アナライズ・ミー

Analyze This
1999年,アメリカ,104分
監督:ハロルド・ライミス
脚本:ピーター・トラン、ハロルド・ライミス、ケネス・ロナーガン
撮影:スチュアート・ドライバーグ
音楽:ハワード・ショア
出演:ロバート・デ・ニーロ、ビリー・クリスタル、リサ・クドロー、チャド・パルミンテリ、ジョー・ヴィテレッリ

 ニューヨークのマフィアのボス、ポール・ヴィッティ。数十年ぶりに開かれる全米のマフィアのボスの大集会を前に、彼には悩みがあった。それは最近急に涙がとまらなくなったり、息苦しくなったりすることだ。一刻も早くそれを克服しなければならない彼はこっそりとたまたまであった精神科医ベン・ソボルに治療を頼む(命じる?)。
 ロバート・デ・ニーロとビリー・クリスタルという二人の実力はスターが組んだコメディ。監督は「ゴースト・バスターズ」でお馴染みのハロルド・ライミス。なかなかよく出来たコメディという感じですね。「なんかコメディみたい!」という時に気軽に見ましょう。

 ハロルド・ライミスが監督して、デ・ニーロとクリスタルが出て面白くないはずがなく、その通り面白いのだけれど、すごく面白いわけではない。まあ、コメディっていうものは、一つのすごく面白いものより、たくさんのまあまあ面白いものがあったほうがいいというのが私の考えなので、そのまあまあ面白いもののひとつとしては十分である。と思います。
 何も説明することはございません。マフィアと一般人の常識の違いを笑いにもって行くという比較的素直なネタで、素直なストーリー構成で、素直な撮り方で、いい役者。何も考えずに笑いましょう。難しいことは考えずにね。

恋する惑星

Chungking Express
1994年,香港,101分
監督:ウォン・カーウァイ
脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル、ケン・ラーワイ
音楽:チャン・ファンカイ、ロエル・A・ガルシア
出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武、ヴァレリー・チョウ

 「その時彼女との距離は0.1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」。
 冒頭のシーンに非常に印象的なせりふのあるこの映画、二つの恋がテイクアウトの軽食屋で交差する。謎の金髪の女と刑事モウ。軽食屋で働くフェイと警官663号。彼女にふられた二人の男の恋物語。
 タランティーノが絶賛し、自らが配給権をとったことから世界的な注目を集めた。確かにいい。すごくスタイリッシュで、リズムがあり、音楽のセンスもよく、映像もこっている。最もカーウァイらしいといえる作品。

 音楽、何といっても音楽、バーで流れるレゲエのリズム、軽食屋で流れる「カリフォルニア・ドリーミン」(だったっけ?)。雰囲気にぴたりと合っているわけではないと最初は思うのだけれど、映画を見て行くにしたがって、その音楽と映像・場面が切り離せないものとして頭に刻みつけられる。そんな素晴らしい音楽の使い方。それはもちろん、クリストファー・ドイルのカメラあってこそなのだけれど。
 ドイルのカメラといえば、この映画で二度ほど使われていた、スロー・モーションというかストップ・モーション。警官663号がゆっくりとした動きをし、そこを無数の人が通過して行くシーン。一つ目は、軽食屋でコーヒーをすするシーン、2つ目はバーでジュークボックスにコインをいれるシーン。このシーンは非常に印象的なのだけれど、どうやって撮っているんだろう? やはり、トニー・レオンがゆっくり動いて、そこを人が急いで歩いて、その速さを調整しているのかな?
 さすが超絶技巧のクリストファー・ドイル。と唸ってしまうシーンでした。

いますぐ抱きしめたい

As Tears Go By
1998年,香港,96分
監督:ウォン・カーウァイ
脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:アンドリュー・ラウ
音楽:ダニー・チャン
出演:アンディ・ラウ、マギー・チャン、ジャッキー・チュン、アレックス・マン

 香港でチンピラをしているアンディ。そこにいとこのマギーが転がり込む。アンディの弟分ジャッキーは虚勢ばかり張って、今日もアンディに助けを求めてきた。アンディはジャッキーの借金取立てを助けてやる。一方でアンディは恋人につらくあたられる。
 アンディとマギーの関係を中心に話は展開するが、全体としてはアクションあり、恋愛ありのオーソドックスな香港映画。前半こそカーウァイらしい勢いが感じられるが、後半にかけて少々だれるか。しかし、ストーリーテラーとしての実力は十分発揮。

