オータム・イン・ニューヨーク

Autumn in New York
2000年,アメリカ,107分
監督:ジョアン・チュン
脚本:アリソン・バーネット
撮影:クー・チャンウェイ
音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:リチャード・ギア、ウィノナ・ライダー、ジリアン・ヘネシー、アンソニー・ラパグリ、アシェリー・ストリングフィールド、エレイン・ストリッチ

 枯葉舞う秋のニューヨーク、高級レストランのオーナーでプレイボーイのウィルはまたも恋人との短い付き合いに終止符を打った。その時公園で見かけた美女に自分の店で再会した。ウィルは彼女を口説き落とすが、彼女は思い病気であと1年も生きられない体だった。
 すべてが教科書通りのラブ・ロマンス。ストーリーも先の展開が読め、セリフもクサイし、ああ、べたべた。救いとなるのはウィノナ・ライダーのかわいさか、リチャード・ギアの笑い皺か。あとは映像が澄み渡るようにきれいだったこと。

 すごいです。こんなに潔いハリウッド映画は久しぶりに見ました。いまどきセントラルパークの空撮から入る映画なんてそうはない。そして、最初のシーンで使われているエキストラたちの白々しいこと。
 楽しみといえば、次ぎのシーンがどんなシーンかを予想すること。すべては典型的なラブ・ロマンスの撮り方、つくりかた。二人は思っていることをすべてセリフにしてしゃべる。クライマックスはスローモーション。
 リチャード・ギアはあそこまで行くと病気だとか、忙しいはずの医者がどうしてシャーロットのためにはニューヨークまで飛んでくるのか(クリーブランドの患者はどーすんだ)とか、シャーロットはばあちゃんに思いやりのあるせりふをはきながら、クリスマスはウィルと二人っきりで過ごしている(ばーちゃんは置き去りかい)とか、突っ込んでいけばきりもない。
 監督は「シュウシュウの季節」で監督デビューした女優さんだそうです。カメラは「さらば、我が愛 覇王別姫」で知られる人だそうで、なるほど。という感じ、確かに映像はきれいだった。
 そういえば、コックの奥さんをやっていたシェリー・ストリングフィールドは「ER」でスーザン・ルイスをやっていた人ですよね。それはなんだかうれしかった。ちょっと太ったかな。

ブレイブ

The Brave
1997年,アメリカ,123分
監督:ジョニー・デップ
原作:グレゴリー・マクドナルド
脚本:ポール・マッカドン、ジョニー・デップ、D.P.デップ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:イギー・ポップ
出演:ジョニー・デップ、エルピディア・カリーロ、マーシャル・ベル、フレデリック・フォレスト、マーロン・ブランド、イギー・ポップ

 家族のために仕事を探していたネイティブの男がバーで知り合った男に紹介された仕事はスナッフ・ムービー(実際に人を殺す映画)への出演だった。家族のために彼は出演を決意し、最後に与えられた一週間を過ごしに家に帰るのだが…
 ジョニー・デップの監督・脚本作はネイティブへの差別を描いた社会派ヒューマンドラマ。アメリカに根強く残る差別構造を描いているのだが、果たしてうまく描ききれているのか?
 マーロン・ブランドが特別出演、『クライ・ベイビー』で競演したイギー・ポップが音楽を担当、カメラは『アリゾナ・ドリーム』のヴィルコ・フィラチと周りはしっかりと固められている。

 ネイティブを描こうとしている割にはネイティブの登場人物が少ない。メディスンマンっぽい爺さんが出てくる以外は、アフリカ系神父が出てきて、ルイスというヒスパニック系のチンピラが出てくるくらい。社会の最下層の間に区別はないとでもいおうとしているのか?そのわりにはネイティブのスピリチュアルな儀式をやって見たり、どうにもまとまりが悪い。狙いがわかりにくい。
 スナッフ・ムーヴィーという発想はなかなか面白いのに、それがあまり活かされていないような気もする。
 遊園地でカメラをパンしてゆくとジョニー・デップが次々違う乗り物に乗っているところや、水に潜って次のシーンでは岸に座っているところなど工夫しようという意思は感じられるが、果たしてそれに効果があるのかというと、それは疑問。簡潔な感想で言ってしまえば、俳優に専念しなよ!という感じでした。
 多用されている「間」も、やはりジャームッシュやクストリッツァの「間」とは明らかに違う退屈な「間」になってしまっている。しかし、この「間」はもしかしたら面白くなる要素なのかもしれないと思いました。このリズムになじめば、映像がすっと心に染み込んでくるような、そんな「間」。それを少し感じたのはラリーの隠れ家の場面、入り口から上にカメラが移動していく「間」。これはなかなか難しいところ。
 ええ、さすがに俳優としてのジョニー・デップはなかなかよかった。ちょっとネイティブという設定は無理があったとしても、歩き方とか背中がいいね。ジョニー・デップは。Database参照

