チューブ・テイルズ

Tube Tales
1999年,イギリス,89分
監督:エイミー・ジェンキンズ、スティーヴン・ホプキンス、メンハジ・フーダ、ボブ・ホスキンス、ユアン・マクレガー、アーマンド・イアヌッチ、ジュード・ロウ、ギャビー・デラル、チャールズ・マクドゥガル
脚本:エド・アレン、ゲイビー・デラル、ポール・フレイザー、アタランタ・グーランドリス、マーク・グレイグ、スティーヴン・ホプキンス、アーマンド・イアヌッチ、エイミー・ジェンキンズ、ハーシャ・パテル、ニック・ペリー
撮影:スー・ギブソン、デヴィッド・ジョンソン、ブライアン・テュファーノ
音楽:サイモン・ボスウェル、マーク・ハミルトン・スチュワート
出演:レイチェル・ワイズ、レイ・ウィンストン、ジェイソン・フレミング、デニス・ヴァン・オーテン、ケリー・マクドナルド

 ロンドンの地下鉄「チューブ」を舞台に9人の監督が9つのエピソードを撮ったオムニバス作品。1本は10分程度なので、完全に短編集という感じだが、どの作品を一筋縄では行かない癖のあるもの。ユアン・マクレガーとジュード・ロウが監督として参加している。

 どれがどうというのは難しいので、ばらばらと行きましょう。
 個人的に好きなのは、2話目の”Mr. Cool”(多分)かな。あの笑いはかなり好き。とてもイギリス的な笑いという感じがしていいです。イギリス的というと、何話目だか忘れましたが、”My Father the Liar”がとてもイギリス映画らしくてよかったですね。あのおとうさんと子供のコンビが画面に映っていたら、0コンマ1秒で「イギリス映画!」と叫んでしまいそう。画面の暗さとかパースの取り方にイギリスっぽさがあるのだなあという感じ。中身もタイトルもなかなかだと思います。
 あとは、”Rosebud”も好みの感じでした。「アリス」ものの変種という感じですが、「ミスターH」と地下通路の独特の感じを使ってとてもいい画になっていたと思います。あの黒人の(アフリカ系の)おばさんはどこかで見たことがある感じがするけど誰だろう。
 あとは、全体的にアフリカ系の人が多く登場しているというのが印象的。われわれから見ると、イギリスというとやはり白人のイメージが強いのだけれど、実際はかなりいろいろな人種がいる国で、「チューブ」はその様々な人種が交差する場であるとこの映画は主張しているかのようです。様々な人種がいて、しかしそれ以前にみんな「個」として存在し、普段は単純にすれ違うだけだけれど、何かの拍子にそこに交流が生まれる。拒否という態度でもいいけれど、ひとつの交流が生まれる。それはチューブという「場」があるからこそ可能なことで、その交流のほとんどは決して気分のいいものではないにしても、その中に何かいいものが隠されている。というところでしょうか。

ウェイクアップ!ネッド

Waking Ned Divine
1998年,イギリス,92分
監督:カーク・ジョーンズ
脚本:カーク・ジョーンズ
撮影:ヘンリー・ブラハム
音楽:ショーン・デイヴィ
出演:イアン・バネン、デヴィッド・ケリー、スーザン・リンチ

 アイルランドの田舎にある村に住む老人達はジャッキーをはじめ、みんな宝くじを楽しみにしていた。そんなある日ジャッキーは新聞の記事から宝くじの1等の当選者が村の中にいることを突き止める。わずか60人足らずの村で誰が当選者なのか? ジャッキーは親友のマイケルと共に当選者探しをはじめるのだが…
 アイルランド製じいちゃんコメディ。ブラックなギャグも織り交ぜながらとにかく何も考えずに笑えるコメディ映画。

 こんな映画が好き。まず老人ものが好き、特にコメディは。そして意味深げなものよりも画面のインパクトとか、くだらない一発ギャグで勝負するようなあっけらかんとしたコメディが好き。そして落ちが面白くないといけない。この映画はなんといっても爺さんライダーがよくって、それはもう画面のインパクトだけで勝負という感じがいい。他にもネッドの顔をいじるところや、落ちのところも捨てがたいが、やはり爺さんバイクに乗るというところでしょうか。
 それにしても、最近はアメリカのコメディよりヨーロッパのコメディの方が面白い気がする。昔はコメディといえばハリウッドの脳天気なのというイメージが強かったけれど、最近のハリウッドコメディはスターに頼ってみたり、ヒューマンドラマなんだかコメディなんだかわからないヒューマンコメディとか言うものだったりして勢いがない。最近のもので面白かったものといえば、「親指」がダントツにしてもあとは「マルコビッチの穴」と「メリーに首ったけ」くらいでしょうか。しかし「マルコビッチ」は純粋なコメディとはちょっと違うし、「メリー」は基本的に下ネタの世界なので、ちょっと違う。下ネタに走ったものではかなり吹っ切れたものもありますが、ちょっと卑怯という感は否めないのでした。

