天国と地獄
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2002年,日本,115分
監督:杉森秀則
脚本:杉森秀則
撮影:町田博
音楽:菅野よう子
出演:UA、浅野忠信、HIKARU、江夏豊、小川眞由美
小さな町で父親と銭湯を営む涼は清水涼という名の通り、自他ともに認める「雨女」、大事な日にはいつも雨が降る。親知らずを抜くことになっていた日も雨、婚約者で警察官のヨシオはその雨の中で事故をおこして死んでしまう。その同じ日、父親の忠雄も心臓発作を起こし、おがくずの中に倒れ、そのまま死んでしまった。失意に沈んだ涼は一人旅に出て、そこで自由な女ユキノに出会って少し元気を取り戻した涼が家に帰ると、食卓で見知らぬ男が食事をしていた…
ギリシャ自然哲学において宇宙の四元素とされる水・風・火・土が出会う場所としての銭湯を舞台に、CMやTVドラマで活躍する杉森秀則がオリジナル脚本撮った初監督作品。
人間よりも自然を主役にしようという意識、それはカットが切り替わるとき、画面の中心に木や草や水や空が映っている場面がいかに多いか、ということからも伺える。人間は端のほうに映っていたり、あるいはフレームインしてきたりと、自然の事物よりも後から観客に捉えられるようになっている。
このような自然の扱い方は少々露骨過ぎる気もする。だが、人間を物事の中心に据えず、人と物とを等価に扱おうとする姿勢は、いわゆる日本映画というイメージにぴたりとはまる。そしてこの静謐さや、超現実的な出来事を日常の中に紛れ込ませるやり方など、この映画のいろいろな要素は現代の日本映画とはかくあるべきだ、とでも言いたげな印象を与える。
ここで言う「現代日本映画」とは、実験精神にあふれた世界映画ではなくて、あくまでも「日本映画」という範疇にとどまって、その中である種の新しさと伝統を調和させる方法、たとえば北野武もそのような日本映画の作家だと思うが、この監督も映画の色は違うが、そのような哲学を持って映画をつくっていると思う。
現代の日本映画が持つ傾向は各国の映画の垣根を取り払って一種の「世界映画」になろうとする動きと「日本映画」というブランドを掲げて世界に出て行こうという動き、の2つがあると思う。この2つの動きはともにハリウッド映画と微妙な関係を持っていて、前者は自ら世界映画たらんとするハリウッド映画を取り入れ、消化し、それを乗り越えて、あるいはハリウッドをも巻き込んで「世界映画」たらんとする世界的なムーヴメントの一端を担うものとして存在している。
これに対して後者は、ハリウッドに支配される世界の映画市場にあって、それとは別の価値を生産するひとつのジャンルとして存在する。この場合、「世界」を市場とすることはできないが、世界中にある日本映画、あるいはアジア映画の市場にはすんなりと入り込める。
この二つのどちらかがよくて、どちらかが悪いということではなくて、今世界に向けて生産される日本映画には2種類あって、この映画は2つのうちの後者、つまりいわゆる「日本映画」として世界の市場に受け入れられるような映画であり、その中ではなかなか質のよいものである、ということ。しかもそれは、キタノのように外国向けに日本というものを見せるのではなく、日本人に日本を見せるものとして優れているのだ。
これが意味するのは、日本人はこの映画を評価しなければならないということだ。世界的には評価されなかったとしても、日本でも「UA」という話題以外でしか取り上げられなかったとしても、そのような外から押し付けられた仮面の奥にあるこの映画の真価は評価されるべきものだと思う。
2002年,日本,111分
監督:篠崎誠
原作:ビートたけし
脚本:ダンカン
撮影:武内克己
音楽:奥田民生
出演:水道橋博士、玉袋筋太郎、石倉三郎、深浦加奈子、井上晴美、内海桂子、寺島進
芸人を志して浅草にやってきたタケシ。しかし、何をすればいいかもわからず、ふと見かけたフランス座の「コント」というのに興味を引かれる。そして受付のおばさんに進められるままにエレベーターボーイをすることにするが、ほうきとちりとりを渡されて怒って帰ってしまう。しかし、その夜、居候している友人が音楽の夢を捨ててサラリーマンになるということを聞いてそこを飛び出し、フランス座で働くことにした。
ビートたけしが浅草時代について書いた自伝小説をダンカンが脚色し、篠崎誠が監督したスカイパーフェクトTV用オリジナルドラマ。今や大監督となった北野武の芸人としての原点を映画にするという面白さがそこにはある。芸人が数多く出演していることで、即興的な面白さも加味され、かなり楽しめる作品になっている。