 やはり、クリストファー・ドイルの不在は意識しないようにしても気になってしまう。あの映像、あの躍動感、あの感覚。それ無しではウォン・カーウァイの映画は物足りない。確かに物語もよく練られてるし、映像もきれいなんだけど、それではよく出来た香港映画でしかなくて、「ウォン・カーウァイ」でしかない。と、いうのはもちろんクリストファー・ドイルを経験してはじめて生じる感覚なのだけれど、ドイルの映像にはそれだけ力があるんだ。それを感じる作品。
 しかし、カーウァイ作品の底に流れる「甘ったるさと激しさの共存」という底流はこの作品にも流れている。恋愛映画でアクション映画。そのような映画はたくさんあるけれど、その多くは恋愛のあるアクション映画か、アクションのある恋愛映画にしかなっていない。しかし、この作品は恋愛映画であると同時にアクション映画でもあるという映画にしあがっていると思う。

セクシャル・イノセンス

The Loss of Sexual Innocence
1998年,アメリカ,106分
監督:マイク・フィギス
脚本:マイク・フィギス
撮影:ブノワ・ドゥローム
音楽:マイク・フィギス
出演:ジュリアン・サンズ、ジョナサン・リス=メイヤーズ、ケリー・マクドナルド、サフロン・バロウズ、ステファノ・ディオニジ、ジーナ・マッキー、ロッシ・デ・パルマ

 1954年、ケニア。少年はとうもろこし畑にあるボロ小屋でひとりの老人が混血の少女に本を読ませている隠微な場面を覗き見る。それは主人公ニックの5歳の頃。映画はニックの5歳、12歳、16歳、そして現在(恐らく30代)の場面がモザイク状に組みたてられ、そこにアダムとイヴらしき裸の男女(男は黒人、女は白人)の挿話がいれ込まれて展開する。 難解で、思索的とも言える映画構成。『リービング・ラスベガス』で名を馳せたマイク・フィギスが17年間の構想の末、完成させた自伝的作品。イノセンス=無垢という事をテーマにしたこの作品は、真面目に真摯に我々に語りかけてくる。

 映画としてはかなりいい出来だと思う。哲学的で幻想的で、難解で。シーンごとに照明や撮り方に変化があって、非常に面白い。夢のシーン照明がずっと片側だけからあたっていたりして。難解で何を言いたいのか的を得ないのだが、観客に口をポカンと開けさせるだけの力をもった映画だとは思う。
 しかし、真面目過ぎるし、古すぎる。構想17年というが、それは17年間構想を練ったということではなくて、17年前の構想だってことでしかないのではないかと疑問に思わざるを得ない。何と言ってもそれを感じさせるのが、「アダムとイヴ」。アダムが黒人でイヴが白人(北欧系)というキャスティングにこだわったということが美談のように言われているが、それはむしろ黒人差別という白人の原罪を克服しきれていないことの証であるように見えてしまう。「私は差別をしていない」というモーション。「だからアダムを黒人として描ける」という傲慢。それは映画中でニックが「ダニ族」だったか何かのカニバリズムの種族についてしたり顔で語った場面と重なり合う。「偏見なんてない」とことさらにいうことは、むしろ偏見を持っていることの証明であり、「偏見を持っているが、それを押さえ込むことが出来る」に過ぎない。
 なぜ黒人男性と黒人女性ではいけなかったのか? なぜエデンの園にいた馬は白馬だったのか? そんな事を考えていると黒人男性と白人女性というキャスティングが欺瞞でしかないように見えてくる。
 この映画は、難解なようで、むしろやさしすぎ、語りすぎているように思える。解くのが難しい問題(つまり、難しいが解ける問題)を扱っているかのように振舞っているが、むしろこの映画が扱っているのは差別や原罪という解くことの出来ない問題なのではないだろうか? そのような問題をあたかも解決できる問題であるかのように語ることは意味がないばかりか有害ですらある。
 というわけで、純粋に映画としては評価できますが、その底流に流れる思想性にどうも納得がいかなかったというわけです。まあ、理屈っぽいたわごとだと思っていただければいいですが。

ストレート・トーク/こちらハートのラジオ局

Straight Talk
1992年,アメリカ,91分
監督:バーネット・ケルマン
原案:クレイグ・ボロティン
脚本:パトリシア・レズニック、クレイグ・ボロティン
撮影:ピーター・ソーヴァ
音楽:ブラッド・フィーデル
出演:ドリー・パートン、ジェームズ・ウッズ、グリフィン・ダン、ジョン・セイルズ、マイケル・マドセン、テリー・ハッチャー

