ゴッド・ギャンブラー/賭神伝説

賭神3之少年賭神
God of Gamblers 3 : The Early Stage
1997年,香港,110分
監督:バリー・ウォン
脚本:バリー・ウォン
音楽:カム・プイ・タット、ラオ・ジョー・タク
出演:レオン・ライ、アニタ・ユン、フランシス・ン、チョウ・ヨンファ

 ギャンブラーとしての才能を開花させたコウ・チャンはボスのもとで着実に勝てるようになっていく。その賭け事のいかさまや脅しや暴力が横行する世界で、コウ・チャンは確実に地位を気づきつつあるように見えた。そんななか「賭神」を決める大会がマカオで開催されることになった。
 チョウ・ヨンファ主演のシリーズ「ゴッド・ギャンブラー」の主役コウ・チャンの若かりし日々を描いた作品。

 最後、「どうしてチョウ・ヨンファ?」と思ったら、続編だったのね。続編というか、回顧篇という感じですが。とりあえず、このシリーズは1989年に撮られた「ゴッド・ギャンブラー」というやつだそうです。それから「ゴッド・ギャンブラー2」、「ゴッド・ギャンブラー完結編」と来て、4作目だけど「3」。なぜ?
 まあ、そんなことはいいとして映画ですが、予想外に展開力のあるストーリーで、けっこう先の展開が気になったりしました。全体的にはやはり安めのつくりで、特にアクションシーンなんかは香港映画とは思えない安っぽさ。キックの半分以上は明らかにあたっていないと分かってしまう。だから、アクションシーンは見どころではない。
 そして、安さでいえば、いくらでもけちをつけるところはあります。しかし、それは見てのお楽しみ、「世界選手権」というあたりがなかなか素敵。地域的な偏りとか、公正を期するといいながら、怪しげな人がするする入っていってたりとか、いろいろです。

 B級な映画はかなり取り上げていることもあり、最近どうも手抜きっぽい感じもあり、なかなか書くこともありませんが、こういう安映画はさっと見て、さっと楽しんで、さっと忘れるのが一番。現に、見てまだ半日も経っていませんが、だいぶ忘れてきています。でも、そうすると、もう1回見てもまるで初めてのように楽しめるという利点もあります。
 うーん、なんだかシリーズのほかのも見たくなってきたなぁ…

ハリウッド・ミューズ

The Muse
1999年,アメリカ,97分
監督:アルバート・ブルックス
脚本:アルバート・ブルックス
撮影:トーマス・アッカーマン
音楽:エルトン・ジョン
出演:シャロン・ストーン、アルバート・ブルックス、アンディ・マクダウェル、ジェフ・ブリッジス、ロブ・ライナー

 脚本家のスティーブンはスランプに陥り、全くシナリオが書けなくなってしまった。そんなスティーヴンに親友のジャックが紹介したのは芸術と想像の女神ミューズ。彼女は脚本家にインスピレーションを与えるという。スティーヴンはそんなことはありえないと信じようとしないが…
 シャロン・ストーンのコメディ初主演作。長年コメディのライターをやっているアルバート・ブルックスの作品だけに説得力がある?

 今日は多分当たり前のことしか書けません。それはこの映画が当たり前な映画だから。つまらなくはないけれど特別面白くもない映画。変わっているといえば、シャロン・ストーンくらい。しかし、シャロン・ストーンはやはりあまりコメディには向いていないと思う… いくらコメディエンヌらしく振舞ってもどうにも冷たい印象がぬぐえないのは、これまで演じてきた役柄のせいだろうか、それともあの目? 必ずしも整った顔をしている人がコメディエンヌに向いていないというわけではなく、むしろ整った顔で真面目に面白いことを言うほうがいかにもコメディエンヌという人がおどけていうよりも面白いことはある。でも、シャロン・ストーンはね… だから、今までコメディに出なかったんでしょう。「クイック・アンド・デッド」はある意味コメディでしたが…
 なんだか、シャロン・ストーンがいかにだめかを説明することになってしまいましたが、怒らないでねシャロン・ストーンファンの人がいても。

