ハリー、見知らぬ友人

Hurry, un ami qui vous veut du bien
2000年,フランス,112分
監督:ドミニク・モル
脚本:ドミニク・モル、ジル・マルション
撮影:マチュー・ポアロ=デルペッシュ
出演:クセルジ・ロペス、ローラン・リュカ、ソフィー・ギルマン、マティルド・セニエ

 ヴァケーションのシーズンに入ったフランス、3人の小さな子を連れ田舎の別荘へと向かうミシェルとその家族だったが、エアコンのない車内で家族のいらいらは頂点に達していた。そんなときに立ち寄ったインターチェンジのトイレで、ミシェルは高校時代の友人だというハリーに声をかけられる。全く覚えのないミシェルだったが、なんとなくいっしょに別荘へ行くことになってしまう。
 フランス映画らしい落ち着いた雰囲気の中に怖さが潜むサイコ・サスペンス。

 なるほど「アメリカン・サイコ」とはまったく対照的な作品。衝撃的な映像もなく、クローズアップの連続といった無理から恐怖観をあおるような映像的工夫もない。それでも怖さは伝わってくる。サイコサスペンスはやはり怖くなさそうなところに怖さがないといけないのだと思います。そういう意味では典型的なサイコサスペンスということなのでしょう。
 惜しむらくは筋にひねりがなく展開が想像できてしまうことと、音楽の使い方があまりにストレートなこと。「これから怖いことが起こるよ」とあからさまにわかる音楽を使い、しかも予想したとおりのことが起こる。それはそれで今か今かというドキドキ感を確実に感じさせていい気もしますが、やっぱりもうちょっとひねりがね…
 あとは、映像的な面で、サイコサスペンスにもかかわらず全体的に明るく暖かな映像だったのが印象的。断片的に見るとサイコ・サスペンスとは絶対に思わないでしょう。特にライティングに気を使っているのがよくわかります。 しかしいまひとつ抜けきれなかったのは、ハリーのキャラクターの弱さのせいか。あるいは曖昧さというか。ハリーはただ単に利己的な男なのか、それともミシェルのメフィストフェレス的キャラクターなのか、そのあたりは曖昧。はっきりとメフィストフェレスと分かれば物語の見え方も変わって来たのでしょう。あるいはただのわがままなサイコ野郎だと。

アメリカン・サイコ

American Psycho
2000年,アメリカ,102分
監督:メアリー・ハロン
原作:ブレット・イーストン・エリス
脚本:メアリー・ハロン
撮影:アンジェイ・セクラ
音楽:ジョン・ケイル
出演:クリスチャン・ベイル、ウィレム・デフォー、ジャレッド・レトー、ジョシュ・ルーカス

 80年代のNY、親の証券会社で副社長を務めるパトリック・ベイトマンは、ろくに仕事もせずエステやクラブに忙しく、見栄を張ることばかりに一生懸命だった。しかし、そんな彼が暗い道端のホームレスを突然刺し殺してしまう。
 深刻な殺人の衝動に駆られた男をえがく、サスペンスドラマ。

 これはコメディなのか。細かい笑いがちりばめられるが、果たしてそれがメインなのか。しかし、原作の話はシリアルなものらしい。監督として原作を壊してコメディに仕上げてしまったのだとすれば、それは大胆不敵なことではある。しかしコメディなのかどうなのか判然としない。いっそ徹底的にコメディにしてしまったほうが気持ちがよかった。サスペンスとしても中途半端、コメディとしても中途半端な居心地の悪さ。コメディ的なものを意図していることは明らかだから、原作者に対して気を使ってしまったことからくる失敗なのか。
 現代社会に住む人々の孤独というか、自己の存在確認の難しさという問題はあると思いますが、80年代という過去を描いたわりにはその答えが出ていない。わざわざ80年代というかこの時代を描くのなら、その時点でのひとつの答えを用意してもいいのではないかと思う。結局自己を確認することのできないパトリックは単なる狂人だったのか、それとも80年代を競争に由来する孤独の中で過ごしてきた人々は多かれ少なかれそんな経験をしてきたということなのか、それはパトリックが特殊化されるのか一般化されるのかという問題で、この映画の終わり方からすると、どちらとも取れる。その宙ぶらりんなところもいまひとつ落ち着かない。
 名刺とか、ビデオとか笑えるところもあるけれど、こういうシニカルな笑いはあまり好きではないです。多分こんなパロディの仕方がつぼにはまる人もいるでしょう。