まだ生きている人の伝記を映画化するというのはそもそも難しい。しかも、その相手がいまや映画監督となっているとなるとなおさらだ。しかし、この映画はその原作に忠実であるよりはドラマとしての面白さを追求することで、その第一の難関を見事に越えた。おそらく脚本の段階で相当に原作が崩されていると思うが、時代設定などを厳密にして、伝記とするのではなく、「ビートたけし」という名を借りながら、ある程度の普遍性を持つキャラクターを再創造しているところがポイントになる。
この映画に時代設定はなく、物語を考えると70年代くらい、小道具や風景などは現代、フランス座は十数年前まであったから、そのあたりでも問題はない。そもそも主演の浅草キッドも十数年前にフランス座で修行をしていたから、彼らにとっても自分の伝記を演じているような感じもあっただろう。そのように時代をあいまいにすることは、近過去を描く作品が流れがちなノスタルジーという罠から逃れる方法としても成功している(昔ながらの店先を短いカットでつないだシーンはちょっとノスタルジーのにおいがしたが)。
ノスタルジーから逃れることが重要なのは、そのことによって映画が現代性を獲得できるからだ。ノスタルジーにはまってしまった映画はそのノスタルジーを共有できる人にとっては甘美なものだが、それを共有できない人も多い。それでいいというのならいいのだが、より一般的な価値というか面白さを志向する場合、ノスタルジーはその障害になってしまう。だからこの映画がノスタルジーから逃れようとしたのは正しいし、およそ成功していると思う。
さて、原作や時代とのかかわりはそんな感じですが、映画として私が気に入ったのはひとつはコメディとしての面白さ。映画全体としてのコメディとしての面白さというよりは局面局面のネタの面白さ。「ちゃんとやってるんだー」ということがわかったつぶやきシローの転んだり、頭をぶつけたりという細かいネタ。石倉三郎と水道橋博士のやり取り、そのあたりが面白い。
もうひとつはラストちょっと前あたりのすうシーン、タケシと井上の二人が居酒屋で話し始めるとき、最初いっぱいいっぱいの2ショットだったのが、井上の表情にひきつけられるようにズームアップしていくカット、ここもなかなか。一番いいのは、それにつながる、タケシが薄暗がりの浅草を仲見世まで歩いていくシーン。この2カットでできたシーンは表情がほとんど見えない薄暗いところから微妙に光の下限が変わりながら、3分くらい歩くシーンが続き、最後にぱっと仲見世の明かりが見える。このバックにはこの映画で唯一といっていいくらいのBGMが流れる。限られた場所で効果的にBGMを使うのは篠崎誠の特徴のひとつであるけれど、この映画でもここのBGMが非常に効果的。
このシーンの余韻はその後の数カット続き、まったくせりふがないままドラマだけが進み、何も語らず、何も書き残さず井上は去っていくわけだが、その長い無言の後に吐かれる「出て行きたいやつは出て行けばいい」というセリフ、ここから次のカットへのつながりまでが本当にすばらしい。この10分から15分くらいの4シーン10カット程度のシークエンスを見るだけでもこの映画を見る価値はあると思う。
1959年,日本,119分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:宮川一夫
音楽:斎藤高順
出演:中村鴈治郎、京マチ子、若尾文子、川口浩、杉村春子、野添ひとみ、笠智衆
旅回りの劇団・嵐駒十郎一座が小さな港町にやってきた。座員たちはチンドン屋をやりながらビラを配ったり、マチの床屋のかわいい娘に眼をつけたりする。一方、座長の駒十郎はお得意先のだんなのところに行くといって、昔の女と息子を12年ぶりにたずねていく。しかし息子には「叔父だ」といってあり、本当のことを明かしてはいなかった。
小津安二郎が山本富士子の貸し出しの交換条件として契約した大映での唯一の監督作品。中村鴈治朗や京マチ子、若尾文子ら小津と見えることのなかった役者との組み合わせが興味深い。小津としては初めてのカラー作品で、小津らしからぬドラマチックな展開も注目。小津自身が1934年に撮った『浮草物語』のリメイクでもある。
