SHOAH

Shoah
1985年,フランス,570分
監督:クロード・ランズマン
撮影:ドミニク・シャピュイ、ジミー・グラスベルグ、ウィリアム・ルブチャンスキー
出演:ナチ収容所の生存者

 ナチス・ドイツの絶滅収容所のひとつヘウムノ収容所のただ2人の生存者のうちの一人シモン・スレブニク、当時14歳の少年で、とても歌がうまかったというその男性が監督に伴われてヘウムノを訪れるところから映画は始まる。
 そこから当時からヘウムノの周辺に住んでいたポーランドの人たちへのインタビュー、他の収容所の生存者たちへのインタビュー、もとSS将校へのインタビュー、ワルシャワ・ゲットーの生存者へのインタビューなどホロコーストにかかわりのあるさまざまな人へのインタビューと、収容所跡地の映像、これらホロコーストにかかわるさまざまな資料を9時間半という長さにまとめた圧倒的なドキュメンタリー映画。
 ユダヤ人である監督はもちろんホロコーストの本当の悲劇を世界に伝えるべくこの映画を撮った。これでもかと出てくる衝撃的な証言、映像の数々。

 まず、この映画を見る前に、この映画をほめるのは簡単だと考えた。「ホロコースト」という主題、9時間半もの長さ、貴重な証言の数々、それは歴史的に重要な映像の重なりであり、われわれに戦争の悲惨さとそれを繰り返してはならないという教訓を投げかけるということ。それは見る前から予想ができた。その上で私はこの映画を批判しようという目線で映画を見始めた。その視線が見つめる先にあるのは、この映画の視点が一方的なものになってしまうのではないかという恐れ、現在存在するパレスチナ問題にもつながりうるユダヤ人の自己正当化、そのようなものが映画の底流に隠されているのではないかという危惧を持って映画を見始めた。
 見終わって、まず思ったのはこの映画は紛れもなく必要な映画であり、見てよかったということ。この映画を見ることは非常に重要だということだった。それは単純に映画を賛美し、そのすべてに賛成するということを意味するわけではないが。

 それでも私は9時間半、批判することを忘れずに見続けた。そして批判すべき点もあるということがわかった。
 映画の序盤、映画に登場するのは監督と証言者と通訳。私がまず目をつけたのはこの通訳だ。通訳を介し、通訳が翻訳した言葉で伝える。オリジナルではもちろんそのまま音声で、字幕版でも証言者本人の証言に字幕がつくのではなく通訳の翻訳に字幕がつく。最初これが非常に不思議だった。
 しかも、証言者たちはカメラのほうを見つめることなく、ほとんどカメラを意識させず、監督のほうを見つめる。このような撮り方は監督の存在を強調し、映画が監督によるレポートであるということを明確にする。われわれは証言者の証言を直接聞くのではなく、そのインタビュアーである監督のレポートを見ることになる。

 そして、次に疑問に感じたのが、人物の紹介のときに出るキャプション。ユダヤ人、ポーランド人、もとナチスという線引きは果たして中立的なのか、ユダヤ人とそれ以外という線引きを強調しすぎてはいまいか? と考える。
 そして登場する元SS将校。「名前を出さないでくれ」というその元将校の名前を堂々と出し、隠し撮りをし、隠し撮りであることを強調するかのようにその隠し撮りの状況を繰り返し映す。
 この「隠し撮り」がこの映画における私の最大の疑問となった。果たしてこのようなことがゆるされるのか?