ミラクル・ペティント

El Milagro de P.Tinto
1998年,スペイン,106分
監督:ハヴィエル・フェセル
脚本:ヘヴィエル・フェセル、ギジェルモ・フェセル
出演:ルイス・シヘス、シルヴィア・カサノヴァ、パブロ・ピネド

 スペインの片田舎に住むペティントが宇宙服を着た息子を見送る。子供の頃から大家族の父親になることを夢見ていたペティントは、盲目の少女オリヴィアと知り合う。10数年後見事に結婚したものの、二人は子宝に恵まれず、時ばかりがすぎていった…
 あらすじを話すのもなかなか難しいスペインらしいわけのわからなさを持つファンタジー映画。とにかくシュールというか、わけのわからない笑いを求めている人にはぴったり。

 面白いとえいば面白いのだけれど、わけがわからなすぎるという面もある。映像へのこだわりは感じられる(といっても、斬新なというよりはきれいな映像を求めている)。
 一番いいと思ったのは、25年に一度通るという電車ですね。しかも、その25年が異常に早くすぎる。ペティントさん(そして神父さん)一体いくつなんだあんた! という感じです。うーん、わけがわからないなあ。まあ、でもスペイン(とスペイン語圏)のこのわけのわからなさは好きです。わざとわけがわからなくしているように見えるけど、彼らにしてみれば現実とは本当にこういうものなのかもしれないとも思います。パンチョが本当に黒人だっていいじゃないか。皆が自分の見ているものが現実で、みんなが同じように見ていると信じているけれど、本当にそうなのか? 本当はみんなまったく違う現実を見ているんじゃないだろうか? そんなことを思ってしまいました。

ウェイクアップ!ネッド

Waking Ned Divine
1998年,イギリス,92分
監督:カーク・ジョーンズ
脚本:カーク・ジョーンズ
撮影:ヘンリー・ブラハム
音楽:ショーン・デイヴィ
出演:イアン・バネン、デヴィッド・ケリー、スーザン・リンチ

 アイルランドの田舎にある村に住む老人達はジャッキーをはじめ、みんな宝くじを楽しみにしていた。そんなある日ジャッキーは新聞の記事から宝くじの1等の当選者が村の中にいることを突き止める。わずか60人足らずの村で誰が当選者なのか? ジャッキーは親友のマイケルと共に当選者探しをはじめるのだが…
 アイルランド製じいちゃんコメディ。ブラックなギャグも織り交ぜながらとにかく何も考えずに笑えるコメディ映画。

 こんな映画が好き。まず老人ものが好き、特にコメディは。そして意味深げなものよりも画面のインパクトとか、くだらない一発ギャグで勝負するようなあっけらかんとしたコメディが好き。そして落ちが面白くないといけない。この映画はなんといっても爺さんライダーがよくって、それはもう画面のインパクトだけで勝負という感じがいい。他にもネッドの顔をいじるところや、落ちのところも捨てがたいが、やはり爺さんバイクに乗るというところでしょうか。
 それにしても、最近はアメリカのコメディよりヨーロッパのコメディの方が面白い気がする。昔はコメディといえばハリウッドの脳天気なのというイメージが強かったけれど、最近のハリウッドコメディはスターに頼ってみたり、ヒューマンドラマなんだかコメディなんだかわからないヒューマンコメディとか言うものだったりして勢いがない。最近のもので面白かったものといえば、「親指」がダントツにしてもあとは「マルコビッチの穴」と「メリーに首ったけ」くらいでしょうか。しかし「マルコビッチ」は純粋なコメディとはちょっと違うし、「メリー」は基本的に下ネタの世界なので、ちょっと違う。下ネタに走ったものではかなり吹っ切れたものもありますが、ちょっと卑怯という感は否めないのでした。

