ゲット スマート

スパイ映画とコメディをバランスよく、そんなに笑えないけど面白い。

Get Smart
2008年,アメリカ,110分
監督:ピーター・シーガル
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:トレヴァー・ラビン
出演:スティーヴ・カレル、アン・ハサウェイ、アラン・アーキン、ドウェイン・ジョンソン、テレンス・スタンプ、マシ・オカ、ネイト・トレンス、ビル・マーレイ

 アメリカの秘密諜報組織“コントロール”に所属する分析官のマックスはエージェントへの昇格を目指すが、分析官として優秀なゆえにかなわなかった。そんな折、コントロール本部の爆破事件が発生、エージェントたちの情報が漏れてしまったため、マックスが急遽エージェント86として整形したばかりのエージェント99とともに任務に就くことに…
 1960年代のTVシリーズ「それいけスマート」を現代風にリメイク。オリジナルの脚本に参加しているメル・ブルックスが監修としてクレジットされている。

 おバカなスパイがドタバタを展開しながらも活躍するというアクション・コメディなわけだが、コードネームが“エージェント86”ということからもわかるように基本的には“007”のパロディからスタートしている。“007”と同じようにさまざまな秘密兵器が登場するのだが、その趣向を凝らした秘密兵器が面白い。

 話のほうも主人公のマックスがロシアに潜入、ドタバタを繰り広げながらも成果を挙げどんどん展開していく。その二転三転する展開はありきたりといえばありきたりだが、スパイ映画として及第点のプロットというところだろう。

 ただ、笑いをちりばめることによってその話のほうにあまり注意が向かなくなるということもある。まあ話だけに集中して見られるほど練られたプロットではないので、散漫になるくらいでいいのかもしれない。つまり、笑いとプロットに注意が分散することで1本の映画として成立している、そんな映画だということだ。これをどちらにしても中途半端と取るか、いいバランスの取り方だと見るかは観る人次第。私はこれはありだと思うが、日本人にはあまり好まれるタイプの映画ではないと思う。

 オリジナルがメル・ブルックスで、監修でクレジットもされているわけだが、このメル・ブルックスが日本では好みの別れるところだ。私もそれほど好きではないが、好きな人にはたまらないのではないだろうか。主演がスティーヴ・カレルというところもメル・ブルックス的な者を感じるし、ビル・マーレイが登場したシーンなんかはその系統の笑いの真骨頂を感じた。

 それでもやはりバカバカしさも欲しいということで、バカバカしい部分の担当におちこぼれのエージェントと開発担当のオタク2人を配した。マシ・オカとネイト・トレンスが演じたオタク2人のほうはスピンオフ作品『ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート』の主役となって活躍したくらいだから、好評だったのだろう。

 ヒットを受けてシリーズ化の計画も進行中だとか。

ウォルマート/世界一の巨大スーパーの闇

嘘つきで守銭奴で差別主義者、それがウォルマートだよ!

Wal-Mart: The High Cost of Low Price
2005年,アメリカ,98分
監督:ロバート・グリーンウォルド
撮影:クリスティ・テュリー
音楽:ジョン・フリッゼル

 世界最大の小売企業ウォルマート、年間売り上げ40兆円、従業員210万人という大企業が成長を続け、巨額の利益を上げることが可能な理由とは?
 映画監督でプロデューサのロバート・グリーンウォルドが巨大企業の闇にせまった社会派ドキュメンタリー。アメリカでは劇場公開されて大きな話題を呼び、ウォルマートの経営方針にも影響を与えたといわれる。

 ウォルマートといえば日本でも西友を子会社化して間接的に進出しているが、アメリカでは他の追随を許さぬ巨大スーパーマケットチェーン。その売上が年に40兆円に上ることが作品の冒頭で明かされる。40兆円という金額はちょっと想像がつかないが、日本の国家予算(一般会計)の約半分と考えるとそのすごさが少しわかる。

 そしてこの映画はオハイオ州の田舎町でウォルマートの進出によって店をたたまざるを得なくなった家族のエピソードから始めることで、この巨大企業の負の側面を描こうとしていることがわかりやすく示される。ただ、大規模なスーパーマーケットの進出によって個人商店がつぶれるというのは日本でもよく聞く話、それだけではお話にはならない。

