流血の記録・砂川

1956年,日本,55分
監督:亀井文夫
撮影:武井大、植松永吉、城所敏夫、勅使河原宏、大野忠、亀井文夫
音楽:長沢勝俊
出演:寺島信子(解説)

 米軍基地の拡張が進む中、東京の近郊立川の砂川地区も、立川飛行場の拡張計画の用地となった。そのための測量が行われるが、先祖代々の土地を守るため拡張に反対する住民たちは測量を阻止しようと共同戦線を張る。闘争もすでに一年以上続き、映画も『砂川の人々』『砂川の人々・麦死なず』についで3作目となった。今回も測量隊による失敗のあと、武装警官が投入された。果たして砂川の人々は自分たちの土地を守ることができるのか…
 ピケを張る人々の中に混じり、まさに争いの渦中でカメラを回した迫力にあふれる作品。

 今思えば、このころからアメリカの軍事的身勝手さは明らかだった。どう考えても農民たちのほうに正当な権利があり、勝手に土地に入って測量などできないはずなのに、その測量を日本の国家権力にやらせ、自分たちは安全なところでほくそえみながら眺めている。そんなアメリカ軍を見るにつけ、なぜそのようにいられるのかと不思議になってくる。
 まあ、それはいいとして、この映画はメッセージがあまりに明確で、映画の中では明確に価値判断をしているわけではないけれど、その実情を見ていれば、それが言わんとしていることは明らかで、さらに亀井文夫が共産党員であるということも考えると、結論は言わずもがな。
 この映画を見ていると、亀井文夫の中立性を装った説教臭さというものが見えてくる。戦中の映画では亀井文夫は徹底的に中立であろうとしていた。それはもちろん反戦の主張をすることは検閲によって上映禁止になるばかりでなく、自らの見も危険にさらされるからだ。
 戦争が終わり、そのような規制がなくなっても、映画としては中立を保つ。どちらが正しいかを断言しない。しかし、カメラの視点は砂川の人々にあり、「人間の顔ではなく、青いヘルメットが迫ってくる」という言葉で警官隊のことを説明している以上、それを人間ではない人間として描いていることは確かだ。「人間対非人間」、その構図は日本軍が人々を戦争に駆り立てるために、日本人と中国人・英米人との対比に用いたものではなかったのか、人間主義あるいは自然主義に基づいて、戦争への危惧をうたった亀井文夫が、そのような非人間的な思想をそのフィルムのそこにこめていいのか? そんな気持ちが湧き上がってくる。
 果たして、どちらの亀井文夫が本当なのか。戦争中は規制のために自分を抑えていたのか、それとも自由をもてあまして言い過ぎてしまったのか。中立であろうとする心と、説教をしたいという欲求、そのふたつが常に亀井文夫の心の中にはあると思う。中立であろうという心が勝てば、そのときは素晴らしい映画が生まれるけれど、説教をしたいという欲求が勝ってしまったとき、その映画は失敗する可能性を秘めている。この映画は失敗とはいえないけれど、非難されるべき点もたくさんある。

生きていてよかった

1956年,日本,49分
監督:亀井文夫
撮影:黒田清巳、瀬川浩
音楽:長沢勝俊
出演:山田美津子(解説)

 1955年、原爆投下から10年を迎えた広島・長崎で「第1回原水爆禁止世界大会」が開かれた、亀井文夫はその支援運動のひとつとして、その前後の期間、広島と長崎で被爆者たちを取材し、それをドキュメンタリーとしてまとめた。
 映画は顔の4分の1ほどが崩れ落ちた女神の像からをバックにしたタイトルから始まる。これは顔にケロイドができてしまった少女たちのメタファーなのだ。一部原爆投下直後のフィルムも織り交ぜられ、原爆投下10年後の現実を余すことなく伝える。
 勅使河原宏も助監督として参加している。