フォーエバー・フィーバー

Forever Fever
1998年,シンガポール,95分
監督:グレン・ゴーイ
脚本:グレン・ゴーイ
撮影:ブライアン・ブレニー
音楽:ガイ・クロス
出演:エイドリアン・バン、マデリン・タン、アナベル・フランシス

 1970年代のシンガポール、スーパーマーケットで働くホックはブルース・リーとバイクに夢中。毎日遅刻しながらも地道に働き、3000ドルのバイクをいつか買うことを夢見ていた。しかしある日たまたま見に行った映画「フィーバー」に出ていたトラボルタに見せられ、ダンスに夢中になってしまった。
 とにかく何でも詰め込んだB級娯楽映画。この安っぽさがたまらない。

 面白いような面白くないような。しかし、これは面白いのだとしておきましょう。とにかく安く面白く映画を作る。これがすべてといっていい。「サタデー・ナイトフィーバー」と思われる映画に出ているジョン・トラボルタと思われる人がトラボルタにちっとも似ていないことはともかくとして、すべてが安っぽすぎる。そして物語が陳腐すぎる。それでもこの映画を面白くしているのはその安っぽいB級テイストに加えて、とにかくいろいろな要素が詰め込まれていること。
 それはもう、とにかくなんでもかんでも詰め込んでやれという意気込み。そもそもブルース・リーとサタデーナイト・フィーバーを組み合わせようという発想自体無理がある上に、家族の話や恋の話やなにやら詰め込めるものなら何でも詰め込んじまえという感じ。さらに、それだけ詰め込んだにもかかわらず全く複雑にならないプロット。おそろしい…
 安っぽさでいえば、車で当てただけでじてんしゃがばらばらになるとか、殴り合いのシーンで明らかに当たってないとか、そもそも出てくる人みんなの衣装が安っぽすぎるとか、いろいろあります。しかし一番すごいのは舞台装置の少なさ。同じ場所で撮ってばかりいます。おそらく撮影期間も短かったのでしょう。同じ場所のシーンは同じ時に撮ってしまえという発想が感じられます。主人公が3時間かけてパーマをかけ、ディスコに行った次の日にスーパーに働きに出るときにはすっかりと髪型が戻っていたりもします。怪奇現象だ… こういう単純なミス(おそらくスクリプトのミス)が起こってしまうのが本当のB級映画なのです。狙って作ったB級映画は実際はちゃんと作っているのでこういうミスはあまりありません。だからこの映画は真正のB級映画ということです。すごい!

苺とチョコレート

Fresa y Chocolate
1993年,キューバ=メキシコ=スペイン,110分
監督:トマス・グティエレス・アレア、ホアン・カルロス・タビオ
原作:セネル・パス
脚本:セネル・パス
撮影:マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽:ホセ・マリア・ビティエル
出演:ホルヘ・ペルゴリア、ウラディミール・クルス、ミルタ・イバラ、フランシスコ・ガットルノ、ヨエル・アンヘリノ

 同性愛者が反革命分子として迫害されていたキューバ。結婚するつもりだった彼女が別の男と結婚したことに心を痛めていたダビドは、ある日カフェテリアでチョコレート・アイスクリームを食べていた。すると、彼の前にゲイで芸術家のディエゴがストロベリー・アイスクリームを食べながら現れた。
 当時のキューバの状況を考え、この映画がキューバ政府の検閲を通り抜けてきたということを考えると、いろいろな見え方がしてくると思う。

