マーゴット・ウェディング

登場人物がみな情緒不安定、見ているほうが不安になる“サイコ”映画

Margot at the Wedding
2007年,アメリカ,93分
監督:ノア・バームバック
脚本:ノア・バームバック
撮影:ハリス・サヴィデス
出演:ニコール・キッドマン、ジェニファー・ジェイソン・リー、ゼイン・バイス、ジャック・ブラック、ジョン・タトゥーロ

 作家のマーゴットは長く不仲だった妹のポーリンの結婚式のために息子のクロードと生家を訪れる。彼女は定職を持たない妹の婚約者に不満を述べ、隣家との間にいさかいを起こし、集まった人々は徐々に不満を募らせてゆく…
『イカとクジラ』のノア・バームバックが監督したファミリー・ドラマ。

 不仲だった妹の結婚式に出席するために生家を訪れるという導入、さらにジャック・ブラックが登場してアットホームなヒューマンドラマかと思うが、主演がニコール・キッドマンなだけにそうは行かない。ニコール・キッドマン演じるマーゴットはジャック・ブラック演じる妹の婚約者マルコムをろくでもないやつと決めてかかる。

 このマーゴットは柔らかな物腰ながら久しぶりに会った妹を支配しようとし、すべてが自分の思い通りに運ぶようにしなければ気がすまない。それはわがままというよりは独善的、自分の意見だけを信じ、周囲のことはまったく気にも留めない。そして自分の意見を押し付け、周囲がそれに同意するのが当然と思っている。

 こういういやな女を演じさせたらニコール・キッドマンはうまい。さすがに年とともに小じわは目立つようになったが、冷たい印象は健在、氷のような美人とはまさにニコール・キッドマンのためにある言葉だと思ってしまう。

 しかもこのマーゴットは非常に不安定な女だ。自信満々に振舞いながらも実は常に不安に襲われていて、人のあら探しばかりし、自分の不安感は薬に頼らなければてなづけることができない。

 そして、彼女に振り回せれる周囲の人々も不安定な人ばかり。これではまったくかみ合わず、はっきりとした物語は生まれないのは当たり前のこと。もちろんそれが狙いなのだろうけれど、こういう散漫な物語というのはどうも苦手だ。

 それでもそんな母親を慕い、母親の元から離れようとしない息子のクロードの存在は非常に印象的だ。マーゴットはもちろんクロードも自分の思うままになるように仕向け、ある程度それに成功しているわけだけれど、さすがに息子も母親の不安定さやいやらしさに気づいてもいる。母親への愛情と世間の評価との間の齟齬に戸惑う彼の心理はこの映画にわずかな実感を与えている。

 最後の最後までこのマーゴットの行動は予想がつかない。見るものはその予想のつかなさに不安になり、映画の中に何か確かなものがないかと探してみるのだが、唯一確かなものであったはずの大木も切り倒され、探る手は虚空で空を切るばかりだ。そんなどこを向いても見通しの聞かない世界の中で、同じく途方にくれるジャック・ブラックがわずかながら唯一、共感を覚えうる存在だった。彼が象徴する男の矮小さ、だらしなさ、見栄っ張りなところにはうなずける。

 もしかしたら女性はポーリンにそれを見出すのかもしれないが、とにもかくにも不安を掻き立てる映画だ。

ゲット スマート

スパイ映画とコメディをバランスよく、そんなに笑えないけど面白い。

Get Smart
2008年,アメリカ,110分
監督:ピーター・シーガル
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:トレヴァー・ラビン
出演:スティーヴ・カレル、アン・ハサウェイ、アラン・アーキン、ドウェイン・ジョンソン、テレンス・スタンプ、マシ・オカ、ネイト・トレンス、ビル・マーレイ

 アメリカの秘密諜報組織“コントロール”に所属する分析官のマックスはエージェントへの昇格を目指すが、分析官として優秀なゆえにかなわなかった。そんな折、コントロール本部の爆破事件が発生、エージェントたちの情報が漏れてしまったため、マックスが急遽エージェント86として整形したばかりのエージェント99とともに任務に就くことに…
 1960年代のTVシリーズ「それいけスマート」を現代風にリメイク。オリジナルの脚本に参加しているメル・ブルックスが監修としてクレジットされている。

