バチ当たり修道院の最期

Entre Tinieblass
1983年,スペイン,100分
監督:ペドロ・アルモドバル
脚本:ペドロ・アルモドバル
撮影:アンヘル・ルイス=フェルナンデス
音楽:カム・エスパーニャ
出演:クリスチーナ・サンチェス・パスカル、フリエタ・セラーノ、カルメン・サウラ、マリサ・パレデス

 麻薬で恋人を死なせてしまった歌手ヨランダは、以前もらった名詞を思い出して、それを頼りに「駆け込み寺」を訪ねてみる。しかし行ってみるとそこの修道院は財政難で閉鎖寸前、修道尼たちもわけのわからぬ人ばかり。
 5人のハチャメチャな尼僧たちの生活を淡々と映すアルモドバル監督のキッチュななコメディ。アルモドバル監督はこれが二作目だが、この作品を機に国際的評価を高めたといえる。確かにそれぞれの尼僧の個性がよくできていて、くだらなくもあり、しかし下品ではなく、不思議にバランスの取れた映画だった。 

 修道院にトラがいて、尼長はヤク中で、尼僧の一人は隠れて官能小説を書いていて、しかもベストセラー作家で、ホテルのような部屋があって、などなどと本当にハチャメチャな設定だが、これが必ずしも教会や修道院に対する皮肉ではなく(と信じたい)、純粋に笑いの要素として扱えているところがすごい。
 この映画から思い出されるのはやはり「天使にラブソングを」か。こちらも同じような設定のコメディだが、どちらかというと主役のウーピー・ゴールドバーグのキャラばかりが立っていて、周りの修道女たちがいまいちパンチに欠けるという感じがする。それと比べると、この映画は主人公のヨランダよりむしろ回りの修道女たちが笑いの中心で、それぞれが強烈なキャラクターを持っている。この辺がこの映画の不思議な魅力の秘密だろうか?

マルチニックの少年

Rue Casses Necres
1983年,フランス,106分
監督:ユーザン・パルシー
原作:ジョゼフ・ゾベル
脚本:ユーザン・パルシー
撮影:ドミニク・シュピュイ
音楽:マラボア
出演:ギャリー・カドナ、ダーリン・レジティム、ドゥタ・セック、ヘルベルト・ナップ

 カリブ海に浮かぶフランス領の島マルティニック、時は1930年、貧しい村に住む少年ジョゼの生活を描いた佳作。原作者ジョゼフ・ゾベルの自伝的作品をマルティニック出身の女流監督ユージン・パルシーが映画化。
 純粋に映画としても楽しめるが、マルティニックという土地の風土やカリブの黒人が抱えるネグリチュード(黒人性)の問題を考える際のわかりやすい教材にもなりうる作品。 

 この映画のポイントは、マルティニックという島の黒人の抱える問題である。フランスの植民地の島にアフリカから連れてこられた黒人たちがどのようなアイデンティティを持ちうるのかという問題。
 ひとつのありうる形はフォール市の劇場の切符売りの女性のように、黒人性を否定するもの。そのためには白人と結婚し、フランス語をしゃべり、フランス人になることが必要である。
 もうひとつはアフリカへと行く道。フランツ・ファノンのようなネグリチュードの思想家が盛んに唱えたアフリカへの回帰の道をたどるものである。これはメドゥーズによって暗示される道である。
 しかしこれらふたつがともに平坦な道ではないこともこの映画は語っている。第一の道は混血児であるレオポルドの挫折によって、第二の道はメドゥーズが決してアフリカへは帰れないことによって(彼はジョゼに「あっちには知り合いもいないし」と語る。これは彼らにとっての故郷アフリカはあくまでも観念的なものでしかないことを象徴している)、否定される。
 したがって、ジョゼは第三の道を歩み始める。それは白人になろうとするのでもなく、アフリカに帰ろうとするのでもなく、フランス語圏(フランコフォン)の黒人としての立場を確立すること。そのためにフランス語を習得し、フランス文化を学んで、本国に認められること。ジョゼはそのためにフォール・ド・フランスへと戻ってゆく。
 ルーツを失い、言葉を奪われた民族がたどるべき道は何のか?そんな深い問いかけを内包した作品である。

