地球にやさしい生活

 ニューヨークに妻子と暮らす作家のコリン・ビーヴァンは自分の生活に疑問をいだき、次の本のネタ作りも兼ねて、ニューヨークで環境にやさしい生活を送ることを決意する。まず1年間新しいものを買わず、なるべくゴミを出さないことに決め、さらに食べ物は近郊でとれたものだけに。そして最終的には電気もやめようと考えるが、奥さんのミシェルは買い物中毒のカフェイン中毒だった…
NYで自らが実験台となってブログが人気を集めた「No Impact Man」ことコリン・ビーヴァンを追ったドキュメンタリー。普通の人目線で環境問題が扱われていて面白い。

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幸せの始まりは

 ソフトボールのアメリカ代表選手のリサは31歳という年齢もあり、引退を勧告される。一方、父親の会社で働くジョージは詐欺罪で訴えられ窮地に陥る。ふたりはリサの友人の紹介で知り合うが、そんな状況なので仲が進むわけもなく、リサはメジャーリーガーのマティと同棲をはじめるが、ジョージはリサのことを想うようになっていた…
『恋愛小説家』のジョージ・L・ブルックスが監督。よくまとまっているという印象。

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The Education of Shelby Knox

The Education of Shelby Knox
2005年,アメリカ,76分
監督:マリオン・リップシューツ、ローズ・ローセンブラット
撮影:ゲイリー・グリフィン
音楽:リック・ベイツ
(TOKYO MX「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」で放送)

テキサス州のキリスト教保守派の高校では“絶対禁欲教育”が行われ、避妊などの性教育が行われないため高校生の妊娠や出産があとをたたず、性病の感染者も多かった。そんな高校のひとつに通うシェルビー・ノックスはその現状に疑問を抱き、性教育を実施するように運動を始めるが…

キリスト教福音派の街で起きる騒動を描いたドキュメンタリー。保守がちがちの街で奮闘するシェルビーの戦いが見もの。

キリスト教福音派は聖書の教えを文字通りに守ろうという宗派で、キリスト教原理主義ともいわれる。アメリカ南部の“バイブルベルト”と言われる地域に集中する彼らの主義主張はアメリカの政治と社会にさまざまな影響をもたらしてきた。

この“絶対禁欲教育”というのもそのひとつ。この考え方は未婚の男女の性交渉を禁じている聖書に基づいて結婚前の禁欲を説く教育。確かにセックスをしなければ妊娠もしないし、性感染症もうつらないのだが、実際にはセックスをするわけだし、その再生に関する知識がないために容易に妊娠し、性感染症も蔓延する。

シェルビー・ノックスは福音派の信者で自身は結婚まで貞操を守る“純潔の誓い”をした敬虔なクリスチャンだ。しかし現実主義的でもあり、性教育をすることは必要だと考えている。そりゃそうだ。福音派の牧師は「性教育をしたらセックスがしたくなる」というが、性教育をしなくたってセックスはしたいんだから性教育はしたほうがいいに決まっている。牧師だって十代のころセックスしたかっただろうに、どうしてそのことを思い起こそうとしないのだろうか。

まあともかくシェルビーは性教育を実施するための運動を開始し、彼女が所属する青年会もそれに呼応する。がちがちの共和党支持者の父親も彼女を指示する。しかし、彼女がゲイの学生たちとつながり始めると青年会も両親も彼女から距離を置く。同性愛の問題は性教育よりもはるかに受け容れ難い問題らしい。そして市や州はさらに強く彼女に反発する。

「普通の」感覚からいうと彼女の言うことは至極最もで、むしろ彼女でも保守的過ぎるという気がするのだが、そういう「常識」はここでは通用しない。これを見るとアメリカという国はあまりに宗教的であまりに偏狭だ。アメリカというと“自由”といわれるが、はっきり言ってこの作品に描かれるアメリカに自由などない。力あるものの自由のために弱者の自由は徹底的に奪われる。それがアメリカという国だ。そしてそれをキリスト教という偏狭な宗教の倫理に摩り替えて弱者を騙すのだ。