小津安二郎の「変」さというのがこの映画には非常に色濃く出ている。小津のホームグラウンドである松竹大船撮影所で撮られた小津映画には完全に小津の「型」というものが存在し、そこから浮かび上がってくるのは「小津らしさ」というキーワードだけで、小津映画が「変」だという感慨は覚えない。しかし、よく考えると小津映画というのはすごく「変」で、ほかの映画と比べるとまったく違うものである。それを「小津らしさ」としてくくってしまっているわけだが、その「らしさ」とはいったい何なのか、それは映画としておかしいさまざまなことなんじゃないか、という思いがこの映画を見ていると浮かんでくる。
それはこの映画が「大映」というフォーマットで撮られたからだ。(笠智衆や杉村春子は出ているが)いつもとは違う役者、いつもとは違うカメラマン(宮川一夫は厚田雄春に負けるとも劣らないカメラマンだが)、全体から感じられる異なった雰囲気、それはこの映画をほかの大映の映画と比較できるということを意味している。たとえば溝口や増村の映画と。そうしたとき、小津映画の「変」さがありありと見えてくる。最初のカットからして、灯台と一升瓶を並べるというとても変なショットだし、短いから舞台のカットを何枚か続けて状況説明をする小津のいつもの始まり方もなんだかおかしい。
そして極めつけは人物を正面から捕らえるショットの多用。これが映画文法から外れていることはわかるのだが、普通に小津の映画を見ているとそれほどおかしさは感じない。しかしこの映画では明らかにおかしい。さしもの名優中村鴈治朗もこの正面からフィックスで捉えるショットには苦労したのかもしれない。さすがに見事な演技をして入るが、そこから自然さが奪われていることは否めない。そもそも小津の映画に自然さなどというものはないが、小津映画に常連の役者たちは小津的な世界の住人として小津的な自然さを演じることに長けている。
杉村春子とほかの役者を比べるとそれがよくわかる。杉村春子のたたずまいの自然さは役者としてのうまさというよりは、小津映画での振舞い方がわかっているが故の所作なのだろう。
しかし、この小津の「変」さを浮き彫りにする大映とのコラボレーションは、ひとつの新しい小津映画を生み出してもいる。大映の映画というのがそもそもほかの映画会社の映画とはちょっと違う「変」な映画であるだけに、そこから生み出されるものは強烈な個性になった。
うそみたいに激しく降る雨の通りを挟んで、軒下で言い争いをする中村鴈治朗と京マチ子、その不自然さは笑いすら誘いそうだが、その笑いは強烈な印象と表裏一体で、そのイメージがラストにいたって効いてくる。「静」と「動」、常に「静」で終始しているように見えることが多い小津映画には、実は常にその対比が存在し、それが映画のリズムを作っているということ、そのことも改めて認識させられる。この映画がほかの小津映画に比べてドラマティックに見るのは、その「静」と「動」の触れ幅が大きいからなのかもしれない。
小津が普段と違うことをやろうとしてそうなったのか、それとも普段の小津世界とは違う人たちが関係しあうことによって自然に生まれてきたものなのか、それはわからないが、こんな小津もありだと思うし、こんな大映もありだと思う。
1961年,日本,93分
監督:衣笠貞之助
原作:泉鏡花
脚本:衣笠貞之助
撮影:渡辺公夫
音楽:斎藤一郎
出演:山本富士子、勝新太郎、川崎敬三、阿井美千子
板前の愛吉が警察官に連れられて、喧嘩の巻き添えで怪我をさせてしまった深川の材木問屋の娘夏子をおぶって病院にやってきた。夏子は治療に当たったその病院の若先生・光紀と恋に落ち、愛吉は夏子を神様に見立てて禁酒の願をかけ、足繁く病院に見舞いに通う。退院後も夏子と光紀は会うようになったが、光紀には親が決めたいいなずけがいた…
泉鏡花の『三枚鏡』を衣笠貞之助が映画化。泉鏡花原作なので、さわやかな恋物語になるわけもなく、話はどろどろ。そのどろどろさかげんにはまっていく山本富士子と勝新太郎がとてもよい。
いいですね、60年代、大映、このどろどろさ。衣笠貞之助はこれ!という代表作はありませんが、50年代を中心になかなか質の高い作品をとっている大映の職人監督の一人です。スターシステムというほどではないですが、この作品は山本富士子と勝新太郎を中心とした映画なので、この二人を引き立てるようにオーソドックスな映画を作り上げています。
60年代初めといえば、「悪名」シリーズと「座頭市」シリーズが始まったころで、まさに勝新太郎がスターダムに上りつめるころ。さすがにこういう渋い作品でもいい味出してます。山本富士子のほうは、もうすでにスターの地位を確立していたころでしょうか。しかし、この2年後フリーになった山本富士子は大映の恨みを買い五社協定(大手五社が新しい映画会社への役者流出を防ぐための協定)を口実に映画界から追放されてしまう運命にあったのです。しかもこの二人は同い年。そんなことも考えながら映画を見ると、なかなか面白いものもあります。
