ウォンテッド

笑ってしまうほどに過剰なアクション。“ひどい”映画だが面白い。

Wanted
2008年,アメリカ,110分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
原作:マーク・ミラー、J・G・ジョーンズ
脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース、クリス・モーガン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:ダニー・エルフマン
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジェームズ・マカヴォイ、モーガン・フリーマン、テレンス・スタンプ、トーマス・クレッチマン

 1000年続くという暗殺集団“フラタニティ”、その内紛で幹部の一人が殺された。一方、ウェスリーはパニック障害を抱えるさえないサラリーマン、ある日ドラックストアで殺し屋に命を狙われ、美女に助けられるその美女フォックスはウェスリーの父親が腕利きの殺し屋だったと告げる…
 『ナイト・ウォッチ』のティムール・ベクマンベトフがハリウッドに進出して撮った痛快アクション、笑ってしまうほどに過激なアクションがすごい。

 この映画ははっきり言ってひどい。いろいろな意味でひどい。

 まずはなんと言ってもアクション。最初のアクションシーンからして、カーチェイスで車が横向きに回転しながら障害物を飛び越えたり(自分で書きながら意味がわからないが)という「んなアホな」というシーンが次々と飛び出す。こういうあまりにありえないものを見たときの人間の反応というのは“笑ったしまう”というものだ。このシーンを見た多くの人がつい笑ってしまっただろう。

 そんな笑ってしまうアクションシーンというのはアクション映画をシリアスに考えるとあまりよくない。まったくリアリティを欠いているということだし、リアリティを著しく欠くシーンがあるということはその作品自体がリアリティを失ってしまうからだ。

 しかし、単純に「笑ったしまう」という現象だけを取り上げると決してそれは不愉快なものではない。なんと言っても笑ってしまうのだから。“笑いヨガ”なんて健康法もあるくらいに笑いというものは気持ちのいいものだ。

 そして『マトリックス』以後の一部のアクション映画は過剰なアクションによって“笑い”を提供してきた。それはもはやコメディでもアクションでもないスペクタクルであり、映画の新ジャンルとも言っていいくらいに多くの作品を生み出してきた。

 そしてこの作品はそんな新ジャンルの極みとも言うべき作品の一つだ。映画をシリアスに捕らえる人にはまったく持って理解不可能、不愉快ですらあるだろう。しかしこのジャンルにはまってしまった人には最高の作品だ。

 不愉快という点から見ると、この映画のもう一つのひどさがある。この作品は“フラタニティ”という組織内に焦点を絞ればプロットもよく練れているし、辻褄も合うし、楽しめる。しかしこの組織と外部とのかかわりを考えるとまったくもってひどいものだ。1000人を救うためにひとりを殺すなどと言っておきながら、人が死に過ぎる。

 死ぬのが悪人であるとか、エイリアンであるなどしてその死が意味を持たないようにしてあれば人がたくさん死んでもスペクタクルの一部として消化でき、ハリウッド映画はよくそんな手法を使うのだが、この映画はそんな配慮をすることもなく善意で無実の人たちがあっさり死んでしまう。これはちょっと嫌悪感を覚える人も多いかもしれない。

 人は見ているものがいくら空想の産物だと知ってはいてもどこかでそこに自分を投影し、現実を投影してしまう。そうなると、この作品の“ひどさ”は耐え難い。でも人間はそれをおいておいて空想の世界に浸ることもやろうと思えば出来る。「死にすぎだよ」と思ってもそれを空想と片付けて楽しむことができれば、そのひどさも忘れられるというものだ。

 ひどいといえば、DAIGOの吹き替えも相当ひどいらしい。どれだけひどいか検証したい人以外は字幕でどうぞ。

僕らのミライへ逆回転

いい意味でも悪い意味でも“くだらない”。とにかくくだらない。

Be Kind Rewind
2008年,アメリカ,101分
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:ミシェル・ゴンドリー
撮影:エレン・クラス
音楽:ジャン=ミシェル・ベルナール
出演:ジャック・ブラック、モス・デフ、ダニー・グローヴァー、ミア・ファロー、メロニー・ディアス、シガーニー・ウィーヴァー

