ツィゴイネルワイゼン

1980年,日本,145分
監督:鈴木清順
脚本:田中陽三
撮影:永塚一栄
音楽:河内紀
出演:原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、磨赤児

 汽車で旅をする男は列車で琵琶を持った盲目の三人組を見かける。鄙びた駅で降りたその男・青地は偶然そこで殺人の嫌疑をかけられているみすぼらしい格好の元同僚・中砂にであった。うまく中砂を救った青地は中砂とともに橋のたもとで列車で見かけた盲人の三人組を見かけた。二人は地元の料亭へとゆき、小稲という芸者と出会う…
 日活を追われた鈴木清順が復活を遂げた一作。清順らしい不条理な世界観と磨き抜かれた映像センスがすばらしい。

 鈴木清純らしい代表作といえば、「陽炎座」か「ツィゴイネルワイゼン」というイメージが付きまとうくらいの代表作ですが、初期のハチャメチャさとくらべるとかなり落ち着いているというか、洗練されている感じがする。
 一番凄さを感じたのは、終盤の大谷直子の登場シーン。たびたび青地のところを訪ねてくる小稲は常に薄暗いところに立つ。上半身は明るく、足下は暗くて見えない。しかし、ライティングを感じさせないその明るさのグラデーションが凄まじい。これは照明技師(大西美津雄)の技量によるところが大きいだろうけれど、それを撮らせてしまう清順のセンスもやはり凄い。
 そんな映像の凄さに圧倒され続け、あまりプロットにかまけることができないくらい。しかし、物語の核のなさというのも、個人的には非常に好きな点で、その点、この映画もいろいろなエピソードが絡みあいそうで絡み合わないまま、なぞを残しつつ進んでいくところが中々。
 この映画はおそらく一度見ただけで語るのは失礼なくらい凄い映画だと思うので、あまり語らず、また見に行きたいと思います。

ゆきゆきて、神軍

1987年,日本,122分
監督:原一男
撮影:原一男
音楽:山川繁
出演:奥崎謙三

 反体制運動家の奥崎謙三、傷害致死、わいせつ図画頒布などで13年以上の独房生活を送った彼の活動を追ったドキュメンタリー。悲惨を極めたニューギニアから帰還した奥崎はそのニューギニアで起こった様々な悲惨な出来事の解明に乗り出す。
 今村昌平が企画をし、原一男が監督・撮影を行った日本のドキュメンタリー史に残る映画。斬新というか型破りというか、ドキュメンタリーというジャンルの典型からは大きく外れた映画。

 これは果たしてドキュメンタリーなのか、実際の起こったことを映しているという意味ではドキュメンタリーだが、この奥崎謙三という人物はエンターテナーだ。自分を見せるすべを知っていて、それをカメラの前でやる。しかしそれは彼の主義主張にあったものなのだから、作り物というわけではない。だから、フィクションかドキュメンタリーかという区分けをするならばドキュメンタリーの範疇に入る。ただそれだけのこと。ドキュメンタリーというのもあくまで程度の問題で、いくらかはフィクションの割合が入っているものである。カメラが存在することですでにノンフィクションというものは存立不可能になっている。したがって、完全にノンフィクションではないドキュメントをいかにノンフィクションらしくしかもドラマチックに見せるのか、それがいかにすぐれたドキュメンタリーであるのかという事。
 この映画はノンフィクションらしく見せるという点では余り成功していない。しかし、ドラマチックであることは確かだ。そしてそのドラマチックさはそれがノンフィクションであるということに起因している。リアルな喧嘩、省略なく行くところごとに繰り返される同じ説明、それらは見るものをいらだたせるまでに繰り返される。事実はこうであるのだということ。
 見る人によっては嫌悪感すらもよおすだろうし、私も好きなタイプの映画ではないけれど、すごいということもまた事実。

100人の子供達が列車を待っている

Cien Nin~os Esperando un Tren
1988年,チリ,58分
監督:イグナシオ・アゲーロ
撮影:ハイメ・レイエス、ホルヘ・ロート
出演:チリの子供達

 チリのとある村。教会の映画部門の担当者が子供たちのための映画教室を開く。最初の授業、子供達に映画を見たことがあるかと聞くと、ほとんどの子供はないと答えた。そんな子供たちに映画をその成り立ちから楽しく授業する様を描いたドキュメンタリーの秀作。
 チリという国がどうとか言うよりは、子供たちと一緒に映画を純粋に楽しむことができる楽しい作品。

