ペイ・バック

Payback
1999年,アメリカ,101分
監督:ブライアン・ヘルゲランド
原作:リチャード・スターク
脚本:ブライアン・ヘルゲランド、テリー・ヘイズ
撮影:エリクソン・コア
音楽:クリス・ボードマン
出演:メル・ギブソン、グレッグ・ヘンリー、マリア・ベロー、デヴィッド・ペイマー

 一匹狼の泥棒ポーターは、ヴァルと組んでチャイニーズ・マフィアから13万ドルを強奪。しかし、ヴァルの裏切りにあって分け前の7万ドルを奪われる。ポーターは7万を奪い返すためヴァルとヴァルの所属する組織に戦いを挑むのだった。
 メル・ギブソンがクールなタフ・ガイを演じる、徹底的に暴力的なアクション映画。ブライアン・ヘルゲランドは「L.A.コンフィデンシャル」でアカデミー脚色賞も受賞している脚本家だが、監督はこの作品がはじめて。
 全体にブルーの色調がかかった映像もクールな、まさに男の映画。そこらの暗澹としていてどろどろしているマフィア映画とは違うクールさある。 

 ブルーのフィルターを通したと思われる青みがかった映像がこの映画の全体の雰囲気をうまく作っている。やはりマフィアものなので、全体が暗い画面で構成されているのだけれど、この青さのおかげで重い印象はない。カメラマンのエリクソン・コアはメインでは3作目ということで、はっきり言ってほとんど無名のカメラマンだが、オーソドックスながらなかなか気の効いた映像を作っていると思う。
 プロットもなかなかよくできている。ヘルゲランドの脚本家としての実力が発揮されているという感じ。
 ヒロイン役には「ER」でアンナ・デル・アミコ役を演じていたマリア・ベローが抜擢されている。最近のアメリカの傾向はテレビで活躍した役者がハリウッドへ進出するというものであるようだ。いま日本で公開されている映画には「ビバ・ヒル」出身者が出てるものがたくさんあるし。
 この映画は、どこをとっても平均点をクリアしているというバランスのいい映画。

6デイズ/7ナイツ

Six Days Seven Nights
1998年,アメリカ,101分
監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:マイケル・ブラウニング
撮影:マイケル・チャップマン
音楽:ランディ・エデルマン
出演:ハリソン・フォード、アン・ヘッシュ、デヴィッド・シュワイマー、ジャクリーン・オブラドーズ

 ニューヨークで、ファッション雑誌の副編集長をしているロビンは恋人フランクと南の島へヴァカンスへ。そこでフランクに求婚され、楽しい休暇を送っていた。しかし、そんなときロビンのところに急な仕事が。ロビンは渋々セスナのパイロットのクインに頼んで、仕事先へ向かうのだが、悪天候でセスナ機は無人島に不時着してしまう。
 南の島を舞台にしたラブ・ストーリー。ハリソン・フォードとしては得意のアドヴェンチャーもの。南の島の景色がとてもいい。ああ、絶景かな。 

 物語は、ハーレークイン・ロマンスのよう。無人島に二人きり。海賊まで出てきて、果ては男のほうはエキゾチック美女の誘惑に屈し…。
 これは、ハリソン・フォードとアン・ヘッシュのための映画なのですね。私はアン・ヘッシュとグイネス・パルトロウとキャメロン・ディアスの区別がいまいちつかないんですが、それでも、映画一本作るくらいの魅力的な女優さんであることはわかります。かたや、ハリソン・フォードのほうは肌にはりがなくなっていて、少し悲しかった。
 ひとつこの映画の特徴を挙げると、上からの画が多いこと。それはただただ南の島の絶景を映したいからとしか私には思えません。絶景は確かに美しく、この映画で唯一(アン・ヘッシュのかわいさも数えると唯二つ)のよい点だと思いますが、逆にこの非現実的な視点の多様が映画のリアリティをさらにそいでいるような気もします。
 このような映画を臆面もなく作ってしまうようじゃ、ハリウッド映画もやはり斜陽なんでしょうかね。

