出来ごころ

1933年,日本,100分
監督:小津安二郎
原案:ジェームス槇
脚本:池田忠雄
撮影:杉本正二郎
出演:坂本武、伏見信子、大日方傳、飯田蝶子、突貫小僧(青木富夫)、谷麗光

 隣同士の喜八と次郎は同じ工場で働き、いっしょにおとめの店でめしを食う。喜八はやもめで息子の富夫と二人暮らし、次郎もひとり身だ。二人は富夫も連れて浪花節を身に行った帰り、分けありげな女に出会う。お調子ものの喜八は宿がないという女をおとめの店に連れていく。その女春江は結局おとめの店で働くことになった。
 少年もので人情ものでメロドラマ。サイレント期の娯楽映画の要素がぎっしり詰まった作品は、テンポよくほのぼのとしてなかなかいい。

 なんてことはない話、なんとなく面白い。サイレント映画なんてほとんど見たことはないし、見る作法もわからないし、飽きちまうんじゃないかと思うけれど、これが意外と見れてしまう。この映画はかなりセリフが出てくる(もちろん文字で)ので、なんかどこか漫画的な、でもしっかりと映画で、不思議な感覚。それもこれもやはりストーリテラーとしての小津の才覚、そして細かいところに気を配る小津の映画術のおかげなのか? といっても、どこがどうすごいといえるほど細部に目がいったわけではなく、ただ人の身振りってのはセリフがないほうがよく見えるとか、そんなことにしか気づきはしなかった。
 でも、他のも見てみたいと思わせるくらいには面白く、富江を演じる伏見信子も色っぽく、突貫小僧も面白い。日本人にとっての原風景といってしまうと陳腐になってしまうけれど、映画に限っていえば「これが原点だ」といってしまえるようなそんな雰囲気のある映画。確かに成瀬やマキノもいるけれど、やっぱり小津かな、そんな気にさせる不思議な魅力でした。

DEAD OR ALIVE 犯罪者

1999年,日本,105分
監督:三池崇史
脚本:龍一朗
撮影:山本英夫
音楽:遠藤浩二
出演:竹内力、哀川翔、田口トモロヲ、大杉漣、杉田かおる、寺島進

 刑事の城島は新宿で起こった2つの殺人事件になにかきな臭いものを感じ、部下の井上と捜査をはじめる。そこに浮上してきたのは帰国した残留孤児たの息子たちのチンピラグループ。中国系マフィアとヤクザが絡み、新宿を舞台とした生きるか死ぬかの大戦争が始まった。
 と、書くとまったくアクション映画ですが。そして確かにアクション映画ですが、この映画の真髄はそこにはない。本当にアクション映画のフリをしながら、あらゆる映画作法を壊して壊すはちゃめちゃさ。「おもしろい」という言い方しか誤解を招かず説明するやり方がない。そんな面白さ。傑作です。

  本当にすごい。まず最初のモザイク上の一連のシーンで圧倒される&笑える。そこから落ち着いて普通のアクション映画になったと思いきや、そこここにちりばめられた笑える効果。しっかりとしたアクション映画なのに、どうしてそんなに笑えるの。ああすごい。しかもばか笑いではなくて、にやりというかなんというか、味のある笑い。バカ映画というのではなくすごい映画。本当にこれは見なきゃわからないね。この面白さは。
 少々冷静に分析すると、何といっても意表を突くすごさがあるでしょう。
 たとえば、車の爆発するシーン。見ていて「ああ、二人は死んじゃうんだろうな」とは思うけれど、そこであの大爆発はねーよな。という驚き。最初でいえば、もちろん撃たれてラーメンが噴出したりと。最後のほうでは、「これでラストシーンてわけか」というセリフ。最後の盛り上がり場の撃ち合いシーンで、なぜか後ろで聞こえる鳥の囀り。そしてもちろんラストシーンは最高です。
 いえば切りのない素晴らしい発想の数々。この映画を見ていない人は人生損しているとは思いませんか? ねえ皆さん。