 この映画は楽しい。映画というものがどのように成立し、映画史がどのように発展してきたのかを知らない人はもちろん、それを知らない人もそれを体験するということは楽しい。子供たちが純粋に驚きを表したように単純に驚く。
 この映画はスタイルとしては非常にオーソドックス。最初教室を上から撮ってバッハが流れるところなどは、「おお、いかにもドキュメンタリー」という感じ。しかし、内容としてはインタビューがある以外はあくまでも被写体に介入することなくただみつめているだけというところは好感を持てる。ドキュメンタリーで最悪なのは、中途半端に被写体に介入し、味方であるような顔をしながらプライヴァシーを踏みにじるもの。生活すべて浸りきるほどの覚悟がないのなら被写体にはまった干渉しない方がいい。
 そんな意味で、この映画の距離感は好感をもてる。インタビューの仕方もうまくて、両親と一緒に子供がインタビューを受ける場面などは子供の自尊心をくすぐりながら効果的に教室の意味のようなものを引き出している。
 本当はチリという国、あるいはラテンアメリカ全体の映画事情に対するアンチテーゼともなっている映画なのですが、そのことを語らずとも十分にいい映画なのです。
 1つ言っておくならば、最初の子供たちのアンケートで数少ない映画を見たことがある子供が答えた「ランボー」や「ロッキー」というタイトルが、ラテンアメリカにおけるハリウッド巨大映画資本の支配の象徴であるということです。

スター・ウォーズ/ジェダイの復讐

Return of the Jedi : special edition
1983年,アメリカ,137分
監督:リチャード・マーカンド
脚本:ジョージ・ルーカス
撮影:アラン・ヒューム
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アンソニー・ダニエルズ

 ハン・ソロを救うためジャバ・ザ・ハットの宮殿に向かったルークは見事救出に成功。ヨーダに会うためダゴバに向かうが、ヨーダはルークにジェダイの称号を与え、秘密を明らかにして息を引き取る。一方帝国は新たなデス・スターを完成させつつあった。
 スター・ウォーズとりあえずの完結編をこれまた最新技術でリマスター。しかし、もとの製作が83年なので、前2作と比べるとそれほど変わったところは目立たなかった。

 なんとなく、前作からのつなぎと、とりあえずの〆ということを果たさなければならないことで映画の大半が使われてしまった観がある。当時はかなりすごかった森での空中バイクのチェイスシーンも今見るとそれほどすごくもない(そりゃ、エピソード1に比べりゃね)し、ちょっとしつこい。スター・ウォーズは基本的にしつこい。1シーンが長い。と思うのは、何度もみて内容がわかっているからだろうけれど、やはり何度みても興奮冷め遣らぬくらいでなくては名作とはいえないわけで、その辺りがちょっと…
 そこで考えたのは、第2部再編集版をつくって! ということです。3作をまとめて再編集して、3時間くらいにまとめてくれ! ということです。やってくれないだろうな…
 もう一つ考えたのは、エピソード7を撮るときに、ハリソン・フォードやマーク・ハミルもちょうどよく歳をとっているね。ということ。

アメージング・サーフ・ストーリーズ

Amazing Surf Stories
1986年,アメリカ,80分
監督:スコット・ディトリッチ
音楽:イアン・スチュアート、タイ・ウラー、リック・シャープ
出演:ショーン・トムソン、マット・アーチボルド、トム・カレン

 6ヶ所のビーチで波に挑むサーファー達を映したドキュメンタリーフィルム。いわゆる「サーフィン映画」で、特にドラマもなく、エピソードが語られていく。風景やサーフィンしている姿はかなり目を奪うものがあるが、「映画」として見るには少々無理があるかも。しかし、意外といつまで見ていても飽きないのも不思議なところ。

 いわゆるサーフィン映画というのは、実質的にはビデオと同じでメディアとしてとしてフィルムが使われているというだけ。サーフィンというのは相当スピード感のあるものなので、もしかしたら、普通の映画とは違うコマ数で撮っている(普通の映画は毎秒24コマ)のかもしれない(高速度撮影ってやつね)。そうすると、スローモーションなんかは非常にきれいに写るわけですが、結局上映するときは24コマ/秒に戻すわけだから、他の部分はコマを飛ばして使うわけでいっしょになってしまう気もする。どうなんだろう。見た感じでは、他の16ミリの映画より(この映画は16ミリ作品らしい)映像がきれいだったように感じましたが…
 などと答えのわからない技術的な疑問などが浮かんでしまいましたが、サーフィン映画というのは意外と見ていて飽きない。ただ波に乗っているだけなのに、くっとみいってしまう。見ているうちに、それぞれの人の乗り方の違いなんかが分かってくるのも不思議。
 こんなものもたまにはいいかな。

