パリ・ストーリー

Paris Stories
1988年,フランス,72分
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク、デヴィッド・リンチ、アンジェイ・ワイダ、ルイジ・コメンチーニ、ジャン=リュック・ゴダール
出演:クロード・ジョス、ジャン・クレマン、ハリー・ディーン・スタントン、ピエール・ゴルチャン

 パリをテーマに5人の監督が撮った5本の短編を集めた作品集。『フィガロマガジン』の創刊10周年を記念して製作された。 

 1話目は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「フランス人とゴール人」。
ワインとラグビーというフランスを象徴する二つの対照的なものを取り上げ、ドキュメンタリー風に仕上げている。 

 2話目は、デビッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」。
アメリカのカウボーイたちの下に突然現れたフランス人をめぐる幻想譚。リンチ流の異文化交流物語。

 3話目は、アンジェイ・ワイダ監督の「プルースト、わが救い」。
第二次短戦中ソ連軍の捕虜となり生き残ったポーランド人画家ヨゼフ・チャプスキを描いたドキュメンタリー。淡々としているが自らもソ連軍の捕虜となっていたワイダ監督の思い入れが伝わる一作。

 4話目はルイジ・コメンチーニ監督の「アジャンを訪ねて」。
コメンチーニ監督自身の娘二人が、彼の育ったフランスのアジャン地方を旅する映画。少し作り物っぽさがあって難。

 5話目はジャン=リュック・ゴダール監督の「最後の言葉」。 
戦争中のドイツ将校によるフランス民間人の処刑事件を幻想的に描くゴダールらしい短編。現在とも過去ともつかぬ映像とバイオリンの音色が独特の世界を作り出している。

 この「パリ・ストーリー」の中の一作、デヴィッド・リンチ監督の「カウボーイ&フレンチマン」はなかなかの秀作だ。この作品はちょうど、「ツインピークス」のTVシリーズが始まる前年、「イレイザヘッド」や「ブルー・ヴェルヴェット」などのカルト的人気を誇った一連の作品を撮ったあとに撮られている。
 この作品は、明るい西部の農場を舞台にしたコミカルな物語であり、これ以前の作品とこれ以後の作品とのあいだに一線を画す秀作であると位置づけることができるかもしれない。西部にそぐわない白いブラウスに黒いスカートの瓜2つ(というか4つくらい)の女性たちは何なのか?最後に掲げたミニチュア自由の女神はいったい……
 などなど、リンチ的な謎がたくさん散りばめられていて楽しいものだった。耳の遠いカウボーイという設定も秀逸。

マトリックス

The Matrix
1999年,アメリカ,136分
監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
撮影:ビル・ポープ
音楽:ドン・デイヴィス
出演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・アーヴィング

 コンピュータプログラマーのアンダーソンは、「ネオ」という名の凄腕のハッカーでもあった。Matrixの謎にとらわれた彼はコンピュータ画面上に現れた不思議な言葉に導かれ、有名なハッカー・トリニティに出会う。そしてさらに彼女に導かれ謎の男モーフィアスと出会うことになる。この謎に満ちた男との出会いは衝撃的な現実が明らかになるほんの始まりだった。
 見事はSFXと緊張感のある展開が後を引く。ウォシャウスキー兄弟は「バウンド」を観て好きになったけれど、この「マトリックス」もハリウッド大娯楽エンターテイメント作品としては非常に優秀だと思う。こういう映画は映画館で観るに限る!まだ、観たことがないなら、ビデオを見るより、やっているところを探して大スクリーンで観て欲しい。

 宣伝どおりSFXは見事だった。設定もそれほど奇異なものではないが、説得力があっていい。まず、最初にこの世界が現実ではないと知らせる前に、ネオ(この時点ではまだアンダーソンか)の口がふさがってしまったり、奇妙な機械の虫が出てきたりという展開の仕方は見事。本当に夢だったのかと一瞬だまされてしまった。デジタルな音響も非常に効果的で、劇場にいると本当に別世界に入り込んだような感覚があった。
 シナリオの話をすれば、たいがいが典型的なもので新みがないと言うことができる。内通者がいて味方が死んでいくとか、キスで死んだはずのネオが生き返るとか、使い古されてきたような展開が多々みられた。しかし、この映画の真価はシナリオにあるわけではないので、そのへんは目をつぶることができるだろう。逆に、預言者の存在、そしてその予言の矛盾と言う効果はなかなか観衆を欺くように計算されていてよかったと思う。
 本当に劇場で見てよかった。この映画をビデオで見てしまったらもったいない。でも、終わった後、劇場を出たら、ガードレールとか飛び越えてみたくなったり、建物から建物に飛び移ってみたりして危ないかも。 