大映というのはどうもやくざ風情の映画会社で、永田雅一はそもそも任侠系の人だという話も聞いたことがあります。それは一面では義理がたくて、利益第一ではないという利点もありますが、他方で非合理というか山本富士子のような不条理な被害者も出てしまう。でも、やくざとか任侠系の映画に面白いものが多いのも確かで、この映画の勝新太郎もかたぎではあるけれど、義理人情のやくざ風情が映画の重要な鍵になっている。
いろいろありますが、この映画は面白いです。山本富士子がぐっとくるものはいままで見た中ではなかったんですが、これは結構きました。20代おわりくらいからようやく役者としての味が出てきたといわれるので、このあたりが一番あぶらの乗っていたころなのかもしれません。山本富士子ファンは必見。
あとは、泉鏡花はやはり大映の作風にあっているということでしょうか。始まりから終わりまで油断させないドロドロ感、これがなかなかいいですね。
大映と山本富士子といえば、逸話をもうひとつ。あの小津安二郎が『彼岸花』をとるときに、どうしても山本富士子を使いたいとおもい、大映にオファーしたところ、大映の条件は「大映で一本映画を撮る」というものでした。それで撮ったのが小津唯一の大映作品『浮草』です。これは近々見る予定。『彼岸花』もみよっと。
2002年,日本=イラン,106分
監督:中山節夫
脚本:横田与志
撮影:古山正
出演:宍戸開、オスマン・ムハマドパラスト、忍足亜希子、寺田農、保坂尚輝
自動車の部品メーカーでサラリーマンで忙しく働く井沢、学生時代の友人で画家の木田の個展に呼ばれ、出かけると、そこに浩子が来ていた。浩子は井沢がかつて世話になっていた町工場の社長村田の娘で、昔は親しく付き合っていたが、井沢の会社が切り捨てたことで工場は倒産してしまっていた。そのとき、村田が心臓発作で倒れたという知らせが入る…
競争社会に飽み疲れたサラリーマンがイランを旅するというロードムービー。アッバス・キアロスタミ監修の下でイラン・ロケを敢行。日本人の目からイランを見ることができるという面ではいい。
すごく普通というか、まともな映画で、設定や物語は古臭ささえ感じるほどオーソドックスである。人を探すたびが自分探しのたびになるというロードムービーの王道を臆面もなく堂々と展開する。もちろんそれが悪いというわけではないけれど、それではあまりに話が予想通りに進みすぎる。
言葉をしゃべれないヒロインを登場させて、ちょっとアクセントをつけてはいるものの、その恋愛物語は映画の主プロットからは完全に外れていて、なんだかとってつけたような内容。しかも手話の場面でBGMが流してしまうのもなんともわかりやすいというか、わかりやすくしようとしすぎている。
この映画の新しさはイランということ。イラン映画はこれまでも数多く日本に入ってきて、イランがどのようなところであるかはそれらの映画を見ればなんとなくわかる。しかしそれはあくまでイラン人が作ったイラン映画であって、日本人が見たとしても、それはイラン人としてその映画世界に入っていく。しかし、この映画を見ることは日本人としてイランに入っていく体験だ。その意味では映画において始めてイランと日本が本当に出会ったといっていいのだろう(私の知らない映画があるかもしれないけど)。
この映画を見ていいと感じるのは、ほとんどすべてがイランのよさである。その風景、その音楽、その人間、それらイランなるものがすべていい。「急ぐのは悪魔の仕業」ということわざはこの映画のことは忘れてしまっても、忘れることのできない言葉だ。あまりに日本語をしゃべれるイラン人に出会いすぎという気はするが、それもまたイランと日本の「近さ」を表現しようとするひとつの誇張であると捉えれば首肯できる。
しかし、この映画の主人公の幼稚さにはちょっと辟易する。恋愛話でも言葉が通じないからとか、そんなことをいっているが、そんな段階でくよくよ悩んでいるんじゃどうしよううもないわけで、そんなことわざわざイランまで来なくてもわかるだろうという気がしてしまう。
わざわざイランまで来て受け取るべきものはもっと違うものだったはずで、たとえば、彼が敬虔な仏教徒のように手を合わせて祈ること。もちろん彼は日本ではそんなことはしていないはずで、神の国イランにふさわしいと思うから普段やらないそのような所作を思わずしてしまう。ということについて思いをはせれば、もっと深い部分にある何かを受け取れたんじゃないか。