 おバカなスパイがドタバタを展開しながらも活躍するというアクション・コメディなわけだが、コードネームが“エージェント86”ということからもわかるように基本的には“007”のパロディからスタートしている。“007”と同じようにさまざまな秘密兵器が登場するのだが、その趣向を凝らした秘密兵器が面白い。

 話のほうも主人公のマックスがロシアに潜入、ドタバタを繰り広げながらも成果を挙げどんどん展開していく。その二転三転する展開はありきたりといえばありきたりだが、スパイ映画として及第点のプロットというところだろう。

 ただ、笑いをちりばめることによってその話のほうにあまり注意が向かなくなるということもある。まあ話だけに集中して見られるほど練られたプロットではないので、散漫になるくらいでいいのかもしれない。つまり、笑いとプロットに注意が分散することで1本の映画として成立している、そんな映画だということだ。これをどちらにしても中途半端と取るか、いいバランスの取り方だと見るかは観る人次第。私はこれはありだと思うが、日本人にはあまり好まれるタイプの映画ではないと思う。

 オリジナルがメル・ブルックスで、監修でクレジットもされているわけだが、このメル・ブルックスが日本では好みの別れるところだ。私もそれほど好きではないが、好きな人にはたまらないのではないだろうか。主演がスティーヴ・カレルというところもメル・ブルックス的な者を感じるし、ビル・マーレイが登場したシーンなんかはその系統の笑いの真骨頂を感じた。

 それでもやはりバカバカしさも欲しいということで、バカバカしい部分の担当におちこぼれのエージェントと開発担当のオタク2人を配した。マシ・オカとネイト・トレンスが演じたオタク2人のほうはスピンオフ作品『ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート』の主役となって活躍したくらいだから、好評だったのだろう。

 ヒットを受けてシリーズ化の計画も進行中だとか。

ウォルマート/世界一の巨大スーパーの闇

嘘つきで守銭奴で差別主義者、それがウォルマートだよ!

Wal-Mart: The High Cost of Low Price
2005年,アメリカ,98分
監督:ロバート・グリーンウォルド
撮影:クリスティ・テュリー
音楽:ジョン・フリッゼル

 世界最大の小売企業ウォルマート、年間売り上げ40兆円、従業員210万人という大企業が成長を続け、巨額の利益を上げることが可能な理由とは?
 映画監督でプロデューサのロバート・グリーンウォルドが巨大企業の闇にせまった社会派ドキュメンタリー。アメリカでは劇場公開されて大きな話題を呼び、ウォルマートの経営方針にも影響を与えたといわれる。

 ウォルマートといえば日本でも西友を子会社化して間接的に進出しているが、アメリカでは他の追随を許さぬ巨大スーパーマケットチェーン。その売上が年に40兆円に上ることが作品の冒頭で明かされる。40兆円という金額はちょっと想像がつかないが、日本の国家予算(一般会計)の約半分と考えるとそのすごさが少しわかる。

 そしてこの映画はオハイオ州の田舎町でウォルマートの進出によって店をたたまざるを得なくなった家族のエピソードから始めることで、この巨大企業の負の側面を描こうとしていることがわかりやすく示される。ただ、大規模なスーパーマーケットの進出によって個人商店がつぶれるというのは日本でもよく聞く話、それだけではお話にはならない。

 この作品が描くウォルマートのひどさは、この巨大企業が競争相手を叩き潰すだけではなく、従業員、顧客、工場労働者を搾取して利益を生み出しているという点だ。特に前半に描かれる従業員に対する搾取は凄まじい。アメリカの医療保険制度の不備は『シッコ』などにも描かれているが、ウォルマートの医療保険はそんなアメリカの中でもひどく、従業員のほとんどが保険料を払えない。それどころかウォルマートの従業員の中はフルタイムで働いているにもかかわらず生活保護を受けている人までいるという。こんな会社は聞いたことがない。

 その後も出てくるのはウォルマートに対する批判、批判。ウォルマートの経営者は嘘つきで、守銭奴で、差別主義者で、ろくでなしである。それは間違いないようだ。

 もちろん、それは一方的な非難でもある。この作品はウォルマートを徹底的に悪者にし、CEOの映像を道化のように使い続ける。その証拠はない。しかし終盤で登場するウォルマートに対抗する人たちが口々に語るようにウォルマートという巨大な権力に対して市民はあまりに無力なのだ。その力の差を覆すには時には嘘も交えた詭弁を弄するしかないのだ。