DEAD OR ALIVE 2 逃亡者

2000年,日本,97分
監督:三池崇史
脚本:NAKA 雅 MURA
撮影:田中一成
音楽:石川忠
出演:竹内力、哀川翔、遠藤憲一、青田典子

 スナイパーのミズキは仕事を請け負い、屋上から標的を狙っていた。すると、その標的と一緒に歩いていた男が標的を後ろから撃ち、周りの男達をも皆殺しにしてしまった。自分でしとめたことにしてちゃっかりと金を懐に入れたミズキだったが、銃を乱射した男に見覚えがあった。
 一部に熱狂的なファンを生んだ「DOA」の続編。しかし、前作と共通するのは竹内力と哀川翔のコンビというキャストのみで、設定などは全く違う。前作よりさらに壊した映画となっているが、その結果はいかに。

 これはコメディです。「DOA」といえば、なんといってもあの強烈なラストにつきるのですが、続編になってそのノリを極端なまでに推し進めたという感じ。そうすると、リアリズムからは遠くかけ離れ、ただただ笑いを誘うのみ。 最初のあたりは結構まともで、哀川翔が背中からブロックを出すあたりまでは納得がいくものの、その後のワルノリぶりは一部は面白いけれど、一部はくだらなすぎて笑えない。だからコメディとしても中途半端、アクションとしても中途半端、ということになってしまいます。しかし、よく見ると細かなところに小さくたくさんのネタが詰め込まれていて、細かくつぼをヒットしてきます。たとえば、中国人の三人組は名前がブー・フー・ウー(三匹の子豚かっ!われぇ)。
 だから、面白くないわけでもないし、見ていて退屈するわけでもない。何がいけないのかと一言で言ってしまえば、くどい。子供とか天使の羽とかとにかくくどい。「DOA」のすごさは、とんでもないことをさらっとやってしまうことだったのに、すごいことをすごいこととして描いてしまった。これでは何の意味もない。ただ普通に変わった映画になってしまうのです。
 でも、哀川翔はやっぱりいいな。私はいまの日本の俳優の中で一番だと思います。役所広司よりも浅野忠信よりも哀川翔。哀川翔がいるだけでその映画はなんとなく面白くなる。そんな気がします。だてに年に10本も20本も出てるわけではないね。

エンター・ザ・イーグル

渾身是胆
Enter the Eagles
1998年,香港,93分
監督:コーリイ・ユエン
音楽:ペーター・カン
出演:シャノン・リー、マイケル・ウォン、アニタ・ユン、チャン・シウチョン

 美術館に展示される世界最大級のダイヤ「皇帝のプリズム」、これを狙って盗賊組織が動き出した。厳重な警備体制をかいくぐるべく、綿密な計画が練られるが、その一方でけちなスリの二人組みもそのダイヤを狙っていた。果たして成功するのはどちらか…
 ブルース・リーの実娘シャノン・リー主演の香港アクション。

