スパイダーマン

Spider-man
2002年,アメリカ,121分
監督:サム・ライミ
脚本:デヴィッド・コープ、スコット・ローゼンバーグ、アルヴィン・サージェント
撮影:ドン・バージェス
音楽:ダニー・エルフマン
出演:トビー・マグワイア、ウィレム・デフォー、キルステン・ダンスト、ジャームズ・フランコ、J・K・シモンズ、クリス・ロバートソン、ローズマリー・ハリス

科学好きの高校生ピーターは遅刻ばかりするさえない男、6歳のころから想いを寄せる隣に住むメリー・ジェーンにも気持ちを打ち明けることができない。そんなピーターの親友は高名な科学者ノーマン・オズボーンの息子であるハリーだけだった。ピーターはクラスで見学に出かけた大学の研究所で遺伝子組み換えしたクモに咬まれてしまう。そして翌朝起きると、ピーターの体にさまざまな異変が起きていた…

世界中で読まれ、アニメにもなった「スパイダーマン」を現代版として映画化。VFX技術を駆使して、スパイダーマンの超人的なアクションを可能にした。監督は『死霊のはらわた』をはじめとしたホラー映画で知られるサム・ライミ。

原作がアニメだからなのか、それとも監督のキャラクターなのか、エンターテインメントに徹してあまり細部にこだわらないところがいい。こういうアクション映画を撮ろうとするとき、VFXまで駆使してリアルに描こうとしているので、ストーリーテリングの部分までリアルにしたくなるのが人の性というような気もするが、この監督はそんなことはしない。ピーターを咬んだクモがそのあとどうなったとか、スパイダーマンの衣装は何で燃えたり破れたりしないんだとか、そういう瑣末なことにはこだわらず、ただただ観客を楽しませることに専念する。

だから、VFXもそれを見せるために使うのではなく、スパイダーマンやグリーン・ゴブリンにいかに存在としての立体感を出すかというために使われる。アクションの場面でこれ見よがしにスローモーションで見せたりするシーンはあまりない。けれど、まったくないわけではなく、どう考えても『マトリックス』のパロディ(翻案?)という場面もはさまれる。

パロディといえば、単純にアクション映画にするのではなく、奇妙な笑いを挟むのも独特なホラー映画を撮ってきたサム・ライミの感性というような気がする。グリーン・ゴブリンが歌うスパイダーマンの歌とかもあるけれど、ホラー映画を数多く作っているだけに、人が死ぬときにさまざまな工夫がなされているような気がする。そこに感動を入れるのか、笑いを迷い込ませるのか、そのあたりがなかなか考えられているのです。

などということも含めて、何も考えずに楽しめるという意味ではなかなかいいでしょう。子供が見て喜ぶというよりは、結構大人向けの娯楽映画という気がします。もちろん子供でも楽しめるわけですが、子供はたぶんアクションとかかっこよさとかそういうものにとらわれてしまって、皮肉な笑いなんかは見ないと思うのでちょっともったいない。よく言えば、大人でも子供でも楽しめるということになると思いますが、楽しむ以上のものはまったく持って何もありません。

それにはひとつの要素として、これが今後も続編が作られて、これは連続ドラマの第1話みたいな役割をしているというのもあるでしょう。全体像を明らかにして、これからいろいろと発展させていこう見たいな感じ。サム・ライミも最近駄作ばかり作っていたので、このシリーズ化でお金もうけて、自分の好きな売れないどろどろホラーでも作ろうと思ってるのかね?

パリの恋人

Funny Face
1957年,アメリカ,103分
監督:スタンリー・ドーネン
脚本:レナード・ガーシュ
撮影:レイ・ジューン
音楽:ジョージ・ガーシュイン、アドルフ・ドイッチ
出演:フレッド・アステア、オードリー・ヘップバーン、ケイ・トムソン、ミシェル・オークレール、スージー・パーカー

女性ファッション雑誌の編集長マギーはファッションのテーマとしてピンクを選びこれが大ヒット、さらに次のテーマとして知的な演出を考え付く。その写真を撮るためカメラマンディックと秘書たちを連れて古ぼけた本屋に撮影に行く。ディックはそこのさえない店員ジョーも写真に収めた。後日彼はジョーをスターに仕立てようとマギーに提案して…

