ピクチャー・パーフェクト/彼女が彼に決めた理由(わけ)

Picture Perfect
1997年,アメリカ,102分
監督:グレン・ゴードン・キャロン
脚本:アーリーン・ソーキン、ポール・スランスキー、グレン・ゴードン・キャロン
撮影:ポール・サロッシー
音楽:カーター・バーウェル
出演:ジェニファー・アニストン、ジェイ・モーア、ケヴィン・ベーコン、オリンピア・デュカキス、イレーナ・ダグラス

 広告代理店に勤めるケイト(ジェニファー・アニストン)は企画会議でアイディアが認められるが、実際のチームには加えてもらえずいライラがます。一方で母親には孫の顔が早く見たいといわれ、職場で気になる存在のサム(ケヴィン・ベーコン)には善人過ぎてダメといわれる。そんな中ケイトは友人の結婚式に出席するのだが…
 仕事・恋愛・結婚を絡ませ、微妙な心の揺れ動きを描くまっとうなラヴストーリー。ジェニファー・アニストンが等身大(と思わせる)のキャラクターを演じていて非常に魅力的。途中で挿入される、メイシー・グレイの歌声も心に響く。

 こういう、まっとうなラヴストーリーを撮ってしまうところがハリウッド映画なわけだが、この映画はそれなりに成功している。ジェニファー・アニストンはかわいいし、ケヴィン・ベーコンも虚勢をはった感じをよく演じていると思う。この映画で最期まで臆病者でありつづけるのはケヴィン・ベーコン演じるサムだけ。その他の人は勇気を振り絞って大団円ということね。ハリウッド映画だから、ハッピーエンドで終わるんだろうなと予想はつくものの、「もしかしたら」と思わせる展開もなかなかうまい。
 問題はあまりに無難なところか。2箇所くらいいい画があったけれど、それも偶然かもしれない。これはハリウッドの典型的な娯楽映画(それはつまり映画として本質であるということかもしれない)であり、娯楽映画としてはなかなかの出来栄えなので、そんなことを言う必要もない。でも、言いたい。うーん、たわごとですね。
 気分ほんのり、後も引かない。朗らかな日常の清涼剤に。そんな映画でした。 

スリーメン&リトルレディ

Three Men and a Little Lady
1990年,アメリカ,104分
監督:エミール・アルドリーノ
原作:コリーヌ・セロー
原案:サラ・パリオット、ジョーサン・マクギボン
脚本:チャーリー・ピーターズ
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:トム・セレック、スティーヴ・グッテンバーグ、テッド・ダンソン、ナンシー・トラヴィス、フィオナ・ショウ

 「スリーメン&ベビー」の続編。メアリーはすくすくと成長して5歳。「父親」たちと幸せに暮らしていたが、母親がイギリスのお金持ちと結婚することになり、イギリスへ行くことに。3人の父親は、メアリーの幸せのためと心に言い聞かせるが…
 監督は代わったものの、スタッフはほとんど同じで、話の展開の仕方も前作をしっかり踏襲している。ただ、前作のシナリオに比べ、少し練り足りないという気もする。続編にありがちなマンネリ化を逃れることはできなかったようだ。 すべてにおいて単純明快だが、細かいハプニングを散りばめて展開力をつけることで、観衆をひきつけることには成功しているようだ。女学院の校長がなかなかいいアクセントになっている。

 フランス映画をリメイクした上、続編まで作ってしまうハリウッドのしたたかさには感心させられてしまうが、ふたつともなかなかよくできた映画。レナード・ニモイの監督というのも話題性があったし、個人的には、ポリス・アカデミーシリーズで人気者になったスティーヴ・グッテンバーグの作品ということで注目したことを思い出す。スティーヴ・グッテンバーグはこの作品にほれ込んで、当時計画されていたポリス・アカデミー5の出演を断った(んだったと思いますが、いかんせん10数年前の記憶なもので)というほどこの作品に力をいれていたらしい。確かにこの3人を主人公に据えたのがこの映画の最大の成功の理由だと思う。3人ともがなんだかホモっぽく見えてしまうところもいい。
 といっても、やはりこの作品は元の「赤ちゃんに乾杯!」に負うところが大きいのだろう。「赤ちゃん」のほうを見ている方はわかると思いますが、ほとんど同じと言っていい。「プリシラ」と「三人のエンジェル」よりはるかにそっくり。いい発想は、もらってリメイク。これもハリウッドの常套手段。それで面白い映画ができるなら文句はないわけですがね。