 ブルース・リーの娘とはしらずに見ましたが、シャノンはなかなかよかったです。それも含めてアクションシーンはなかなかよかったなと思います。分かりやすく香港映画で、全く新しさは感じさせませんが、単純なことこそ香港映画の美徳。アニタ・ユンは意外にアクションもいけるのでした。
 それにしてもプロットはとてもお粗末で、アクション映画にありがちなプロットよりもアクションシーンが盛り上がればいいという姿勢が感じられます。なんといっても世界最大級のダイヤを警備しているわりには警備体制が甘すぎる。それはもちろん、盗むこと自体よりも、その後の戦い(奪い合い)と言えるものにプロットの重点が置かれているからですがね。
 と、この監督コーリイ・ユエン、どこかで聞いたことがあると思ったら「キス・オブ・ザ・ドラゴン」のアクション監督です。アクション監督という役職はよくわかりませんが、要するにアクションを指導したということでしょう。うーん、といわれても共通点とかはよくわかりません。でも「キス~」のほうがはるかによかった気はします。それはジェット・リーとシャノン・リーのさなのか、それとも香港とハリウッドの技術力の差なのか。
 ハイ、何も言っていない気がしますが、アクション映画というのは適当に作っても見れるものができてしまうという好例という感じでしょうか。逆に面白い作品を作るには相当作りこむか、何か面白い狙いを盛り込まなきゃいけないということです。

U-571

U-571
2000年,アメリカ,116分
監督:ジョナサン・モストウ
原案:ジョナサン・モストウ
脚本:ジョナサン・モストウ、サム・モンゴメリー、デヴィッド・エアー
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:リチャード・マーヴィン
出演:マシュー・マコノヒー、ビル・バクストン、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ボン・ジョヴィ

 第2次大戦中、北大西洋を航行中のドイツの潜水艦U-571はエンジンの故障で立ち往生せざるを得なくなり、補給船の到着を待っていた。そのUボートの存在を知ったアメリカ海軍は、U-571がつんでいる暗号機「エニグマ」を奪取するべく、友軍を装ってU-571をのっとる計画を立てた。
 傑作が多いといわれる潜水艦ものだけに、なかなか見応えのある映画。単純なアクション映画として面白い。

 「Uボート」に代表される潜水艦ものは、密室や海中という事実からくる緊張感が映画全体をピシッとしめ、物語や人間ドラマに重厚さを生むという印象があった。そんな密室や海中という要素が潜水艦もの=傑作が多いといういわれの背景にあるのでしょう。
 しかし、この映画は故障していたUボートがなぜかすぐに直ったり、爆雷があたっても、水漏れがしても結局はちゃんと航行できたりと、あまりその緊迫感がない。ほんのちょっとのミスや衝撃で乗員全員の命が失われてしまうというような緊張感がない。
 でも、決して面白くないわけではないのは、単純なアクション映画として。潜水艦同士での魚雷の撃ちあいや潜水艦の中での銃撃戦など、「ありえない」とは思うものの、迫力があっていい。
 昨日も言ったように「ありえなさ」というのがいまのアクション映画にとっては重要だと私は思うのですが、この映画は必ずしもその図式に当てはまるわけではない。魚雷の打ち合いなんかは受け入れられる過剰さであり、アクションシーンとして現代的だと思いますが、潜水艦内での銃撃戦というのはちょっとお粗末な感じ。スペースが限られているということで銃撃戦としては面白くなっているけれど、艦に穴があいたらどうするんだ! などというまっとうな疑問が浮かんでしまうので、ちょっとやりすぎかなと。手榴弾まで使うのはどうかなと思ってしまうのです。
 なかなかこの「過剰さ」というのも難しいもので、本当にやりすぎてしまうと、リアルさからかけ離れてしまう。「うそ~ん」と思ってしまうハイパーリアルな感じだけれど、もしかしたらありえるのかもというくらいの感じがベストなのでしょう。

DENGEKI 電撃

Exit Wounds
2001年,アメリカ,101分
監督:アンジェイ・バートコウィアク
原作:ジョン・ウェスターマン
脚本:エド・ホロウィッツ、リチャード・ドヴィディオ
撮影:グレン・マクファーソン
音楽:トレヴァー・ラビン、ジェフ・ローナ
出演:スティーヴン・セガール、DMX、イザイア・ワシントン、マイケル・ジェイ・ホワイト

