演劇1

 日本を代表する劇作家・演出家のひとりである平田オリザ、彼が主催する劇団「青年団」は東京にある「こまばアゴラ劇場」を中心に活動を行なっている。「観察映画」を実践するドキュメンタリー映画作家想田和弘はその青年団の稽古や本番、事務仕事から平田オリザの様々な活動にまで密着、4年の歳月をかけて『演劇1』『演劇2』という2本の作品にまとめあげた。
その「1」では、平田オリザの演劇術を精緻に観察、その方法論をひとつの物語にまとめた。

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プリピャチ

 チェルノブイリ原発から約4キロにある街プリピャチ、いったんは避難したものの数年後に住み慣れた家に戻ってきた老夫婦は当たり前のように川で水をくみ、畑で育てた野菜を食べて暮らす。そこからほど近い街中の環境研究所で働く女性は毎朝バスでキエフから通ってくるという。そして、事故を起こした4号機の隣にある3号機はまだ稼働中、その技術者は絶対に事故が起こることはないと胸を張る…
事故から12年後のチェルノブイリを白黒の映像で描いたドキュメンタリー。“死の街”というイメージとは違う現実がそこにある。

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311

 東日本大震災の発生から2週間後、映画監督の森達也、映像ジャーナリストの綿井健陽、映画監督の松林要樹、映画プロデューサーの安岡卓治の4人は1台の車で福島に向かった。何をすればいいのかわからない中、とにかく現地に行ってその目で観て映像に記録する、ただそれだけのためにはじめた旅。福島から宮城、岩手へと旅を続けた彼らは自らを省みるためこれを公開することを選ぶ。
未曾有の災害を前にマスメディアのあり方を自ら問い直した問題作。観る者にも「その時」を問いかける。

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槌音

 2011年3月11日に起きた東日本大震災、大槌町出身の大久保さんは震災後に大槌町に入り、街の惨状を撮影する。その映像と、過去の地元の祭やホームビデオの映像を組み合わせた作品。
震災前と震災後がオーバーラップすることでこの震災がどのようなものであったかを浮かび上がらせる。

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大津波のあとに

大津波のあとに

 2011年3月11日に起きた東日本大震災、東京に暮らす森元さんはその10日後、被災地に向かって出発する。23日の仙台の荒浜地区の映像で映画は始まり、そこから北へと移動してゆく。津波の破壊の跡を映し、被災者の声を聞き、小学校の卒業式を撮影し、たくさんの子供たちが亡くなった小学校に行く…
震災から2週間後の被災地を撮影した貴重な映像を一貫して一人称で撮り続けたドキュメンタリー。心してみるべし。

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がんばっぺフラガール!

がんばっぺ フラガール!

 2011年3月11日に起きた東日本大震災、福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズも建物に被害を受け、営業停止を余儀なくされた。地元出身者が大部分を占めるフラガールたちも被災者となってしまったが、1ヶ月後、再会に向けて全国キャラバンをはじめることに。同時にハワイアンズでは被害の少なかった宿泊施設に被災者の受け入れを行なっていた。
被災したスパリゾートハワイアンズが部分再開する10月1日までの約半年を追ったドキュメンタリー。本当に福島の人たちの想いが詰まった作品。

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プロジェクト・ニム

1970年代、コロンビア大学のハーバード・テラス教授はチンパンジーが人間のように言語を覚えられるかを研究するため、生後2週間のチンパンジーを元教え子のステファニーの元で育てさせることを考える。ニムはステファニーの元ですくすくと育つが、放任しすぎて研究にならないと考えたテラスはニムを訓練に専念できる環境に移し、研究を続けるが…
70年代に「手話ができるチンパンジー」として有名になったニムの生涯を資料映像と関係者へのインタビューで構成したドキュメンタリー。いろいろモヤモヤ。

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地球にやさしい生活

 ニューヨークに妻子と暮らす作家のコリン・ビーヴァンは自分の生活に疑問をいだき、次の本のネタ作りも兼ねて、ニューヨークで環境にやさしい生活を送ることを決意する。まず1年間新しいものを買わず、なるべくゴミを出さないことに決め、さらに食べ物は近郊でとれたものだけに。そして最終的には電気もやめようと考えるが、奥さんのミシェルは買い物中毒のカフェイン中毒だった…
NYで自らが実験台となってブログが人気を集めた「No Impact Man」ことコリン・ビーヴァンを追ったドキュメンタリー。普通の人目線で環境問題が扱われていて面白い。

