愛しのローズマリー

Shallow Hal
2001年,アメリカ,114分
監督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
脚本:ショーン・モイニハン、ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:アイヴィ
出演:グウィネス・パルトロー、ジャック・ブラック、ジェイソン・アレクサンダー

 独身男のハルは少年時代、尊敬した父親がなくなる瞬間に一人立ち会った。その父親がモルヒネの譫妄状態で残した最後の言葉は「女は見た目だ」というものだった。それがトラウマのように働いて女を見かけでしか判断できない彼は、クラブでも美女ばかりにアタックしては振られるという生活を続けていた。そんな彼がある日テレビで有名な心理カウンセラーに出会って…
 コメディ映画のヒットメイカーとなったファレリー兄弟がグウィネス・パルトロー主演で作ったロマンティック・コメディ。グウィネスが特殊メイクで300キロの女を演じたというのも話題に。

 まあ、コメディということで、あまり細かいところにはこだわりたくないのですが、どうしても引っかかるのでいっておきます。ちょっくらネタばれ目ですが、あまり気にしないでください。
 えー、マウリシオが心理カウンセラーに会いに行って問い詰めるところで、「どうして、知らない人の心なんて見えるんだ?」と質問する場面があります。そこでカウンセラーは「見ようと思えば見える」と答えるわけですが、この会話を受け入れられるかどうかでこの映画を受け入れられるかどうかが決まってくる。
 この映画を見ていて誰もが感じる疑問は、どうして待ち行く知らない人々の心のよしあしがわかるのか? ということで、ファレリー兄弟はその根本的な疑問をわざわざ自ら持ち出してくる。しかし、その答えを観客に対して用意するのではなくて、さらりと流してしまう。この確信犯的なごまかしには何かあると考えるのは考えすぎなのか?
 そもそも、この映画における「心が美しい」という基準はあまりに短絡的過ぎる。ボランティアをやっていたり、病気のおばあさんの看病をしたり、ただそれだけで心が美しい人になってしまう。ハルが見ている心の美しさとはそんな短絡的な美しさなのだ。
 となると、この映画でいう心のよしあしが見えるというのはあくまで表層的な心のよしあしで、その程度のものならば知らない人でも見ようと思えば見えるものだといってしまっているということができるかもしれない。だとすると、この兄弟は相当シニカルでやなやつらだが、一応筋は通る。
 でも、本当のところはおそらくそんなことまでは考えておらず、あるいは考えたかもしれないけれど、考えなかったことにして、「見ようと思えば見える」という無理やりな論法で、しかも美しさの基準もわかりやすいものにして、その単純な構造から生まれる単純な物語を語る。その単純さを求めたのだろう。ファレリー兄弟のコメディの作り方にはそんな単純化の傾向が見られ、その単純な物語でとりあえず観客を映画に乗せて、周りのギャグで笑わせようという発想があるのではないか。
 なので、結論を言ってしまえば、細かいことにはこだわらず、面白いギャグがあったら笑えばいい。ということになります。

流血の記録・砂川

1956年,日本,55分
監督:亀井文夫
撮影:武井大、植松永吉、城所敏夫、勅使河原宏、大野忠、亀井文夫
音楽:長沢勝俊
出演:寺島信子(解説)

 米軍基地の拡張が進む中、東京の近郊立川の砂川地区も、立川飛行場の拡張計画の用地となった。そのための測量が行われるが、先祖代々の土地を守るため拡張に反対する住民たちは測量を阻止しようと共同戦線を張る。闘争もすでに一年以上続き、映画も『砂川の人々』『砂川の人々・麦死なず』についで3作目となった。今回も測量隊による失敗のあと、武装警官が投入された。果たして砂川の人々は自分たちの土地を守ることができるのか…
 ピケを張る人々の中に混じり、まさに争いの渦中でカメラを回した迫力にあふれる作品。