スリーメン&ベイビー

Three Men and a Baby
1987年,アメリカ,103分
監督:レナード・ニモイ
原作:コリーヌ・セロー
脚本:ジェームズ・オア、ジム・クルークシャンク
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ
出演:トム・セレック、スティーヴ・グッテンバーグ、テッド・ダンソン、ナンシー・トラヴィス、セレステ・ホルム

 フランスで大ヒットした「赤ちゃんに乾杯!」をハリウッドでリメイク。共同生活をしていた三人の独身男の家の前にある日赤ん坊が置き去りに。誰の子供なのかもわからないまま、三人は手探りで子育てをするはめに…
 スター・トレックシリーズのミスター・スポックとして有名なレナード・ニモイのスター・トレックシリーズ以外では初の監督作品。ハリウッド得意の、ホロリと感動させるコメディなんて、見た目からは想像つかない映画を撮るものだ。
 映画の出来としては、シナリオがよくできているので、何も考えることなく楽しめる。10数年前の新鮮さはなくなったが、古さを感じさせることはない。ただ、全体的な浮かれた雰囲気が80年代を感じさせる。

 フランス映画をリメイクした上、続編まで作ってしまうハリウッドのしたたかさには感心させられてしまうが、ふたつともなかなかよくできた映画。レナード・ニモイの監督というのも話題性があったし、個人的には、ポリス・アカデミーシリーズで人気者になったスティーヴ・グッテンバーグの作品ということで注目したことを思い出す。スティーヴ・グッテンバーグはこの作品にほれ込んで、当時計画されていたポリス・アカデミー5の出演を断った(んだったと思いますが、いかんせん10数年前の記憶なもので)というほどこの作品に力をいれていたらしい。確かにこの3人を主人公に据えたのがこの映画の最大の成功の理由だと思う。3人ともがなんだかホモっぽく見えてしまうところもいい。
 といっても、やはりこの作品は元の「赤ちゃんに乾杯!」に負うところが大きいのだろう。「赤ちゃん」のほうを見ている方はわかると思いますが、ほとんど同じと言っていい。「プリシラ」と「三人のエンジェル」よりはるかにそっくり。いい発想は、もらってリメイク。これもハリウッドの常套手段。それで面白い映画ができるなら文句はないわけですがね。

ムーン44

Moon 44
1990年,アメリカ=西ドイツ,100分
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ディーン・ハイド、ローランド・エメリッヒ
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:ジョエル・ゴールドスミス
出演:マイケル・パレ、マルコム・マクダウェル、リサ・マイクホーン、ディーン・デヴリン、ブライアン・トンプソン

 「インディペンデンス・デイ」の監督ローランド・エメリッヒの初期の作品。地球の資源が枯渇し、他惑星からの鉱物輸送が必要となった21世紀、資源豊富な惑星“MOON44”を巡る多国籍企業同士の攻防戦が巻き起こる。
 宇宙戦闘機や高性能ヘリコプターなどによって、近未来的な戦いが繰り広げられる。ただ、この物語の焦点はSFであることよりも、サスペンスでありドラマであること。ムーン44を守る側の囚人と10代の青年たちとの関係に焦点が当てられる。 

 この映画がSFであり、外惑星を舞台とする必要などこにもない。エイリアンがでてくるわけでも、地球ではないことがストーリーに大きな影響を与えるわけでもない。エメリッヒの作品は、考えてみれば「インディペンデンス・デイ」も「スターゲイト」もSFの仕掛けを使った人間ドラマだということができるのかもしれない。
 それを置いておけば、ドラマとしては悪くはない。安価な労働力として集められた囚人と青年たちという設定も自然だし、彼らの間の抗争関係もありきたりといえばありきたりだが、プロットを引っ張ってゆく要素としてはうまくできていた。映像も動きがって、引き込まれる。ただ、全体に暗い映像で作られているのは、意図はわかるが少ししつこい気がした。狙いすぎか、それとも稚拙なセットを隠すための仕掛けか。

フランケンシュタイン

Mary Shelly’s Frankenstein
1994年,アメリカ,123分
監督:ケネス・ブラナー
原作:メアリー・シェリー
脚本:スティーヴン・レディ、スランク・ダラボン
撮影:ロジャー・プラット
音楽:パトリック・ドイル
出演:ロバート・デニーロ、ケネス・ブラナー、トム・ハルス、ヘレナ・ボナム=カーター