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オバアは喜劇の女王 ~仲田幸子 沖縄芝居に生きる~

 劇団でいご座の座長仲田幸子は芸歴65年を迎える今も沖縄のオバアたちを笑わせる喜劇の女王。その芸歴は戦争直後に遡る。その戦争体験や戦後の貧しい生活、芝居への想いを自ら語る。そしていま劇団で一緒に舞台に立つ孫の仲田まさえも「おばあちゃん」への思いを語る。
沖縄では知らない人はいないけれど本土ではほとんど知る人がいない演劇人仲田幸子を追ったドキュメンタリー。映画としての作りはイマイチだが、サチコーは面白い。

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The Education of Shelby Knox

The Education of Shelby Knox
2005年,アメリカ,76分
監督:マリオン・リップシューツ、ローズ・ローセンブラット
撮影:ゲイリー・グリフィン
音楽:リック・ベイツ
(TOKYO MX「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」で放送)

テキサス州のキリスト教保守派の高校では“絶対禁欲教育”が行われ、避妊などの性教育が行われないため高校生の妊娠や出産があとをたたず、性病の感染者も多かった。そんな高校のひとつに通うシェルビー・ノックスはその現状に疑問を抱き、性教育を実施するように運動を始めるが…

キリスト教福音派の街で起きる騒動を描いたドキュメンタリー。保守がちがちの街で奮闘するシェルビーの戦いが見もの。

キリスト教福音派は聖書の教えを文字通りに守ろうという宗派で、キリスト教原理主義ともいわれる。アメリカ南部の“バイブルベルト”と言われる地域に集中する彼らの主義主張はアメリカの政治と社会にさまざまな影響をもたらしてきた。

この“絶対禁欲教育”というのもそのひとつ。この考え方は未婚の男女の性交渉を禁じている聖書に基づいて結婚前の禁欲を説く教育。確かにセックスをしなければ妊娠もしないし、性感染症もうつらないのだが、実際にはセックスをするわけだし、その再生に関する知識がないために容易に妊娠し、性感染症も蔓延する。

シェルビー・ノックスは福音派の信者で自身は結婚まで貞操を守る“純潔の誓い”をした敬虔なクリスチャンだ。しかし現実主義的でもあり、性教育をすることは必要だと考えている。そりゃそうだ。福音派の牧師は「性教育をしたらセックスがしたくなる」というが、性教育をしなくたってセックスはしたいんだから性教育はしたほうがいいに決まっている。牧師だって十代のころセックスしたかっただろうに、どうしてそのことを思い起こそうとしないのだろうか。

まあともかくシェルビーは性教育を実施するための運動を開始し、彼女が所属する青年会もそれに呼応する。がちがちの共和党支持者の父親も彼女を指示する。しかし、彼女がゲイの学生たちとつながり始めると青年会も両親も彼女から距離を置く。同性愛の問題は性教育よりもはるかに受け容れ難い問題らしい。そして市や州はさらに強く彼女に反発する。

「普通の」感覚からいうと彼女の言うことは至極最もで、むしろ彼女でも保守的過ぎるという気がするのだが、そういう「常識」はここでは通用しない。これを見るとアメリカという国はあまりに宗教的であまりに偏狭だ。アメリカというと“自由”といわれるが、はっきり言ってこの作品に描かれるアメリカに自由などない。力あるものの自由のために弱者の自由は徹底的に奪われる。それがアメリカという国だ。そしてそれをキリスト教という偏狭な宗教の倫理に摩り替えて弱者を騙すのだ。

牧師自身キリスト教は偏狭な宗教だと言っている。シェルビーはそうではないというが、キリスト教福音派はかなり偏狭な宗教だ。キリスト教自体は成立から2000年を経る間に変遷し、中には寛容な宗派も生まれているが、原理主義である福音派は偏狭だ。

その偏狭さは想像力の欠如につながり、互いの不理解がさまざまな軋轢と矛盾の原因となる。この映画はそんな軋轢を描いた作品のひとつだが、こんな映画がアメリカにはたくさんあるんだということに気づく。まあ福音派の人たちはこんな映画が作られたところで変わることはないだろうから、やはりこういう映画は作られ続けるのだろう。

本当に理解し難いが、それを理解しようとしなければ彼らと同じになってしまうから、頑張って理解しよう。