 ニュージャージーの小さな町のレンタルビデオ店の店員マイクは店を開ける店長に店を任されるが、幼馴染で変わり者のジェリーに誘われて何故か発電所を破壊に。しかしそこでジェリーは電流を浴び、磁気を帯びてしまう。そのジェリーによって店のビデオが全部消えてしまう。常連のファレヴィチに『ゴーストバスターズ』をリクエストされた彼らは、自分で作ってしまおうと考えるが…
 ミシェル・ゴンドリー監督、ジャック・ブラック主演のコメディ。チープなリメイクを作るというのは面白いが…

 ジャック・ブラックが『ゴーストバスターズ』や『ロボコップ』のリメイク版を勝手に作るという話、その滅茶苦茶な内容が流れる予告で面白そうだと思った。たしかに、そのリメイクを作る場面は面白い。リメイク作品が面白いというよりは、その作り方の適当さがあまりに下らなくて面白い。

 最初は『ゴーストバスターズ』、次に『ラッシュアワー2』、そのあとは基本的にダイジェストというか一瞬しか撮影シーンが映らないのだが、『2001年宇宙の旅』やら『シェルブールの雨傘』やらいろいろな作品が登場して笑える。

 しかし、はっきり言って面白かったのはその部分だけ、序盤はどうしてビデオが消えることになったのかという説明がまどろっこしいし、終盤は“いい話”になってしまってなんとも興ざめだ。

 この作品の肝は彼らが作った“リメイク”が著作権侵害などなどで訴えられるというところだと思うのだが、その部分もしまりがない。「海賊版許すまじ」というハリウッドの言い草はわかるし、こんな滅茶苦茶なものを野放しにする法はないとは思うが、素人が作るこの程度の質のものにまで目くじらを立てるというのもどうなのか。

 こういう「おふざけ」は鷹揚に許してしまうくらいの度量がメジャーになければ、自由な発想などというものは生まれないし、結局のところ目先の利益にとらわれて将来の芽を摘むということにもなりかねない。文化は模倣から発展するということはこの作品でも取り上げられている『ライオン・キング』が手塚治虫の「ジャングル大帝」に酷似していること(ディズニーは否定しているが)からも明らかだ。またこの「ジャングル大帝」はディズニーファンである手塚治虫が『バンビ』に影響を受けて書いたとも言われている。

 この作品はその著作権が問題になるあたりでお茶を濁してしまっているのも全体がすっきりしない理由になっているだろう。ジャック・ブラックも人のいいキャラが鳴りを潜めて、ただの異常者のようになってしまっているのが残念。

 この作品で一番よかった役者はアルマ役のメロニー・ディアスだろうか。いわゆる“ニューヨリカン”の若手女優、個性的な顔立ちと印象的なまなざしはインディーズを中心にさまざまな作品に需要がありそうだ。実際、2006年には“A Guide to Recognizing Your Saints”という作品でインディペンデント・スピリット・アワードの助演女優賞にノミネートされている。

 映画としてはあまり面白くはないが、見所はいろいろといったところか。

チャックとラリー おかしな偽装結婚!?

ゲイもののコメディは当たりが多い。この作品も普通に面白い。

I Now Pronounce You Chuck & Larry
2007年,アメリカ,115分
監督:デニス・デューガン
脚本:バリー・ファナロ、アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アダム・サンドラー、ケヴィン・ジェームズ、ジェシカ・ビール、スティーヴ・ブシェミ、ダン・エイクロイド

 NYの消防署に勤めるチャックとラリーは親友同士、妻を亡くして子供ふたりを抱えるラリーは年金の受取人を子供に変更するのを忘れていて、手続きに時間がかかるといわれて途方にくれる。そんな折、火事現場でラリーがチャックをすくい、何でもいうことを聞くというチャックに対し、ラリーは年金受け取りのため偽装同性結婚をしてくれと言い出す…
 アダム・サンドラー主演のコメディ。スティーヴ・ブシェミにダン・エイクロイドという豪華キャストでなかなか。

 親友を助けるためにパートナーシップ法を利用して偽装同性婚をしたラリーだったが、偽装ではないかと疑う調査員が派遣されたことで、本当に芸らしく振舞わなければならなくなり、さらに相談した美人弁護士に芸の権利のためのパーティーに参加してくれといわれ、そこで新聞記事になってしまうという展開。

 同時にラリーはその美人弁護士アレックスに惚れてしまい、アレックスのほうはラリーがゲイだということで心を許す。チャックのほうは死から3年経っても妻のことが忘れられず、息子がミュージカル好きなのが悩み。