 今回見たのは2回目だけれど、そうするといろいろなことに気づく。
 まず、観客に様々な謎を与える巧妙さ。2度目にみると、「マトリックス」が何なのかわかっていて、すべての現象に納得がいくのだけれど、初めて見る時点ではネオと同じくこの世界が現実ではないと知らない。その状態で、ネオ(この時点ではまだアンダーソンか)の口がふさがってしまったり、奇妙な機械の虫が出てきたりという不可解な展開を持ってくる。この展開の仕方は見事。「本当に夢だったのか、でもどこから?」という疑問が浮かぶのが必然。
 そして、シナリオにかなり説得力がある。キスで死んだはずのネオが生き返るところなんて、そんな古典的な…と言いたくなるが、それは逆に「死んだはず」の部分を覆しているのであって、非常に新しい方法であるのだろう。あるいは、預言者の存在、結局あの予言者は矛盾した解答を出したわけだが、予言者ですら絶対ではないという効果は常識的に映画を見ている観衆を欺くように計算されていてよかったと思う。

 あとは、ブルース・リーやジャッキー・チェーンの映画と同じで、映画を見終わった後しばらくは自分も出来るんじゃないかと思ってしまう感じが心地よかった。

π(パイ)

Pi 
1997年,アメリカ,85分
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ダーレン・アロノフスキー
撮影:マシュー・リバティーク
音楽:クリント・マンセル
出演:ショーン・ガレット、マーク・マーゴリス、ベン・シェンクマン、パメラ・ハート

 天才数学者のマックス(ショーン・ガレット)はすべての事象はパターンがあり、数式で予測できると考え、株式市場の法則を見つけようとしていた。その彼の頭脳を利用しようとする株屋やユダヤ神秘主義教団の思惑に翻弄される。
 これはまさしく「サイコ数学スリラー」。白黒の映像が斬新で、カメラ回しも秀逸。デジタルな音の使い方も非常に面白い。シナリオ自体はあまりこったものではないが、アイデアが独特のため、非常に面白くできている。
 また、数学という学問を通じて哲学的な内容にすることで、単なるカルト映画の域を越える映画となっている。
 ただ、頭痛持ちの人は見ないほうがいいかもしれません。

 216桁。 考えれば考えるほど難しい。すべての法則を支配する数字=神。数学=宗教?マックスの頭の傷はなんだったのか?アリは?
 そんな謎はおいておいて、この映画の素晴らしいところは「数学」というものでアドベンチャーの世界を作り出してしまっていること。マフィアの臭いが感じられる株屋とか過激なユダヤ教団とか、そんな現実的なアドベンチャーに結びつくものなしでも、十分にサスペンスとして成立したんじゃないかと思わせる。
 ソルが囲碁をしながら言った「考えるんじゃない。直感だ」という(ような)セリフが心に残る。少し哲学くさいことを言えば、考えつづけている限り、人間は「見る」ことはできない。「見る」ということはアルキメデスの妻のように直感的にわかることだ。アルキメデスに必要なのは考えつづけることではなく風呂に入ることだと感じることだ。しかし、人間は完全なる真実を感じ取るには脆すぎる。だから人間は考えるしかない。真実を感じ取ってしまったマックスは崩れてゆくしかないのだ。それは「神」の領域であって、人間の領域ではない。だから人間は考える、考える、考える、考えるしかない。
 この映画から感じ取れるのはそういうこと。言葉ではなく、映像や音や幻想やとなりの美女や白黒の世界からなにかを感じ取るしかない。そして考えるしかない。真実は我々の手の届かないところにある。

ジュマンジ

Jumanji 
1995年,アメリカ,104分
監督:ジョー・ジョンストン
原作:クリス・ヴァン・オールスバーグ
脚本:ジョナサン・ヘンズリー、グレッグ・テイラー、ロバート・W・コート
撮影:トーマス・アッカーマン
音楽:ジェームズ・ホナー
出演:ロビン・ウィリアムズ、ジョナサン・ハイド、キルステン・ダンスト、ブラッドリー・ピアーズ、ボニー・ハント

