宇宙貨物船レムナント6

1996年,日本,42分
監督:万田邦敏
脚本:万田邦敏、麻生かさね
撮影:小渕好久
音楽:青木寿
出演:大和武士、田村翔子、山下哲生、並木史朗、清水佑樹、有吉崇匡

 AD2046、地球と火星のちょうど中間辺りを航行していた宇宙貨物船レムナント6に緊急事態が発生。閉じ込められた6人の運命は……
 短い時間の中にさまざまな要素を詰め込み、監督の心意気が感じられる。役者は個性的でいいのだが、いかんせん演技がぎこちなく、映画に入り込みにくくなってしまう。低予算・短時間の映画として考えればなかなかのできだが、やはり作品としての完成度は今ひとつ。しかし、万田監督の次回作に期待を持たせる一作。 

パラダイス・ビュー

1985年,日本,114分
監督:高峰剛
脚本:高峰剛
撮影:としおかたかお
音楽:細野晴臣
出演:小林薫、戸川純、細野晴臣、リリイ、辺土名茶美

 「沖縄映画」という発想としては、比較的早い時期のもの。沖縄のどこかの島の人々の生活を神話的世界と不思議な映像でつづった物語。沖縄のさまざまな風土が織り込まれ、それが生活に密着しているのだという主張が感じられる作品。
 細野晴臣が音楽を担当し、出演しているのがなんだか不思議だが、主要な三人以外は沖縄の役者を使っている。子役で出演している辺土名茶美は「DA PAMP」のISSAのお姉さん。 

 「琉球」ということを主張したいのもわかるし、実験的なものをつくりたいのもわかる。しかし、あまりに映画のプロットが複雑すぎて、ある特定の興味を持ってみている人でないと、興味を持ってみつづけることが困難な映画なのだろう。
 特に、頻繁に挿入されるストップモーションやネガの映像が、映画そのもののリズムを狂わせて(あるいはずらせて)いるために、全体が冗長なものに感じられてしまう。そのずらしによって何かを考えさせようというのだとしたら、その試みは成功していないと思う。
 2時間弱の映画なのに、かなり長く感じられたのはそのせいだろう。フレームの切り方や一つ一つのエピソードの作り方などは面白いので、飽きるというわけではないが、とにかく疲れる。
 細野晴臣の演技には苦笑。

告白

True Confession 
1981年,アメリカ,107分
監督:ウール・グロスバード
原作:J・G・ダン、ジョージ・ディディオン
脚本:ジョン・グレゴリ―・ダン
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル、チャールズ・ダーニング、バージェス・メレディス、エド・フランダース

 神父と刑事という兄弟が、年老いてから昔の思い出を回想する映画。二人がともにかかわりあった殺人事件から二人の運命は思わぬ方向に転がっていくことに。
 兄弟の心理的な葛藤を描いた心理サスペンス。言葉にならない心理を表現する名優二人の演技はさすが。 

 言葉のない「間」を使って緊張感を保ち、観衆を物語りに引き込んで行く方法は秀逸だが、名優二人の演技なくしては成功しなかったかもしれない。物語としては特に目新しいものもなく、警察や教会の腐敗というのもありがちな題材ではある。
 やはり、デ・ニーロとデュバルの演技ということに話は収斂してしまうが、二人の神や兄や弟や教会の利益や腐敗やさまざまなものに対する心理の揺れ動きもうまく表現されているという点がすばらしかった。

パリのレストラン

Au Petit Marguery 
1995年,フランス,95分
監督:ローラン・ベネギ
原作:ローラン・ベネギ
脚本:ローラン・ベネギ、ミシェル・フィールド、オリヴィエ・ダニエル
撮影:リュック・バジェス
音楽:アンジェリーク&JCL・ネイチョン
出演:ミシェル・オーモン、ステファーヌ・オードラン、アニエス・オバディア、アラン・フロマジェ、クリア・ケーム

 今日で閉店することになったパリのレストラン、「プティ・マルギュリー」に招待客たちが集まる。レストランで交差する人々の人生を描いた作品。「いわゆる」フランス映画の典型のような作品。適当に洒落ていて、適当にユーモアがあって、ロマンスが散りばめられ、などなど。
 料理の映像がリアルで、見ているだけでよだれがたれそうなところはなかなか素敵な映画でした。 

