クライ・ベイビー

Cry Baby
1990年,アメリカ,86分
監督:ジョン・ウォーターズ
脚本:ジョン・ウォーターズ
撮影:デヴィッド・インスレー
音楽:パトリック・ウィリアムズ
出演:ジョニー・デップ、エイミー・ロケイン、スーザン・ティレル、イギー・ポップ、トレイシー・ローズ、ウィレム・デフォー

 50年代アメリカ、クライ・ベイビーと仲間たちは札付きのワル。そんなクライ・ベイビーに恋をするお嬢様のアリソン。クライ・ベイビーも彼女のことが気に入って、しかし堅物の親や坊ちゃんたちの邪魔が入り…
 50年代のティーンズ映画そのままのストーリーの映画だが、そこはジョン・ウォーターズ。当たり前に撮るはずがない。というよりは、まったくそんな映画にはしない。すべてを壊し壊してゆく、バカっぽい・安っぽい・ウソっぽい、そんな本当にサイテーな映画(「最低」ではない)。
 こういう映画は見てまったくつまらないと思う人もかなりいるでしょう。だから万人に薦めるわけではないですが、かなりいいと思います。

 ジョン・ウォーターズといえば、『ピンク・フラミンゴ』とか、『ヘア・スプレー』とか、最近では『シリアル・ママ』とか、とにかくぶっ飛んだ作品を撮る監督ですが、この作品は意外とまともに見える。
 しかしもちろん、いきなり出てくるハシェットの異形を見ればこれが間違いなくジョン・ウォーターズの映画であることはわかるし、ある意味安心するというわけ。しかし、一応忠実に50年代のスタイルを守って映画を組み立てて行き、安っぽいジェームス・ディーンみたいなジョニー・デップがしっかりと不良のスターを演じてしまう。しかし、よく考えれば(ちょっと考えても)50年代映画にクライ・ベイビーのおばあさんみたいなキャラクターが許されるはずはないし、あんなにわらわらと黒人は出てこないし、3Dメガネももちろんない。こんな映画はパロディとすらいえない、間違い探しのような映画。しかもその間違い探しは、ひどく簡単。
 そしてすべてが安っぽく、造りも適当。最後のアリソンが飛ぶシーンなんかはあの明らかな人形さ加減があまりにチープで感動すら覚えてしまう。
 ここまで説明しても、わからない人にはまったくわからない。これを面白いという気持ちがこれっぽっちも理解できない。ということになるのでしょうが。それはそれでいいんです。だからこそカルト。みんながいいといってしまってはカルト映画ではなくなってしまう。決してカルト映画がわかる人が映画を理解できる人ではないので、「これが理解できなきゃ、映画好きとはいえないんだ」などとは思わないように。(思わないか)

鳥の歌

Para Recibir el Canto de los Pajaros
1995年,ボリビア,104分
監督:ホルヘ・サンヒネス
脚本:ホルヘ・サンヒネス
撮影:ラウル・ロドリゲス、レルモ・ルイス、セサル・ペレス
音楽:セルヒオ・プルデンシオ
出演:ジェラルディーン・チャップリン、ホルヘ・オルティス、ギド・アルセリ、ネス・エルバス

 ボリビアのある映画製作集団が16世紀のスペイン人の征服を批判的にとらえなおす映画を撮影する。そのため映画製作集団は山奥の村の村長に約束のとりつけ、取材のために村へと入ってゆくのだが、村人たちは非協力的で撮影に協力しようとしない。一方村では祭りの準備が進み、撮影隊はその祭りを撮影したいという希望を持つのだが…
 ウカマウ自身が『コンドルの血』を撮影する際に出会った障害をもとにして、街に住む白人たちと農村に住む先住民たちの価値観の違いを描いた作品。さまざまな「偏見」がモチーフとなっている。
 全体に映像が非常に美しく、詩的な作品に仕上がっている。