アラン

Man of Aran
1934年,イギリス,77分
監督:ロバート・J・フラハティ
脚本:ジョン・ゴールドマン
撮影:ロバート・J・フラハティ
音楽:ジョン・グリーンウッド
出演:コールマン・キング、マギー・ディーレン、マイケル・ディーレン

 アイルランドの西に位置する島アラン。過酷な自然に囲まれた不毛の土地で暮らす人々の姿を描いたドキュメンタリー。ほとんど草も生えず、始終激しい波にさらされる土地でも人々は力強く生きる。
 20年代から30年代を代表するドキュメンタリー作家のひとりフラハティの代表作の一つ。

 最初、字幕による説明があり、オーケストラに合わせて淡々と映像が流れる。「サイレント?」と思うが、始まって10分くらいしてセリフが話される。しかしセリフは極端に少ない。音楽を背景に映像を流しつづけるドラマ。セリフはなくともドラマとして成立し、しかも紛れもなくドキュメンタリーだ。
 しかし、ドキュメンタリーとしては少々作りこんだ感がある。一台のカメラで追っただけでは作れないような映像が多々ある。一つ印象的な場面である。少年とサメのカットバックのシーンなどもそうだ。この映画はおそらく、基本的にはドキュメンタリーだが、それをドラマ化するために、不足した部分を後から足したのではないかと思われる。それでドキュメンタリーではないということは自由だが、この映画は単純に現実の脅威というものを表していることに変わりはない。 誰しもが目を見張りひきつけられるのはやはり波の表情。断璧に打ち付けられた波は高々とその壁を登り地面をぬらす。その迫力はすさまじい。ただただ浜辺に打ち寄せる波もすさまじい。あとは、ボートに打ちつけられるサメの尾鰭の立てる音、ボートが波のまにまに消えるそのひとたび毎にふっと襲ってくる緊迫感、そんなものが心に迫ってきた。
 こんな映画を見ていると、やはりドキュメンタリーというのは現実の一瞬間をふっと切り取るものであり、それはあまりにドラマチックであるのだということを実感させられる。フィクションでは作り上げることのできない現実ならではの迫力というものがやはりある。

ぼくの国、パパの国

East is East
1999年,イギリス,96分
監督:ダミアン・オドネル
原作:アユブ・ハーン=ディン
脚本:アユブ・ハーン=ディン
撮影:ブライアン・テュファーノ
音楽:デボラ・モリソン
出演:オム・プリ、リンダ・バセット、ジョーダン・ルートリッジ、イアン・アスピナル

 1971年、イギリスの小さな町に住むジョージはパキスタンからやってきた移民。イギリス人を妻にして6人の息子と1人の娘に恵まれた。長男ナシムの結婚式の日、父親の決めた結婚に納得のいかないナシムは式場を飛び出し、そのまま姿を消してしまう。父親と残された6人の子供達の戦いは続く…
 移民・人種という問題を意識させつつ、衝突する家族の物語を撮ってみたという感じ。

 なんだか惜しい。面白くなりそうな要素はたくさんあるのに、なんとなくそれが通り過ぎていってしまう感じ。「フード」だってあそこまで固執しておきながらなんとなく描き切れていいない気がする。隣にすんでる壊れためがねをかけた子なんかも、かなりいい味を出しているのにね。
 やはり人種や移民という問題を持ってきて、それを中心に据えてしまったために、父親とパキスタン人コミュニティの関係性とか、その父親の意図と子供達の考え方の違いなんかがどうしても大きな割合を占めてしまうようになる。キャラクターが少し紋切り型過ぎたのか、という気がする。むしろこの映画が終わった時点から、親父が気持ち丸くなった(でも芯の所ではちっとも変わっていない)時点からの話の方が映画としては面白くなりそう。
 映画の中でも親父側のエピソードより子供側のエピソードの方が面白い。隣の女の子とその親友とか、かなりナイスなキャラが盛りだくさん。テレビドラマ化できるくらいかもしれない。「サンフランシスコの空の下」よりは面白いかもしれない。