 フランシス・フォード・コッポラがケネス・ブラナーに監督を任せて製作した古典ホラー「フランケンシュタイン」。コッポラは92年に「ドラキュラ」も製作しているので、この当時古典ホラーにこっていたのかもしれない。
 しかし、映画の内容はホラーというよりはクリーチャー自身とその周りの人々の人間関係に焦点を当てたもの。人造人間クリーチャーを巡る一編の悲劇映画に仕上がっている。
 見所はロバート・デ・ニーロのなりきり具合と、ロジャー・プラットのかなり動的なカメラワーク。あとはコッポラらしくお金をかけたセットとデ・ニーロの特殊メイクの凝りよう。 

 原作に忠実ということが、フランケンシュタインのホラーとしての面白さを奪ってしまった。フランケンシュタインを古典ホラーと考えるなら、この作品はまったくの的外れ。今まで幾度も映画化されてきたフランケンシュタインは1931年のジェームズ・ホエール監督版のリメイクとしての色が濃かったが、それをあえて拒んで、原作に立ち返ったコッポラの試みは成功したのか?
 それを判断するには私たちは、ジェームズ・ホエールの描くフランケンシュタイン像に影響されすぎているのかもしれない。ロバート・デ・ニーロが完璧に演じるクリーチャーに我々は新鮮さを覚えると主に違和感を感じざるを得ない。「フランケンシュタイン」を映画化する以上、そのような過去の映画と決別することは不可能なのだから、それを考慮に入れないで、という考えは現実的ではないのだけれど、あえてそう考えるとするならば、この作品はある程度は成功している。ロジャー・プラットの「画」とロバート・デ・ニーロの「顔」に支えられているとはいえ、映画としてのまとまりはとりあえず保たれている。人造人間の孤独と悲惨を表情の乏しい顔で表現するデ・ニーロの演技は素晴らしい。 

 とはいえ、ある程度のフランケンシュタイン像ができてしまっている映画ファンにとっては期待はずれの一作に過ぎないこともまた事実ではある。

サイダー・ハウス・ルール

The Cider House Rules
1999年,アメリカ,126分
監督:ラッセ・ハルストロム
原作:ジョン・アーヴィング
脚色:ジョン・アーヴィング
撮影:オリヴァー・ステイブルトン
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、マイケル・ケイン、デルロイ・リンド、エリカ・バドゥ

 アメリカ文学界の巨匠ジョン・アーヴィングが自ら脚色し、「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストロムが監督した心温まる物語。
 セント・クラウズという田舎の孤児院で生まれ育ったホーマーは青年となり、自らの未来に疑問を持ち始める。彼が父親代わりの医師ドクター・ラーチをはじめとした人々との係わり合いの中で人間的に成長してゆく物語。
 物語が非常に素直に構成され、映像も素朴に美しく、単純に感動できる。なんだか誉めているように聞こえませんが、本当に映像も出てくる人々も暖かく美しく、見るとなんだか幸せになれる。ラストシーン近くになると周りからすすり泣く声も聞こえてきた。
 ラッセ・ハルストロムは「やかまし村の子供たち」でメジャーになっただけに、子供を扱うのがうまいし、いわゆる文学的な作品を撮るのがうまい。子供の撮り方がわざとらしくないし、時代設定を第二次大戦直後としているところもうまくはまっている。映像も、古典的な撮り方(たとえばひとつばらすと、旅立ちのシーンで、上からの画で、車が画面の下から奥へと走ってゆく、というカットがあるけれど、これは「旅立ち」という意味を比喩的に表現する古典的な方法である)をしているが、躍動感がある。
 とにかく、うまくまとまっていて、単純に感動できる映画。

 この映画の感動させる力とはなんだろうか?青年ホーマーの心の純粋さ。周りの人々の素朴な人間性。世の中こんなに善人ばかりじゃない!というのが今の世の中なのだし、映画もそのような世の中を切り取って描くことが一般的ではあるけれど、映画という虚構の世界ではこのような世界観も許されるということが実感される。
 映像は美しいがこれといった特別な工夫もなく見える。登場する人々の演技も特に素晴らしいというわけではない。しかし、これだけ出演者たちを素朴に見せるということはその裏に緻密な演出の技量が隠されている。子供を撮るのがうまい監督に共通するのはその子供を自然に素朴に見せるという力量。このラッセ・ハルストロムとアッバス・キアロスタミがそのような子供の演出に特に秀でていると思う。

トゥルーマン・ショー

The Truman Show
1998年,アメリカ,103分
監督:ピーター・ウィアー
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:ピーター・ビジウ
音楽:ブルクハルト・ダルウィッツ
出演:ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リネイ、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーン

 誕生の瞬間から、その存在が世界に生中継される男トゥルーマン。彼の生活のすべては壮大なセットの島シーヘブンで、俳優たちに囲まれて営まれていた。そんな彼も29歳になり、何かがおかしいことに気づき始める…
 近未来にありうべき現象を、コメディという形で描こうとした作品。しかし、笑えるところはあまりなく、コメディというよりはヒューマンドラマ。テレビを見ている側の人々の反応が面白い。
 この映画のいいところはジム・キャリーとエド・ハリス。ふたりの演技とキャラクターがなければ成立しなかっただろう。トゥルーマン(ジム・キャリー)とクリストフ(エド・ハリス)の微妙な関係(クリストフからの一方的な関係ではあるが)がこの映画のプロットを支えている。

 「エドtv」と比較すると、こちらはコメディという感じはしない。むしろシリアスなドラマ。となると、主演がジム・キャリーであるのはどうかと思うが、実際に映画を見てみるとそれほど違和感はない。ジム・キャリーはシリアスな役もできるということか。
 あとは、もう少しプロットが練られているとよかったかもしれない。もう少し複雑に様々な要素が入り組んでくると面白かったろうし、トゥルーマンが疑問を覚える点があまりにもつたないのが気になる。たとえば、手術室で患者がビックリして跳ね起きるとか。30年もやってる番組なんだから、俳優ももう少し熟練してもよさそうなものだが…などという点が少し気になりました。

というのが、前回のレビューです。 

 今となっては、ジム・キャリーはシリアスドラマを普通にこなす演技派の役者になってしまっています。そんなことはいいとして、この映画をどう見ることができるのか? ということが気になります。基本的にはトゥルーマンを応援するという立場に立つ。それはつまり映画の中の視聴者と同じということですが、その立場に立ってみるのが一番楽だし、入り込めるし、終わったあともすっきりする。そのようにして映画を見るのが普通(見るように仕向けられている)わけですが、終わって振り返ってみると、何か引っかかる。それは、最後のカット、警備員が言うせりふです。これが示すのは(テレビ番組としての)『トゥルーマン・ショー』が文字通り「ショー」でしかなかったということです。トゥルーマンにとっては紛れもない現実であるにもかかわらず、結局それは現実としては捉えられていない。それが明らかになってしまうと、この映画ををいわゆるヒューマンドラマとしては見れなくなってしまう。
 では、どう見ればいいのか。もちろんどう見てもいいんですが、たぶんこの映画は全体としてはメディアを描いているので、メディアについて考える。自分が本当に映画の中の視聴者と同じ立場に立っていていいのか? ということ。もちろんそれでもいい。あるいは、彼らもまたメディアに踊らされているに過ぎないのだと考えてもいい。そのような意味ではレベルこそ違えトゥルーマンと変わらないのだと。それがいい悪いではなく、自分とメディアの関係はどうなのか、現代の世の中はメディアなしでは成立し得ない中で、それとどう付き合っていくのか。 

 なんだか、歯切れが悪いですが、自分でもよくわからないので。

エドtv

EDTV
1998年,アメリカ,123分
監督:ロン・ハワード
脚本:ローウェル・ガンツ、ババルー・マンデル
撮影:ジョン・シュワルツマン
音楽:ランディ・エデルマン
出演:マシュー・マコノヒー、ジェンナ・エルフマン、ウディ・ハレルソン、ロブ・ライナー、デニス・ホッパー

 サンフランシスコのケーブルテレビ局が社運を賭けた新番組「トゥルーTV」。これはごく普通の人の生活を24時間生放送するというもの。その主人公に、31歳のレンタルビデオ店員エドが選ばれた。
 内容はあまり明かしてはいけないらしいので、伏せることにしますが、同時期にアメリカで公開された、「トゥルーマン・ショー」や「エネミー・オブ・アメリカ」と同様、プライヴァシーの問題に焦点を当てた作品。しかし、その二作品と異なるのは舞台が完全に現代であるということ。実際に今放送されていても不思議なはいほどのリアルな番組作り。
 こう書くと、なかなか社会は映画のように見えるかもしれませんが、純然たるコメディ。とりあえず笑って笑って、ストーリー展開も、入り込みやすく作られているし、適度に織り込まれた笑いのセンスもなかなか。何も考えずに見られる映画が見たいという人にはいいかもしれません。
 あとは、主人公にマシュー・マコノヒーを使ったのもこの映画の性質からいって成功の秘訣かも。普通の人の生活を映すって言ってるのに、主人公がジム・キャリーみたいに芸達者じゃちょっとね。難をいえば、123分という長さなので、中盤少し中だるみする感じ。