 何年か前にはじめてみたときは、素直にキューバのゲイというものの現状を表しているようで面白くもあり、映画としても独特の質感があって面白いと思いました。冷蔵庫のロッカもとても印象的。人工的なライティングではない自然光のもつ色合いを初めとした「自然さ」がその質感を作り出しているんだと今回見て思いました。そして面白かったという最初の感想は裏切られることなく、とてもいい作品でした。ちょっとソープドラマくさいところもありましたが…
 しかし、こういう書き方をすると言うことは含みがあるわけで、キューバのゲイの現状という意味ではどうなのかという疑問も浮かんでくるわけです。プレビューにも書いたとおり、当時のキューバは映画に対する検閲を行っており、そもそも政府お墨付きの監督の映画しかキューバから堂々と出ることはできなかったわけです。この映画がキューバ映画として外国で配給されたということはつまり、この映画の監督が政府に認められており、またこの映画は検閲をとおったということです。
 ということを考えると、つまりこの映画に描かれるキューバは外国人がみるキューバの見方として政府が公認したものであるということです。ちょっと前にお届けしたドキュメンタリー「猥褻行為」や今度公開される「夜になる前に」もキューバにおけるゲイへの迫害を描いているわけで(「夜になる前に」はまだ映画は見ていないので、原作の話になりますが)、それと比較することが可能です。この映画でもゲイが迫害されていることは描かれています。そしてその迫害を非難するような態度を見せています。しかし、この映画で問題となるのはその迫害に対する非難がゲイ全体への迫害への非難ではなく、ディエゴ個人への迫害の非難なのです。そして、ディエゴは自らも主張するように決定的に反革命的であるわけではない。むしろ国を愛し、国にとどまりたいと考えている。この点は「夜になる前に」の作者であるレイナルド・アレナスも同様です。彼はキューバが嫌いなのではなく、キューバにいることが不可能であるから亡命する。
 この「国や革命を批判するわけではないが、自分にとってはいづらい環境である」という考え方がそこにはあるわけです。このように集団ではなく個人を扱うことによって問題は曖昧になります。だからこの映画は検閲を通ったのでしょう。
 だからこの映画が本当に何を主張しようとしているのかを探るのは相当難しいことだと思います。私は個人的にはこの映画自体は体制を批判するつもりは毛頭なく、むしろ外国にキューバの寛容さをアピールするものだと思いますが。

イン&アウト

In & Out
1997年,アメリカ,90分
監督:フランク・オズ
脚本:ポール・ラドニック
撮影:ロブ・ハーン
音楽:マーク・シェイマン
出演:ケヴィン・クライン、ジョーン・キューザック、マット・ディロン、トム・セレック、デビー・レイノルズ

 教え子にアカデミー賞授賞式で「ゲイだ」といわれてしまった高校教師ブラケット。結婚まで決まっている彼は事態の収拾に乗り出すが…
 いわゆるゲイ・コメディだが、純粋にコメディとしてみても面白い。アカデミー授賞式のノミネート作品とか、「男らしさ」講座のテープとか。プロットもよくよく見ると意外と凝っていて最後まで楽しめる。

 脚本家のポール・ラドニック自身がカミングアウトしたゲイであるので、ゲイを馬鹿にして笑い飛ばすという姿勢はとらないが、ゲイであることを隠そうとする人を利用することでゲイを毛嫌いする人々(ホモフォビア)を笑い飛ばす。アメリカはゲイに対する偏見が少ないというけれど、それはあくまで都市部の話で、田舎のほうでは同性愛者に対する意識なんてこの低だのものだろう。記者のラドニックは都市の洗練されたゲイとして田舎のホモフォビアたちのバカらしさを明らかにする。 という物語なわけですが、結局自分がゲイであることを認めないようとするブラケットの振る舞いがいかにゲイ的であるかということが笑いの焦点なわけで、そこを笑えないとつらいかもしれません。
 そういえば、この映画はどこかの映画賞で「ベストキス賞」という賞をとったそうです。なるほどね。

プリティ・ブライド

Runnaway Bride
1999年,アメリカ,115分
監督:ゲイリー・マーシャル
脚本:サラ・パリオット、ジョーサン・マクギボン
撮影:スチュアート・ドライバーグ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ジュリア・ロバーツ、リチャード・ギア、ジョーン・キューザック、ヘクター・エリゾンド