 田舎町でダンスの先生として働いていたシャーリーだったが、生徒と話してばかりいていっこうにダンスを教えないという理由で首になってしまう。さらに、家に帰れば一緒に暮らす男に文句を言われ、シャーリーはシカゴへと引っ越すことを決意した。
 シャーリーがひょんなことからラジオの人生相談コーナーを担当してしまうことから始まるドタバタ劇を描いたコメディ。  話の筋はだいたい読めるけれど、それはそれとして、全体としてはまあまあ楽しめるでしょう。なんとなく深夜にテレビをつけていたらやっていて、ついつい見てしまうというタイプの作品。(まさにそれで見てしまったんですが)

 わかりやすいアメリカン・コメディ。ちょっとヒューマニスティックな香りがする。偶然ラジオに出て、人気が出て、落とされて、やっぱり復権。それはもう読め読めの展開。でも、ドクターシャーリーの人生相談そのものはかなり面白くて、その部分をもっと膨らましてもよかったんじゃないかと思ってしまう。回りのドタバタした話はほっといて、人生相談から起きる事件がなんこかあったりしたら、もう少し膨らませようがあったかもしれない。
 とはいうものの、たいした映画ではないことは確か。役者はなんだかどっかで見たことある人多数出演という感じ。ドリー・パートンという人はどうもカントリー歌手らしい。カメラのピーター・ソーヴァは「グッドモーニング、ベトナム」などコメディを撮っているカメラマン。

ひかりのまち

Wonderland
1999年,イギリス,109分
監督:マイケル・ウィンターボトム
脚本:ローレンス・コリアト
撮影:ショーン・ボビット
音楽:マイケル・ナイマン
出演:シャーリー・ヘンダースン、ジナ・マッキー、モリー・パーカー、イアン・ハート、ジョン・シム、スチュアート・タウンゼント

 ロンドンの小さなカフェで働くナディアは伝言ダイヤルで恋人を募集。姉のデビーは息子のジャックと二人暮し、妹のモリーはもうすぐ子供が出来る。三人姉妹の母親は父親が家でぶらぶらしていることにストレスを募らせ、家を出てしまった末の息子ダレンのことを心配する。
 ロンドンでばらばらに暮らす家族のそれぞれの4日間を描いた物語。
 ヒューマニックな話だが、ウィンターボトムらしいひねりの聞いた筋と画素の荒い手持ちカメラを多用した映像がハリウッド的ハートウォーミング・ムーヴィーとは一線を画している。
 それぞれのキャラクターの個性がはっきりしていて、物語としては非常によく出来た映画だと思う。

 家族のそれぞれがばらばらに登場し、それぞれの悩みを抱え、しかし微妙に係わり合いながら、日常的ではあるけれど激動の4日間を過ごす。
 物語と脚本には非常に好感が持てた。「家族」というものを前面に打ち出すわけではなく、話が完全に収斂していくわけでもない。しかし、それぞれがそれぞれなりに問題を消化し、家族それぞれを決しておろそかにはしない。非常にリアルな物語に思えた。あるいはリアルなものを凝縮した感じとでも言おうか、とにかく「生」な感じがして非常によかった。
 ウィンターボトムという監督はいつも映像にかなり凝っていて、今回もさまざまなこだわりが感じられる。一つはもちろんもっとも目に付く画素の荒さ。これは恐らく証明を弱くしてカメラの感度を上げているのだろうけれど、なんとなくビデオカメラのような映像になる。特に夜の場面では家庭用ビデオカメラのような感じになる。もう一つの特徴は手持ち撮影の多用。特に歩いている人を近く(主に後)から手持ちカメラで追いかける映像が多かった。
 この映像がもたらす効果は素人っぽさであり、真実みであるのだろう。簡単に言えば「ブレア・ウィッチ」のような素人が記録したフィルムという設定にふさわしい映像の作り方。しかし、この映画ではその造り手の側にはまったく言及しておらず、映画の外に存在していることは明らかだ。ならどうしてこんな撮り方を、と思うけれど、簡単に言ってしまえばリアルさを追求しているんだろう。作り物ではない本当のドラマのように見せたいということ。現実を切り取ったもののように見せたいということ。それだけだと思いますが。
 非常によくまとまった映画だと思います。まとまりすぎていてもうちょっと壊してくれたほうがよかったという気がするくらいきれいにまとまった映画。それでも結構感動も出来るという映画です。