 ニューヨーク市警に勤めるボイドは、銃撲滅を訴える副大統領の演説に遅れて参列。その会場を後にした副大統領が襲われたところを孤軍奮闘して救ったが、そのスタンドプレーが上層部の不評を買い、無法地帯として知られる15分署に転属されてしまった…
 スティーヴン・セガールが久々にセガールらしいアクション映画を撮ってくれたという感じ。

 セガールはセガール。とてもヒーローには見えない胡散臭さと、それとは裏腹な正義感ぶりというのがキャラクターにぴったりとくる。だから、この映画のプロットはまさにセガール向き。セガール最高傑作とは言わないまでも、「沈黙の戦艦」に次ぐぐらいの面白さだと思います。
 しかし、セガール映画はいつもそんなにアクションがすごいわけではない。特に最近は。それはもちろんセガールがおっさんで、動きに切れがないからです。昨日のジェット・リーと比べるとかなり見劣りします。しかし、共演のDMXのアクションはかなりのもの。やはりラッパーたるもの立ち回りくらいできなきゃいけないのか。そして顔もかなりの男前。ウィル・スミスよりも俳優として見込みがありそうな気がしますね。
 という感じですが、この映画もまた「マトリックス」が影を落とします。この映画の製作者の一人は「マトリックス」の製作者の1人でもあるジョエル・シルヴァー。もちろんジョエル・シルヴァーはアクション映画のプロデューサーとして知られているので、必ずしも「マトリックス」ばかりがクローズ・アップされる理由もないのですが、この映画がマトリックス後であるのは、その過剰さ。マトリックス以前の(ハリウッドの)アクション映画は特撮などを駆使していかにリアルに見せるかということに精を込めていたように見える。しかし、マトリックス後のアクション映画はその過剰さを売りにする。それはリアルを超えた「ありえねーだろ」といいたくなるような過剰さ。その過剰さを作り出すことがアクション映画に不可欠になっているといえる。
 この映画でも武器の威力も、アクションの立ち回りも現実ではありえないような物が出てくる。冒頭のシーンでセガールが持つ拳銃は機能としては明らかにマシンガンと同じ。果たしてハンドマシンガンはそこまで小型化されたのか?あんな小さいマガジンにどうしてあんなに弾が入るんだ? という疑問がすっかり生じますが、その「リアルでなさ」がマトリックス後のアクション映画の過剰さというものでしょう。

キス・オブ・ザ・ドラゴン

Kiss of the Dragon
2001年,フランス=アメリカ,98分
監督:クリス・ナオン
原案:ジェット・リー
脚本:リュック・ベッソン、ロバート・マーク・ケイメン
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:クレイグ・アームストロング
出演:ジェット・リー、ブリジット・フォンダ、チャッキー・カリョ、ローレンス・アシュレイ

 パリにやってきた一人の中国人リュウ、彼はパリ警察の助っ人として北京からやってきた刑事だった。その初日、麻薬密売組織をつかまえるためホテルで監視をする。しかしフランスの刑事リシャールがそのボスを殺し、リュウにその罪をなすりつけようとする。リュウは証拠を持って逃げようとするのだが…
 リュック・ベッソンが新たなアクション映画をジェット・リーと組んで製作。監督にはCM界では名の知れたクリス・ナオンを起用した。やはり、ジェット・リーのアクションは切れ味最高。

