スクリーム3

Scream 3
2000年,アメリカ,117分
監督:ウェス・クレイヴン
脚本:アーレン・クルーガー
撮影:ピーター・デミング
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ネイヴ・キャンベル、デヴィッド・アークエット、コートニー・コックス・アークエット、パトリック・デンプシー

 実際にあった殺人事件に基づいた映画「スタブ3」の撮影中、出演者が次々と殺されていった。映画では犯人役を演じるシドニーは死の恐怖におびえる。果たして犯人は誰なのか…
 スクリーム・シリーズの3作目。相変わらずユーモアありで、それほど怖くないところがこの映画のすごいところ。犯人を当てるのがこのシリーズの楽しみでもある。

 やはりやはり、どんどんパワーダウンしていくシリーズもの。重要そうな人物がどんどん殺されていってしまうところはいいけれど、結局のところ怖くないのが難点。あっさり殺しすぎなのか?
 それに、犯人が地味すぎ。犯行の動機もかなり無理やり。というわけで、謎が解かれてもあまりすっきりしないというのは、簡潔さだけがとりえのスクリーム・シリーズとしては致命的かもしれない。
 今回で完結ということらしいけれど、これで終わっていいのか! という気もしないでもない。しかし、だいぶ死んでしまったから次の作品を作るとなるとまた新しい人をたくさん登場させないとね。

ザ・セル

The Cell
2000年,アメリカ,107分
監督:ターセム・シン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ
撮影:ポール・ローファー
音楽:ハワード・ショア
出演:ジェニファー・ロペス、ヴィンセント・ドノフリオ、ヴィンス・ヴォーン、マリアンヌ・ジャン=バプティスト

 シカゴ郊外のキャンベル・センター、意識不明の少年の脳に入り込み少年を治療しようと奮闘する女性キャサリン。一方、女性を強姦し漂白して遺棄する連続殺人事件を追うFBI、そしてその犯人。犯人は意外とたやすくFBIに追い込まれ捕まるが、病気の発作で意識を失っていた…
 ミュージックビデオ出身の監督ターセム・シンの初監督作品。驚異的な映像で見るものを圧倒するSF・サイコ・ホラー。クローネンバーグとか好きで、サイコ系もドンと来いという人ならば、ツボに入る可能性大。こういう映画は大画面・大音響で見ないとね。

 音楽がハワード・ショア(「イグジステンズ」「セブン」)ということで、わかりやすくショッキングな音作りがされていました。しかし、それはそれでかなり心理的な緊迫感を与えるのに役立っていて、大音響下ではかなりびくびくしながら見ざるを得ないという感じ。そして、内部空間がそれ自体で怖いものとして作られており、さらにジュリアのところでのスリル(これはたいしたものではないけれど)もあり、スリラーとしてはなかなかのもの。
 映像も予告でおなじみ馬の輪切りなど、見るべきところはまああって、カメラの動かし方もいかにもスリラーっぽくてよい。最も顕著なのはカットのつなぎに急速なパン移動を入れるというようなところ。こういうつなぎを見ると、「あ、これはサイコ系ね」と納得出来る。
 というわけで、どこをとってもサイコスリラー。そのほかの要素はどこかに飛んで行ってしまった感じ。ストーリーとか、SF的な部分の細部とかそんなものはどうでもよくて、「とりあえず、怖がらせよーぜ」みたいなスタンスが開き直っていて好感が持てました。

ピースメーカー

The Peacemaker
1997年,アメリカ,124分
監督:ミミ・レダー
脚本:マイケル・シファー
撮影:ディートリッヒ・ローマン
音楽:ハンス・ジマー
出演:ジョージ・クルーニー、ニコール・キッドマン、マーセル・ユーレス

 ロシアから解体処理の控えた核弾頭が盗まれた。その調査に当たるのは大統領付きの核兵器密輸対策チームのジュリア・ケリー博士。彼女はロシアの事情に通じた陸軍大佐トーマス・デヴォーとコンビを組むことになったが…
 ERのミミ・レダーがこれまたERのジョージ・クルーニーを使ってドリームワークス製作で撮ったアクション映画。設定にはかなり無理があるが、アクション・シーンなどは躍動感があって悪くない。

