モンテ・カルロ

Monte Carlo
1930年,アメリカ,90分
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:アーネスト・バイダ
撮影:ヴィクター・ミルナー
音楽:フランク・ハーリング、レオ・ロビン、リチャード・ウィティング
出演:ジャネット・マクドナルド、ジャック・ブキャナン、ザス・ピッツ、クロード・アリスター

 公爵と女伯爵との結婚式、女伯爵ヴェラは伯爵から逃げ出し、メイド一人を連れて電車に飛び乗った。ヴェラが行き先に決めたのはモンテ・カルロ。ほとんどお金がない彼女はカジノで稼ごうと考えたのだった。そんな彼女に一目ぼれした伯爵フェリエールは何とか彼女に近づこうとするが、彼女は彼をはねつける。思案した彼は、美容師に化けて彼女に近づくことに決めた。
 ルビッチが、トーキー初期に撮ったミュージカルコメディ。最初からしばらく音楽のみでセリフがないので、サイレント映画かと思ったくらい、サイレント期のスタイルがそのまま残っている。
 いわゆるミュージカルなので、突然歌い出したりするのが気になるが、歌も軽妙でかなり楽しい。

 とことん軽い。軽快なテンポと明るい雰囲気。一生懸命見るよりは、なんとなく流しているのがいい。そういう映画。それでもなんとなく見ると幸せになる。そういう映画。映画史的にどうだとか、ミュージカル映画ってのは不自然でいやだとか、いろいろ理屈をこねたり、文句をつけたりすることも可能だろうけれど、そういうことをすることがまったくばかげたことに思えてくるような映画。映画なんて楽しければいい。映画に音がついた頃の人々はそう考えていたんだろうか?
 この映画がトーキー初期であるのは、汽車を映す時に、車輪のアップがあったり、時計の時報を表現するのに、からくり人形を映したりするあたりから伺える。音を表現するために考案された映像法から抜け出せないと言ったところだろう。しかし、そのことが映画にとってマイナスにはなっていないので、別にかまわないだろう。
 個人的には、公爵のくせのあるしゃべり方がなんとも心引かれた。出てくるだけでなんとなく面白い。そんな人物を登場させることができたのもトーキーのおかげ。ルビッチはそのトーキーの利点をいち早く活用したという点ではやはりすごいと言っていいのだろう。

未来は今

The Hudsucker Proxy 
1994年,アメリカ,111分
監督:ジョエル・コーエン
脚本:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン、サム・ライミ
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:カーター・バーウェル
出演:ティム・ロビンス、ポール・ニューマン、ジェニファー・ジェイソン・リー、チャールズ・ダーニング、スティーヴ・ブシェミ

 重役会議中突然、社長がビルの44回から飛び降り自殺。会社の経営は絶好調だったのに、いったいなぜ? このままだと会社が買収されてしまうことに危機を覚えた重役たちは脳タリンを社長にして株価暴落をもくろむことにする。彼等が目をつけたのは、たまたま重役室を訪れた新米郵便係のノービルだった。
 もちろん、重役たちの思うままに行くはずはなく、そこからの展開がコーエン兄弟の腕の見せ所。やはりコーエン兄弟というところも多々あるが、「ファーゴ」や「バートン・フィンク」と比べると少々パンチが弱いかもしれない。
 しかし、それは逆に安心して見られるということでもあるかもしれない。誰でも気軽に楽しめるという意味では良い作品。

 確かに、コーエン兄弟の作品で、コーエン兄弟の映像で、コーエン兄弟のひねりようなんだけれど、どうも弱い。ティム・ロビンス演じるノービルがずっと「まぬけな顔」といわれるところは、『ファーゴ』でブシェミが「変な顔」と言われつづける場面を思い起こさせるし、地下の郵便室の映像なんかは、『バートン・フィンク』のあの暗澹さに似通っている。
 でも、それだけなんですよ。筋だって大体予想がつくし、映像の工夫だって、「ふーん」とは思うけど、驚くほどではない。くすりとするけど、爆笑するわけでも、始終ニタニタしてしまうわけでもない。たとえば、最初の社長が飛び降りるシーンなんて、かなり面白いのだけれど、それはただ単にあの場面が面白いというだけで、作品全体の面白さにはつながってこない。
 どうしたんだろう、コーエン兄弟。おそらくこの映画を評価する人もかなりいると思いますが、私はちょっと納得いかない。いや、面白いんですよ。面白いんですけど、「もっとできるよコーエン兄弟」と言いたい気分にさせます。 やはり、見たのが2回目だったからでしょうか? 1回目見た時はもっと楽しめたような気がします。でも、本当にいい映画は何度見ても楽しめないとな…「ビッグ・リボウスキ」は2回目でもぜんぜん面白かったし。
 などなど、気持ちがプラスとマイナスに行ったり来たりですが、どうでしょうかね? 見た方はぜひ意見をくださいませ。