バタフライはフリー

Butterflies are Free
1972年,アメリカ,109分
監督:ミルトン・カトセラス
脚本:レナード・ガーシュ
撮影:チャールズ・B・ラング・Jr
音楽:ボブ・アルシヴァー
出演:ゴールディ・ホーン、エドワード・アルバート、アイリーン・ヘッカート、ボブ・アルシヴァー

 当時若手人気コメディエンヌだったゴールディ・ホーン主演のヒューマン・ラブ・コメディ。しかし、コメディの要素は少なめ。
 ジル(ゴールディ・ホーン)は、アパートの隣の部屋の男がいつも窓から覗いているのが気になって仕方ない。そんなある日、隣の部屋から母親と電話で言い争う男の声が。ジルがそれに対抗してラジオを大音量でかけていると、隣の男ドン(エドワード・アルバート)が文句をいってきた。そこからふたりは親しくなるのだが…
 種明かしをしたくないので、ポイントは黙っておきますが、かなり良質なヒューマンドラマ。ひとつの要素で、ただのラブコメとは違う味わい深いドラマに仕上げることができた。画もなかなかよくて、ときどきはっとさせられるカットがある。と思っていたら、アカデミー撮影賞にノミネートされていたということらしい。ちなみに、ドンの母親役のアイリーン・ヘッカートがアカデミー助演女優賞を受賞している。意外と名作。 

 カットで特に気に入ったのは、どの変化は忘れたけれど、ドンが洗面所の(ステンドグラスの)ドアに寄りかかって、髪が顔にかかって表情の見えない顔を、ベット越しに抜くところ。なんだかドキッとする緊張感があってよかった。
 ストーリーで言えば、身障者にとっての世界観というものと健常者の身障者に対する心理というのはよくあるテーマだけれど、これが1972年の作品ということを考えると、かなり思い切ったもので、かつうまくまとまったものであるといえるのかもしれない。エドワード・アルバートの演技もかなりよかったと思う。
 なんをいえば、もう少し笑えるところがあるとよかったかもしれない。別にゴールディ・ホーンがシリアスドラマに出たっていいんだけど、この映画の体裁を見ると、一応(ヒューマン)コメディとして作られているようなので、もう少ししっかり笑える場面があるとコメディ好きとしてはうれしかったというところ。 

マン・オン・ザ・ムーン

Man on the Moon
1999年,アメリカ,117分
監督:ミロシュ・フォアマン
脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラズウスキー
撮影:アナスタス・ミチョス
音楽:REM
出演:ジム・キャリー、コートニー・ラヴ、ダニー・デビート、ポール・ジアマッティ

 サタデー・ナイト・ライヴの第1回放送に出演し、伝説のネタ「マイティ・マウス」を演じた天才コメディアンコメディアン、アンディ・カフマン。天才とも変人とも言われた彼の生涯を、ジム・キャリーが熱演した作品。
 全体としてかなりよくできた映画。ジム・キャリーの演技もいいし(しかもそっくり)、話の進行も非常にスムーズ、しかし好みは分かれるところ。私は好き、私は嫌い、私には理解できないなどなど。それはまず、アンディ・カフマンの笑いを理解できるかということにかかっているが、それよりも、カフマンが人々を驚かせることを生きがいにし、生涯をウソで塗り固めてしまったその行動にシンパシーを感じられるかというところだろう。
 ちょっと、プレヴューにしては言い過ぎかもしれませんが、私はこの映画が気に入ったので、面白さを理解してもらおうと必死なわけです。みんなが見に行きたいと思うようなコメントを考えるならば、「笑いと感動という併存させることが難しいはずのふたつの要素を見事にひとつの映画の中に併存させ、見た人々をやさしい気持ちにさせてくれる映画」
 とでも言うところでしょうか。本当はもっと複雑なんだけど… 

 この映画の魅力は非常に謎めいているところ。映画を見終わってもまだ果たしてどれが本当でどれがうそだったのかわからないところ。そしてそれをそのまま放置しているところ
 もっとも不思議に感じられると思うのは、最後に出てくるトニー・クリフトンは誰なのか?ということだろう。アンディでもボブでもないトニーとはいったい誰か?キャストを見ると、
 Tony Clifton……himself
と書いてある。???
ここで考えられるのは、①アンディが死んだというのはやはりウソで、実はトニー・クリフトンとしていきつづけている。②アンディは死んでいるが、トニー・クリフトンという別な人がもともといて、ある時期アンディが彼に成り代わっていた。のどちらかでしょう。どっちなのでしょう?それはわからない。そのわからないということがこの映画の眼目ですから。