 USAトゥデイのコラムニストであるアイクはネタにこまってよった行きつけのカフェで1人の男から何度も婚約を繰り返しては結婚式の途中で逃げ出す花嫁の話を聞いた。その話をコラムにし、得意満面のアイクだったが、とうの「ランナウェイ・ブライド」マギーから編集部に抗議の手紙が届き、アイクはクビになってしまう。
 「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツ、リチャード・ギア、ゲイリーマーシャルが2匹目のドジョウを狙ったが、もちろんドジョウはいなかった。あまりにすべてが予想通りで笑えるという意味では面白いかも。

 期待通りというか、全くの予想通り。面白くないというのではなく、面白みがない。犯人のわかっている推理小説を読んでいるようなもので、どのように結末にもっていくのかを観察するというだけのものです。犯人のわかっている話でも「刑事コロンボ」が面白いのは、謎解きの部分がわからないのと、コロンボ自身が面白いから。この映画は謎解きもほとんどの部分が予想通りで、コロンボもいない。「シカゴ・ホープ」でおなじみヘクター・エリゾンドがなかなかいいキャラクターだったので、ちょっと期待したのですが、あまり出てこず残念な限り。 こういう映画を見ると破壊の欲求に駆られます。それは別に物に当たってしまうほどつまらなかったとか言うことではなくて、映画をどうこわしたら面白くなるんだろうかということを考えるということ。この映画をみながら思ったのは、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツがはじめてキスをするシーンから、二人の結婚式のキスまで一気に飛んじまえば面白かったのにということ。それから先はあとは野となれ山となれ。振られた婚約者のエベレスト登山でも映して尺を埋めるとかしてください。あとは、ジュリア・ロバーツが殺されて、刑事コロンボが登場するとかね。そうだったら面白いなー。コロンボが出てきたらすごいなー。 うーん、3作目は「プリティ・マーダラー」っていうのにして、ジュリア・ロバーツが誰か殺す。それでリチャード・ギアが共犯者でそれをコロンボが解決するっていうのはどうかしら。
 と思ったら、この監督の「プリティ・プリンセス」という映画が公開されるようです。原題はもちろん全然違う。ヘクター・エリゾンドがまた出てる… あ!!ヘクター・エリゾンドって「プリティ・ウーマン」にも出ていた気がする! うーん、ホテルの人だった、多分…

キシュ島の物語

Ghesse Haye Kish
1999年,イラン,77分
監督:ナセール・タグヴァイ、アボルファズル・ジャリリ、モフセン・マフマルバフ
脚本:ナセール・タグヴァイ、アボルファズル・ジャリリ、モフセン・マフマルバフ
撮影:アジム・ジャヴァンルー、マスード・カラニ、アハマド・アハマディ
出演:ホセイン・パナヒ、ハフェズ・パクデル、モハマド・A・バブハン

 ペルシャ湾に浮かぶ小さな島キシュ島、リゾートとしても知られるこの島を舞台として3人のイラン人監督が撮った短編集。
 1話目「ギリシャ船」は新鋭監督ナセール・タグヴァイが海に浮かぶ錆付いた難破船に流れ着いた大量の段ボールをきっかけにおきた事件を描いた作品。
 2話目「指輪」は日本でも知られているジャリリ監督が、仕事を求めて島へやってきた青年が海辺の小屋でひとり働く姿を淡々と描いた作品。
 3話目「ドア」は巨匠マフマルバフが砂漠をドアを担いで歩く老人を撮った作品。
 どの作品も美しい風景をより美しく見せるような幻想的な物語。音楽というかサウンドも耳に残る印象的なもの。