ノイズ

The Astronaut’s Wife
1999年,アメリカ,109分
監督:ランド・ラヴィッチ
脚本:ランド・ラヴィッチ
撮影:アレン・ダヴィオー
音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:ジョニー・デップ、シャーリーズ・セロン、ニック・カサヴェテス、ジョー・モートン、クレア・デュバル

 宇宙飛行士のスペンサーとアレックスが船外作業をしている間に2分間地上との交信が途絶えた。しかし彼らは無事救出され、地上へと戻ってくる。スペンサーは検査の結果異常なく、アレックスも一度は危篤になるが一命をとり止めた。しかし、宇宙での2分間のことを語らない夫たちにスペンサーの妻ジリアンとアレックスの妻ナタリーは不信感を覚え始める。
 これが初監督となるランド・ラヴィッチがE.T.などのスピルバーグ作品で知られるカメラマン、アレン・ダヴィオーを招いて撮ったSFスリラー。恐怖感をあおる映像は見事だが、ストーリー展開にしまりがなく、なんとなくすっきりとしない映画になってしまった。  

 どうにもこうにも、展開にしまりがない。決定的な転換点がないまま話は進みなんとなく正体がばれて、なんとなく話が終わってゆく。ハッピーエンドではないというのはハリウッド映画としては珍しいが、この終わり方だったらハッピーエンドのほうがよかったかもしれない。(でも、この設定だとハッピーエンドは無理か)
 という、なんだか見終わった後すっきりとしない映画を見ながら思ったのは、恐怖心をあおる映像工夫がなかなか言いということ。スローモーションは最近あまりに多用されていて、少々食傷だが、ジリアンとリースがおもちゃ屋で向き合う時の視点を回転させながらの切り返しとか、何度か出てきたジョニー・デップを下からのアングルからとらえたショットとか、かなり心拍数を上げる演出が出来ていたなと思って、スタッフを見ていたら撮影がアレン・ダヴィオー。聞いたことあるぞ、と思って調べたら、E.T.の人だったという感じです。
 アレン・ダヴォーは他に『カラー・パープル』『太陽の帝国』『わが心のボルチモア』『ハリーとヘンダソン一家』『バグジー』などを撮っています。『ハリーとヘンダソン一家』はなかなか面白かった。

ロックド・アウト(21ジャンプ・ストリート)

21 Jump Street
1987~92年,アメリカ,92分
監督:ジョージ・モンテシ、ジェームズ・ホイットモア・Jr
脚本:グレン・モーガン、ジェームズ・ウォン、ジョナサン・レムキン
撮影:デヴィッド・ゲッツ
音楽:ピーター・バーンスタイン
出演:ジョニー・デップ、ホリー・ロビンソン、ピーター・デルイーズ、ダスティン・ヌエン、スティーヴン・ウィリアムズ、ブリジット・フォンダ、ブラッド・ピット

 おとり捜査に命をかける若き刑事たちを描いたTVシリーズ。ジョニー・デップをスターにした作品で、アメリカでは5年間続いた。「ロックド・アウト」というビデオには2話を収録。以前は「ハイスクール・コップ」というタイトルでビデオ発売されていた。現在、DVDで4タイトル出ている。(タイトルは「21ジャンプ・ストリート」)
 第1話はブリジット・フォンダがゲスト出演。路上生活する家出少年たちのリーダー格の少年の行方不明事件を追及する。ジョニー・デップはほとんど出てこない。
 第2話はブラッド・ピットがゲスト出演。連続空き巣事件の調査のため高校に潜入した刑事たちは生徒の自殺事件に遭遇する。「自殺」を巡ってさまざまな考え方が語られ、アクションとは離れたドラマになっている。 