 圧倒的に不利な戦いを正攻法のみで戦うというのは自殺行為だ。敵が嘘を武器として使うならこっちも使う、そんな汚い手段も許せるほどにこの映画に描かれたウォルマートはひどい。

 この作品が公開され反響を呼んだ結果、ウォルマートの体質も少しは改善されたらしい。駐車場の警備は強化され、ハリケーン“カトリーヌ”の被害者に対する支援を行ったという(MXテレビ放送時のコメント)。この作品当時世界長者番付の6位から10位に名を連ねていた創業者の遺族は、2007年版では23位から26位に位置している。まあそれでもその合計は800億ドル異常だが3年間で20%ほど減少している。

 創業者一家の金持ちぶりはともかくとすれば、この作品は1本の映画が巨大な権力を動かす力になりうることをある程度証明したと言うことができるだろう。この作品以外でも『スーパーサイズ・ミー』がマクドナルドを動かすなどの例もある。

 とにもかくにもこういう作品が作られなければ、普通の人々にその闇が知られることもない。日本のイーオンやユニクロは本当に大丈夫なのか、大きな企業の活動というのは注意深く見なければならないのだということを改めて認識させてくれる映画だ。

団塊ボーイズ

ディズニーらしいコメディ映画。でもウィリアム・H・メイシーがいい!

Wild Hogs
2007年,アメリカ,99分
監督:ウォルト・ベッカー
脚本:ブラッド・コープランド
撮影:ロビー・グリーンバーグ
音楽:テディ・カステルッチ
出演:ジョン・トラヴォルタ、ティム・アレン、マーティン・ローレンス、ウィリアム・H・メイシー、マリサ・トメイ、レイ・リオッタ

 実業家のウディは妻に逃げられた上に破産、歯科医のダグはストレスを溜め込み、小説家を目指すボビーは仕方なくトイレ修理の仕事に就き、エンジニアのダドリーは恋愛に縁がないのが悩み。そんな4人は学生時代からのバイク仲間で“ワイルド・ホッグス”というチームを結成している。ある日、ウディは遠乗りに乗り出そうと3人を誘うが…
 ジョン・トラヴォルタ主演のコメディ・ロード・ムービー。ディズニーらしい毒にも薬にもならない感じだが悪くはない。

 50代に差し掛かったおじさんたちがいろいろ悩みを抱えながら旅に出るという話。世代的には“団塊”ではないが、まあ日本人の観客にはうまく訴えられる邦題ではある。アメリカでは中年の危機が50歳くらいで訪れるが、日本では定年とともに来るということだろうか。

 まあとにかく若い頃とは違うけれどまだまだ人生あきらめないし、若い者にもそう簡単には負けないという気概が気持ちいい。

 ただ、昔からの仲間だという設定にしては明らかにマーティン・ローレンスだけが若すぎる。仲間の一人にアフリカ系がいたほうがいいという考えはわかるが、年齢がちょっと。といわれて他にいい役者がいるかといわれるとなかなか難しいわけだが… マーティン・ローレンスのキャラクターは作品にあっているし、“おじさん”という枠も必要なわけだから、まあ妥協点としては妥当だと思うが、少し違和感があった。

 しかし、ウィリアム・H・メイシーが活躍するというのがこの作品のいいところ。主演はジョン・トラヴォルタだし、普通に考えればトラヴォルタがスターなわけだけれど、作品の中ではダメ男でメイシーのほうが光っている。この演出がこの作品を救ったことは間違いない。これでトラヴォルタが活躍しちゃったら、相当いやらしい映画になっていた。監督のウォルト・ベッカーはまだそんなにキャリアはないが、なかなかいい監督ではないか。

 しかし、ディズニーってのはいやらしい作品を撮る。マーティン・ローレンスを入れるというのも戦略の一つだが、ゲイの警察官を登場させるというのも一つの戦略だ。あからさまに差別をすることはないが、人々が抱える偏見をうまく利用しながら笑いにもっていく。暴力は登場するが血が流れたりすることはなく、もちろん人が死んだりはしない。酒場が爆発したのに誰も死なないどころか怪我もしないってのはちょっと無理があるんじゃないかと思うが、見ているときにはそこにあまり疑問を覚えることはない。その仕組みの周到さがなんともいやらしい。