ブレイブ

The Brave
1997年,アメリカ,123分
監督:ジョニー・デップ
原作:グレゴリー・マクドナルド
脚本:ポール・マッカドン、ジョニー・デップ、D.P.デップ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:イギー・ポップ
出演:ジョニー・デップ、エルピディア・カリーロ、マーシャル・ベル、フレデリック・フォレスト、マーロン・ブランド、イギー・ポップ

 家族のために仕事を探していたネイティブの男がバーで知り合った男に紹介された仕事はスナッフ・ムービー(実際に人を殺す映画)への出演だった。家族のために彼は出演を決意し、最後に与えられた一週間を過ごしに家に帰るのだが…
 ジョニー・デップの監督・脚本作はネイティブへの差別を描いた社会派ヒューマンドラマ。アメリカに根強く残る差別構造を描いているのだが、果たしてうまく描ききれているのか?
 マーロン・ブランドが特別出演、『クライ・ベイビー』で競演したイギー・ポップが音楽を担当、カメラは『アリゾナ・ドリーム』のヴィルコ・フィラチと周りはしっかりと固められている。

 ネイティブを描こうとしている割にはネイティブの登場人物が少ない。メディスンマンっぽい爺さんが出てくる以外は、アフリカ系神父が出てきて、ルイスというヒスパニック系のチンピラが出てくるくらい。社会の最下層の間に区別はないとでもいおうとしているのか?そのわりにはネイティブのスピリチュアルな儀式をやって見たり、どうにもまとまりが悪い。狙いがわかりにくい。
 スナッフ・ムーヴィーという発想はなかなか面白いのに、それがあまり活かされていないような気もする。
 遊園地でカメラをパンしてゆくとジョニー・デップが次々違う乗り物に乗っているところや、水に潜って次のシーンでは岸に座っているところなど工夫しようという意思は感じられるが、果たしてそれに効果があるのかというと、それは疑問。簡潔な感想で言ってしまえば、俳優に専念しなよ!という感じでした。
 多用されている「間」も、やはりジャームッシュやクストリッツァの「間」とは明らかに違う退屈な「間」になってしまっている。しかし、この「間」はもしかしたら面白くなる要素なのかもしれないと思いました。このリズムになじめば、映像がすっと心に染み込んでくるような、そんな「間」。それを少し感じたのはラリーの隠れ家の場面、入り口から上にカメラが移動していく「間」。これはなかなか難しいところ。
 ええ、さすがに俳優としてのジョニー・デップはなかなかよかった。ちょっとネイティブという設定は無理があったとしても、歩き方とか背中がいいね。ジョニー・デップは。Database参照

ノイズ

The Astronaut’s Wife
1999年,アメリカ,109分
監督:ランド・ラヴィッチ
脚本:ランド・ラヴィッチ
撮影:アレン・ダヴィオー
音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:ジョニー・デップ、シャーリーズ・セロン、ニック・カサヴェテス、ジョー・モートン、クレア・デュバル

 宇宙飛行士のスペンサーとアレックスが船外作業をしている間に2分間地上との交信が途絶えた。しかし彼らは無事救出され、地上へと戻ってくる。スペンサーは検査の結果異常なく、アレックスも一度は危篤になるが一命をとり止めた。しかし、宇宙での2分間のことを語らない夫たちにスペンサーの妻ジリアンとアレックスの妻ナタリーは不信感を覚え始める。
 これが初監督となるランド・ラヴィッチがE.T.などのスピルバーグ作品で知られるカメラマン、アレン・ダヴィオーを招いて撮ったSFスリラー。恐怖感をあおる映像は見事だが、ストーリー展開にしまりがなく、なんとなくすっきりとしない映画になってしまった。  

 どうにもこうにも、展開にしまりがない。決定的な転換点がないまま話は進みなんとなく正体がばれて、なんとなく話が終わってゆく。ハッピーエンドではないというのはハリウッド映画としては珍しいが、この終わり方だったらハッピーエンドのほうがよかったかもしれない。(でも、この設定だとハッピーエンドは無理か)
 という、なんだか見終わった後すっきりとしない映画を見ながら思ったのは、恐怖心をあおる映像工夫がなかなか言いということ。スローモーションは最近あまりに多用されていて、少々食傷だが、ジリアンとリースがおもちゃ屋で向き合う時の視点を回転させながらの切り返しとか、何度か出てきたジョニー・デップを下からのアングルからとらえたショットとか、かなり心拍数を上げる演出が出来ていたなと思って、スタッフを見ていたら撮影がアレン・ダヴィオー。聞いたことあるぞ、と思って調べたら、E.T.の人だったという感じです。
 アレン・ダヴォーは他に『カラー・パープル』『太陽の帝国』『わが心のボルチモア』『ハリーとヘンダソン一家』『バグジー』などを撮っています。『ハリーとヘンダソン一家』はなかなか面白かった。