 ジョニー・デップがスターになったということ以外さしたるトピックもないドラマ。おそらく各回違う監督で、ゲストを呼ぶというアメリカではオーソドックスなスタイルなのだろう。第1話は設定などがよくわからなかいまま見たものの、話立てがなかなか面白かったが、第2話はかなりきつい。ブラッド・ピットの熱狂的なファンなら話のために見てもいいかもと言うくらい。
 しかし、個人的にはアメリカのこういったテレビシリーズは大好きなので、テレビで放送されたら見てしまうかも。(苦笑)

スリーピー・ホロー

Sleepy Hollow
1999年,アメリカ,98分
監督:ティム・バートン
原作:ワシントン・アーヴィング
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:エマニュエル・ルベッキ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ、クリスティナ・リッチ、ミランダ・リチャードソン、マイケル・ガンボン、キャスパー・ヴァン・ディーン、クリストファー・ウォーケン

 1799年、ニューヨーク。捜査官のイガボット・クレーンは自白の強要ばかりに頼る上司にたてつき、市長に郊外の町スリーピー・ホロー行きを命じられる。その町では3人の人間がたてつづけに首を切り落とされるという連続殺人事件が起こっていたのだ。そしてスリーピー・ホローには南北戦争で数多くの人々を惨殺した「首無し騎士」の幽霊が出るという伝説があったのだ。
 「シザー・ハンズ」「エド・ウッド」に続き3度目のコンビを組んだティム・バートンとジョニー・デップ。ジョニー・デップはバートンの幻想的な世界に本当によく映える。この作品は特に映像面でのティム・バートンの魅力が十全に発揮された作品。ストーリーもなかなか練られていてサスペンスとしても上出来。

 何はともあれ映像がきれい。特に色の使い方が素晴らしい。ティム・バートンといえば、とにかく原色をごたごたと入れ込んでごちゃごちゃした独自の色彩世界を作り出すというイメージがあったけれど、この作品ではモノトーンを非常にうまく使い、いつも通りの極彩色を控えめにして素晴らしい効果があがっている。大まかに言って、風景やロングショットでは色が少なめ、しかも単なるモノトーンでもなく、トーンを落としただけでもない不思議な色合い。セピアがかった画面にほのかに色がかかっている感じ。ロングで撮った森とか、人の顔の淡い色が非常に印象的だった。 それともちろん、リアルな首きり。これだけすっぱりと見事に首を切れる監督はティム・バートンしかいないでしょう。スパッとなスパッと。切り口も見事な出来映え。やはり特殊効果ってのはこういう細部に地味に使わないとね。どでかいCG使って、現実にないものを見せるよりも、現実にあるけど実際に映すのは難しいものをリアルに造る。ここのところをわかっているティム・バートンはやはりB級映画の巨匠。

クライ・ベイビー

Cry Baby
1990年,アメリカ,86分
監督:ジョン・ウォーターズ
脚本:ジョン・ウォーターズ
撮影:デヴィッド・インスレー
音楽:パトリック・ウィリアムズ
出演:ジョニー・デップ、エイミー・ロケイン、スーザン・ティレル、イギー・ポップ、トレイシー・ローズ、ウィレム・デフォー

 50年代アメリカ、クライ・ベイビーと仲間たちは札付きのワル。そんなクライ・ベイビーに恋をするお嬢様のアリソン。クライ・ベイビーも彼女のことが気に入って、しかし堅物の親や坊ちゃんたちの邪魔が入り…
 50年代のティーンズ映画そのままのストーリーの映画だが、そこはジョン・ウォーターズ。当たり前に撮るはずがない。というよりは、まったくそんな映画にはしない。すべてを壊し壊してゆく、バカっぽい・安っぽい・ウソっぽい、そんな本当にサイテーな映画(「最低」ではない)。
 こういう映画は見てまったくつまらないと思う人もかなりいるでしょう。だから万人に薦めるわけではないですが、かなりいいと思います。