 サンヒネス監督はこの作品について、さまざまな人がさまざまな「偏見」を持っているさまを描いたといっていたがまさにその通り。先住民たちのために映画を撮っているという自負を持っている撮影隊が実は先住民たちに対してさまざまな「偏見」あるいは「差別」を持っているということ、それはボリビア社会が抱える大きな問題なのだろう。その中でもさまざまな「偏見」の形があり、例えばプロデューサーは最初から明らかに差別的な態度をとり、監督はかなり理解を示しているように見えるが、実際はなにも理解しておらず、先住民たちに取り囲まれた時についにその差別意識を露呈する。外見的には先住民であるクルーのひとりは「インディオ」と呼ばれたことを侮辱と感じる。
 そのような偏見や差別のいくらかかが解きほぐされ、なくなりはしないけれど和らいでゆく過程。そのクライマックスとしてのインディオからの贈り物の場面。この場面は感動的だ。ヤギや鶏やさまざまな贈り物をもらって喜びとも当惑ともつかない表情をするクルーたち。しかし彼らは贈り物をしっかりと抱いて坂を登ってゆく。最初から最も偏見が少なかったといえるフェルナンドが鳥の歌(先住民の声のメタファーだと思われる)が聞こえるお守りをもらうのは非常に象徴的だ。
 イデオロギー的な面を離れていると、この映画は素晴らしい色彩に溢れている。ウカマウとしては3作目のカラー作品だが、前作の「地下の民」の色彩より更に研ぎ澄まされた色彩感覚が見られる。「地下の民」の仮面のはっとさせられるような色合いが広げられ、全編に塗り込められたようなそんな色彩感。特に祭りに使う鳥の張りぼての色彩は心に残る。そしてやはりアンデスの山麓の村の風景は非常に美しい。おそらく標高4000メートルを越える場所にある村の澄んだ空気感までが伝わってきそうな映像だった。
 そう言えば、中の映画でインディオたちの家を焼き討ちする場面、インディオたちの家が草で出来ていたこともかなり不思議だったが、そこのインディオたちが裸だったのには度肝を抜かれた。あんなとこで裸で暮らしたら凍死するぞ。てなもんだ。このエピソードは映画クルーたちの偏見あるいは無知を象徴するエピソードのひとつなのだろうけれど、かなり不思議なところだった。

追跡者

U.S. Marshals
1998年,アメリカ,131分
監督:スチュアート・ベア-ド
脚本:ジョン・ボーグ
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ウェズリー・スナイプス、ロバート・ダウニー・Jr、ジョー・パントリアーノ、イレーヌ・ジャコブ

 ハリソン・フォード主演の「逃亡者」。そこでハリソン・フォードを追ったトミー・リー・ジョーンズが今度は主役。逃げるのはウェズリー・スナイプス。製作総指揮が同じキース・パリッシュとロイ・ハギンズということで、事実上「逃亡者」の続編ということになる。
 ストーリーは、飛行機事故で囚人が脱走。同じ飛行機に乗り合わせたトミー・リー・ジョーンズ扮するサミュエルがその犯人を「追跡」する。設定は前回と同じく「逃亡者」であるマーク・シェルダン(ウェズリー・スナイプス)は無実なんじゃないか? となっている。その奥のからくりは前作ところなりかなりひねってある。
 軽いタッチの作品になって、気持ちよく見られるので良い。これってシリーズ化されるのかな?

 まあ、いいんじゃないかしら。前作と比べると本当に軽い感じになって、さらりと見られる。やはり、「続編」という形をとるとどうしても肩に力が入って失敗するもの。その点ではいいと思う。なんとなく、リーサル・ウェポンみたいにシリーズ化されても行けそうな感じ。
 しかし、それは逆に、映画として何か新鮮味がないということでもあるわけで、組織の中で結束の固い自由な組織を作って、しかし上からは干渉されて、という、まさにリーサル・ウェポンな設定でもそれ。外部から入ってくるのが悪いやつというのも体外予想がつく。事故で囚人が逃げるってのも、「手錠のままの脱獄」以来アメリカのアクション映画の伝統になっているし。
 ハイウッドにこういった軽い感じのアクション映画が必要なのはよくわかる。軽い気持ちで見られるし、見た後で悩むこともないし。娯楽としてはとてもいい。こういう「あー、なんかさらっとビデオでも見たいな」というときに見られるビデオ(しかも見たことがないやつ)をストックしとくと、結構いいかもね。