ビッグ・トラブル

Big Trouble
1986年,アメリカ,89分
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:アンドリュー・バーグマン、ウォーレン・ボーグル
撮影:ビル・バトラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ピーター・フォーク、アラン・アーキン、ビヴァリー・タンジェロ、ヴァレリー・カーティン

 保険会社に勤めるレナードには、三つ子の息子たちがいる。しかも三人そろって大学へ進学、妻は三人をどうしてもエール大学に行かせたい。でも、レナードの給料ではとても無理。そんなレナードのところに奇妙な保険の依頼が…
 不思議なテンポで進んでいく、シュールなコメディ映画。まさにこれぞB級!といった味わいで、チープさと思い切りのよさが映画中にあふれている。この映画が気にいらない人は、B級映画とは肌が合わないということでしょう…

 最初の三つ子という設定からして不思議で、さらに音楽の才能があってどうしてもエール大学に行かなきゃならないという動機付けもよくわからない。しかし、映画が始まってしまうと、そんなことに疑問をはさませないスピード感を作り出すだけの才能をカサヴェテスは持っている。
 この映画のB級さ加減はすごくいい。金庫のつくりから、テロリストの登場の仕方まで映画のプロット自体が相当B級だが、それよりもどうにも笑ってしまったのが部長をさらって暗い道で止まり、レナードとスチーブ(この字幕もかなりB級)が歩き回る場面で、明らかに照明が人物を追っているところ。真っ暗な道で、人が動くと明るい部分も動くというなんともチープなつくり。現実に似せようという努力はまったく感じられないところがいい。
 というわけで、B級映画のよさを遺憾なく発揮した作品でした。

バットマン

Batman
1989年,アメリカ,127分
監督:ティム・バートン
原作:ボブ・ケイン
脚本:サム・ハム、ウォーレン・スカーレン
撮影:ロジャー・プラット
音楽:ダニー・エルフマン
出演:マイケル・キートン、ジャック・ニコルソン、キム・ベイシンガー、ジャック・パランス

 罪を犯したものを罰する正義の味方バットマン。その正体は謎のままだが、そんなバットマンにライバルが現れた。
 有名なアメリカンコミック「バットマン」2度目の映画化。ティム・バートン監督、マイケル・キートンがバットマン、ジャック・ニコルソンがジョーカーと役者はそろったという感じだが、バートン作品としてもいまいち、バットマンとしてもいまいちという作品になってしまった観がある。

 ティム・バートンらしく、全体的に暗いトーンで展開されているところは好感が持てるが、そこはバットマン、正義の味方のお話なのだから、しゃきしゃきとしていないとやはり苦しい。だから娯楽作品バットマンとしても弱いし、バートン色も薄められてしまう。
 バートンとしては、「ビートルジュース」と「シザーハンズ」という2つの代表作の間に撮った作品で、力を抜いたというわけではないだろうが、どうも商業主義的なものに引っ張られてしまったんじゃないかという勘繰りをしてしまう。とことんバートン色を出したらそれはそれで面白い映画になったのかもしれないが、バットマンファンには反感を買うかもしれない。それなりにヒットしたのだから、ある意味では成功なのかもしれないが、純粋に映画としてはなんともという感じがしてしまう、なんとなくバブリーな感じのする映画でした。

トニー・ヒル作品集

1984~93年,イギリス,44分
監督:トニー・ヒル
撮影:トニー・ヒル
出演:キース・アレン、ジェームズ・モーガン、ボニー・ヒル

 イギリスの映像作家トニー・ヒルの短編を集めたオムニバス。
 作品は「車輪の歴史」「ヴュアーを持つ」「時報映像」「ウォーター・ワーク」「拡張映画」「ダウンサイド・アップ」の6本。
 この作品群の特徴は人間と重力の関係の安定性を奪うカメラワーク。カメラを固定する点が重力とはまったく無関係に設定されるので、不思議な空間感覚を味わうことが出来る。

 最初の「車輪の歴史」で車輪に固定されたカメラが出てきてこれがかなり面白い。いってしまえば風景がぐるぐると回るだけだが、そのまったく変化させられて視線というのはなんとなく楽しく新鮮だ。それは他の作品でも継続していくが、より明らかになっていくのは「重力」に対する反抗心。「ウォーター・ワーク」の中で壁を蹴って歩く人なんかは完全に重力(ここでは浮力も)を敵にまわしてがんばっている。
 見て、感じて、それがすべてという感じ。大画面で見ればよりいっそうのトリップ感が得られたと思う。