フレッド・アステアとオードリー・ヘップバーンの新旧スターが競演したミュージカル映画。フレッド・アステアはこのときすでに60歳近いが、見事なステップを見せる。オードリーの踊りもなかなかのもの。監督に『踊る大紐育』『雨に歌えば』などのスタンリー・ドーネン、音楽にはジョージ・ガーシュインでミュージカルオールスターという感じ。

いくらフレッド・アステアがいても、オードリーの魅力に尽きるわけです。確かに歌と踊りの場面ではフレッド・アステアのほうが何倍も輝いていて、とくにケイ・トムソンとのコンビ芸なんかは見ているだけで楽しくなってくるわけですが、それ以外の部分ではやはりこれはオードリーの映画。いくらオードリーの歌が眠くなってしまう代物でも(下手ということではなくて、歌い方に抑揚がないので眠くなる)、オードリーはオードリーだということなのです。

なので、逆にさえない本屋の店員という役回りからして不自然なわけですが、そのあたりは力技で持っていってしまう。ドレスを着て、メイクをして、すっかり変身! といっているけれど、あまり変身している気がしない。まあ、そんなことはいいわけですが。

私はあまりミュージカル映画というのはなじめないんですが、この映画はミュージカル映画というよりは要所要所に歌と踊りがちりばめられた映画という感じなので、それほど違和感なく見ることができました。ミュージカル映画に拒否反応を起こす人にはいいかもしれません。アステアの映画をもう少し見てみたい気になりました。

あと、この映画でいいのは美術ですね。最初のカラフルな扉から始まって、パリの街並みとか、ファッションショーの会場やら、本屋もそうですが、とてもいい。たぶんミュージカルの舞台から来ているんでしょうね。ミュージカル映画を撮る場合には歌って踊れるセットを組まなければならないので、きっと普通の映画とはセットの作り方が違うという気がするし。衣装もなかなか素敵だと思いますが、大部分がジバンシーのものだということらしい。アカデミー賞にもノミネート(美術監督・装置・衣装デザイン)されたらしい

ちょっとプロット的に無理があるのはやはりミュージカル映画ならではという感じでしょうか。特に共感主義っていうのとその教授って言うのがどうにもならない。もうちょっとましな生涯は思いつかなかったのか? という疑問がわいてしまいます。とくに教授のパーティーだか読書会だかなんだかわからない前ヒッピー見たいなあつまりとそこでの展開はアステアとケイ・トムソンのショー以外はまったく退屈で仕方がない。

ということなので、この映画は見所もたくさんあってかなり楽しいわけですが、ミュージカル映画に対するなじめなさは払拭されはしなかったのです。でも、楽しいからいい。

MONA(モナ) 彼女が殺された理由(わけ)

Drowing Mona
2000年,アメリカ,95分
監督:ニック・ゴメス
脚本:ピーター・ステインフェルド
撮影:ブルース・ダグラス・ジョンソン
音楽:マイケル・タヴェラ
出演:ダニー・デヴィート、ネイヴ・キャンベル、ベット・ミドラー、ケイシー・アフレック、ジェイミー・リー・カーティス、ウィリアム・フィクトナー

町中の嫌われ者の中年女モナの運転する車ががけから転落して、モナは死んでしまった。警官のラッシュは殺人事件として捜査を始めるが、夫のフィルをはじめとして疑わしい人物ばかりで、一向に捜査は進まず、小さな町だけに人間関係も複雑で…

ダニー・デヴィートがプロデュースも担当したミステリー・コメディ。全米ではボックス・オフィス第1位にもなった映画で、日本ではビデオリリース後に劇場公開という不思議な展開を見せた映画。コメディに定評のある渋めのキャストとこれからという若手の役者たちがうまく絡み合う。

基本的にはコメディということになるんでしょう。こういうブラックな笑いというものが受ける土壌がアメリカにはある。日本にはあまりない。ベット・ミドラーは最近は忘れられているかもしれないけれど、本当は歌手で、でも俳優としてのほうが売れてしまい、しかもコメディエンヌとしての才能がある。基本的にこの映画みたいなうるさい嫌な女を演じることが(コメディ)では多く、シリアスでは優しいお母さんみたいな役が多い気がしますが、やはり嫌な女のほうがうまい。