 ジョン・ウォーターズといえば、『ピンク・フラミンゴ』とか、『ヘア・スプレー』とか、最近では『シリアル・ママ』とか、とにかくぶっ飛んだ作品を撮る監督ですが、この作品は意外とまともに見える。
 しかしもちろん、いきなり出てくるハシェットの異形を見ればこれが間違いなくジョン・ウォーターズの映画であることはわかるし、ある意味安心するというわけ。しかし、一応忠実に50年代のスタイルを守って映画を組み立てて行き、安っぽいジェームス・ディーンみたいなジョニー・デップがしっかりと不良のスターを演じてしまう。しかし、よく考えれば(ちょっと考えても)50年代映画にクライ・ベイビーのおばあさんみたいなキャラクターが許されるはずはないし、あんなにわらわらと黒人は出てこないし、3Dメガネももちろんない。こんな映画はパロディとすらいえない、間違い探しのような映画。しかもその間違い探しは、ひどく簡単。
 そしてすべてが安っぽく、造りも適当。最後のアリソンが飛ぶシーンなんかはあの明らかな人形さ加減があまりにチープで感動すら覚えてしまう。
 ここまで説明しても、わからない人にはまったくわからない。これを面白いという気持ちがこれっぽっちも理解できない。ということになるのでしょうが。それはそれでいいんです。だからこそカルト。みんながいいといってしまってはカルト映画ではなくなってしまう。決してカルト映画がわかる人が映画を理解できる人ではないので、「これが理解できなきゃ、映画好きとはいえないんだ」などとは思わないように。(思わないか)

追跡者

U.S. Marshals
1998年,アメリカ,131分
監督:スチュアート・ベア-ド
脚本:ジョン・ボーグ
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ウェズリー・スナイプス、ロバート・ダウニー・Jr、ジョー・パントリアーノ、イレーヌ・ジャコブ

 ハリソン・フォード主演の「逃亡者」。そこでハリソン・フォードを追ったトミー・リー・ジョーンズが今度は主役。逃げるのはウェズリー・スナイプス。製作総指揮が同じキース・パリッシュとロイ・ハギンズということで、事実上「逃亡者」の続編ということになる。
 ストーリーは、飛行機事故で囚人が脱走。同じ飛行機に乗り合わせたトミー・リー・ジョーンズ扮するサミュエルがその犯人を「追跡」する。設定は前回と同じく「逃亡者」であるマーク・シェルダン(ウェズリー・スナイプス)は無実なんじゃないか? となっている。その奥のからくりは前作ところなりかなりひねってある。
 軽いタッチの作品になって、気持ちよく見られるので良い。これってシリーズ化されるのかな?

 まあ、いいんじゃないかしら。前作と比べると本当に軽い感じになって、さらりと見られる。やはり、「続編」という形をとるとどうしても肩に力が入って失敗するもの。その点ではいいと思う。なんとなく、リーサル・ウェポンみたいにシリーズ化されても行けそうな感じ。
 しかし、それは逆に、映画として何か新鮮味がないということでもあるわけで、組織の中で結束の固い自由な組織を作って、しかし上からは干渉されて、という、まさにリーサル・ウェポンな設定でもそれ。外部から入ってくるのが悪いやつというのも体外予想がつく。事故で囚人が逃げるってのも、「手錠のままの脱獄」以来アメリカのアクション映画の伝統になっているし。
 ハイウッドにこういった軽い感じのアクション映画が必要なのはよくわかる。軽い気持ちで見られるし、見た後で悩むこともないし。娯楽としてはとてもいい。こういう「あー、なんかさらっとビデオでも見たいな」というときに見られるビデオ(しかも見たことがないやつ)をストックしとくと、結構いいかもね。

メリーに首ったけ

There’s Something about Mary
1998年,アメリカ,119分
監督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
脚本:エド・デクター、ジョン・J・ストラウス、ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー
撮影:マーク・アーウィ
音楽:ジョナサン・リッチマン
出演:キャメロン・ディアス、マット・ディロン、ベン・スティラー、リー・エバンス、クリス・エリオット、ブレット・ファーブ

 テッドは本当にどうしようもない男。彼の唯一の誇りは、高校のプロム・パーティーに学校のアイドルメリーに誘われたこと。しかし、その大事な時にジッパーに大事なモノを挟んでしまい病院送りという本当にまぬけな男。
 月日は流れ、友人に勧められメリーを探すことにしたテッド、彼女を見つけることはできたのだが、 彼女の周りには数多くのライバルがいて…
 メリーを巡る男たちのせこく、くだらない争い。とにかく、ドタバタお下劣ギャグ満載、道徳心のある人は見てはいけません。