 この元SS将校の生の証言によってこの映画の真実味が飛躍的に増すことは確かだ。被害者や近くにいたというだけの第三者の証言だけでなく、加害者であるナチスの直接の証言は強烈だ。
 しかし、「名前は出さない」と約束し、撮影していることも(おそらく)明らかにせず得た映像と情報を臆面もなく映像にしてしまう。名前を全世界に向けて明らかにする。その横暴さはどうなのか? 確かにそのナチの元将校はひどいことをした。反省をしてもいるだろう。繰り返してはいけないと思っているのだろう。だから証言をした。「正々堂々と名前と顔を出して証言しろ」といいたくなることも確かだ。しかしその元将校にも彼なりの理由があって名前を伏せることを条件にした。その条件があって始めて証言することに応じた。そのような条件を踏みにじることが果たして赦されるのか?
 監督はこの映像がこの映画に欠かせないと考えたのかもしれない。それはそうだろう。せっかく得た映像を使わないのは馬鹿らしい。しかし、私はそれは決してやってはいけなかったことだと思う。それをやってしまうことは一人の映像作家として、表現者として恥ずべきことであり、映像作家であり、表現者であると名乗ることは赦されるべきではない。表現者とは許された条件の中で自分の表現したいことを表現するものであり、禁じられたものを利用してはいけないはずだ。
 映画に限っても、映画とはさまざまな制限の中で作られるものだ。その制限の中に以下に自分を表現するのかが勝負であるはずだ。予算や、機材や、検閲や制限に程度の差こそあれ、その制限を破ることなく作るのが映画であるはずだ。この監督がやったことはたとえば「予算が足りないから銀行強盗をして予算を増やそう」ということと変わらない。
 そこに私は大きな憤りを感じた。

 映画のちょうど真ん中辺りにあるアウシュビッツの映像。生存者の証言にあわせてカメラがアウシュビッツの跡地を進む。その映像は徹底して一人称で、見ているわれわれは自分がその場所に立っているかのような錯覚にとらわれる。そしてそこに40年前に起こっていたことが陽炎のように表れるのを体験する。そのシークエンスは非常に秀逸だ。この映画の中で最も映画的で、最も感動的な場面といっていいだろう。想像させるということは、どんなにリアルな再現よりも効果的である。
 しかし、批判の眼を忘れないように見続ける私はその感動と衝撃の合間に監督の意図を探る。このシークエンスの意図は明確だ。当時のユダヤ人の衝撃と悲しみの疑似体験をさせること。それは殺されていったユダヤ人たちを理解するための近道である。しかしこのような近道を作ることで見ているわれわれはユダヤ人の視線に追い込まれていく。それは中立な視線を保つことの困難さ、ユダヤ人の受難を自分自身の身に降りかかったことであるかのように思わせる誘導。そのような誘導を意識せずに見ると、この映画は危険かもしれない。ひとつの見方に押し込められてしまう危険があるということを常に意識していなければいけない。
 そのような観客の感情の誘導はそのあたりがピークとなる。その後、感情の高ぶりはやや抑えられ、逆に生依存者たちの心理の複雑さも垣間見えるようになる。生存者のほとんどは「特務班」と呼ばれる労働者だった。それは到着してすぐにガス室に送られるユダヤ人とは違う境遇にある。彼らは被害者であると同時に、ナチスの虐殺にある種の加担をする立場でもある。自分が生きながらえるために仕方ないとはいえ、その仕方なさはそれ以外によりどころがないという仕方なさであり、それにすがるしかないというのは心理的に非常にきついことなのだ、ということが証言の端々から感じられる。