リトル・ダンサー

Billy Elliot
2000年,イギリス,111分
監督:スティーヴン・ダルドリー
脚本:リー・ホール
撮影:ブライアン・テュファーノ
音楽:スティーヴン・ウォーベック
出演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲイリー・ルイス、ジェレミー・ドレイヴン

 1984年、イギリス。ストに荒れる炭鉱町に住む11歳のビリーは、父親にいわれ、ボクシング教室に通っていたが、ボクシングはてんでだめ。そんなある日、ボクシング教室の隣で練習をしていたバレー教室のレッスンにひょんなことから参加する。徐々にバレーに熱中し始めるビリーだったが…
 監督のスティーヴン・ダルドリーはこれがデビュー作。主演のジェイミー・ベルもオーディションで選び抜かれた新人と初めてずくめだが、かなりしっかりした作品に仕上がっている。

 この監督はかなり構図に対する意識が高そうな感じ。ピントを絞って、アウト・オブ・フォーカスにいろいろなものを配置する。人であったり、ヨットであったり、犬であったり、サンドバックであったり。これらのものがとても構図にとって効果的。一番印象に残っているのは、ビリーが悔しさを爆発させながら坂を駆け上がっていくシーンで、背後の海にヨットが浮かんでいるところ。このヨットがなかったら、構図は台無し。このヨットはわざわざ浮かべさせたのだろうか、と考えてしまう。もしそうだとしたら、小津なみの作りこみさ加減。偶然だとしたら、非常にいい嗅覚を持っているということでしょう。
 他のところでもものの配置が非常に巧妙で、ボクシングジムでバレーをするというアンバランスさがすべてを物語っているという感じ。ボクシング用具に囲まれてリングの上でバレーをするというのはかなり面白い。それにカメラの動かし方もなかなか面白くて、ちょっとミュージックビデオのような雰囲気の上下の動きが印象的。石(レンガ)に囲まれたトイレの場面などは秀逸です。
 などと映像ばかりに拘泥してしまうのですが、物語としては、かなりオーソドックスではあるものの、80年代という時代背景があってこそ可能なものという感じがしました。今でもイギリスの田舎町はあんなもの(偏見?)とは思いますが、現在だとしたらジェンダー的に問題がるかも… というくらい。
 とても「よい」映画でした。誰もが楽しめる、ロングランになる理由もわかる。

 ということですが、そうですねやはり、画面に対する意識の高さというのを非常に感じます。映画のつくりとしてはハリウッドというかアメリカっぽいのですが、テンポはヨーロッパ的にゆっくりで、一つ一つの画面をしっかりと見せる。町並みを写すときの構図やバレエ教室の壁の色、とたんの壁のさび加減。それらを背景として流してしまうのではなく、ひとつの画として見せる。そのあたりにこだわるのは、やはりこの映画がバレエという視覚的な芸術を扱っていることともかかわりがあるのでしょう。バレエをテーマにしていながら、画面がとっ散らかっていてアクションみたいなつくりだったらどうにも説得力がない。
 やはりこの映画はいい映画だと思います。学校の教材にしてもいいんじゃないかね。子供にはこういう映画を見せなきゃね。と思わせる文部省推薦的な映画。実際の文部省推薦映画はくそつまらないものが多いですが。
 画面に限らず、音に対しても非常に意識的。画面とサウンドトラックのリズムを合わせることに非常に意識的だと思います。映画全体がひとつのダンスになるように作っているんでしょうね。必ずしもすべてにおいて成功しているわけではありませんが、少なくともそのような姿勢は感じられます。

リトル・ヴォイス

Little Voice
1998年,イギリス,99分
監督:マーク・ハーマン
原作:ジム・カートライト
脚本:マーク・ハーマン、ジム・カートライト
撮影:アンディ・コリンズ
音楽:ジョン・アルトマン
出演:ジェーン・ホロックス、ユアン・マクレガー、ブレンダ・ブレシン、マイケル・ケイン

  伝書鳩を飼う無口な青年は仕事で行ったとある家で、これまた無口な少女LVに出会う。LVの母親は対照的に派手な性格で、ある日田舎のショーパブでマネージャーをしているレイを家に連れてくる。そしてひょんなことからLVの歌声を聞いたレイがその歌声に驚嘆し彼女を舞台に立たせようと奔走する。
 大ヒットミュージカルを『ブラス!』のマーク・ハーマンが映画化。舞台、役者などなどかなり『ブラス!』と似通っているので、『ブラス!』が気に入った人なら、きっと気に入るはず。