 ファミリー向けにはこれでいいと思うが、こういう作品を喜んで見るような大人にはなりたくないものだ。毒にも薬にもならないが、もしかしたら毒にも薬にもなるのかもしれないのがディズニー映画なのだろう。

私の小さな楽園

女の不思議な魅力が“愛”について考えさせるブラジル映画の佳作

Eu Tu Eles
2000年,ブラジル,102分
監督:アンドルーチャ・ワディントン
脚本:エレナ・ソアレス
撮影:ブルノ・シウヴェイラ
音楽:ジルベルト・ジル
出演:ヘジーナ・カセー、リマ・ドゥアルチ、ステニオ・ガルシア、ルイス・カルロス・ヴァスコンセロス、ニウダ・スペンサー

 ブラジルの農村地帯、ダルレーニは花嫁衣裳を着て村を出るが、数年後小さな息子を連れて帰ってくる。ちょうどその日、祖母をなくしたダルレーニは声をかけてきた中年男オジアスと結婚することに。彼は新居を建てたばかりだったが、ダルレーニに働かせてラジオを聴いてばかりいた…
 ブラジルの田舎を舞台におおらかにたくましく生きる女を描いたドラマ。

 ひとりの女が息子を連れて田舎に帰ってくる。そこで新居を建てたばかりという中年男と結婚する。しかし男は働きもせず、その女ダルレーニがサトウキビの収穫の仕事をし、料理をし、水汲みをし、洗濯をする。そして親切な男と浮気をし、子供が生まれる。それでも生活に変化はないが、今度は男の従兄弟が家を追い出され転がり込んでくる。その従兄弟ゼジーニョはダルレーニに親切で今度はそのゼジーニョの子供が生まれる。そしてさらに…

 というなんだかニンフのような話だが、実のところこのダルレーニは美人というわけではなく、自分自身が働いているわけだから何人もの男を作って悠々と生きているというわけでもない。彼女はおそらくただ純粋にそれぞれの男を愛している。だから自ら働き、子供を生み、子供を育てる。男たちは自分が裏切られていると知っていてもダルレーニから離れることができない。それはダルレーニの魅力によるものだが、それ必ずしも彼女の女としての魅力だけではなく、彼女の人間としての魅力や彼女が注いでくれる愛に引き寄せられてしまうのだ。

 変な話ではあるけれど、ひとつの愛の形を示していることは確かだ。一夫一妻制という道徳によって成立した愛の形とは異なるある意味では始原的な愛、それを素直に表現しているのがダルレーニなのかもしれない。人は愛する相手を独占したいものだけれど、複数の相手から愛されたいというわがまま欲望も持っている。そして複数の相手を同時に愛することも場合によってはできる。

 こんなどろどろとした話では普通なら嫉妬が渦巻き、「こいついやな奴だなぁ」なんて思う人物が登場してくるものだけれど、この映画にはそれがない。誰もが少しずつ我慢しながらある程度自分の欲望を満たし、自分なりの妥協点を見出している。

 このような関係が理想的ということは絶対無いけれど、なんだかちょっと魅力的ではある。人間と人間の関係というのは本当に不思議なものだ。

 結局のところいったい何が言いたいのかということはこの映画からは見えてこないけれど、それでいいのだろう。人間のありようには本当にさまざまな形があるものだ。

ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート

スピンオフという名のB級コメディ、ときどきクスリと笑える。

Get Smart’s Bruce and Lloyd Out of Control
2008年,アメリカ,72分
監督:ジル・ジュンガー
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ルーク・ガイスビューラー
音楽:ポール・リンフォード
出演:マシ・オカ、ネイト・トレンス、ジェイマ・メイズ、マリカ・ドミンスク、J・P・マヌー、ラリー・ミラー