 このあたり、映画の後半の証言はほとんど直接に字幕がつく。それは英語であったり、イスラエル語(?)であったりする。それは言語の問題なんだろうか? 単純に監督が通訳を必要とせずに話せるというだけの理由なのだろうか?しかし、字幕なしにすべての言語を理解できる人は少ないだろう。
 この、通訳を介するということから直接の証言への変化はこの映画のつくりのうまさのようなものを感じる。ドキュメントは虐殺の中心、より悲惨な生存者の少ないところから、虐殺の周辺、より生存者の多いところへと移動していく。それとは裏腹に、証言者たちは通訳を介した間接的な存在から、通訳なしで語りかけてくる直接的な存在へと変化する。虐殺の中心から周辺へという移動は、最初で一気に観客をつかむとともに、物語の強弱によって9時間半という長さを退屈にならないようにする。一つ一つのエピソード(たとえばチェコ人のケース)も非常にドラマティックだ。
 このような映画のつくりのうまさは監督の手腕を感じさせると同時に、なんとなく姑息な感じというか、計算高さを感じてしまう。観客を自分の側に取り込んでいくための周到な計画がそこに感じられる。
 もちろんそれが悪いわけではない。ホロコーストという想像を絶する悲惨な体験を自分のものとするためには並大抵の衝撃では無理である。この映画はその並大抵ではないことをある程度実現しているという点ですごい映画であり、この体験をすることは非常に有益である。しかし、映画を見終わってその自分の体験を客観視することが必要になってくる。単純に映画に浸るだけで終わってしまっては、描かれた歴史的事実のはらむ根本的な問題は見えてこない。
 この映画もまたひとつの暴力であるということを見逃してはいけない。私があくまでもこだわる元SS将校の証言はその具体的なものだが、全体としてこれがナチを一方的に攻撃していることは確かだ。そしてそれはユダヤ人を正当化することにつながりうる。

 この映画を見終わって、監督があまりに感情的であることに救われる。もしこのようなドキュメントを冷静に描いていたらこの9時間半は鼻持ちならない時間になってしまっていたことだろう。そうではなくて、この映画があくまで監督の憤りの表現であることがわかると、納得できる。果てしなく果てしなく果てしないモノローグ。他人の口を借りたモノローグ。それがモノローグであることを理解したならば、そのメッセージを冷静に噛み砕くことができる。そしてその部分部分は歴史的証言として非常に価値がある。そしてまたこのモノローグが吐露する憤りはユダヤ人といわれる人たちに(少なくともその一部に)共有されている感情なのだろう。
 そのように自分なりに客観的に見つめてみて、あとはこの映画からはなれて、しかしこの映画とかかわりのあるさまざまなことごとと接するたびに思い出すことになるだろう。

夜と霧

Nuit et Brouillard
1955年,フランス,32分
監督:アラン・レネ
原作:ジャン・ケイヨール
脚本:ジャン・ケイヨール
撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニ
音楽:ハンス・アイスラー
出演:ミシェル・ブーケ(ナレーション)

 「ガス室」によって知られるようになったユダヤ人強制収容所の町アウシュビッツ。今は平穏な町となっているその町で戦争中行われていた暴虐の数々。ナチスによって残されたスチル写真と、現在の強制収容所後の姿を重ね合わせながら、その実態を明らかにしていく。
 さまざまなメディアによって取り上げられ語られてきたホロコーストとアウシュビッツだが、1955年の時点でこれだけのことを語り、これだけの恐怖を体験させる映画世界はものすごいとしか言いようがない。

 最初、のどかの田園風景のはじにちらちらと映る鉄条網と監視所。この時点ですでに鋭いものを感じるけれど、このカラーの跡地となった強制収容所の映像が、過去の白黒の映像にはさまれることで変化していくそのさまがすごい。跡地のがらんどうのベットの列、ただの穴でしかないトイレの列。これらのただのがらんどうである空間を見ることで体の中に沸いてくる恐怖感は、過去の映像だけでは実感できないもの。そこにひしめき合っていた人々がリアルに感じられるのはなぜだろう? 腹の底から沸き上がってくるような恐怖感を生み出すものは何なのだろう?
 それは「視線」だろう。記録としてとられた収容所の映像の視点はあくまで傍観者のものでしかない。しかし、レネは跡地を訪れ、それを傍観しているのではなく、強制収容所の生活というものを再体験しようと欲し、映画を見る人にもそれを再体験してもらおうと思っている。そこから生まれる、視線の置き方がすばらしいのだと思う。
 もちろん悲惨な映像もあり、それはそれで衝撃的なのだけれど、ただ悲惨なだけで恐怖感が沸くわけではない。それは一種の見せ方の問題だ。たとえば、髪の毛の山。一枚のスチル写真であるこの髪の毛の山を、普通は静止した一枚の写真として見せるだろう。しかし、この映画ではまずその静止画の下のほうを映し、そこからカメラを上にずらしていく。つまり、実際の山を下から上へと映していく効果を一枚の写真で生み出している。これはカメラによるひとつのドラマ化であるといえる。われわれが理解するのは強制収容所と虐殺という事実であるが、本当に恐怖するのは、われわれが虐待され虐殺されるというドラマなのだ。だから、人に何らかの感情を呼び起こそうとするならば、それがたとえドキュメンタリーであってもドラマ化が必要となるのだ。そういう意味でこの映画は純粋に優れた映画であり、ドキュメンタリーという枠で捉らえたとしても優れたドキュメンタリーであるといえるだろう。
 この映画を見て、あなたは何度身をすくめただろうか?