 50年代に入り、亀井は基地問題についてのドキュメンタリーを次々と発表したが、それもまた戦争と人々との係わり合いについて考えるためのものであったのかもしれない。そしてこの作品も戦争と人々とのかかわりについて考えさせられる。簡単に言えば、戦争は一部の人には深い傷跡となって残り続けるけれど、他の人々には忘れ去られてしまうものだということだ。亀井の作品はその忘却に抗って、そしてさらにそもそもそのような悲劇を知らない人々に知らしめるものである。
 それを象徴的に示すのは、原爆記念館を訪れた外国人の女性の「こんなことはあってはならない」というセリフだ。このセリフを吐かせたのは、原爆によってひん曲がってしまった少女の手のレプリカであり、それが展示されることが可能になったのは、その少女の母親が周囲の冷たい視線や反対を押し切って積極的に展示しようと動いたからだ。周囲の視線や、いわれなき差別は原爆被害者たちにその傷跡を隠そうとさせる。もちろん被害者たちもそのような傷跡を治療し元に戻したいだろうが、周囲がさらにその傷に塩を塗りこむようなことをする必要はない。
 そんな当たり前のことをこの映画は再認識させる。日本で育っていれば大概見たことがあるだろう原爆被害の悲惨な写真や映像やエピソードも時間とともに忘却のかなたに追いやられてしまう。それは新たな戦争、新たな核兵器への警戒心を緩めてしまう。だからその悲惨さや苦しみをくり返し忘却の淵から取り出さねばならない。
 この映画の戦争とのかかわり方はそういうことだ。戦争という悲劇を忘却の淵から掬い上げること。それもまた映画というものが戦争とかかわる一つのやり方である。

戦ふ兵隊

1939年,日本,66分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:古関裕而

 日本軍が奥地へ奥地へと侵攻していく中国大陸、映画はその中国の農民の姿で始まる。家が壊れたり焼けたりして途方にくれる人々、続いて「いま大陸は新しい秩序を 生み出すために 烈しい陣痛を 体験している」という文字が画面いっぱいに映される。
 この映画はナレーションはないが、字幕というかキャプションによって画面が中断される。そしてその字幕の多くは日本軍の偉業をたたえるものだ。そんな字幕によって区切られながら、映画は中国の奥深くへと進んでいく日本軍のあとを追う。
 この映画は内務省の検閲に引っかかって、公開禁止となり、ネガも焼却されたため「幻の映画」とされていたが、1975年に1本のポジフィルムが見つかった。

 この映画は『上海』や『北京』と比べると、兵隊たちが映っているシーンが多いが、それでも多くの部分を中国人たちの映像や、兵隊の平時の映像が占めている。これは亀井文夫の戦争に対する一貫した姿勢の表れで、それは『上海』のときのも述べたように、反戦とか軍部批判とかいったことではなく、あらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。
 それでも、少なくともこの映画が当時の映画界を支配していたプロパガンダ映画と異なっているということは確かだ。この映画を見て人々が戦争へと駆り立てられることはおそらくない。字幕の文字上では皇軍を賛美し、日本軍の偉大さを喧伝しているけれど、画面はそれとは裏腹にひっそりと静かである。最初に兵隊たちのキャンプが映るシーンで、断続的に大砲の音が鳴り響いているにもかかわらず、兵隊たちの行動に全く焦燥感はなく、日常的な光景が展開されている。これは文字や音よりも映像こそがメッセージを語るという信念の表れであるように思える。映画からナレーションを排したも、そのような映像の力を信じてのことだろう。

 このようなことを考えると、やはり亀井文夫は世間で言われるようにただ一人、戦争に反対し続けた映画作家だといいたくなっても来る。しかし、やはりわたしは亀井文夫が戦争に反対しているとは思えないし、そもそもこのようなプロパガンダではない映画を撮っていたのが亀井文夫一人であるとも思えない。阿部マーク・ノーシスは亀井がこのような反戦ととれるような映画を撮って、「どうして無事でいられると思ったのだろう?」という問いを自ら立て、それは「他の人々も全く同じように考えていたということだ」と答えている(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001 亀井文夫特集 パンフレット)。
 それはつまり、このような映画をトルコとは普通のことであって、むしろ検閲に引っかかったことのほうが不思議なくらいだったということだろう。そしてそれは、この映画が検閲を逃れようと工夫を凝らして作られたというよりは、素直に、思うがままに使える素材を十分に使って(多少の自主規制はあったにせよ)作られた映画だということだ。