ラン・ローラ・ラン

Lora Rennt 
1998年,ドイツ,81分
監督:トム・ティクヴァ
脚本:トム・ティクヴァ
撮影:フランク・グリエベ
音楽:トム・ティクヴァ
出演:フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライトプトロイ、ハノイ・フェルヒ、ヘルベルト・ナップ、ニナ・ペトリ

 ローラの恋人マニはマフィアの運び屋。しかし、ある日とちって、ボスに渡すはずの10万マルクを紛失してしまう。残された時間は20分、20分のあいだに10万マルク用意しなければ、マニは殺されてしまう。最愛のマニを救うため、ローラは家を飛び出し、走る走る。
 まったく無名のドイツの新鋭監督トム・ティクヴァが斬新な映像と音楽でつづる、まったく新しいドイツ映画。98年あたりから、ニュー・ジャーマン・シネマとしてもてはやされている映画群の走りとして画期的な一本。
 多少荒削りなところはあるが、いわゆるアヴァンギャルドな映像をうまく使って、シナリオも面白く、まとまった映画に作られている。 

 この映画は、アニメーションを入れたり、ストップモーションを多用したり、いわゆる今風の演出がなされているのだけれど、実験映画的なとげとげしさがないので、見る側としてもスッと映画に入り込める。新しいけど、難しくない。トレインスポッティングもそんな映画だったけれど、それよりさらに単純でわかりやすい。しかも、音楽の使い方が非常に効果的で、映像だけでは狙いが伝わりにくい部分をうまく補っている。
 3回というのもいい。4回だとちょっとしつこいし、2回だと物足りない。しかもこの映画の面白いところは、3回がすべて別々のパターンというわけではなく、2回目は1回目が起きた後で展開されているところ。(たとえば、2回目のローラは拳銃の使い方を覚えている。3回目の銀行の守衛がローラの顔を見て目を見開いて何かを思い出している。)
 「それから」といって展開されるすれ違う人々のその後の人生というのも、本筋とはまったく関係ないのだけれど、面白い。これがあるのとないのとでは、観客の興味のひきつけ具合が大きく異なってくるだろう。
 細かいところまで計算され、しかし全体的に警戒で、笑えるところもあり、まさに「新しいドイツ映画」というにふさわしい作品だったと思います。少し「人間の運命ってのは…」という説教臭さもありますが、それを補って余りある楽しい映画でした。

パリのレストラン

Au Petit Marguery 
1995年,フランス,95分
監督:ローラン・ベネギ
原作:ローラン・ベネギ
脚本:ローラン・ベネギ、ミシェル・フィールド、オリヴィエ・ダニエル
撮影:リュック・バジェス
音楽:アンジェリーク&JCL・ネイチョン
出演:ミシェル・オーモン、ステファーヌ・オードラン、アニエス・オバディア、アラン・フロマジェ、クリア・ケーム

 今日で閉店することになったパリのレストラン、「プティ・マルギュリー」に招待客たちが集まる。レストランで交差する人々の人生を描いた作品。「いわゆる」フランス映画の典型のような作品。適当に洒落ていて、適当にユーモアがあって、ロマンスが散りばめられ、などなど。
 料理の映像がリアルで、見ているだけでよだれがたれそうなところはなかなか素敵な映画でした。 

 この映画は、素晴らしい作品とはいえないが、面白いところはたくさんある。まず料理がおいしそう。映画で料理がおいしそうに映るというのはなかなかない。時間の行き来が自然。回想シーンというと、わざわざ映像を古めかしくしたりとわざとらしいものが多いが、過去の場面でも映像を加工せず、(最初は現在と区別できないくらいに)自然に描いているところが好感をもてた。
 登場人物がやたらと多いというところは諸刃の剣かもしれない。それぞれの人物の関係性(誰が誰でどんな人か)ということが最後にはわかるようになっているが、途中ではわけがわからず、映画なのかに入り込むのを妨げてしまう可能性がある。
 とにかく、いわゆるフランス映画といえばこんなものを想像する。どことなくこじゃれている。そのいちばんの要因は適度に「隠す」こと。すべてをつじつまが合うように見せるのではなく、観衆の想像の余地を残しておくこと。この映画で言えば、荒れるダニエルをアガメムノンが慰める場面、どうやったのかはわからないがとにかく、ダニエルは元気になって帰ってくる。ダニエルとオスカー(だっけ?)の愛情、オスカーとアガメムノンの友情、その絆の強さをさりげなく伝える。この辺がフランス映画。