 この作品はシリーズ化され、3作目まで作られていますが、続編は今ひとつという感じ。そして、三池崇史は驚くほどたくさんの映画を作っていますが、結構当たりはずれが激しいという感じ。この作品のヒットなどもあってすっかり大物監督という感じになってしまったものの、基本的にはVシネのチープさが売りなので、そういう映画のほうが面白い。そういえば、『ゼブラーマン』をまだ見ていないけれど、あれは面白いかもしれない。などと思ったりする。

生まれてはみたけれど

1932年,日本,91分
監督:小津安二郎
脚本:伏見晃
撮影:茂原英雄
出演:斎藤達雄、菅原秀雄、突貫小僧(青木富夫)、吉川満子

 郊外に越してきたサラリーマン一家。2人の腕白兄弟は早速近所の悪ガキと喧嘩、引越し前の麻布ではいちばんつよかった兄ちゃんはここでもガキ大将になれるのか?  そんな二人も頭の上がらない父さんを二人は世界で一番えらいと信じていた。しかし、引っ越してきた近所には父さんの会社の重役が、果たして父さんは威厳を保ちつづけられるのか?
 非常に軽妙なタッチですごく躍動感のあるフィルム。登場する子供ひとりひとりのキャラクターが立っていて非常にいい。映像のリズムがよくて音を感じさせる演出なので、サイレントでもまったく苦にはならない。

いわゆる静謐な「小津」のイメージとは違うこのサイレント映画は画面のそこここに「音」が溢れている。そして非常に巧妙なストーリー展開。
 私はちゃんと細部まで観察しようという意気込みで劇場に座ったのだけれど、見ているうちにぐんぐんと物語に引き込まれ、気づいてみればもうラストという感じで見てしまった。90分という長さは当時の映画としては長尺だが、今見れば非常に心地よい長さ。やはり映画の理想は90分という自説は正しかったのだと再確認してみたりもしました。
 「何がよかったのか」と効かれると非常に困る。ストーリーはもちろんよかった。子供たちのキャラクターがよかった。出てくる子供たち(8人くらい?)のそれぞれが非常に個性があり、映画が始まって20分もすれば見分けがついてしまう。これは非常に重要なことだと思う。といっても、それが面白かったというわけではない。具体的にいえば、2人が学校から逃げ出す間合いとか、犬がお座りして2人見送るその画だとか、通って欲しいところで必ず電車が通過するその演出だとか(何と目蒲線!)、いろいろです。
 やっぱり小津ってすごい。

ジャム・セッション 菊次郎の夏<公式海賊版>

1999年,日本,93分
監督:篠崎誠
撮影:河津太郎
音楽:久石譲
出演:北野武、候孝賢、「菊次郎の夏」全スタッフ・キャスト

 「菊次郎の夏」の撮影に同行しカメラを回した篠崎誠監督のドキュメンタリー・フィルム。撮影現場の映像に加え、撮影期間中に来たの監督の元を訪れた候孝賢監督と北野監督の対談の様子も収めた。
 いわゆる「北野組」の映画への姿勢、現場の雰囲気などが臨場感を持って伝わってくる作品。監督でありかつ主演でもある北野武(ビートたけし)の現場での活躍もみもの。

 撮影には恐らくデジタルビデオが使われ、そこの実際の映画のフィルム映像がはさみ込まれる。いわゆる「映画撮影の裏側!」的なフィルムとしてではなく、監督北野武とスタッフ・キャストを描いたドキュメンタリーとして撮られているところが素晴らしい。
 作品同様撮影現場にも笑いが溢れているということが伝わってくる。この作品を見ていると、「菊次郎の夏」という映画は映画を見ているより、撮影しているほうが楽しいんじゃないかと思えてくる。それがいいか悪いかは別にして、そんな現場の雰囲気をうまく伝えているところがこのフィルムのいいところ。 
 候孝賢がでてきたり、美術スタッフの奮闘が描かれていたり、マニアには見どころがたくさんという感じですが、やはりメイキング・ビデオという性格上、散漫な感じになってしまっています。仕方がないとはいえ、もっとドラマティックに展開して行くとまた別の面白さがあったのでは、などとも思ってしまいます。