 この映画は、映画というものが戦争とかかわる一つのかかわり方を示している。戦争と映画のかかわりについての議論に上るのはたいていの場合、その映画が戦争を推進するのか、それとも戦争に反対するのかということだ。
 これに対して、この『戦ふ兵隊』を中心とした亀井の一連の戦争ルポルタージュは戦争に賛成という表面上の意見表明は保ちながら、その実、賛成でも反対でもないという立場を暗に示す。
 では、この映画がどのように戦争とかかわっているのだろうか。基本的にこれらの映画が描くのは戦争と人間、あるいは自然との係わり合いで、戦争が人々の生活や自然にどのような影を落とすのかを描く。これはつまり、映画を見ている人々(つまり実際に戦場には行っていない人々)と戦争との係わり合いを描いたものなのである。
 戦争に対する賛成/反対を述べる映画にはその特定の戦争の評価、つまりその戦争が正義であるか否か、という価値判断が映画そのものの価値にかかわってこざるを得ない。それに対して亀井の戦争映画はより普遍的な戦争に対するかかわり方や姿勢を示すことが可能である。
 亀井がここで表明しているのは、戦争とはその戦場に住む人々や自然にとっては悲劇以外の何ものでもないということだ。それはその戦争が善であるか悪であるかという越え、戦争一般が是であるか費であるかという判断も留保し、ただ見る人それぞれにその戦争の、そして戦争一般の是非を問うているのだ。
 もちろん亀井のメッセージは「戦争は悲劇である」ということだろう。しかし、それを受け入れるかどうかは見るものに委ねられている。

小林一茶

1941年,日本,27分
監督:亀井文夫
撮影:白井茂
音楽:大木正夫
出演:徳川夢声(解説)

 「信濃では 月と仏と おらが蕎麦」という一茶の句に続いて、その句から思い起こされる長野県の、主に農民たちの生活を映していく。
 この映画は長野県が東宝に委託して作った観光PR映画「信濃風土記」シリーズの2作目として作られた。戦争が終わり、ようやく戦争物から離れることができた亀井文夫はこの作品で軽妙な語り部としての才能を如何なく発揮している。これが長野県のPRになっているかどうかはともかくとして、小林一茶について描いたものとしてはかなり面白いものであることは確かである。

 とても、短い映画なんですが、内容はなかなか濃いというか、小林一茶と生まれ故郷の長野の関係をしっかりと伝えている。そして長野県の土地の貧しさや農民の苦労を伝えている。だからこれを見て長野県に行こうとは思わないけれど、一茶には興味を持てる。
 さて、この映画は一茶の句をキャプションとして、それで章を区切って一茶の生涯を語っていくわけですが、その一つ一つの断章はある意味では一つの句の解釈になっている。わたしは俳句のことはほとんどわからないんですが、その解釈はおそらく一般的なものとは違う。終わり近くに「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」という句を出して、露害にやられた農民の姿を映す。そして、もう一度、今度はクローズアップで句のキャプションを出し、続いて農民のクローズアップを映す。このあたりの喜劇的なところも感心するが、その解釈の仕方にも感心する。喜劇的といえば、映画の最後に一茶の四代目の孫という人物が出てきて、「俺は俳句を作らないが米作る」といったところではなんともいえないおかしみが漂った。(その人が小さな一茶記念館「のようなもの」をやっているというのもささやかな観光PRっぽくって面白かったが)

 この映画のいいところは、一茶の句の力強さを認識し、映像がそれに勝てないことを前提としている点だ。一茶の句と拮抗する形で映像を提示するのではなく、一茶の句を広げる、あるいは句の余韻が残っている中で、それを映像で補完する、そのような作り方をしている。
 俳句と映画という意外な組み合わせがこんなにも豊かな映像作品を生み出すというのは、作家のそんな謙虚な姿勢があって初めて可能だったのだろう。

おしゃれ大作戦

1976年,日本,85分
監督:古沢憲吾
脚本:松木ひろし
撮影:鷲尾馨
音楽:広瀬健次郎
出演:由美かおる、岡崎友紀、沢田雅美、志垣太郎、磯野洋子

 浅野夫婦が校長(妻)と理事長(夫)を勤めるとある服飾学校が企業のバックアップでファッションイベントをすることにした。しかし、その学校のオーナーである実業家の吉良はそのイベントに自分の名前が入っていないことに腹を立て、スポンサーを撤退させ、イベント開催を条件に校長に言い寄ったが失敗し、イベントをつぶしてしまった。それを聞いた理事長は自棄酒を飲んで車を運転し、事故を起こして死んでしまう…
 監督の古沢憲吾は「無責任シリーズ」や「若大将シリーズ」の監督を務めてきたコメディの名手。これが遺作となった。お正月映画ということで、スターというか有名俳優がこぞって出演しているのも魅力。