ミス・ダイヤモンド

Mis. Diamond
1998年,ドイツ,96分
監督:マイケル・カレン
脚本:ヨアキム・ハマン
撮影:ポール・ヴァン・ダー・リンデン
音楽:H・サレット
出演:サンドラ・スパイシャット、ウド・キア、トーマス・クレッチマン、マイケル・メンドル、アーネスト・アメリカ

 最新の機器を使ってスマートにしのび込み、盗みを働くラナはドイツで取れたダイヤモンドを展示する宝石展示会場から見事にダイヤを盗み取った。すぐとらえられてしまったラナだったが、そのダイヤは偽物だった。警備をしていた保険会社からは、本物を差し出せば見逃してやると持ちかけられるのだが…
 ドイツの若手女優サンドラ・スパイシャットが美人怪盗に扮したアクション映画。何はともあれ、リアリティに欠ける。B級映画にすらなりそこねた作品。

 とにかく、リアリティがなさ過ぎる。スタントみえみえ、本人がやってるシーンは迫力がまるでない。設定が不自然過ぎる。
 ということで、いくつか例を上げてみましょう。見た人もほとんどいないと思うので、解説しながら。
 簡単なところでは、ラナが殺し屋に追いかけられるんだけど、まずラナの走り方がおかしい。絶対早くない。なのに殺し屋は追いつかない。殺し屋は途中でやたらと人にぶつかる(これは結構面白かったけどね)。
 それから、カーチェイスのシーン。夜、盗みを終えたラナはポルシェで(ここ重要)逃げる。そして追われるんだけど、追いかけるのは多分オパル。二つの車がスタート。次のシーンは朝のハイウェイ。2台はぴたりとくっついて走っている。(ここですでにおかしい。何で一晩走ってポルシェがオパルを引き離せないのか?)そのまま街中を走り、カーチェイス。ここで魅せばのジャンプシーン。ラナはちゃんと着地。追いかけるティムはトラックのうえに着地、少々あって地面に降りる。でもラナの車はちゃんとそこにいるんだな。早く逃げろよ。
 などなどです。もう少し頑張れば面白いB級映画になったかもしれないのに。もちろん笑えるという意味で。惜しかった。おかしいよと思うところを笑いに結びつければね。それも踏ん切りがつかなかったのか?
 スタッフ、キャストも聞いたことない人ばかり。ウド・キアーはちょいちょい脇役で見るような気もする顔でしたがね。

DEAD OR ALIVE 犯罪者

1999年,日本,105分
監督:三池崇史
脚本:龍一朗
撮影:山本英夫
音楽:遠藤浩二
出演:竹内力、哀川翔、田口トモロヲ、大杉漣、杉田かおる、寺島進

 刑事の城島は新宿で起こった2つの殺人事件になにかきな臭いものを感じ、部下の井上と捜査をはじめる。そこに浮上してきたのは帰国した残留孤児たの息子たちのチンピラグループ。中国系マフィアとヤクザが絡み、新宿を舞台とした生きるか死ぬかの大戦争が始まった。
 と、書くとまったくアクション映画ですが。そして確かにアクション映画ですが、この映画の真髄はそこにはない。本当にアクション映画のフリをしながら、あらゆる映画作法を壊して壊すはちゃめちゃさ。「おもしろい」という言い方しか誤解を招かず説明するやり方がない。そんな面白さ。傑作です。

  本当にすごい。まず最初のモザイク上の一連のシーンで圧倒される&笑える。そこから落ち着いて普通のアクション映画になったと思いきや、そこここにちりばめられた笑える効果。しっかりとしたアクション映画なのに、どうしてそんなに笑えるの。ああすごい。しかもばか笑いではなくて、にやりというかなんというか、味のある笑い。バカ映画というのではなくすごい映画。本当にこれは見なきゃわからないね。この面白さは。
 少々冷静に分析すると、何といっても意表を突くすごさがあるでしょう。
 たとえば、車の爆発するシーン。見ていて「ああ、二人は死んじゃうんだろうな」とは思うけれど、そこであの大爆発はねーよな。という驚き。最初でいえば、もちろん撃たれてラーメンが噴出したりと。最後のほうでは、「これでラストシーンてわけか」というセリフ。最後の盛り上がり場の撃ち合いシーンで、なぜか後ろで聞こえる鳥の囀り。そしてもちろんラストシーンは最高です。
 いえば切りのない素晴らしい発想の数々。この映画を見ていない人は人生損しているとは思いませんか? ねえ皆さん。