 リュック・ベッソンはなんだかいろいろな色がつけられていて、感動ものとか、少女がとか、いろいろ言われますが、私はリュック・ベッソンの基本はアクションにあると思います。そもそも最初の長編「最後の戦い」はセリフなしの長尺アクションシーンという常識破りのことが話題を呼んだはず。それをあげずとも、「ニキータ」も「レオン」も「フィフス・エレメント」だってアクションなわけですから。
 といっても、この映画はリュック・ベッソンらしさはあまりなく、むしろジェット・リーの映画作りにベッソンが手を貸したという風情です。そのあたりが同じ製作・脚本でも「タクシー」とは違うところ。
 さて、ベッソンは置いておいて、この映画はあくまでもジェット・リーの映画。プロットも単純明快、心理描写の機微などいらない、とにかくアクションに徹することでこの映画はいい映画になっている。逆にドラマの部分に力を入れている映画はアクションだけを取り上げると物足りないものが多い。今アクション映画を語るには「マトリックス」と「ワイヤー・アクション」を抜きにして語ることはできない。ワイヤー・アクションを世界的に勇名にしたのはやはり「マトリックス」で、「グリーン・デスティニー」ではない。でもやはり元祖は香港で、ハリウッドはその人材を輸入したに過ぎない。
 しかしやはり世界的には「マトリックス」で、アクション映画を見るときにはマトリックス後であることを意識せずには見れない。だからいまのアクション映画は「マトリックス」をいかに超えるのかということ考えざるを得ないだろう。同じようなワイヤー・アクションと特殊撮影を使っただけでは、マトリックスの二番煎じになってしまう。
 ということを考えた上で、この映画を見てみると、このジェット・リーは1人でマトリックスを(部分的にでも)越える。それはまことしやかということ。「マトリックス」の明らかな特撮とは違う生にな感じ。それはジェット・リーだからできたことだろう。やっぱりかっこいいなジェット・リー。

スキゾポリス

Schizopolis
1996年,アメリカ,93分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
脚本:スティーヴン・ソダーバーグ
撮影:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:スティーヴン・ソダーバーグ、ベッツィ・ブラントリー、デヴィッド・ジェンセン

 マンソンは「イヴェンチャリズム」という自己啓発本の著者シュイターズという人物のオフィスで働く。そのオフィスでは、スパイ疑惑などというものが持ち上がっていた。それに、マンソンと同じ顔をした歯科医コルチェック(二人ともスダーバーグ自身が演じる)、害虫駆除を仕事としているらしいエルモという人物がからみ、話は展開していく。
 「セックスと嘘とビデオテープ」以後なかず飛ばずで、資金も底をつき、ハリウッドから見放されたソダーバーグがインディペンデントで撮った一作。あまりにわけがわからず、観客が入らなかったらしい。ということは逆に映画ファンを自認するなら必見。

 監督が、映画の最初で宣言したとおり本当にわけがわからない変な映画だけれど、これまた監督が宣言したとおり映画史に残る作品になるかもしれない。われわれに見える「セックスと嘘とビデオテープ」から「アウト・オブ・サイト」へのソダーバーグのジャンプのその最後がこの作品で、となるとその間の変化を探るということになりますが、この作品はむしろそれ以後の作品よりも革新的で、実験的なものであり、これこそが終着点であるという気もします。
 つまり、「セックス~」から「スキゾポリス」へ至る道をソダーバーグは「アウト・オブ・サイト」から再び(分かりやすい形で)歩み始めているのかもしれないということ。「アウト・オブ・サイト」の分かりやすさから「トラフィック」の斬新さへと進んだその道が、今後さらに進んでいくとするならば、それは再び「スキゾポリス」へと至るのだろうということです。
 確かに、映像の作り方や編集の仕方では現在のソダーバーグ作品に通じるところもあるが、これがいまの「完成された」ソダーバーグへの一つの段階であると考えるのは間違っていると私は思う。いまのソダーバーグ作品は監督が前面には出てこず、前衛性の中で生き返らされた役者達がその存在を輝かせている。本当にソダーバーグがソダーバーグらしくいられる作品が撮れるのはまだまだ先のことになりそうな気がする。
 異なった形で、資金も潤沢に、キャストも豪華に「スキゾポリス」的なものを作る。そして作りつづける。それがゴダールを敬愛してやまないソダーバーグの本当の終着点なのかもしれない。と思います。
 それにしてもわけのわからないこの映画。日本語を解してしまう私たちは幸せなのか不幸せなのか英語だけを理解してこれを見る観客が感じるものと日本語やイタリア語やフランス語を理解してしまう観客が感じるものはきっと違っている。そのような受け手によってあまりに見え方が違ってくる要素をふんだんに盛り込んだ作品なので、冒頭にソダーバーグ自身が言っているように何度も見なくてはわからないのかもしれない。それはあまりにわからなすぎて途中うたた寝してしまうという事も含めて…