 映画のすべての要素が「くだらなさ」に還元されてゆく。
 作られた当時の意図はわからないけれど、今見るととにかくくだらないことに一生懸命に見える。これは一種のお祭りなのだ。とにかくスターというかスター一歩手前ぐらいのおなじみの顔が多数出演しているのがまずこれがお祭り騒ぎであるという何よりの証拠だ。それに加えて、物語の下敷きが忠臣蔵というのもなんだか、お祭りだか恒例行事だかの匂いがする。
 などといっていますが、要するに言いたいのは「お祭り!」ということで、つまり面白ければいいということ。で、面白いのかといえば、面白い。くだらないと面白いとは必ずしもイコールでつながるわけではないけれど、徹底的にくだらない映画というのは概して面白いものが多い。

 ただ、この映画の場合、あまりにくだらなすぎる。というのは、普通の徹底的にくだらなくて面白い映画というのは映画を通して一貫したくだらなさを持っている。つまり傾向というか、全体が一つのネタになっていて、その中でいろいろとふざけて見せる。しかしこの映画の場合は、とにかく小さなくだらないことを集め集めて、その小さな物事をくっつけて映画にしている。たとえるならば、コントを演るお笑いコンビではなく、とにかくダジャレを連発する芸人集団という感じ。
 そのようなくだらなさだから、弱いといえば弱い。ずっと一貫してくだらないことは確かなんだけれど、ずっと面白いかといえばそうでもなくて、結構ムラがある。見る人による個人差はもっとあるだろう。とにかく勢いで持っていくので、笑って終わることはできる、素人はだませる、でも玄人の目はごまかせんぞ、フッフッフッフッフ。みたいな感じである(わかるかな?)。しかし、一方で出ている人たちや細かいネタをチェックしたいというマニア心もくすぐる。
 このマニア心というのは、今見ているからわいてくるのであって、みている当時はそのような観客層はなかっただろう。今となっては「なんじゃそりゃ」という笑いのネタになる冒頭の水前寺清子の歌も、歌手の八代亜紀さんとして登場する八代亜紀も、当時は一つの娯楽として映画の中に一つの役割を持っていたのでしょう。そんな時代性というものをつとに感じる映画でした。

北京

1938年,日本,74分
監督:亀井文夫
撮影:川口政一
音楽:江文也
出演:松井翠声(解説)

 1938年、東宝文化映画部は当時中国を侵攻していた日本軍を追ったルポルタージュを三部作として製作した。この映画はその3作目で、1作目の『上海』に続いて亀井文夫が構成・編集を担当している(第2作目の『南京』の監督は秋元憲)。
 映画の作りは基本的には『上海』と同じで、兵隊や戦場を撮るよりも、日本軍が通り過ぎた街の風景やそこに住む人々を描く。むしろ『上海』よりもさらに戦争そのものから離れてしまったような印象すら受ける。

 現存するフィルムでは、映画の最初の1巻が失われてしまったというテロップが最初に流れる。映画は紫禁城の建物や、そこに住んでいた西太后らについての解説から始まる。想像するに、1巻目には戦況の解説や北京の街についての概説が収められていたのだろう。それに続いて北京最大の建造物である紫禁城について描く。そのような構成であったと想像する。
 それは、この映画が『上海』と比べてもさらに戦争そのものについての言及が少なく、明確なものとしては終盤に登場する爆撃隊の映像くらい。それを考えると、最初にそこを抑えていたと考えざるを得ないわけだ。

 そのようなことを踏まえた上でこの映画について考えてみると、そもそも戦争というものが頭に浮かんでこない。『上海』では既存の戦争ルポルタージュの文法を逆手にとって、それとは違うものを作っているという感じがしたけれど、この映画はそもそも戦争ルポルタージュではないという気がしてくる。単純なルポルタージュで、その場所がたまたま戦場であっただけというような、そんな印象。
 特に映画の後半は、北京に住む普通の中国人たちの生活を克明に描く。わたしが一番好きなのは、糸屋とか紙屋とか床屋とかいろいろな商売の人たちが登場し紹介されるシーン、ほとんどの人は行商というか、売り物や商売道具を持って歩き回り、おそらくそれぞれの職業に特有だと思われる鳴り物で客を呼ぶ。これをとにかくいろいろな商売について紹介していく。ただそれだけのシーンなんだけれど、その商売の多様さや細分化の度合いを見ていると、それだけでそこで暮らす人々の暮らしぶりが見てくる気がする。