 単純明快なコメディですが、私にとってコメディ映画の条件は、
・とにかくくだらない(その通り)
・インパクトのある場面がある(ファスナーとか犬とか)
・一応ストーリー展開が気になる(だいたい読めるけど)
・オチがつく(体質的にオチがつかないと落ち着かない。なんちって(>o<;) )
 です。この映画一応条件を満たしています。
 しかし、メリーに首ったけが好きな理由はこれだけではありません。キャメロン・ディアスがかわいいのはもちろんですが、やはり、アメフトネタですね。アメリカ人にはわかりやすいけれど、日本人にはあまりわかりにくいアメフトネタ。私はアメフト好きなので、非常にうれしかった。
 と、言うわけでここで解説。
 まず、ブレッドことブレット・ファーブは本当に本当にNFL(アメリカのプロフットボールリーグ)のスーパースターで、年俸も5億くらいもらってると思います。で、メリーが、ブレッドをふった理由が、字幕ではどうなっていたか忘れましたが、英語では、「私は49ersのファンだから」というような感じの台詞だったんですね。ブレット・ファーブはグリーンベイ・パッカーズの選手で、それが気に入らなかったというわけです。映画の途中でも、オフィスの椅子にスティブ・ヤング(49ersの選手でファーブと同じくらいスーパースター)がかかっていたというのもにくい作戦ですね。
 こんな感じで、ただの薀蓄披露になってしまいましたが、ファーブじゃなくて、ヤングだったら、ベン・スティラーはふられてたのか?と思ってしまう今日この頃です。
 などというアメフト話はおいておいて、この映画でいちばん好きだったのは、唐突に歌いだす二人組。その名はジョナサン・リッチマン。この映画の音楽を担当している人です。一応ちゃんとしたアーチストで、CDなんかも出しています。しかし、とにかく登場の仕方が面白い。ああ、これぞまさしくアメリカンコメディ。

百萬圓貰ったら

If I Had a Million
1932年,アメリカ,88分
監督:H・ブルース・ハンバーストン、エルンスト・ルビッチ、ノーマン・Z・マクロード、スティーヴン・ロバーツ、ノーマン・タウログ、ジェームズ・クルーズ、ウィリアム・サイター、ルイス・D・レイトン
原作:ロバート・D・アンドリュース
脚本:イザベル・ボーン、クロード・ビニヨン、ウィットニー・ボルトン、マルコム・スチュアート・ボイラン、ジョン・ブライト、シドニー・ブキャナン、レスター・コール、ボイス・デ・ガウ、ウォルター・デレオン、オリヴァー・H・P・ギャレット、ハーヴェイ・ハリス・ゲイツ、H・ブルース・ハンバーストン、グローヴァー・ジョーンズ、エルンスト・ルビッチ、ロートン・マッコール、ジョセフ・L・マンキウィック、シートン・ミラー、ロバート・スパークス、ティファニー・セイヤー
出演:ゲイリー・クーパー、ジョージ・ライト、チャールズ・ロートン、メアリー・ボーランド、フランシス・ディー、ジャック・オーキー

 大企業家のジョン・グリデンは医者に余命幾ばくもないと言われていた。彼の周りにはそんな彼の遺産を狙う親戚がうようよ、社員たちも頼りにならない間抜けばかり。そこでグリデンは自分の財産を身も知らない他人に分け与えることに決めた。その選定は、住所録から無秩序に選び、それぞれに100万ドルをあげるというものだった。
 100万ドルを手にした人々の短い物語がオムニバス形式で続くコメディ。いわゆるルビッチらしい「スクリューボール・コメディ」ではないが、非常にテンポよく話が次々と展開されているので小気味よい見ごこち。話もいわゆるコメディから少しほろりとさせるものまで多岐にわたり楽しめる。

