軍事演習

Manoeuvre
1979年,アメリカ,115分
監督:フレデリック・ワイズマン
撮影:ジョン・デイビー

 毎年行われているNATOの合同軍事演習。今回は西ドイツで、米軍も参加して行われた。ワイズマンは米軍の一部隊に、米国出発から従軍し、一部始終を記録する。
 機銃を持ち、戦車を繰ってはいるが、あくまでも演習に過ぎず、兵士たちの間に緊迫感はない。ワイズマンが描き出すのは、そんな戦争のようで戦争ではない緩やかな空気。日常生活に突如闖入した戦争のようなもの。
 ずんずんと突き刺さり、眉間にしわを寄せざるを得ないような難しさはないけれど、これもワイズマンのひとつの方法であると感じる。

 全編から伝わってくるのは、これが壮大な「戦争ごっこ」でしかないということ。音を出して臨場感を高めるために戦車にすえつけられたダイナマイト、それを操る兵士たちにまったく緊張感はない。
 ワイズ漫画監督官(コントローラー)という役割の人々を特に映画の中盤以降執拗に追うのは、彼らこそがこの戦争ごっこの体現者であるからだ。彼らは文字通り鼓の戦争をコントロールし、笑いながら互いの戦果をそして被害を操作する。もちろんいく人かの人間にコントロールしうる戦争など戦争ではなく、それはルールに従って指揮官たちが戦果を上げようと争うゲームに過ぎない。兵士たちはそれを察して、自由気ままに振舞う。ワイズマンの撮影班はひとつの中隊につくが、そこで真剣なまなざしでこの演習に望んでいるのは中隊長である大尉だけで、兵士たちは気ままに雑談をし、除隊までの日にちを数える。
 戦場のようなところであるにもかかわらず、亡霊のように子供たちがいる。ワイズマンは明らかに意図的に彼らの姿を何度も捉える。兵士たちが彼らを気にも留めないというある種異様な光景。それもやはりこの演習が毒にも薬にもならない戦争ごっこに過ぎないということをあらわしている。

 そんなどうにもならない戦争ごっこをワイズマンが撮り続けるのはなぜなのか。ただこのくだらなさを伝えるためだけなのか。わたしが注目するのは(それはつまりワイズマンが注目させるということだが)演習が行われる土地の人々と、その土地自体である。アメリカ軍にはドイツ語をしゃべれるものすらいない。アメリカ軍の兵士たちも土地の人々と積極的に係わり合い、あるいはか係わり合わざるを得ない場合もあるが、アメリカ軍が交渉できるのは英語をしゃべれるドイツ人ばかりである。そして彼らはそんなドイツ人たちと交流し、アメリカがドイツ人に好かれているらしいと考えて満足する。英語をしゃべれず、彼らの通行を拒否するドイツ人の男は、彼らにとってはわけのわからないことを言うドイツ人に過ぎない。決まりがあるから、彼の権利を尊重しはするが、それはしぶしぶであり、明らかに納得してはいない。
 このようなワイズマンの描き方の裏には、根本的なアメリカに対する不信感があるのだろう。不信感というのは、私自身の気持ちの反映に過ぎないかもしれないが、少なくとも「アメリカ万歳」と唱えるアメリカ人とは明らかに国に対するスタンスが異なる。

 なんともだらだらとして張り合いのない映画だけれど、そのメリハリのなさにワイズマンのそんなメッセージが込められている気がする。将校と兵士、軍隊と市民、そのそれぞれのちぐはぐな感じ、ヨーロッパでアメリカ軍がヨーロッパ軍を敵として戦うという違和感、それはワイズマンがこのアメリカ軍に感じているちぐはぐさや違和感の表れなのではないだろうか。

チチカット・フォーリーズ

Titicut Follies
1967年,アメリカ,84分
監督:フレデリック・ワイズマン
撮影:ジョン・マーシャル

 ウォーターブリッジ矯正院では、収監者たちによる学芸会が行われている。踊り、唄を歌う彼らの表情はうつろだ。
 ワイズマンは矯正院の中で彼らをとる。収監者たちと看守たち。食事を取ることを拒否し、チューブで鼻から栄養を入れられるもの、自分は精神病ではないと強固に主張するもの、誰からかまわず演説をぶつもの、彼らを映しながら、ワイズマンは誰の見方でもない。
 ワイズマンの長編デビュー作は、ワイズマンにしてはカメラを意識させるような撮り方だが、基本的なスタンスはすでに出来上がっている。この映画は収監者のプライバシー保護という理由で上映禁止とされ、24年後、最後に断り書きを入れるという条件付で上映禁止が解かれた作品。