牧師自身キリスト教は偏狭な宗教だと言っている。シェルビーはそうではないというが、キリスト教福音派はかなり偏狭な宗教だ。キリスト教自体は成立から2000年を経る間に変遷し、中には寛容な宗派も生まれているが、原理主義である福音派は偏狭だ。

その偏狭さは想像力の欠如につながり、互いの不理解がさまざまな軋轢と矛盾の原因となる。この映画はそんな軋轢を描いた作品のひとつだが、こんな映画がアメリカにはたくさんあるんだということに気づく。まあ福音派の人たちはこんな映画が作られたところで変わることはないだろうから、やはりこういう映画は作られ続けるのだろう。

本当に理解し難いが、それを理解しようとしなければ彼らと同じになってしまうから、頑張って理解しよう。

サーチャーズ 2.0

アレックス・コックス&ロジャー・コーマン、すごい低予算映画

Searchers 2.0
2007年,アメリカ,96分
監督:アレックス・コックス
脚本:アレックス・コックス
撮影:スティーヴン・ファイアーバーグ
音楽:プレイ・フォー・レイン
出演:デル・ザモラ、エド・パンシューロ、ジャクリン・ジョネット、サイ・リチャードソン、ロジャー・コーマン

 メキシコ系の中年男メル・トレスは聞き覚えのある西部劇のテーマ曲に導かれてフレッド・フレッチャーの家を訪れる。同じ映画に子役として出演していたことを知った彼らはそのとき脚本家に虐待された記憶を共有していた。そしてその脚本家フリッツ・フロビシャーがモニュメント・バレーで講演を行うことを知り、メルの娘デライラに車を借りて出かけようとするが…
 鬼才アレックス・コックスが西部劇『捜索者』をモチーフに撮ったシニカルなコメディ。製作総指揮は低予算映画の巨匠ロジャー・コーマン。

 B級西部劇に出演したことのある元俳優ふたりが子役のころに虐待を受けた脚本家に仕返しをしに行く。足がないためメキシコ系のメルの娘デライラに嘘をついて車を出させる。西部劇オタクのふたりは道中で話すことも西部劇の会話ばかり、西部劇に興味のないデライラはただあきれるばかり。

 しかし、ふたりがそのデライラに西部劇の魅力を説明しようと復讐劇の意味について語り出すと、古典劇における復讐劇は西部劇とのそれとは違う(古典劇では復讐を果たした主人公はその報いを受ける)と一蹴されてしまう。これは復讐が正義であるというハリウッド映画の欺瞞を信じきっているコドモな大人を揶揄した表現なわけだが、基本的にこのスタンスが作品を貫いている。

 西部劇の復讐劇というのは復讐を果たし、主人公がヒロインと結ばれて大団円を迎える。デライラはそれを批判するが、おじさんふたりはそれを肯定する。そして主人公が死んでしまうような作品はダメで、そのために自分が主役を張るはずだったはずのリメイク企画がぽしゃったと見当違いの批判を述べたりする。

 このなんとも間の抜けたやり取りのおかしさがとてもいい。よっぽどの映画マニアでないと真偽のほどがわからないような話題もたくさん出てくるのだが、アメリカにはそんなマニアがたくさんいる。マニアだけに語れる映画と軍の関係(大統領にベトナム戦争の停戦を求めたというサム・ペキンパーのエピソードなども登場)。

 そしてその間の抜けた会話の中にアメリカ社会に対する皮肉をさらりと織り込んでいく。たとえば9.11を7.11と言い間違えたりするというのは政治について語りながらも、実際は政治意識が低いというアメリカ国民の多くを揶揄しているわけだし、フレッドがバカでかい銃を持ち歩いているところなんてのも強烈だ。