 この映画は、素晴らしい作品とはいえないが、面白いところはたくさんある。まず料理がおいしそう。映画で料理がおいしそうに映るというのはなかなかない。時間の行き来が自然。回想シーンというと、わざわざ映像を古めかしくしたりとわざとらしいものが多いが、過去の場面でも映像を加工せず、(最初は現在と区別できないくらいに)自然に描いているところが好感をもてた。
 登場人物がやたらと多いというところは諸刃の剣かもしれない。それぞれの人物の関係性(誰が誰でどんな人か)ということが最後にはわかるようになっているが、途中ではわけがわからず、映画なのかに入り込むのを妨げてしまう可能性がある。
 とにかく、いわゆるフランス映画といえばこんなものを想像する。どことなくこじゃれている。そのいちばんの要因は適度に「隠す」こと。すべてをつじつまが合うように見せるのではなく、観衆の想像の余地を残しておくこと。この映画で言えば、荒れるダニエルをアガメムノンが慰める場面、どうやったのかはわからないがとにかく、ダニエルは元気になって帰ってくる。ダニエルとオスカー(だっけ?)の愛情、オスカーとアガメムノンの友情、その絆の強さをさりげなく伝える。この辺がフランス映画。

南東からきた男

Hombre Mirando al Sudeste 
1986年,アルゼンチン,107分
監督:エリセオ・スビエラ
脚本:エリセオ・スビエラ
撮影:リカルド・デ・アンヘリス
音楽:ペドロ・アスナール
出演:ウーゴ・ソト、ロレンツォ・クィンテロス、イレーネ・ベルネンゴ、クリスティーナ・スカラムッサ

 田舎の精神病院に勤めるデニスのところに突然現れた青年ランテースは、自分は宇宙船で地球にやってきたと主張する。そのこと意外はすべて正常な彼はいったい何のために精神病院にやってきたのか?アルゼンチン版『カッコーの巣の上で』とも言える作品。

 ランテースは果たして「キリスト」なのか?
 ランテースをキリストとし、デニスは自分をピラトゥに例えるが、それならば救われるべきローマの民は精神病院の患者たちということになる。果たしてそのような図式でこの映画は成り立ちうるのか?精神病院という閉ざされた世界でのみ語られる物語は、全的な救済の一部として描かれているのか?
 好意的にとれば、この物語はランテースによる救済の物語と考えることもできるが、救済されるべき(無知な)人々として精神病患者たちを取り上げるというのはどうにも落ち着きが悪い。しかもその患者たちはあくまで没個性的であって、非人間的である。それに対して、医師のデニスは内面も深く描かれ、人間的である。非人間的な患者たちが徐々にランテースに感化され、人間デニスの苦悩はいっそう深くなってゆくという構図はあまりに安直で納得がいかなかった。
 映像は非常に美しいのだけれど、その美しさまでもがなんだか作り物のように見えてきてしまって辛かった。

北北西に進路を取れ

North by Northwest 
1959年,アメリカ,137分
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーネスト・レーマン
撮影:ロバート・バークス
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メーソン、マーティン・ランドー

 ヒッチコックの名作のひとつ。やり手の広告マン・ソーンヒルはホテルのレストランでカプランという男に間違えられ、拉致される。そこで殺されかけたソーントンは事件に巻き込まれ、意思とは関係なくさまざまなことが身に降りかかってきてしまう。
 あらゆる映画の原型がここにある。サスペンス映画の原点ともいえる名作。ヒッチコックとしては「巻き込まれ型」サスペンスの集大成といった感じ。はらはら感もなかなかのものです。

 ヒッチコック作品の中でも非常に評価の高いこの作品はそれ以後の映画に大きな影響を与えたといえる。それは単純な技術的な問題から、エピソードのパターンにいたるまでさまざまだ。
 いろいろな映画で目にする「よくある」シーンというのがこの映画にはたくさん出てくる。列車で出会ったソーンヒルとイヴが互いによけようとしてぶつかる場面、ソーントンが窓から建物の壁伝いに逃げる場面、飛行機に襲われる場面、などなど、そのすべてがすべてこの映画がオリジナルというわけではないが、その中のいくつかは、この映画ではじめて使われ、それ以後よく使われるようになったシーンだということができるだろう。
 フィルムのつなぎや、カメラのズームイン・アウトなど少し粗いところも見られるが、それは技術的な質の問題であり、時代から考えて仕方のないことだろう。 