 ワイズマンらしくないというのか、まだ固まっていないというような点が2点ある。
 1点はカメラの存在。ワイズマンの映画は極限までカメラの存在感を消し、そのことによって観客と映画を接近させる。われわれはスクリーンの中に透明人間のように存在し、観客の特権性という意味では劇映画と変わらないように映画の中に存在することができる。
 ところがこの映画では、時折被写体となる習慣者たちがカメラを凝視する。つまり、観客であるわれわれが凝視される。看守同士が監房の扉を開けるときの会話のシーンでもわれわれは看守仲間の一人であるように視線を注がれ、言葉をかけられる(実際に言葉を投げかけられるわけではないが)。そのとき、われわれは透明人間ではなくなり、視線の特権性を奪われてしまう。
 それ自体に問題はないはずだ。ワイズマンだってそのような映画を撮っていいはずだ。問題なのは、にもかかわらずカメラは特権的であるかのように振舞うということだ。見られているのに透明人間であるような不利をする。そこには他のワイズマンの映画にはない居心地の悪さがある。

 2点目は映画全体の構造である。この映画は矯正院の学芸会(と勝手に呼ぶ)とともに始まる。これ自体は問題はない。それは矯正院の行事の一つであり、院の活動、あるいは実態を描く上で効果的なものであるといえる。そこに参加する収監者たちと看守たち(特に院長と思われる人)の表情の違いは、何か言葉にならぬメッセージをわれわれに発する。
 しかし、この映画がその学芸会の閉幕とともに終わるというのはどうだろうか。このことによってこの映画は学芸会と等価のものとなってしまう、というと言いすぎかもしれないが、少なくとも、この映画がひとつの見世物であるという印象を残してしまう。施設の内部に入り込んだ冷静なレポートではなく、施設のひとつのスピーチになってしまう。
 この映画は学芸会と同じく、矯正院のひとつのプレゼンテーションに過ぎないということになりはしないだろうか? 観客は見ていたのではなく見せられていたということになりはしないだろうか?
 今、この作品を見るわれわれはワイズマンのスタンスを理解し、ワイズマンがそのようなスポークスマンとして映画を作っているわけではないことを知っているから、そのように思いはしないが、当時一人の新人ドキュメンタリストの作品に過ぎないものを見た当時の観客たちにこそ、強く感じられたはずではなかろうか? 

福祉

Welfare
1975年,アメリカ,167分
監督:フレデリック・ワイズマン
撮影:ウィリアム・ブレイン

 ポラロイド写真で次々と写真をとられる人々。おそらく、福祉を受け取るための身分証を作るのだろう。福祉センターにはたくさんの人がやってくる。そしてたくさんの人が待っている。職員たちはきびきびと働いているが、それでもやってくる人たちとの間に衝突は絶えない。役所ならどこでもありそうな風景だがどこか違う。そんな福祉センターと、その人々を映した作品。

 官僚主義的な役人たちとそれに振り回される貧しい人々、という構図がそこに浮かんでくるのだろうと予想して見る。それは福祉センターが舞台となる以上容易に予想できることだ。
 しかし、実際底に現れるのは、激昂し、だまし、何とかしてお金を得ようとする人々。自分の権利を強固に主張し、役人たちを批判する人々だ。もちろん、福祉を受けるのは彼らの権利であり、それを主張するのはかまわないはずだ。しかし、その感覚がなかなか理解できないのは日本人だからだろうか? そんな違和感を抱えたままみると、彼らはなんともエゴイスティックであるように見えてしまう。
 そのように見えてしまうのは、必ずしも受け手だけの問題ではなく、ワイズマンの作り方にも原因があるだろう。この映画に登場する福祉局の役人たちは基本的に忠実に仕事をこなし、むしろ親身になってやってくる人たちのために力を注いでいるように見える。つまり、そこに登場する人々の誰もが間違ってはおらず、非難を浴びるいわれもない。そんなカレラを反目させるのは、制度であり政府であるのだ。そこにワイズマンの力点があるような気がする。
 途中で登場するヒスパニック系のおばあさんは、ひたすらスペイン語でがなりたてる。字幕もないし、基本的には何を言っているのかわからないけれど、何度も「gobierno」という言葉を口にする。それはスペン語で政府という意味で、どのような文脈で発せられたかはわからないが、何らかの形で政府を非難していることは確かだろう。
 ワイズマンがこの老婆を、そしてこのセリフを生かしたのはなぜだろうか?ひとつは黒人女性との話しに傍若無人に割り込んでくる老婆の面白さがあるだろうが、この意味としては比較的とりにくい(アメリカ人のどれくらいがスペイン語を理解するのかわからないけれど)言葉による直接的な批判をあえて残したというのもあるのではないだろうか。