 この主人公ふたりを演じる役者がまったくの無名、映画自体が非常に低予算でウェブサイトで出資者を募って製作された。そして、その製作総指揮にクレジットされているのがロジャー・コーマンというのがすごい。ロジャー・コーマンといえばB級西部劇の監督として名を上げ、その後はB級ホラーに手を出し、監督業から引退したあともB級映画のプロデュースをやり続けてきたB級映画の巨星。プロデュース作品は約400というから驚く。そのロジャー・コーマンとアレックス・コックスが組んだ西部劇のパロディ/オマージュ、それでピンと来る人には文句なしに面白い作品だろう。

 インディペンデントはまだまだこういう作品を取れる。アレックス・コックスもこのところ泣かず飛ばずだったけれど、これで復活のきっかけをつかむか?

Shopgirl/恋の商品価値

出会いと恋は人を変える。それはいくつになっても同じこと。

Shopgirl
2007年,アメリカ,107分
監督:アナンド・タッカー
原作:スティーヴ・マーティン
脚本:スティーヴ・マーティン
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:スティーヴ・マーティン
出演:スティーヴ・マーティン、クレア・デインズ、ジェイソン・シュワルツマン、ブリジット・ウィルソン=サンプラス

 ロスの高級デパートの手袋売り場で働くミラベルは一念発起田舎から出てきたのだが孤独な日々を送っていたが、ある日コインランドリーで自称アーティストの貧乏青年ジェレミーと出会い、胡散臭く思いながらもどこか惹かれる。その直後、仕事中に客としてやってきた50代の紳士レイに声をかけられ、彼にも魅かれてしまう…
 スティーヴ・マーティンがベストセラーとなった自らの小説を脚本化して主演したラブロマンス。

 若くて貧乏だけど男前と金持ちだけれど年寄りでブ男というなら古典的な“究極の選択”だが、この作品の物語は年寄りで金持ちなレイのほうが貧乏で若いジェレミーよりも明らかに色男である。女性の扱いにもなれ、大人の色気を感じさせるレイに対して、ジェレミーが勝っているのはミラベルと歳が近いということだけ。これでは最初から勝負は決まったようなものではないか。

 ならば、物語にならないかといえばそうでもないのがスティーヴ・マーティンのなかなかうまいところ。ストレートな“究極の選択”的ラブ・ストーリーを避け、ひとりの女とふたりの男が出会う(まあレイとジェレミーは厳密には出会ってはいないが)ことによってそれぞれが人間として成長するさまを描くという物語にずらすことで話に深みを出している。

 ジェイソン・シュワルツマン演じるジェレミーという青年は登場したときからおどおどしていていかにも変わり者、自信なさげなのだけれど同時に根拠のない自信も持っているという感じである。ミラベルとの出会いもぎこちなく、なんでもないようなふりをしながら彼にとって大きな意味を持っていたようだ。

 スティーヴ・マーティン演じるレイは間違いなく成功者でありながらどこか臆病なところがあり、自分を偽ったり、自分を守るために他人を傷つけたりしてしまう。

 そのふたりがミラベルに出会い、自分の中にある何かに気づく。若くても若くなくても恋愛は自分に足りない何かに気づかせてくれる。それが意味を持つかどうかはその人によるわけだが、それ以前に人と人との出会いがその人に与える影響が描かれているというところに面白みがあると思う。

 まあ実際のところ物語として面白いかといえば、それほどでもない。特にラブ・ストーリーとしてみるとなんとも煮え切らない感じで大団円がまっているわけでもなく拍子抜けな感じだ。

 原作はアメリカでベストセラーになったということだが、それはおそらくこの3人の登場人物が人間的で魅力があったからだろう。この2時間弱の映画ではその魅力の一端しか見ることができず、それが全体としてぼんやりとした印象になってしまったのかもしれない。