 今思えば、このころからアメリカの軍事的身勝手さは明らかだった。どう考えても農民たちのほうに正当な権利があり、勝手に土地に入って測量などできないはずなのに、その測量を日本の国家権力にやらせ、自分たちは安全なところでほくそえみながら眺めている。そんなアメリカ軍を見るにつけ、なぜそのようにいられるのかと不思議になってくる。
 まあ、それはいいとして、この映画はメッセージがあまりに明確で、映画の中では明確に価値判断をしているわけではないけれど、その実情を見ていれば、それが言わんとしていることは明らかで、さらに亀井文夫が共産党員であるということも考えると、結論は言わずもがな。
 この映画を見ていると、亀井文夫の中立性を装った説教臭さというものが見えてくる。戦中の映画では亀井文夫は徹底的に中立であろうとしていた。それはもちろん反戦の主張をすることは検閲によって上映禁止になるばかりでなく、自らの見も危険にさらされるからだ。
 戦争が終わり、そのような規制がなくなっても、映画としては中立を保つ。どちらが正しいかを断言しない。しかし、カメラの視点は砂川の人々にあり、「人間の顔ではなく、青いヘルメットが迫ってくる」という言葉で警官隊のことを説明している以上、それを人間ではない人間として描いていることは確かだ。「人間対非人間」、その構図は日本軍が人々を戦争に駆り立てるために、日本人と中国人・英米人との対比に用いたものではなかったのか、人間主義あるいは自然主義に基づいて、戦争への危惧をうたった亀井文夫が、そのような非人間的な思想をそのフィルムのそこにこめていいのか? そんな気持ちが湧き上がってくる。
 果たして、どちらの亀井文夫が本当なのか。戦争中は規制のために自分を抑えていたのか、それとも自由をもてあまして言い過ぎてしまったのか。中立であろうとする心と、説教をしたいという欲求、そのふたつが常に亀井文夫の心の中にはあると思う。中立であろうという心が勝てば、そのときは素晴らしい映画が生まれるけれど、説教をしたいという欲求が勝ってしまったとき、その映画は失敗する可能性を秘めている。この映画は失敗とはいえないけれど、非難されるべき点もたくさんある。

モンスターズ・インク

Monsters. Inc.
2001年,アメリカ,92分
監督:ピート・ドクター
脚本:ダン・ガーソン、アンドリュー・スタントン
音楽:ランディ・ニューマン
出演:ジョン・グッドマン、ビリー・クリスタル、メアリー・ギブス、ジェームズ・コバーン、スティーブ・ブシェミ

 子供部屋のクローゼットの扉の向こう側にはモンスターたちの世界がある。モンスター界ではエネルギーとして子供たちの悲鳴が使われるためモンスターズ・インク社ではクローゼットの扉からモンスターを派遣して子供たちの悲鳴を集めている。しかし、モンスターたちは子供に触れられると死んでしまうらしい。そんなある日、会社ナンバー1のモンスターであるサリーはあやまって子供をモンスターシティに引き入れてしまう…
 『トイ・ストーリー』『バグズ・ライフ』と同じくディズニーがピクサーと組んで作ったフルCGアニメーション。従来のCGアニメと比べると毛皮の質感の表現が飛躍的に向上、フワフワ感がとてもいい。

 エンド・ロールに注目しよう。まず、エンドロールのほぼ全編にわたって流れるNGシーン、香港映画やアメリカのB級映画によくあるおまけだが、もちろんアニメにNGがあるわけもなく、わざわざこのために作られた映像であるわけだ。それにはかなりの費用と時間が掛かる。しかし、本編を作った後で、それを作る作業はとても楽しいものだろう、あーでもない、こーでもないといいながら、笑える演出を探す、そんな楽しい作成現場が目に浮かぶようだ。
 さらに、エンドロールの最後のほうに出てくる一文、「No monster was harmed in this motion picture.」という感じの文だったと思うが、これはもちろん普通の(実写)映画で動物虐待をしていないことを断るための一文のパロディだ。こんな人が気付くか気付かないか(そもそもエンドロールを最後まで見る人も少ない)というところまで遊びを加えるその精神に、この映画のすべてが象徴される。
 そう、この映画はすべてが遊び心でできていて、楽しく遊ぶためならどんな努力も惜しまない、そんな映画だ。言い古されて言い方でいえば、子供に夢を与えるために、ということだが、そんな言い古された言い方がぴたりとくるような、ウォルト・ディズニーがアニメを作る始めたころの精神がよみがえってくるようなそんな映画だ。