エコエコアザラク

2001年,日本,91分
監督:鈴木浩介
原作:古賀新一
脚本:小林弘利
撮影:橋本尚弘
音楽:北里玲二、笠松広司
出演:加藤夏希、大谷みつほ、光石研、遠藤憲一、津田寛治

 郊外の森で起きた高校生を含む5人の男女の虐殺事件。その事件をただひとり生き残った少女ミサは病院に入院していた。そんな中現場からは奇妙にねじれたナイフが見つかり、それが凶器と断定された。その事件に密着するディレクター前田はそれを「悪魔」と結びつけて報道する。
 吉野公佳や菅野美穂が主演し、話題となった「エコエコアザラク」シリーズのリニューアル版。

 アイドル映画と割り切ってみれば、なるほどねという気もしますが、これを映画といってしまうのはあまりにもあまり。出来事は収まるべきところにおさまらず、投げかけられた疑問は解決されず、消化不良ばかりが残る。
 映画としてので寄付で記はともかく、プロットがお粗末すぎる。映画の展開上都合が言い様に事実は歪曲され、どんどん説得力を失っていく。刑事もTVディレクターもセラピストも何もかもが胡散臭い。ありえない。そもそも薄暗い部屋で一人で司法解剖をするなんてありえない。刑事は二人しかいないのか?などなど疑問はつきません。
 見所といえば、やはりアイドル映画なので美少女を見ましょう。あとは、意外と掘り下げていけば面白くなりそうな物語の背景を読み込みましょう。悪魔崇拝ってなんじゃ?とかね。そもそも「エコエコアザラク」ってなんじゃとかね。
 そもそもこの映画の原作はコミックですが、それがどんな内容なのか逆に気になってきます。

ガッジョ・ディーロ

Gadjo Dilo
1997年,フランス=ルーマニア,100分
監督:トニー・ガトリフ
脚本:トニー・ガトリフ
撮影:エリック・ギシャール
音楽:トニー・ガトリフ
出演:ロマン・デュリス、ローナ・ハートナー、イシドア・セルバン

 フランス人のステファンは、父が生前聞いていたテープの歌い手「ノラ・ルカ」を探して、ルーマニアを旅する。その途中彼はロマと呼ばれる音楽家たち(いわゆる「ジプシー」)に出会い、彼らが「ノラ・ルカ」のところにつれてっくれると信じ、彼らの村に滞在する。
 音楽と映像が美しく絡み合い、ひとつのアートとしての統一感を持つ作品。「ロマ」に強い思い入れを持つガトリフ監督のロマものの中でも一番のできでしょう。

 「ジプシー」という言葉は差別語とみなされ、最近では「ロマ」を使うのが適切だとされているようだが、この作品を見ていると、そんな名称なんてどうでもいいという気になってくる。
 イシドールの顔に刻まれた一本一本の皺からも音楽が聞こえてくるような、空間すべてが音楽で満たされているような、そんな素晴らしい映画。ロマやジプシーといわれて思いつくのは、エミール・クストリッツァの「ジプシーのとき」という映画で、これも素晴らしい映画でしたが、もっと殺伐としていて、悲哀にみちた映画でした。どちらが本当ということはないですが、厳しい生活の中でも、明るい生活を送っているということが伝わってくるこの作品のほうが好みではあります。
 ガトリフ監督には「ベンゴ」という映画もありました。これはアンダルシアを舞台としたフラメンコ映画で、場所こそ違えどこの映画と近しいものを感じます。ほかには「ガスパール 君と過ごした季節」(ビデオでは、「海辺のレストラン ガスパール&ロバンソン」というタイトルになっているはず)、「MONDO」という作品もありました。どちらもなかなかいい作品。紹介できたらしたいところですね。