リーサルウェポン4

Lethal Weapon 4
1998年,アメリカ,128分
監督:リチャード・ドナー
脚本:チャニング・ギブソン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:マイケル・ケイメン、エリック・クラプトン、デヴィッド・サンボーン
出演:メル・ギブソン、ダニー・グローヴァー、ジョー・ペシ、レネ・ルッソ、クリス・ロック、ジェット・リー

 リーサル・ウェポンシリーズも4作目。今回はチャイニーズ・マフィアが相手。
 LAPD(ロス市警)の壊し屋コンビ、リッグスとマートフが私立探偵のリノと一緒にマートフのクルーザーで釣りをしていると、近くの船で銃声が。その船に乗り込み、銃撃戦の末、港に曳航すると、戦争にはたくさんの中国人密航者が押し込まれていた。
 そこから、チャイニーズ・マフィアが絡んできていつものようにアクションの連続。銃撃と爆破で痛快。今回はジェット・リーも登場し、楽しみもりだくさん。いつものように笑いもしっかり仕込まれている。 

 個人的にリーサル・ウェポンシリーズは好きです。しかし、3で少しパワーダウンしたので、あまり期待せずに見ました。しかし、クリス・ロックとジェット・リーという新メンバーが効いたのかかなりの痛快作。メル・ギブソンもダニー・グローヴァーももう歳ですが、それをネタにして作ってしまうところが、このトリオ(上の二人+リチャード・ドナー)のすごいところ。
 なんと言っても、本筋とはまったく関係ない最初の爆破シーンにこの映画のすべてが込められているでしょう。ただ笑いをとって、銃撃戦して、豪勢に爆破したい。それがこの映画の目的なのです。だから面白い。ヒューマニズムとか、恋愛だとか、そういったものは観客へのサービス。
 まさしく、優秀なハリウッド娯楽アクション映画ですね。こんな映画を作れるうちはハリウッドもまだまだ健在というところでしょうか。

親指タイタニック

Thumbtanic
1999年,アメリカ,26分
監督:スティーブ・オーデカーク
脚本:スティーブ・オーデカーク
撮影:マイク・デブレッツ
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:スティーブ・オーデカーク、メアリー・ジョー・ケフナン、ポール・グリーンバーグ

 1912年、親指史上最大の豪華客船サムタニック号の処女航海で出会った大富豪の娘ゼラニュームと貧乏画家のジェイク。二人は恋に落ちるが…
 もちろん「タイタニック」のパロディ。すべての登場人物は親指。そこにCGで顔をつけている。とにかくばかばかしさがたまらない。ディテールには非常にこっているが、作りはとことんちゃっちい。それもこだわり。
 「とにかく子供の頃から親指が大好きだった」という、スティーブ・オーデカーク(「エースにおまかせ」「ナッシング・トゥ・ルーズ」など)の親指シリーズ第2弾。
 本当に大爆笑。笑って笑って、本家タイタニックのことなんて忘れなさい。
 テーマ曲も最高! 

 このシリーズのそもそもの起こりは、アメリカで「スター・ウォーズ エピソード1」が公開される前夜、「親指ウォーズ」がテレビで放映されたことに始まる。この番組が話題を呼び、徹夜で並んでいたスター・ウォーズファンのラブ・コールもあって再放送されると人気が爆発。勢いに乗って第2作が作られた。現在でも、アメリカでは、“Thumbersons”などの企画が進行している。
 この作品はとにかくばかばかしい。しかし異常に凝っている。くるくる回るところ、そしてテーマソングが最高!
 スティーブ・オーデカークはそもそもはジム・キャリーといっしょにテレビ番組をやっていた、いわばジム・キャリー・ファミリー。あるいはジム・キャリーのブレーン。したがってばかばかしい笑いはお手の物。得意中の得意というわけ。

親指ウォーズ

Thumb Wars : The Phantom Cuticle
1999年,アメリカ,28分
監督:スティーブ・オーデカーク
脚本:スティーブ・オーデカーク
撮影:マイク・デブレッツ
音楽:ロバート・フォーク
出演:スティーブ・オーデカーク、ロス・スチャーファー、ロブ・ポールセン