 まあ、物語などは単純というか、お決まりというか、あれですが、子供というのは単純な物語をくり返し見ることを好むようなので、この映画は子供にも非常によろしいのではないかと思います。
 大人としては、ストーリーがもっと複雑だったらいいのになぁ、とは思うものの、キャラクターのかわいさ(特にブーのしゃべり方や笑い方がなんともいえない)なんかを見て、母性本能だか父性本能だかをくすぐられるもよし、アニメにしてはよくできたアクションシーンを堪能するもよし(わたしはここが一番よかった。ドアのアクションシーンは最高!)、物語のからくりの奥にある現代社会を反映したような不正や巨悪について考えるもよし。単純に癒されるもよしです。
 関係ないですが、この映画に出てくるドアって、どうしても「どこでもドア」を思い出してしまう。『ライオン・キング』の『ジャングル大帝』のパクリ方といい、なんだか納得いかないものがありますね。日本はディズニーにとってかなり大きな市場のはずなのに、こんな商売してていいのかね? というディズニーへの反感も(いくらいい映画であるとはいっても)やはりわきます。

11’09″01/セプテンバー11

11’09″01 – September 11
2002年,フランス,134分
監督:ケン・ローチ、クロード・ルルーシュ、ダニス・タノヴィッチ、ショーン・ペン、今村昌平、アモス・ギタイ、サミラ・マフマルバフ、ユーセフ・シャヒーン、イドリッサ・ウエドラオゴ、ミーラー・ナーイル、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:ユーセフ・シャヒーン、サブリナ・ダワン、アモス・ギタイ、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ポール・ラヴァーティ、クロード・ルルーシュ、サミラ・マフマルバフ、イドリッサ・ウエドラオゴ、ショーン・ペン、マリー=ジョゼ・サンセルメ、ダニス・タノヴィッチ、天眼大介、ピエール・ウィッテルホーヘン、ウラジミール・ヴェガ
撮影:リュック・ドリオン、エブラヒム・ガフォリ、ピエール・ウィリアム・グレン、ヨハヴ・コシュ、ムスタファ・ムスタフィク、ホルヘ・ムレール・シルバ、モフセン・ナスール、岡正和、デクラン・クイン、ナイジェル・ウィローフビー
音楽:マイケル・ブルック、モハマド・レザ・ダルヴィシ、マニュ・ディバンゴ、オズワルド・ゴリジョフ、岩城太郎、サリフ・ケイタ、ヘイトール・ペレイラ、グスタフォ・サンタオラーラ
出演:エマニュエル・ラボリ、タチアナ・ソジッチ、ウラディミール・ヴェガ、田口トモロ、オケレン・モー、タンヴィ・アズミ

 2001年9月11日、NYのワールド・トレード・センターなどアメリカ全土で起こった同時多発テロ、このテロに対する反応として映画界が作ったのは、世界中の11人の監督に、11分9秒1フレームの短編を撮らせ、それを一本の映画とすることだった。
 かくして、アメリカ、イギリス、フランス、日本、イラン、イスラエル、インド、ボスニア、ブルキナファソなどの監督が自らの思いを映画にした。同時多発テロを直接描いたものから、その後について描いたもの、直接的には関係ない戦争の話を描いたものなど、内容は多岐にわたる。
 日本からは今村昌平監督が参加。