 イギリス時代から比べれば、画質、編集技術などあらゆる面で高度になっている。それはもちろんハリウッドの潤沢な予算、高度な技術を持つスタッフがいてのこと、そしてヒッチコックの経験もものをいう。ヒッチコックとしては、この映画は『逃走迷路』を始めとするイギリス時代から綿々と続く「巻き込まれ型」サスペンスのひとつの集大成という意味がある。だからこそ、これだけ完成された形の映画を作り、一つのスタイルを確立させたと言える。
 しかし、イギリス時代のものと比べてみると、いわゆるヒッチコックらしさというものは薄まり、ドキドキ感も薄められてしまっているような気もしないでもない。この映画にあるのは一つのハリウッドというシステムによるエンターテインメントとしての見世物的な面白さ、イギリス時代の荒削りな作品にあったのはヒッチコックが観客と勝負しているかのような緊迫感のある面白さ、その違いがある。
 だからこの映画はヒッチコックの面白さを伝えてくれるし、この映画によってヒッチコックの世界に引き込まれることは多いとは思うが、他の作品をどんどん見ていくにつれなんとなく物足りなさを感じるようになってしまう作品でもある。
 ヒッチコック自身もそれを感じたのか、この次の作品『サイコ』ではイギリス時代に回帰するかのように白黒の荒削りな映像を使い、派手な動きもなく、大きな仕掛けもない(飛行機も飛ばない)映画を作った。ヒッチコックが今も偉大であり続けられるのはそのあたりの自己管理というか、自分をプロデュースしていく能力に秘密があったかもしれない。

ドレミファ娘の血は騒ぐ

1985年,日本,80分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清、万田邦敏
撮影:瓜生敏彦
音楽:東京タワーズ、沢口晴美
出演:洞口依子、伊丹十三、麻生うさぎ、加藤賢宗

 黒沢清監督の「神田川淫乱戦争」に続く長編第2作。当初にっかつロマンポルノの一作として公開される予定だったが、試写を見たにっかつ側が「これはポルノではない」と拒否し、ディレカンとEPICソニーの出資で追加撮影、再編集が行われ、2年後に一般映画として公開されたという逸話を持つ作品。黒沢監督の一般映画デビュー作となった。
 物語は平山教授(伊丹十三)とアキ(洞口依子)を中心に展開されるが、物語らしい物語はなく、なんとも不条理な世界が展開する。  加藤賢宗の俳優デビュー作でもある。

 伊丹十三は「神田川淫乱戦争」を高く評価し、この映画への出演が実現した。その後も黒沢と伊丹の関係は続き、黒沢清は伊丹プロ製作の「スウィートホーム」の監督をするなどした。
 この映画はとにかく、破天荒で、以下にもデビュー作という感じがして面白い。同じくピンク映画で監督デビューした周防正行(「変体家族・兄貴の嫁さん」)と比較してみても面白いかもしれない。このふたりは同じ立教大学の出身で、年もほぼ同じ、同じ蓮実重彦の授業を受けていたらしい。蓮実重彦は周防監督の「変体家族~」を84年度のベストファイブに推し、当時お蔵入りとなっていた「女子大生・恥ずかしゼミナール」(この映画の原題)をみて、「変体家族~」と並べて評価している。
 カルトな映画ファンなら見逃せない作品かもしれない。

ピカソ-天才の秘密

Le Mystere Picasso 
1956年,フランス,78分
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、パブロ・ピカソ
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ジョルジュ・オーリック
出演:パブロ・ピカソ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、クロード・ルノワール

 パブロ・ピカソが絵を描く、筆の走りをスクリーンの裏側から取ったドキュメンタリー。徹頭徹尾ピカソの創作が映され、他のものは一切ない。天才の絵の描き方というのが以下に理解しがたいものかということが納得できてしまう秀作。
 名監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと名カメラマン:クロード・ルノワールもちょこっと画面に顔を出す。

グループ魂のでんきまむし

1999年,日本,119分
監督:藤田秀幸
脚本:藤田秀幸
撮影:関口太郎
音楽:北野雄二
出演:阿部サダヲ、宮藤官九郎、村杉蝉之介、井口昇、松尾スズキ

 大人計画から誕生したコントグループ「グループ魂」を主人公にしたドタバタ映画。あまりに馬鹿馬鹿しく、あまりに斬新。気に入らない人はきっと気に入らない。でも、好きな人はムチャムチャ好きになるはず。
 物語はコントグループ「グループ魂」の結成からの紆余曲折を描いたもの。しかし、物語よりも、そのおかしさと不気味さと停滞感と、単純にコメディと呼ぶことは出来ないのだけれど、どうしようもなく笑ってしまう、その雰囲気。
 いまや売れっ子となった松尾スズキやあるところでは有名な井口昇といった脇役が非常に味がある。 これを見ていないあなたは、人生で一つ損をしている!