 親指共和国は、親指帝国サムパイアに侵略される。共和国の残党はアホヤ姫を中心に反乱軍を組織し抵抗するがアホヤ姫はサムパイアに捕らえられてしまう。それを救うべく闘う親指フォースの使い手達の活躍…
 もちろん「スターウォーズ」のパロディ。「エピソード1」の公開前日に初放映され爆発的に話題になった作品。
 とにかく、精緻な作りが素晴らしい。笑いとしては「親指タイタニック」より弱い気がするが、マニア度はこちらのほうが上。なんと言っても、ウービー=ドゥービー=スクービー=ドゥービー・ベノービーが最高。

 この作品はとにかくばかばかしい。しかし異常に凝っている。「スター・ウォーズ」に忠実である点もすごいけれど、あくまで指にこだわるところが恐ろしい。C3POやR2D2(名前は違ったけど)までが親指とはね。じっくりと英語を聞いてみると、字幕とはまた違う味わいが。字幕をつける人も「スターウォーズ」の字幕にあわせるのが大変だったのでしょう。ブラック・ヘルメット・マンがダーク・ベーダーというのはどうかな、という気もしますが、アホヤ姫とはなかなか。
 スティーブ・オーデカークはそもそもはジム・キャリーといっしょにテレビ番組をやっていた、いわばジム・キャリー・ファミリー。あるいはジム・キャリーのブレーン。したがってばかばかしい笑いはお手の物。得意中の得意というわけ。

クローサー・ユー・ゲット

The Colser You Get
1999年,アイルランド,93分
監督:アイリーン・リッチー
脚本:ウィリアム・アイボリー
撮影:ロベール・アラズラキ
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ニーアム・キューザック、ショーン・マッギンレイ、イアン・ハート、ユアン・スチュアート、ショーン・マクドナルド

 アイルランド北西部、大西洋に面した小さな村。主人公の青年ショーンは村が好きではあるものの、一度は村を出てほかの世界を覗きたいと思っていた。そんなある日、恒例の教会主催の映画上映会で誤って「テン」が上映されてしまい、ボー・デレクのセクシーな肉体に男たちは魅了される。それをきっかけに村の男たちは妙なことを考え始め、村の人たちの関係がおかしくなり始めた…
 コメディタッチながら、実にまっとうなラブ・ストーリー。プロデューサーは「フル・モンティ」のウベルト・パゾリーニ。
 最後までほのぼのと、ゆったりとした映画。 

 監督、キャストともにほぼノーネームの作品。そのわりにはすごく普通な映画。「フル・モンティ」も映画としてはすごく普通だったが、その発想と物語が非常によかった。それに比べると、この作品は発想はなかなかいいのだけれど、物語としてはごく普通のラブ・ストーリーになってしまった気がする。特に、キーランとシボーンの話の展開などを見ると。 と、いうことなのですが、ひとつ非常に気に入ったのは、(これはネタばれになってしまうので、これから見ようと思っている人は読まないように)オーリーとショーンのお母さんのオチ。これはよかった。これぞイギリス的発想。

奇蹟の輝き

What Dreams May Come
1998年,アメリカ,114分
監督:ヴィンセント・ウォード
原作:リチャード・マシスン
脚本:ロン・バス
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:マイケル・ケイメン
出演:ロビン・ウィリアムス、アナベラ・シオラ、マックス・フォン・シドー、ロザリンド・チャオ、キューバ・グッディング・Jr

 クリス(ロビン・ウィリアムス)は二人の息子を交通事故で失った4年後、自身も交通事故に遭い、最愛の妻アニーを残して天国へと召された。天国はまさに楽園だったが、一人残されたアニーは苦しんでいた…
 死後の世界での話を中心にしながら、回想シーンを織り交ぜて物語を組み立てたファンタジー。死後の世界の幻想的な映像には目を見張るものがある。