 つまらない映画ではないし、キャストもいいのだがDVDスルーになってしまったのも仕方がないというところだろうか。

マーゴット・ウェディング

登場人物がみな情緒不安定、見ているほうが不安になる“サイコ”映画

Margot at the Wedding
2007年,アメリカ,93分
監督:ノア・バームバック
脚本:ノア・バームバック
撮影:ハリス・サヴィデス
出演:ニコール・キッドマン、ジェニファー・ジェイソン・リー、ゼイン・バイス、ジャック・ブラック、ジョン・タトゥーロ

 作家のマーゴットは長く不仲だった妹のポーリンの結婚式のために息子のクロードと生家を訪れる。彼女は定職を持たない妹の婚約者に不満を述べ、隣家との間にいさかいを起こし、集まった人々は徐々に不満を募らせてゆく…
『イカとクジラ』のノア・バームバックが監督したファミリー・ドラマ。

 不仲だった妹の結婚式に出席するために生家を訪れるという導入、さらにジャック・ブラックが登場してアットホームなヒューマンドラマかと思うが、主演がニコール・キッドマンなだけにそうは行かない。ニコール・キッドマン演じるマーゴットはジャック・ブラック演じる妹の婚約者マルコムをろくでもないやつと決めてかかる。

 このマーゴットは柔らかな物腰ながら久しぶりに会った妹を支配しようとし、すべてが自分の思い通りに運ぶようにしなければ気がすまない。それはわがままというよりは独善的、自分の意見だけを信じ、周囲のことはまったく気にも留めない。そして自分の意見を押し付け、周囲がそれに同意するのが当然と思っている。

 こういういやな女を演じさせたらニコール・キッドマンはうまい。さすがに年とともに小じわは目立つようになったが、冷たい印象は健在、氷のような美人とはまさにニコール・キッドマンのためにある言葉だと思ってしまう。

 しかもこのマーゴットは非常に不安定な女だ。自信満々に振舞いながらも実は常に不安に襲われていて、人のあら探しばかりし、自分の不安感は薬に頼らなければてなづけることができない。

 そして、彼女に振り回せれる周囲の人々も不安定な人ばかり。これではまったくかみ合わず、はっきりとした物語は生まれないのは当たり前のこと。もちろんそれが狙いなのだろうけれど、こういう散漫な物語というのはどうも苦手だ。

 それでもそんな母親を慕い、母親の元から離れようとしない息子のクロードの存在は非常に印象的だ。マーゴットはもちろんクロードも自分の思うままになるように仕向け、ある程度それに成功しているわけだけれど、さすがに息子も母親の不安定さやいやらしさに気づいてもいる。母親への愛情と世間の評価との間の齟齬に戸惑う彼の心理はこの映画にわずかな実感を与えている。

 最後の最後までこのマーゴットの行動は予想がつかない。見るものはその予想のつかなさに不安になり、映画の中に何か確かなものがないかと探してみるのだが、唯一確かなものであったはずの大木も切り倒され、探る手は虚空で空を切るばかりだ。そんなどこを向いても見通しの聞かない世界の中で、同じく途方にくれるジャック・ブラックがわずかながら唯一、共感を覚えうる存在だった。彼が象徴する男の矮小さ、だらしなさ、見栄っ張りなところにはうなずける。

 もしかしたら女性はポーリンにそれを見出すのかもしれないが、とにもかくにも不安を掻き立てる映画だ。

ゲット スマート

スパイ映画とコメディをバランスよく、そんなに笑えないけど面白い。

Get Smart
2008年,アメリカ,110分
監督:ピーター・シーガル
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:トレヴァー・ラビン
出演:スティーヴ・カレル、アン・ハサウェイ、アラン・アーキン、ドウェイン・ジョンソン、テレンス・スタンプ、マシ・オカ、ネイト・トレンス、ビル・マーレイ