 アメリカの諜報機関“コントロール”の研究員ブルースとロイドは“透明マント”を開発、バッテリーの問題もブルースのひらめきで解決していよいよ完成した。しかし、いざ本部に渡すという段になって盗まれていることが発覚、ブルースとロイドはそれを取り返すべく臨時の工作員になるが…
 『ゲットスマート』のスピン・オフとして制作されたアクション・コメディ。「HEROS」のマシ・オカが映画初主演。

 優秀だけれどドジな研究員ふたり組みがドタバタを繰り広げるという話。まあはっきり言ってただそれだけだ。笑いはちらほら、主役のブルースとロイドのふたりのキャラはなかなか面白いのだが、どうも脚本がもたもたしていてテンポがない。

 スピン・オフ作品ということなので、もとを見ていたほうがいいのかとも思うが、おそらく見ても見なくてもそう変わらない。アン・ハサウェイがカメオ出演するあたりは元ネタと関係してくるのだろうが、ほんのワンカットに過ぎない。

 安っぽいのは仕方がないところだが、もう少し間を詰めて内容を盛り込んでいったらもっと面白い作品になったような気はする。ブルースとロイドの関係(たとえばMITと田舎の工科大学という差)をいじるネタなんかは面白いし、ブルースのガールフレンドになるニーナもいろんな意味で存在感があった。

 しかしこんな作品が作られるというのはマシ・オカがアメリカではかなり人気があることの証左だろう。「HEROS」で人気が出て、『ゲット・スマート』では重要な脇役で出演、『燃えよ!ピンポン』なんかにも出ている。アクション/コメディ映画のアジア系の脇役としてこれからも重宝される存在になるだろう。

 スピンオフ作品というかたちをとっているが、1本の映画にするほどの内容ではなかった。TVシリーズの1話くらいにはなる内容だと思うが、やはり研究員は研究で活躍し、エージェントはエージェントで活躍したほうが映画としては面白い。もちろんそれではスピンオフではなくなってしまうのだが…

落語娘

落語の世界を細かいところまで上手に描いていて気持ちがいい

2008年,日本,109分
監督:中原俊
原作:永田俊也
脚本:江良至
撮影:田中一成
音楽:遠藤浩二
出演:ミムラ、津川雅彦、益岡徹、伊藤かずえ、森本亮治、利重剛

 12歳のとき、大好きな叔父のために落語を覚えた香須美は落語の虜となり、大学では落研で学生コンクールで優勝、憧れの三松家柿紅に入門を願いでる。が、その3年後の現在、香須美は三々亭平佐のただひとりの弟子、平佐はテレビで問題を起こして現在謹慎中、香須美は肩身の狭い思いをしていた。
 落語界に飛び込んだひとりの女性を描いたコメディ・ドラマ。落語という素材を生かしたプロットや設定で、落語好きもそうでない人も楽しめる作品になっている。

 男社会の落語界に女性が入るというと、NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」がまず思い出される。この映画もそんな男社会で女性が苦労しながら成長する話なのかと思うと、そんな話でもありながら、それだけではない。

 作品のテーマとしては結局そういうことなのだが、この作品が取り上げるのは香須美の師匠の平佐が演者を呪い殺すという禁断の話を40年ぶりに高座にかけるという挑戦を描いたちょっとオカルトめいた物語である。

 女性落語家を主人公としながら、彼女自身の物語を中心に持ってこないことでこの映画は成功した。もしただ彼女だけの話にしてしまっていたらべたべたしすぎてちっとも落語的ではなくなってしまっただろう。そんな意味では香須美が大学の後輩から「ずっと好きでした」と告白されたことに対する処理の仕方も、平佐とTV局の女プロデューサーとの関係も落語的でいいと思う。

 落語ファンとしては、撮影場所となった末広亭の楽屋の様子を見ることができたりするのは嬉しい。落語監修として参加している柳家喬太郎が末広亭の高座でおなじみの枕を語っているのがほんの数秒映ったり、春風亭昇太が彼らしい役で特別出演しているというのもうれしい。

 津川雅彦の高座もうまい。彼の役は赤いバンダナを頭に巻いていかにも立川談志を参考にしたという落語家なので役作りもしやすかったのだろう。1本のネタを完全に高座にかけるとなったらどうかわからないが、1カット分の長さで演じられる落語を見る限りその辺の落語家に劣ることはないうまさだ。これがベテラン俳優のうまさというところだろうか。