 最後に登場する男性、哲学的、あるいは文学的なことをしゃべりながらも、その発言はどこか狂人じみたところがある。狂っているというわけではないけれど、貧しく、孤独な人にありがちな(といっては語弊があるかもしれないが)行動。大きな声で独り言を言ったり、相手に通じにくい話をするということ。そんな男性を見て思う。ワイズマンは普通の人々を彼ら自身は強く意識しないままにフィルムという媒体に定着させてしまう。本来ならば誰も聞いていないような、聞いていたとしても数分も経てば忘れ去られてしまうような、その発言を、その文学を半永久的な言葉として残す。
 この人の姿を見て、「この映画はこの人で終わるんだ」と思った。それほどまでに彼はワイズマンの世界にぴたりとはまる。彼をフィルムに残したということ、そこにこそワイズマンの偉大さがあるのかもしれない。

戦争の記憶

Kippur : War Memories
1994年,イスラエル,104分
監督:アモス・ギタイ
撮影:エマヌエル・アルデマ、オフェル・コーエン
音楽:ジーモン・シュトックハウゼン、マルクス・シュトックハウゼン
出演:アモス・ギタイ

 アモス・ギタイはヨム・キプール戦争(第4次中東戦争)に参加した際、8ミリカメラを持参し、兵士の救援へと向かうヘリコプターから撮影を行った。その撮影されたフィルムと、当時ともにヘリコプターに乗っていた仲間との戦場への旅、戦死してしまった当時の副操縦士の家族へのインタビューなどを通して、当時を振り返る。
 2000年に制作された劇映画『キプールの記憶』のもとになった作品。

 ヘリコプターの操縦士が当時を振り返って、「あの記憶は一種のトラウマになっている」と言う。心理学的な意味のトラウマとは少し違うかもしれないが、その意味が消化できない記憶であることは確かだろう。その記憶は他に類を見ないくらい強烈な記憶であるにもかかわらず、その記憶は自分の頭の中で収まるべきところを見つけられない。他の記憶と折り合いがつかないそのような記憶として頭の中にある。アモス・ギタイ自身も他の戦友たちもそのことを明言することはないけれど、それが強烈な記憶であり、忘れたくても忘れられないものであることは明らかだ。
 この映画は2部構成になっているが、前半部では、その記憶の整理が行われる。その細部がそれぞれに異なっている記憶をすり合わせていく。別にひとつの正当な見解を合意として打ち出していくわけではないが、他の人の異なった記憶を聞いているうちに、その記憶が、おそらく映像とともに蘇り(挿入されるギタイの撮影した白黒の8ミリフィルムはその記憶のフラッシュバックを象徴しているような気がする)、ばらばらな悲惨な記憶としてではなく、ひとつの記憶のブロックとして認識できるようになる。これはその記憶を自分の頭の中で消化し、収まりをつけるための第一歩になるのだろう。副操縦士の遺族に会うということも、その記憶が決して現在と断絶したものではなく、今につながるひとつの現実であうということを再認識させる。これもまた記憶の消化の一助となるだろう。
 後半部ではともに戦場へと赴き、戦場でもともに行動した親友ウッズィとの語らいになる。『キプールの記憶』によれば、二人は近所に住んでおり、もともと下士官であり、戦争が始まると聞くや否や焦燥感に駆られて車を飛ばして部隊に向かったが、本来の部隊にたどり着くことができず、ちょうど作戦行動を行おうとしていた救援部隊に参加することになったと言うものであった。この映画の話の断片から判断するとその流れはほとんど事実であると言っていいのだろう。そのような親友との語らいはギタイが実際に自らのトラウマを溶かしていく場だ。親友の話を聞くという設定でありながら、ギタイ自らが被写体となり、徐々にギタイの語りが中心になっていく。これは偶発的な出来事と言うよりはギタイ流の映画的作為という気がするが、それが作為であろうと偶発的な出来事であろうと、そのアモスの語りがアモス自身の記憶の再構成の過程であることに変わりはない。
 個人的なトラウマとして戦争を忘れたいと言うウッズィに対し、アモスはカメラを使うことで個人的な観点を超えた形で戦争を考えたいと語る。「なぜ自分たちは生き残ったのか」そんな重い疑問をアモスは投げかける。個人的な痛みと、映画監督を選択したことによる使命、その両方を自覚しながらアモス・ギタイは揺れ動き、親友との対話を終える。そこに答えはなく、親友に「しっかり映画を撮ってくれ」と励まされるのだった。その親友の励ましへの答えとしてアモス・ギタイは『キプールの記憶』を撮ったのだろう。そして、この作品は「戦争3部作」の第1作として構想されている。今後2作を通してパレスティナ紛争の全貌を整理して提示するのだろう。それは個人的な記憶の消化の作業でもある。