 ルビッチと言うと「スクリューボール・コメディ」(スクリューボール・コメディは1930年代にハリウッドではやったコメディで、男女男という恋愛関係を描いたもの。ルビッチはその最大の作家で数多くの傑作を生んでいる。特に婚約している男女の間に一人の男が割って入ってひと悶着という展開が多いため、「ルビッチの映画で婚約しているということはつまり別れるということだ」とまで言われた)。
 しかし、この作品はまったく違う。オムニバスという形式がどういういきさつでとられたのかわからないが、当時のハリウッドのいきさつを考えると、おそらく会社の企画にルビッチがかり出されてというのが妥当なところだろう。このオムニバスの中で、ルビッチがどの部分の脚本を書き、どの部分を監督したのかはわからないが(調べればわかるのかもしれない)、どれもなかなか面白い。
 他の監督では、ハンバーストンが後に「十人のならず者」などを撮って有名になったほか、タウログはジェリー・ルイスの底抜けシリーズのいくつかをはじめとして数多くのコメディを撮っているし、それぞれの監督がトーキー初期のコメディの巨匠ばかりであるのだ。 
 うーん、そうなのか。と自分で納得してしまいましたが、やはり1930年代はハリウッドの黄金期。ちょっと探せば面白いものがざくざく出てくるのだと実感しました。

リプリー

The Talented Mr. Ripley
1999年,アメリカ,140分
監督:アンソニー・ミンゲラ
原作:パトリシア・ハイスミス
脚本:アンソニー・ミンゲラ
撮影:ジョン・シール
音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:マット・デイモン、グウィネス・パルトロー、ジュード・ロウ、ケイト・ブランシェット、セルジオ・ルビーニ

 ルネ・クレマンが『太陽がいっぱい』という題名で映画化したパトリシア・ハイスミスの小説(日本語の題名は「太陽がいっぱい」だが、原題は、『リプリー』の原題と同じ“The Talented Mr. Ripley”)の再映画化。厳密に言うとリメイクではないが、一度映画化された作品の再映画化なので、前作を意識しないわけにはいかないだろう。
 物語は、友人の代理でピアノを演奏したトム・リプリーは、その場に居合わせた大富豪から放蕩息子のディッキーをアメリカに連れ戻すよう頼まれる。リプリーはその仕事を果たすためイタリアへ。ディッキーと婚約者のマージに近づくことのできたリプリーだったが、なかなか彼を説得できない。
 マット・デイモン演じるリプリーが何を考えているのかわからないところに、言い知れぬ恐ろしさがあるサスペンス。

 『太陽がいっぱい』との比較はおいておくとして、映画としてはよく出来た映画ではある。ストーリーのひねりも効いているし、マット・デイモンの何を考えているのかわからないキャラもいい。ジュード・ロウは妙にイタリアの海岸にマッチしているし。
 しかし、しかしですね。ちょっとうるさい。すべてがうるさい。表情を映すための執拗なクローズアップもうるさいし、いかにもイタリアらしい風景もうるさい。音楽はよかったけど。ビデオで見れば気にならなかったと思われる、クローズアップの連続は、スクリーンではうるさすぎる。そんなに大きくしなくても、表情はわかる。クローズアップで効果的に表現したいのはわかるけれど、それはあまりにこらえ性がないというもの。風景だって、いちいち上から映さなくたって、イタリアだってことはわかってるよ。いちいち車がアルファロメオなのも気になった。これらのうるさいものたちを切り詰めていけば、30分は短くなって、気持ちよく見られることができたのではないでしょうか? ドラマとしての質はいいのにもったいない。
 と、一通り文句を言ったところで、今度は擁護に回りましょう。ジュード・ロウはよかった。ひどい男なんだけど、好きになってしまう。それはマージしかリ、リプリーしかり、なんだけれど、そんな男をジュード・ロウうまく演じきっていた。音楽はよかった。最初は50年代という設定がわからなくて、「ジャズ=反抗的」という図式がのめこめなかったけれど、時代設定を納得すれば、音楽の使われ方に非常に納得。
 この映画、前半まではかなりよかった。ジュード・ロウが死ぬあたりまで。マット・デイモンのミステリアスな行動や表情も思わせぶりだし、三人の関係の微妙さ加減がよかった。しかし、いたずらにジュード・ロウが魅力的だったせいか、彼が死んでからは物語に入り込めない。その後の展開もどうでもよかった。ディッキーがいなくなってしまったら、もうどうでもいいんだよ。本人に成り代わったところでその隙間を埋めることはできないのだよ。後半を見て思ったのはそれだけ。それを納得させるためだけの1時間なのだとしたら、それはあまりに不毛なのではないでしょうか? あれ、やっぱり擁護してないや!