 これは、物語の作り方としては失敗していると思う。死後の世界では何でもありうるということが言われていながら、さまざまな危機や出会いや感動があっても、まったく実感としては伝わってこない。「天国なんだから当たり前じゃん」と言ってしまえばすべては済んでしまうわけ。展開もだらだらとしていてまどろっこしいし。それに、どうしてもこの映画の世界観になじめなかった。まず死者の意思が(天国に行く場合に限るのだろうけれど)あまりに自由すぎる。インカーネーションするかどうかも自分で選べるとなると、少し無理が出てくる。しかもこの映画からすると、前世の記憶が残っていそうだし。途中まではダンテの「神曲」っぽい話なのかな、と思ったのだけれど、少々死後の世界の組み立て方がお粗末すぎたかなという感じ。生前のエピソードと死後のエピソードとのバランスもどうも落ち着かないし。
 この映画でいい点は映像でしょう。特に地獄が。ボートに迫ってくる少年たちとか、浜辺に打ち上げられている人とか、頭だけを地上に出して埋められている人々とか、かなりスリリングな映像でよかったのではないでしょうか。

ラスト・ウィンド/少年たちは砂漠を越えた

A Far Off Place
1993年,アメリカ,108分
監督:ミカエル・サロモン
原作:ローレンス・ヴァン・デル・ポスト
脚本:ロバート・キャスウェル、ジョナサン・ヘンズリー、サリー・ロビンソン
撮影:ファン・ルイス=アンシア
音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:リース・ウィザースプーン、イーサン・ランドール、サレ・ボク、ロバート・バーク、マクシリミリアン・シェル

 密猟を取り締まる動物保護監視官の両親とともにアフリカで暮らす少女ナニーと父に連れられ旅行に来ていた少年ハリーの冒険物語。ナニーはある日の夜、ケガをして倒れている現地住民のカブーを見つけ家に連れて行こうとするが、カブーの忠告で、そこに現れたハリーとともに洞窟で一晩を過ごす。すると、翌朝、ナニーとハリーの家族は密猟者たちに殺されていた。二人は追ってから逃れ、カブーとともに砂漠の向こう2000キロのかなたにある町を目指して旅立つ…
 言いたいことはわかる。ディズニーだし、子供たちに向けて作られた冒険物語だから。しかしそれにしてはちょっとリアリティがなさすぎるかなという気もしなくはない。大人のうがった見方かもしれないが、子供だましという批判は免れないのでは?

 子供の冒険ものというのはよくありますが、大概きれいすぎるのですよ。まず、話がうますぎる。そして、汚れるとかケガするとか、そういうところが映らない。一ヶ月も砂漠を旅して、あんなにきれいで過ごせるはずがない。絶対に髪はぼさぼさ、服はどろどろ、皮だってべろべろめくれてくるし、切り傷だっていっぱいできる。それを子供向けだからって見せないのは、ディズニーの欺瞞だと思いませんか? いつも、ディズニー制作の実写映画を見るとそれを感じます。
 それに、カブーの描き方だって、こんな風にアフリカ人を書くから、アメリカの子供たちはアフリカに対して妙なイメージを抱いてしまうのだと思う。アフリカは全部砂漠で、アフリカ人はテレビなんて見たこともないと。だいいち、カブーのように英語がしゃべれるほど西洋文明に接していながら、完全な狩猟生活を送ってるアフリカ人なんているのか? 英語が話せるくらい文明化(西洋化)しているなら、生活習慣にも影響を受けていると考えるのが普通なのではないの? それを無視して、自分たちに都合のいい程度の西洋化を臆面もなく描くところが納得いかないんだよ!
 失礼しました。取り乱してしまいまして。ああ、憤懣やるかたない。それで、それなのに、話としては結構面白かったりするからなおさらたちが悪いんですよね。ええ、エンターテイメントとしてはなかなかよくできた作品です。ロマンを感じます。ただ気に入らないだけです。