木靴の樹

L’Albero Degli Zoccoli
1978年,イタリア,187分
監督:エルマンノ・オルミ
脚本:エルマンノ・オルミ
撮影:エルマンノ・オルミ
出演:ルイジ・オルナーギ、オマール・ブリニョッリ

 19世紀末のイタリアの農村、地主に収穫の3分の2を取られながら、その土地にすがるしかない農民たち。そんな農民の一人バティスティは神父に進められて息子を学校にやることにした。しかし、生活は依然として苦しい。
 貧しい農民たちの暮らしを淡々と描く作品。舞台を19世紀末と設定したことによりかろうじてフィクションの形をとっているが、映画の作り方としてはドキュメンタリーに近いものといえる。

 この映画がフィクションであると断言できるのは、最初に説明される19世紀末という設定があるからである。この映画が撮られた時代を含む現代ではこのような農村は存在しなくなってしまい、このような映画をドキュメンタリーで撮ることは難しくなってしまった。だから、この映画はフィクションとしてとられるしかなかったのだ。しかし、あえて言うならばこの映画はドキュメンタリーであってもよかった。ありえないことは承知でこれを19世紀末の農村に関するドキュメンタリーと言い切ってもよかったはずだ。
 この映画で19世紀末の農民たちを演じているのはおそらく現代の農民たちで、彼らは自分たちの先祖を追体験しているのだ。それほどまでにこの映像は真に迫っている。農民たちの真剣な目、土に向かうひたむきな姿勢、機械のない前近代的な農業にしか宿ることのない美しさがそこにある。
 ここに見えてくるのはフィクションとドキュメンタリーの、あるいは劇映画と記録映画の境界のあいまいさだ。この映画で作家が提示したかったものは、現代には存在せず、19世紀にしか存在しなかった。それが具体的になんであるかということはこの映画はあからさまには主張しないが、おそらく現代に対する一種の批判であるだろう。人と家畜が、あるいは人と植物が、人と土が親密であった時代から現代を批判する。もちろん、その時代はただ美しいだけではなく、非人間的な生活を強要され、生きにくい時代でもあっただろう。この映画はその両方を提示しているが、力点が置かれているのは美しさのほうだ。だから、彼らが悲劇的な境遇から救われたり、自ら抵抗の道を選ぼうとはしない。これがフィクションであり、ひとつのドラマであり、虐げられた人々のドラマであると了解している観客は彼らがどこかで立ち上がり、自由を勝ち取るのだと期待する。そのように期待して遅々として進まないストーリーを追い、画面の端々に注意を向ける。

しかし、この映画ではそのような抵抗や革命は起こらない。それはこの映画から数十年前に同じイタリアで作られたネオ・リアリズモ映画ならありえた展開だが、この映画ではそれは起こりえない。観客は裏切られ、この映画の劇性に疑問を持つ。しかし、観客が裏切られたと気付くのはすでに映画を見始めてから2時間半が経ったときである。単純な日常を切り取っただけの映画、まるでドキュメンタリーのようなフィクション。そのとき観客はすでに、そのような映画であるとわかった映画の世界に入り込んでしまっている。ドキュメンタリーであるフィクション。黙ってただ立ち去る彼らを見ながら、やり場のない怒りを感じながら、しかしその怒りを映画に向けるわけにはいけないことを知っている。これはドキュメンタリーであって、フィクションではないのだから、映画には結末を操作できないのだと。そのような幻覚を抱かざるを得ない。彼らは別の土地に移り住み、やはり土とともに生き、しかし今よりさらに過酷な生活を強いられるのだとわかっているから。