 この作品はシリーズ化され、3作目まで作られていますが、続編は今ひとつという感じ。そして、三池崇史は驚くほどたくさんの映画を作っていますが、結構当たりはずれが激しいという感じ。この作品のヒットなどもあってすっかり大物監督という感じになってしまったものの、基本的にはVシネのチープさが売りなので、そういう映画のほうが面白い。そういえば、『ゼブラーマン』をまだ見ていないけれど、あれは面白いかもしれない。などと思ったりする。

カフェ・オ・レ

Metisse
1993年,フランス,92分
監督:マチュー・カソヴィッツ
脚本:マチュー・カソヴィッツ
撮影:ピエール・アイム
音楽:マリー・ドーン
出演:ジュリー・モデュエシュ、ユベール・クンデ、マシュー・カソヴィッツ

 自転車でやってきたみすぼらしい白人の青年と、タクシーでやってきたこぎれいな黒人の青年。二人は混血の美女ローラに妊娠したと告げられる。しかもどちらの子供かわからない。さらにローラは生むことにもう決めていた。さて、二人はどうするか?「人種」という重たげな問題をあっさりコメディにしてしまう。 マシュー・カソヴィッツの監督デビュー作はたわいもないコメディのようで、じっくりと味わうだけの含蓄がある作品に仕上がっている。
 「この映画はすごいよ」と私は言いたい。「この映画を消化できないようじゃダメだよ」と高飛車に言いたい。
 でも、軽い気持ちで見てください。そういう映画ですから。

 ジャマルとフェリックス、そしてローラ。この3人はただ単に黒人・白人・混血という関係性なのではない。ジャマルはアフリカ人、フェリックスはユダヤ人、ローラはマルティニク人。3人ともがフランスの社会ではマイノリティであり、この三人の間では必ずしも「白さ」「黒さ」が社会的な問題となるわけではない。  おそらく、ジャマルの家系は出身国(おそらくセネガルかどこか)がフランスの植民地であった頃から、高度の教育を受け、本土において成功したのだろう。ローラは、おばあさんがフランスにいることから、マルティニク(カリブ海のフランス領の島)から移住してきたものの大きな成功は勝ち取れなかった(だから母親はマルティニクに帰った)のだろう。フェリックスは名前からしてポーランド系、第2次大戦後にフランスにやってきたのかもしれない。
 そして、現在では、フェリックスの家がいちばん貧しい。ジャマルの家がいちばん金持ち。
 しかし、ローラは言う「彼は黒すぎるのかも」。肌の色への偏見か?
 ジャマルは暴君のように振舞う。無意識的な性差別か?
 教育とか、社会的地位とか、「やばい地区」とか、いろいろなことが複雑に絡まって、しかしそれを解きほぐそうとはせず複雑なまま提示する。それはただ、あるがままをぽんと提示するということなのだけれど、その複雑さが複雑さとして表現されるためには、ただそこらに転がっている現実を切り取ればいいというわけではなくて、それなりの選択と、表現の工夫が必要になってくる。そしてそれはひどく難しい。どんどん複雑化して行く現実をありのままに切り取っている(ように見える)この作品には非凡なものがあるということに我々は気づかなければならない。

メリーに首ったけ

There’s Something about Mary
1998年,アメリカ,119分
監督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
脚本:エド・デクター、ジョン・J・ストラウス、ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー
撮影:マーク・アーウィ
音楽:ジョナサン・リッチマン
出演:キャメロン・ディアス、マット・ディロン、ベン・スティラー、リー・エバンス、クリス・エリオット、ブレット・ファーブ