   面白いと思ったのは、2本目のクロード・ルルーシュのと、真ん中へんのブルキナファソのやつですかね。特に、ルルーシュのは非常にうまい、という気がします。それは、同時多発テロという世界的な大事件があったにもかかわらず、彼女は彼との分かれの手紙を書くことばかりに気をとられていた。もちろんそのようなことが起こっていることに気づいていれば、彼のことを心配し、手紙を書くのをやめていたのだろうけれど、そうではなくて手紙を書き続けた。それは彼女が聴覚障害者であったというのも理由の一つではあるけれど、そういうことはどこでも誰にでも起こっていた。日本でも翌朝起きるまで知らなかった人もかなりいただろうし、ワールド・トレード・センターの中にいた人もまた、いったい何が起こっているのかはわからなかっただろう。
 それはイランの子供たちも同じで、メディアから隔絶された生活をしている彼らにはそんな事件が起こったことは伝えられないし、伝わったとしても、高層ビルがどんなものであるかわからないのだから、どれほどまでに悲劇なのかを伝えることはできない。その意味でサミラ・マフアルバフの作品もわれわれに一つの示唆を与えてくれる。

 などと、言葉を並べていますが、9.11についてはこれまで散々言葉で語られてきて、それに反して映像で語ろうとする試みがこの映画なのである。だから私はこの映画に関してはあまり言葉で語らず、いろいろに解釈されうる断片の集合をそのまま無言で受け取りたい。いろいろな人がこの事件をいろいろな受け取り方をした。そのほとんどは言葉にならないような感情で、私自身も心の中で言葉にならない何かが起きた。この映画はそのような言葉にならない体験を思い起こさせ、反芻させ、忘却の淵から引き上げる。そのようなものだから、私はこれ以上ことばによってこの映画の力をそぐことはしたくない。

生きていてよかった

1956年,日本,49分
監督:亀井文夫
撮影:黒田清巳、瀬川浩
音楽:長沢勝俊
出演:山田美津子(解説)

 1955年、原爆投下から10年を迎えた広島・長崎で「第1回原水爆禁止世界大会」が開かれた、亀井文夫はその支援運動のひとつとして、その前後の期間、広島と長崎で被爆者たちを取材し、それをドキュメンタリーとしてまとめた。
 映画は顔の4分の1ほどが崩れ落ちた女神の像からをバックにしたタイトルから始まる。これは顔にケロイドができてしまった少女たちのメタファーなのだ。一部原爆投下直後のフィルムも織り交ぜられ、原爆投下10年後の現実を余すことなく伝える。
 勅使河原宏も助監督として参加している。

 50年代に入り、亀井は基地問題についてのドキュメンタリーを次々と発表したが、それもまた戦争と人々との係わり合いについて考えるためのものであったのかもしれない。そしてこの作品も戦争と人々とのかかわりについて考えさせられる。簡単に言えば、戦争は一部の人には深い傷跡となって残り続けるけれど、他の人々には忘れ去られてしまうものだということだ。亀井の作品はその忘却に抗って、そしてさらにそもそもそのような悲劇を知らない人々に知らしめるものである。
 それを象徴的に示すのは、原爆記念館を訪れた外国人の女性の「こんなことはあってはならない」というセリフだ。このセリフを吐かせたのは、原爆によってひん曲がってしまった少女の手のレプリカであり、それが展示されることが可能になったのは、その少女の母親が周囲の冷たい視線や反対を押し切って積極的に展示しようと動いたからだ。周囲の視線や、いわれなき差別は原爆被害者たちにその傷跡を隠そうとさせる。もちろん被害者たちもそのような傷跡を治療し元に戻したいだろうが、周囲がさらにその傷に塩を塗りこむようなことをする必要はない。
 そんな当たり前のことをこの映画は再認識させる。日本で育っていれば大概見たことがあるだろう原爆被害の悲惨な写真や映像やエピソードも時間とともに忘却のかなたに追いやられてしまう。それは新たな戦争、新たな核兵器への警戒心を緩めてしまう。だからその悲惨さや苦しみをくり返し忘却の淵から取り出さねばならない。
 この映画の戦争とのかかわり方はそういうことだ。戦争という悲劇を忘却の淵から掬い上げること。それもまた映画というものが戦争とかかわる一つのやり方である。