日本鬼子 リーベンクイズ

2001年,日本,160分
監督:松井稔
撮影:小栗謙一
音楽:佐藤良介
出演:日中戦争を経験した方々

 8月15日の靖国神社には様々な人が集い集まる。「英霊」と称えられる人々が戦場でやってきたこととは何なのか。1939年の満州事変に始まり、日本が無条件降伏をするまでの15年間休むことなく続いた日中戦争において中国に渡り拷問・強姦・虐殺などを行ってしまった兵士たち本人の証言によってそれを問う貴重な記録映画。時間軸にそった日中戦争の展開も解説されており、戦争を知らない世代にとっては非常に勉強になるお話。

 この映画で語られていることを知ることは非常に重要だと思う。情報としては様々なメディアで紹介され、文字として読むこともできることで、ことさらこの映画を見なければならないということはないけれど、実行した本人が証言している映像を見ることは文字を読むことよりも何倍かは伝わりやすいと思う。そしてあわせて歴史が解説されるというのもいい。文字でこういう構成をとられると、なんとなく流れが分断される気がして読みにくかろうと思うが、映画にしてしまうと、ぐっと集中してみる時間に区切りがついて見やすくなるという効果もあると思う。
 ということで、内容をここで繰り返すことには全く意味がないので、やめることにして、映画を見ながら思った(あるいは思い出した)ことを書いてみましょう。ちょっと映画の主張からは外れますが、ひとつは古参兵の命令は絶対だったというのを見ながら「兵隊やくざ」を思い出す。「兵隊やくざ」(1965)は勝新太郎演じる正義漢の初年兵が古参兵の命令にもはむかって正義というか仁義を貫くという映画。当時の観客達は自らの軍隊経験と重ね合わせて、感慨を持ちながら見ていたんだろうなぁと想像する。もうひとつはここに登場する人たちはおそらく一度ならずどこかでそれをかたったり書いたりしている人たちなんだろうと思う。一部の人はどこかに書いたということやしゃべったということが明らかになっている。そういう体験を経ているからこそカメラのまえで冷静に(あるいは冷静さを装って)体験を語れるのだろう。逆に語れないままいる人や、語ることの出来ないままなくなってしまった人のほうが多いのだろう。彼らがそれを語れるのはやはり中国の軍事法廷の寛大さが大きな要因となっていると思う。中国人民に謝罪し、感謝した彼らはそれを他の人たちに伝え、二度と繰り返さないようにするという義務感を重く感じただろう。それは自分や家族の恥となることを厭わないほどに。

苺とチョコレート

Fresa y Chocolate
1993年,キューバ=メキシコ=スペイン,110分
監督:トマス・グティエレス・アレア、ホアン・カルロス・タビオ
原作:セネル・パス
脚本:セネル・パス
撮影:マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽:ホセ・マリア・ビティエル
出演:ホルヘ・ペルゴリア、ウラディミール・クルス、ミルタ・イバラ、フランシスコ・ガットルノ、ヨエル・アンヘリノ

 同性愛者が反革命分子として迫害されていたキューバ。結婚するつもりだった彼女が別の男と結婚したことに心を痛めていたダビドは、ある日カフェテリアでチョコレート・アイスクリームを食べていた。すると、彼の前にゲイで芸術家のディエゴがストロベリー・アイスクリームを食べながら現れた。
 当時のキューバの状況を考え、この映画がキューバ政府の検閲を通り抜けてきたということを考えると、いろいろな見え方がしてくると思う。