 テッドは本当にどうしようもない男。彼の唯一の誇りは、高校のプロム・パーティーに学校のアイドルメリーに誘われたこと。しかし、その大事な時にジッパーに大事なモノを挟んでしまい病院送りという本当にまぬけな男。
 月日は流れ、友人に勧められメリーを探すことにしたテッド、彼女を見つけることはできたのだが、 彼女の周りには数多くのライバルがいて…
 メリーを巡る男たちのせこく、くだらない争い。とにかく、ドタバタお下劣ギャグ満載、道徳心のある人は見てはいけません。

 単純明快なコメディですが、私にとってコメディ映画の条件は、
・とにかくくだらない(その通り)
・インパクトのある場面がある(ファスナーとか犬とか)
・一応ストーリー展開が気になる(だいたい読めるけど)
・オチがつく(体質的にオチがつかないと落ち着かない。なんちって(>o<;) )
 です。この映画一応条件を満たしています。
 しかし、メリーに首ったけが好きな理由はこれだけではありません。キャメロン・ディアスがかわいいのはもちろんですが、やはり、アメフトネタですね。アメリカ人にはわかりやすいけれど、日本人にはあまりわかりにくいアメフトネタ。私はアメフト好きなので、非常にうれしかった。
 と、言うわけでここで解説。
 まず、ブレッドことブレット・ファーブは本当に本当にNFL(アメリカのプロフットボールリーグ)のスーパースターで、年俸も5億くらいもらってると思います。で、メリーが、ブレッドをふった理由が、字幕ではどうなっていたか忘れましたが、英語では、「私は49ersのファンだから」というような感じの台詞だったんですね。ブレット・ファーブはグリーンベイ・パッカーズの選手で、それが気に入らなかったというわけです。映画の途中でも、オフィスの椅子にスティブ・ヤング(49ersの選手でファーブと同じくらいスーパースター)がかかっていたというのもにくい作戦ですね。
 こんな感じで、ただの薀蓄披露になってしまいましたが、ファーブじゃなくて、ヤングだったら、ベン・スティラーはふられてたのか?と思ってしまう今日この頃です。
 などというアメフト話はおいておいて、この映画でいちばん好きだったのは、唐突に歌いだす二人組。その名はジョナサン・リッチマン。この映画の音楽を担当している人です。一応ちゃんとしたアーチストで、CDなんかも出しています。しかし、とにかく登場の仕方が面白い。ああ、これぞまさしくアメリカンコメディ。

オネーギンの恋文

Onegin
1999年,イギリス,106分
監督:マーサ・ファインズ
原作:アレクサンドル・プーシキン
脚本:マイケル・イグラティフ、ピーター・エテッドギー
撮影:レミ・アデファラシン
音楽:マグナス・ファインズ
出演:レイフ・ファインズ、リヴ・タイラー、トビー・スティーヴンス、レナ・へディ、マーティン・ドノヴァン

 19世紀初頭のロシア、ペテルブルクに住む貴族のエヴゲニー・オネーギンは伯父を看取りに田舎の屋敷へと向かう。彼は社交界の虚栄に飽き飽きし、今のままの生活に疑問を覚えていた。そして、伯父の遺産である田舎の屋敷にしばらくとどまることに決めたが、そこに明確な目標があるわけでもなく、友人になった青年地主のレンスキーと漫然と時を過ごしていた。
 そんなオネーギンの恋愛物語。プーシキンの原作を主演のレイフ・ファインズの妹のマーサ・ファインズが映画化。初監督作品ながら、その組み立てには類まれなセンスが感じられる。

 この映画の最大の強みは物語(つまり原作)であることは確か。しかし、それを丹念にスクリーンに映し込んだ監督の力量もかなりのものだと思う。丁寧に丁寧に映像を重ね、映画を作り込んでいったという感のある作品で、きっちりと無駄が省かれているところに好感が持てる。
 少々クローズアップが多いのが気になったが、それ以外では、余計な説明的な映像やセリフや独白が省かれ、映像に語らせることに成功していると思う。そして、物語の展開も、ついつい語ってしまいたくなる部分、説明してしまいたくなる部分がばっさり切られ(たとえば、オネーギンの以前の生活、レンスキーが死んでからのこと、ラストシーン位後のこと)、映画全体がスリムになった感じがする。そう、最近の映画はこういった思いきりというか、我慢というか、「思い切って切ってしまうこと=語るのを我慢すること」が足りない気がする。だから、だらだらと長い映画が多くなって、2時間半も3時間も映画が続き、「まだまだ切れるんじゃないの?」という疑問だけが頭に残るという事態になってしまう。映像のセンスとか、そういったものはたいしたことない(といっては失礼か)のだけれど、この監督は映画の作り方がわかっている監督なのではないかと思いました。