 しかし、この設定はかなり無理がある。いくら領空侵犯したからって、ロシアがアメリカのヘリをあんな簡単に撃つか? などという疑問が無数に浮かぶことは確か。まあ、しかしこの映画はかなり展開にスピード感があるので、そんな理不尽さに拘泥しないように見れば、意外と流せてしまうような気もした。
 この映画の一番いい点は、視点の転換だろう。ぽんぽんとカットが飛び、視点がどんどん変わっていく。もちろんそのクライマックスは爆弾を持った犯人を追い詰めていくシーン。車・ヘリ・スナイパー・レーダー・一般人・犯人とめまぐるしく視点が飛ぶ。ただ単に切り替わるのではなく、「飛ぶ」感覚を演出しているところがいい。

ビッグ・トラブル

Big Trouble
1986年,アメリカ,89分
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:アンドリュー・バーグマン、ウォーレン・ボーグル
撮影:ビル・バトラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ピーター・フォーク、アラン・アーキン、ビヴァリー・タンジェロ、ヴァレリー・カーティン

 保険会社に勤めるレナードには、三つ子の息子たちがいる。しかも三人そろって大学へ進学、妻は三人をどうしてもエール大学に行かせたい。でも、レナードの給料ではとても無理。そんなレナードのところに奇妙な保険の依頼が…
 不思議なテンポで進んでいく、シュールなコメディ映画。まさにこれぞB級!といった味わいで、チープさと思い切りのよさが映画中にあふれている。この映画が気にいらない人は、B級映画とは肌が合わないということでしょう…

 最初の三つ子という設定からして不思議で、さらに音楽の才能があってどうしてもエール大学に行かなきゃならないという動機付けもよくわからない。しかし、映画が始まってしまうと、そんなことに疑問をはさませないスピード感を作り出すだけの才能をカサヴェテスは持っている。
 この映画のB級さ加減はすごくいい。金庫のつくりから、テロリストの登場の仕方まで映画のプロット自体が相当B級だが、それよりもどうにも笑ってしまったのが部長をさらって暗い道で止まり、レナードとスチーブ(この字幕もかなりB級)が歩き回る場面で、明らかに照明が人物を追っているところ。真っ暗な道で、人が動くと明るい部分も動くというなんともチープなつくり。現実に似せようという努力はまったく感じられないところがいい。
 というわけで、B級映画のよさを遺憾なく発揮した作品でした。

バットマン

Batman
1989年,アメリカ,127分
監督:ティム・バートン
原作:ボブ・ケイン
脚本:サム・ハム、ウォーレン・スカーレン
撮影:ロジャー・プラット
音楽:ダニー・エルフマン
出演:マイケル・キートン、ジャック・ニコルソン、キム・ベイシンガー、ジャック・パランス

 罪を犯したものを罰する正義の味方バットマン。その正体は謎のままだが、そんなバットマンにライバルが現れた。
 有名なアメリカンコミック「バットマン」2度目の映画化。ティム・バートン監督、マイケル・キートンがバットマン、ジャック・ニコルソンがジョーカーと役者はそろったという感じだが、バートン作品としてもいまいち、バットマンとしてもいまいちという作品になってしまった観がある。

 ティム・バートンらしく、全体的に暗いトーンで展開されているところは好感が持てるが、そこはバットマン、正義の味方のお話なのだから、しゃきしゃきとしていないとやはり苦しい。だから娯楽作品バットマンとしても弱いし、バートン色も薄められてしまう。
 バートンとしては、「ビートルジュース」と「シザーハンズ」という2つの代表作の間に撮った作品で、力を抜いたというわけではないだろうが、どうも商業主義的なものに引っ張られてしまったんじゃないかという勘繰りをしてしまう。とことんバートン色を出したらそれはそれで面白い映画になったのかもしれないが、バットマンファンには反感を買うかもしれない。それなりにヒットしたのだから、ある意味では成功なのかもしれないが、純粋に映画としてはなんともという感じがしてしまう、なんとなくバブリーな感じのする映画でした。