映画を見ているわれわれのほうが実際にイランに行ったはずの主人公よりイランから多くのものを受け取っているような気がしてしまい、その分この主人公が薄っぺらな感じがしてしまう。
2002年,日本,65分
監督:河瀬直美
撮影:河瀬直美
出演:西井一夫
画面に映っているのは病院のベットに寝ている男。河瀬直美は写真評論家の西井一夫に呼び出され、末期ガンでホスピスにいる彼の人生最後の日々を撮影してくれるよう頼まれる。映画は何の説明もないまま滑り出し、あいだに風景ショットなどを挟みながら、ただただ病人の姿を映し出す。
人も、時間も、場所も全く説明がないが、それを映画から理解することは容易であり、その理解していく過程にある濃密な時間は観客が映画に参加するための重要な手がかりである。この映画は観客を観客としておいておかず、映画の中へ中へといざなってゆく。
これを映画にすることができたのは紛れもない河瀬直美の才能だ。死期が迫るの病人が寝るベットの傍らに座り、カメラを回す彼女は冷徹な観察者とはならず、看護の手伝いをしいろいろな話をする友人としている。片手でカメラを持ちながら、もう一方の手で水の入ったボトルを差し出す。そのようにして被写体との距離を置くことをやめた映像は、ホームビデオのように映画であることをやめてしまうことが多い。しかし、この映画はそうはならず、映画が進むとともに被写体と撮影者との距離も変化し、その変化が手探りの試行錯誤であるがゆえに、観客と被写体の距離の変化に呼応する。そのように映画を構成することのできる河瀬直美の才能に賛辞を送る。
この映画は何を語っているかを考える。被写体となった西井一夫は「記録」と言った。自分が生きてきたことの記録、それを残すために映画をとってもらうんだと言った。河瀬直美もまた自分が生きるために映画を撮るんだと言った。しかし、他方で河瀬は「記録」(という言葉)は嫌いだと言う。映画の中では言葉の問題として片付けられているこの「記録」の問題は決して言葉だけの問題ではなく、映画全体にかかわる問題となっている。
この映画はある意味では「記録」である。それは間違いない。西井一夫が息を引き取る瞬間に回っていたカメラが切り取ったものは紛れもない生の記録であった。しかしその記録は映画の中に埋没する。この映画を構成する要素である「記録」は監督河瀬直美によって映画の要素へと還元され、「記憶」あるいは「追体験」の材料にされてしまう。これらの記録の断片はそのことが呼び起こした感情や考えを再び呼び起こすための材料であり、観客にとっては河瀬直美がどう感じどう考えたかを追体験するための材料となるのだ。
そうならば、何を語っているのか。
それは…
ただひとついえるのはこれが河瀬直美にとっての死の現実であると同時に死のイメージであるということだ。自分が「死」というものに対峙したときに受け取ったものをそのままイメージ化して提示する。それは大部分は静かで淡々としている。しかし烈しくもある。静かではあるが平和ではない。そのようなイメージが提示されるので、何かを語っているとは言い難い。語るべき言葉はなくなり、沈黙があたりを支配し、鎮魂歌が流れ、語るべき言葉などないことを死者自らが認めて映画は終わる。
1966年,日本,100分
監督:黒木和雄
脚本:松川八州夫、岩佐壽弥、黒木和雄
撮影:鈴木達夫
音楽:松村禎三
出演:加賀まり子、平中実、小沢昭一、長門裕之、山茶花究
北海道の小学生が夏休み、チョウをとっている。チョウ好きの少年は見かけたチョウがデパートで見かけたナガサキアゲハであることに気付いて、必死で追う。ついに捕まえた少年は誇らしげに学校に持っていくが、先生は北海道にいるはずがないといって少年を信じない。少年がチョウを捕まえたところにいくと、不思議な女がいた。
黒木和雄の劇映画第一作、非常に幻想的な物語の中で社会的なテーマも失わない。全体的に不条理で理解しがたいが、いまや名カメラマン鈴木達夫のカメラの流麗さが全体に統一感を与える。
冒頭の、少年がチョウを撮るシーン、ここの映像は本当にいい。少年の視線、チョウの視線、外からの視点、それらの視点を織り交ぜながらカメラはあくまでも自由に飛び回り、少年の緊張感や躍動感を伝える。これだけのシークエンスを作るには才能と努力が必要に違いない。ドキュメンタリーっぽいといえば、そんな感じもするが、ドキュメンタリーで培われた被写体に密着するとり方というか、執拗に被写体を追い、その視線を捉えようとするとり方がこのような映像を可能にしたということはいえるだろう。