プランケット&マクレーン

Plunkett and MacLeane
1999年,イギリス,100分
監督:ジェイク・スコット
脚本:ロバート・ウェイド、ニール・バーヴィス、チャールズ・マッケオン
撮影:ジョン・マシソン
音楽:クレイグ・アームストロング
出演:ロバート・カーライル、ジョニー・リー・ミラー、リヴ・タイラー、アラン・カミング、ケン・スコット、トミー・フラナガン

 18世紀イギリスで有名になった「紳士強盗」こと、プランケットとマクレーンの強盗団の活躍を描いたアクション映画。
 貧乏だが地位と品位は兼ね備えているマクレーン大尉と、泥棒を家業としているプランケット。この二人が組んで貴族から強盗をはじめると、マクレーンの紳士的な態度から「紳士強盗」とよばれ、世間の評判になる。この二人に裁判長の娘レディ・レベッカが絡んで物語は展開して行く。
 監督のジェイク・スコットはリドリー・スコットの実子でこれが初監督作品。イギリス映画としては派手で撮り方もハリウッド映画のような雰囲気。アクションシーンはなかなかの迫力がある。

 本当にイギリス映画なのかと疑いたくなるほどハリウッドっぽい作品。イギリス映画らしいところもなくはないが、そのどれもが決して独創的とは言えないところに難がある。銃撃シーンがスローモーションだったり、服を脱ぐシーンがコマ送りだったり、どこかで見たことあるんだよなという映像的工夫しかなかったのがつらかった。
 ストーリーとしてはなかなか面白いんだけれど、先の展開は読みやすく、あまりスリルは味わえない。
 とにかくこの映画はロバート・カーライルとリヴ・タイラーの映画。ロバート・カーライルが一人映画らしい存在としているという感じ。ロバート・カーライルらしさは十分に出ている、最後のシーンの独特な走り方を見ながら、「ああ、やっぱりいい役者ね」と思いました。リヴ・タイラーはとにかくかわいいのでいい。ちょっと首が太いのと肩幅が広いのが気になりますが、まあいいでしょう。お父さんに似なくて本当によかった(余談)。

ベイブ/都会へ行く

Babe : Pig in the City
1998年,オーストラリア,96分
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー、ジュディ・モリス、マーク・ランプレル
撮影:アンドリュー・レスニー
音楽:ナイジェル・ウェストレイク
出演:マグダ・ズバンスキー、ジェームズ・クロムウェル、ミッキー・ルーニー、メアリー・スタイン

 アカデミー賞にもノミネートされ話題となった「ベイブ」の続編。牧羊犬ならぬ牧羊ブタとして有名ブタになったベイブ。しかし彼のいる牧場は借金に苦しんでいた。牧場を救うためにはベイブが都会でパフォーマンスを見せるしかない!と、いうわけで、ケガをして牧場から出られないホゲット爺さんに代わって奥さんがベイブを連れて出かけることになった。
 この作品もやはり、大ヒット作の続編は失敗するという法則に抗いきれなかった。そこそこ面白いのだけれど、前作と比べてしまうと、かなり苦しい。しかし笑えるところは結構あるので、見ても損はないでしょう。

 うーん、相変わらず面白いのは動物たち。爺さんが出てこないというのがすごく残念。フェルディナンドとかねずみとかキャラはたつけど、いかんとも…
 面白いんですけどね、やはりヒット作の続編は、特にコメディは難しいってことですか。「ビバリーヒルズ・コップ」とかね、「48時間」とかね、「裸のガン」とかね。
 まあ、いいでしょう。これくらい笑えれば許してあげます。