菊次郎の夏

1999年,日本,121分
監督:北野武
脚本:北野武
撮影:柳島克己
音楽:久石譲
出演:ビートたけし、関口雄介、岸本加世子、吉行和子、細川ふみえ

 父親が交通事故で亡くなり、おばあちゃんと一緒に暮らす少年正男。彼にとって夏休みはひどくつまらない時期だった。友達は旅行に行ってしまい、サッカー教室も休み。そんな夏休み、正男は顔すらも覚えていない母親を探しに豊橋へと行くことを決意した。そんな正男を心配する近所のおばちゃん(岸本加世子)は仕事もなくふらふらしている自分の夫に正男を連れていってくれるよう頼む。
 大人になりきれない男と、少年のロードムービー。北野監督はこれまでの暴力的な作品から一転して、笑いに溢れた暖かい作品を撮り上げた。
 久石譲作曲のテーマ曲が頭に残る。

 全体的な北野的「間」はこれまでの作品とかわらないが、全体の雰囲気や色調はがらりと変わっている。かなり「笑い」の要素を重視した作品。それでも、ビートたけし名義で撮った「みんな~やってるか!」とは明らかに違う北野的世界。しかしセリフをそぎとった「間」は健在。果てしなく晴れた空も「キタノ」の色だ。
 個人的に好きなのは、井出らっきょとグレート義太夫のハゲのおっちゃんとデブのおっちゃん。この二人が絡む一連のシーンの間と笑いがとてもいい。

二人の銀座

1967年,日本,84分
監督:鍛冶昇
脚本:才賀明
撮影:山崎善弘
音楽:林一
出演:和泉雅子、山内賢、和田浩治、小林哲子、伊藤るり子、尾藤イサオ

 日比谷公園の電話ボックスに置き忘れてあった楽譜の曲をライブハウスで演奏してしまった学生バンド。その曲が評判を得つつある頃、その曲の作曲者が行方不明であることを知る。
 ベンチャーズの曲に永六輔が詩をつけた「二人の銀座」をモチーフに作られた映画。ブルー・コメッツなど当時人気を博していたバンドが出てきて、エレキを演奏するのが見もの。

 映画としてはなんてことはない。シナリオもひねりもないし、映像も至って普通。役者の演技もうまくない。大学生にしてはふけすぎてる。などなど。
 しかし、音楽はなんとなくいい。決して懐かしいはずはないのだけれど(何せ生まれてませんから)なんとなく懐かしい。耳に残って離れない。ちょっと聞いて、「ベンチャーズ」っぽいなと思ったら、本当にそうだった。何でわかるんだ? いったい俺はいくつなんだ?
 途中ちょっと飽きたけど、結構面白かったですよ。昔の銀座の風景というのもなかなか興味深い。少し画面が暗かったのでわかりにくかったのが残念でしたが、「銀座だな」ということはわかる。

恋は舞い降りた

1997年,日本,114分
監督:長谷川康夫
原案:遊川和彦
脚本:飯田健三郎、喜多川康彦
撮影:矢田行男
音楽:橋本文雄
出演:唐沢寿明、江角マキ子、今村恵子、沢村一樹、玉置浩二、渡辺えり子

 天使のミスであやまって死んでしまったやり手のホスト神崎啓一郎。「生き返らせろ」と突っかかる啓一郎に天使が妥協案を示した。それは、「地上で最初に言葉を交わした女性を幸せにできたら生き返らせる」というもので、そのために4つの願いをかなえられるというのだ。というわけで、啓一郎は偶然言葉を交わしたバツイチの女性マチ子を幸せにしようと奮闘するのだが…
 脚本家として知られる長谷川康夫が豪華キャストで監督したまっとうなラブストーリー。 

 別にストーリーが悪いとか、役者が下手とか、そういうことはまったくないんだけれど、なんとなく全体に古臭い。80年代のトレンディードラマの香りがする。カメラの使い方も映画というよりはドラマ。特に、唐沢寿明が雪だるまの中に入って二人が会話するシーンでの二人の主人公のアップの切り返しが延々と続くのはかなりきつい。しかも、唐沢寿明のほうは雪だるまの中からの視点で、江角マキ子のほうは雪だるまの外からの視点。いったい何の意味があるんだ! 大スクリーンであんなわけのわからんアップ続けられたらぶちきれるぞ! というくらいのシーンでした。
 それ以外でもかなりつたないところがたくさん。ひとつあげれば、最後にヘリで上から東京の街を撮るところ、ヘリに乗っているからだろうけれど街の画は相当ぶれているのに、そこに降りしきっているはずの雪はまったくぶれない。かー、あとづけばればれだぞ!
 あまりのちゃちさに怒り心頭。まだ「シベ超」のほうがよくできてる。
 江角マキ子はきれい。なんか若く見えるけど、それほど前でもないんですね。 