 なんかどっかで聞いたような話ではあるが、コメディとしてはなかなかよく練られたプロット。

 チャックが入院したときに子供たちが母親が病院で死んだことを思い出して不安に襲われるエピソードを挿入して、チャックの焦燥感をあおるというもって行き方などはなかなか気が利いている。さらにアメリカ人のホモホビアの感情をうまく利用し、消防士というマッチョでもちろんゲイに偏見を持っているチャックに「ゲイも同じ人間なんだ」といわせるという展開はゲイものの王道とも言える展開だ。

 コメディとドラマをうまく融合させたこのプロットのよさも脚本家の列を見れば納得。『アバウト・シュミット』『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペインとジム・テイラーのコンビが名を連ねている。

 笑いの部分ではカナダの結婚式場のアジア系の神父?のところが面白かった。まさにサタデー・ナイト・ライブ的な笑いでアダム・サンドラーの十八番というところか。ゲイがらみの下ネタのほうはあまり笑えなかったが、チャックとラリーがゲイっぽく見える買い物をしているシーンはなかなか面白かった。

 アダム・サンドラーは日本での受けはあまりよくなく、この作品もあっさりとDVDスルーになってしまった。まあ確かに劇場で見るほどではないという気はするが、私は嫌いじゃない。最近ではジャド・アパトー・ファミリーと組んだ『エージェント・ゾーハン』もDVDスルー。監督はこの作品と同じデニス・デューガン、これもなかなか面白そうじゃないか。一方、同年の作品でもディズニー製作の『ベッドタイム・ストーリー』は劇場公開(2009年3月)。私なんかはこの作品はどう見ても面白そうには見えないのだが… 面白そうな映画と日本で受け入れられる映画は違うんだね。

巨人征服

ハロルド・ロイドの真骨頂。アクロバットに優しい笑いが心地よい。

Why Worry?
1923年,アメリカ,77分
監督:フレッド・ニューメイヤー、サム・テイラー
脚本:サム・テイラー
撮影:ウォルター・ルンディン
出演:ハロルド・ロイド、ジョビナ・ラルストン、ジョン・アーセン、レオ・ホワイト

 大金持ちのハロルドは病気の療養のため看護師と召使とともに南米のパラディソ島に向かう。折りしもそのパラディソ島では金儲けをたくらむジム・ブレイクにより革命が行われようとしていた。そこにやってきてしまったハロルドだったが、そんなことは気にもかけない…
 喜劇王ハロルド・ロイドの全盛期である20年代前半の1作。飄々とした雰囲気がいつもどおりにいい。

 チャップリンとキートンとそしてロイド、チャップリンやキートンについては言われないのに、ロイドについて語るときは常に三大喜劇王という冠がついて回る。それは彼が3人の中で一番マイナーな存在だからだろう(特に日本では)。しかし、三大喜劇王といわれるだけ会って、彼もほかの二人に負けない面白さがある。

 特に彼が得意とするのはその顔からは意外に思える体を張った笑い。しかも筋力を生かしたアクロバティックな動きである。アクロバティックというとまずキートンを思い浮かべるが、バスター・キートンのアクロバットがスピードであるのに対し、ハロルド・ロイドのアクロバットはパワーである。

 この作品でも、地面からバルコニーに懸垂で飛び乗ったり、大男に上ったりとさまざまなアクロバットを見せる。もちろん今のアクション映画からみればおとなしいものだが、それでも彼の体が発するパワーは感じれるし、そのアクロバットを笑いにつなげるのもすごくうまい。

 サイレント映画の時代、言葉でギャグがいえない以上、笑いは動きで生まなければならなかった。キートンもそうだが常人離れした動きが笑いを生む。それは現在まで脈々と続く笑いの基本だといえるだろう。それはおそらくサーカスから派生したものだ。

 そう考えると、この時代を席巻した三大喜劇王の誰もがサーカス的な要素を持っているのだということがわかる。それは彼らの活躍したのが映画がまだ見世物であった時代だったということだ。そして活躍しながら彼らは映画に物語性やメッセージ性を取り入れ、映画が見世物からひとつの文化へと成長する一翼を担ったということなのだろう。

 チャップリンは特にその傾向が強く、現代に至るまで評価が高いが、バスター・キートンにもこのハロルド・ロイドにもその傾向は見られる。しかも彼のギャグは今見ても笑える。さすがは喜劇王だと納得。

サミュエル・L・ジャクソン in ブラック・ヴァンパイア

安っぽくはあるが、スリルもホラーも実現したこれぞB級映画!