クレイマー、クレイマー

Kramer vs. Kramer
1979年,アメリカ,105分
監督:ロバート・ベントン
原作:アヴェリー・コーマン
脚本:ロバート・ベントン
撮影:ネストール・アルメンドロス
音楽:ヘンリー・パーセル
出演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジェーン・アレキサンダー

 広告代理店でバリバリと働くテッドは大きなプロジェクトを任され、成功の暁には重役への抜擢まで約束され、意気揚々と帰宅した。しかし、妻のジョアンナは子どもを寝かしつけ、荷物をまとめ、テッドに別れを告げようと待ち構えていた。結局テッドはジョアンナを引き止めることが出来ず、息子ビリーとの二人だけの新しい生活が始まった。
 離婚と子どもの養育という問題をハートウォーミングなドラマとして描いた作品。小技が効いていて物語りに入り込みやすいところがなかなかよい。

 良質なドラマではあるが、すごい映画というわけではない。プロットを構成する要素が非常に周到なところはいい。一番印象的で分かりやすいのはなのは「フレンチ・トースト」だけれど、朝のルーティンとか、学校へ送っていくところとか、同じシチュエーションが繰り返されることで、父子の関係性の変化を描くところがかなりうまい。
 メリル・ストリープのほうはある意味ではいい演技をしているのだけれど、ちょっと怖すぎる気がした。喫茶店からのぞいているところなんかはかなり強烈。今にも人を殺しそうなくらいの感じがある。だから、最後に感動的な場面を迎えてもなんとなく説得力がなく感じてしまったのは私だけだろうか。彼女はこの作品でアカデミー賞を受賞して、確かに演技としてはいいけれど、根本的にミスキャストなんじゃないかという気もしてしまった。
 あとは、昨日の「真夜中のカウボーイ」と比べると、非常に素直な映画で、悪く言えば平凡な撮り方しかしていないので、映画としてはそれほどすごくはないということ。このロバート・ベントンという監督もどうも監督よりも脚本家としての才のほうがあるようで、もともとは「俺たちに明日はない」や「スーパーマン」の脚本で有名な人です。

真夜中のカウボーイ

Midnight Cowboy
1969年,アメリカ,113分
監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:ウォルド・ソルト
撮影:アダム・ホレンダー
音楽:ジョン・バリー
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ヴォイト、ブレンダ・ヴァッカロ、シルヴィア・マイルズ

 故郷テキサスを後にし、ニューヨークへと向かうジョー。彼はカウボーイスタイルで金持ちの女を引っ掛けて金を稼ごうと考えていた。しかし冷たい群衆の街ニューヨークで彼の計画は思うように進まなかった。そんな彼はある日、バーで足の不自由な小男ラッツォと知り合う。
 60 年代後半の生のアメリカ、二人の名演技、耳に残るテーマ曲、斬新な映像、どれをとっても当時のアメリカ映画の最先端を行っていただろうと思わせるアメリカン・ニュー・シネマの傑作。

 69年という時代、ヨーロッパではヌーベルヴァーグがもてはやされ、アメリカではインディペンデント映画が興隆した時代。ハリウッド映画の斜陽が囁かれはじめた時代。アメリカ社会はこの映画で描かれているような閉塞感に苛まれ、都市の人々の孤独かが進み… などという社会批評が頭をよぎる。リースマンが宣言していた群集の孤独化は間違いなく進んでいたのだろう。
 その「都市の孤独」がこの映画では(意図的に)強調されている。ジョーは故郷でも必ずしもいい思い出ばかりがあるわけではないけれど(過去をはっきりとさせないところもこの映画の秀逸な点の一つであるがこれは余談)、彼が夢を抱えてやってきた都会でであったのはより深い絶望であった。それは顔のない群集であり、行き倒れている人に見向きもしない孤独な人々である。「信用」というものが存在しない社会、そこで見出したラッツォとの友情(と呼んでいいかどうかは微妙)が彼にとってどのような意味を持ったのか? ラッツォのために初老の男を殴るとき、彼の頭によぎったものは何だったのか? そして息絶えてしまったラッツォの頭越しに眺めるフロリダの(街の)風景はどのような印象を彼に与えたのか?
 そこに浮かんでくるのは再び「孤独」。一瞬のかりそめの友情に孤独を忘れた彼が再び直面する孤独。それをどう受け取るかは映画「後」のわれわれの営為だけれど、わたしには永劫回帰する閉塞的な孤独しか浮かんでこなかった。しかし、この映画はそれでよくて、逆に希望にあふれた終わり方をしてしまったら私にとってはなんとも後味の悪い映画になってしまったことだろう。