 何年か前にはじめてみたときは、素直にキューバのゲイというものの現状を表しているようで面白くもあり、映画としても独特の質感があって面白いと思いました。冷蔵庫のロッカもとても印象的。人工的なライティングではない自然光のもつ色合いを初めとした「自然さ」がその質感を作り出しているんだと今回見て思いました。そして面白かったという最初の感想は裏切られることなく、とてもいい作品でした。ちょっとソープドラマくさいところもありましたが…
 しかし、こういう書き方をすると言うことは含みがあるわけで、キューバのゲイの現状という意味ではどうなのかという疑問も浮かんでくるわけです。プレビューにも書いたとおり、当時のキューバは映画に対する検閲を行っており、そもそも政府お墨付きの監督の映画しかキューバから堂々と出ることはできなかったわけです。この映画がキューバ映画として外国で配給されたということはつまり、この映画の監督が政府に認められており、またこの映画は検閲をとおったということです。
 ということを考えると、つまりこの映画に描かれるキューバは外国人がみるキューバの見方として政府が公認したものであるということです。ちょっと前にお届けしたドキュメンタリー「猥褻行為」や今度公開される「夜になる前に」もキューバにおけるゲイへの迫害を描いているわけで(「夜になる前に」はまだ映画は見ていないので、原作の話になりますが)、それと比較することが可能です。この映画でもゲイが迫害されていることは描かれています。そしてその迫害を非難するような態度を見せています。しかし、この映画で問題となるのはその迫害に対する非難がゲイ全体への迫害への非難ではなく、ディエゴ個人への迫害の非難なのです。そして、ディエゴは自らも主張するように決定的に反革命的であるわけではない。むしろ国を愛し、国にとどまりたいと考えている。この点は「夜になる前に」の作者であるレイナルド・アレナスも同様です。彼はキューバが嫌いなのではなく、キューバにいることが不可能であるから亡命する。
 この「国や革命を批判するわけではないが、自分にとってはいづらい環境である」という考え方がそこにはあるわけです。このように集団ではなく個人を扱うことによって問題は曖昧になります。だからこの映画は検閲を通ったのでしょう。
 だからこの映画が本当に何を主張しようとしているのかを探るのは相当難しいことだと思います。私は個人的にはこの映画自体は体制を批判するつもりは毛頭なく、むしろ外国にキューバの寛容さをアピールするものだと思いますが。

ボーイズ・ドント・クライ

Boy’s Don’t Cry
1999年,アメリカ,119分
監督:キンバリー・ピアース
脚本:キンバリー・ピアース、アンディ・ビーネン
撮影:ジム・デノールト
音楽:ネイサン・ラーソン
出演:ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サースガード

 ネブラスカ州リンカーン、1993年。性同一性障害を持つブランドンはゲイの従兄ロニーのところに居候していたが、「レズ、変態」とののしる男達に家を襲われたことでロニーに追い出された。沈んだ気分でバーで飲んでいたブランドンは隣に座ったキャンディスに声をかけられ、友だちのジョンと共に出かけることにした。
 実際にアメリカであった事件を元に作られた衝撃的な映画。同性愛者に対する偏見、性同一性障害に対する無理解がいまだ蔓延していることを強烈に主張する。

 性同一性障害というのは、つまり本来の性(セックス)とは異なる肉体的な性をもってしまった障害(つまり病気)とされているが、その本来の性は脳が認識している性であり、脳もまた肉体であるのだからその「肉体的な」という表現は誤っていると思う。むしろそれは外面的な性に過ぎないということ。だからブランドンは表面的な部分以外は完全に男性であって、それが彼が「自分は同性愛者ではない」と主張する理由になっている。
 そんなことを考えると、この映画の取り上げる事件の原因となったのは単なる同性愛憎悪ではなく、むしろ同性愛恐怖(ホモフォビア)であると思う。ジョンは同性愛者が憎いのではなく、同性愛者が怖い。自分のマチスモ(男らしさ)が損なわれてしまうことに対する恐怖。自分の彼女が女に寝取られてしまうことに対する恐怖。それを振り払うためにブランドンに対してああいった行動に出てしまう。その本当の原因は同性愛に対する偏見ではなくて、根深い男性主義にあるのだろうと私は思いました。「あいつはいい奴だが、腰抜けだ」とジョンは言いました。そういう意味では、ブランドンもまた男性主義に染まっていて、男性であること=強くなくてはならない。という強迫観念がある。そのことで彼は自分をよりいっそう生きにくくしてしまっている。その辺りが本当の問題であると思います。レナはそれを何らかの形で和らげることができそうな存在だったということなのですが。
 この映画はどうしても映画の話より、その中身へと話がいってしまいますが、なるべく映画のほうに話をもっていきましょう。この映画はかなり人物のいない風景(それも長時間撮影したものをはや送りしたもの)が挿入されますが、この風景による間がかなり効果的。それは考える時間を生じさせるという意味で非常にいい間を作り出しています。しかも、それが単なる固定カメラではなくてパン移動したりもする。これは見たことがないやり方。やはりカメラをすごくゆっくり動かしていくのか、それとも他に方法があるのか分かりませんが、相当大変なことは確かでしょう。そんなこともあってこの風景のところはかなりいい。
 深く、深く、考えましょう。