よく考えたらこの映画、『殺したい女』の焼き直しじゃない? あれは確か、ダニー・デヴィートとベット・ミドラーが夫婦だったはず。あの映画は面白かったなぁ…

ちょっと違う映画の話になりそうになりましたが、この『MONA』でもベット・ミドラーは(死んでるのに)いい味を出している。いろいろと役者がいるわけですが、(死んでいるのに)一番目立つ。殺された人が主人公という映画もなかなか珍しいんじゃないでしょうか。

そういえば、ベット・ミドラーとキャシー・ベイツって時々ごっちゃになりませんか? キャシー・ベイツはあの『ミザリー』の人ですが、二人ともまるっこくて、おばさんで怖い役をやらせたらうまい。それから、ダニー・デヴィートとジョー・ぺしも。これはちっちゃくてはげてるってだけだけど…

また関係ない話に言ってしまいました。この映画の話をすると、エーと面白いですが、なんとなく全体に暗い感じがする。ずっと曇っている感じ。たぶん低予算映画なので照明をたけなかったのかもしれませんが、とにかく曇り。でも、この曇りってのがモナの怨念みたいな感じでいい。死んでも目立ち、死んでもひとをやな気持ちにさせる。それがモナ。という感じです。

全米1位というのはよくわかりませんが、アメリカ人も超大作ばかり見ちゃいられないってことですかね。こういう普通の映画をみるのも楽しい。

スパイキッズ

Spy Kids
2001年,アメリカ,88分
監督:ロバート・ロドリゲス
脚本:ロバート・ロドリゲス
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:アントニオ・バンデラス、カーラ・グギーノ、アレクサ・ヴェガ、ダリル・サバラ、アラン・カミング

 冷戦時代、敵対するスパイとして活躍していたグレゴリオとイングリッドが恋に落ちて結婚、それを機に2人はスパイを引退し2人の子供の子育てに専念していた。しかし、ある日グレゴリオに仲間の行方不明情報が伝わり、彼らを救出する任務につくことを決める。しかし、すぐに敵に捕まり、子供たちにも敵の手が迫るが…
 ロバート・ロドリゲスとアントニオ・バンデラスのコンビがファミリー向けスパイアクションを作成。ファミリー向け“007”という雰囲気で、楽しい仕掛けがたくさんある。

 基本的には「笑い」が中心にあると思います。といってもコメディというのではなく、「笑いのたえない家庭」みたいな幸せさの象徴みたいな意味での笑い。設定としては近未来という感じで、あのしょぼい番組が人気番組というところを見ると、「笑い」そのものが失われかけている次代なのかもしれません(深読みすぎ)。その中で「笑い」を求めるというのがこの映画がファミリーにヒットする秘密だと思います。
 基本的にはロバート・ロドリゲスの凝り性ぶりが面白いわけですが、凝り性から来るのかどうか、反復ネタがなかなかいい。しかも、反復ネタというのは子供にもわかりやすいわけですね。道具がしょぼいとか、バカっていうと怒るとか、そのあたりで笑いを誘うところが非常に良心的だということです。
 子供2人ともすっかりハリウッド・スターというか役者ぶりを発揮している感じ。ハリウッドではやはり子供もただの子供ではない。特におねえちゃんのほうは「私は女優」光線がバリバリと出ていました。きっと、ドリュー・バリモアみたいにもと子役としてしっかり女優になっていくことでしょう。「やっぱりヒット・シリーズに出るのがスター女優への近道よ」とか思っているに違いない。
 そういう、プロな感じの子供がやるということは、なんか後ろ寒いものもあるけれど、出来上がった作品としては良質のものができるという感じがします。きっと子供が見たら、面白くてしょうがないんでしょう。大人が小ばかにされている感じもいいし。