ラスベガスをやっつけろ

Fear and Loathing in Las Vegas 
1998年,アメリカ,118分
監督:テリー・ギリアム
原作:ハンター・S・トンプソン
脚本:テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ、トッド・デイヴィス、アレックス・コックス
撮影:ニコラ・ペコリーニ
音楽:レイ・クーパー、布袋寅泰
出演:ジョニー・デップ、ベニチオ・デル・トロ、トビー・マグァイア、キャメロン・ディアス、クリスティナ・リッチ、エレン・バーキン

 ジャーナリストのラウル・デュークとサモア人で弁護士のドクター・ゴンゾーは砂漠のオートバイレーすの取材のため真赤なオープンカーにドラックをいっぱいに詰め込みラスベガスへ向かっていた。途中ハイカーを拾ったりしながら着いたラスベガスで二人はドラック三昧。ろくに取材もせずにひたすら飛びまくる。
 「鬼才」テリー・ギリアムがその独特の映像で正面からドラッグを扱った作品。とにかくトラップした状態をいかに映像化するかということに映画のすべてをかけている。とにかくめちゃくちゃ。少しやりすぎたかテリー・ギリアム。
 スタッフ、キャストがかなり豪華。脚本に「シド・アンド・ナンシー」などで知られるアレックス・コックスを加え、音楽に布袋寅泰が加わっているのはご愛嬌か。出演陣も今をときめくスターがチョイ役で登場。

 ちょっとやりすぎたテリー・ギリアム。本当にやり放題、好きなことをやりたいだけやる。汚す、壊す、水につける。映像を歪める。緻密な幻覚を作る。筋とか内容とかはどうでもよく、ただただ圧倒的な勢いを作れ! これも「12モンキーズ」のヒットでようやく「カルト」の冠がとれたおかげか。あるいはそれへの反抗か。
 とにかく、完全なるテリー・ギリアムワールドにうまく絡んだ役者人の怪演。特に、ジョニー・デップとクリスティナ・リッチが世界に最も溶けこんでいたと思う。色合いや、ライティングもいかにもテリー・ギリアム。少々時代懐古的な感じも加えつつ、ひたすら切れる。
 少し、興奮を抑えて、分析してみましょう。
 この映画がここまで、滅茶苦茶でありえるのは、きちんと作りこまれているから。つまり、滅茶苦茶なものをそのままとったのでは滅茶苦茶には見えず、それはただ雑然としたものになってしまう。それではいかに滅茶苦茶なものを作り出すか。そのためには滅茶苦茶さを作りこむこと。ある意味では小津的な、しかし小津とは正反対の映画に対する姿勢がそこに感じられる。
 というのは、小津の映画の端整な、清閑な感じもまた、ただなにもないところを映したのではなく、微妙に作りこむことによって、何もないという感覚を作り出したものであるからだ。たとえば、オズ映画の部屋の壁は徹底的に「汚し」をかけ、非常に自然な壁を作り出したという。ただの白い壁があればなにもないという感覚が生まれるのではなく、適度に汚れた壁があってこそそこにはなにもないと感じられるのだ。
 テリー・ギリアムの滅茶苦茶さも、それはただ滅茶苦茶なのではなく、何がどこにあり、何がどのようになっていれば滅茶苦茶だと見えるのかを緻密に計算してある。同じ壁の「汚し」でも、どう汚せば派手に見えるのか、滅茶苦茶に壁を汚すということがどう言うことなのか、それを計算し尽くした末にできあがる滅茶苦茶さ。それがこの映画の秘密だと思う。

マルコビッチの穴

Being John Markovich 
1999年,アメリカ,112分
監督:スパイク・ジョーンズ
脚本:チャーリー・カウフマン
撮影:ランス・アコード
音楽:カーター・バーウェル
出演:ジョン・キューザック、キャメロン・ディアス、キャスリーン・キーナー、ジョン・マルコヴィッチ