 この作品が描くウォルマートのひどさは、この巨大企業が競争相手を叩き潰すだけではなく、従業員、顧客、工場労働者を搾取して利益を生み出しているという点だ。特に前半に描かれる従業員に対する搾取は凄まじい。アメリカの医療保険制度の不備は『シッコ』などにも描かれているが、ウォルマートの医療保険はそんなアメリカの中でもひどく、従業員のほとんどが保険料を払えない。それどころかウォルマートの従業員の中はフルタイムで働いているにもかかわらず生活保護を受けている人までいるという。こんな会社は聞いたことがない。

 その後も出てくるのはウォルマートに対する批判、批判。ウォルマートの経営者は嘘つきで、守銭奴で、差別主義者で、ろくでなしである。それは間違いないようだ。

 もちろん、それは一方的な非難でもある。この作品はウォルマートを徹底的に悪者にし、CEOの映像を道化のように使い続ける。その証拠はない。しかし終盤で登場するウォルマートに対抗する人たちが口々に語るようにウォルマートという巨大な権力に対して市民はあまりに無力なのだ。その力の差を覆すには時には嘘も交えた詭弁を弄するしかないのだ。

 圧倒的に不利な戦いを正攻法のみで戦うというのは自殺行為だ。敵が嘘を武器として使うならこっちも使う、そんな汚い手段も許せるほどにこの映画に描かれたウォルマートはひどい。

 この作品が公開され反響を呼んだ結果、ウォルマートの体質も少しは改善されたらしい。駐車場の警備は強化され、ハリケーン“カトリーヌ”の被害者に対する支援を行ったという(MXテレビ放送時のコメント)。この作品当時世界長者番付の6位から10位に名を連ねていた創業者の遺族は、2007年版では23位から26位に位置している。まあそれでもその合計は800億ドル異常だが3年間で20%ほど減少している。

 創業者一家の金持ちぶりはともかくとすれば、この作品は1本の映画が巨大な権力を動かす力になりうることをある程度証明したと言うことができるだろう。この作品以外でも『スーパーサイズ・ミー』がマクドナルドを動かすなどの例もある。

 とにもかくにもこういう作品が作られなければ、普通の人々にその闇が知られることもない。日本のイーオンやユニクロは本当に大丈夫なのか、大きな企業の活動というのは注意深く見なければならないのだということを改めて認識させてくれる映画だ。

団塊ボーイズ

ディズニーらしいコメディ映画。でもウィリアム・H・メイシーがいい!

Wild Hogs
2007年,アメリカ,99分
監督:ウォルト・ベッカー
脚本:ブラッド・コープランド
撮影:ロビー・グリーンバーグ
音楽:テディ・カステルッチ
出演:ジョン・トラヴォルタ、ティム・アレン、マーティン・ローレンス、ウィリアム・H・メイシー、マリサ・トメイ、レイ・リオッタ

 実業家のウディは妻に逃げられた上に破産、歯科医のダグはストレスを溜め込み、小説家を目指すボビーは仕方なくトイレ修理の仕事に就き、エンジニアのダドリーは恋愛に縁がないのが悩み。そんな4人は学生時代からのバイク仲間で“ワイルド・ホッグス”というチームを結成している。ある日、ウディは遠乗りに乗り出そうと3人を誘うが…
 ジョン・トラヴォルタ主演のコメディ・ロード・ムービー。ディズニーらしい毒にも薬にもならない感じだが悪くはない。

 50代に差し掛かったおじさんたちがいろいろ悩みを抱えながら旅に出るという話。世代的には“団塊”ではないが、まあ日本人の観客にはうまく訴えられる邦題ではある。アメリカでは中年の危機が50歳くらいで訪れるが、日本では定年とともに来るということだろうか。

 まあとにかく若い頃とは違うけれどまだまだ人生あきらめないし、若い者にもそう簡単には負けないという気概が気持ちいい。

 ただ、昔からの仲間だという設定にしては明らかにマーティン・ローレンスだけが若すぎる。仲間の一人にアフリカ系がいたほうがいいという考えはわかるが、年齢がちょっと。といわれて他にいい役者がいるかといわれるとなかなか難しいわけだが… マーティン・ローレンスのキャラクターは作品にあっているし、“おじさん”という枠も必要なわけだから、まあ妥協点としては妥当だと思うが、少し違和感があった。