 大人といたしましては、これを楽しめないようでは子供の心を失っているということなんだ、という気になる感じ。この映画はちっとも子供だましではなく、子供向けの映画というだけなので、これをみて「こんな子供だまし」と思ってしまったあなた。「子供の純真な心」を忘れています。
 とはいえ、私は子供に純真な心などないと思いますね。純真さを演じるは子供の仕事だから、そうしているだけで、本当は純真でもなんでもないのではないかしら。この映画も最後はハッピーエンドのようで、大人が押し付けたい子供像みたいなものが浮き彫りになっていてなんだか納得がいきません。作品全体の展開からすると、家族が大事というのは自然な話のような気もしますが、それも一時のことという気がします(だから続編が作れるのか?)。
 全体的には子供向き。最後は子供に見せていいと親に思わせるために親向きに作ったんじゃないかとかんぐりたくなる終わり方。でも、大人なんてそうやってだませばいいんじゃないの?とも思います。

リトル★ニッキー

Little Nicky
2000年,アメリカ,93分
監督:スティーヴン・ブリル
脚本:ティム・ハーリヒー、アダム・サンドラー、スティーヴン・ブリル
撮影:テオ・ヴァン・デ・サンデ
音楽:テディ・カステルッチ
出演:アダム・サンドラー、ハーヴェイ・カイテル、パトリシア・アークエット、リス・アイファンズ

 魔王が在位1万年を迎える年、魔王は退位し3人の息子のうちの誰かが王位を継ぐと見られていた。しかし、魔王は息子たちの未熟さを理由にもう1万年留意することに決めた。それに腹を立てたエイドリアンとカシアスの兄弟は地上を新たな地獄に変えようと地獄を飛び出してしまい、地獄の業火が凍ってしまい、魔王の命も徐々にすり減っていった。その地獄の危機を救うため、気の優しいへヴィメタファンの3男ニッキーが二人の兄を連れ戻すため地上に行くことになった。
 ドタバタコメディの名手アダム・サンドラー主演の地獄コメディ。アダム・サンドラーらしさは随所に見られるが、パロディ色が強く、日本人にはなじみにくいかもしれない。

 アダム・サンドラーはいつものようにおバカな役回り。魔王の息子なので強いはずなんだけど、基本的にはおバカということで、いつもどおりのキャラクター。このキャラクターはなかなかよくできていて、シャベルで殴られて顔がゆがんだというのも(ずっと顔をゆがめて演技している)、ナヨナヨ声というのもなかなかいい。おバカなコメディではあるけれど、ちょっとハートウォーミングなところもうまく混ざる。というあたりはまあまあという感じ。
 しかし、この映画は基本的にパロディ、といっても何かの映画のパロディではなくて、現実のパロディ。だからいろいろな人が本人役で出てくる。ダン・マリーノとかオジー・オズボーンがわからないとちょっと笑いが減ってしまう。ヒトラーはさすがにわかるけれど、ヒトラーのねたはいまいち面白くない。ハーレム・グローブトロッターズは知っている人が多いかもしれないけれど、知らない人にはちいとも面白くない。ということですね。
 アメリカ人はパロディ好きだというのはよく言われることですが、実際本当にそうなのかはわからない。実際、この映画はアメリカでもあまり評判が芳しくなく、ラジー賞で5部門にノミネート(受賞はなし)。私はブス役をやったパトリシア・アークエットはなかなかよかったと思いますが、ワースト助演女優賞にノミネートされました。この年は「バトルフィールド・アース」という強敵がいたために1つも賞を取れなかったんでしょう(ほしくないだろうけれど)。ちなみに、バトルフィールド・アースは7部門で受賞。
 ラジー賞の話はいいとしても、この映画はアメリカ本国でも今ひとつだったわけで、となるとアメリカ人は別にパロディが好きというわけでもないということかもしれない。多分、パロディは短絡的に笑いにつながりそうだと思ってしまうんでしょうね。

ベティ・サイズモア

Nurse Betty
2000年,アメリカ,112分
監督:ニール・ラビュート
脚本:ジョン・リチャーズ、ジェームズ・フラムバーグ
撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ
音楽:ロルフ・ケント
出演:レニー・ゼルウィガー、モーガン・フリーマン、クリス・ロック、グレッグ・キニア、アーロン・エッカート

