愛しのローズマリー
Shallow Hal
2001年,アメリカ,114分
監督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
脚本:ショーン・モイニハン、ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:アイヴィ
出演:グウィネス・パルトロー、ジャック・ブラック、ジェイソン・アレクサンダー
独身男のハルは少年時代、尊敬した父親がなくなる瞬間に一人立ち会った。その父親がモルヒネの譫妄状態で残した最後の言葉は「女は見た目だ」というものだった。それがトラウマのように働いて女を見かけでしか判断できない彼は、クラブでも美女ばかりにアタックしては振られるという生活を続けていた。そんな彼がある日テレビで有名な心理カウンセラーに出会って…
コメディ映画のヒットメイカーとなったファレリー兄弟がグウィネス・パルトロー主演で作ったロマンティック・コメディ。グウィネスが特殊メイクで300キロの女を演じたというのも話題に。
まあ、コメディということで、あまり細かいところにはこだわりたくないのですが、どうしても引っかかるのでいっておきます。ちょっくらネタばれ目ですが、あまり気にしないでください。
えー、マウリシオが心理カウンセラーに会いに行って問い詰めるところで、「どうして、知らない人の心なんて見えるんだ?」と質問する場面があります。そこでカウンセラーは「見ようと思えば見える」と答えるわけですが、この会話を受け入れられるかどうかでこの映画を受け入れられるかどうかが決まってくる。
この映画を見ていて誰もが感じる疑問は、どうして待ち行く知らない人々の心のよしあしがわかるのか? ということで、ファレリー兄弟はその根本的な疑問をわざわざ自ら持ち出してくる。しかし、その答えを観客に対して用意するのではなくて、さらりと流してしまう。この確信犯的なごまかしには何かあると考えるのは考えすぎなのか?
そもそも、この映画における「心が美しい」という基準はあまりに短絡的過ぎる。ボランティアをやっていたり、病気のおばあさんの看病をしたり、ただそれだけで心が美しい人になってしまう。ハルが見ている心の美しさとはそんな短絡的な美しさなのだ。
となると、この映画でいう心のよしあしが見えるというのはあくまで表層的な心のよしあしで、その程度のものならば知らない人でも見ようと思えば見えるものだといってしまっているということができるかもしれない。だとすると、この兄弟は相当シニカルでやなやつらだが、一応筋は通る。
でも、本当のところはおそらくそんなことまでは考えておらず、あるいは考えたかもしれないけれど、考えなかったことにして、「見ようと思えば見える」という無理やりな論法で、しかも美しさの基準もわかりやすいものにして、その単純な構造から生まれる単純な物語を語る。その単純さを求めたのだろう。ファレリー兄弟のコメディの作り方にはそんな単純化の傾向が見られ、その単純な物語でとりあえず観客を映画に乗せて、周りのギャグで笑わせようという発想があるのではないか。
なので、結論を言ってしまえば、細かいことにはこだわらず、面白いギャグがあったら笑えばいい。ということになります。