 LVを演じるジェーン・ホロックスはミュージカル版で主役を演じた女優さんで、この映画でもすべての歌を自分で歌っているらしい。そのあたりがかなりすごい。舞台での豹変ぶりなんかが笑い所なわけですから。
 しかし、ストーリーとしてはなんとなく物足りないかなという気もする。それぞれの登場人物はキャラクターがしっかりしていていいのだけれど、関係性のレベルでいまひとつ深さがないというか、LVを動かすための駒に過ぎないような気がしてしまって少々不満。
 結局、すごくイギリス映画らしい映画で、味のあるヒューマンコメディなのでしょう。

トニー・ヒル作品集

1984~93年,イギリス,44分
監督:トニー・ヒル
撮影:トニー・ヒル
出演:キース・アレン、ジェームズ・モーガン、ボニー・ヒル

 イギリスの映像作家トニー・ヒルの短編を集めたオムニバス。
 作品は「車輪の歴史」「ヴュアーを持つ」「時報映像」「ウォーター・ワーク」「拡張映画」「ダウンサイド・アップ」の6本。
 この作品群の特徴は人間と重力の関係の安定性を奪うカメラワーク。カメラを固定する点が重力とはまったく無関係に設定されるので、不思議な空間感覚を味わうことが出来る。

 最初の「車輪の歴史」で車輪に固定されたカメラが出てきてこれがかなり面白い。いってしまえば風景がぐるぐると回るだけだが、そのまったく変化させられて視線というのはなんとなく楽しく新鮮だ。それは他の作品でも継続していくが、より明らかになっていくのは「重力」に対する反抗心。「ウォーター・ワーク」の中で壁を蹴って歩く人なんかは完全に重力(ここでは浮力も)を敵にまわしてがんばっている。
 見て、感じて、それがすべてという感じ。大画面で見ればよりいっそうのトリップ感が得られたと思う。

ビーン

Bean
1997年,イギリス,89分
監督:メル・スミス
脚本:リチャード・カーチス、ロビン・ドリスコール
撮影:フランシス・ケニー
音楽:ハワード・グッドール
出演:ローワン・アトキンソン、ピーター・マックニコル、パメラ・リード、ハリス・ユーリン

 王立美術館に勤めるミスター・ビーンはいつものように遅刻。いつものように解雇されそうになるが、会長の鶴の一声で今日も首の皮一枚つながった。そんなとき、アメリカ絵画の傑作、ホイッスラーの「母の肖像」を5000万ドルで購入したロス・アンジェルスの美術館から、権威づけのための学者の派遣が要請された。そして、なぜかミスター・ビーンが派遣されることに!
 イギリスから世界的な大ヒットとなったホームドラマ「ミスター・ビーン」の映画版。ドラマのほうを見慣れていると、まず笑い声が入っていないのが違和感。ミスター・ビーンのキャラクターもちょっと違っていて違和感。ネタ的にはあまり変わらないので、楽しめることは楽しめますが。

 これならドラマを見ているほうがいいかも。場面と場面のつなぎ方なんかはまったくドラマのままで映画にしてしまっているから本当に違和感がある。ドラマを見たことがない人が見たらどうなのかはわからないが、一度でもドラマを見たことがあれば違和感を感じることでしょう。  具体的には、ホームドラマのつなぎで多用される画面のフェードアウトが映画でも多用されていること。フェードアウトというのは、次のシーンに映るときに、音がフェードアウトし、画面が徐々に暗転し、暗くなったところで次のシーンが始まるという手法のことを言ってるのだけれど、ホームドラマの場合、ひとつの落ちがあったところでこのフェードアウトによる場面転換があり、そのフェードアウトの間はたいてい笑い声が響いている。しかし、映画だとその笑い声がない。普段ホームドラマを見ていると、笑い声は邪魔な気がするのだけれど、この映画を見て、意外とあの笑い声ってのは重要なんだなと思いました。

ひかりのまち

Wonderland
1999年,イギリス,109分
監督:マイケル・ウィンターボトム
脚本:ローレンス・コリアト
撮影:ショーン・ボビット
音楽:マイケル・ナイマン
出演:シャーリー・ヘンダースン、ジナ・マッキー、モリー・パーカー、イアン・ハート、ジョン・シム、スチュアート・タウンゼント