 カンザスの田舎町でウェイトレスをしているベティは昼メロ「愛のすべて」に夢中で、その主人公の医師デヴィッドにあこがれていた。誕生日にはウェイトレス仲間からデヴィッドのパネルをもらい、友達と出かけようと中古車ディーラーの夫のビュイックを拝借した。しかし友達は都合が悪く、家でビデオを見ることに。そこに夫が客を連れて帰ってきて、商談を始めるが、話はだんだん怪しい方向に…
 『ブリジット・ジョーンズの日記』でブレイクしたレニー・ゼルウィガー主演のサスペンス・コメディ。カンヌで脚本賞を受賞しただけに、物語はなかなか不思議な展開をしていく。登場人物たちもそれぞれが魅力的でいい。爆笑というわけではないが、見ながらニヤニヤしてしまう、そんなドラマ。

 不思議といってしまうと、一言で終わってしまうので、そうは言わず、創意工夫が凝らされた映画といいましょう。この映画の狙いは不思議さであり、不思議さを狙って作られた映画を「不思議な映画だった」ということは、アクション映画を見て「アクション映画だった」というのと同じで、まるで何も行っていないことになってしまう。この映画のすべての下にあるのが「不思議さ」で、コメディ映画とかサスペンス映画とかいうジャンルでこの映画を分類すると、「不思議映画」になると思えるくらい「不思議な」映画。
 でも不思議さというのにはいろいろあり、この映画はその中でもおかしさを生み出すような不思議さを目指している。それはある種の予想される展開からのずらし、ストーリーがあってそれに笑いを加味していくというコメディに一般的な展開に沿っているようで沿っていないネタの配し方、などによって生み出されている。
 だから、笑いはたいてい驚きとともにある。それは時には本当は笑えないシーンであったりもする。ウェズリーがデルの頭の皮をはぐシーン、それだけ見れば笑うところではないのだけれど、どこかおかしさを誘うようなところがある。ベティの思い込みも、笑っていないで何らかの対応をするべきで、精神科医にあたるとか、ベティを正気に戻らせようとするのをドラマにすることも可能だったと思うが、この映画ではその問題はおいておいてとにかく話を前にするめる。そこから生まれる笑いは何かこう消化不良のような引っ掛かりがある笑い。
 何かすっきりしないというか、解決しない問題をいろいろ抱えたままいろいろなネタが繰り出され、結局それは解決しない。アー、なんだかすっきりしない!という感じですが、それも多分狙いでしょう。

 こういう、微妙にずらした映画を見るときにいつも感じるのは、見る環境によって映画の見え方が違ってくるんだろうなぁ、ということ。映画館でたくさんのいい観客に囲まれて、いい雰囲気で見る(つまり、タイミングよくみんなが笑ったりする)のと、家で一人でビデオで見るのとはぜんぜん違う。たぶん映画館で見たほうが面白いでしょう。でも、映画館でもタイミングをはずして笑ったり、とにかく大爆笑したりする人がいると、こっちは興ざめということになりますが、そういうはずした人が結構でそうな映画でもあります。
 これはいつも言っていることですが、映画とは観客がいてはじめて完成するもの、観客は一人でも一万人でもかまわないわけですが、観客と映像作品との関係性こそが映画というものだということです。こういう微妙なコメディを見ると、そのように観客の存在が映画にかかわってくるということを意識します。だからこのような映画を自分の見た環境を問うことなく評価してしまうのは気が引けます。もう一度違う環境で見たらまったく違う感想を持つんじゃないかと思ってしまう。
 私は一人で家でテレビで(ビデオではなく)見ましたが、できればあまり人のいない二番館(そんな言葉もう使わないか)あたりで見たい映画でした。

ウェディング・プランナー

The Wedding Planner
2001年,アメリカ,103分
監督:アダム・シャンクマン
脚本:パメラ・フォーク、マイケル・エリス
撮影:ジュリオ・マカット
音楽:マーヴィン・ウォーレン
出演:ジェニファー・ロペス、マシュー・マコノヒー、ブリジット・ウィルソン、ジャスティン・チャンバース