ノッティングヒルの恋人

Notting Hill
1999年,アメリカ,123分
監督:ロジャー・ミッチェル
脚本:リチャード・カーティス
撮影:マイケル・コールター
音楽:トレバー・ジョーンズ
出演:ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラント、クリス・エヴァンス、ジーナ・マッキー、ティム・マッキンリー

 ノッティングヒルで本屋をしているバツイチのウィリアム(ヒュー・グラント)の店にある日、アメリカの映画スターのアナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)がやってきた。ウィリアムは芸能音痴で彼女が映画スターだということを知らなかったが、彼女の美しさに一目ぼれしてしまう。
 というところから始まる、ストーリーは現代版「ローマの休日」と呼ぶにふさわしいラブロマンス。ラブロマンスとしてはありきたりながらうまくできている。
 それよりも、ウィリアムのルームメイトのスパイク(クリス・エヴァンス)をはじめとする脇役たちの繰り広げる笑いが最高。

 ラブ・ストーリーとして分析すると、何度かの困難があり、(恋愛をする上での)立場が逆転して、しかし最後は…という、完璧に定型にはまった話。この説明で言いたいことは、この映画が面白くないということではなく、ある意味で必要な映画であるということ。言うなればハーレー・クイン・ロマンスのように「結末は読める、でもその過程を楽しむ」というものがラブ・ロマンスにはなければならない。なぜって? わかっちゃいるけど、「エー、また」と思うけど、見てしまえば、結構面白いから。
 それよりも、この映画で面白かったのは、コメディの部分。まず、同居人のスパイクが最高。なんとも間抜けな風貌で、間抜けなキャラクター。うん、彼が主人公の「裏・ノッティングヒル」を作って欲しいくらいだ。ほかにも、いいところはあって、妹の誕生会で、アナが整形を告白するところとか、ジュリア・ロバーツが自分のことを言っているんじゃ? という感じだし(多分、狙ってると思う)、「馬と猟犬」ネタもかなり好き。アメリカ映画のわりには、かなりイギリス的な笑いが多いですが、なかなかです。
 と、いうことで、ロマンス好きも、(イギリス)コメディ好きも結構楽しめる作品だと思います。

真夜中のサバナ

Midnight in the Garden of Good and Evil 
1997年,アメリカ,155分
監督:クリント・イーストウッド
原作:ジョン・ベレント
脚本:ジョン・リー・ハンコック
撮影:ジャック・N・グリーン
音楽:レニー・ニーハウス
出演:ジョン・キューザック、ケヴィン・スペイシー、ジャック・トンプソン、ジュード・ロウ、アリソン・イーストウッド

 アメリカ南部の小さな町サバナで骨董商を営むジム・ウィリアムズの家で開かれるクリスマスパーティーは町の一大イベントだった。これを取材に来た記者のジョン・ケルソーが順調に取材を終えたその夜、ジムが殺人罪で逮捕されるという事件が起きた。ジョンはその事件の取材を続けるためにサバナに残ることにするのだが…
 実際にあった事件を描いたベストセラー・ノンフィクションをクリント・イーストウッドが映画化。特に映画に登場するさまざまな変わった人々の存在が魅力的。むしろ物語の重点はその住人たちにあるといったほうがいい。
 監督としても評価の高いイーストウッドだが、出演せずに監督に徹した作品はまだこれが二作目(1988年の「バード」以来)。

 クリント・イーストウッドは監督としても(と、言うよりは最近は監督としてのほうが)才能があることは疑いがない。もちろん「許されざる者」で監督賞を撮ったくらいだから、何をいまさらという感じだが、いま一つ俳優出身という観念に縛られて認めたくないところがあった。しかし、監督作品をいくつも見ていると、非常に丁寧でストレートな映画を作る優秀な監督だということがわかってきた。とくに、「画」で語ることが非常にうまい。それはつまり、(多くの場合は無言の)カットをつないでいくことによって、セリフによって説明するよりも効果的な「語り」をやっているということ。この映画での法廷のシーンは特にそれが顕著に表れていた。法廷という発言が制限されている場でも登場人物たちに「語らせる」ことが自然にできているというところに監督の力量を感じた。