 まあ、それは冒頭の破壊された町の風景とは裏腹に、戦争があっても人々の暮らしは変わらず続くというメッセージであると受け取ることもできるけれど、わたしはその風景を、素朴に単純に眺め、味わいたい。この映画には、そのように感じさせるゆるりとした空気が流れている。
 そんな空気の中では、唐突に言及される爆撃隊はこの映画が戦争ルポルタージュであることを思い出させるためだけにあるような気がしてきてしまう。

上海

1938年,日本,81分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:飯田信夫
出演:松井翠声(解説)

 1937年、日中戦争勃発。軍部は東宝の文化映画部に働きかけ、現地での日本軍の活躍を映画として公開することにした。そうしてカメラマンの三木茂を中心にスタッフが現地に赴いて撮影を行い、監督の亀井文夫がそのフィルムを編集して一本の映画を完成させた。それがこの『上海』である。
 亀井文夫は三木茂が中国に渡る前に演出メモを渡し、従来の「行進する兵隊」のような典型的な映像ではないエレジーを感じさせる映像を撮ってくるように言ってあった。かくして、この映画はいわゆる国策映画とは違う映画となった。

 映画は上海についての説明から始まる。地図を使ってイギリスやフランスの租界、中国人街、戦場となっている場所などが説明される。それから、実際の上海の街の映像に。そこでは、映像も解説もそこが戦場であるとは感じられないということを表現する。高層ビルが建つ大都会上海、各国の国旗がはためく国際都市上海、そのようなイメージを観客につかませる。
 そこから、もっとミクロな方向へ描写は進む。中国人の抗日の動きや、それに対処する日本軍の活躍なども描くが、最も中心として描かれるのは上海の人々の暮らしだ。そこにはもちろん日本人も含まれるが、中国人も含まれる。そもそも見た目では日本人も中国人もあまり区別がつかない。しかも、松井翠声の解説は画面に映っているものをストレートに解説するのではなく、全体的な状況を語る。だから、画面に映っていることがいったいなんなのか、つまり何を伝えようとしてこのような映像を見せるのかが判然としない。
 もちろん、この映画は日本軍の活躍や偉大さや敵たちの卑小さや残酷さを伝えるために作られるべきだった。だから、この映画はその意味では失敗作といわざるを得ない。しかし、そのような意図で見られる必要がなくなった現在にこの映画を見ると、そもそも亀井文夫はそのようなことを伝えようとして映画を作っていないことが見えてくる。
 しかし、だからといって反戦とか、軍部批判とか言った攻撃的な意図から作られているわけでもない。この映画を見ていて感じるのはそれがあらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。どちらがいい悪いではなく、みんな人間なんだということ。大きく言ってしまえば、中国という雄大な自然の中ではみな卑小な存在に過ぎないんだということを言いたいのではないかと感じる。
 たとえば、日本軍が中国兵が閉じこもった倉庫を攻略したというエピソードを語るとき、そこに残されたパンと映画の包み紙が映され、解説ではそれが中国軍の卑小さの象徴のように語られる。しかし、その言葉はなんだか空々しく、その画面から受ける印象はむしろ、中国兵たちも生きようとしていたということだ。あるいは、日本兵たちはそれを見てうらやましかったのではなかろうかということだ。
 それは、戦争の勇猛さを伝えるのではもちろんなく、かといって戦争の悲惨さを伝えるのでもない。否定的に言えば戦争の無意味さというかむなしさを伝えるもので、あるいは戦争の日常性というか、戦争を戦っている人々というのは日常や自然とつながっているのだということ、そのようなことを伝えようとしているような気がする。