 子供のころからロマンティックな結婚式にあこがれ、結婚式を取り仕切るウェディング・プランナーとなったメアリーは会社の中でもダントツのやり手だが、自分の恋のほうはさっぱり。そんな彼女が大会社の娘フランの結婚式のプロデュースをすることになった。その打ち合わせの帰り、危ないところを小児科医のスティーヴに助けられ、メアリーは恋に落ちる…
 ジェニファー・ロペスがコメディ初主演、普段とは違うキュートさを強調する。ライトなラブ・コメディとしてはそれなりに笑え、それなりに面白い。話の展開がわかり安すぎるのと、ジェニファー・ロペスの演技がもうひとつなのがちょっとね。

 ジェニファー・ロペスは結構好きなんですが、特に『アウト・オブ・サイト』はかなりいい映画だと思いました。基本的に顔がきついのでアクション映画とか、シリアスな感じのほうがぴたりとはまる。もちろんだからといって、それにはまってしまってはいけないし、『ザ・セル』みないにシリアスな役でも失敗することはある。この映画も特に違和感があるわけではないし、酔っ払いの演技なんかはなかなかうまいと思うし、ダンスもさすがにうまい。でも、ちょっと眺めのクロースアップのシーンがあって、そこでは表情で演技をして、感情を伝えようとしているのはわかるんだけれど、顔のつくりが大きいせいか、どうも表情が大げさでとても自然とは言いがたかった。そのあたりの演技力をもっと磨いていただきたいと思うしだいであります。
 これはあくまでもコメディ、しかもライト・コメディなので、演技派的な濃い演技は求められておらず、あくまでも自然に、さりげなく演じなければならないはず。その点では助演のふたり、メアリーの助手のペニー(ジュディ・グリア)と押しかけ婚約者のイタリア男(ジャスティン・チャンバース)が今後、コメディのいい脇役として登場するのではないかと期待が持てます。マシュー・マコノヒーはちょっと濃すぎた気がします。そういえば、花嫁フラン役のブリジット・ウィルソンはテニスプレイヤーのピート・サンプラスの奥さんだそうです。

 ラブ・コメディの素材としては結婚式というのは定番のようで、なかなか佳作と呼べるようなものも多いですね。近いところでは『ウェディング・シンガー』や『フォー・ウェディング』あたりがあるでしょうか。にもかかわらず、この映画が今ひとつになってしまったのは、やはりキャスティングがいまいちだったということでしょう。この映画は製作にメグ・ライアンが絡んでいるらしく、言われてみればメグ・ライアンが(若かったら)出ていそうな映画。そのほうが見てみたかったな。ジェニファー・ロペスも悪くないし、この映画はジェニファー・ロペスでもっているといっても過言ではないけれど、それでも違う人のほうがよかった。と思います。

ロバート・イーズ

Southern Comfort
2000年,アメリカ,90分
監督:ケイト・デイヴィス
撮影:ケイト・デイヴィス
音楽:ジョエル・ハリソン
出演:ロバート・イーズ、ローラ・コーラ

 典型的な南部の郊外のトレーラー・ハウスで暮らすロバート・イーズ。どこから見ても普通のおじさんという彼だが、実は女性として生まれ二人の子供まで生んだ後、性転換手術を受け、男性となった。そして今は、子宮と卵巣が末期のがんに侵され、余命いくばくもない状態だった。しかし、彼は秋に開かれるトランスセクシャルの大会(サザン・コンフォート)にもう一度参加することを夢見て、パートナーのローラと懸命に生きるのだった。
 アメリカでも好機の目にさらされるTS(トランスセクシャル)やTG(トランスジェンダー)の問題と真っ向から向かい合ったドキュメンタリー。非常にわかりやすく問題の所在を描き出している。