Def by Temptation
1990年,アメリカ,95分
監督:ジェームズ・ボンド・三世
脚本:ジェームズ・ボンド・三世
撮影:アーネスト・R・ディッカーソン
音楽:ポール・ローレンス
出演:ジェームズ・ボンド・三世、サミュエル・L・ジャクソン、カディーム・ハーディソン、ビル・ナン

 ニューヨークのとあるバーの常連の女は夜な夜な男を引っ掛けてはその男を殺害していた。牧師志望のジョエルは友人のKを頼ってニューヨークにやってくる。その夜、バーでその女と出会い、意気投合する。その女は実はジョエルをずっと狙っていた…
 ジェームズ・ボンド・三世監督・脚本・主演によるB級サスペンス・ホラー。安っぽいが見ごたえはなかなか。

 この“女”は生き血を吸ういわゆる“ヴァンパイア”ではないわけで、この邦題はどうかと思うが、まあそれはおいておいて、この“女”が男をだまくらかして殺してしまったり、破滅させてしまったりという序盤の展開はなかなか面白く、そして恐ろしい。

 そして、主人公のジョエルがニューヨークにやってくるタイミングでジョエルの友人のKが女と知り合うという、わかりやすいけれどその後の展開に期待を抱かせるプロットもうまいし、その“女”が男を引っ掛けるバーにいつも居合わせるいい加減な男の存在も思わせぶりでいい。つまり、決してよく出来たプロットではないのだけれど、それなりのスリルとそれなりの魅力があるということだ。

 そして終盤はというと、凝った特殊メイクや特撮、非現実的な展開、宗教的モチーフと盛りだくさんになる。どれもこれも安っぽくはあるのだけれど、この作品の世界観にはあっているし、90年という製作年を考えると、それなりにいい出来ではないかと思う。

 総じて見ると、これぞまさにB級映画!という印象。いまやビッグ・ネームのサミュエル・L・ジャクソンが出てはいるが、まだブレイク前だし、予算はかけず、題材もバカバカしい。しかし宗教的なテーマを扱ったりして単なるバカ映画というわけではない。中盤、Kがジョエルにニューヨークについて語るところなどは少々哲学的ですらある。

 ジェームズ・ボンド・三世も子役出身でこの作品を最後に映画界を去った。その後何をしているのかとか、なぜ映画界を去ったのかはわからないが、これだけの作品を作れるのだからちょっと残念という気もする。子役は大成しないというのは通説だが、それはあくまでも俳優としての話で、監督や脚本という別の職掌ではその限りではないのかもしれない。まあ言っても仕方のないことだが…

 そして、ブラック・ムービーとしても十分に映画史の1ページに加えうる作品だ。ジェームズ・ボンド三世もサミュエル・L・ジャクソンも重要な脇役で出演しているビル・ナンもスパイク・リー監督の『スクール・デイズ』の出演者であり、この映画には完全に黒人しか出演していない。人種に対する何らかの主張がなされているわけではないが、いわゆる“普通の”映画との違いがこの映画がまぎれもなく黒人映画であることを主張しているように思える。

 B級スリラーファンか黒人映画ファンなら観ても損はない作品だろう。

片腕マシンガール

危険!グロさ満点のスプラッターアクション、井口昇のワンステップ。

The Machine Girl
2007年,アメリカ=日本,96分
監督:井口昇
脚本:井口昇
撮影:長野泰隆
音楽:中川孝
出演:八代みなせ、亜紗美、島津健太郎、穂花、西原信裕、川村亮介

 弟をいじめの末殺された女子高生のアミはいじめグループのリーダーであるやくざの息子木村翔に復讐を果たすため、失った左腕にマシンガンを装着し、立ちはだかる敵を殺し続ける…
『恋する幼虫』の井口昇がアメリカで日本の映画作品の輸入を手がけてきた“メディアブラスターズ”の出資によって撮り上げたバイオレンス・アクション。残虐シーンが盛りだくさん。

 井口昇はスカトロもののAV出身で、AVも撮り続けつつ『恋する幼虫』なんて一般映画も撮ってきた。スカトロ出身なだけに人間の肉体に対する執着は凄まじく、人間の体のかたちが何らかの形で変貌を遂げるという現象を執拗に映像にしてきた。これまでもやたらと舌が長かったり、目ん玉を出し入れしてみたり、いろんなことをしてきた。