ロックド・アウト(21ジャンプ・ストリート)

21 Jump Street
1987~92年,アメリカ,92分
監督:ジョージ・モンテシ、ジェームズ・ホイットモア・Jr
脚本:グレン・モーガン、ジェームズ・ウォン、ジョナサン・レムキン
撮影:デヴィッド・ゲッツ
音楽:ピーター・バーンスタイン
出演:ジョニー・デップ、ホリー・ロビンソン、ピーター・デルイーズ、ダスティン・ヌエン、スティーヴン・ウィリアムズ、ブリジット・フォンダ、ブラッド・ピット

 おとり捜査に命をかける若き刑事たちを描いたTVシリーズ。ジョニー・デップをスターにした作品で、アメリカでは5年間続いた。「ロックド・アウト」というビデオには2話を収録。以前は「ハイスクール・コップ」というタイトルでビデオ発売されていた。現在、DVDで4タイトル出ている。(タイトルは「21ジャンプ・ストリート」)
 第1話はブリジット・フォンダがゲスト出演。路上生活する家出少年たちのリーダー格の少年の行方不明事件を追及する。ジョニー・デップはほとんど出てこない。
 第2話はブラッド・ピットがゲスト出演。連続空き巣事件の調査のため高校に潜入した刑事たちは生徒の自殺事件に遭遇する。「自殺」を巡ってさまざまな考え方が語られ、アクションとは離れたドラマになっている。 

 ジョニー・デップがスターになったということ以外さしたるトピックもないドラマ。おそらく各回違う監督で、ゲストを呼ぶというアメリカではオーソドックスなスタイルなのだろう。第1話は設定などがよくわからなかいまま見たものの、話立てがなかなか面白かったが、第2話はかなりきつい。ブラッド・ピットの熱狂的なファンなら話のために見てもいいかもと言うくらい。
 しかし、個人的にはアメリカのこういったテレビシリーズは大好きなので、テレビで放送されたら見てしまうかも。(苦笑)

スリーピー・ホロー

Sleepy Hollow
1999年,アメリカ,98分
監督:ティム・バートン
原作:ワシントン・アーヴィング
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:エマニュエル・ルベッキ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ、クリスティナ・リッチ、ミランダ・リチャードソン、マイケル・ガンボン、キャスパー・ヴァン・ディーン、クリストファー・ウォーケン

 1799年、ニューヨーク。捜査官のイガボット・クレーンは自白の強要ばかりに頼る上司にたてつき、市長に郊外の町スリーピー・ホロー行きを命じられる。その町では3人の人間がたてつづけに首を切り落とされるという連続殺人事件が起こっていたのだ。そしてスリーピー・ホローには南北戦争で数多くの人々を惨殺した「首無し騎士」の幽霊が出るという伝説があったのだ。
 「シザー・ハンズ」「エド・ウッド」に続き3度目のコンビを組んだティム・バートンとジョニー・デップ。ジョニー・デップはバートンの幻想的な世界に本当によく映える。この作品は特に映像面でのティム・バートンの魅力が十全に発揮された作品。ストーリーもなかなか練られていてサスペンスとしても上出来。

 何はともあれ映像がきれい。特に色の使い方が素晴らしい。ティム・バートンといえば、とにかく原色をごたごたと入れ込んでごちゃごちゃした独自の色彩世界を作り出すというイメージがあったけれど、この作品ではモノトーンを非常にうまく使い、いつも通りの極彩色を控えめにして素晴らしい効果があがっている。大まかに言って、風景やロングショットでは色が少なめ、しかも単なるモノトーンでもなく、トーンを落としただけでもない不思議な色合い。セピアがかった画面にほのかに色がかかっている感じ。ロングで撮った森とか、人の顔の淡い色が非常に印象的だった。 それともちろん、リアルな首きり。これだけすっぱりと見事に首を切れる監督はティム・バートンしかいないでしょう。スパッとなスパッと。切り口も見事な出来映え。やはり特殊効果ってのはこういう細部に地味に使わないとね。どでかいCG使って、現実にないものを見せるよりも、現実にあるけど実際に映すのは難しいものをリアルに造る。ここのところをわかっているティム・バートンはやはりB級映画の巨匠。