そのような冒頭部に対して、本編のほうは映像よりもむしろテーマ性が先にたつ。もちろん映画のどこまで行ってもカメラの流麗さは失われず、はっとするようなカットがあるのだけれど、映画としてはそのチョウの旅路自体よりもその場所場所で描かれる、現代日本の病のようなもののほうに主眼を置く。長崎での描写は亀井文夫の『生きていてよかった』を思い出させずにはいない。おそらく、積極的に映画の材料として取り入れているのだろう。
戦争に限らず、現代の(当時の)日本が抱える問題、あるいは監督が日本に対して感じる不安を映像として提示したという感じだろう。
それにしても、物語というかはなしのプロットがなかなかわかりずらく、物語に入っていくのが難しい。全編に共通する登場人物は加賀まり子だけで、しかもセリフもあまりしゃべらない。このとらえどころのない物語はフィクションやドキュメンタリーという区別を超えたところにあるのかもしれない。確実にフィクションではあるが、フィクションというにはあまりに断片的である。
論争的にしようという監督の目論見はおそらく外れ、加賀まり子のかわいさとカメラの(映像の)素晴らしさだけが引き立ったそんな作品になってしまった。いっそドキュメンタリーにしてしまったほうがいいものが取れたんじゃないかとも思ってしまう。
1987年,日本,165分
監督:亀井文夫
撮影:菊池周
出演:小林恭治(朗読)
映画はサケが故郷の川をさかのぼるところから始まり、まずはサケの生態が紹介される。さらに自然の生物たちの生態が紹介されるが、この映画の焦点は明らかに現代文明批判、人間批判にあり、映画の後半はそのことに終始する。 亀井文夫は映画の冒頭に「鳥になった人間(亀井文夫)のシネ・エッセイ」とタイトルを出すように、超然とした存在として人間の世界を眺める。
さまざまな映画会社の協力を得てフィルムを使い、ボランティア・スタッフのみによって完成された映画。亀井は病に倒れながらも編集を続け、完成とともにこの世を去った。
亀井文夫については思想的な部分でさまざまなことが言われている。共産党員であったり、しかし一方で共産党から批判されたり、賞賛されることもあるが、どのセクトからも攻撃されることもあるというような立場に立たされる。それは彼がそのような思想のフォーマットから自由であるということを意味している。「共産主義」とか「反戦」とかいうレッテルのついた思想にこだわることなく、自分なりの思想性を確立させていく。そのような映画作家であると思う。人々はそのときそのときの作品を見ながら、これはどうであれはどうだとか、亀井文夫は変わったとかいうけれど、亀井文夫自身には全く関係のないことだ。
この作品から離れ、亀井文夫作品全体の印象になってしまうが、わたしには亀井文夫の思想の根底にあるのは民主主義とキリスト教であるような気がする。無理やりに当てはめるならば原始キリスト教的共産主義。もちろんこの当てはめも亀井文夫にとっては意味を成さないが、そのようなものに近い思想と考えれば理解しやすいかもしれない。
共産主義を唱える人々はこの映画で亀井文夫が回帰したムラ共同体について批判する。しかし、別に亀井文夫はそれが人間のあるべき姿だといっているわけではなく、人間が自然と共存するための生き方の原型であるといっているだけである。果たして彼にとって、まず人間があるのか、それともまず自然があるのかはわからないが、少なくとも人間は自然の一員でしかないということを強調する。そのために歴史上でもっともふさわしかった形がムラ共同体だったということをいっているだけで、そこに回帰せよといっているわけではない。
どうも、形にはまらないということは、論じにくいということになってしまいますが、自然と人間との関係性を深く考えることこそ必要だということかもしれない。
ところで、この映画で気になったのは、あまりに「種の保存」を強調しすぎること。「種の保存」を強調することは人間が自然に反していることを立証することにつながるが、「種の保存」から人間の生活を説明することは難しい。それはあまりに自然に回帰しすぎ、人間の生活には近づいていかない。果たして人間が一つの「種」として存在しえるのか、本当に生物は「種の保存」のために生きているのか、ということをこの映画は説明しないまま、とにかく人間が「種の保存」の原則に反しているということを繰り返す。果たして、「種の保存」とはそんなに異論の余地のない理論なのだろうか?