 今回はそれが女子高生の腕がマシンガンになるというかたちをとり、さらにさまざまな暴力と特殊効果によって腕や首や胴がもげたり、穴があいたり、真っ二つになったり、焼け爛れたりする。これらの残虐シーンははっきり言って気持ち悪い。スプラッター映画に目を向けられないという人は吐き気を催すであろうほどのひどさだ。

 しかし、それは逆にそのスプラッターを演出する特殊効果のリアルさを裏打ちするものでもあるし、洗練されたアクションシーンがその印象をさらに強める。こういう過剰にリアルな残虐なアクションというものにはカルト的な需要が常にある。それはカルト≒異形という構図の範疇に収まるもので、それが暴力/アクションとつながることでそのマーケットは広がる。そのジャンルではかなり完成度の高い作品ということができるだろう。

 暴力的なカルト映画というとどうもいい印象をもたれないが、たとえばクローネンバーグやジョン・カーペンターなんてのも、もともとはそんなマーケットから現れたということも出来るだろう。

 残虐性というのは肉体の欠落と常に表裏一体であり、肉体の欠落とは異形とつながる。そして異形は畏敬につながる。“健康な”社会は異形を社会の前面から排除し、見えないものにしてしまうが、それは私たち自身と表裏一体のものとして存在しつづける。異形を描くカルト映画というのは私たちが抱え続ける“闇”の部分をそのように描くからこそ魅力を持っているのだ。

 だからカルト映画の中には私たちが日常の中で忘れがちな“闇”の中の事実を突きつける名作が時々表れる。たとえばクローネンバーグの『スキャナーズ』なんかがそれだし、日本ではこの井口昇監督の『恋する幼虫』なんかがまさにそうだ。

 というわけでこの作品にも期待していたわけだが、このような過剰な暴力との結びつきは私にとっては残念な方向性に進んだといわざるを得ない。彼の異形に対するまなざしは以前の作品ではもっと優しく、誇張しながらもわれわれに何かを投げかけていた。しかしこの作品は異形を圧倒的な暴力と結びつけることで単なる肉体の崩壊に堕してしまっている。異形と暴力を結び付けるにしても、その異形に対するまなざしにもっと深みを持たせて欲しかった。

 悪役が徹底的に悪役なのはいい。しかし肉親が殺された憎しみによって人々が残虐性を容易に獲得してしまうというプロットは絶望的過ぎはしないだろうか? 肉の塊となってしまった肉親を見て人々が感じるのは漏れなく憎しみなのだろうか? その単純化がこの作品に決定的な欠点となっている。

 カルト映画がカルト映画として一般映画ファンにも受け容れられるためにはそれが一般映画にはない複雑さをもっているときだけなのではないか。表面的には単純な暴力を描いていても、その裏には哲学的あるいは冷笑的な意図が潜んでいる。そんな意図がこの作品には欠如していると思う。

 もちろんこれは井口監督のアメリカ進出の第一歩であり、本格的に“暴力”に取り組んだ最初の作品でもある。いつの日か“暴力”を彼なりに消化して本当に世界に通用する傑作を撮ってくれるだろうと私は期待している。

俺たちニュースキャスター

ジャド・アパトーのいつものバカコメディ。でも豪華ゲストが出演。

Anchorman: The Legend of Ron Burgundy
2004年,アメリカ,94分
監督:アダム・マッケイ
脚本:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ
撮影:トーマス・アッカーソン
音楽:アレックス・ワーマン
出演:ウィル・フェレル、クリスティナ・アップルゲイト、ポール・ラッド、スティーヴ・カレル、デヴィッド・ケックナー、セス・ローゲン、ルーク・ウィルソン、ベン・スティラー、ジャック・ブラック、ヴィンス・ヴォーン、ティム・ロビンス

 1970年代のサンディエゴ、地元で圧倒的な人気を誇るニュースキャスターのロン・バーガンディは仲間達と楽しい日々を送っていた。そこにアンカーを目指すヴェロニカがレポーターとしてチームに入ってくる。ロンがヴェロニカにアタックしふたりは恋愛関係になるが…
 ジョン・アパトー製作のおばかコメディ。ジャック・ブラック、ティム・ロビンスといった豪華ゲストが見もの。