 アメリカの秘密諜報組織“コントロール”に所属する分析官のマックスはエージェントへの昇格を目指すが、分析官として優秀なゆえにかなわなかった。そんな折、コントロール本部の爆破事件が発生、エージェントたちの情報が漏れてしまったため、マックスが急遽エージェント86として整形したばかりのエージェント99とともに任務に就くことに…
 1960年代のTVシリーズ「それいけスマート」を現代風にリメイク。オリジナルの脚本に参加しているメル・ブルックスが監修としてクレジットされている。

 おバカなスパイがドタバタを展開しながらも活躍するというアクション・コメディなわけだが、コードネームが“エージェント86”ということからもわかるように基本的には“007”のパロディからスタートしている。“007”と同じようにさまざまな秘密兵器が登場するのだが、その趣向を凝らした秘密兵器が面白い。

 話のほうも主人公のマックスがロシアに潜入、ドタバタを繰り広げながらも成果を挙げどんどん展開していく。その二転三転する展開はありきたりといえばありきたりだが、スパイ映画として及第点のプロットというところだろう。

 ただ、笑いをちりばめることによってその話のほうにあまり注意が向かなくなるということもある。まあ話だけに集中して見られるほど練られたプロットではないので、散漫になるくらいでいいのかもしれない。つまり、笑いとプロットに注意が分散することで1本の映画として成立している、そんな映画だということだ。これをどちらにしても中途半端と取るか、いいバランスの取り方だと見るかは観る人次第。私はこれはありだと思うが、日本人にはあまり好まれるタイプの映画ではないと思う。

 オリジナルがメル・ブルックスで、監修でクレジットもされているわけだが、このメル・ブルックスが日本では好みの別れるところだ。私もそれほど好きではないが、好きな人にはたまらないのではないだろうか。主演がスティーヴ・カレルというところもメル・ブルックス的な者を感じるし、ビル・マーレイが登場したシーンなんかはその系統の笑いの真骨頂を感じた。

 それでもやはりバカバカしさも欲しいということで、バカバカしい部分の担当におちこぼれのエージェントと開発担当のオタク2人を配した。マシ・オカとネイト・トレンスが演じたオタク2人のほうはスピンオフ作品『ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート』の主役となって活躍したくらいだから、好評だったのだろう。

 ヒットを受けてシリーズ化の計画も進行中だとか。

ウォルマート/世界一の巨大スーパーの闇

嘘つきで守銭奴で差別主義者、それがウォルマートだよ!

Wal-Mart: The High Cost of Low Price
2005年,アメリカ,98分
監督:ロバート・グリーンウォルド
撮影:クリスティ・テュリー
音楽:ジョン・フリッゼル

 世界最大の小売企業ウォルマート、年間売り上げ40兆円、従業員210万人という大企業が成長を続け、巨額の利益を上げることが可能な理由とは?
 映画監督でプロデューサのロバート・グリーンウォルドが巨大企業の闇にせまった社会派ドキュメンタリー。アメリカでは劇場公開されて大きな話題を呼び、ウォルマートの経営方針にも影響を与えたといわれる。

 ウォルマートといえば日本でも西友を子会社化して間接的に進出しているが、アメリカでは他の追随を許さぬ巨大スーパーマケットチェーン。その売上が年に40兆円に上ることが作品の冒頭で明かされる。40兆円という金額はちょっと想像がつかないが、日本の国家予算(一般会計)の約半分と考えるとそのすごさが少しわかる。

 そしてこの映画はオハイオ州の田舎町でウォルマートの進出によって店をたたまざるを得なくなった家族のエピソードから始めることで、この巨大企業の負の側面を描こうとしていることがわかりやすく示される。ただ、大規模なスーパーマーケットの進出によって個人商店がつぶれるというのは日本でもよく聞く話、それだけではお話にはならない。

 この作品が描くウォルマートのひどさは、この巨大企業が競争相手を叩き潰すだけではなく、従業員、顧客、工場労働者を搾取して利益を生み出しているという点だ。特に前半に描かれる従業員に対する搾取は凄まじい。アメリカの医療保険制度の不備は『シッコ』などにも描かれているが、ウォルマートの医療保険はそんなアメリカの中でもひどく、従業員のほとんどが保険料を払えない。それどころかウォルマートの従業員の中はフルタイムで働いているにもかかわらず生活保護を受けている人までいるという。こんな会社は聞いたことがない。