 1999年、最高の映画といってもいいでしょう。きっとビデオにはならない。また劇場でやるかもわからない。でも、俺はこの映画が好き。監督にサインまでもらってしまいました。中でも、忍者の井口君が最高に好きですね。ここで豆知識。井口昇というひとは、本業といえるのはAVの監督だが、一般映画の監督をやったり、映画に出ていたりする人で、監督作としては「くるしめさん」や「毒婦」がある。出演作としては、「アドレナリン・ドライブ」(矢口史靖監督)など。
 さらに、内部情報。この映画は実は歩合制らしく、出演時にはノーギャラ。観客動員数に合わせて出演者にギャラが支払われると言うシステムらしい(藤田監督談)。ということなので、私は3回見に行きました。
 この映画の何がすばらしいか、それはすべての笑いの要素がぎゅっと詰まっていること。不条理・暴力・駄洒落・下ネタ等々。私が特に好きな場面を例に示してみると、
 ・平和部部長の間をはずした「アチッ」。
 ・松田優作同好会。そして、あんまし甘くないやつ。
 ・マネージャーを含めた4人で飲みながら、マヨネーズをビシュッとやる場面。
 ・町屋エツコと寝てくれと説得されそうなバイト君が、ウサギが飛び出る靴をもらって遊ぶ場面。
 ・井口君の頭の中の一連の独り言「飯でも食って出直そう」。
 もうひとつ素晴らしいのは、映画的なカメラワークや編集技術だろう。芝居という場ではできない表現がさまざま駆使されているので、大人計画の芝居とはまったく違うものとして成立しえている。短いカットをつなぎ、そこに長いセリフを乗せたり、松尾スズキの右の横顔だけで数分引っ張ったり、映画的工夫が各所に凝らされているため、ただのギャグ映画の域を越えられたのだと思う。 

 新しく仕入れた知識としては、この映画は複数のビデオカメラ(Hi8)を同時に回し、同じ場面を同時に複数のフレームで撮るということをやっているらしい。そのため、これだけ短いカット割でしかもライブ感のある映像が作れたということだろう。ハリウッド映画なんかの場合は一台のカメラで同じ場面を複数回撮るので、役者は同じ演技を何度もしなくてはならない。そうするとどうしてもアドリブを入れるのは難しくなるし、役者の自由度が下がってしまう。それと比べるとこの「グループ魂」では役者がはるかにのびのびと演じているし、話を聴くところによると、せりふもキッチリと決まってはおらず、役者自身の言葉で語らせたらしい。

ジプシーのとき

Dom za vesanje 
1989年,ユーゴスラヴィア,126分
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:ゴラン・ブレイゴヴィク
出演:タボール・ドゥイモビッチ、ボラ・トドロビッチ、ルビカ・アゾビッチ、シノリッカ・トルポコヴァ

 本物のロマ(ジプシー)の生活を彼らの言葉であるロマーニ語で描いた傑作。祖母と放蕩ものの叔父と足の悪い妹との4人で暮らす少年パルハンの成長物語。美しい娘アズラとの恋、妹の病気、ヤクザものアメードなどさまざまな人事が絡み合い、パルハンを悩ませる。
 どのカットどのフレームを切り取っても美しい(というのは必ずしも正確ではない。むしろ、魅惑的とでも言うべきだろうか)映像が目を見張る。エミール・クストリッツァの詩的世界を心ゆくまで堪能できる。

 この映画の最大の魅力はその映像にある。すべてのカットすべてのフレームに詩情があふれ、絶妙の色使いが心に焼きつく。さりげない地面の緑や、建物の赤や黄色、人を映すときのフレームの切り方など、枚挙に暇がない。
 たとえば、冒頭の精神病らしい男、上は頭の上ぎりぎりで、下は腿の辺りで切ってあるが、このバランスがなんとも素晴らしい。男は風景の中に溶け込みながら大きな存在感を持つ。それから、最後のほうで、パルハン(主人公のほう)がタバコを吸う横顔のアップがあったが、これも、そのアップを画面の中央に置くのではなく、左端に配し、顔の4分の1ほどが切れるように映してある。残りの画面には白っぽい後ろの景色が少しピントをぼかして映っている。このバランスが素晴らしい。
 しかし、こんなことをくどくど説明したって、その素晴らしさの百分の一も伝わらないんだろうな。