 しかし、ウィリアム・H・メイシーが活躍するというのがこの作品のいいところ。主演はジョン・トラヴォルタだし、普通に考えればトラヴォルタがスターなわけだけれど、作品の中ではダメ男でメイシーのほうが光っている。この演出がこの作品を救ったことは間違いない。これでトラヴォルタが活躍しちゃったら、相当いやらしい映画になっていた。監督のウォルト・ベッカーはまだそんなにキャリアはないが、なかなかいい監督ではないか。

 しかし、ディズニーってのはいやらしい作品を撮る。マーティン・ローレンスを入れるというのも戦略の一つだが、ゲイの警察官を登場させるというのも一つの戦略だ。あからさまに差別をすることはないが、人々が抱える偏見をうまく利用しながら笑いにもっていく。暴力は登場するが血が流れたりすることはなく、もちろん人が死んだりはしない。酒場が爆発したのに誰も死なないどころか怪我もしないってのはちょっと無理があるんじゃないかと思うが、見ているときにはそこにあまり疑問を覚えることはない。その仕組みの周到さがなんともいやらしい。

 ファミリー向けにはこれでいいと思うが、こういう作品を喜んで見るような大人にはなりたくないものだ。毒にも薬にもならないが、もしかしたら毒にも薬にもなるのかもしれないのがディズニー映画なのだろう。

私の小さな楽園

女の不思議な魅力が“愛”について考えさせるブラジル映画の佳作

Eu Tu Eles
2000年,ブラジル,102分
監督:アンドルーチャ・ワディントン
脚本:エレナ・ソアレス
撮影:ブルノ・シウヴェイラ
音楽:ジルベルト・ジル
出演:ヘジーナ・カセー、リマ・ドゥアルチ、ステニオ・ガルシア、ルイス・カルロス・ヴァスコンセロス、ニウダ・スペンサー

 ブラジルの農村地帯、ダルレーニは花嫁衣裳を着て村を出るが、数年後小さな息子を連れて帰ってくる。ちょうどその日、祖母をなくしたダルレーニは声をかけてきた中年男オジアスと結婚することに。彼は新居を建てたばかりだったが、ダルレーニに働かせてラジオを聴いてばかりいた…
 ブラジルの田舎を舞台におおらかにたくましく生きる女を描いたドラマ。

 ひとりの女が息子を連れて田舎に帰ってくる。そこで新居を建てたばかりという中年男と結婚する。しかし男は働きもせず、その女ダルレーニがサトウキビの収穫の仕事をし、料理をし、水汲みをし、洗濯をする。そして親切な男と浮気をし、子供が生まれる。それでも生活に変化はないが、今度は男の従兄弟が家を追い出され転がり込んでくる。その従兄弟ゼジーニョはダルレーニに親切で今度はそのゼジーニョの子供が生まれる。そしてさらに…

 というなんだかニンフのような話だが、実のところこのダルレーニは美人というわけではなく、自分自身が働いているわけだから何人もの男を作って悠々と生きているというわけでもない。彼女はおそらくただ純粋にそれぞれの男を愛している。だから自ら働き、子供を生み、子供を育てる。男たちは自分が裏切られていると知っていてもダルレーニから離れることができない。それはダルレーニの魅力によるものだが、それ必ずしも彼女の女としての魅力だけではなく、彼女の人間としての魅力や彼女が注いでくれる愛に引き寄せられてしまうのだ。

 変な話ではあるけれど、ひとつの愛の形を示していることは確かだ。一夫一妻制という道徳によって成立した愛の形とは異なるある意味では始原的な愛、それを素直に表現しているのがダルレーニなのかもしれない。人は愛する相手を独占したいものだけれど、複数の相手から愛されたいというわがまま欲望も持っている。そして複数の相手を同時に愛することも場合によってはできる。

 こんなどろどろとした話では普通なら嫉妬が渦巻き、「こいついやな奴だなぁ」なんて思う人物が登場してくるものだけれど、この映画にはそれがない。誰もが少しずつ我慢しながらある程度自分の欲望を満たし、自分なりの妥協点を見出している。