 “ウーマンリブ”運動が盛り上がりつつある70年代、まだまだ男社会のニュースチームに一人の女性が入ってくることで展開されるドタバタ。ジャド・アパトーが映画に本格的に進出した最初の作品ともいえベン・スティラー、ジャック・ブラックらコメディ界のスター達がゲスト出演している(多くはノン・クレジット)。その後、『40歳の童貞男』、『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』など下らないコメディを量産するジャド・アパトー・ファミリーの記念すべき第1作といえるかもしれない。

 内容のほうは、そんな記念碑的な作品にふさわしい下らなさ。テーマは70年代の男と女、女性の実際的なところと男のバカさ加減。常に男がバカでコドモだということを描き続けるジャド・アパトーらしい設定だ。人気を誇るニュースキャスターチームだが言葉もろくに知らず、酒と女にしか興味がない。それがバカバカしい笑いを生むというわけだ。いいのは小さなネタがいろいろとちりばめられているところ、2×2のルービックキューブなんかをわざわざ用意するあたりのこだわりが好きだ。

 そしてその男のバカさ加減が極まったところで豪華ゲスト出演の乱闘シーンとなる。ここもなかなか面白い。最後の最後にはIQ48のブリックがブッシュ政権のブレーンになるというブラックジョークまで披露される。

 大爆笑というわけではないが、くすくすニヤニヤしてしまうようなネタは十分、これくらいの下らなさ、これくらいの面白さなら、ウィル・フェレルの下品さも我慢できるかも。

 アダム・マッケイは何か社会批判というか社会問題を笑いにするのが好きなようだが、結局あまりたいしたことは言えないのだからやめたほうがいいと思う。この作品もどこかで男社会のバカさ加減を皮肉るという意図があったのだろうけれど、それにはまったく成功していない。変なこと考えずにあまり下品にならないバカバカしいコメディを撮っていればなかなかの監督だろうとおもう。

 ジャド・アパトー・ファミリーのコメディに支持者は少ないと思うが、うまくはまれば爆発的に面白い作品が出来るかもしれないという予感はする今まで見たところではセス・ローゲン主演の『スモーキング・ハイ』が一番面白かった。下手な鉄砲も数打ちゃあたるさ。

俺たちステップ・ブラザース-義兄弟-

コドモな大人の姿が悲しすぎて笑えない、不完全燃焼のコメディ映画

Step Brothers
2008年,アメリカ,98分
監督:アダム・マッケイ
原案:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ、ジョン・C・ライリー
脚本:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョン・ブライオン
出演:ウィル・フェレル、ジョン・C・ライリー、メアリー・スティーンバージェン、リチャード・ジェンキンス、アダム・スコット

 40歳にもなって仕事もせずジャンクフードを食べテレビばかり見ているブレナンとデール。その母親と父親が再婚したことからふたりは義兄弟に。その環境の変化を受け容れられないふたりは互いを嫌うが、やがて趣味の一致を見出し“義兄弟”として仲良くやるようになるのだが…
 ウィル・フェレルがジョン・C・ライリーを相棒に迎えたナンセンスコメディ。

 39歳と40歳で仕事もせず家でTVを見てジャンクフードを食べているばかりのブレナンとデール。その母親と父親が再婚したことで、ブレナンがデールの家にやってくるのだが、このふたりが本当に痛々しい。ただ仕事をせずにぶらぶらしているというのではなく、完全にコドモなのだ。やることなすこと考え方から好きなものまですべてがコドモ、見た目はおっさんなのに完全なコドモ、この姿があまりに痛々しい。

 だいたいコメディ映画というのは「こんな奴いねーよ」と思わせながらどこかでそれに近い人は存在しているような気にさせないとそこに笑いは生まれない。この映画の場合、だいの大人が子供みたいなことをしているのを笑えということなのだろうけれど、あまりにコドモすぎて気持ち悪くて笑えない。下ネタのえげつなさもその気持ち悪さを助長する。

 結局キッズ・ムービーでやるのとまったく同じことをおっさんでやったというわけだけれど、果たしてそこに何の意味があるのか。子供なら笑えることも大人じゃあ笑えない。展開としては当然自立の道を歩き始めるということになるのだが遅きに失し、いきなり大人になったふたりを見てデールの父親は「お前たちのよさをなくすな」見たいな事を言うが、本当にそうなのか?