トゥルー・ストーリー

Yek Dastan-e Baghe’i
1996年,イラン,125分
監督:アボルファズル・ジャリリ
脚本:アボルファズル・ジャリリ
撮影:マスード・コラーニ
出演:サマド・ハニ、メヒディ・アサディ、アボルファズル・ジャリリ

 TV用の新しい映画制作のため、主人公を演じる少年を探すジャリリ監督。しかし、なかなか見つからない。そんな時に立ち寄ったパン屋でであった少年サマドが彼のめがねにかなった。ちゃんとした交渉をするため、次の日彼を呼びにやると、彼は店からいなくなっていた。
 撮影予定だったフィクションの撮影を取りやめ、少年サマドの実話をドキュメンタリーという形で映画化した作品。普段から素人の役者を使うジャリリ監督だが、これは完全なドキュメンタリー作品で、また違う趣き。

 いわゆる「映画の映画」なのかと思ったらそうではなく、一人の少年を追ったドキュメンタリーとなる。確かにひとつのドラマとして、人道的というか道徳的というか、そういう物語であり、かつ独善的ではないという点でとてもいいお話だと思う。しかし、これを一本の映画として成立させてしまっていいのかという気もする。
 ジャリリ監督は、素人の少年を映画の主人公に使い、撮影が終わった後もその少年たちを援助し、良好な関係を結んでいるという。それはとてもすばらしいことだし、いい映画が撮れて、かつそのような少年たちが幸福になるならそんなすばらしいことはないと思う。
 しかし、その少年を救うひとつの物語を一本の映画としてしまうと、それは映画監督ジャリリのひとつの行為というよりは、一人の人間であるジャリリがたまたま映画監督であったがためにその行為を記録しただけということになってしまいはしないか? という疑問が起きる。彼はこれをひとつの映画として完成させようと奮闘し、撮影を許可してくれる医師を探した。しかし、それは映画監督であることと一人の人間であることを両立させるということにはつながらず、一人の少年を救うということと映画を完成させるという二つの目標の間で宙ぶらりんになってしまったところから来る妥協のように見えてしまう。
その中途半端さがあるために、映画(つまり作り物)としてまとめるために挿入されたと思われる、カットとカットの間の電子音と暗い一瞬のカットにも空虚さが漂う。そして最後につけられたメッセージもその中途半端さを補うためのつじつまあわせの言葉のように聞こえてしまう。実際のところは心から少年を救いたいと思い、行動したのだろうけれど、映画としての中途半端がそんなうがった見方をさせる余地を残す。
 私は、この映画が映画として完成するためには、本来の目的であった「時計の息子」という作品を何らかの形で制作するか、あるいはサマドを主人公にした(フィクションの)映画を作る必要があると思う。そのそもそも映画として作られた映画と互いに補完することによってようやくひとつの映画世界が完成するように思えて仕方がない。この作品がTV用のものならなおさらそうなんじゃないかと思う。

ぼちぼちだね(I’m so-so)