花子

2001年,日本,60分
監督:佐藤真
撮影:大津幸四郎
音楽:忌野清志郎
出演:今村花子、今村知左、今村泰信、今村桃子

 今村花子は重度の知的障害を持ち、両親と一緒に住んでいるが、その両親と会話をすることもできない。そんな彼女が意欲を発揮するのは芸術的な側面。キャンパスに絵の具を塗りたくり、ナイフで傷をつける。それよりもユニークなのは、食べ物を畳やお盆に並べる「食べ物アート」。それを発見した母親の知左が面白いと思って写真に撮り、それが数年にわたって続いている。
 そんな家族とともに生きる花子の姿を描いたドキュメンタリー。

 映画は忌野清志郎の歌声で始まる。少し割れたようなこの歌が妙に映画にマッチしている。歩き回る花子の姿と清志郎の歌声は映画への期待感を高める。
 映画自体は最初からアート、視覚アートの世界を描く。原色の油絵の具をキャンパスに塗りたくり、そこにペインティングナイフで傷をつけていく。それは何気ない、でたらめのように見える作業だが、そこから生まれてくる色彩のバランスは決してでたらめではない。意識的に何かをつくろうとはしていなくても、できてくるものに対する美醜の感覚を花子は持ち合わせているのだということをその絵を書くシーンは物語る。
 食べ物を並べて作る「食べ物アート」はほとんどの場合、父親が言うように「汚いことをしている」ようにしか見えない。にもかかわらずそれをアートとして捉え、写真に残すことにし、花子に好きなようにやらせることにした母親の知左はすごい。この映画はその知左という母親にほとんど集約していく。家族のそれぞれが対花子の関係を持って入るんだけれど、そこには必ず母親の知左が存在する。そんな微妙な家族の関係をこの映画はさりげなく描く。
 その家族の関係というのが非常に重要な問題で、それを考えさせることを主眼としているのだろう。しかし、それを眉間に皺を寄せて考えるのではなく、なんとなく考える。重度の障害者を抱えながらも、ゆったりと生きる両親を見ながらそんなことを感じる。

 話は音に戻って、音楽から始まるこの映画は花子の立てる言葉にならない言葉が大きく観客に作用する。声だけでなく、花子が自分の頭をたたいたり、頭を床にぶつけたりするその音も重要だ。おそらく音は現場での同時録音の時点の大きさよりも増長され、より観客に届くように編集しなおされている。少し画面と音がずれているところがあったりして、それはちょっと気になるところだが、それだけ、その音を伝えることがこの映画にとって重要だったということだ。言葉を話せない花子にとって、意思を伝えるために使えるのは、その音と強引に体で主張するという手段だけだ。だから、花子の家族たちも常に音に対して敏感になり、物音にすばやく反応する。そのような音に対する意識もこの映画は伝えようとしている。
 一つの事柄では表せない複数の要素が重なり合い、難しい問題を提起しているけれど、しかしそれを難解なものとして提示するのではなく、日常的なものとして提示する。この映画はそのような提示の仕方に成功している。

SELF AND OTHERS

2000年,日本,53分
監督:佐藤真
撮影:田中正毅
音楽:経麻朗
出演:西島秀俊、牛腸茂雄

 1983年、36歳という若さで夭逝した牛腸茂雄という写真家がいた。
 彼の生い立ちからの一生を、数々の作品を通して、映像作品や、本人の録音も交え、物語として紡いでいく。映画作家佐藤真を自己主張しながらも、牛腸茂雄の世界を再現することに心を配る。
 何かの物語が展開していくというよりは、漠然としていて、どこか夢のような、心地よい映画。

 ゆっくりとしたテンポと、繰り返し。それがこの映画の特徴であり、リズムである。同じ写真が何度も登場する。坂道でおかしなポーズを取ってこちらに笑いかける少年。斜めに日が射す壁の前に立つ青年、花を抱えた少女…
 それらの写真が何度も繰り返し写されることによって、そのまなざしがじわりじわりと染み入ってくる。「見つめ返されているような気がする」という言葉も出てきたように、この映画に登場する写真に特徴的なのは被写体の視線がまっすぐカメラのほうを向いているということだ。それはつまり写真を見ている、映画を見ているわれわれを見返しているまなざし。佐藤真は牛腸の写真にあるその眼差しを捕らえたかったのだろう。
 その試みは成功し、われわれ牛腸の世界に捉えられる。彼が捉えた眼差しに絡めとられ、夢の世界へといざなわれる。その夢のような感覚を作り出すのは自然の映像である。牛腸の故郷の水田とショベルカーの対比、その現実の風景と牛腸茂雄という夢。