 若い女性に落語ブームが続いていることもあって、女性の入門者は年々増えているというが、女性の真打はまだ少なく、女性落語家の地位は低い。この映画の中で益岡徹演じる三松家柿紅が言うように落語家を寿司職人にたとえて女性落語家を否定するというのもよく聞く。私はそれはあくまでも“慣れ”問題だと思うが、落語というのは基本的に男性の視点で作られているものが多く、女性がそのまま語ったのでは違和感がある噺が多いことも確かだ。

 落語というのは古典であっても話し手によってさまざまにアレンジがなされて個性が出るもの、男性であろうと女性であろうと、その話を自分のものにしてこそ本当の落語家になれる。女性のほうがその労苦は少し多いと思うが、きちんと消化して自分の噺として語ることができればどんな観客でも納得するのだと思う。

 こんな映画が作られている間はまだまだ女性落語家なんてのは動物園のパンダのようなもの。女性の真打が当たり前になって本当の人気落語家が女性から出てくれば落語という芸の幅も広がって、また違った形で映画にもなるかもしれない。ぜひ頑張って欲しいものだ。

ウォンテッド

笑ってしまうほどに過剰なアクション。“ひどい”映画だが面白い。

Wanted
2008年,アメリカ,110分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
原作:マーク・ミラー、J・G・ジョーンズ
脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース、クリス・モーガン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:ダニー・エルフマン
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジェームズ・マカヴォイ、モーガン・フリーマン、テレンス・スタンプ、トーマス・クレッチマン

 1000年続くという暗殺集団“フラタニティ”、その内紛で幹部の一人が殺された。一方、ウェスリーはパニック障害を抱えるさえないサラリーマン、ある日ドラックストアで殺し屋に命を狙われ、美女に助けられるその美女フォックスはウェスリーの父親が腕利きの殺し屋だったと告げる…
 『ナイト・ウォッチ』のティムール・ベクマンベトフがハリウッドに進出して撮った痛快アクション、笑ってしまうほどに過激なアクションがすごい。

 この映画ははっきり言ってひどい。いろいろな意味でひどい。

 まずはなんと言ってもアクション。最初のアクションシーンからして、カーチェイスで車が横向きに回転しながら障害物を飛び越えたり(自分で書きながら意味がわからないが)という「んなアホな」というシーンが次々と飛び出す。こういうあまりにありえないものを見たときの人間の反応というのは“笑ったしまう”というものだ。このシーンを見た多くの人がつい笑ってしまっただろう。

 そんな笑ってしまうアクションシーンというのはアクション映画をシリアスに考えるとあまりよくない。まったくリアリティを欠いているということだし、リアリティを著しく欠くシーンがあるということはその作品自体がリアリティを失ってしまうからだ。

 しかし、単純に「笑ったしまう」という現象だけを取り上げると決してそれは不愉快なものではない。なんと言っても笑ってしまうのだから。“笑いヨガ”なんて健康法もあるくらいに笑いというものは気持ちのいいものだ。

 そして『マトリックス』以後の一部のアクション映画は過剰なアクションによって“笑い”を提供してきた。それはもはやコメディでもアクションでもないスペクタクルであり、映画の新ジャンルとも言っていいくらいに多くの作品を生み出してきた。

 そしてこの作品はそんな新ジャンルの極みとも言うべき作品の一つだ。映画をシリアスに捕らえる人にはまったく持って理解不可能、不愉快ですらあるだろう。しかしこのジャンルにはまってしまった人には最高の作品だ。

 不愉快という点から見ると、この映画のもう一つのひどさがある。この作品は“フラタニティ”という組織内に焦点を絞ればプロットもよく練れているし、辻褄も合うし、楽しめる。しかしこの組織と外部とのかかわりを考えるとまったくもってひどいものだ。1000人を救うためにひとりを殺すなどと言っておきながら、人が死に過ぎる。

 死ぬのが悪人であるとか、エイリアンであるなどしてその死が意味を持たないようにしてあれば人がたくさん死んでもスペクタクルの一部として消化でき、ハリウッド映画はよくそんな手法を使うのだが、この映画はそんな配慮をすることもなく善意で無実の人たちがあっさり死んでしまう。これはちょっと嫌悪感を覚える人も多いかもしれない。