 この作品のもうひとりのキーパーソンはブレナンの弟のデレクだ。若くして成功した彼は文句なしのいやな奴だが、はやく大人になり成功したデレクとブレナンたちの対比には意味がある。そしてデレクの妻アリスがデールにぞっこんになってしまうというところは非常に面白い。価値観というのは人それぞれで気持ち悪い大人コドモを好きになる人もいるわけだ。ここを発展させて行ってそれをブレナンたちの未来につなげたらもう少し納得できる展開になったような気がする。

 90年代の白人ラップのパロディPVとか、ゾンビのパロディなんかを使うところは面白いし、最後には白い鳩が飛ぶ。そんなこんなで笑いどころがないわけではなく、センスもさすがに悪くないと思うのだが、どうも気持ちが悪い。ウィル・フェレルの顔が気持ち悪いのは、自分でネタにしていることからも織り込み済みなのだろうが、やっぱりちょっと…

 ところで、この作品には一昨日の『スモーキング・ハイ』の主演だったセス・ローゲンもちょい役で出演している。セス・ローゲンがウィル・フェレル作品出ることが多いのは、彼らが“ジャド・アパトー・ファミリー”であるからのようだ。下品なナンセンスコメディばかり製作しているこのファミリーの作品は当たりはずれが激しいような気がするが、好きな人にはたまらないのかもしれない。アメリカンコメディ好きな方はジャド・アパトーの名前は要チェックだ。

スモーキング・ハイ

Pineapple Express
2008年,アメリカ,112分
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン
原案:ジャド・アパトー、セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ
脚本:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ
撮影:ティム・オアー
音楽:グレーム・レヴェル
出演:セス・ローゲン、ジェームズ・フランコ、ダニー・R・マクブライド、ゲイリー・コール、ロージー・ペレス

 召喚状の配達人をしているデールは無類のマリファナ好き。馴染みの売人のソールから“パイナップル・エクスプレス”という珍しいマリファナを手に入れ上機嫌で仕事に出かけるが、そのソールの元締めだというテッド・ジョーンズのところに召喚状を届けに行くと運悪く殺人を目撃していしまう。パニックに陥ってすいかけのマリファナを捨ててきてしまったデールはそこから足がつくと思いソールのところに駆け込むが…
 カナダの若手コメディ俳優セス・ローゲンが脚本・主演を務めたクライム・コメディ。ハイテンポな展開と小ネタがケッサク。

 このコメディは相当面白いと私は思う。もちろんコメディというのは見る人によって面白いと思えるかどうかが大きく変わるし、見る時期や気分によってもその面白さは大きく左右されてしまう。しかしこの作品は名作とは言わないまでもかなりの人が笑える作品だろうと思う。

 この作品の主人公デールはマリファナが好きなだけの無害な男。しかしたまたま殺人を目にしてしまって危険な男たちに追われる羽目になる。逃げる相棒となるのは売人のソール。ふたりして間抜けなことを繰り返し、どんどん追い詰められていってしまう。しかし、この2人が善人だというのがこの映画のミソである。善人というよりはガキなのかもしれないが、私欲のために相手を裏切ったりすることはなく、ある意味ではロマンティックな男たちなので安心してみることができる。そんなキャラクターの構築の仕方がとてもうまい。

 そしてもうひとつ面白いと思ったのは私たちがアクション映画を見ているときに「ほんとかよ!」と思うような突込みどころを見事に笑いにしているというところ。カーチェイスをしているときに何かの理由で前が見えなくなり、フロントガラスを蹴破るというのはアクション映画で時折見られる光景だが、この作品でもそれをやろうとして足がガラスに突き刺さって抜けなくなってしまう。運転しながら見事に割って運転し続けるよりも、そのようが「さもありなん」という感じがする。しかも足を突き刺したまま運転している状況を外からも撮影しているその画が笑える。

 ほかにもそんな小ネタが結構ある。そしてそのたびに間抜けな画で観客を笑わせる。このノリが映画ファンの心をくすぐる。

 下ネタも満載だが、そんなに下品なものではなく、大人なら笑い飛ばせる類のもの。2人のガキっぽさを演出するのに欠かせない要素ともいえるので、あって正解。ただ劇場公開されればPG12くらいにはなっただろうという感じはする。