グリーン・マイル

The Green Mile
1999年,アメリカ,188分
監督:フランク・ダラボン
原作:スティーヴン・キング
脚本:フランク・ダラボン
撮影:デヴィッド・タッターサル
音楽:トーマス・ニューマン
出演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ボニー・ハント、マイケル・クラーク・ダンカン、ハリー・ディーン・スタントン、ゲイリー・シニーズ

 老人ホームで暮らす老人が、一本の映画から60年前1935年の出来事を思い出す。その頃老人は死刑囚監房の看守を勤めていた。そしてある日そこに二人の少女をレイプして殺した巨体の黒人コーフィーが入ってくる。その血なまぐさい犯罪と外見とは裏腹にコーフィーは非常におとなしい男だった。そして彼にはある不思議な力が…
 フランク・タラボンが「ショーシャンクの空に」に続いてスティーヴン・キング作品を映画化。今回は3時間超という長尺。とくに真新しい点はないが、物語としては3時間という時間を感じさせないだけの力はある。

 結局のところ、誰が監督してもこの作品はこの程度の面白さには出来ただろう。この監督のいい点は役者の選択と、あくまで原作を尊重するところだろう。といっても、原作は1巻しか読んでないんですがね… とにかく、スティーヴン・キングの語り口を忠実に再現したという印象。それ以外では、特にメッセージも感じられないし、特筆すべき工夫もない。物語としてもことさら何か意外性があるわけではない。映画としては「ショーシャンク」と比べると格段落ちる。
 この物語はもちろんキリストの原罪と贖罪の物語であって、だからこそコーフィーは死ななきゃならなかったわけだけれど、それならばパーシーを廃人にしてしまったり、ビリーを殺してしまったりしてはいけないような気もする。そのような人たちの罪を背負ってこそキリストなのでは? 私のキリスト理解が間違っているのだろうか? それともこの映画はキリストの物語ではない?などという疑問も生じてしまいます。ポールの長生きすることの解釈もちょっと分かりにくいし、そのあたりの引っかかりがどうしても感動出来なかった理由でしょう。
 やはり、個人的にはスティーヴン・キングは「シャイニング」とか「ミザリー」とか「IT」みたいなおどろおどろしいほうが好き。下手に感動物にしてしまうとなんか落ち着きが悪いですね。ストーリーテラーとして一流ということは分かるけれど、何らかの「ショック」があってこそのスティーヴン・キングであるような気がするので。そういう意味ではこの映画は「ショック」を欠いているのではないかと思うわけです。

2回目の感想

 今回もやはり、キリスト教的善悪二元論というイメージは払拭できませんでした。2人の悪人がいて、他は罪も犯すけど根本的には善人で、その対決という話。しかし、ジョン・コーフィはキリストではないと今回は感じました。奇跡を行う神の使いではあるけれど、小物というか、すべてを背負えるだけの力はないのだという気がしました。それでも映画を見る場面で映写機がの光が後光のように輝くのを見ると、いやでも「神」を意識せずに入られないわけです。死を重要視している点も宗教的なものが感じられるし。

チャイニーズ・ブッキーを殺した男

The Killing of a Chinese Bookie
1976年,アメリカ,107分
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス
撮影:フレデリック・エルムズ、マイク・フェリス、アル・ルーバン
音楽:ボー・ハーウッド
出演:ベン・ギャザラ、ティモシー・アゴリア・ケリー、シーモア・カッセル、アル・ルーバン