ゆきゆきて、神軍

1987年,日本,122分
監督:原一男
撮影:原一男
音楽:山川繁
出演:奥崎謙三

 反体制運動家の奥崎謙三、傷害致死、わいせつ図画頒布などで13年以上の独房生活を送った彼の活動を追ったドキュメンタリー。悲惨を極めたニューギニアから帰還した奥崎はそのニューギニアで起こった様々な悲惨な出来事の解明に乗り出す。
 今村昌平が企画をし、原一男が監督・撮影を行った日本のドキュメンタリー史に残る映画。斬新というか型破りというか、ドキュメンタリーというジャンルの典型からは大きく外れた映画。

 これは果たしてドキュメンタリーなのか、実際の起こったことを映しているという意味ではドキュメンタリーだが、この奥崎謙三という人物はエンターテナーだ。自分を見せるすべを知っていて、それをカメラの前でやる。しかしそれは彼の主義主張にあったものなのだから、作り物というわけではない。だから、フィクションかドキュメンタリーかという区分けをするならばドキュメンタリーの範疇に入る。ただそれだけのこと。ドキュメンタリーというのもあくまで程度の問題で、いくらかはフィクションの割合が入っているものである。カメラが存在することですでにノンフィクションというものは存立不可能になっている。したがって、完全にノンフィクションではないドキュメントをいかにノンフィクションらしくしかもドラマチックに見せるのか、それがいかにすぐれたドキュメンタリーであるのかという事。
 この映画はノンフィクションらしく見せるという点では余り成功していない。しかし、ドラマチックであることは確かだ。そしてそのドラマチックさはそれがノンフィクションであるということに起因している。リアルな喧嘩、省略なく行くところごとに繰り返される同じ説明、それらは見るものをいらだたせるまでに繰り返される。事実はこうであるのだということ。
 見る人によっては嫌悪感すらもよおすだろうし、私も好きなタイプの映画ではないけれど、すごいということもまた事実。

生きるべきか死ぬべきか

To be or Not to be
1942年,アメリカ,99分
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:エドウィン・ジャスタス・メイヤー
撮影:ルドルフ・マテ
音楽:ウェルナー・ハイマン
出演:キャロル・ロンハード、ジャック・ベニー、ロバート・スタック、ライオネル・アトウィル

 第二次大戦前夜のワルシャワ、街にヒトラーが現れた。それは実は、ヒトラーとナチスを描いた舞台を上映しようとしていた劇団の俳優だったが、ナチスによってその公演は中止に、そして戦争がはじまる…
 エルンスト・ルビッチが大戦中にナチスをおちょくるような映画を撮った。なんといってもプロットのつなぎ方が素晴らしい。コメディといってしまうのはもったい最高のコメディ映画。

 まず、出来事があって、その謎を解く。ひとつのプロットの進め方としてはオーソドックスなものではあるけれど、それを2つの芝居と戦争というものを巧みに絡めることで非常にスピーディーで展開力のある物語にする。そんな魅力的な前半から後半は一気に先へ先へと物語が突き進む先の見えない物語へと変わる。そのストーリー展開はまさに圧巻。
 そしてこれが大戦中にとられたということに驚く。当時のハリウッドにはそれほどの勢いがあった。ヒトラーが何ぼのもんじゃ!という感じ。しかし、一応コメディという形をとることで、少々表現を和らげたのかもしれない。ストレートに「打倒ヒトラー!」というよりは、やわらかい。しかしその実は逆に辛辣。戦争が終わり、ナチスを批判する映画はたくさん作られ、歯に衣着せぬ言葉が吐き出され、数々の俳優がヒトラーを演じたけれど、この作品とチャップリンの「独裁者」とをみていると、どれもかすんで見えてくる。「シンドラーのリスト」はヒトラーを直接的に描かないで成功したけれども、そこにはどう描こうとも決して越えられない2つの映画が存在していたのではないか?
 そんなことを考えながら、60年前の名作を見ていました。やっぱルビッチってすごいな。ちなみに、主演のキャロル・ロンハードはこの作品が最後の出演となっています。きれいなひとだ…