直後休暇を取った藪池は「どこでもいい」といって人里はなれた森の中で一人車を降りた…
 全体的に荒廃したような印象のある日本のどこかでくたびれた刑事が経験する一本の気を巡る不思議な出来事。理由もわからない恐怖感が全体を覆うある種のサスペンス。

 「無言の人間の怖さ」というものがあるけれどこの映画は全体がそんな怖さに満ちている。誰もが多くを語ろうとはせず、真実を語ろうともしていない。それを最も象徴的に表しているのは大杉漣率いるトラック部隊の謎の隊員達だろう。彼らの怖さがこの映画の怖さであるのだ。
 黒沢清は「すべての映画はホラー映画だ」というほど「怖さ」というものを追及する監督であり、この映画もその一つと考えれば非常に納得はいく。全体の構成が謎解きであるような形をとりながら、結局何も謎は解かれず、恐怖と謎が残ったまま終わるのも、一つの怖さの演出だろう。
 惜しむらくは、なんといってもCGの拙さだろうか。普通の映画に効果的にCGを使うという手法ははやっているし、時には非常に面白いが、この映画で使われるCGは少し安っぽく、あらが見えてしまってよくなかった。

ミッション・トゥー・マーズ

Mission to Mars
2000年,アメリカ,114分
監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ジム・トーマス、グレアム・ヨスト、ジョン・C・トーマス
撮影:スティーヴン・H・ブラム
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ゲイリー・シニーズ、ティム・ロビンス、ドン・チードル、コニー・ニールセン

 2020年、初の有人火星飛行に向かう宇宙飛行士たち。第1陣として出発したマース1の乗組員達は奇妙な山から現れた強靭な力に吸い込まれてしまった。突然消息を絶った飛行士達を心配する宇宙ステーションの飛行士達は…
 火星の謎をサスペンスタッチに描いた作品。物語り全体や、ここのエピソードに出会ってわれわれが期待するよりも全体的にソフトな仕上がりなのはディズニー製作のせいなのか? ファミリー向けSFというところでしょう。

 やはりディズニーが作ると、残酷シーンはなくなるし、火星人も非常に良心的になってしまうし、CGも Bug’s Life と同じになってしまうし、ということなのでしょう。ちょっとあのCG火星人はあまりにちゃち過ぎるんじゃない? と不満たらたら。わざわざ夫婦で宇宙船に乗せるもの「家族愛って大事よ」っていうメッセージを送るための仕掛けなんじゃない? とうがった見方しか出来なくなってしまう。
 山からの「力」に体が吹き飛ばされるシーンも、実際に体がちぎれるというシーンをせっかく入れたのに、そのCG具合が見え見えすぎてちっとも迫力がない。ティム・ロビンスが死ぬところも「あんなもんかー?」という疑問はつきません。やはりファミリー向けなのね。
 文句ばかりが口をつきますが、火星の風景あたりはなかなかうまく出来ていて、特に宇宙空間から火星を見下ろすところなんかはかなりきれい。そのあたりが見所かね。ストーリー的にも全員がいい人なのでどうしても厚みが出にくいのですね。火星人ですら基本的には善意だし、ルークもあっという間に正気に戻っちまうしね。やはりそのあたりがディズニー…(しつこい)

コヨーテ・アグリー

Coyote Ugly
2000年,アメリカ,101分
監督:デヴィッド・マクナリー
脚本:ジーナ・ウェンドコス
撮影:アミール・M・モクリ
音楽:トレヴァー・ホーン
出演:パイパー・ペラーボ、マリア・ベロー、アダム・ガルシア、ジョン・グッドマン