 このような関係が理想的ということは絶対無いけれど、なんだかちょっと魅力的ではある。人間と人間の関係というのは本当に不思議なものだ。

 結局のところいったい何が言いたいのかということはこの映画からは見えてこないけれど、それでいいのだろう。人間のありようには本当にさまざまな形があるものだ。

ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート

スピンオフという名のB級コメディ、ときどきクスリと笑える。

Get Smart’s Bruce and Lloyd Out of Control
2008年,アメリカ,72分
監督:ジル・ジュンガー
脚本:トム・J・アッスル、マット・エンバー
撮影:ルーク・ガイスビューラー
音楽:ポール・リンフォード
出演:マシ・オカ、ネイト・トレンス、ジェイマ・メイズ、マリカ・ドミンスク、J・P・マヌー、ラリー・ミラー

 アメリカの諜報機関“コントロール”の研究員ブルースとロイドは“透明マント”を開発、バッテリーの問題もブルースのひらめきで解決していよいよ完成した。しかし、いざ本部に渡すという段になって盗まれていることが発覚、ブルースとロイドはそれを取り返すべく臨時の工作員になるが…
 『ゲットスマート』のスピン・オフとして制作されたアクション・コメディ。「HEROS」のマシ・オカが映画初主演。

 優秀だけれどドジな研究員ふたり組みがドタバタを繰り広げるという話。まあはっきり言ってただそれだけだ。笑いはちらほら、主役のブルースとロイドのふたりのキャラはなかなか面白いのだが、どうも脚本がもたもたしていてテンポがない。

 スピン・オフ作品ということなので、もとを見ていたほうがいいのかとも思うが、おそらく見ても見なくてもそう変わらない。アン・ハサウェイがカメオ出演するあたりは元ネタと関係してくるのだろうが、ほんのワンカットに過ぎない。

 安っぽいのは仕方がないところだが、もう少し間を詰めて内容を盛り込んでいったらもっと面白い作品になったような気はする。ブルースとロイドの関係(たとえばMITと田舎の工科大学という差)をいじるネタなんかは面白いし、ブルースのガールフレンドになるニーナもいろんな意味で存在感があった。

 しかしこんな作品が作られるというのはマシ・オカがアメリカではかなり人気があることの証左だろう。「HEROS」で人気が出て、『ゲット・スマート』では重要な脇役で出演、『燃えよ!ピンポン』なんかにも出ている。アクション/コメディ映画のアジア系の脇役としてこれからも重宝される存在になるだろう。

 スピンオフ作品というかたちをとっているが、1本の映画にするほどの内容ではなかった。TVシリーズの1話くらいにはなる内容だと思うが、やはり研究員は研究で活躍し、エージェントはエージェントで活躍したほうが映画としては面白い。もちろんそれではスピンオフではなくなってしまうのだが…

落語娘

落語の世界を細かいところまで上手に描いていて気持ちがいい

2008年,日本,109分
監督:中原俊
原作:永田俊也
脚本:江良至
撮影:田中一成
音楽:遠藤浩二
出演:ミムラ、津川雅彦、益岡徹、伊藤かずえ、森本亮治、利重剛

 12歳のとき、大好きな叔父のために落語を覚えた香須美は落語の虜となり、大学では落研で学生コンクールで優勝、憧れの三松家柿紅に入門を願いでる。が、その3年後の現在、香須美は三々亭平佐のただひとりの弟子、平佐はテレビで問題を起こして現在謹慎中、香須美は肩身の狭い思いをしていた。
 落語界に飛び込んだひとりの女性を描いたコメディ・ドラマ。落語という素材を生かしたプロットや設定で、落語好きもそうでない人も楽しめる作品になっている。

 男社会の落語界に女性が入るというと、NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」がまず思い出される。この映画もそんな男社会で女性が苦労しながら成長する話なのかと思うと、そんな話でもありながら、それだけではない。

 作品のテーマとしては結局そういうことなのだが、この作品が取り上げるのは香須美の師匠の平佐が演者を呪い殺すという禁断の話を40年ぶりに高座にかけるという挑戦を描いたちょっとオカルトめいた物語である。