I’m so-so
1995年,デンマーク=ポーランド,56分
監督:クリストフ・ヴィエジュビツキ
撮影:ヤシェク・ペテリツキ
音楽:ジュビニエフ・プレイスネル
出演:クシシュトフ・キエシロフスキー

 「トリコロール」や「デカ・ローグ」などの作品を残し、1996年になくなった映画監督キエシロフスキー。「トリコロール」を最後に監督を辞めてしまった彼の姿を、ながらく彼の仕事上のアシスタントをしてきたヴィエジュビツキがカメラに収めた。彼はこの映画が撮られてから1年もたたずに亡くなってしまったが、フレームの中のキエシロフスキーは生き生きとして朗らかだ。
 日本で見られる機会はなかなかないかと思います。

 ドキュメンタリーとしては非常にオーソドックスな作品。それもそのはず。これは劇場公開用の映画として撮られたのではなく、デンマークのテレビ用に撮影されたいわゆるテレビ・ドキュメンタリー。なので、インタビューをメインに、作品を紹介しつつ、現在のキエシロフスキーについて語っていくというスタイル。
 なので、この映画の眼目は彼の哲学と彼がこれからしようとしていることにあるといっていい。全体を通していえることはキエシロフスキーは映画監督は語るべきものではなく、映画が語るべきだということを言っていると思う。質問に答え、映画が語らんとしていることを話して入るけれど、彼が強調するのは常に「解釈の余地」ということだ。いろいろな可能性を映画に盛り込んで、解釈は観客に任せるというスタンス。それがキエシロフスキーが自分の過去の作品について言っているすべてだといっても過言ではないだろう。
 という感じでのドキュメンタリーですが、私が一番思ったのはキエシロフスキーってなんて横顔がかっこいいんだろうということ。正面から映っているとそうでもない(といっては失礼か)のですが、映画の後半で部屋に座って、固定カメラで映している場面があって、その横顔がすごくかっこいい。大きめの鼻がでんと座っていて、りりしい顔立ち。

SEX アナベル・チョンのこと

SEX : The Annabel Chong Story
1999年,アメリカ=カナダ,86分
監督:ガフ・リュイス
音楽:ピーター・ムンディンガー
出演:アナベル・チョン

 10時間で251人とSEXし、世界記録(当時)を樹立したポルノスターのアナベル・チョン。南カリフォルニア大学で写真と性科学を学ぶフェミニストでもある彼女の記録への挑戦を描いたドキュメンタリー。取り上げられている題材の割には映像自体は過激ではなく、彼女の生き方や考え方を描こうとしている姿勢が感じれらる真摯な作品。
 このようなセクシャリティ系の映画はかなりストレートにメッセージが伝わってきていいですね。「女性には自らの性を商品化する権利がある」

 女性も攻撃的なセクシャリティを持つことができるという彼女の考え方もよくわかるし、それを権威的でない形で実行するという態度にも共感できる。それが300人とセックスをしようという形に結びつくというのもその発想を追っていけば理解できないことではない。
 しかし、やはり偏見や既成概念にとらわれているわれわれは彼女の主張を受けとめられない。彼女のように振舞うことは容易ではない。もちろんそれは251人とセックスをしろということではなく、自由であれという意味でだけれど。ただ自由であろうとするだけでも難しい。特に性的に自由であることは、自由から生じる不安感に加えて世間からの(あるいは自分の内にある仮想的な世間からの)圧力も同時に存在する。アナベル・チョンでさえ自分の両親には告げることができなかったのはそれだけ既成概念が強固であるということだろう。
 女性が抑圧されていると主張する人たちの目がセックスへと向くのは、女性の抑圧の根本的な原因がセックスにあるからである。そして、ポルノというのは女性への性的な抑圧を端的に示すものである。だからフェミニストたちはポルノを糾弾し非難し、規制しようとする。それに対してアナベル・チョンはその内部に入り込み、それを見えなくするのではなく変えてゆく。ポルノという領域で女性が自分を解放できるのだということを証明しようとする。
 映画の中でマイケル・J・コックス(この名前は傑作だけど)はアナベル・チョンのことを「業界の面汚し」と呼んだ。251人とのセックスと聞いて最初に返ってくる反応の多くは「衛生面」や「エイズ」という反応だった。このような反発や意味のすり替えを見ると、アナベルの主張の正しさを感じる。しかし、実際に問題なのは誰が正しいのかということではない。
 話がまったくまとまらない!
 彼女のすばらしさのすべては行動が伴っているということにあると思う。セクシャリティにおいて本当に自由である。それが自然であるようにうまく描いているというのもあるけれど、当たり前のように元恋人という女性が出てくるし、セクシャリティの線引きから逃れるような親友アランもいる。
 主張するならば、行動しなさい。といわれている気がするけれど、それはなかなか難しい。