 大人の姿をした子供をやらせたら右に出るものがいないロビン・ウィリアムズ。彼は26年間ゲームの世界に閉じ込められていた中年男を演じる。事の起こりは、ボードに浮かんだことが実際に起きてしまうボードゲーム「ジュマンジ」。
 ボードゲームを手に入れた少年アランは友だちのサリーとゲームを始める。だが、ボードのメッセージ通りの事が起きた上、アランはどこかに消えてしまった。それから26年後、売りに出されていた屋敷に移り住んできた幼い姉弟ジョディとピーターは屋根裏部屋でそのゲーム“ジュマンジ”を発見。それをはじめると、ようやくアランは現実世界に戻ってくる。そして、ゲームを終わらせようと悪戦苦闘する。
 軽いタッチの笑いはロビンウィリアムスの味。この映画でも笑える場面がぽんぽんと飛び出す。売り物のCGが少し安っぽいのが残念。

アドレナリンドライブ

1999年,日本,112分
監督:矢口史靖
脚本:矢口史靖
撮影:浜田毅
音楽:山本精一&羅針盤
出演:石田ひかり、安藤政信、松重豊、角替和枝、真野きりな、ジョビジョバ

 ひょんなことからやくざのものだった2億円を手に入れてしまった男・鈴木悟(安藤政信)と看護婦・佐藤静子(石田ひかり)。金を取り戻そうとするやくざ(チンピラ)たちを振り切って、大金を手に入れようと逃げ回るが……
 ある意味ではコメディ、ある意味では恋愛映画、ある意味ではロードムーヴィー。相変わらずドライブ感覚あふれる矢口作品だが、「はだしのピクニック」で見せたようなはちゃめちゃさが影をひそめてしまっているのが残念。まあ、作品としてはまとまりがあっていいのかもしれないけど。
 出演している役者たちは皆いい味を出している。

 はっきり行って、それなりには面白いけれど、期待はずれだった。矢口史靖監督と言うと、「裸足のピクニック」の印象があまりに強烈で、それを凌ぐものを作ってくれないと納得がいかないというところだろうか。確かに、きれいにまとまっているし、「裸足のピクニック」の見苦しさはなくなっているけれど、それが本来の魅力であるはずのはちゃめちゃさを奪ってしまっては元も子もない。
 その原因は、私が思うに、この映画の登場人物たちの合目的性ではないだろうか。誰もが「お金」という目的を持って、それを手に入れるために様々な手段を講じるわけだ。それが、今までの矢口作品の登場人物たちの無目的性(あるいはなぜ自分がこんなことに巻き込まれているのかという理由すらわからない状態)とは明らかに異なる。
 私がこの映画の登場人物で好きなのは、安藤政信演じる鈴木悟と角替和枝演じる婦長だが、この無目的性という点からみると、このふたりが非合目的的なのだ(だから好きだというわけではないんだけど)。婦長は決して300万と言う金額につられて車を出したのではなく(と私は信じている)、鈴木悟も最後にはお金をあきらめた(恋を取ったという点では別な意味で合目的的なのかもしれないけど)。
 だから、ジョビジョバ演じるチンピラたちにも納得できなかった。彼らは中途半端なはちゃめちゃさを発揮するだけで、映画全体の面白みを増しているとは思えなかった。あんなにたくさんいる必要もないし(その人数が役に立ったのは軽自動車に乗ったときの車内のきつさだけ)、一人一人のキャラクターもはっきりしない。
 まあ、期待度を割り引けば、それなりに楽しめる映画だったのかもしれないけれど、期待が大きかっただけに、残念というところ。

Barに灯りがともる頃

Che ora e 
1989年,イタリア,93分
監督:エットーレ・スコラ
脚本:ビアトリス・ラヴァリオリ、エットーレ・スコラ、シルヴィア・スコラ
撮影:ルチアーノ・トヴォリ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージ、アンヌ・パリロー

 名優、マルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージの競演。60代の父と30代の息子という微妙な関係を描いた佳作。
 物語は、弁護士の父(マストロヤンニ)が兵役についている息子(トロイージ)のところを尋ねた一日を描く。とにかく、このふたりの名優の演技は素晴らしい。マッシモ・トロイージの鼻、マストロヤンニの目。ありふれた一日があり、二人の男がいる。それ以上は何もなく、物語らしい物語もないが、しかしなんとなくハラハラさせられ、最後にはしみじみとしてしまう。
 とにかく、ふたりが会話しているだけで、映画が成り立ってしまうのもすごいと思わせる映画。