 女性落語家を主人公としながら、彼女自身の物語を中心に持ってこないことでこの映画は成功した。もしただ彼女だけの話にしてしまっていたらべたべたしすぎてちっとも落語的ではなくなってしまっただろう。そんな意味では香須美が大学の後輩から「ずっと好きでした」と告白されたことに対する処理の仕方も、平佐とTV局の女プロデューサーとの関係も落語的でいいと思う。

 落語ファンとしては、撮影場所となった末広亭の楽屋の様子を見ることができたりするのは嬉しい。落語監修として参加している柳家喬太郎が末広亭の高座でおなじみの枕を語っているのがほんの数秒映ったり、春風亭昇太が彼らしい役で特別出演しているというのもうれしい。

 津川雅彦の高座もうまい。彼の役は赤いバンダナを頭に巻いていかにも立川談志を参考にしたという落語家なので役作りもしやすかったのだろう。1本のネタを完全に高座にかけるとなったらどうかわからないが、1カット分の長さで演じられる落語を見る限りその辺の落語家に劣ることはないうまさだ。これがベテラン俳優のうまさというところだろうか。

 若い女性に落語ブームが続いていることもあって、女性の入門者は年々増えているというが、女性の真打はまだ少なく、女性落語家の地位は低い。この映画の中で益岡徹演じる三松家柿紅が言うように落語家を寿司職人にたとえて女性落語家を否定するというのもよく聞く。私はそれはあくまでも“慣れ”問題だと思うが、落語というのは基本的に男性の視点で作られているものが多く、女性がそのまま語ったのでは違和感がある噺が多いことも確かだ。

 落語というのは古典であっても話し手によってさまざまにアレンジがなされて個性が出るもの、男性であろうと女性であろうと、その話を自分のものにしてこそ本当の落語家になれる。女性のほうがその労苦は少し多いと思うが、きちんと消化して自分の噺として語ることができればどんな観客でも納得するのだと思う。

 こんな映画が作られている間はまだまだ女性落語家なんてのは動物園のパンダのようなもの。女性の真打が当たり前になって本当の人気落語家が女性から出てくれば落語という芸の幅も広がって、また違った形で映画にもなるかもしれない。ぜひ頑張って欲しいものだ。

ウォンテッド

笑ってしまうほどに過剰なアクション。“ひどい”映画だが面白い。

Wanted
2008年,アメリカ,110分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
原作:マーク・ミラー、J・G・ジョーンズ
脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース、クリス・モーガン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:ダニー・エルフマン
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジェームズ・マカヴォイ、モーガン・フリーマン、テレンス・スタンプ、トーマス・クレッチマン

 1000年続くという暗殺集団“フラタニティ”、その内紛で幹部の一人が殺された。一方、ウェスリーはパニック障害を抱えるさえないサラリーマン、ある日ドラックストアで殺し屋に命を狙われ、美女に助けられるその美女フォックスはウェスリーの父親が腕利きの殺し屋だったと告げる…
 『ナイト・ウォッチ』のティムール・ベクマンベトフがハリウッドに進出して撮った痛快アクション、笑ってしまうほどに過激なアクションがすごい。

 この映画ははっきり言ってひどい。いろいろな意味でひどい。

 まずはなんと言ってもアクション。最初のアクションシーンからして、カーチェイスで車が横向きに回転しながら障害物を飛び越えたり(自分で書きながら意味がわからないが)という「んなアホな」というシーンが次々と飛び出す。こういうあまりにありえないものを見たときの人間の反応というのは“笑ったしまう”というものだ。このシーンを見た多くの人がつい笑ってしまっただろう。

 そんな笑ってしまうアクションシーンというのはアクション映画をシリアスに考えるとあまりよくない。まったくリアリティを欠いているということだし、リアリティを著しく欠くシーンがあるということはその作品自体がリアリティを失ってしまうからだ。

 しかし、単純に「笑ったしまう」という現象だけを取り上げると決してそれは不愉快なものではない。なんと言っても笑ってしまうのだから。“笑いヨガ”なんて健康法もあるくらいに笑いというものは気持ちのいいものだ。