日本鬼子 リーベンクイズ

2001年,日本,160分
監督:松井稔
撮影:小栗謙一
音楽:佐藤良介
出演:日中戦争を経験した方々

 8月15日の靖国神社には様々な人が集い集まる。「英霊」と称えられる人々が戦場でやってきたこととは何なのか。1939年の満州事変に始まり、日本が無条件降伏をするまでの15年間休むことなく続いた日中戦争において中国に渡り拷問・強姦・虐殺などを行ってしまった兵士たち本人の証言によってそれを問う貴重な記録映画。時間軸にそった日中戦争の展開も解説されており、戦争を知らない世代にとっては非常に勉強になるお話。

 この映画で語られていることを知ることは非常に重要だと思う。情報としては様々なメディアで紹介され、文字として読むこともできることで、ことさらこの映画を見なければならないということはないけれど、実行した本人が証言している映像を見ることは文字を読むことよりも何倍かは伝わりやすいと思う。そしてあわせて歴史が解説されるというのもいい。文字でこういう構成をとられると、なんとなく流れが分断される気がして読みにくかろうと思うが、映画にしてしまうと、ぐっと集中してみる時間に区切りがついて見やすくなるという効果もあると思う。
 ということで、内容をここで繰り返すことには全く意味がないので、やめることにして、映画を見ながら思った(あるいは思い出した)ことを書いてみましょう。ちょっと映画の主張からは外れますが、ひとつは古参兵の命令は絶対だったというのを見ながら「兵隊やくざ」を思い出す。「兵隊やくざ」(1965)は勝新太郎演じる正義漢の初年兵が古参兵の命令にもはむかって正義というか仁義を貫くという映画。当時の観客達は自らの軍隊経験と重ね合わせて、感慨を持ちながら見ていたんだろうなぁと想像する。もうひとつはここに登場する人たちはおそらく一度ならずどこかでそれをかたったり書いたりしている人たちなんだろうと思う。一部の人はどこかに書いたということやしゃべったということが明らかになっている。そういう体験を経ているからこそカメラのまえで冷静に(あるいは冷静さを装って)体験を語れるのだろう。逆に語れないままいる人や、語ることの出来ないままなくなってしまった人のほうが多いのだろう。彼らがそれを語れるのはやはり中国の軍事法廷の寛大さが大きな要因となっていると思う。中国人民に謝罪し、感謝した彼らはそれを他の人たちに伝え、二度と繰り返さないようにするという義務感を重く感じただろう。それは自分や家族の恥となることを厭わないほどに。

猥褻行為~キューバ同性愛者強制収容所~

Mauvaise conduite
1984年,フランス,112分
監督:ネストール・アルメンドロス、オルランド・ヒメネス・レアル
出演:ロレンソ・モンレアル、ホルヘ・ラゴ、レイナルド・アレナス、フィデル・カストロ