戦ふ兵隊

1939年,日本,66分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:古関裕而

 日本軍が奥地へ奥地へと侵攻していく中国大陸、映画はその中国の農民の姿で始まる。家が壊れたり焼けたりして途方にくれる人々、続いて「いま大陸は新しい秩序を 生み出すために 烈しい陣痛を 体験している」という文字が画面いっぱいに映される。
 この映画はナレーションはないが、字幕というかキャプションによって画面が中断される。そしてその字幕の多くは日本軍の偉業をたたえるものだ。そんな字幕によって区切られながら、映画は中国の奥深くへと進んでいく日本軍のあとを追う。
 この映画は内務省の検閲に引っかかって、公開禁止となり、ネガも焼却されたため「幻の映画」とされていたが、1975年に1本のポジフィルムが見つかった。

 この映画は『上海』や『北京』と比べると、兵隊たちが映っているシーンが多いが、それでも多くの部分を中国人たちの映像や、兵隊の平時の映像が占めている。これは亀井文夫の戦争に対する一貫した姿勢の表れで、それは『上海』のときのも述べたように、反戦とか軍部批判とかいったことではなく、あらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。
 それでも、少なくともこの映画が当時の映画界を支配していたプロパガンダ映画と異なっているということは確かだ。この映画を見て人々が戦争へと駆り立てられることはおそらくない。字幕の文字上では皇軍を賛美し、日本軍の偉大さを喧伝しているけれど、画面はそれとは裏腹にひっそりと静かである。最初に兵隊たちのキャンプが映るシーンで、断続的に大砲の音が鳴り響いているにもかかわらず、兵隊たちの行動に全く焦燥感はなく、日常的な光景が展開されている。これは文字や音よりも映像こそがメッセージを語るという信念の表れであるように思える。映画からナレーションを排したも、そのような映像の力を信じてのことだろう。

 このようなことを考えると、やはり亀井文夫は世間で言われるようにただ一人、戦争に反対し続けた映画作家だといいたくなっても来る。しかし、やはりわたしは亀井文夫が戦争に反対しているとは思えないし、そもそもこのようなプロパガンダではない映画を撮っていたのが亀井文夫一人であるとも思えない。阿部マーク・ノーシスは亀井がこのような反戦ととれるような映画を撮って、「どうして無事でいられると思ったのだろう?」という問いを自ら立て、それは「他の人々も全く同じように考えていたということだ」と答えている(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001 亀井文夫特集 パンフレット)。
 それはつまり、このような映画をトルコとは普通のことであって、むしろ検閲に引っかかったことのほうが不思議なくらいだったということだろう。そしてそれは、この映画が検閲を逃れようと工夫を凝らして作られたというよりは、素直に、思うがままに使える素材を十分に使って(多少の自主規制はあったにせよ)作られた映画だということだ。

 この映画は、映画というものが戦争とかかわる一つのかかわり方を示している。戦争と映画のかかわりについての議論に上るのはたいていの場合、その映画が戦争を推進するのか、それとも戦争に反対するのかということだ。
 これに対して、この『戦ふ兵隊』を中心とした亀井の一連の戦争ルポルタージュは戦争に賛成という表面上の意見表明は保ちながら、その実、賛成でも反対でもないという立場を暗に示す。
 では、この映画がどのように戦争とかかわっているのだろうか。基本的にこれらの映画が描くのは戦争と人間、あるいは自然との係わり合いで、戦争が人々の生活や自然にどのような影を落とすのかを描く。これはつまり、映画を見ている人々(つまり実際に戦場には行っていない人々)と戦争との係わり合いを描いたものなのである。
 戦争に対する賛成/反対を述べる映画にはその特定の戦争の評価、つまりその戦争が正義であるか否か、という価値判断が映画そのものの価値にかかわってこざるを得ない。それに対して亀井の戦争映画はより普遍的な戦争に対するかかわり方や姿勢を示すことが可能である。
 亀井がここで表明しているのは、戦争とはその戦場に住む人々や自然にとっては悲劇以外の何ものでもないということだ。それはその戦争が善であるか悪であるかという越え、戦争一般が是であるか費であるかという判断も留保し、ただ見る人それぞれにその戦争の、そして戦争一般の是非を問うているのだ。
 もちろん亀井のメッセージは「戦争は悲劇である」ということだろう。しかし、それを受け入れるかどうかは見るものに委ねられている。