M/OTHER

1999年,日本,147分
監督:諏訪敦彦
撮影:猪本雅三
音楽:鈴木治行
ストーリー:諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子
出演:三浦友和、渡辺真紀子、高橋隆大、梶原阿貴

 一緒に暮らす男と女、男・哲郎(三浦友和)は離婚経験があり、子供が一人いる40代のレストラン経験者、女・アキ(渡辺真紀子)は(おそらく)20代でデザイン会社に勤めるOL。ある日、男は女と暮らす家に息子・俊介(高橋隆大)を連れてきた。哲郎の元妻が交通事故で入院し、1ヶ月くらい一緒に暮らすつもりで連れてきたらしいのだが…
 自由な関係であったはずの男女が、一方の子供という要因が加わることによってその関係が変化して行くさまを描いて行く。ほとんど脚本がなかったという映画のストーリはー出演者たちによって組み立てられていった。 何よりも映像に力強さがあり、まさに「ジョン・カサベテスを髣髴させる」という評価がしっくりとくる力作。

 この映画、まず冒頭の5分くらいのパン移動だけの長まわしに度肝を抜かれるが、人物がフレームからいなくなったり、人物がいないところで声だけがかすかに聞こえたり、奥のほうが暗かったりという映像が「ああ、ジョン・カサベテス」という印象を生む。そして終始この「ああ、カサベテス」という印象は続く。暗い画面、カットをつなぐときの長い空白、一方しか映さない会話のシーン、アドリブとしか思えないセリフ運び、などなど。
 個人的には暗い画面の映画というのは嫌いなんですが、この映画に限ってはまったく苦にならなかった。それだけ、画面の構成に力がある。フレームに区切られた構図(しかもそれはしばしば固定されたまま長時間続く)の不安定さが抽象画を見ているようなスリルを与えてくれる。安定してはいないのだけれど、調和の取れているという危うい美しさ。これは大部分は偶然の産物ではなくて、計算されたものだと思う。特にライト(撮影用のではなく、物として置かれているライト)の配置に工夫が凝らされていて、画面の構成が面白くなるようにライトの配置が常にされている。
 ストーリー的には、登場人物があまりに自己中心的で、あまりにストイック過ぎるのが気になったが、このように描かれてしまう男女関係というのも確かにあるなという感じはする。結局、二人の間で言葉によって何かが話し合われることもなく、二人の関係は変化していってしまう。そのあたりは「なるほどね」という感じでした。

ナビィの恋

1999年,日本,92分
監督:中江裕司
脚本:中江素子
撮影:高間賢治
音楽:磯田健一郎
出演:西田尚美、村上淳、平良とみ、登川誠仁、平良進

 しばらく東京で働いていた奈々子(西田尚美)は、祖父恵達と祖母ナビィの暮らす島へと帰ってきた。奈々子と同じ船で島にやってきた老紳士(平良進)は戦前に祖母ナビィの恋人であったサンラーであった。
 果たしてサンラーとナビィと恵達の間にはどんな物語があったのか?そして、奈々子と同じ船でやってきた大和人(ヤマトンチュ)福之介と奈々子、奈々子の幼馴染のケンジとの関係はどうなるのか?
 沖縄の風景をうまく生かした映像と、アレンジされた沖縄音楽が映画の完成度を高めている。平良進、嘉手苅林昌、大城美佐子ら沖縄の名優・大歌手が脇を固め、味わいのある演技を見せている。 