 1960年代、キューバにあったUMAPという強制収容所には密告により様々な人々が収容された。同性愛者をその一角を占めていたが、当時世界的な熱狂で迎えられたキューバ革命賛美の潮流の中ではそのような事実はなかなか認められにくかった。しかし1980年代までにキューバからは100万人規模の人々が亡命し、徐々に理想化された国の内幕が判明してきた。
 亡命を余儀なくされた有名人のインタビューを中心としたドキュメンタリーによってフィデル・カストロとキューバ政府の誤謬を暴く。トリュフォー作品や「クレイマー・クレイマー」などのカメラマンとして知られるアルメンドロスの初監督作品。

 言ってしまえば映画としてはそれほど面白くはない。ドキュメンタリーといってわれわれがイメージする経験者の証言と限られた事実を示す映像とで構成される単調なドラマ。しかし、そのドラマは強烈だ。日本では余り知られていないにしろヨーロッパなどでは比較的知られているキューバの作家や批評家達が登場し、強制収容所の実態を語る。全く信じられないようなことが公然と行われていたという事実に直面するということは常に衝撃的である。
 この作品にも登場した作家レイナルド・アレナスは収容所をはじめとした強烈な体験を「夜になる前に」という作品につづっている。この作品にはこの映画も出てくるのだが、その信じられない体験を目にしたときの衝撃が生々しくよみがえってきた。(この「夜になる前に」は昨年アメリカで映画化され、日本でも今年の秋頃に公開される予定。)
 ドキュメンタリーという枠を越えようとする映画的にすぐれたドキュメンタリーも面白いけれど、こういう古典的なドキュメンタリーもその内容さえすぐれていれば非常に面白いものになる。この作品は非常に陰惨な内容を語っているはずなのに、インタビューを受ける人たちは比較的明るい表情で陰惨な雰囲気はまるでない。そのあたりの奥に秘められたひそやかな憎悪を見るよりも彼らがそうやって振舞うことによって生じる雰囲気を素直に味わいたい。

アラン

Man of Aran
1934年,イギリス,77分
監督:ロバート・J・フラハティ
脚本:ジョン・ゴールドマン
撮影:ロバート・J・フラハティ
音楽:ジョン・グリーンウッド
出演:コールマン・キング、マギー・ディーレン、マイケル・ディーレン

 アイルランドの西に位置する島アラン。過酷な自然に囲まれた不毛の土地で暮らす人々の姿を描いたドキュメンタリー。ほとんど草も生えず、始終激しい波にさらされる土地でも人々は力強く生きる。
 20年代から30年代を代表するドキュメンタリー作家のひとりフラハティの代表作の一つ。

 最初、字幕による説明があり、オーケストラに合わせて淡々と映像が流れる。「サイレント?」と思うが、始まって10分くらいしてセリフが話される。しかしセリフは極端に少ない。音楽を背景に映像を流しつづけるドラマ。セリフはなくともドラマとして成立し、しかも紛れもなくドキュメンタリーだ。
 しかし、ドキュメンタリーとしては少々作りこんだ感がある。一台のカメラで追っただけでは作れないような映像が多々ある。一つ印象的な場面である。少年とサメのカットバックのシーンなどもそうだ。この映画はおそらく、基本的にはドキュメンタリーだが、それをドラマ化するために、不足した部分を後から足したのではないかと思われる。それでドキュメンタリーではないということは自由だが、この映画は単純に現実の脅威というものを表していることに変わりはない。 誰しもが目を見張りひきつけられるのはやはり波の表情。断璧に打ち付けられた波は高々とその壁を登り地面をぬらす。その迫力はすさまじい。ただただ浜辺に打ち寄せる波もすさまじい。あとは、ボートに打ちつけられるサメの尾鰭の立てる音、ボートが波のまにまに消えるそのひとたび毎にふっと襲ってくる緊迫感、そんなものが心に迫ってきた。
 こんな映画を見ていると、やはりドキュメンタリーというのは現実の一瞬間をふっと切り取るものであり、それはあまりにドラマチックであるのだということを実感させられる。フィクションでは作り上げることのできない現実ならではの迫力というものがやはりある。