ストレート・ストーリー

The Straigt Story 
1999年,アメリカ,111分
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:リチャード・ファーンズワース、シシー・スペイセク、ハリー・ディーン・スタントン

 74歳の老人アルヴィン・ストレートがトラクターに乗って400キロ離れた兄ライルの家へと旅するロードムーヴィー。1994年NYタイムズに載った実際にあった話をデビット・リンチの公私にわたるパートナーであるメアリー・スィーニーが脚本にし、デビット・リンチがそれに乗る形で映画化が実現した。
 デビット・リンチらしからぬストレートな映画だが、その映像や台詞には相変わらずリンチらしさが垣間見える。映像がとても美しく、散りばめられたエピソードも、どれをとっても素晴らしい。

 この作品はこれまでのリンチ作品とは異なるといわれる。しかしそうだろうか?確かに、実際にあった話を脚色するという手法はこれまでとられたことがなかったし、純粋な人間ドラマというものも描いたことはなかった。しかし、リンチが最もリンチらしいところの映像やせりふといったものにはリンチらしさがにじみ出ている。急坂でファンベルトが切れてあせるアルヴィンのアップへと移るカメラの寄せ方、妊娠した家出少女とアルヴィンとの会話、ロングショットになると声もまた遠くなるとり方、その一つ一つを見てみれば、これは紛れもなくデビット・リンチ。
 ただひとついえるのは、それまでのリンチ作品のような緻密で複雑に絡み合った平行する物語がより単純化されたということ。それでも、単純にひとつの物語というのではなく、家出少女の物語や娘ローズの物語が、アルヴィンの一人称の物語という縦糸を斜めに横切っていく。
 この作品を撮るに際してデビット・リンチはアルヴィンと同じ道のりを(トラクターでではないけれど)たどってみたらしい。その辺りもデビット・リンチらしい緻密さである。リンチ作品を見ていつも思うことだけれど、「これは本当はもっともっと長い物語で、本当は4時間くらいで撮りたかったんじゃないかな」と思わずにいられなかった。やはり、デビット・リンチはデビット・リンチだったということか。 

2001年9月7日

 今回見て印象に残ったのは鹿。この鹿のシーンもまたリンチらしいシュールなユーモアを感じさせる部分。しかも、全く何も解決しないまま進んでしまうのがらしいところ。この映画に出てくるエピソードのほとんどはその後が語られない。そこに味があるのだと思いました。

波止場

On the Waterfront 
1954年,アメリカ,107分
監督:エリア・カザン
脚本:バッド・シュルバーグ
撮影:ボリス・カウフマン
音楽:レナード・バーンスタイン
出演:マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイント、リー・J・コッブ、ロッド・スタイガー

 ある波止場の沖仲仕の組合を牛耳る「やくざ」の親分ジョニーの指示で友達が殺されるのを目撃したボクサーくずれのテリーは、その妹イディが悲しむ姿に心動かされる。物語はテリーとジョニー(とその手下であるテリーの兄のチャーリー)との関係と、テリーとイディーの関係をめぐって展開される。
 徐々にイディーを愛し、ジョニーと対決してやろうと考えるようになっていくテリーを演じるマーロン・ブランドがとにかくかっこいい。白黒映画だが、その映像は素晴らしく、映像以外の効果も目を見張るものがある。

 エリア・カザンという先入観(*)から、どうしてもコミュニズムとの関係性をかぎだそうとしてしまう。組合という主題を扱い、組合員という大衆が私服を肥やす親分をやっつけるというストーリーは非常にマルクス主義的だ。あるいは、反ファシズム・反暴力(平和主義)的というべきかもしれない。それを象徴しているのは、親分にはむかったがために殺されてしまうテリーの鳩であり、無言でテリーの後押しをする沖仲士たちである。これは、密告してしまった仲間に対する罪滅ぼしなのだろうか?
 しかし、この映画の素晴らしさはその思想性にあるのではないだろう。マーロン・ブランドのかっこよさ。深みのある映像。さまざまな効果。たとえばたびたび登場し強い印象を残すスチールの階段。テリーとイディーの会話が汽笛にかき消される場面。そのように純粋な映画(映像芸術)としてのすばらしさがこの映画に時代性を乗り越えさせているものなのだと思う。
 * エリア・カザンは1950年代のマッカーシー旋風(赤狩り)に屈し、1952年に共産党と関係のあった演劇関係者の名を明かしたことから、「裏切り者」とされてきた。1998年にカザンにアカデミー名誉賞が送られたときにも、論議を呼んだ。