 人形使いのクレイグはチンパンジーやオウムといった動物と妻と幸せに暮らしていたが、妻に勧められ就職することにする。新聞の求人欄で見つけた会社に行ってみると、その会社は7と1/2階にある奇妙なオフィスだった。
 そしてある日、ファイル整理をしていて、キャビネットの裏にある奇妙な扉を見つけた。入ってみると、それは俳優のジョン・マルコヴィッチの頭の中に通じる扉だった…
 ミュージックビデオ界では超有名人、CM業界では超売れっ子のスパイク・ジョーンズがついに映画界に進出。「ジョン・マルコビッチの中に入る」という発想はとにかく見事としか言いようがない。
 スターもひっそりと多数出演。

 とにかく奇想天外な発想をうまくまとめたという印象。プロットも途中すこし「?」と思うが、最後にはしっかりまとまる。 なんと行っても、7と1/2階という発想がすごい。ストーリー展開からすると必ずしも必要な設定というわけではないの(あの空間の不思議さを演出しさえすればそれでいいはず)だけれど、これがなかったら、この映画の価値は半減、笑いは激減。みんなが猫背で首をかしげて並んでいる映像。何だか、映画館を出るときに、自分も猫背で歩いてしまいそうになった。
 ストーリーの展開の仕方で言えば、登場人物たちがあまり語らないのもいい。さすがにミュージック・ビデオやCMといった映像で見せる技術に長けたスパイク・ジョーンズだけにセリフに頼ることなく、どんどんストーリーをつないでいく。唐突に饒舌になって自分の身の上を語り出したりする主人公にはもう辟易ですから、このくらい、登場人物たちの考えていることが微妙にわからないこのくらいの加減がいい。
 映像は、決して派手ではないけれど、押さえるところは押さえたという感じ。普通の映像は普通に、凝るところは凝る。やはり全員がジョン・マルコヴィッチなシーンのインパクトは強烈だった。7と1/2階を紹介するビデオなんかは、いかにも70年代っぽく作りこまれていて、妙なこだわりが感じられましたね(内装も若干きれいなような気がするし)。

天使

Angel 
1937年,アメリカ,91分
監督:エルンスト・ルビッチ
脚本:サムソン・ラファエルソン
撮影:チャールズ・ラング
音楽:フレドリック・ホレンダー
出演:マレーネ・ディートリッヒ、ハーバード・マーシャル、メルヴィン・ダグラス、エドワード・エヴァレット・ホートン

 ホルトン氏は友人に紹介してやってきた、パリの亡命ロシア大公妃のサロンで出会った英国人の美しい女と夕食をともにし、恋に落ちる。しかし女は彼の申し出の返事を引き延ばし、男の元から去って行く。
 ハリウッド黄金期の巨匠エルンスト・ルビッチが名女優マリーネ・ディートリッヒを迎えて撮り上げたシャレた恋愛映画。今から見ればスノッブな感じが鼻につくが、「階級」というものが今より色濃く残っていた社会では映画とはこのようなものであってよかったのだろう。
 全体的にシャレた雰囲気でクラッシクというわりには気軽に見られる作品。

 映画史的なことはよくわからないのですが、この映画で非常に多用されている切り返しというのはこのころに開発された技法なのでしょうかね?「画期的なものをどんどん使おう」と言う感じで使っているように見えますが。まあ、技術的なことはいいとして、この映画で使われている「相手の肩越しから覗きこむ画」の切り返しというのはなかなか柔らかくていいですね。最近、切り返しが使われる場合真正面から捉えた画をつなぐ場合が多いのですが(恐らく互いの視線を意識した画だと思いますが)、私としてはそのやり方はどうも今ひとつ落ち着きが悪いんですよ。なんとなく映画の中にポツリと放り込まれてしまう気がして、それよりは、肩越しとか、斜めからとかの画で、なんとなく傍観者としていられるほうがいい。映画のジャンルにもよりますが、恋愛映画では特にそう思います。
 映画的なこともそうですが、クラッシックな映画を見ると、時間的なギャップに気づいていつも感心することがあります。たとえば今回の映画では、音楽的なことに頭が行きました(「二人の銀座」の影響もあるかもしれない)。「この頃って、まだジャズですらメジャーカルチャーじゃなかったんだな」とか、そこから「若者の文化ってものもまだまだ出てこないんだな」とか。
 なかなか古い映画というのは見る機会もないし、見ようとも思わないものですが、「巨匠」と呼ばれる人の作品はやはり、多少色褪せることはあっても、映画として十分見る価値のあるものなのだと感じました。