ピカソ-天才の秘密

Le Mystere Picasso 
1956年,フランス,78分
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、パブロ・ピカソ
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ジョルジュ・オーリック
出演:パブロ・ピカソ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、クロード・ルノワール

 パブロ・ピカソが絵を描く、筆の走りをスクリーンの裏側から取ったドキュメンタリー。徹頭徹尾ピカソの創作が映され、他のものは一切ない。天才の絵の描き方というのが以下に理解しがたいものかということが納得できてしまう秀作。
 名監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと名カメラマン:クロード・ルノワールもちょこっと画面に顔を出す。

ジプシーのとき

Dom za vesanje 
1989年,ユーゴスラヴィア,126分
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:ゴラン・ブレイゴヴィク
出演:タボール・ドゥイモビッチ、ボラ・トドロビッチ、ルビカ・アゾビッチ、シノリッカ・トルポコヴァ

 本物のロマ(ジプシー)の生活を彼らの言葉であるロマーニ語で描いた傑作。祖母と放蕩ものの叔父と足の悪い妹との4人で暮らす少年パルハンの成長物語。美しい娘アズラとの恋、妹の病気、ヤクザものアメードなどさまざまな人事が絡み合い、パルハンを悩ませる。
 どのカットどのフレームを切り取っても美しい(というのは必ずしも正確ではない。むしろ、魅惑的とでも言うべきだろうか)映像が目を見張る。エミール・クストリッツァの詩的世界を心ゆくまで堪能できる。

 この映画の最大の魅力はその映像にある。すべてのカットすべてのフレームに詩情があふれ、絶妙の色使いが心に焼きつく。さりげない地面の緑や、建物の赤や黄色、人を映すときのフレームの切り方など、枚挙に暇がない。
 たとえば、冒頭の精神病らしい男、上は頭の上ぎりぎりで、下は腿の辺りで切ってあるが、このバランスがなんとも素晴らしい。男は風景の中に溶け込みながら大きな存在感を持つ。それから、最後のほうで、パルハン(主人公のほう)がタバコを吸う横顔のアップがあったが、これも、そのアップを画面の中央に置くのではなく、左端に配し、顔の4分の1ほどが切れるように映してある。残りの画面には白っぽい後ろの景色が少しピントをぼかして映っている。このバランスが素晴らしい。
 しかし、こんなことをくどくど説明したって、その素晴らしさの百分の一も伝わらないんだろうな。

バンディッツ

Bandits
1997年,ドイツ,109分
監督:カティア・フォン・ガルニエル
脚本:ウーベ・ヴィルヘルム、カティア・フォン・ガルニエル
撮影:トルステン・ブリュワー
音楽:バンディッツ
出演:カティア・リーマン、ヤスミン・タバタバイ、ニコレッテ・クレビッツ、ユッタ・ホフマン、ハンネス・イーニッケ

 1999年には「ラン・ローラ・ラン」、「ノッキン・オン・へヴンズドア」など、新しいタイプのドイツ映画が数多く上映されたが、これはその先駆けとなった作品。囚人の女性バンド「バンディッツ」が警察のパーティーに演奏しに向かう途中で脱走を図り、脱走中の模様がテレビで放送されると、CDもベストセラーになり……
 とにかく、ハチャメチャな映画。MTVのようでもあり、香港映画のようでもある。ストーリーはそれほど練ったものではないが、展開にはメリハリがある。バンディッツのそれぞれのキャラクターが非常に魅力的なのが、この映画の成功の秘密だろうと思う。