 そして『マトリックス』以後の一部のアクション映画は過剰なアクションによって“笑い”を提供してきた。それはもはやコメディでもアクションでもないスペクタクルであり、映画の新ジャンルとも言っていいくらいに多くの作品を生み出してきた。

 そしてこの作品はそんな新ジャンルの極みとも言うべき作品の一つだ。映画をシリアスに捕らえる人にはまったく持って理解不可能、不愉快ですらあるだろう。しかしこのジャンルにはまってしまった人には最高の作品だ。

 不愉快という点から見ると、この映画のもう一つのひどさがある。この作品は“フラタニティ”という組織内に焦点を絞ればプロットもよく練れているし、辻褄も合うし、楽しめる。しかしこの組織と外部とのかかわりを考えるとまったくもってひどいものだ。1000人を救うためにひとりを殺すなどと言っておきながら、人が死に過ぎる。

 死ぬのが悪人であるとか、エイリアンであるなどしてその死が意味を持たないようにしてあれば人がたくさん死んでもスペクタクルの一部として消化でき、ハリウッド映画はよくそんな手法を使うのだが、この映画はそんな配慮をすることもなく善意で無実の人たちがあっさり死んでしまう。これはちょっと嫌悪感を覚える人も多いかもしれない。

 人は見ているものがいくら空想の産物だと知ってはいてもどこかでそこに自分を投影し、現実を投影してしまう。そうなると、この作品の“ひどさ”は耐え難い。でも人間はそれをおいておいて空想の世界に浸ることもやろうと思えば出来る。「死にすぎだよ」と思ってもそれを空想と片付けて楽しむことができれば、そのひどさも忘れられるというものだ。

 ひどいといえば、DAIGOの吹き替えも相当ひどいらしい。どれだけひどいか検証したい人以外は字幕でどうぞ。

雪の下の炎

自らのプロパガンダ性を暴露してまで訴える“正義”の映画

Fire under the Snow
2008年,日本=アメリカ,75分
監督:楽真琴
撮影:ブラディミール・スボティッチ、リンク・マグワイア、楽真琴
音楽:アーロン・メンデス
出演:パルデン・ギャッツォ、ダライ・ラマ14世

 1959年のラサ蜂起に際して逮捕されたチベット僧のパルデン・ギャッツォは33年間に渡る囚人生活で幾多の拷問を経験し、多くの仲間の死を目にしてきた。現在はインドに亡命してチベット独立のための運動を続ける彼はアメリカやイタリアに渡って世界に訴えかける。
 中国のチベット弾圧の生き証人パルデン・ギャッツォの半生と現在の活動を追ったドキュメンタリー。監督はNY在住の日本人監督楽(ささ)真琴、これが初の長編作品になる。

 チベットにおける中国による人権侵害は、2008年の北京オリンピックに際して大きな問題となった。そしてその翌年2009年は1959年のラサ蜂起から50年という節目の年を迎え、その問題にさらに焦点が当てられることとなった。

 そしてこの映画の主人公パルデン・ギャッツォはその50年のうち33年間を囚人として過ごしたチベット僧である。しかも彼が刑務所に入れられた理由は簡単に言ってしまえばチベット独立を訴えたからである。しかもその間、度重なる拷問が行われ、周囲では仲間が次々と死んでいった。

 この映画はそのパルデン・ギャッツォが1996年のチベタン・フリーダム・コンサートで自分の拷問に使われた“電流棒”を示すところからはじまる。しかし彼はその悲惨な自分の状況を無表情に語り、舞台裏では満面の笑顔を浮かべる。衝撃的な事実と彼の魅力、それが冒頭にはっきりと示されて見るものは彼の人生にぐっと引き込まれる。

 このドキュメンタリーはパルデン・ギャッツォという魅力的な人物を通して「チベット解放」を訴える映画である。ドキュメンタリーには乱暴な言い方をすれば2つある。ストレートな主張をする映画と客観的に観察する映画である。ほとんどのドキュメンタリーはこの2極の間のどこかにあるといえるのだが、この作品は「主張をする映画」という極にほぼ一致する位置にある。

 その内容は今までなかなか私たちの目には触れることのなかったチベット弾圧の事実を白日のもとにさらすものであり、正義を主張するものである。虐げられているチベットの人たちに目を向けろと世界に訴えるそんな正義の映画だ。