 人は見ているものがいくら空想の産物だと知ってはいてもどこかでそこに自分を投影し、現実を投影してしまう。そうなると、この作品の“ひどさ”は耐え難い。でも人間はそれをおいておいて空想の世界に浸ることもやろうと思えば出来る。「死にすぎだよ」と思ってもそれを空想と片付けて楽しむことができれば、そのひどさも忘れられるというものだ。

 ひどいといえば、DAIGOの吹き替えも相当ひどいらしい。どれだけひどいか検証したい人以外は字幕でどうぞ。

雪の下の炎

自らのプロパガンダ性を暴露してまで訴える“正義”の映画

Fire under the Snow
2008年,日本=アメリカ,75分
監督:楽真琴
撮影:ブラディミール・スボティッチ、リンク・マグワイア、楽真琴
音楽:アーロン・メンデス
出演:パルデン・ギャッツォ、ダライ・ラマ14世

 1959年のラサ蜂起に際して逮捕されたチベット僧のパルデン・ギャッツォは33年間に渡る囚人生活で幾多の拷問を経験し、多くの仲間の死を目にしてきた。現在はインドに亡命してチベット独立のための運動を続ける彼はアメリカやイタリアに渡って世界に訴えかける。
 中国のチベット弾圧の生き証人パルデン・ギャッツォの半生と現在の活動を追ったドキュメンタリー。監督はNY在住の日本人監督楽(ささ)真琴、これが初の長編作品になる。

 チベットにおける中国による人権侵害は、2008年の北京オリンピックに際して大きな問題となった。そしてその翌年2009年は1959年のラサ蜂起から50年という節目の年を迎え、その問題にさらに焦点が当てられることとなった。

 そしてこの映画の主人公パルデン・ギャッツォはその50年のうち33年間を囚人として過ごしたチベット僧である。しかも彼が刑務所に入れられた理由は簡単に言ってしまえばチベット独立を訴えたからである。しかもその間、度重なる拷問が行われ、周囲では仲間が次々と死んでいった。

 この映画はそのパルデン・ギャッツォが1996年のチベタン・フリーダム・コンサートで自分の拷問に使われた“電流棒”を示すところからはじまる。しかし彼はその悲惨な自分の状況を無表情に語り、舞台裏では満面の笑顔を浮かべる。衝撃的な事実と彼の魅力、それが冒頭にはっきりと示されて見るものは彼の人生にぐっと引き込まれる。

 このドキュメンタリーはパルデン・ギャッツォという魅力的な人物を通して「チベット解放」を訴える映画である。ドキュメンタリーには乱暴な言い方をすれば2つある。ストレートな主張をする映画と客観的に観察する映画である。ほとんどのドキュメンタリーはこの2極の間のどこかにあるといえるのだが、この作品は「主張をする映画」という極にほぼ一致する位置にある。

 その内容は今までなかなか私たちの目には触れることのなかったチベット弾圧の事実を白日のもとにさらすものであり、正義を主張するものである。虐げられているチベットの人たちに目を向けろと世界に訴えるそんな正義の映画だ。

 ただそのためには手段を選ばない。中国政府は徹底的な悪人に仕立て上げられ、IOCまでもそれに加担する“敵”のような描かれ方をする。作品の中にはパルデン・ギャッツォの平和だった子供時代を想起させるようなスチル写真や回想シーンじみた再現フィルムが挿入される。それは彼の少年時代そのものを記録したものでは決してないにもかかわらず、彼の半生を語る文脈の中で何の説明もなく使われる。

 中国政府が刑務所で行った暴力的な“洗脳”とはもちろん比べるべくもないが、一方的な情報を都合のいい創作まで加えて伝えるというのはプロパガンダへの道を開く。しかし、この作品はプロパガンダに陥るすれすれのところで踏みとどまっていると私は思う。それはこの創作部分が「明らかに」彼の少年時代そのものではないというところにある。明らかに事実そのものではない映像を挿入することで、自身のプロパガンダ性を明らかにしているのだ。

 世界を目覚めさせるには極端と言っていいほどの刺激が必要になることもある。この作品はあえてプロパガンダ的な要素を取り入れることで刺激を強め、見る者の無知を攻撃する。事実のような顔をしたドキュメンタリーが必ずしも客観的な視線を保っているとは限らないということを自ら暴露しながら、なおも主張し続ける。その主張は確かに力強い。