バッファロー’66

Buffalo ’66 
1998年,アメリカ,118分
監督:ヴィンセント・ギャロ
脚本:ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグノール、クリス・ハンレイ
撮影:ランス・アーノルド
音楽:ヴィンセント・ギャロ
出演:ヴィンセント・ギャロ、クリスティナ・リッチ、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・ギャザラ、ミッキー・ローク

 数年ぶりに刑務所から出てきたビリーは、トイレを探してバッファローの街を歩き回る。彼は母親に電話し、家にいもしない嫁を連れて行くといってしまう。そこで、ビリーはそばにいた見ず知らずの女を誘拐し、嫁のフリをさせようとするのだが…
 「愛と精霊の家」などで知れる俳優ヴィンセント・ギャロの初監督作品。散漫でありながら一本筋の通った物語は、ニューヨークから少し外れたバッファローという街のイメージにぴたりとはまる。
 この映画で最も目をひくのは映像だと思う。評価については賛否が分かれるだろうが、考え抜かれた構成であることはたしか。

 とにかく、映像のことについて書きましょう。まず目をひく、映像のはめ込み。回想シーンのサイズダウン。この辺りは考え抜かれ、効果としてはなかなかのものを生んでいるとは思うけれど、それほどセンスは感じられなかった。それよりも、この映画で最も素晴らしいのはフレームの切り方。シークエンスとしての映像というよりは、一瞬一瞬の「絵」としての構図がすばらしい。歌うビリーの父とそれを見るレイラのふたつの画とか、ビリーと電話するブーク(だったかな?)の腹のアップとか、ビリーとレイラが最初に車に乗るときの上からの構図とか、本当にはっとさせられる「絵」がたくさんあった。あと、映像でよかったのは、ビリーがスコット・ウッドを撃ち殺したと創造する場面。あのセンスは素晴らしい。ヴィンセント・ギャロ今度はコメディを撮って欲しい。(この映画ももしかしたらコメディかもしれない)
 ところで、ビリーに殺されるかもしれなかった、スコット・ウッド。これはアメリカ人ならすぐピンと来る。バッファロー・ビルズのキッカー、スコット・ノーウッドがモデル。1991年のニューヨーク・ジャイアンツとのスーパーボウルでこれを決めれば逆転というフィールドゴールをはずしたキッカー。バッファローの人はいまだに根に持っているらしい。バッファロー・ビルズはその後3年連続でスーパーボウルに出場したが、一度も勝てなかった。ノーウッドがトップレスバーを経営しているかどうかはわからないが、アメリカのプロスポーツ選手は引退後飲食店を経営することが多い。
(注1)
スーパーボウル:アメリカのアメリカン・フットボール・リーグNFLの優勝を決める試合。アメリカ人にとっては非常に大きなイベントで、「招待状を送って犯罪者を一斉検挙した」などといった面白いエピソードには事欠かない。映画にもたびたび出てくる。
(注2)
フィールド・ゴール:アメフトの得点方法のひとつで、キッカーがプレイスされたボールをけってポールの間を通せば得点(3点)を獲得できる。

恋する人魚たち

Mermaids 
1990年,アメリカ,110分
監督:リチャード・ベンジャミン
原作:パティ・ダン
脚本:ジューン・ロバーツ
撮影:ハワード・アサートン
音楽:ジャック・ニッチェ
出演:ウィノナ・ライダー、シェール、ボブ・ホスキンス、クリスティナ・リッチ

 時は1963年、女手ひとつで二人の娘を育てるフラックスは生活も奔放。何かあるごとに引越しを繰り返す。今回も男に振られ16回目の引越しをすることに。今度の行き先はマサチューセッツの田舎町。そこで今度は娘のシャーロットが修道院で働くジョーに一目ぼれ、母も靴屋の店主と仲良くなって…
 ちょっと変わった家族ものという感じですが、本質はコメディなのかな? 全体的に不思議に雰囲気があって、何だか面白い。ウィノナ・ライダーとシェールはもちろんのこと、妹役のクリスティナ・リッチがかなりいい味出してます。