 ただそのためには手段を選ばない。中国政府は徹底的な悪人に仕立て上げられ、IOCまでもそれに加担する“敵”のような描かれ方をする。作品の中にはパルデン・ギャッツォの平和だった子供時代を想起させるようなスチル写真や回想シーンじみた再現フィルムが挿入される。それは彼の少年時代そのものを記録したものでは決してないにもかかわらず、彼の半生を語る文脈の中で何の説明もなく使われる。

 中国政府が刑務所で行った暴力的な“洗脳”とはもちろん比べるべくもないが、一方的な情報を都合のいい創作まで加えて伝えるというのはプロパガンダへの道を開く。しかし、この作品はプロパガンダに陥るすれすれのところで踏みとどまっていると私は思う。それはこの創作部分が「明らかに」彼の少年時代そのものではないというところにある。明らかに事実そのものではない映像を挿入することで、自身のプロパガンダ性を明らかにしているのだ。

 世界を目覚めさせるには極端と言っていいほどの刺激が必要になることもある。この作品はあえてプロパガンダ的な要素を取り入れることで刺激を強め、見る者の無知を攻撃する。事実のような顔をしたドキュメンタリーが必ずしも客観的な視線を保っているとは限らないということを自ら暴露しながら、なおも主張し続ける。その主張は確かに力強い。

 ただその内容は決して暴力的ではないということも最後に言っておく必要があるかもしれない。パルデン・ギャッツォは本当に強い人間だが、あくまでも優しく慈愛に満ちている。彼の優しい笑顔こそがこの映画の最大の武器なのだ。

僕らのミライへ逆回転

いい意味でも悪い意味でも“くだらない”。とにかくくだらない。

Be Kind Rewind
2008年,アメリカ,101分
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:ミシェル・ゴンドリー
撮影:エレン・クラス
音楽:ジャン=ミシェル・ベルナール
出演:ジャック・ブラック、モス・デフ、ダニー・グローヴァー、ミア・ファロー、メロニー・ディアス、シガーニー・ウィーヴァー

 ニュージャージーの小さな町のレンタルビデオ店の店員マイクは店を開ける店長に店を任されるが、幼馴染で変わり者のジェリーに誘われて何故か発電所を破壊に。しかしそこでジェリーは電流を浴び、磁気を帯びてしまう。そのジェリーによって店のビデオが全部消えてしまう。常連のファレヴィチに『ゴーストバスターズ』をリクエストされた彼らは、自分で作ってしまおうと考えるが…
 ミシェル・ゴンドリー監督、ジャック・ブラック主演のコメディ。チープなリメイクを作るというのは面白いが…

 ジャック・ブラックが『ゴーストバスターズ』や『ロボコップ』のリメイク版を勝手に作るという話、その滅茶苦茶な内容が流れる予告で面白そうだと思った。たしかに、そのリメイクを作る場面は面白い。リメイク作品が面白いというよりは、その作り方の適当さがあまりに下らなくて面白い。

 最初は『ゴーストバスターズ』、次に『ラッシュアワー2』、そのあとは基本的にダイジェストというか一瞬しか撮影シーンが映らないのだが、『2001年宇宙の旅』やら『シェルブールの雨傘』やらいろいろな作品が登場して笑える。

 しかし、はっきり言って面白かったのはその部分だけ、序盤はどうしてビデオが消えることになったのかという説明がまどろっこしいし、終盤は“いい話”になってしまってなんとも興ざめだ。

 この作品の肝は彼らが作った“リメイク”が著作権侵害などなどで訴えられるというところだと思うのだが、その部分もしまりがない。「海賊版許すまじ」というハリウッドの言い草はわかるし、こんな滅茶苦茶なものを野放しにする法はないとは思うが、素人が作るこの程度の質のものにまで目くじらを立てるというのもどうなのか。

 こういう「おふざけ」は鷹揚に許してしまうくらいの度量がメジャーになければ、自由な発想などというものは生まれないし、結局のところ目先の利益にとらわれて将来の芽を摘むということにもなりかねない。文化は模倣から発展するということはこの作品でも取り上げられている『ライオン・キング』が手塚治虫の「ジャングル大帝」に酷似していること(ディズニーは否定しているが)からも明らかだ。またこの「ジャングル大帝」はディズニーファンである手塚治虫が『バンビ』に影響を受けて書いたとも言われている。