 TSやTGという人は実際はきっとたくさんいて、ただそれが余りメディアに登場しない。日本では金八先生で「性同一性障害」が取り上げられて話題になったけれど、本当はこれを病気として扱うことにも問題がある。しかし、この映画でも言われているように、性転換手術には膨大な費用がかかるので、保険の問題から病気といわざるを得ないということは言える。性別の自己決定権というかなり難しい問題を理解するひとつの方法としてこの映画は多少の役には立つ。
 実際の問題はそのような理知的なレベルではなくて、いわゆる偏見のレベルにある。「気持ち悪い」とか「親にもらった体なのに」という周りの偏見や勝手な思い込み、これが彼らのみに重くのしかかる。マックスの妹のように身近にそのような人がいればその痛みがわかるのだろうけれど、いないとなかなかわからない。だからこの映画のように、メディアを通じてその痛みを感じさせてくれるようなものを見る。それでも本当の痛みはわからないけれど、何もわからず彼らを痛めつけてしまうよりはいいだろう。
 この映画は、ひとつの映画としては死期の迫った一人の男を追ったドキュメンタリーにすぎず、彼がたまたまトランスジェンダーであったというだけに見える。そのことが強調されてはいるが、それによって何か事件が起こったりするわけではない。穏やかに、普通の人と同じく、一つの生きがいを持って(TSの大会に参加すること)、生きる男の物語。
 だから、特にスペクタクルで面白いというものではないけれど、逆にこのように普通であることが重要なのだ。「普通の人と同じく」と書いたけれど、彼らだって普通の人と変わらないということをそれを意識することなく感じ取れること。つまり、「彼らも普通の人と変わらないんだ」と思うことではなく、「何だ、普通の話じゃん」と思えてこそ、彼らの気持ちに近づいているのだと思う。
 そう考えると、この映画は見ている人の意識を喚起させるのには役立つけれど、彼らは普通の人とは違うととらえているところがあるという点では被写体との間すこし距離があるのではないかと思う。

ボディ・クッキング/母体蘇生

Ed and His Dead Mother
1993年,アメリカ,90分
監督:ジョナサン・ワックス
脚本:チャック・ヒューズ
撮影:フランシス・ケニー
音楽:メイソン・ダーリング
出演:スティーヴ・ブシェミ、ネッド・ビーティ、ジョン・グローヴァー、ミリアム・マーゴリーズ

 町の小さな工具店のオーナーのエドはおじのベニーと二人暮し。母親が死んで1年もたつのに、まだ母親をなくした悲しみに沈んでいる。望遠鏡で隣家をのぞくおじはエドに母親のことなんか忘れて女と付き合えという。しかし、エドは今朝も自分の店に生真面目に出勤していった。そんな彼のところに、「母親を蘇生させる」という怪しげなセールスマンが現れた。
 スティーヴ・ブシェミ主演のホラー・コメディ。タランティーノとコーエン兄弟に見出され、ようやく売れてきたころに出た数少ない主演作品。明らかにB級作品で、それほど笑えず、別に怖くもないけれど、なんだか不思議なおかしさが漂う。

 この作品に漂うのは一種のシュールリアリズムというか、マジックリアリズムというか、絶対に現実ではありえないのに、それが現実であることが別に不思議ではない空間を作り出してしまったことからくる不思議な空間。その空間で物語を展開していくこと自体が面白いという空間を作り出すというのがすべてかもしれない。
 普通の映画だったら疑問をさしはさんで、一応理論的に何らかの解決を図らなくてはいけないところ、あるいはその背景(たとえば歴史)を語らなければ正当化されないようなことをフツーに当たり前のことのように映画に織り込む。なんといっても「ハッピー・ピープル社」ですが、死人を蘇生させることを当たり前とすることがこの映画の大前提で、ブシェミがそれを受け入れることで、それにまつわるさまざまな疑問はすべて不問に付してしまう。母親がよみがえってからもおじさんがそれを受け入れてしまうことで、その疑問は霧散してしまう。
 そのあたりの展開の仕方のうまさがこの映画にはあって、それで最後まで見せてしまうんだけれど、それがどうしたといわれると困ってしまう。不思議なおかしさを湛えた小ネタは結構あって、「ハッピー・ピープル社」の名誉会員みたいなネタはとてもよい。お母さんのキャラクターもなかなかいい。この役者さんはもともとはイギリスの人で、『ベイブ』で犬の声をやっていたりするらしい。なかなか稀有なキャラクターだと思います。
 要するに「変な映画」で、変な映画としてはかなり高いレベルにあり、コメディとしても笑えないことはない。ホラーとしてはまったく使えないけれど、気持ち悪いことは気持ち悪い。スティーヴ・ブシェミは面白い、顔が。