 かなりいい感じです。適度にだるく、適度におかしい。ジェットコースターな笑いとは違うゆったりとした笑いです。なんと言っても目に付いたのはクリスティナ・リッチ。何歳なのかはわかりませんが、笑いのつぼを巧妙につく演技。
 ハリウッドの映画によくありがちな、家族の絆とか人の心の問題を突いて行く少々説教くさい話だが、シェールとウィノナとクリスティナの家族がどうにも能天気なところがかなりよい。
 秋の夜長にのほほんと見たい一作というところでしょうか。

スネーク・アイズ

Snake Eyes
1998年,アメリカ,99分
監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:デヴィッド・コープ
撮影:スティーヴン・H・ブラム
音楽:坂本龍一
出演:ニコラス・ケイジ、ゲイリー・シニーズ、ジョン・ハード、カーラ・グギーノ、ケヴィン・ダン

 アトランティック・シティのスタジアムで行われたボクシングのヘビー級タイトルマッチ、賭博にいそしむ汚職警官のリックもその場にいた。そして、リックが賭けたチャンピオンが倒れた瞬間、リックのすぐ側にいた国防長官が銃弾に倒れた。リックは国防長官の警護主任をしていた親友のダン中佐とともに1万4千人の観衆の中から事件に関係する容疑者たちを探しだそうとするが…
 巨匠デ・パルマが工夫を凝らして作り上げたサスペンス。浮かび上がる関係者たちの謎が解けていく過程は推理小説のようでスリリング。 

 全体的に言えば、前半の謎解きの部分はかなり面白い。しかし、そのあとの展開はちょっとね。どこにでもあるアクションものにしかなっていない気がしてしまう。
 デ・パルマはかなり工夫を凝らしているのだけれど、それが映画に貢献しているかと言うと少々疑問。最初10分くらいを1ショットで見せるところも、「ほー」と関心はするけれど、果たして必要なのかと言われると、別になくてもいいかなという気もしてくる。事件の現場をさまざまな人の主観ショットから撮るという発想もかなり面白いけれど、ちょっと親切すぎるかなという気がする。特に、ダン中佐の主観シーンはもう少し工夫のしようがあったんじゃないかな?
<ネタばれ注意>
だって、あれは嘘の画面なわけでしょ。ダン中佐が作り上げた。それを他の本当に見た画面とまったく同じ撮り方で撮ってしまうのはどうかな? 嘘である事を隠すためにはそれでいいのだけれど、じゃあ、あの画面はどこにあったの? という疑問が沸く。つまり、それは現実には起こっていないものだから、ダン中佐の頭の中で作り上げられたもののわけで、それなのに現実とまったく見まごうことない鮮やかな映像でいいの? 歪みとか、ためらいとか、そういったものが画面に反映されるのが本当なんじゃないの? もちろん、そういう歪みを出してしまったら謎解きのほうの魅力は減退してしまうのだけれど、その辺は何とか工夫できたんじゃないの?
 と、難癖をつけてみたくなりました。
 他に、感想を羅列してみると、
・ゲイリー・シニーズはかっこいい。
・ニコラス・ケイジはいやらしい。
・エンドクレジットの最後の謎もすべてが丸く収まってしまったあとではどうで もいい。(あれは、赤毛の女がつけてた指輪だよね、多分) 

イヤー・オブ・ザ・ホース

Year of the Horse
1997年,アメリカ,107分
監督:ジム・ジャームッシュ
撮影:ジム・ジャームッシュ、L・A・ジョンソン、スティーヴ・オヌスカ、アーサー・ロサト
音楽:ニール・ヤング、クレイジー・ホース
出演:ニール・ヤング、フランク・パンチョ・サンペドロ、ビリー・タルボット、ラルフ・モリー、ジム・ジャームッシュ

 20年以上も活動を続けているバンド、ニール・ヤング・アンド・クレイジー・ホースのドイツでのライブ映像とインタビューでクレイジー・ホースの活動を追うドキュメンタリー。
 自身クレイジー・ホースの大ファンであるジム・ジャームッシュが独特の感性で作ったミュージックビデオといえばいいだろうか? ライブ映像は一曲ずつフルコーラスやるので、ロック好きではない人には少々つらいかもしれない。しかし、ロック好き! という人にはたまらない作品。クレイジー・ホースの痺れるような演奏がとことん聞ける。あるいは、ロックというものに興味がなかった人(最近は、そんな人もあまりいないか)もこの映画を見れば、その力に圧倒されるかもしれない。
 ジム・ジャームッシュらしさもそこここに見られ、特に映像(ライブ以外の部分)に注目すれば、ジャームッシュの映画と実感できる。 