小林一茶

1941年,日本,27分
監督:亀井文夫
撮影:白井茂
音楽:大木正夫
出演:徳川夢声(解説)

 「信濃では 月と仏と おらが蕎麦」という一茶の句に続いて、その句から思い起こされる長野県の、主に農民たちの生活を映していく。
 この映画は長野県が東宝に委託して作った観光PR映画「信濃風土記」シリーズの2作目として作られた。戦争が終わり、ようやく戦争物から離れることができた亀井文夫はこの作品で軽妙な語り部としての才能を如何なく発揮している。これが長野県のPRになっているかどうかはともかくとして、小林一茶について描いたものとしてはかなり面白いものであることは確かである。

 とても、短い映画なんですが、内容はなかなか濃いというか、小林一茶と生まれ故郷の長野の関係をしっかりと伝えている。そして長野県の土地の貧しさや農民の苦労を伝えている。だからこれを見て長野県に行こうとは思わないけれど、一茶には興味を持てる。
 さて、この映画は一茶の句をキャプションとして、それで章を区切って一茶の生涯を語っていくわけですが、その一つ一つの断章はある意味では一つの句の解釈になっている。わたしは俳句のことはほとんどわからないんですが、その解釈はおそらく一般的なものとは違う。終わり近くに「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」という句を出して、露害にやられた農民の姿を映す。そして、もう一度、今度はクローズアップで句のキャプションを出し、続いて農民のクローズアップを映す。このあたりの喜劇的なところも感心するが、その解釈の仕方にも感心する。喜劇的といえば、映画の最後に一茶の四代目の孫という人物が出てきて、「俺は俳句を作らないが米作る」といったところではなんともいえないおかしみが漂った。(その人が小さな一茶記念館「のようなもの」をやっているというのもささやかな観光PRっぽくって面白かったが)

 この映画のいいところは、一茶の句の力強さを認識し、映像がそれに勝てないことを前提としている点だ。一茶の句と拮抗する形で映像を提示するのではなく、一茶の句を広げる、あるいは句の余韻が残っている中で、それを映像で補完する、そのような作り方をしている。
 俳句と映画という意外な組み合わせがこんなにも豊かな映像作品を生み出すというのは、作家のそんな謙虚な姿勢があって初めて可能だったのだろう。

おしゃれ大作戦

1976年,日本,85分
監督:古沢憲吾
脚本:松木ひろし
撮影:鷲尾馨
音楽:広瀬健次郎
出演:由美かおる、岡崎友紀、沢田雅美、志垣太郎、磯野洋子

 浅野夫婦が校長(妻)と理事長(夫)を勤めるとある服飾学校が企業のバックアップでファッションイベントをすることにした。しかし、その学校のオーナーである実業家の吉良はそのイベントに自分の名前が入っていないことに腹を立て、スポンサーを撤退させ、イベント開催を条件に校長に言い寄ったが失敗し、イベントをつぶしてしまった。それを聞いた理事長は自棄酒を飲んで車を運転し、事故を起こして死んでしまう…
 監督の古沢憲吾は「無責任シリーズ」や「若大将シリーズ」の監督を務めてきたコメディの名手。これが遺作となった。お正月映画ということで、スターというか有名俳優がこぞって出演しているのも魅力。

 映画のすべての要素が「くだらなさ」に還元されてゆく。
 作られた当時の意図はわからないけれど、今見るととにかくくだらないことに一生懸命に見える。これは一種のお祭りなのだ。とにかくスターというかスター一歩手前ぐらいのおなじみの顔が多数出演しているのがまずこれがお祭り騒ぎであるという何よりの証拠だ。それに加えて、物語の下敷きが忠臣蔵というのもなんだか、お祭りだか恒例行事だかの匂いがする。
 などといっていますが、要するに言いたいのは「お祭り!」ということで、つまり面白ければいいということ。で、面白いのかといえば、面白い。くだらないと面白いとは必ずしもイコールでつながるわけではないけれど、徹底的にくだらない映画というのは概して面白いものが多い。