 ただその内容は決して暴力的ではないということも最後に言っておく必要があるかもしれない。パルデン・ギャッツォは本当に強い人間だが、あくまでも優しく慈愛に満ちている。彼の優しい笑顔こそがこの映画の最大の武器なのだ。

大理石の男

社会主義体制下でしたたかに社会に訴えかけるワイダの労作

Czlowiek z marmuru
1977年,ポーランド,160分
監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:アレクサンドル・シチ、ボル・リルスキ
撮影:エドワルド・クウォシンスキ
音楽:アンジェイ・コジンスキー
出演:イエジー・ラジヴィオヴィッチ、ミハウ・タルコフスキ、クリスティナ・ヤンダ、タデウシュ・ウォムニッキ

 大学の卒業制作の映画制作に取り組むアニエスカは大理石像にもなった労働者の英雄ビルクートの生涯を追う。“技術的理由から”未発表となったニュースフィルムに彼の姿を認めたアニエスカは昔の彼を知る人物にインタビューをしていくが、なかなか彼の実像に近づくことができない…
 “抵抗三部作”以来久々にワイダがポーランド社会を正面から捉えた労作。カンヌ映画祭国際批評家賞を獲得。

 レンガ工としてレンガ積みの新記録を作り、英雄に祭り上げられた男ビルクート、いまはその消息すら聞こえてこないその男を映画にしようと考えたアニエスカは博物館の倉庫に埋もれている彼の大理石像を発見する。

 そして、映画は彼女がビルクートの生涯を追っていくのに伴って彼の生涯を描いていく。彼が名を上げたレンガ積みを記録した映画監督、その時代に彼と親交があった男、その話を基に作られた再現映像が積み重ねられ、彼の実像が徐々に明らかになっていく。なぜ英雄であった彼の写真が壁からはがされ、行方も知れぬ存在になってしまったのか。その物語は非常に面白い。

 彼を知る人々は警戒心を抱きながら、彼に関する事実を少しずつ明らかにしてゆく。未発表のニュース映像なども見つかり、このビルクートという人物に観客の興味はひきつけられていく。そして、その中でポーランド社会の誤謬や体制の理不尽さなどが明らかにされてゆくのだ。

 なぜこの映画がポーランドで可能になったのかと疑問を覚えたが、よく考えればこの作品が槍玉に挙げている社会の不正はあくまでも昔のものであり、おそらく旧体制のものだったのだろう。この映画が作られたそのときの現存する政権に対する批判が含まれていなければ検閲は通る。そういうことだったのではないかと私は思った。

 2時間40分という長尺はさすがに長く感じられ、終盤には見疲れてしまう感じもあったが、最後の最後まで考えられた構成はさすがとしか言いようがない。最後にアニエスカはビルクートの息子を見つける。その息子は再現映像に登場したビルクートにそっくりなのだ。そして彼は淡々と「父は亡くなりました」という。このアンチクライマックスは拍子抜けのように思えるが、最後の最後アニエスカはビルクートの息子とテレビ局に行く。そのときふと気づくのだ。再現映像に出ていたのはこの息子なのだと。

 そこからこの長い映画の持つ意味ががらりと変わる。この作品に挿入されていたもしかしたら再現映像は彼女がこの息子を発見してから撮ったものかもしれないのだ。だとすると、ニュース映像として提示されているそっくりの人物が登場する映像も…? ビルクートとそっくりな息子が登場することでこの映画には多くの謎が生まれ、さまざまな解釈が生まれる。

 そして、ワイダが4年後に同じ二人を起用した『鉄の男』を撮っていることも意味深だ。しかも、この『鉄の男』はポーランドに成立した“連帯”を支持する作品として作られた。

 ワイダはこの『大理石の男』で“連帯”へと向かう若者たちを予言しているかのようにも見える。あるいは、“落ちた英雄”の伝記という形を借りて、現在の若者が抱える社会に対する疑問を映像化したというべきか。しかもその疑問は表立っていわれることは決してなく、幾重にもカモフラージュされた表現の中にのみ見出すことができるのだ。