Mary Shelly’s Frankenstein
1994年,アメリカ,123分
監督:ケネス・ブラナー
原作:メアリー・シェリー
脚本:スティーヴン・レディ、スランク・ダラボン
撮影:ロジャー・プラット
音楽:パトリック・ドイル
出演:ロバート・デニーロ、ケネス・ブラナー、トム・ハルス、ヘレナ・ボナム=カーター
フランシス・フォード・コッポラがケネス・ブラナーに監督を任せて製作した古典ホラー「フランケンシュタイン」。コッポラは92年に「ドラキュラ」も製作しているので、この当時古典ホラーにこっていたのかもしれない。
しかし、映画の内容はホラーというよりはクリーチャー自身とその周りの人々の人間関係に焦点を当てたもの。人造人間クリーチャーを巡る一編の悲劇映画に仕上がっている。
見所はロバート・デ・ニーロのなりきり具合と、ロジャー・プラットのかなり動的なカメラワーク。あとはコッポラらしくお金をかけたセットとデ・ニーロの特殊メイクの凝りよう。
原作に忠実ということが、フランケンシュタインのホラーとしての面白さを奪ってしまった。フランケンシュタインを古典ホラーと考えるなら、この作品はまったくの的外れ。今まで幾度も映画化されてきたフランケンシュタインは1931年のジェームズ・ホエール監督版のリメイクとしての色が濃かったが、それをあえて拒んで、原作に立ち返ったコッポラの試みは成功したのか?
それを判断するには私たちは、ジェームズ・ホエールの描くフランケンシュタイン像に影響されすぎているのかもしれない。ロバート・デ・ニーロが完璧に演じるクリーチャーに我々は新鮮さを覚えると主に違和感を感じざるを得ない。「フランケンシュタイン」を映画化する以上、そのような過去の映画と決別することは不可能なのだから、それを考慮に入れないで、という考えは現実的ではないのだけれど、あえてそう考えるとするならば、この作品はある程度は成功している。ロジャー・プラットの「画」とロバート・デ・ニーロの「顔」に支えられているとはいえ、映画としてのまとまりはとりあえず保たれている。人造人間の孤独と悲惨を表情の乏しい顔で表現するデ・ニーロの演技は素晴らしい。
とはいえ、ある程度のフランケンシュタイン像ができてしまっている映画ファンにとっては期待はずれの一作に過ぎないこともまた事実ではある。