ゆきゆきて、神軍

1987年,日本,122分
監督:原一男
撮影:原一男
音楽:山川繁
出演:奥崎謙三

 反体制運動家の奥崎謙三、傷害致死、わいせつ図画頒布などで13年以上の独房生活を送った彼の活動を追ったドキュメンタリー。悲惨を極めたニューギニアから帰還した奥崎はそのニューギニアで起こった様々な悲惨な出来事の解明に乗り出す。
 今村昌平が企画をし、原一男が監督・撮影を行った日本のドキュメンタリー史に残る映画。斬新というか型破りというか、ドキュメンタリーというジャンルの典型からは大きく外れた映画。

 これは果たしてドキュメンタリーなのか、実際の起こったことを映しているという意味ではドキュメンタリーだが、この奥崎謙三という人物はエンターテナーだ。自分を見せるすべを知っていて、それをカメラの前でやる。しかしそれは彼の主義主張にあったものなのだから、作り物というわけではない。だから、フィクションかドキュメンタリーかという区分けをするならばドキュメンタリーの範疇に入る。ただそれだけのこと。ドキュメンタリーというのもあくまで程度の問題で、いくらかはフィクションの割合が入っているものである。カメラが存在することですでにノンフィクションというものは存立不可能になっている。したがって、完全にノンフィクションではないドキュメントをいかにノンフィクションらしくしかもドラマチックに見せるのか、それがいかにすぐれたドキュメンタリーであるのかという事。
 この映画はノンフィクションらしく見せるという点では余り成功していない。しかし、ドラマチックであることは確かだ。そしてそのドラマチックさはそれがノンフィクションであるということに起因している。リアルな喧嘩、省略なく行くところごとに繰り返される同じ説明、それらは見るものをいらだたせるまでに繰り返される。事実はこうであるのだということ。
 見る人によっては嫌悪感すらもよおすだろうし、私も好きなタイプの映画ではないけれど、すごいということもまた事実。

100人の子供達が列車を待っている

Cien Nin~os Esperando un Tren
1988年,チリ,58分
監督:イグナシオ・アゲーロ
撮影:ハイメ・レイエス、ホルヘ・ロート
出演:チリの子供達

 チリのとある村。教会の映画部門の担当者が子供たちのための映画教室を開く。最初の授業、子供達に映画を見たことがあるかと聞くと、ほとんどの子供はないと答えた。そんな子供たちに映画をその成り立ちから楽しく授業する様を描いたドキュメンタリーの秀作。
 チリという国がどうとか言うよりは、子供たちと一緒に映画を純粋に楽しむことができる楽しい作品。

 この映画は楽しい。映画というものがどのように成立し、映画史がどのように発展してきたのかを知らない人はもちろん、それを知らない人もそれを体験するということは楽しい。子供たちが純粋に驚きを表したように単純に驚く。
 この映画はスタイルとしては非常にオーソドックス。最初教室を上から撮ってバッハが流れるところなどは、「おお、いかにもドキュメンタリー」という感じ。しかし、内容としてはインタビューがある以外はあくまでも被写体に介入することなくただみつめているだけというところは好感を持てる。ドキュメンタリーで最悪なのは、中途半端に被写体に介入し、味方であるような顔をしながらプライヴァシーを踏みにじるもの。生活すべて浸りきるほどの覚悟がないのなら被写体にはまった干渉しない方がいい。
 そんな意味で、この映画の距離感は好感をもてる。インタビューの仕方もうまくて、両親と一緒に子供がインタビューを受ける場面などは子供の自尊心をくすぐりながら効果的に教室の意味のようなものを引き出している。
 本当はチリという国、あるいはラテンアメリカ全体の映画事情に対するアンチテーゼともなっている映画なのですが、そのことを語らずとも十分にいい映画なのです。
 1つ言っておくならば、最初の子供たちのアンケートで数少ない映画を見たことがある子供が答えた「ランボー」や「ロッキー」というタイトルが、ラテンアメリカにおけるハリウッド巨大映画資本の支配の象徴であるということです。