 この作品はその著作権が問題になるあたりでお茶を濁してしまっているのも全体がすっきりしない理由になっているだろう。ジャック・ブラックも人のいいキャラが鳴りを潜めて、ただの異常者のようになってしまっているのが残念。

 この作品で一番よかった役者はアルマ役のメロニー・ディアスだろうか。いわゆる“ニューヨリカン”の若手女優、個性的な顔立ちと印象的なまなざしはインディーズを中心にさまざまな作品に需要がありそうだ。実際、2006年には“A Guide to Recognizing Your Saints”という作品でインディペンデント・スピリット・アワードの助演女優賞にノミネートされている。

 映画としてはあまり面白くはないが、見所はいろいろといったところか。

チャックとラリー おかしな偽装結婚!?

ゲイもののコメディは当たりが多い。この作品も普通に面白い。

I Now Pronounce You Chuck & Larry
2007年,アメリカ,115分
監督:デニス・デューガン
脚本:バリー・ファナロ、アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アダム・サンドラー、ケヴィン・ジェームズ、ジェシカ・ビール、スティーヴ・ブシェミ、ダン・エイクロイド

 NYの消防署に勤めるチャックとラリーは親友同士、妻を亡くして子供ふたりを抱えるラリーは年金の受取人を子供に変更するのを忘れていて、手続きに時間がかかるといわれて途方にくれる。そんな折、火事現場でラリーがチャックをすくい、何でもいうことを聞くというチャックに対し、ラリーは年金受け取りのため偽装同性結婚をしてくれと言い出す…
 アダム・サンドラー主演のコメディ。スティーヴ・ブシェミにダン・エイクロイドという豪華キャストでなかなか。

 親友を助けるためにパートナーシップ法を利用して偽装同性婚をしたラリーだったが、偽装ではないかと疑う調査員が派遣されたことで、本当に芸らしく振舞わなければならなくなり、さらに相談した美人弁護士に芸の権利のためのパーティーに参加してくれといわれ、そこで新聞記事になってしまうという展開。

 同時にラリーはその美人弁護士アレックスに惚れてしまい、アレックスのほうはラリーがゲイだということで心を許す。チャックのほうは死から3年経っても妻のことが忘れられず、息子がミュージカル好きなのが悩み。

 なんかどっかで聞いたような話ではあるが、コメディとしてはなかなかよく練られたプロット。

 チャックが入院したときに子供たちが母親が病院で死んだことを思い出して不安に襲われるエピソードを挿入して、チャックの焦燥感をあおるというもって行き方などはなかなか気が利いている。さらにアメリカ人のホモホビアの感情をうまく利用し、消防士というマッチョでもちろんゲイに偏見を持っているチャックに「ゲイも同じ人間なんだ」といわせるという展開はゲイものの王道とも言える展開だ。

 コメディとドラマをうまく融合させたこのプロットのよさも脚本家の列を見れば納得。『アバウト・シュミット』『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペインとジム・テイラーのコンビが名を連ねている。

 笑いの部分ではカナダの結婚式場のアジア系の神父?のところが面白かった。まさにサタデー・ナイト・ライブ的な笑いでアダム・サンドラーの十八番というところか。ゲイがらみの下ネタのほうはあまり笑えなかったが、チャックとラリーがゲイっぽく見える買い物をしているシーンはなかなか面白かった。

 アダム・サンドラーは日本での受けはあまりよくなく、この作品もあっさりとDVDスルーになってしまった。まあ確かに劇場で見るほどではないという気はするが、私は嫌いじゃない。最近ではジャド・アパトー・ファミリーと組んだ『エージェント・ゾーハン』もDVDスルー。監督はこの作品と同じデニス・デューガン、これもなかなか面白そうじゃないか。一方、同年の作品でもディズニー製作の『ベッドタイム・ストーリー』は劇場公開(2009年3月)。私なんかはこの作品はどう見ても面白そうには見えないのだが… 面白そうな映画と日本で受け入れられる映画は違うんだね。