 場末のバーのオーナーコズモはようやく借金を払い終え、店を自分のものとすることが出来た。その勢いで店の踊り子達を連れてカジノへと足を運んだが、そこで大負けし、またも大きな借金を作ってしまった。カジノを経営するマフィアは中国人のおおボスを殺せば借金を解消してやると提案するが…
 カサヴェテスとしては珍しい、起承転結がはっきりとしたストーリーで「グロリア」のような雰囲気をもつ。コズモの微妙な心理の描き方がなんといっても秀逸な一作。

 この映画は完全にコズモの一人称で語られている。しかし、コズモは心理を吐露するようなセリフをはくことはなく、モノローグなんて入れるはずもない。しかし、すべてのシーンがコズモを中心に撮られ、われわれが経験することはコズモの経験以上のものでも以下のものでもない。それでわれわれに伝わってくるコズモの心理はどんな言葉で語られるよりも生々しく心に響く。出番を渋るミスター・ソフィスティケーションと踊り子達と楽屋で語るとき、何も知らない彼らに語りかける彼の複雑な心理は心を打つ。
 そんな彼を追うカメラは相変わらず大胆で、この映画では特に光の加減がかなり不思議。全体的に光量が少なくて、暗い感じの画面になっているだけではなく、ライトの逆光で度々目潰しを喰らったり、光のスペクトルが映り込んだりする。しかししかし、これがなかなかよくて、とくにクラブでコズモが逆行の中シルエットになるところなんていうのは素晴らしい。
 この映画はなんとなく起承転結がはっきりしていて、いわゆるカサヴェテスらしい映画とは違っているように見えるが、本質的には変わっていないと思う。カサヴェテスのどこへ向かうのかわからないストーリーというのをこの映画でもわれわれは感じる。それは、コズモの立場に立った場合で、自分の意志とは関係なくどこかへと流されていってしまうような感覚、と言ってしまうと月並みだが、先にある不安に向かっていくような感覚、がここにも存在している。

ミッション・トゥー・マーズ

Mission to Mars
2000年,アメリカ,114分
監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ジム・トーマス、グレアム・ヨスト、ジョン・C・トーマス
撮影:スティーヴン・H・ブラム
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ゲイリー・シニーズ、ティム・ロビンス、ドン・チードル、コニー・ニールセン

 2020年、初の有人火星飛行に向かう宇宙飛行士たち。第1陣として出発したマース1の乗組員達は奇妙な山から現れた強靭な力に吸い込まれてしまった。突然消息を絶った飛行士達を心配する宇宙ステーションの飛行士達は…
 火星の謎をサスペンスタッチに描いた作品。物語り全体や、ここのエピソードに出会ってわれわれが期待するよりも全体的にソフトな仕上がりなのはディズニー製作のせいなのか? ファミリー向けSFというところでしょう。

 やはりディズニーが作ると、残酷シーンはなくなるし、火星人も非常に良心的になってしまうし、CGも Bug’s Life と同じになってしまうし、ということなのでしょう。ちょっとあのCG火星人はあまりにちゃち過ぎるんじゃない? と不満たらたら。わざわざ夫婦で宇宙船に乗せるもの「家族愛って大事よ」っていうメッセージを送るための仕掛けなんじゃない? とうがった見方しか出来なくなってしまう。
 山からの「力」に体が吹き飛ばされるシーンも、実際に体がちぎれるというシーンをせっかく入れたのに、そのCG具合が見え見えすぎてちっとも迫力がない。ティム・ロビンスが死ぬところも「あんなもんかー?」という疑問はつきません。やはりファミリー向けなのね。
 文句ばかりが口をつきますが、火星の風景あたりはなかなかうまく出来ていて、特に宇宙空間から火星を見下ろすところなんかはかなりきれい。そのあたりが見所かね。ストーリー的にも全員がいい人なのでどうしても厚みが出にくいのですね。火星人ですら基本的には善意だし、ルークもあっという間に正気に戻っちまうしね。やはりそのあたりがディズニー…(しつこい)