 ロンドンの小さなカフェで働くナディアは伝言ダイヤルで恋人を募集。姉のデビーは息子のジャックと二人暮し、妹のモリーはもうすぐ子供が出来る。三人姉妹の母親は父親が家でぶらぶらしていることにストレスを募らせ、家を出てしまった末の息子ダレンのことを心配する。
 ロンドンでばらばらに暮らす家族のそれぞれの4日間を描いた物語。
 ヒューマニックな話だが、ウィンターボトムらしいひねりの聞いた筋と画素の荒い手持ちカメラを多用した映像がハリウッド的ハートウォーミング・ムーヴィーとは一線を画している。
 それぞれのキャラクターの個性がはっきりしていて、物語としては非常によく出来た映画だと思う。

 家族のそれぞれがばらばらに登場し、それぞれの悩みを抱え、しかし微妙に係わり合いながら、日常的ではあるけれど激動の4日間を過ごす。
 物語と脚本には非常に好感が持てた。「家族」というものを前面に打ち出すわけではなく、話が完全に収斂していくわけでもない。しかし、それぞれがそれぞれなりに問題を消化し、家族それぞれを決しておろそかにはしない。非常にリアルな物語に思えた。あるいはリアルなものを凝縮した感じとでも言おうか、とにかく「生」な感じがして非常によかった。
 ウィンターボトムという監督はいつも映像にかなり凝っていて、今回もさまざまなこだわりが感じられる。一つはもちろんもっとも目に付く画素の荒さ。これは恐らく証明を弱くしてカメラの感度を上げているのだろうけれど、なんとなくビデオカメラのような映像になる。特に夜の場面では家庭用ビデオカメラのような感じになる。もう一つの特徴は手持ち撮影の多用。特に歩いている人を近く(主に後)から手持ちカメラで追いかける映像が多かった。
 この映像がもたらす効果は素人っぽさであり、真実みであるのだろう。簡単に言えば「ブレア・ウィッチ」のような素人が記録したフィルムという設定にふさわしい映像の作り方。しかし、この映画ではその造り手の側にはまったく言及しておらず、映画の外に存在していることは明らかだ。ならどうしてこんな撮り方を、と思うけれど、簡単に言ってしまえばリアルさを追求しているんだろう。作り物ではない本当のドラマのように見せたいということ。現実を切り取ったもののように見せたいということ。それだけだと思いますが。
 非常によくまとまった映画だと思います。まとまりすぎていてもうちょっと壊してくれたほうがよかったという気がするくらいきれいにまとまった映画。それでも結構感動も出来るという映画です。

オネーギンの恋文

Onegin
1999年,イギリス,106分
監督:マーサ・ファインズ
原作:アレクサンドル・プーシキン
脚本:マイケル・イグラティフ、ピーター・エテッドギー
撮影:レミ・アデファラシン
音楽:マグナス・ファインズ
出演:レイフ・ファインズ、リヴ・タイラー、トビー・スティーヴンス、レナ・へディ、マーティン・ドノヴァン

 19世紀初頭のロシア、ペテルブルクに住む貴族のエヴゲニー・オネーギンは伯父を看取りに田舎の屋敷へと向かう。彼は社交界の虚栄に飽き飽きし、今のままの生活に疑問を覚えていた。そして、伯父の遺産である田舎の屋敷にしばらくとどまることに決めたが、そこに明確な目標があるわけでもなく、友人になった青年地主のレンスキーと漫然と時を過ごしていた。
 そんなオネーギンの恋愛物語。プーシキンの原作を主演のレイフ・ファインズの妹のマーサ・ファインズが映画化。初監督作品ながら、その組み立てには類まれなセンスが感じられる。

 この映画の最大の強みは物語(つまり原作)であることは確か。しかし、それを丹念にスクリーンに映し込んだ監督の力量もかなりのものだと思う。丁寧に丁寧に映像を重ね、映画を作り込んでいったという感のある作品で、きっちりと無駄が省かれているところに好感が持てる。
 少々クローズアップが多いのが気になったが、それ以外では、余計な説明的な映像やセリフや独白が省かれ、映像に語らせることに成功していると思う。そして、物語の展開も、ついつい語ってしまいたくなる部分、説明してしまいたくなる部分がばっさり切られ(たとえば、オネーギンの以前の生活、レンスキーが死んでからのこと、ラストシーン位後のこと)、映画全体がスリムになった感じがする。そう、最近の映画はこういった思いきりというか、我慢というか、「思い切って切ってしまうこと=語るのを我慢すること」が足りない気がする。だから、だらだらと長い映画が多くなって、2時間半も3時間も映画が続き、「まだまだ切れるんじゃないの?」という疑問だけが頭に残るという事態になってしまう。映像のセンスとか、そういったものはたいしたことない(といっては失礼か)のだけれど、この監督は映画の作り方がわかっている監督なのではないかと思いました。