かさぶた

Le Gale
1987年,イラン,86分
監督:アボルファズル・ジャリリ
脚本:アボルファズル・ジャリリ
撮影:アタオラフ・ハヤティ
出演:メヒディ・アサディ、アスガル・ゴルモハマッディ、ホセイン・マルミ

 新聞配達の少年ハメッドは反政府的なチラシを所持していたとして裁判を待つ間少年院に送られる。そこには室長と呼ばれる威張りくさった少年をはじめ、いろいろな少年が収監されていた。
 少年院という閉じられた空間、虐げられた状況の中での少年たちの関係を描いた作品。物語というほどの物語はなく、映画は淡々と進んでいくが、映像は最初のシーンから素晴らしい。

 物語としては、奥歯に物の挟まったような感じ。それは監督の意図なのか、それとも規制の中での苦心の末なのかはわからないが、核心に行こうとすると話がそれていってしまう気がする。だからどうしても展開が単調になるし、先の展開を求めることで映画に入り込んでいくということも出来にくくなる。
 なので、この映画を見るなら映像に注目しよう。何せ、最初の街(テヘランかな?)のうえからの画。画面の上下にまっすぐ道が走っていて、その周囲はごちゃごちゃと建物が立てこんでいる。その画がそもそも美しいうえ、その画面のちょうど真中に妙に浮いた感じで高速道路らしきものが映っている。そして次のカットは橋らしきものを下から見た画面。そしてその橋からビラのようなものがどさっと降ってくる。これだけでかなりいい。
 その後も映像は面白く、ヨーロッパやアメリカの映画とは明らかに違う映像でしかも美しかったりする。一列に座った少年たちが必死に頭をかきむしるのを左から右にずーーーっとパンして映してみたり。
 あとは、この映画は非常に反復が多い。シャベルで土をすくうところとか、プールに飛び込むところとか、それはそれで映像としてなかなか面白くていいのだが、一番気になるのは少年たちの嬌声。最初は少年たちがまだ子どもであるということを意識させてくれていいかなとも思ったが、本当に繰り返し繰り返しでてくると、だんだん耳についてくる。このあたりは狙いなのかどうなのか。狙いだとしたらそれは苛立ちの表現なのか。苛立ちならば、それは映画に対する規制の中で思うように表現出来ないことに対する苛立ちなのか。等々等々などと勝手な推理が進んでいきます。

ブラッド・シンプル/ザ・スリラー

Blood Simple
1983年,アメリカ,95分
監督:ジョエル・コーエン
脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:カーター・バーウェル
出演:ジョン・ゲッツ、フランシス・マクドーマンド、ダン・ヘダヤ、サム=アート・ウィリアムズ

 真夜中の一本道を走る車の中、酒場で働くレイはボスの妻であるアビーに好きだという気持ちを打ち明けた。そして2人はそのままモーテルへと向かった。しかし翌朝、モーテルの部屋の電話が鳴る。それはアビーの夫マーティだった。
 アビーの浮気を発端にドミノ倒し的に展開されてゆく事件、また事件。デビュー作ながらすでにスタイルを確立させていたことが感じさせる、言い知れぬ怖さと不気味なユーモアにあふれた作品。いまや売れっ子のバリー・ソネンフェルドもカーター・バーウェルもこれがデビュー作とは驚かされる。

 最初の車のシーンから非常にこった作りで、やはりコーエン兄弟は映像的工夫無くしては語れないということを実感。コーエン兄弟の何たるかを知っている今となってはあまりにコーエン兄弟らしい作品に驚かざるを得ない。
 最もコーエン兄弟らしいと感じるのはストーリー。登場人物たちは自らの意志で動いてはいるのだけれど、なんとなく不思議な力に突き動かされてしまうような感覚。しかもそれが悪い方へ悪い方へと進んでいる慣性を持っているのが常。この映画でも「ファーゴ」の誘拐犯たちのように、みながみなはまらなくてもいいはずの深みにはまっていってしまう。なぜそうなってしまうのかはわからないけれど、どうしてもそうなってしまう。その辺の分からなさがやはりコーエン兄弟らしさなのでしょう。そして面白いところ。
 本当は、しっかりとどこがどう面白いのか分析しなければならないのでしょうが、私にはわかりません。分からなさがいいとしかいいようがない。分かってしまう人もいるのだろうけれど、私はわからなくていいです。分からないまま見るからますます分からなくなっていくそんな悪循環?