 大満足。いい画がたくさんあった。たとえば奈々子が自転車でおばを追いかけてゆくところ、ナビィがサンラーの腕をつかんだところで海へパン、何とか商店(名前忘れた)の黄色い建物をローアングルでとって空を抜いたところ、などなど。挿入されるサイレンとも、映画にアクセントを加えるという意味では非常に効果的。そこにつけられた恵達のナレーションも面白い。
 物語で言えば、ナビィと恵達の間の心の動きが穏やかながらも味があり、それを映画的に消化できているので良かった。
 疑問が残るのは、ひとつは恵達の英語まじりの話し方。あれは役者の登川誠仁さんがもともとあういうしゃべり方だから必然的にそうなったらしいが、沖縄の人たちにとって、あのような喋り方がどういう意味を持つのかが少し気になった。
 あとは、ユタが完全に無視されてしまっていること。ユタの言ったことにナビィと奈々子はことごとく歯向かったのだけれど、結局奈々子は子宝に恵まれ、家が滅んでいるようには見えない。これはユタを否定してしまっているということなのだろうか?奈々子が「あの、インチキユタ!」と言う場面があったが、そんなに簡単にユタの聖性を否定してしまっていいのかは疑問が残る。
 と、映画的というよりは社会的(政治的)な疑問を呈してみたわけですが、純粋に映画としては文句なし。恵達の「ゲンキ」Tシャツが欲しい。どっかで手に入るのかなぁ? 

 登川誠仁さんは「沖縄のジミ・ヘン」と呼ばれる三線(サンシン)の名手で、普段から映画どおりの不思議なしゃべり方をするそうです。
 今回見て気づいたのは、夕暮れの美しさですね。それもいわゆる夕暮れのオレンジ色の光というのではなくて、単純に昼間が暗くなった感じの光加減。しかし、もともとの色合いがあまりに鮮やかであるために夕暮れ時の少しくすんだ色のほうが魅力的に見えるというような意味での夕暮れの美しさ。空がスチールブルーになり、人や物の輪郭がぼやけるその時間帯がこの映画の最も美しい時間帯。だからこそ奈々子と福の助のラブ・シーンもこの時間に持ってきたのでしょう。
 それから、今日WOWOWで見ている限りでは「ゲンキ」Tシャツに気づかなかったのだけれど、それは私が単に見落としただけなのだろうね。オリオンビールTシャツばかりが目に付いてしまった。そんな微妙な編集はしないだろうけれど、もしかしたら著作権関係で編集?などと考えてしまいました。きっと考えすぎ。

ポケットモンスター 幻のポケモンルギア爆誕

1999年,日本,90分
監督:湯山邦彦
原案:田尻智
脚本:首藤剛志
作画監督:一石小百合
音楽:宮崎慎二、たなかひろかず
出演:松本梨香、大谷育江、飯塚雅弓、山寺宏一、鹿賀丈史

 ポケモンの映画版第二弾。今回は、南の島を舞台に守り神のポケモンを捕獲する悪役(声は鹿賀丈史)とサトシたちが戦うというもの。舞台となる島の言い伝えが物語りの鍵となる。
 これが公開されていた去年の夏、イラン映画祭に行くためキネカ大森に行ったところ、親子連れの集団が。「お、キアロスタミは子供にも大人気か!?そんなわけねーな」と思っていたら、スクリーンのひとつでポケモンをやっていました。そのとき改めてポケモン人気を実感したわけですが、この映画、かなり作りがうまくて、いわゆる「子供のアニメ」とはいいきれないものを感じました。
 しかし逆に、いつものポケモンたちの活躍度が低く、「ポケモン」としてはいまいちのような気もしました。 

 冒頭で悪役が乗っているマシンがCGというところでいきなり度肝を抜かれましたが、ほかにはかなり音響に凝っている(音源がいい)、キャラクター設定がしっかりしている。など決して子供のものとはいえないできでした。
 いわゆる「子供のアニメ」(ポケもんとかドラえもんとか東映マンガ祭りとか)と「大人にも向けたアニメ」(宮崎駿とか大友克洋とか)の差が小さくなっているということでしょうか。しかし、この映画は宮崎駿っぽさも目に付き気になりました(たとえば、ラストのエンドロールはまさに「ナウシカ」)。
 日本のアニメ(中でもヒットするもの)は少なからず「ナウシカ」か「アキラ」の影響を受けているような気がしますが、これもその一例でした。