 まず、最初に誰もいないインタビュールーム(といってもこ汚い部屋)が映った時点で、「あ、ジャームッシュ」と思わせるほどジャームッシュの映像は独特だ。この部屋のような空間の多いものの配置がいかにもジャームッシュらしい。今回は、編集が「デッド・マン」などで組んだジェイ・ラビノウィッツであるというのも、ジャームッシュらしさが感じられる一因であるのだろう。
 それはさておき、ニール・ヤングとクレイジー・ホースがとにかくかっこいい。このギターおやじたちは何者だ? と思った方も多いかと思いますので、私の浅い知識で解説。ニール・ヤングといえば、いわずと知れた伝説のギタリスト。恐らく60年代から、バッファロー・スプリングフィールドに参加、その後CSNY(クロスビー・ステルス・ナッシュ・アンド・ヤング)に少し参加。あとはソロで活動したり、いろいろな人の横でギターを弾いたりしている人。ジャームッシュとの関係で言えば、「デッド・マン」で音楽を担当。クレイジー・ホースについては私も映画以上の知識はないんですが、ニール・ヤング単体の音と比較した場合、クレイジー・ホースのほうが明らかに轟音ですね。とにかく、一つのバンドに長くいることのないニール・ヤングが20年以上も活動しているということを考えると、これこそがニール・ヤングのバンドなのでしょう。
 とにかく、ジャームッシュがファンだということは伝わる。彼等の魅力を自分なりに伝えようと躍起になっている感じ。そのため、ライブの音は同時録音ではなく、別どりにしたらしい。音へのこだわり。
 この映画はトリップできるよ。特に大きなスクリーンで見ると。ざらついた映像とギターの轟音が体に突き刺さってきて、からだ全体を揺さぶられる。 

ラジオ・フライヤー

Radio Flyer
1992年,アメリカ,114分
監督:リチャード・ドナー
脚本:デビッド・ミッキー・エヴァンス
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:ハンス・ジマー
出演:ロレイン・ブロッコ、ジョン・ハード、アダム・ボールドウィン、イライジャ・ウッド、トム・ハンクス

 マイクとボビーの幼い兄弟はは離婚した母とともに着の身着のままでボロ車でアメリカを横断し叔母の家に身を寄せる。母はそこで出会ったキングと結婚し、カリフォルニアに移り住むのだが、実はボビーがキングに暴力を振るわれていることをある日マイクは知る。
 ラジオ・フライヤーは遊び道具などを載せてひっぱる子供用の荷車のこと。叔母さんの家にいるとき、ボビーが母親からプレゼントされ、それ以来兄弟はそれを常に持ちあるくが、これが物語の重要な要素に。
 物語は、マイクが大人になって回想するという形で語られるが、この語りをトム・ハンクスが担当。ノン・クレジットではあるが、聞けばすぐ気づく。本人も少し登場。 

 日本で言う文部省推薦映画という感じだが、かなり子供の視点というものにこだわった作品になっているところがいい。まず、恐怖の対象となっているキングはほとんど正視されることがない。影になっていたり、後姿だったり、手のアップだったり。虐待シーンも映されることはなく(子供同士のけんかは映す)、いかにもスピルバーグ風ファミリー映画という風情だが、監督がリチャード・ドナーなら仕方がない。
 リチャード・ドナーは「リーサル・ウェポン」シリーズは面白いけれど、そのほかはいまいちぱっとしないような気がする。「マーベリック」とか。その中ではこの作品はなかなかの佳作だと思う。そういえば、子供の頃「グーニーズ」を見てすごく面白かった気がする。今見たらどうなんだろう? 作り物くささが鼻についてしまったりするんだろうか? それとも子供の頃と同じく楽しく見れるのだろうか? 今度見てみよう。
 やっぱりこの映画、意外と面白かったと思います。何だか、すべてが当たり前の展開なんだけれど、なんだか心に引っかかるという感じ。地味目のキャスティングもかなりいい。あとは、犬の演技がすごくいい。