 その後も出てくるのはウォルマートに対する批判、批判。ウォルマートの経営者は嘘つきで、守銭奴で、差別主義者で、ろくでなしである。それは間違いないようだ。

 もちろん、それは一方的な非難でもある。この作品はウォルマートを徹底的に悪者にし、CEOの映像を道化のように使い続ける。その証拠はない。しかし終盤で登場するウォルマートに対抗する人たちが口々に語るようにウォルマートという巨大な権力に対して市民はあまりに無力なのだ。その力の差を覆すには時には嘘も交えた詭弁を弄するしかないのだ。

 圧倒的に不利な戦いを正攻法のみで戦うというのは自殺行為だ。敵が嘘を武器として使うならこっちも使う、そんな汚い手段も許せるほどにこの映画に描かれたウォルマートはひどい。

 この作品が公開され反響を呼んだ結果、ウォルマートの体質も少しは改善されたらしい。駐車場の警備は強化され、ハリケーン“カトリーヌ”の被害者に対する支援を行ったという(MXテレビ放送時のコメント)。この作品当時世界長者番付の6位から10位に名を連ねていた創業者の遺族は、2007年版では23位から26位に位置している。まあそれでもその合計は800億ドル異常だが3年間で20%ほど減少している。

 創業者一家の金持ちぶりはともかくとすれば、この作品は1本の映画が巨大な権力を動かす力になりうることをある程度証明したと言うことができるだろう。この作品以外でも『スーパーサイズ・ミー』がマクドナルドを動かすなどの例もある。

 とにもかくにもこういう作品が作られなければ、普通の人々にその闇が知られることもない。日本のイーオンやユニクロは本当に大丈夫なのか、大きな企業の活動というのは注意深く見なければならないのだということを改めて認識させてくれる映画だ。

団塊ボーイズ

ディズニーらしいコメディ映画。でもウィリアム・H・メイシーがいい!

Wild Hogs
2007年,アメリカ,99分
監督:ウォルト・ベッカー
脚本:ブラッド・コープランド
撮影:ロビー・グリーンバーグ
音楽:テディ・カステルッチ
出演:ジョン・トラヴォルタ、ティム・アレン、マーティン・ローレンス、ウィリアム・H・メイシー、マリサ・トメイ、レイ・リオッタ

 実業家のウディは妻に逃げられた上に破産、歯科医のダグはストレスを溜め込み、小説家を目指すボビーは仕方なくトイレ修理の仕事に就き、エンジニアのダドリーは恋愛に縁がないのが悩み。そんな4人は学生時代からのバイク仲間で“ワイルド・ホッグス”というチームを結成している。ある日、ウディは遠乗りに乗り出そうと3人を誘うが…
 ジョン・トラヴォルタ主演のコメディ・ロード・ムービー。ディズニーらしい毒にも薬にもならない感じだが悪くはない。

 50代に差し掛かったおじさんたちがいろいろ悩みを抱えながら旅に出るという話。世代的には“団塊”ではないが、まあ日本人の観客にはうまく訴えられる邦題ではある。アメリカでは中年の危機が50歳くらいで訪れるが、日本では定年とともに来るということだろうか。

 まあとにかく若い頃とは違うけれどまだまだ人生あきらめないし、若い者にもそう簡単には負けないという気概が気持ちいい。

 ただ、昔からの仲間だという設定にしては明らかにマーティン・ローレンスだけが若すぎる。仲間の一人にアフリカ系がいたほうがいいという考えはわかるが、年齢がちょっと。といわれて他にいい役者がいるかといわれるとなかなか難しいわけだが… マーティン・ローレンスのキャラクターは作品にあっているし、“おじさん”という枠も必要なわけだから、まあ妥協点としては妥当だと思うが、少し違和感があった。