 ハチャメチャさと思い切りとキャラクターの個性がこの映画の魅力。
 何がハチャメチャかといえば、ひとつは各場面のつくりがハチャメチャ。道路でファンに囲まれ、なぜかみんなで踊り始める場面、マサラムービーかおまえは!と、突っ込みたくなってしまうハチャメチャさ。
 思い切りというのは、モンタージュの仕方。普通に考えればストーリーをつなぐために必要なはずのディテイルを思い切って省いてしまって、躍動感のある展開を可能にしている。逆にいえばストーリーが隙だらけなのだけれど(簡単に言ってしまえば、あんな方法で逃げつづけられるはずがない。警部がよっぽどのバカか、ドイツ警察がひどい人手不足だ)、必要な説明を映画に盛り込むかどうかは映画全体の構成を決める大きな要素なのだ。普通に考えれば必要だと思える断片を思い切ってカットしてしまうことによって、その監督の個性が映画に反映され、独特なものを作り上げることができるようになるのだ。
 少しわかりにくい説明になってしまったが、この監督の特徴的なモンタージュの仕方は「時間の混合」ではないだろうか。特徴的なのは、ルナとウェストのラヴシーン。話をしているシーンとセックスシーンが交互に挿入されてふたつの時間が混合された形でシーンが構成されている。これは、最後の場面(観客のところへ飛び込むシーンと船へと走っていくシーンを混合した場面)でもまったく同じ構成の仕方がされている。そして、たびたび画面の中に入れ込まれるミュージックビデオの映像も現在の時間に過去の時間を割り込ませることで同様の効果を生み出しているといえる。
 これらの手法は決して目新しいものではないけれど、この映画のなかではかなり効果的に使われているといえるのではないだろうか。

パリ・ストーリー

Paris Stories
1988年,フランス,72分
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク、デヴィッド・リンチ、アンジェイ・ワイダ、ルイジ・コメンチーニ、ジャン=リュック・ゴダール
出演:クロード・ジョス、ジャン・クレマン、ハリー・ディーン・スタントン、ピエール・ゴルチャン

 パリをテーマに5人の監督が撮った5本の短編を集めた作品集。『フィガロマガジン』の創刊10周年を記念して製作された。 

 1話目は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「フランス人とゴール人」。
ワインとラグビーというフランスを象徴する二つの対照的なものを取り上げ、ドキュメンタリー風に仕上げている。 

 2話目は、デビッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」。
アメリカのカウボーイたちの下に突然現れたフランス人をめぐる幻想譚。リンチ流の異文化交流物語。

 3話目は、アンジェイ・ワイダ監督の「プルースト、わが救い」。
第二次短戦中ソ連軍の捕虜となり生き残ったポーランド人画家ヨゼフ・チャプスキを描いたドキュメンタリー。淡々としているが自らもソ連軍の捕虜となっていたワイダ監督の思い入れが伝わる一作。

 4話目はルイジ・コメンチーニ監督の「アジャンを訪ねて」。
コメンチーニ監督自身の娘二人が、彼の育ったフランスのアジャン地方を旅する映画。少し作り物っぽさがあって難。

 5話目はジャン=リュック・ゴダール監督の「最後の言葉」。 
戦争中のドイツ将校によるフランス民間人の処刑事件を幻想的に描くゴダールらしい短編。現在とも過去ともつかぬ映像とバイオリンの音色が独特の世界を作り出している。

 この「パリ・ストーリー」の中の一作、デヴィッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」はなかなかの秀作だ。この作品はちょうど、「ツインピークス」のTVシリーズが始まる前年、「イレイザヘッド」や「ブルー・ヴェルヴェット」などのカルト的人気を誇った一連の作品を撮ったあとに撮られている。
 この作品は、明るい西部の農場を舞台にしたコミカルな物語であり、これ以前の作品とこれ以後の作品とのあいだに一線を画す秀作であると位置づけることができるかもしれない。西部にそぐわない白いブラウスに黒いスカートの瓜2つ(というか4つくらい)の女性たちは何なのか?最後に掲げたミニチュア自由の女神はいったい……
 などなど、リンチ的な謎がたくさん散りばめられていて楽しいものだった。耳の遠いカウボーイという設定も秀逸。

Barに灯りがともる頃

Che ora e 
1989年,イタリア,93分
監督:エットーレ・スコラ
脚本:ビアトリス・ラヴァリオリ、エットーレ・スコラ、シルヴィア・スコラ
撮影:ルチアーノ・トヴォリ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージ、アンヌ・パリロー

 名優、マルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージの競演。60代の父と30代の息子という微妙な関係を描いた佳作。
 物語は、弁護士の父(マストロヤンニ)が兵役についている息子(トロイージ)のところを尋ねた一日を描く。とにかく、このふたりの名優の演技は素晴らしい。マッシモ・トロイージの鼻、マストロヤンニの目。ありふれた一日があり、二人の男がいる。それ以上は何もなく、物語らしい物語もないが、しかしなんとなくハラハラさせられ、最後にはしみじみとしてしまう。
 とにかく、ふたりが会話しているだけで、映画が成り立ってしまうのもすごいと思わせる映画。