 ただ、この映画の場合、あまりにくだらなすぎる。というのは、普通の徹底的にくだらなくて面白い映画というのは映画を通して一貫したくだらなさを持っている。つまり傾向というか、全体が一つのネタになっていて、その中でいろいろとふざけて見せる。しかしこの映画の場合は、とにかく小さなくだらないことを集め集めて、その小さな物事をくっつけて映画にしている。たとえるならば、コントを演るお笑いコンビではなく、とにかくダジャレを連発する芸人集団という感じ。
 そのようなくだらなさだから、弱いといえば弱い。ずっと一貫してくだらないことは確かなんだけれど、ずっと面白いかといえばそうでもなくて、結構ムラがある。見る人による個人差はもっとあるだろう。とにかく勢いで持っていくので、笑って終わることはできる、素人はだませる、でも玄人の目はごまかせんぞ、フッフッフッフッフ。みたいな感じである(わかるかな?)。しかし、一方で出ている人たちや細かいネタをチェックしたいというマニア心もくすぐる。
 このマニア心というのは、今見ているからわいてくるのであって、みている当時はそのような観客層はなかっただろう。今となっては「なんじゃそりゃ」という笑いのネタになる冒頭の水前寺清子の歌も、歌手の八代亜紀さんとして登場する八代亜紀も、当時は一つの娯楽として映画の中に一つの役割を持っていたのでしょう。そんな時代性というものをつとに感じる映画でした。

北京

1938年,日本,74分
監督:亀井文夫
撮影:川口政一
音楽:江文也
出演:松井翠声(解説)

 1938年、東宝文化映画部は当時中国を侵攻していた日本軍を追ったルポルタージュを三部作として製作した。この映画はその3作目で、1作目の『上海』に続いて亀井文夫が構成・編集を担当している(第2作目の『南京』の監督は秋元憲)。
 映画の作りは基本的には『上海』と同じで、兵隊や戦場を撮るよりも、日本軍が通り過ぎた街の風景やそこに住む人々を描く。むしろ『上海』よりもさらに戦争そのものから離れてしまったような印象すら受ける。

 現存するフィルムでは、映画の最初の1巻が失われてしまったというテロップが最初に流れる。映画は紫禁城の建物や、そこに住んでいた西太后らについての解説から始まる。想像するに、1巻目には戦況の解説や北京の街についての概説が収められていたのだろう。それに続いて北京最大の建造物である紫禁城について描く。そのような構成であったと想像する。
 それは、この映画が『上海』と比べてもさらに戦争そのものについての言及が少なく、明確なものとしては終盤に登場する爆撃隊の映像くらい。それを考えると、最初にそこを抑えていたと考えざるを得ないわけだ。

 そのようなことを踏まえた上でこの映画について考えてみると、そもそも戦争というものが頭に浮かんでこない。『上海』では既存の戦争ルポルタージュの文法を逆手にとって、それとは違うものを作っているという感じがしたけれど、この映画はそもそも戦争ルポルタージュではないという気がしてくる。単純なルポルタージュで、その場所がたまたま戦場であっただけというような、そんな印象。
 特に映画の後半は、北京に住む普通の中国人たちの生活を克明に描く。わたしが一番好きなのは、糸屋とか紙屋とか床屋とかいろいろな商売の人たちが登場し紹介されるシーン、ほとんどの人は行商というか、売り物や商売道具を持って歩き回り、おそらくそれぞれの職業に特有だと思われる鳴り物で客を呼ぶ。これをとにかくいろいろな商売について紹介していく。ただそれだけのシーンなんだけれど、その商売の多様さや細分化の度合いを見ていると、それだけでそこで暮らす人々の暮らしぶりが見てくる気がする。