洗濯機は俺にまかせろ

1999年,日本,102分
監督:篠原哲雄
原作:松崎和雄
脚本:松岡周作
撮影:上野彰吾
音楽:村山達哉 
出演:筒井道隆、富田靖子、小林薫、百瀬綾乃、菅井きん

 「月とキャベツ」の篠原哲雄監督が、筒井道隆と富田靖子のコンビであいまいな恋愛関係を描いた佳作。中古家電屋に勤めるキザキの店に、雨の日、社長の娘節子突然やってくる。そこから微妙な関係が生まれてくるわけだが……
 ストーリーを言ってしまえば、2・3行で説明できてしまうような恋愛物語なのだけど、それを描く描き方がこの映画の素晴らしいところ。所々に散りばめられた、クスリと笑ってしまう笑いのエッセンスや、なんとなくほのぼのとしてしまう時の流れ方がなんとも幸せな気分に浸らせてくれる。

 この映画の何がいいのかといわれると難しい。一番近いのは「雰囲気」という言葉、別段笑えるわけでもなく、感動するわけでもないけれど、最初のキザキが洗濯機を懸命に押さえ込もうとするシーンからすうっと映画に入り込めて、最後までほおっと映画を見つづけることができる。
 何がそうさせるのか、第一に映像の自然さ、役者の縁起の自然さ。まるで篠原ワールドに最初から住んでいた住人のような役者たちはまったく違和感がない。むしろ、彼らの心理がわかってしまうくらい近しい存在のように感じられる。それから画面の広さ。焦点となっている役者や物を大写しにせずに、画面の中にそっと入れ込むやり方が見ている側に入り込む余地を与えている。そのような映画のなかの「余裕」がこの映画の素晴らしいところだろう。
 ただひとつ難点といえるのは、ストーリーであろう。話の展開が偶然性に頼りすぎているような観がある。セツコがオオガミとキスしているところにキザキが出会ってしまったり、オオガミがやくざと思われる借金取りに詰め寄られているところにセツコが通りかかったり、デートの約束をしていて結局会えなかった日、キザキがセツコを見つけたり。ある程度の偶然はドラマチックな展開には必要だろうけれど、ここまで執拗に偶然が重なると、全体の展開のリアリティーがそがれてしまうのではないかと感じた。

HANA-BI

1997年,日本,103分
監督:北野武
脚本:北野武
撮影:山本英夫
音楽:久石譲
出演:ビートたけし、岸本加世子、大杉漣、寺島進、薬師寺保栄、松田井子

 ビートたけし演じる西刑事と、病気の妻(岸本加世子)、怪我をしてしまった同僚の堀部刑事(大杉漣)の間に繰り広げられる人間ドラマ。映画に繰り返し挿入される様々な絵も、たけしの作品らしい。
 北野作品の魅力は「色」と「間」だと思う。海の「色」、空の「色」、セリフのない「間」、セリフなしで演技をする役者たちはすばらしい。この映画は「あの夏、いちばん静かな海」のやさしさと、「その男、凶暴につき」の激しさが同居するような作品。それだけに映画としてのまとまりを持つことは難しかったのかもしれない。しかし、北野ワールドが人をひきつけてしまうことは疑いようがない。

 相変わらず、北野たけしの「色」と「間」の扱い方は素晴らしい。しかし、映画のなかでくり返しくり返し挿入される絵には少し食傷してしまった。絵が重要なことはわかるし、その正しい意図を反映させるために自分で描いた絵を入れるということも理解できるが、その絵は十分に物語を語りきれていないと思う。 それ以外の要素ではやはり北野ワールドといえる安心感があった。寺島進の演技もすばらしいし、岸本加世子も素晴らしい。無言で演技ができる役者は素晴らしい。 個人的には、車をパトカーに偽装する場面が気に入った。緻密な計算から生まれるあいまいな笑いと、驚き。満足げにはにかみ笑いを浮かべる西刑事を見ながら、「この場面だけでこの映画は価値がある」と思った。