 やはり、マフマルバフの作品が一番いいかなと思いますが、ジャリリのも捨てがたい。1作目のタグヴァイ監督の作品は日本人が抱くイランというイメージに比較的近いものではないかと思います。貧困、イスラム教、エキゾチズム、ある意味でオリエンタリズム的な中東に対するイメージ、そのイメージに合致するようなイメージで描かれているのが逆に平凡で面白みにかけると思ってしまいます。ただ、海に浮かぶ難破船のイメージは絵的にすごくいいのですが。
 2話目の「指輪」は物語としては一番好きです。ジャリリ監督は基本的に起伏の少ないドラマをとりますが、この作品もその一つ。しかし、淡々と働く青年の姿は辛そうではなくどこか楽しそうで、そこに共感をもてます。しかし、最後までトラックに入れているものが何なのかは分からなかった。イラン人にはすぐ分かるんでしょうね。ただの海水なんだろうかあれ?
 3話目マフマルバフはさすがに発想の勝利。この監督の発想の素晴らしさには舌を巻くしかありません。冒頭の砂漠だけの画面に手前からドアが登場し、それが画面の奥にゆっくり去っていくところをずーと映しているシーン、これだけで、マフマルバフの勝ち。砂漠とドア、どうしてこんなイメージが頭に浮かんでくるのかは全くの謎です。そして、郵便配達が、そのドアをノックした瞬間に本当にマフマルバフはすごいと思ってしまう。奇妙なようでありながら、絶対にこれは現実だと思わせるような何かがそこにあるのです。みんな本気であのドアをドアとして扱っているひとりもからかい半分に扱っている人はいない。そう信じさせることが重要であり、それを成功させているわけです。ただ1人(1匹ね)ヤギだけが…
 やはりマフマルバフ強し。しかし、全体的にはなんとなくキシュ島観光キャンペーンという気もしてしまいました。たしかに「いいとこだな」とは思いましたが、なんか宣伝じみていて、ヴェンダースの「リスボン物語」を少し思い出しました。

草の上の仕事

1993年,日本,42分
監督:篠原哲雄
脚本:篠原哲雄
撮影:上野影吾
音楽:村上浩之
出演:後藤直樹、太田光

 トラックに乗って、とある草っ原に着いた2人の男。2人は草刈の仕事をする。なれた手つきで草を刈る体育会系の男と草刈機の使い方すら知らないらしい猫背の男。
この二人が働くさまをただただ淡々と映しただけの映画。完全に2人しか登場しない2人芝居だが、その2人の間に存在する空気の伝え方が非常にうまい作品。いまや売れっ子篠原哲雄の監督デビュー作。爆笑問題の太田光もはまり役。

「前置き」
 あまり先入観なく、二人の関係性というものを見ていくのがこの映画の正しい見方だと思います。だから、これからこの映画を見ようと思っている人はレビューを読まないほうがいいかもしれない。読んでしまうときっと、その考えが刷り込まれてしまいますからね。しかし、見る人によって感じ方がかなり違うと思われるので、読んでから見て「全然違うじゃねーか」と思う可能性も高いのです。
 まあ、そんな感じ

「本題」
 篠原哲雄と太田光ということ以外、何の予備知識もなく映画を見始め、ただ草むらにいる二人を移す映像を見て、そこになんとなくセクシャルな雰囲気を私は感じました。「何が」というわけではないですが、なんとなく。そのなんとなくなセクシャルな雰囲気が二人の関係性に緊張感をもたせ、二人の物理的な距離の変化に非常に敏感になってしまうのでした。
 その「なんとなく」を誰もが感じるのかはわからないですが、そのセクシャルな雰囲気は具体的にセクシャルな話題が出る直前に最高潮に達します。この辺りは相当あからさまに描かれていると私は思いますが、果たしてそれがテーマなのかといわれるとそれはなんともいえない。そもそも映画にテーマなんてないと思いますが、この映画がホモセクシャルな関係性というものを軸に展開しているのかどうかもわからない。そのあからさまにセクシャルな場面の後、その雰囲気は急速に減退し、また二人の男に戻ってしまう。はたしてあの盛り上がりは何だったのか?
 しかし、実際のところこの映画が描こうとしているのは日常的にある曖昧な関係性なのだろうとは思います。それがセクシャルなものだろうと何だろうと二人の人間が二人だけでいれば、そこに微妙な関係が生じざるを得ない。その関係性を描いてみたよ。てな感じではなかろうかと。