などという疑問を抱きながら、まとまらないまま映画を見終わる。亀井文夫の遺言は結論ではなく、新たな疑問をいくつも提起するようなものだった。
1947年,日本,100分
監督:亀井文夫、山本薩夫
脚本:八住利雄
撮影:宮島義勇
音楽:飯田信夫
出演:池辺良、岸旗江、伊豆肇、菅井一郎
太平洋上で撃沈された軍艦。そこに乗っていた兵士の一人健一は中国に流れ着き、そこでホームレスのような生活を送る。一方、健一の妻町子のもとには健一の戦士を告げる通知が届く。そんな時、健一の親友で精神に異常をきたして戦争から戻ってきていた康吉が町子の名を呼んでいると言われて町子は病院に赴く…
戦争に振り回された人々の戦中から戦後への生活史。そして、戦争に翻弄された家族と愛の物語。物語は地味で味わいのあるものだが、映像はなんだか恐怖映画のようで妙。
戦死の誤報による二重結婚、それは実際にかなりの数起こった事態だろう。それを戦争直後に映画にするということは、かなり自分たちの生活に密接した映画であるという印象を与えたことだろう。そして、戦場のショックによる精神障害というものもまた、かなりの数に上ったことも想像に難くない。だから、この映画は当時の観客たちにとっては身につまされるというか、あまりに身近なことであったに違いない。映画に映っている風景も、自分たちの生活そのまま(健一が夜の街をぶらぶらするシーンなどは、あまりにリアル)なのだと思う。そのような映画であると考えると、これを今見ることは一種の過去を知る資料的価値という意味が一番大きくなってしまうのかもしれない。
物語は、地味だけれど、そのような要素もあってとてもリアルで、あいまいなところもとても意味深い。
ただ、登場人物の心理の機微なんかはあまりうまく表現されていない。それは、おそらくクロース・アップのやたらの多用と、人物への妙なライティング(下からライトを当てているので、影のでき方が恐怖映画のよう)が原因だろう。
そして、これは多分戦争直後の物資難、映画の制作に際してもライトなどの道具が不足し、もちろんフィルムも十分ではなく、そのような環境で撮っているせいだろう。特に、ライティングという面がこの映画ではかなり問題で、恐怖映画のようなライティングというのは一つのわかりやすい不合理さだが、クロースアップの多用というのも、光量の不足から、表情をしっかり映すためにはクロースアップにするしかなかったということもあるのだろうと思われる。
そんな事情の中で撮られた映画であることは創造できるけれど、今この映画を見る場合には、映画としての評価はマイナスにならざるを得ない。この映画にこのライティングや編集はやはり妙だし、ミスマッチである。歴史的(一般的な歴史でも映画史でも)にはいろいろ考えさせられることもあるけれど、単純に映画としては、あまり成功しなかったといわざるを得ない。
ところで、この主演の女優さんは岸旗江といって、あまりよく知りませんが、なんだかちょっと原節子にのなかなかの美人。第1期東宝ニューフェイスということですが、どうもあまり主役級の作品はなく、地味に長く女優さんをやっていたようです。どうして、スターになれなかったんだろうなぁ…