 しかし、ウィリアム・H・メイシーが活躍するというのがこの作品のいいところ。主演はジョン・トラヴォルタだし、普通に考えればトラヴォルタがスターなわけだけれど、作品の中ではダメ男でメイシーのほうが光っている。この演出がこの作品を救ったことは間違いない。これでトラヴォルタが活躍しちゃったら、相当いやらしい映画になっていた。監督のウォルト・ベッカーはまだそんなにキャリアはないが、なかなかいい監督ではないか。

 しかし、ディズニーってのはいやらしい作品を撮る。マーティン・ローレンスを入れるというのも戦略の一つだが、ゲイの警察官を登場させるというのも一つの戦略だ。あからさまに差別をすることはないが、人々が抱える偏見をうまく利用しながら笑いにもっていく。暴力は登場するが血が流れたりすることはなく、もちろん人が死んだりはしない。酒場が爆発したのに誰も死なないどころか怪我もしないってのはちょっと無理があるんじゃないかと思うが、見ているときにはそこにあまり疑問を覚えることはない。その仕組みの周到さがなんともいやらしい。

 ファミリー向けにはこれでいいと思うが、こういう作品を喜んで見るような大人にはなりたくないものだ。毒にも薬にもならないが、もしかしたら毒にも薬にもなるのかもしれないのがディズニー映画なのだろう。

ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート

スピンオフという名のB級コメディ、ときどきクスリと笑える。

Get Smart’s Bruce and Lloyd Out of Control
2008年,アメリカ,72分
監督:ジル・ジュンガー
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ルーク・ガイスビューラー
音楽:ポール・リンフォード
出演:マシ・オカ、ネイト・トレンス、ジェイマ・メイズ、マリカ・ドミンスク、J・P・マヌー、ラリー・ミラー

 アメリカの諜報機関“コントロール”の研究員ブルースとロイドは“透明マント”を開発、バッテリーの問題もブルースのひらめきで解決していよいよ完成した。しかし、いざ本部に渡すという段になって盗まれていることが発覚、ブルースとロイドはそれを取り返すべく臨時の工作員になるが…
 『ゲットスマート』のスピン・オフとして制作されたアクション・コメディ。「HEROS」のマシ・オカが映画初主演。

 優秀だけれどドジな研究員ふたり組みがドタバタを繰り広げるという話。まあはっきり言ってただそれだけだ。笑いはちらほら、主役のブルースとロイドのふたりのキャラはなかなか面白いのだが、どうも脚本がもたもたしていてテンポがない。

 スピン・オフ作品ということなので、もとを見ていたほうがいいのかとも思うが、おそらく見ても見なくてもそう変わらない。アン・ハサウェイがカメオ出演するあたりは元ネタと関係してくるのだろうが、ほんのワンカットに過ぎない。

 安っぽいのは仕方がないところだが、もう少し間を詰めて内容を盛り込んでいったらもっと面白い作品になったような気はする。ブルースとロイドの関係(たとえばMITと田舎の工科大学という差)をいじるネタなんかは面白いし、ブルースのガールフレンドになるニーナもいろんな意味で存在感があった。

 しかしこんな作品が作られるというのはマシ・オカがアメリカではかなり人気があることの証左だろう。「HEROS」で人気が出て、『ゲット・スマート』では重要な脇役で出演、『燃えよ!ピンポン』なんかにも出ている。アクション/コメディ映画のアジア系の脇役としてこれからも重宝される存在になるだろう。

 スピンオフ作品というかたちをとっているが、1本の映画にするほどの内容ではなかった。TVシリーズの1話くらいにはなる内容だと思うが、やはり研究員は研究で活躍し、エージェントはエージェントで活躍したほうが映画としては面白い。もちろんそれではスピンオフではなくなってしまうのだが…