 ニュージャージにすむヴァイオレットはソングライターを目指してNYに上京した。早速空き巣に入られ落ち込んでいるヴァイオレットが入ったカフェでたまたま見かけた元気いっぱいの女の子達がバー「コヨーテ・アグリー」で働いていると聞き、翌日店に押しかけてみることに…
 NYの実在のクラブから着想を得た脚本にヒットメイカーのジェリー・ブラッカイマーがのって実現した映画。監督からキャストにいたるまでほとんどがノーネームの人材ながらかなりの完成度で、気軽に楽しく見られる作品。

 こういう種類のアメリカンドリーム話(恋愛付き)はハリウッド映画のお得意だが、数が多いわりに文句なく面白いものはあまりない。となると「プリティ・ウーマン」的な定評のある有名俳優が出演しているものを見てしまいがち。そんな中で有名な役者といえば、ジョン・グッドマンぐらいで、監督も何も聞いたことないというこの映画はかなりの掘り出し物ということになる。
 何がいいのかといえば、おそらくスピード感。ひっきりなしに流れる音楽というのもいいし、ほとんど止まることがないという印象を与える映像もいい。止まることがないというのはカメラが常に動いているというのもあるし(たとえば、ヴァイオレットと父親が会話する最初のほうの場面では、単なる切り返しなのに、カメラは緩やかにズームインしていた)、1カットが短いということもあるでしょう。後はやはり音楽ですか。屋上でキーボード弾いてるところをクレーン撮影で追うところなど、ちょっと前のMTVのミュージッククリップという感じです。映像が音楽のようにリズムに乗っていて見ているものを引き込む。そのもって生き方が非常にうまいと思います。

 そして、こういったアメリカン・ドリーム話というのは果てることがなく、人気も常にある。広大な田舎とほんの少しの都会、そんな社会状況がこういった物語を次々と生み出す。この映画の主人公の出身地はニュージャージーで別に相遠いわけではない。ニューヨークに通おうと思えば通えないわけではない。しかし、世界的に場所場所間の距離が縮まってきている現代では田舎とはそのようなものでしかないということ。日本ではその状況は特に強まり、ニュージャージというと東京に対する栃木・群馬あたりの感覚だろうか。通勤圏だけれど、そこから東京に出てくる人もやはりたくさんいる。そのような都会の夢というのは逆に都会から田舎へと出て行く人が増える中でも生きているのだなぁと思いました。
 すっかり映画とは関係のない話になってしまいましたが、要するにこの映画のニューヨークというのは田舎の人の視点から見たニューヨークで、それはもちろん日本人の見るニューヨークに近い。すさんだ都会ではあるけれど、知り合ってみればいい人ばかり。実際のところはどうかわからないけれど、イメージとしてはそういうものなのではないかしら。「都会は怖い」と言いはすれ、イメージする材料は自分の経験しかないので、尽きるところ田舎の延長でしかない。本当の経験ではもっともっと予想外のものに出会うんじゃないかという気もします。

 本当に映画とは関係のない話になってしまいましたが、この映画を2度見て、単純な娯楽としてみるその奥を見たら何が見えるか考えてみたら、そのようなことを思いつきました。広げれば「中心-周縁」の文化論見たいなものになるかもしれないので、こういうのも無駄ではないのではなかろうか。

楽園

2000年,日本,90分
監督:萩生田宏治
脚本:萩生田宏治
撮影:田村正毅
音楽:茂野雅道
出演:松尾れい子、荒野真司、谷川信義

 九州あたりのある島で、船大工をするじいさんが一人、孫娘と暮らしている。孫娘シズエはおばさんがやっている町の雑貨屋でアルバイト。そんな島にやってきていた南国風の獅子舞の楽団。スコールにあって最後まで出来なかったその舞台をニコニコしながらみつめていたじいさんに連れられて、船大工の小屋にやってきた獅子舞のリーダーは、気づくとそこにいついてしまっていた。
 不思議にぼんやりと雰囲気のなか、なんとなく進んでいくストーリーが快適。セリフも少なく、表情をクローズアップでとらえたりもしない非常に地味な表現が逆に味わい深い。