 この映画はいわゆるドキュメンタリーというよりは、作家の思い込みを映像化したエッセイのようなもので、どこかフィクションに近い。まあ、ドキュメンタリーとフィクションとの区別というのはあくまで便宜的なもので、これがドキュメンタリーだといわれるのは「牛腸茂雄という写真家が実在した」という事実によってでしかない。
 しかし、この映画で描かれる佐藤真に思い込まれた牛腸茂雄は、あくまで佐藤真にとっての牛腸茂雄であって、それは一種のフィクションである。これはルポルタージュではなくてエッセイであって、客観性などというものははなから求めていない。だからもちろんフィクショナルな牛腸茂雄を描いてもいいわけで、この映画はそのようなものとして存在する。
 だから、この映画をドキュメンタリーというのはむしろ間違いで、「事実に基づいたフィクション」と呼ぶほうがふさわしい。とはいえ、これも単なる言葉遊びで、本当に存在するのは映画だけなのだ。見る側がこの映画をどう見るかということが問題で、その捉えたものをどう呼ぶかは見た人おのおのの問題でしかないはずだ。わたしがこれを「事実に基づいたフィクション」と呼ぶのは、わたしが捉えた(と思っている)この映画の性質をこの言葉がよくあらわしている、と思うからに過ぎない。

HYSTERIC

2000年,日本,110分
監督:瀬々敬久
脚本:井土紀州
撮影:斉藤幸一
音楽:安川午朗
出演:小島聖、千原浩史、鶴見辰吾、諏訪太郎、寺島進、阿部寛

 「太く短く生きて死ぬ」といつも口走るトモに引きずられるように生きるマミとあるアパートで過ごす二人は、コンビニでマミを知る隣の住人に出会う。トモは男から金を奪おうと、マミが男を部屋に誘う計画を立てる…
 それと平行して、トモとの出会いから現在までに至るマミの回想が始まる。映画は現在と過去を交互に描き、二人の物語をつむぎだしていく。
 ピンク映画と一般映画の両方を撮り続ける瀬々敬久のいっぺんのラブ・ストーリー。破壊的な日常を送る男女というテーマは両ジャンルにまたがる監督らしいものといえる。

 映画はとてもいい映画だけど、それは普通の映画ではなく、やはり普通に映画監督となった人とは違う何かがそこにはある。そもそもこの映画は、主人公への感情移入を拒否する。「好きなように遊んで、早死にする」といいながら、果たしてトモは日々を楽しんでいるのか。これで遊んでいるといえるのか、そんな素朴な疑問が常に頭をよぎる。
 トモは自分の好き勝手にいき、自由な人間であるように見える。しかし、彼は決して自由ではない。悲劇という衣を常にまとっていなければいられない、悲劇に縛られた人間。だから安穏とした日常に(たとえそれが楽しいものでも)安住することはできず、それを捨て、それを壊し、再び悲劇へと突き進む。
 それに付き従うマミは逆に自由な人間だけれど、その自由をもてあまし、それをトモに明け渡す。それが破滅に向かうことが予見できようと、それを取り替えそうとはしない。時折自由が戻ってきてもそれをもてあます。

 そのような人間像を理解はできる。そして面白い。しかし、どうしてもそれをひきつけて考えることができない。1時間半ほどの映画を見ながら感じるのは、それがあくまでもスクリーンの向こうの出来事であるということだ。日常とは違う空間、自分とは無関係な人間、その受け取り方には個人差があるのだろうけれど、わたしには完全な絵空事にしか見えなかった。
 脚本のもとにあるのは実話らしいが、もとが実話だからといってそれが現実的であるとは限らない。
 あくまでもハードボイルドに描くのは、この監督のスタイルのような気もするが、わたしが見たいのは、このような行動の原動力となる一種の「弱さ」で、行動そのものではなかったというのが大きい。このような行動を描く一種のパンク映画はたくさんあって、それ自体は新鮮なものではない。モノローグまで使ってストーリーテリングさせるんだったら、もっと内心の葛藤のようなものを描いても良かった気がする。それとも葛藤がないこと自体が問題なのか?