 この主演のセス・ローゲンはカナダ出身のコメディ俳優。16歳で「フリークス学園」というTVシリーズに抜擢されたが、予定放送回数を終えることなく打ち切りとなる。しかし『ボラット』のサシャ・バロン・コーエンの「Da Ali G Show」に脚本家として参加、2006年には『40歳の童貞男』で映画デビュー。2007年の『スーパーバッド 童貞ウォーズ』では脚本にも参加した。

 この『スモーキング・ハイ』は「フリークス学園」のプロデューサで『40歳の童貞男』の監督でもあるジャド・アパトー、「Da Ali G Show」の共同脚本家であるエヴァン・ゴールドバーグとセス・ローゲンの3人で原案から作り上げた作品である。この3人の誰しもが決して有名とはいえないが、これからヒットメイカーになっていくのではないかという予感がする。

 この作品のセス・ローゲンは非常にうまいと感じさせる。面白いというよりはうまい。すごく普通な感じなのでシリアスなシーンも演じることができるのに、瞬発力があって笑えるシーンでは面白さが爆発する。『40歳の童貞男』という映画はあまり面白くなかったが、主人公の同僚を演じていたセス・ローゲンのことは記憶に残っている。

 ハリウッドのコメディ映画にはその時代時代にスターが生まれる。このセス・ローゲンがスターになるかどうかはわからないが、脚本もかける器用さがあるから、近い将来アダム・サンドラーのような存在にはなるだろうと思う。

サイボーグ

Cyborg
1989年,アメリカ,90分
監督:アルバート・ピュン
脚本:キティ・チャルマース
撮影:フィリップ・アラン・ウォーターズ
音楽:ケヴィン・バッシンソン
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、デボラ・リクター、デイル・ハドソン、ヴィンセント・クライン

 文明が崩壊し、ペストによって人類滅亡の危機にある地球、ペストの治療のための情報をインプットしたサイボーグがフェンダー率いるギャング一味に奪われる。フェンダーに個人的な恨みを持つギブソンとサイボーグを救いたいナディは一行を追いかけるが…
 最低映画監督アルバート・ピュンがジャン=クロード・ヴァン・ダム主演でとった近未来アクション。あまりのひどさに一件の価値はあり。

 この作品は基本的には典型的なハリウッドアクション映画だ。男たちがこぶしで殴りあい、ナイフを振り、言葉にならない雄たけびをあげる。殺せるチャンスがあっても殴り倒すことを選び、意味もなく筋肉ムキムキの体をひけらかす。

 タイトルは『サイボーグ』となっているが、それは対立するフェンダーとギブソン(ギターの名前みたいだ)がそのサイボーグを奪い合っているからであって、別にサイボーグが闘うわけではない。まあ近未来の終末観を出したいがために舞台を未来に設定し、未来であることがわかるようにそんなタイトルにしたのだろうけれど、実際のところ文明が衰退してしまったために火器はほとんど使えなくなっているので、舞台は古代ローマでもかまわなかったのかもしれない。

 そのどこでもいいところでどうでもいいことが起きる。そもそもペストって抗生物質で治るよね? いくら文明が崩壊したからってそれで人類が滅亡するという設定もひどい。何らかのウィルスが働いて人間が凶暴化したなんていう設定ならわかるが、ペストでこんなになるなんて…

 この映画がヒットしたというのだから本当にアメリカという国はわからない。そんなにみんな意味のない暴力が好きなのだろうか。基本的に言葉をしゃべらず、多くの登場人物が顔を隠しているのは、その無名性によって人間性を否定し暴力を正当化するためだろうか。人間でない人間が殴りあい殺しあう。そのさまを見るのがアメリカ人は好きなのだろうか。

 まあ出来が悪くリアリティがまったくないので、人と人が殺しあうことに対する嫌悪感というものすら感じさせないので、唾棄すべき作品というよりはあまりにひどくて笑っちゃう作品といったほうがふさわしい。たとえるならば「まずいのに体にいいわけではない青汁」(悪くもない)というところだろうか。なかには「まずーい。もう一杯」と言ってしまう人がいるから、この最低の監督アルバート・ピュンは作品を撮り続けてしまっているのだろう。

 そんなアルバート・ピュンの毒にやられてしまっている人と若かりし頃のジャン=クロード・ヴァン・ダムが見たいという人以外にはまったく勧めません。あとは本当にどうしようもないクソ映画(汚い言葉ですみません)を観たい人はどうぞ。