 メッセージもストーリーも笑いも涙もないけれど、なんとなくすっと心に染み入るような「いい雰囲気の映画」としか言いようがない。
 特徴としては、ロングショットが多い(というよりはクロース・アップがほとんどない)。セリフが少ない。音が同録っぽい。などということがあり、それは(「ブレアウィッチ」などとは逆の意味で)ドキュメンタリーっぽいつくりなのかな、という感じ。特にカメラとマイクの位置を(おそらく意識的に)同じにしているので、むこう向きの人の声がこもったり、間に遮蔽物があると声が小さくなったりして、それがなかなか場に溶け込んでいるような幻想を抱かせてくれる。 しかし、カメラはほとんど固定で、横や縦に振ることはあっても移動撮影や手持ち撮影といえるようなものはほとんどない。(一箇所だけ気づいたのはシズエと真司が舟の上にねっころがっている場面、波の音が強調され、手持ちカメラを一定のリズムで振ってまるで海の上であるかのような映像を作っていたところ。でもこれはいわゆる手持ちカメラではない。)それがすごく地味な感じと安定感を与えて、音の不安定さと微妙なバランスを保っている。
 というわけで、この映画はなかなかのもの。まさに佳作というのはこういう作品と言いたいところです。田村正毅はやはり現在の日本屈指のカメラマンであることは確かなようです。

アタック・ナンバーハーフ

Satree Lex
2000年,タイ,104分
監督:ヨンユット・トンコントーン
脚本:ビスッティチャイ・ブンヤカランジャナ、ジラ・マリゴール、ヨンユット・トンコントーン
撮影:ジラ・マリゴール
音楽:ワイルド・アット・ハート
出演:チャイチャーン・ニムプーンサワット、サハーバーブ・ウィーラカーミン、ゴッゴーン・ベンジャーティグーン

 またもバレーボールチームの選考におちてしまったオカマのモン。実力は十分なのにオカマであるがゆえにはずされてしまう。悔しさを抱えながらモンは親友のジュンとバンコクに行くことにした。しかし出発直前、県選抜チームが選手を募集しているというので行ってみると、そこにはオナベの監督が。見事選考に通ったジュンとモンだったが彼らが入ったことで選手たちは辞めてしまい、ジュンとモンは昔の仲間に頼みに行くことにする。
 1996年、タイで実際にあったオカマのバレーボールチームを映画いたコメディ。スタンスとしては「クール・ランニング」ですね。かなり笑える。問題もちゃんと捕まえている。B級テイストも盛り込まれ、「これは見なきゃ!」といえる作品。

 ちょっと物語の進行がまどろっこしい感がある前半がなければ素晴らしかった。前半の何が悪いのかというと、いまひとつ的が絞りきれていないところ。観客としては彼ら(オカマたち)をどう見ていいのかちょっとわからない。主人公なのだから、そこの肩入れしてみるのが普通なのだけれど、この映画のつくりとしては、彼らは反感をもたれる存在として描かれている。それはおそらくオカマに反感を持つ観衆を想定しての描き方なのだろう。
 だから、最初から彼らに肩入れしてみると、彼らへの反感を取り除いていく過程の部分がまどろっこしい。それを回避するためには登場人物の一人を反感をもつ人間の代表としていれて、その登場人物が彼らにシンパシーを感じていくという過程を描くのが最もらくな方法で、この映画ではチャイがその役回りとして使われているのだと思うけれど、彼は最初からオカマをそれほど毛嫌いしていないので、いまひとつね。
 というところが少々難点ですが、そんな過程を越えて、サトリーレックを応援するところまで行ってしまえば、ただただ笑うだけです。偏見を持つ人のほうを逆に笑い飛ばすという方法も非常に効果的です。そして最後の最後に来て映画の面白さは一気に加速。映画の最後の15分くらいからエンドクレジットまではひと時も目が離せない。謎のB級特撮あり、エピローグも、エンドロールも最高です。