 まあ、それは冒頭の破壊された町の風景とは裏腹に、戦争があっても人々の暮らしは変わらず続くというメッセージであると受け取ることもできるけれど、わたしはその風景を、素朴に単純に眺め、味わいたい。この映画には、そのように感じさせるゆるりとした空気が流れている。
 そんな空気の中では、唐突に言及される爆撃隊はこの映画が戦争ルポルタージュであることを思い出させるためだけにあるような気がしてきてしまう。

バガー・ヴァンスの伝説

The Legend of Bagger Vance
2000年,アメリカ,125分
監督:ロバート・レッドフォード
原作:スティーヴン・プレスフィールド
脚本:ジェレミー・レヴェン
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ウィル・スミス、マット・デイモン、シャーリーズ・セロン、ジャック・レモン

 ゴルフ場で倒れた老人が、回想する昔話。
 南部の町サバナ一のゴルファーといわれていた青年ジュナは第一次世界大戦に参戦し、戦場で受けたショックからゴルフをやめてしまった。一方、ジュナの元恋人アデールは不況のあおりを受けて父親の残したゴルフ場が危機にさらされる。そこで、彼女は名ゴルファー二人のエキシビジョンマッチを企画するが、何故かそこにジュナが出場することになってしまい…
 レッドフォードが古きよきアメリカを描いたヒューマンドラマ。

 ノスタルジックな感じですね、つまり。グッド・オールド・デイズというやつですね。しかも南部というと、特にそんなイメージがつきまといますね。それが悪いというわけではないですが、あまり目新しさはないですね。しかも、そのノスタルジックな世界はおそらく現実とは違っていて、それはノスタルジーだから当たり前ではあるんだけれど、現実の姿よりも美しく描かれているに違いない。不況だといっているのにみんなこぎれいな格好をしているのもどうも気になるし、そもそも第二次大戦前の南部で黒人と白人があんなに対等な立場でいられたものかと考えるとかなりの疑問が生じてくる。
 しかも、映画のテーマも物語の展開もさして面白くはない。それでもなんとなく見させてしまうのは、映像の(月並みな)美しさと映画空間の閉鎖性だろう。主に自然の風景を映す映像の美しさというのはレッドフォードの得意技という感じで、『リバーランズ・スルー・イット』とかわんねぇジャン!という気もするけれど、それはそれでいいのでしょう。

 映画空間の閉鎖性というのは、この映画が外に広がっていく映画ではなくてあくまで映画の内部で閉じているということ。物理的にも、サバナという町から出ることはなく、登場する人々も少数の外から来る人意外はサバナの人々。
そして、そのサバナの町というのが映画のとしても前面に押し出されている。そして、物語的にもこの映画のはじめから終わりまでで完全に物語りは閉じていて、他に広がりようがない。バガー・ヴァンスは誰なんだ?とか、ジュナはどうなったんだ?とか、後日談のようなものは作れても、概念的な広がりを持つということはありえない。
 それは、否定的に見ればテーマ的な貧しさというか薄っぺらさととることもできるけれど、このようなすべてがイメージでできている映画においては、そのイメージがイメージとしてとどまれる範囲内で映画を作ってしまったほうがいい。この映画を素直に見ると、その見た人は自らをサバナという場に、そしてこの時代に置き、この映画で語られている時間だけを生きる。その閉鎖空間から出るきっかけを与えてしまうと、その空間が現実とあまりにかけ離れてしまうことに気がついてしまうから、その閉鎖空間を作り上げるイメージでがんじがらめにしてそこから逃がさない。しかも物語としても閉じているから、映画を見終わった後でも、別世界の出来事として現実から突き放して簡単に処理することができる。

 ちょっと、わかりにくいですかね。簡単に言ってしまえば、簡単に入り込めるし、映画を見ていてつまらないことはないけれど、終わってみれば何も残らず、3日か1週間か経ったら映画を見たことすら忘れてしまうような映画ということです。
 しかし、気をつけなければいけないのは、そのイメージはなんとなく残っていて、意識しないままにそのイメージを受け入れてしまうかもしれないということ。つまり、この映画が「おかしい」ということ(つまらないというのではなくておかしいということ)に気付く目を失わないように気をつけなければならないということ。だと思います。